妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百六十一話:山陰にてご主人様復活
 
 
 
 
 
「防衛庁が妙な動きを?ああ、聞いているよ。ダミーとして、厚生省で扱っているんだったね」
 眼下に皇居を見下ろしながら、フユノは頷いた。
 相手はリツコの母ナオコである。
「多分知っているとは思ったけどさすがね。さつきさんから?」
「ああ、伝言があったよ。小ネズミがちょこまかしているとね。で、厚生省のどこに所属しているんだい」
「上下水整備部よ」
「その手は国交省じゃなかったのかい」
「国交省にすると、もう下水道局があるからね。海と山じゃ無い以上、連中の侵攻ルートは地下よ。そのルートを叩けていない事への当てつけね」
「うちの孫も有名になったもんだね」
 フユノがグラスに手を伸ばした時、後ろに控えていた千鶴の表情が動いた。
 元々、フユノ関連で入ってきた千鶴だが、その言葉の意味を知らぬ女ではない。実際の所、目の前でシンジに銃を向けた時、フユノが黙ってみているのはこの世でマリア・タチバナ一人しかいないと千鶴は見ている。
 余人であれば、それが誰であろうとフユノは滅びの鎚を向けるだろう。
 無論、シンジの人生は本人の物だが、厳密に言えば本人の物ではない。流れる浮き雲の如く、自由気ままに生きられる風来坊とは違うのだ。
 世の中には、本人が望むと望まざるとに関わらず、その進む道が決まっている人種というのがあり、シンジはその一種であった。
 碇、の血は連綿と続いてきており、そこには夫婦別姓だの男女平等だの、下らない理論が入り込む余地は微塵もない。
 これでシンジがごく普通の少年として成長していたら、フユノは決して好きになどさせなかったろう。
 いずれは大器に成長せねばならぬと考え、またシンジもそれだけの資質を持っていたからこそ放任にも近い方策を採っていたのだ。
 やがて受話器を置いたフユノは、グラスの中の烏竜茶越しに外を見ていた。フユノは何も言わず、千鶴も直立不動のまま動かない。
「千鶴」
「はい」
 フユノが呼んだのは、十分近くが経ってからであった。
「お前ならどうするね」
「若様のお考え次第かと思います。もしかしたら、何かの道具に使われるかもしれません」
「シンジは潰さぬよ。戻ってきて、報告を受けた時に激怒せぬ限りはな。今回は敗戦だったが、シンジがそれを聞いて激昂すると思うか?」
 千鶴は即座に首を振った。
 本邸に仕えている者の中で、シンジが切れた所を見た者はいない。
 ただそれは、大人と言えば聞こえはいいが、逆に言えば喜怒哀楽の一つを喪っているとも取れるわけで、詰まる所本心を見せていない感の方が強い。
 数千年を生きた仙人ならいざ知らず、シンジはまだ十八歳なのだ。
 巴里での事は、既に二人とも知っている。にもかかわらず、フユノが腰を上げていないのは、実のところそれが一番大きかったのだ。
 すなわち、シンジが暴走する事などあるのか、と。
 この後、戻ってきたシンジを見て度肝を抜かれる事になるのだが、それはもう少し後の話になる。
 
 
 
 
 
