妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第九十六話:それぞれの心
 
 
 
 
 
 サイレンが鳴り響き、一斉にサーチライトが蟻一匹逃さぬかのように辺りを照らし始めた。逃げ出した者達は、たちまちその輪の中に捉えられ、そこへ凄まじい音と共に一斉射撃が加えられる。
 そしてそれから二十分後、狩られる身となった男二人は、絶体絶命の危地に陥っていた。
 無論援軍など無く、寄せてくるのは二人という人数から見れば、雲霞にも近い数であり、対戦車砲も既に二人のいる地点に標準を定めている。
「おい、どうすんだよリョウジ、このままじゃ揃って討ち死にだぜ」
「そんな事は分かってるさ。少しのんびりしすぎたかな」
「大体、お前がマフィアのボスの女なんか口説くから、ばれて奴らまで敵に回っちまったんじゃないか。この大軍どうする気だよ」
「ちょっと待て、お前こそマフィアの武器を物珍しそうにいじくり回していたから、俺たちが政府軍のスパイだと勘違いされたんだぞ。お前にも責任はある」
「…瞳達にばれたらどっちが悪いって言うかな」
「お前それを持ち出すのは反則だぞ。それに、女は常に向こう岸の生き物と相場が決まってるんだ」
 向こう岸の生き物と言えば、三途の川を渡ったと決まっており、女とはそう言う生き物らしい。
「とにかく俊夫、ここは俺が囮になるから、お前反対側に逃げろ。煙上げて場所は知らせるからそこから−」
 言いかけた時、いきなりワーッと声が上がった。
 さてはもう来たかと二人とも身構えたのだが、響いてきた銃声は明らかに敵内部の物であった。
「ん?仲間割れか?」
 そっと顔を出した途端、リョウジの表情が変わった。
「あの尾翼のマークは…しまったっ」
「お、おいリョウジ−」
 俊夫が言いかけたところへ、
「探しました」
 無機質な声が告げた。
「碇家直属戦闘部隊の一人、斉藤香奈」
「同じく工藤薫子。若様の命により捕縛します」
 麻薬シンジケートと接触したはいいが、生来の癖が祟って双方から追われながらも、ここまで逃げおおせてきた二人を、いとも簡単に一撃で沈めると、香奈は軽々と肩に担ぎ上げた。
「薫子さん、あっちはお任せします」
「分かってるわよん」
 ミサトみたいな口調だが、これが彼女の本性なのだ。すなわち、戦闘に身を置く事が生き甲斐とも言える彼女の。
 元々雇われて闘う傭兵でありながら、金では動かぬと言う奇妙な性格であり、その一方で強さは圧倒的な物を持っていた。その彼女もシンジに一撃で捕縛されて以来、シンジに心服して碇家で働くようになり、しっとりとした落ち着きを兼ね備えてきた。
 だが、ひとたび戦場の匂いを嗅げば、その本質は生来の物を取り戻すのである。
 にやあ、と笑った薫子がパイナップルを山と取り出し、味方と銃撃戦中の敵を見ながら楽しそうにピンを引き抜くのを見て、香奈はふうっと息を吐き出した。
 
 
「ダイヤ、と言われましたか?」
「うん、ほぼ間違いあるまい。どうせあの二人の事だから、瞳と姉貴に給料の三ヶ月分でもゲットしようとして、そっちの組織の連中とコンタクト取ったんだろ。とは言っても、このままじゃ俺の処女が危ないから、部隊出して引っ捕らえろ。そうだな、薫子に久方ぶりの休暇をやる。しばらくぶりにすっきりしてくるといい」
「しょ、処女?」
「俺の純潔に決まってるだろうが。弟の純潔が姉に散らされてたまるかっての」
「か、かしこまりました」
 これで通じるところが、碇家の物騒な所である。
 ともあれシンジの命令で、すぐに選び抜かれたメイド達が現地に向かった。
 もとより、シンジが行かせる程の面子だから、その辺の小娘とは戦闘能力も雲泥の差があり、その辺のゲリラ組織よりはよっぽど諸事に関する能力は高い。戦闘ヘリに分乗して国境から侵入した彼女たちが、二人の足取りを掴むのは造作もない事であった。
 勇将の下に弱卒なし、とはよく言ったものだが、この家の場合は家人自体になにやら引きつける磁力でも備わっているのかもしれない。
 まるで、磁石が砂鉄を引き寄せるがごとくに。
 
 
 
 
 
