妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百五十五話:髪の手向け
 
 
 
 
 
「本当は貴女に頼めない事は分かっているのよ」
「……」
 サリュを見下ろす赤い瞳の中に、感情の色はまったく見られない。
「私が死んだ後、八割の確率でシンジは後を追おうとするわ。でも、シンジを連れて行くわけにはいかない。だから縛ってでも止めてほしいのよ」
「八割、と言うのは」
「私の勘、よ。シンジは多分、誰かを想った事が一度もない。だけど、私はシンジに想われていい身では無かった」
「でも碇様の想いはあなたにあるわ」
「そう。でも、シンジは不人気ではない。シンジにもしもの事があれば、後を追うのは二人や三人ではない筈よ――貴女を含めて」
 二人の視線の行方は絡み合っているはずなのだが、その視線はまだ一度も会っていない。
「碇様が決められたならば、私に出来る事はないわ。碇様をお止めするくらいなら、私は棺に籠もって二度と出てこない道を選ぶ」
 戸山町の若き当主夜香の妹は、静かに言い切った。
「ふーん」
 初めて、サリュが麗香を見た。
 お互いの視線が会ったのは、実にこれが初めてである。
「ま、いいわ。貴女がそこまで言うなら無理強いはしない。意地張ってるのか本音なのか知らないけど、その代わり私がシンジを黄泉の国に連れて行っても文句なんか言わせないからね」
「……」
 それを聞いた時、美麗の吸血姫の表情が一瞬だけ揺れた。
 
 
 
 
 