「若様起きて、もう朝ですよ」
 ゆさゆさと揺さぶられ、シンジは薄目を開けたが、
「うん、もう少しだけ寝かせて…」
 もぞもぞと中へ潜り込もうとする。
 それを見下ろした葉子が、
「駄目です。ご飯冷えちゃうでしょ。さっさと起きて下さい」
「じゃ、あの子達に餌やっとい…え?」
 あの子達、と言っても、シンジが地下で猫耳と尻尾を付けた娘を飼育しているわけではない。
 生粋の殺人魚にしてペットであるピラニアたちの事である。
 がばと跳ね起きたシンジが、
「よ、葉ちゃん?」
「おはようございます。目は覚めましたか?」
「たった今覚めました」
 葉子が本邸にいた頃と、すっかり勘違いしていたのだ。確かに、自分はいつもベッドなのにここでは布団になっているし、自分の部屋はこんなに狭くない。
「さ、着替えましょうね」
 そっと頭を抱きかかえられた時、シンジは妙な感触に気が付いた。
「あの、葉ちゃん」
「はい?」
「う、ううん、何でもない」
 シンジは首を振った。いくらシンジでも、朝っぱらからノーブラだとか、口にする事は出来なかったのだ。
(でもやっぱりノーブラ)
 するりと上着が脱がされ、てきぱきとシャツが着せられていく。
 袖のカフスが止められてから、以前はたしかこうだったと思い出した。とはいえ、今からもう数年も前の事だし、シンジだっていつまでも子供ではない。
「あの、着替え位一人で出来るから」
「駄目です」
 そっと申し出たら、即座に却下された。
「なんで?」
「私は、ハイジャックの人質になった上に好きな子も守れないような役立たずに、シンジ様を育てたおぼえはありません。そんな子は、目が離せないから私が全部やってあげます」
 ムカッ。
 癪に障る話ではあるが、そう言われると何も言い返せない。
 ハイジャックの件は、別にシンジ目当てでその上犠牲が出たわけではないし、あれはシンジがその気になれば外せていた。
 ただ、サリュの件だけはまったく以て不覚の一語に尽きるわけであり、本来ならば今頃は、巴里の大聖堂で華燭の典でも挙げていたかもしれないのだ。
(また思い出した…)
 シンジの表情が曇った時、その頭がぎゅっと抱き締められた。
「葉ちゃん?」
「シンジ様が力及ばなかったのなら、私も何も言いません。でも…つまらないプライドを優先して命を落としたりしたら…悲しむのは私だけじゃないんです」
「…うん」
 二人はしばらく動かなかったが、やがてシンジの顔が上がった。
「黒瓜堂のオーナーが俺を助けたのは、ある意味では罰だったのかもしれない」
「え?」
「別に、助ける義務はなかったんだ。いつも贔屓にして、取引してるわけでもないし。うちじゃなくたって、相手はいくらでもいる」
「でも、どうしてそれが罰なんですか?」
「ほっとけば、俺は死んでたから。死んでればサリュと一緒に冥土まで…きゅっ」
 最後まで言い終える事は出来なかった。
 不意に首が絞められたのだ。
 絞められて、にゅうと首が伸びたシンジから手を放し、
「ご飯出来てます。さっさと来て下さい」
 ぷいっと立ち上がった葉子の後ろ姿をみながら、
「機雷だったかな」
 シンジは小さく呟いた。
 