「えーと…も一回言ってくれる?」
「だから却下だと言ったんです。勝手に辞めるのは禁止です」
「いやだから藤宮、別に放り出すって言ってるわけじゃないし、ここをほったらかしにするわけでもないんだけど」
「碇さんの事は少し調べさせてもらいました。勿論、趣味に海外放浪がある事も。辞めたとなれば、子供が手を放した風船のごとく、居場所が定まらずに放浪するのは目に見えています」
「そんなわけないじゃない、俺はバネじゃないんだから」
 とは言いつつも、明日にでも出国しようとか思っていたシンジだが、決して表情には出さない。
 そんなシンジの心中を読んだのかどうか、
「わかりました、ではこうしましょう。ここは大日本帝国とは言え、一応民主主義の国です。碇さんが派遣されたこの人達の中で、賛成或いは無反応が半数以上いれば認めます。碇さんがいなくても何とかします。でも、もし反対が圧倒的多数なら、管理人はともかく国外への避難は却下します」
 小娘が何を言い出すかと、一種の殺気に似た物さえ湛えていた者達に、紅葉はくるりと振り返った。
「と言うわけですが、このまま放置しておきますか?とりあえず反対の方から手を挙げてください−数えるまでもありませんね」
 シンジの方に向き直り、
「と言うわけで、碇さんは人望が熱いようですので、残念ですが国外に出すわけにはいきません」
「え?熱い?」
 厚いの間違いと言おうとした途端、シンジはその意味を知った。
「とりあえず罠を張っておきました。少し、おとなしくしていて下さい」
「造火、か。まったく情報の漏洩には気を付けないとなんないな」
 造火、すなわち偽りの火。情念を形式化させたそれを作れる者は限られている。
 そしてシンジは、本物の火ならいざ知らず、この造火はあまり得意では無かった。
 
 
 
 
 
「そうかい、あの嬢ちゃんに裏切られたのかい」
 爪の手入れをしながら、ナオコはくっくと笑った。
「たしかに、あれだけ頭数揃えればあんたを足止めするくらいは出来るからねえ。もっとも、あんた一人だけで連中も命拾いしたよ−どこ行ったんだい?」
「知らない」
 仰向けに横たわり、顔の上に手を置いたままシンジは答えた。
「最近内緒の行動が多くなってきた。女の子らしくなってきた証だな」
 従魔に聞かれたら、口に銜えて常世の国まで運ばれるに違いない。
「らしく、と言えばマリアとカンナが帰ってきたらしいね」
「……・」
「しかしシンジちゃん、あんた無責任じゃないかい?」
「…俺が?」
「そうさ。考えてもごらんよ、あんた達の間に何があったかは、あんた達二人しか知らないだろう。でもね、人間は誰しもした事には責任を取らなきゃならない。あんたがあの娘に何かした事を後悔してるのなら謝ればいいし、そうでないなら気にする事はないよ。それを、帰ってきた途端すっ飛んで海外脱出しようなんて、あんたらしくもないじゃないかい」
「ふーう」
 シンジは軽く息を吐き出し、
「言っとくけど、俺は嫌がるマリアにのし掛かったわけでも、五精の実験台にしたわけでもない。少なくとも、あの時は××してごめんね、なんてないぞ」
「じゃあ−」
 “何もしなかったのかい”、そう聞きかけてナオコは止めた。別に惜しい命でもないが、リツコはまだ自分の墓碑を刻むには青すぎる。
 かと言って無縁仏になるのはもっとご免だ。
「まあ、あんたの進路はあんたが決める事さ。でもね、もしあんたがこの街を出ていくような事があれば、マリアはその身に憎悪を受ける事になるんだ。それだけは忘れるんじゃないよ。あんたのせいであの娘が苦しみ―」
 不意にシンジが起きあがった。
「今、なんと?」
 怒気をまったく含まない無機質な、だがそれでいて凄まじいほどの殺気がナオコの全身を襲った。普通の中年女なら、二秒と持たずに気死しているところだ。
 それを平然と受け止めたのもまた、実の娘には決して出来ぬ芸当だ。
「あの娘はね、この帝都に帰ってきた。絶望の淵に立ちながらも、ここへ帰ってきたんだ。あの娘が帝都に帰ってきた時、他の者は知らないがあたしは数日持たないと思ったよ。カンナを付けて旅に出したのは、むしろ遅すぎた位だと思ってる。女の思考は男とは違うんだ、あの子はただ一人ここへ帰ってくるまで、何を思っていたろうね」
 次の瞬間、ナオコが肘をついていた机が爆発を起こしたが、さすがというか何というかとんでもない敏捷な動きで柱の横へ飛ぶと、
「あんたがまだ答えを出し切れてないのが、あたしにはよーく見えてるよ」
 ひょっひょっと笑い、消防士よろしくするすると階下へ滑り降りていった。
 軽く手のひらを向ければ事足りたろう。シンジにとって、このビルを瞬時に灰燼に帰させる事など造作も無い事であった。
 だがシンジは追撃の手は向けず、吹っ飛んだ机の欠片を眺めていた。セキュリティが完備しており、瞬時に武装した警備員が駆けつけるこのビルだが、数分経っても誰も来る様子はない。
 おそらくナオコから連絡が行ったのに違いない。
「死にたくなければ、あたしの部屋に近づくんじゃないよ」
 と。
「殺したいほど恨まれてんのかなあ」
 ぼんやり呟いた時、不意に危険な気配がした。
「私はこの周囲一帯を滅ぼさなければならぬと言う使命に、猛烈に駆られているところなのだが」
「もうフェンリルったら血の気が多いんだから」
 凄絶な程の気を漂わせたフェンリルだが、美女の姿だったのはまだ幸いだったろう。
 危険な従魔を見た時、わずかにシンジの気は緩んだ。
 