「水狐、どうする?」
「そうねえ」
 一応出陣はしたものの、肛姦された部位がどうしても気になるらしい主兼性奴を見ながら、水狐は艶めかしく首を傾げた。
 性奴、と言ったが間違いではない。
 そう、表向きは主人と家来の関係だが、ベッドの中ではそれが逆転していたのだ。殊に、碇シンジの帝都不在を巡り、葵叉丹が二人の報告に激怒して吊した時点で、もう事の顛末は決していたと言っていい。
 だいたい、魔女医に百度の交わりを強いられた経験もない分際で、自分を慕っているとは言え妖女二人を相手にしようとは、身の程知らずにも程がある。
 必要なのは愛撫であり、自分だけ放ってすっきりする事ではない。奪い合う結果を知った二人が、手を組む事はほぼ明白であり、体力も技術(テク)も持っていなければ当然余った一人は捌け口を求める。
 双頭バイブ――ディルドーとは異なり、うねうね動く方だ――を自らの膣に入れた水狐が、ミロクのアヌスに入れて三連結するのではなく、正常位でミロクと繋がっている葵叉丹に突き入れた時、葵叉丹に肛姦の二文字は焼き印のように植え付けられていた。
「なんかもじもじして落ち着かないみたいだし…刹那!」
「うん?」
「羅刹はどうしたの?」
「今日は休んでるよ。銀角の性能テストでちょっと使いすぎたんだ」
「じゃあ、無理かしらね」
「無理?」
「葵叉丹様があのご様子だから拉致してお仕置き…いえいえ、今日はお連れして休んでいただこうと思うの。あなた達に替わってもらおうと思ったのだけど、一人じゃちょっときついわよね」
 男が所詮女の影を追い続ける存在なのは、力では圧倒しても奸智に於いては決して及ばぬ点にあろう。
 嘲笑でも挑発でもなく、分析するような口調に、刹那の眉はあっという間に吊り上がった。
「水狐、誰に向かって言ってるのか分かってるのかい」
「馬鹿にしているわけではないわ。ただ、二人で通常以上の力を出せる場合、一人になると少しだけ力の落ちてしまう事があるのよ。気に障ったらごめんなさいね」
「……別に。とにかくここは僕が出る。水狐もミロクも帰っていいよ」
(単純な坊やだね)
 内心で苦笑したのは、水狐ではなくミロクである。
「刹那、ここはあたしに任せてもらうよ。碇シンジが居ないなら、残った奴らなど木偶人形も同然、一気に落としてみせる」
「ミロク?」
 てっきりミロクも付いてくると思ったから、水狐は首を傾げたのだが、
「たまにはゆっくり楽しんで来るといいさ。水狐、あんたに一つ貸しだからね」
 男が二人の女を所有する、これは響きがいい。
 何となく選べなくて女が二人と男が一人、これも男の風下に置く位なら許せる。
 がしかし、女二人に共有されるというのは、もう男の姿を取る事すら許されるものではなく、葵叉丹はまさにそれであった。
 良く分からない笑みが二人の間で交わされ、
「さ、葵叉丹様参りましょう。刹那も行くわよ。ここはミロクに任せるわ」
「……」
 何となく弄ばれたような気もするが、それでも何も言わず刹那は姿を消した。
「叉丹様がおられなくても、この戦力で敗退したら降魔の名など返上だよ。とはいえ、落としてはならぬというのもまた、何ともじれったいような…」
 この連中に、通常兵器が効かない事は既に証明済みでだが、歯の立つ武器と兵隊を揃えた魔道省のトップは、フユノの友人である南郷さつきであり、とっくに出撃は断っている。
 要するに、小うるさい女神館の連中さえ潰せば他に敵はいないのだが、葵叉丹の下した命は、まだ落とすなと言うものであった。
 まさか、碇シンジを待ってなどいるまいと思ったが、何やら思う所があるらしく、落とすのは絶対に禁止と言われたのだ。
 立場が逆転したとは言え、それはベッドの中だけであり、一歩表に出れば主従の関係は崩れていない。
 葵叉丹の命令は絶対であり、水狐もミロクも頷いたのだが、その思う所と言うのが、自分達が知れば柳眉を逆立てて妬くに違いない事は知らない。
 そう、それが女と石である事などは。
「さてと、銀角の力を見せてやるとしよう。お前達、おいき」
 ミロクの手が上がると、銀角達は一斉に動き出した。
 既に花組が出ている事は知っているが、そんな事は歯牙にも掛けていない。
 今回、脇侍の姿はない。
 かつて、雲南の地でシンジに殲滅させられた銀角を、文字通り十数倍にパワーアップさせたものを、二十五体出撃させたのだ。
 この数字でも、碇シンジがいれば分からないが、居なければ圧勝の兵力である。
 だがミロクは知らない。
 銀角達の姿が視界から消えた直後、物理的攻撃が通じぬはずの銀角に銃弾が撃ち込まれ、あっという間に三体が倒されたのを。
 そしてそれが、いずれも頭部の一点を撃ち抜かれており、たった一発の弾丸で倒された事などとは、夢にも思わなかった。
「兄貴、あんな物撃ってどうする気だ」
「賄賂だ」
 事も無げに言ったのは緋の大天使――緋鞘であった。数百メートル離れた距離から撃ち抜いてみせたのは弟の三十郎だが、無論命じたのは緋鞘である。
「この間一件仕事をすっぽかしたんだが、オーナーから餅が届いた」
「餅?」
「紅白餅だが…中にたっぷりと爆竹が詰まっていた」
 緋鞘は奇妙な表情で、
「もう少しであおいがレンジごと吹っ飛ぶところだった。ああいう雇用主だってのを忘れていてな、とりあえずこいつらでも送っておけば機嫌も直るだろう」
「……」
 あおいは緋鞘の妹だが、この二人もまた近親相姦の道を邁進しており、おまけに和姦で仲がいいと来ている。
 どうやら、近親相姦は最近のブームらしい。
 