 
「ささ、着きましたよ」
 レニを乗せた車が女神館に着いた時、もう太陽は自分の職場を変える所であった。
「疲れましたか」
「ううん、僕は大丈夫」
 中国道では起きていたが、首都高に入ってからはさすがに疲れたのか、レニは助手席ですやすやと寝息を立てていたのだ。
 その寝顔をちらりとみた黒瓜堂の主人が、にやっと笑ってアクセルを踏み込んだのだが、レニは無論知らない。
 もし起きていれば、制限速度をぴったり二倍した速度に、生きた心地もしなかったかもしれない。
「あの、黒瓜堂さん」
「何です?」
「シンジは…帰ってきてくれますか?」
 そっと目をこすったレニが訊いた。
「帰ってくる、とはここに?」
 小さく頷いたレニに、
「帰ってはくる。シンジの居場所はここだけではないが、向こうに留まれない要因がもうじき起きる筈だ」
「留まれない要因?」
 黒瓜堂の主人は軽く頷いた。
「レニ、富豪がどうして富豪なのか知っていますか?」
「え?」
 妙な質問がやって来た。
 首を振ったレニに、
「使わないから溜まる、と言うのが一つ。そしてもう一つは、向こうからやって来るんですよ」
「お金が?」
「そう。つまり、金は天下の回り物というのは大嘘ってことです。分かりますか?」
 レニはほんの少し首を傾げた。
 少なくとも、この場に於いて金持ち云々は関係ない話だ。
 だとしたら、どうして黒瓜堂の主人がそんな事を言い出したのか。
 数秒経ってから頷いた。
 何を指しているのかが分かったのだ。
 天下の回り物は――金と厄災であり、そしてそれは多分同時に回っているのだ。
「ま、帰ってきたら思い切り甘えるといい。生来の癖とは言え、連絡一つ寄越さない従兄だ」
 小さく頷いたレニが、
「あの、僕はこれで」
 ドアを降りようとしたその背中に、
「あ、そうだ忘れていました」
 思い出したような声が追った。
「はい?」
「さっきも言ったが、君が脱ぐのは予想出来ていた。それと、或いはシンジに裸体をすり寄せて自慰に耽る可能性までも」
「!?」
 向こうを向いたまま、レニの肩がびくっと震えた。すうっと血の気が引いている事など、確認する必要もあるまい。
「私がそれを道具にしようと思わなかったのは、倫理からでもドクトルシビウが怖いからでもない。理由はただ一つ、君がシンジの物だからだ」
「…え?」
「君は心も体もシンジの物、そうでしょう」
 思いも寄らない言葉で反応が遅れたか、今度は赤くなったレニが首を縦に振ったのは十秒ほど経ってからであった。
「美幼女でも美熟女でも構わんが、人の物は守備範囲外でね」
「黒瓜堂さん…」
 これも、よく聞けばえらい事を口にしているのだが、レニはそこまで分析する余裕がなかった。
 何か言いかけたレニに、黒瓜堂の主人はすっと手を挙げた。
「もうじき夜の帳が降りる。他の娘達も帰っている頃だ、もう戻った方がいい。それに何より、これ以上敵対心を持たれては困るからね」
「敵対心?」
 自分はそんな物など持っていない。
 怪訝な表情を見せたレニだが、主人は表情で促した。
「あの、ありがとうございました」
 一礼して降りると、待っていたのはカンナであった。
「どうしたの?」
 低いが、喧しい音を鳴らして去っていった車を見送ってから、
「今の、黒瓜堂って人だろ?」
「そうだよ。それが何か」
「いや、あたいは大将が信頼してるみたいだから、別にいいと思ったんだけどよ…」
「何かあったの」
 カンナの口調はどうも煮え切らない。
「まあその、なんだ、マリアが心配みたいでよ」
「マリアが?」
「いやほら、おめえが何時間も二人きりで出かけて帰ってこないからよ。マリアも心配してたんだよ」
(……)
 実際は違うと、レニはすぐに見抜いていた。
 遅いけど大丈夫かしらね、とその程度の言葉なら、カンナが言葉を濁したりはするまい。
 カンナは、小細工など出来る女ではない。そのカンナが、何とかオブラートに包んだ結果がこれなのだ。
 無論、レニは居合わせた訳ではないから、マリアがどんな口調で何を言ったのかは知らない。
 一つはっきりしているのは、自分がカンナに問い質した場合、決してストレートには言えないであろう内容だと言う事であり、シンジがそれを聞いたらどんな反応をするかなど、分かり切っている。
 レニはもう、突っ込む気にもならなかった。
 黒瓜堂のオーナーは、無論善人というわけではない。
 とはいえ、シンジは絶対に近いほど信用しているし、何よりも単なるお人好しの善人だったら、フユノがシンジの救出を任せる筈がないのだ。
 式場の一件はレニも知っている、おそらくマリアからはその事が抜けていないのだろう――そう、それがマリアに取って致命的な思考であるとしても、だ。
「ネズミが虎の尾を噛むような真似は止した方がいいと思うけど」
 ぽつりと辛辣な事を呟いてから、ふとレニは頬に手を当てた。
 その頬がぽっと赤くなる。
 何かを思い出したらしい。
 
 
「やはり、ちょっかいを出そうと考えているようね」
 巨木の上から、腕を組んで見ろしている祐子の視界には水狐の姿が映っていた。
 狙いが葉子ではなく、その母親にある事は分かっている。
「あの娘に、二度と化蛇の記憶を取り戻させてはならない――それが大魔道士の残した遺言だった。その時に私は居合わせなかったけれど」
 祐子は宙を見たまま呟いた。
 黒瓜堂と知り合った中では最古参に入るのだが、主人がその腕に従魔を宿したのは、もう十数年か、或いはそれ以上前の話なのだ。
 降魔戦争は今から十年前だが、聖地で邪悪な聖魔が封じられたのはそれよりも十年位は前の筈だ。
 だが黒瓜堂の主人――彼女の想い人は、外見は二十代である。
 一体どうなっているのか。
 黒瓜堂の主人は、言ってみれば大魔道士ガレーン・ヌーレンブルクの失敗作みたいなものだが、なぜかガレーンは処分しようとはしなかった。
 それどころか、万が一暴走したときのためにと、外見はオモチャみたいだが、効果は絶対的な小道具まで祐子に預けたのだ。
 老魔道士なりに、どこか見るべき所を感じたのかも知れない――それは、余人には決して理解されない場所かもしれないが。
 かつてこの地と直結した聖地で何があったのか、それを語れる者は地上に一人しかいない。
 無論他にもいるが、ガレーン・ヌーレンブルクが全精力を傾けて記憶を封じたのだ。
 もう、忌まわしい記憶に悩まされる必要はないのだから、と。
 唯一残っているのはオーナーだが、これはもう語ろうともしないから知る由がない。
 それに、言おうとしないのを聞き出すのは恋人の所行ではないと、祐子もあえて聞こうとはしなかった。
 とまれ、それを忠実に守るなら、例え異種の妖気であっても可能性は全て排除するべきなのだが、この女を始末しろとは言われていない。
「片づけちゃった方がいいのかしら」
 事も無げに口に下が、無論根拠のない独り言ではない。黒瓜堂を抑えうる娘で尚かつ恋人など、その辺の娘では到底つとまらないのだ。
 不意に一陣の突風が吹いて巨木を揺らし、スカートの先を僅かに持ち上げたが、その身体は微動だにしない。
 そっとスカートの先を直してから、祐子は携帯を取りだした。
 