 
「フェンリル」
「何?」
「んー…なんでもない」
「何でもない?何を言うかと思えば」
 そう言う割に、その表情は満更でもなさそうだ。確かに御苑で、シンジの頭を膝に乗せていれば気分が悪い事はあるまい。
「何を言おうとした?」
 シンジの顔を見つめて訊いた声も、どこか甘いように聞こえる。
「何でもないよ。ただ…少し疲れたかなって−うぷ」
 言い終わらぬ内にその顔は豊かな胸に押しつけられており、
「マスター、少し休養が必要だ。しばらく国外でも周遊してくるといい。無論、私も共に行く」
 シンジはすぐには動かなかったが、胸の感触を楽しんでいるので無い事は、押しつけた本人が一番分かっている。
 その頭が動こうとする寸前、すっとフェンリルはシンジを解放した。
「マスター、現時点ではいざ知らず、あの当時は間違いなく人格分裂への道だった事は間違いない。それとも、私の断では不足−っむ」
 す、とシンジはフェンリルの唇をおさえた−ただし、自分の唇で。
「分かってるよ、フェンリル。俺だって、それくらいは分かっていた」
「そう」
「それに、よく考えれば俺が恨まれるものでもないんだよねえ」
「その通りだ」
「ところでフェンリル」
「何?」
「さっき、赤木ナオコが変な事を口走っていたな。たしか、俺が此処を去るとマリアが像を貰うとかもらわないとか。一度精神病院に入院させた方が良さそうだな」
「像を、ではなく憎悪だ。聞いていなかったの?」
「聞いてない。どうせ、中年のおばさんはろくな事言わないって決まってるし」
 本人に聞かれたら、即日丑の刻参りをされそうな台詞を吐いてから、
「で、なんで俺の退去とマリアが関係あるんだ?」
 おかしな事を、と言う顔でフェンリルを見たから、白狼に戻って前足の一撃を加えてやろうかとも思ったが、面倒なので止めた。
「私が人間の台詞など、知るわけもあるまい。私はもう帰る、後は勝手に寝ているがいい」
「え?ちょっとフェンリ−いてっ」
 すっと枕が消えたせいで、ゴチンと頭をぶつけたシンジがむっくりと起きあがる。
「痛いなもう…でも何故怒る?」
 鈍感というのも困ったものだが、シンジの場合は少し事情が異なる。
 そう、最初から興味がないのだ。
 これは−普通の鈍感と比べてより罪は重いのだろうか?
 
 
 
 
 