 
 シンジより先に起きた麗香は、自分の姿とシンジの口許を交互に見てから、ぽうっと赤くなった。
 理由は分からない。
 ただそのせいで、シンジの微妙な表情に気付かなかった事は事実である。
 何もしていないのに悩ましく喘がれ、最後には思い切り抱き潰されたのだ。尤も、抱き潰されたのは秘所付近に手など伸ばしたせいだが、シンジの首は一瞬微妙な方向へと曲がったのである。
 で、手を伸ばさせた誘惑は底が割れたショーツにあったのだが、麗香の方はこれが恥ずかしくて全部脱いでしまった。
 来る時に着ていた物に着替えたのだ。
「碇…」
 碇様、と言いかけて一層その頬が染まった。
 ほっそりした指がそっとシンジの頬に触れる。
「シ、シンジ様…」
 麗香が名前で呼んだ事はまだない。
 まして、同じベッドの中で、自分だけとは言え裸に近いような関係では。
 うっすらと開いた唇――朱を掃いたようなそれだが男の物である――に引き寄せられかけて、寸前で踏みとどまった。
 愛しそうに頬へ指を這わせた麗香の目から、一筋の涙が落ちた。
(碇様…私は幸せです…)
 シンジと麗香の関係は、普通の男女と比べると相変わらず変わっている。
 麗香は全てを賭してシンジを想っており、シンジもそれは知っているのだが、だからと言ってどうこうする訳ではない。想いに応える、と言った素振りは見せないが、それを利用する事もない。
 主従の契約もなく、かと言って性奴になった訳でもないのに碇様と呼ぶ。
 端から見れば奇妙な関係なのだが当人達、特に麗香に取ってはそれで十分であり、これでシンジが普通に名前など呼ばせたら、棺に籠もって二度と出てこなくなるかも知れない。
 見ず知らずの相手と会ったその日に身体を重ね、性病を移したり移されたりする事を何とも思わない小娘共から見れば、奇異極まりないだろうが、この娘が兄夜香に次ぐ実力を持っている事は、この姿を見た殆どの者が信じないに違いない。
 文字通り、穴の開くほど見つめる視線に気が付いたのか、十分ほど経った時、シンジが目を開けた。
「ん…痛」
 これが第一声であり、首を傾けた途端妙な音がした。
「あれ…麗香?」
「お、おはようございます」
「うん…そうだ、麗香と寝てたんだ」
「は、はい…」
 シンジの場合、寝ていたと言う単語には性的な意味を含まない。妖狼の姿を取ったフェンリルに抱かれて寝るのはいつもの事だし、夏ともなればいつの間にか乳房の上に顔を乗せて寝ている事もある。
 ただ、麗香に取っては刺激が強かったようで、かーっと赤くなった。
 格好は下着姿のままである。
「今、何時頃?」
「八時五分前です」
「んん〜…もう少しゴロゴロしてる」
 実を言えば、吸血姫の見た目からは想像も付かぬ力に抱き潰され、まだ後遺症が残っているのだが、そんな事は口が裂けても言えない。
「はい」
 自分の腕に触れてから、
「ん、ちょっと冷えてる」
「すぐに暖房を」
「いい」
 起きあがった麗香をすっと引き寄せ、
「こっちの方が暖かそうだからこっちにする」
「い、碇様」
 雪のような肌が爪先まで赤く染まったが、
「日本に帰ったらシビウの所行って、精神科で診てもらってくる」
「どうかなさったのですか?」
「うん」
 少し首を傾げて、
「麗香に露出癖はないし、夢遊病で麗香を脱がしたらしい。頭の中に備長炭でも溜まったかな」
「あ、あのっこれは…」
「自分で着替えたの?」
 怪訝な表情で訊いたところを見ると、本当に思っていたらしい。
「も、申し訳ありません…」
「許してやんない」
 麗香がぐいと引っ張られた直後、んちゅーっと音がした。
 
 
 正面からの斬り込みと左右からの包囲、理論的には完全だし、機体もほぼ仕上がっている。
 がしかし。
「やはりあの手の機械は、実戦で乗りこなせないと扱えない。理論値ではお手の物であっても、いざ実戦となれば勝手も違うし状況も変わってくる」
 緋鞘が軽々と担いで来た銀角を早速ばらしながら、黒瓜堂は双眼鏡を片手に覗き込んでいた。
「それとオーナー、気付いていたか?」
「何をです」
「あの連中、俺の弟と同じだ」
「ポッキーか?それともカンの方か?」
「…ポーキーとダンカンだ。それにダンカンは兄貴だ」
「三十郎の方か」
「どうして通り名で呼んだ?」
 普段なら、間違っても負けはしない相手だが、一度吹っ切れた時のそれだけは、自分を以てしても自信がない。
 何を考えているのか、良く分からない雇用主だが、一つ分かっている事がある。
 すなわち、今自分がその気になれば、間違いなく死体に変えられると言う事だ。
「気分的に」
 片手は相変わらずスパナを握ったままで、
「聞く者を死に追いやる歌を奏でる君の想い人の事は聞いた。それ以外は聞いた事がなかったな。で、何が同じなんです?」
「……」
 こういうタイプは、今までに数え切れぬ程遭遇してきた人間の中で、最も苦手なタイプである。
 獲物なら殺せば済むが、雇用主となればそうはいかない。
 どこかで職種選びを間違えたな、と内心で呟いてから、
「細胞再生だ。要するに、全身をまとめて殺らないと一向に死なないってやつだ」
「それはない」
 黒瓜堂は即座に否定した。
「何?」
「あの連中に、そんな高度な処置はされていない。されていれば、いくら銃の名手でも一発で三体を仕留めるのは無理だ。むしろ、隙は攻撃側の甘さにある。機体の仕上がりはほぼ完全だが、引き出されている能力は半分以下ですよ。攻撃レベルがあと3つも上がれば十分倒せるが、このままでは所詮無理な話です」
「敗退かい?」
「微妙に」
 存在自体も微妙な黒瓜堂から、微妙な答えが返ってきた。
 