 
 水狐が悪巧みを胸に秘めて、この地へ来ている事などシンジは知る由もない。
 人間の機嫌を良と悪が半々で占めるメーターで表した場合、間違いなく悪の方へ傾いている葉子が、
「出かけます。一緒に来て下さい」
「あ、はい」
 ちょっとツンツンした声にシンジは頷いた。
 どっちが主従だか分からない。
 先に表へ出たシンジが見たのは、車庫に止まっている一台の車であった。
「へえ」
 と、思わずシンジが口にしたのは、それが新車ではないがあちこちいじってあると一発で分かるフェアレディのZだった事もあるが、むしろ驚きは色の方にあった。
 深紅に彩られた車体はシャープなイメージを受けるが、シンジが知る葉子のカラーとは少々異なっている気がしたのだ。
 外見を見る限り、どこにも傷の類はない。
 ふんふんと頷いた時、着替え終わった葉子が出てきた。
「色の好み少し変わった?」
 訊いたシンジに、
「黒瓜堂さんに頂いたんですけど」
「…え?」
 反応するまでに数秒かかった。
 意味が分からなかったのである。
 どうして黒瓜堂の名前が出てくるのか。
 ふるふると頭を振ってから、はあと頷いた。
「前からの知り合いで?」
「何言ってるんですか。帝劇のガードシステムは黒瓜堂さんに発注してるでしょう。その関係ですよ」
 数秒経ってから、もう一度はあと頷いた。
 帝劇と黒瓜堂の関係は分かったが、葉子とどう繋がるのか分からない。
(やっぱり鈍ってますね)
 シンジの中で電波が繋がっていない事位、一目見れば分かる。
 まったくもう、と内心でぼやいてから、
「さっさと乗って下さい」
「はいはい」
 言われるまま、ドアノブに手を掛けた瞬間、シンジは飛び退いていた。
「!?」
 触れた手に凄まじい衝撃が走ったのだ。
 10万ボルトを放つ小型モンスターに襲われたような衝撃に、シンジの表情が変わった。
 気、どころか魂すら抜けていたような顔から、すっと元に戻ったのだ。
 がしかし。
「葉ちゃん、この車に何の仕掛けがあるの」
 声はもう元に戻っていたのだが、
「仕掛け?改造はしてあると思いますけど、どうかしましたか」
「手が痺れた」
「え?」
 怪訝な顔で降りてきた葉子が触ると、まったく異常はない。
「……」
 まだ呆けてるのかと、NASAに捕縛された土星人でも見るような視線を向けられ、
「ち、違う!確かに今ビリビリっと…ビリビリ?」
 ムカッと来て勢いよく触ると何ともない。
「あ、あれ?」
「病院へ行って診てもらいますか?それとも往診がいい?」
 ピキッ。
「自分のオツムくらい自分で分かる!どうしてシビウ以外の医者に診てもらわにゃならんのだ」
 スパパン!
「いったーい、もう何する…ふくっ」
 きゅっと首が絞められ、
「漸く思い出した」
「え?」
「碇シンジは綾小路葉子の主人だ」
「え、ええ」
「なんで主人が下僕に精神科の心配されなきゃならないんだ。さっさと行けー!」
「あんっ」
 むにゅっと丸いお尻がつままれた直後、今度は乾いた音を立てた。
 ぽかっと蹴飛ばされそうな勢いに、慌てて運転席へ戻った葉子だが、乗り込む寸前、その口許が微妙な形に緩んだ事に、シンジは気付かなかった。
 
 
「冠者って、太郎冠者と次郎冠者なら知ってるけど」
「その冠者じゃない。誰が主人の留守中に猛毒と言われたが食べてみたら砂糖だったから全部舐めてしまって掛け軸と天目茶碗を割ったお詫びに毒を食べて死のうとした太郎冠者と次郎冠者の話をしている!」
「違うの?」
「全然違う。帰ってきたら荒縄で縛って素っ裸のまま地下倉庫に放り出してやる」
「…つまり、私がそう言う事言われて素直に帰ると?」
「あ、いやそれは嘘。とにかく、その冠者じゃなくて破邪だ」
「は?“か”じゃなくて“は”なの?」
「そう。破邪だよ」
 電話を掛けた途端、有名な演目『附子』の話を聞かされるとは思わなかった。
 おまけに、荒縄で縛って放置プレイと来た。
 そっちこそ縛ってやるんだからと内心で決議を取ったが、そんな事は口にも口調にも出さず、
「それで、その破邪って?」
「分かり易く言うと絶縁コーティングみたいなものだ。普段のシンジからは別段特異な波動は出ていないが、今は違う。精神状態が不安定だから、魔力や霊力とは違う気でも彼女を触発する可能性がある。葉子嬢に送った車には、人外の力は完全に遮断するシステムを備え付けてある。一度目は結構な衝撃だが、二回目は何ともない。少々変人扱いされるかもしれないが、彼女に妙な影響を与えるよりはましだ」
 シンジと、そして葉子の反応も読んでいたらしい。
「で、それとあの女の始末と?」
「放っておいていいって事。あの女がどんな行動を取ろうが、彼女に影響が出る事はない。そろそろシンジが目覚めるはずだ。まったりしたプレイで、住人達の敗戦が決まると私が困る」
「手薄な高額オッズに賭けてるの?」
「住人達ならどれでも千倍以上だ。リスクが大きすぎる」
「じゃ、放置しておいていいのね?」
「構わない。シンジの居場所は山陰ではなく帝都にある。ご苦労だった」
 いつも通り、通話は向こうから切られた。
 携帯をしまってから、
「母親は少々偏屈で碇シンジを嫌っているから、暗示すら必要ないかも知れないわね。もっとも、うちでもしりるやレビア辺りは完全にお子様扱いだけれど」
 あまり興味の無さそうな声で言うと、十数メートルの巨木から音も立てずに降り立った。
 
 
「一言で言うと、余計な事を考えすぎなのよ」
「え?」
 帝劇で護送される車中、レビアの口から出たのは意外な一言であった。
「オーナーが言ってたんだけど、あなた達の管理人は、留守中に住人達が華麗な勝利を挙げる事なんて、最初から期待していなかった筈よ。と言うより、まともに戦えば敗戦だと踏んでいたのよ」
「ど、どうしてそんな事が分かるんですか」
「簡単な事よ。あなた達では未だ、あの機体を乗りこなせていないでしょう。たとえて言えば、車に慣れていないレーサーがF1に出るようなものよ。結果は最初から見えているわ」
「それはそうですけど…」
「あの少年だって、それ位は分かっているはずよ。必勝を期すなら、この時期に長期旅行なんて行かないわ。うちのオーナーに後事を任せたのが何よりの証拠よ。後詰め、と言うより殆ど切り札みたいだったし」
「あの、それって信用がないってことですか?」
「まだ子供なのよ、あなた達は」
「……」
 少し表情の強張った娘達だが、相手が相手だけに何も言えない。
「あなた達を見てると、最初の頃の私達を見てるようでね」
 次に出てきたのは意外な言葉であった。
「レビアさん達を?」
「最初は私達もそうだったわ。選ばれたのだから勝たなくてはならない、負けてはならないといつも思っていた。でもそれは間違いだったのよ」
「ど、どうしてですの」
 少し急き込んで訊いたのはすみれである。
「美男美女同士で、どんなに他人が羨むカップルであっても、最終的に上手く行くとは限らない。むしろ平凡な二人の方が、成功率としては高いのよ。余計な事を考えないからね。今回もそうでしょう、機体は文句の付けようがない機体でその指揮を執っているのは碇シンジと来ている。普通に考えれば絶対不敗の条件の筈よ。でも、実際にはそうではないわ。機体は独立型じゃないし、あの少年はあくまであなた達が前面に出る方針を採っている。何よりも、敵だって進歩していくんだから。要は、最後に勝てばいいって事なのよ。終盤まで絶対優位で進めても、最後の局面で破れたり、仲間の半数を喪ったりしたのでは意味がないわ」
「で、でも、私達が敗れればその分帝都への被害は大きくなりますわよ」
 レビアはうっすらと笑った。
「あの少年が聞いたら磔にされてくすぐられるわよ。前面に出ない、と言う事はその分後詰めになっていると言う事ではなくて?」
「『あ…』」
「それにあの坊…少年がいなくても、帝都に余計な被害は出ないわ」
 レビアにかかっては、シンジも完全に少年乃至は坊や扱いなのだが、これはもう仕方あるまい。
 根本的にレベルが違うのだ。
「どうしてですか?」
「帝都にも顧客はいるし、あまり被害が出るとうちが困るのよ。つまり」
「『つまり?』」
「うちのオーナーが絶対に悪巧みを考えているから」
 ふふっと笑ったレビアに、何故か娘達は背中を微量の電流が走り抜けるのを感じた。
 この女(ひと)もまた、確かに黒瓜堂の一味なのだ、と。
 