 
「今日はそんなに寒くない。乱杭歯を隠すマスクならともかく、マフラーは要らないと思うんだけど?」
「い、要りますっ」
 いくら相手がシンジでも、これだけは譲れない。
 それでも蚊が叫んだような声だが、麗香の意志ははっきりしていた。
 シンジはラフな格好だが、麗香の方は真っ白な毛皮のコートに身を包み、首筋には厳重にマフラーを巻いている。
 巻いている、と言うより覆っていると言った方が正解かもしれない。
「もう、折角買ってあげたのに」
 と、これもシンジにしては珍しい恩を着せるような口調に、麗香の身体から力が抜けた瞬間、指一本でブラは裂けていた。
 結果、麗香の乳房から上はキスマークだらけなのだ。それも、文字通りキスの雨が降るだけで、普通の愛撫は一切無いという凶悪さである。
 口がぎりぎりで出てくる位だが、顔にまでキスマークは付けられており、初めての体験でふにゃふにゃになった麗香に、
「穴蔵に行くからちょっと付き合って」
 自分がキスマークだらけにした女を、シンジは外に連れ出した。
 立ち上がった時は足下も覚束ない麗香だったが、姿見に自分の姿を映した途端、その全身は羞恥心に支配され、結果としてこの格好になったのだ。
 黒瓜堂が作った薬で、吸血鬼が陽光の下を徘徊する事は出来るから、シンジとしてはキスマークの露出プレイでも、と企まないでもなかったのだが、剥がした途端に溶けてしまいそうなので止めておいた。
 なお麗香のインナーは、
「ノーブラじゃ出られない。でも麗香のブラはほらあの通り」
「い、碇様…」
 ほんのちょっとだけ恨めしそうな視線を向けたが、
「確か買ってきた中にブラジャーもあったでしょ。あっちにするなら着けてあげるけど。さ、どうしようか」
 耳元で囁かれ、小さく頷いた表情がどこか嬉しそうに見えたのは気のせいだったろうか。
 全力で復旧に取りかかっている市街を歩き、二人はオーク巨樹の塒に着いた。
 無論、シンジが殲滅したから影も形も残っておらず、文字通りの廃墟になっているのだが、シンジの目的はそれではない。
 地にぱっくりと口を開けた亀裂は、サリュが息を引き取った場所であり、シンジにとっては生涯の悔恨となろう。
「……」
 亀裂を見下ろしたシンジは、束の間瞑目していたが、間もなく目を開けた。
「麗香」
「はい、碇様」
 腰まで長く伸びた髪は、色艶からして異性である筈の自分が到底追いつけないレベルにある事を、麗香はいつも見せつけられていた。
 その髪は自分に取って憧憬であり、何時かは自分もと秘かに願っていたのだ。
 髪を手に取った時、その手はかすかに震えていた。
(碇様…)
 それでも再度念を押すような事はせず、麗香がきゅっと唇を噛んだ次の瞬間、長かった髪はばっさりと断たれていた。
「ありがとう」
「はい…」
 やや俯き加減の麗香から髪を受け取ったシンジは、それを地に置いた。
「女すら守れぬ役立たずからの…せめてもの手向けだ…サリュ…」
 元は自分に敵対する存在だった筈の娘は、人外のものであった。シンジを庇って凄絶に散った娘に葬儀があるはずもなく、無論墓標すらない。
 シンジが選んだのは、余人に触れさせる事すらなかった髪を断つ事であった。言うまでもなく、そんなものがなくともサリュがシンジの心から消える事はない。
 その髪は、シンジにとって万感の思いを込めたものである。
(サリュ…)
 想いを寄せながら、その最後を看取る事すら自分には出来なかった。
 それも、遠く離れた地に別れた為ではない。手を伸ばせば届く距離に居ながら、自分は何も出来なかったのだ。
 打つ手が無かったわけではない。下らないプライドなど捨てていれば、間違いなくサリュは今も、自分の腕の中にいたのである。
「サリュ許して…」
 閉じられたシンジの目から涙が落ちた時、
「い、碇様…」
 麗香の震える声がシンジを引き戻した。
「?」
 目を拭おうともせずに振り返ったシンジが見たのは、何もない地であった。
「これは…」
「い、今碇様の髪が地中へ…」
 その瞬間、シンジの気が凄絶な物に変わった。全身が瞬時に戦闘態勢へと移行し、手がはらりと開かれる。
 髪は自分の想いをこめた物、それを攫っていった者が姿を見せる時、その末路は想像もしたくないものに違いない。
 だが、
「碇様、参りましょう」
 声を掛けたのはまたしても麗香であった。
「麗香?」
「ご覧下さい」
 ほっそりした指が、控え目に地の一点を指した。
「あ…」
 呟いたシンジの身体から、すっと力が抜けていく。
 二人の目に映ったのは、髪を置いた場所へ咲いた二輪の花であった。
 小さな白い花は――髪を置いた時、確かに無かったのである。
 
 
「まずいわね…」
 今日、何度目かのため息をつきながらマリアは呟いた。
 六体を倒したものの、どうひいき目に見ても大劣勢なのは明らかであった。その倒したのだって、六人がかりで一体を袋叩きにして、やっと倒したのである。
 連携に問題はない。
 さくらとすみれだって息は合っているし、左翼から回り込む織姫とレニもコンビネーションは合っている。
 自分とカンナも、別段問題は無いだろう。
 機体が高性能すぎて、自分達が乗りこなせていないのだという事は、既に全員が分かってしまっている。
 しかも、相手の一撃はこっちにダメージを与えるが、こっちの一撃はクリティカルにならないと傷を与えられないのだ。
 みるみるうちに修復してしまうのである。
 既に三ヶ所へ散っての陣形は不可能となっており、六体が一塊りになっている。少しでも離れれば、間違いなく各個撃破されてしまうだろう。
「マリアさん、このままでは数体を残して他の敵が散ってしまいます」
「分かってるわさくら。状況すら見えないほど混乱してはいないのよ」
「ご、ごめんなさい」
(さくら、悪かったわね)
 謝ったさくらだが、マリアも心の中で謝っていた。自分の声から、平静さが失われつつある事は自分が一番分かっていたのだ。
 鋭い視線でパネルを睨んでから、全機への通信回線を開いた。
「全員聞こえているわね。今から、私の言う通りに動いてちょうだい。カンナ、殿に回って」
「お、おう」
「さくら、敵が後ろを向いたら隙を逃さず攻撃して」
「わ、分かりました」
「マリアはどうするの」
 訊ねたレニに、
「私はちょっとやる事があるのよ。かすみ、敵の大将の位置を出して。すぐに出せるかしら」
「位置は分かります。新宿中央公園です」
「ありがとう」
 通信を切ったマリアは、一瞬だけ宙を見上げた。
(あなたの留守中にここは落とさせない…例え私の命に替えても)
 すみれへの個人回線を開き、
「すみれ、私の言う事を良く聞いて。私は敵中央を突破して、大将を狙うわ。運動神経は私の機体が一番上だから、突破するなら出来るはず。後は任せたわよ」
「マ、マリアさんあなたっ」
「私がボスに向かえば、敵は私に向かってくるはず。隙を作るにはそれしかないのよ」
「…分かりましたわ。でもマリアさん、自分を犠牲にしてなんて、絶対に許しませんわよ」
「分かってるわ、すみれ」
 機銃を手にしたマリアの機体が、一気に地を蹴って飛び出した。
 単体で来るとは思わなかったのか、僅かに動揺の見えた銀角二機を蹴り飛ばし、その上を飛び越えていく。
 予想以上の性能に、呆気に取られたのは味方も同じだったが、最初に我に返ったのはレニであった。
「さくら、行くよ」
「あ、はいっ」
(マリアは絶対に死なせないっ)
 マリアに万一の事があったら、どの面下げてシンジを出迎えればいいというのか。
 放たれた矢の如く飛び出して行ったレニに、すみれとさくらが慌てて続いた。
 