 
 今日は月夜だし散歩に行こうか、シンジがそう言ったのは夕食後の事であった。
 分かりました、と葉子は気楽に頷いたのだが、用心などしていないどころか、シンジがまだ戻っていないと思っているから、少しでも気晴らしになればと応じたのだ。
 だが、思い出すべきだったろう。
 シンジのような天才と天災を兼ねたタイプは、慰撫されればダメージは残るが、逆の療法なら復活するのも早い事に。
 そして、自分とシンジは女神館の娘達などよりも、遙かに付き合いが長く深い事を。
 白い月が見下ろす中、先に歩く葉子の尻を見たシンジが、ふと立ち止まった。
「葉ちゃん、ちょっと前屈みになって」
「え?」
「お尻に汚れ付いてるから」
「え、やだごめんなさい」
 まったく疑うことなく丸い尻を向けた直後、文字通り秒の早さでシンジの手が下着に掛かった。
 パンティーを脱がされたと気づき、
「ちょ、ちょっとシンジさ…あうっ?」
 抵抗するも、既に遅かった。
 にゅるにゅるっ。
 硬い感触の直後、今度は柔らかい液体が侵入してきたのだ。
(しまった!)
 浣腸液だと気付いた時にはもう遅く、シンジの手は完全に腰を抑えている。たっぷりと注ぎ込まれた生温い液体が直腸を刺激し、憤怒の表情で上体を起こそうとした途端、その身体は逆に反った。
「そ、そこはだめぇっ!」
「却下だ」
 あっという間に二つのローターが秘所に押し込まれ、薬液が逆流せぬように突っ込まれたアヌス栓と同時にスイッチが入れられ、二つの穴で同時に器具がうねり始めた。
 取ったらどうなるか、などと念を押すまでもない。
「シ、シンジ様どうして…あっ」
 首筋に冷たい物が当てられ、重たげな音と共に首輪が閉まる。
「バイブでも良かったけど、前後の穴で微妙に動く方がいいと思って。その方がイイでしょ?さ、行こうか」
 首には鉄の首輪を、秘所にはローターを、そしてアヌスには薬液とアヌス栓を突っ込まれ、快感と悪寒が綯い交ぜになった表情をしている葉子を満足げに見てから、シンジはその耳朶に軽く歯を当てた。
「ん、うっ」
 びくっと身を震わせた葉子に、
「あまり暴れると栓が抜けちゃうからね。ま、そうなったらこの格好でお店行ってパンツ買ってあげるから。深夜二時まで開いている大型スーパーがあったよね?」
 羽を生やした悪魔の如き笑みを浮かべたシンジが、天上の慈母のような声で囁いた。
 月光は、その人の本体を映すという。
 通行人がシンジの影を見れば、仰天したに違いない。
 そこには、角と先端がフォークの形をした尻尾が生えていたのだから。
 
 
 
 
 
(つづく)

TOP<NEXT>