 
「ま、無事で良かったわ」
 ミサトと瞳は、一度はこの地を離れたものの、花組が勝手に出撃して自滅した事を聞き、急遽引っ返してきたのだ。
 既に原因がシンジの暴走にある事は知っているのだが、
「シンジの暴走じゃ」
 と、フユノはそれしか言わなかった。
「にしても、御前様の命を無視するなんてアンタ達、いい度胸してるじゃないの」
「も、申し訳ありません…」
 項垂れた一郎達だが、珍しくミサトが冷ややかな視線を向ける事はなかった。
「まあ、死体で戻らなかっただけでも感謝するのね。敵のボスに会ったら、アンタ達まともには死ねなかったわよ」
「ミ、ミサト殿…」
「何よグリシーヌ」
「その、ちょっとお話が…」
「あん?」
 ミサトを廊下に連れ出したグリシーヌは、自分が体験した不思議な話の事をミサトに告げた。
「それでその…ミサト殿は敵の事をご存じなのか?」
「教えない」
「え?」
「教えて何とかならんから、出るなって言われたんでしょうが」
「そ、それはそうだが…」
「にしても…来ちゃったんだ…」
 呟いたミサトの声が、何故か淋しげなのに気付いた時、ミサトはどうやら内情をだいぶ知っているらしいとグリシーヌは判断した。
 そしてそれが、ミサトに関係ある人物らしい、と言う事も。
「あれはミサト殿の…」
「生理が来ちゃったって言ったのよ」
「え!?」
「ゴム無しでしたから、十月十日まで来ないと思ったのに!」
「ミ、ミサト殿…」
「あたしは現実主義者だから、見てないものの判断はしない主義なの。それに、アンタが見たのは多分夢よ。だいたい、触っただけで治すなんて、そんなのは処女が懐胎したとか言われてる誰かさん以来聞いた事がないわよ。誰かに言って信じると思う?ま、あたしは忘れた方がいいと思うけどね」
「……」
 完全に治った自分の腕を見つめていたが、
「分かった、ミサト殿がそう言われるならそうしよう。あなたの言う通りにして、間違った事は無かったのだ」
「そうそう。グリシーヌってば素直じゃない。ご褒美あげないとね」
「ご、ご褒美?」
 何故か赤くなった顔は、おそらく自分でも自覚して居るまい。
「そ。今日は最後までちゃんといかせてあげるから」
「わっ、私は別にっ」
「あっそ、じゃあ要らない?」
「要るっ」
 思わず声を上げたグリシーヌが、首筋まで真っ赤に染めた。
「あんた、それじゃすぐばれるわよ。顔洗って来なさい」
 ぱたぱたと走っていったグリシーヌを見送ったミサトだが、その表情はみるみるうちに曇った。
「シンちゃんのばか…」
 呟きが聞こえなかったのは、グリシーヌに取って幸いだったろうか。
 
 
「ま、アイデアは買ってあげるよ。三十点ってところだね」
「くっ…は、放せ」
「おや、お前達下ろしておあげ。放せって言ってるからね」
 単騎敵中を突破して、銀角達の注意を自らに引きつけようとしたマリアだが、如何せん実力が違いすぎた。
 こっちへ向かったのは数体に過ぎず、残りはすぐに反転してさくら達を迎撃し、残ったメンバーも現在取り囲まれてしまっている。
 その事は、自分を囲んでいる機体の数を見れば分かるが、既に機銃は失われ、高々と吊し上げられた状態で身動きすら取れない。
 嘲笑ったミロクの命令通り、どさっと放り出され、マリアの全身を強い衝撃が襲う。
「つう…」
 それでも起きようとした途端、不意に蹴り飛ばされた。
「お前には寝ているのがお似合いさ。お前達、二度と起きたくなくなるよう、手伝っておやり」
 決して機体を破壊するようなダメージは与えない。あくまでも、ネチネチと嬲るのみである。
 それでもマリアのダメージは小さくない。
 もはや全身打撲状態で、為すがままに任せるしかない。
 十分も経った頃、マリアの意識は気力だけで保っている状態になっていた。普通の娘なら、とっくに意識不明になっているころだ。
「ふん、つまらないねえ。お前達もういいよ、終わりにしな」
「グエ」
 一体の銀角が手を振り上げ、握られた大刀が振り下ろされようとしたその瞬間、腕はぴくりとも動かなくなった。
「女の子を嬲るのは、あまりいい趣味じゃなくてよ?」
 起きたのは、甘い光景とはかけ離れたものであった。
 銀角の巨体が片手で持ち上げられ、仲間へと叩き付けられたのである。
 一瞬にして二体を片づけ、その手にあった大刀を取ると別の銀角に投げつけた。
 これまた二体が串刺しにされて消滅するのを見てから、
「大丈夫?」
 妖しく揺れた漆黒の長い髪は、辛うじて張っていた緊張の糸をあっさりと断った。
(シ、シンジ…)
 マリアの目から涙が落ち、意識はそのまま遠のいていった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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