「今…なんて言ったんですか」
「ん?だから退職。以上」
 シンジが広間に全員呼んだのだが、マユミとレイ以外はいずれも顔から血の気が退いている。
 おそらくは、マリアの行動からシンジの反応を読んだものに違いない。
 だがそれがマリアへの仕返しとか言うならまだしも、いきなり管理人を辞めるとか言いだしたせいで、住人達へのショックは十分であり、いずれもすぐには反応できない状態であった。
「碇さん…逃げるんですの…マリアさんに、マリアさんに会いたくないからお逃げになるんですのっ!」
 激昂したすみれにも反応する事はなく、
「ううん、単に此処を出るだけ。機体の整備はもう終わるみたいだし、訓練用のトラップも仕掛けておくから。それとすみれ」
「なんですのっ」
 無理もない、と言えば無理もないが既に冷静さを失っているすみれ。
「人の名前を勝手に出さないでもらおう。マリアのマの字も俺は出してないよ」
「出さなくたって分かり切ってますっ」
 と、これはさくら。
 もう涙は引いているが、その代わり激情に包まれているらしく、
「マリアさんが…マリアさんが出て行けって行ったんですねっ。よっく分かりましたっ」
 刀を掴んだまま、がたっと立ち上がろうとして−立ち上がれない。
「お前今、妙な事言ったな。なんで俺が出ていけなんて言われなきゃならないのさ。何か勘違いしてない?」
「…してません。それと碇さん、勝手に人を拘束するの止めてくださいっ」
「断る」
 シンジは速やかに却下した。
「既に一度暴走歴のある娘が、血相変えて刀掴んで立ち上がったのに、はい行ってらっしゃいと送り出す馬鹿はいない。第一さくら、どこ行く気よ?」
「マリアさんに聞いてきま…くうっ」
 次の瞬間、さくらは身体を曲げていた。シンジの中指から凄まじい気圧が襲ったのである。
「いい加減にしろお前ら。身の程知らずにも程があるぞ」
「い、碇さん、それはあんまりじゃありませんの。身の程知らずだなんて」
「じゃ、訊くが、俺は残りの機体について一切触れなかった?そして、誰か一人でも俺にそれを教えた者がいる?」
「そ、それは教えるなって言われてたから…」
「つまらん言い訳だな、アスカ。それ自体も事実じゃないだろ」
「ど、どういう事よ」
「碇ミサトが俺の知るミサトなら、間違っても箝口令など布かない。本当に姉貴が言ったのか?」
「そ、それは…」
「つまり、自分たちは隠蔽工作に荷担しておきながら、その結果生じた事態についてはまるで、自分たちが被害者でもあるかのような態度だ。身の程知らずでなければ厚顔と言っておこう。いいかい、これ以上の口出しは許さない。無論、マリアタチバナへのい−おぶっ!?」
「マリアタチバナ推参−勝手に人の名前を呼び捨てにしないでもらいたいわね。それもフルネームで」
「マリア…あの、痛いんですけど」
「当たり前よ。私が外すわけ無いでしょう」
 ぴゅう、と飛んできたそれはダーツであり、ぷすっとシンジの後頭部に刺さった。
 それを引き抜いて、
「あー、血が出た血が出た!」
「水治療を持ってる男なら、造作も無い事でしょう、さっさと治すのね。もう一本撃ち込んで欲しいの?」
「い、いえ、遠慮します」
 シンジが指を当てると、秒と経たずに治療は済んだ。
(なるほど、ね)
 自分に向けられる視線から、マリアはおおよその人間関係を知った。と言うよりも、マユミとレイ、それに当然の事としてカンナを除外すれば、あとはすべてではないか。
 1、2,3と数えてくると、ちっちゃなアイリスまで含めて六人もいる。マリアに取って意外だったのは勿論レニの変貌であった。レニがシンジの従妹である事を、マリアは知らないのだ。
 無論、その肢体にシンジの依頼で手が入ったことも。
 ただそれより気になったのは、カンナがシンジに向けている視線であった。それは他の娘達が自分に向けているのと同様、いやそれより更に好意的を含まぬ物だったのである。
(銃で撃ったのはやり過ぎだったかしら)
 と、かすかに思ってはいるのだが、シンジのあんな反応など微々たるものであり、それよりもむしろカンナがシンジに絡んだ時の方が怖い。
 この中では唯一、シンジの実力を知っているマリアなのだ。
(さて、どうしたものかしらね)
 自分の事などいいが、放っておけばこの娘達が危ない。気にくわない五精使いだが、住人達の安否はもっと気に掛かるのだ。
「シンジ」
 さっさと自己治療を済ませ、髪型を直しているシンジをマリアは呼んだ。
「何」
「久しぶりで皆に話があるの。少し外に出ていて」
「…あっそ」
 シンジが立ち上がり、部屋を出ていった瞬間、縛が解けたのかさくらが前のめりに倒れ込み、慌ててマユミが支えた。
「さて、久しぶりね、みんな」
 皆の顔を見回しながら言ったマリアだが、自分を見つめる、と言うより見据えるような視線にある種の物を感じていた。
 すなわち、暗い女の情念にも似た何かを。
 
 
 
 
 
「お姉さま、ただ今戻りました」
 院長室へ入った娘を、優しい表情のシビウが迎えた。ただし、ホログラフィだが。
「ご苦労だったわね。それにしても、小娘二人が無事で中年の男がダウンとはね。これだから男は仕方のない生き物なのよ」
「米田さんは、手術室の方へお運びしておきました。長い船旅で少し疲れておいでのようでしたので、数日間安静にしていただきました」
「それでいいわ。さすが私の妹ね、処置にまったく誤りはないわ」
「ありがとうございます」
 嬉しそうに一礼したのは、シビウからの言葉だけは純粋に嬉しいらしい。無論、自分に向けられるそれが本心からのものと知っての事である。
「ところで、シンジにはもう会ったの?」
「はい、先ほど院内でお会いしました」
「院内、とすると運ばれてきたのはあのマリアって娘の方ね」
「はい」
「沈んだ顔ね。シンジが去るとか言い出したのかしら?」
「お姉さまっ」
 ぎょっとなって顔を上げた人形娘に、シビウはふふっと笑った。
「安心なさい、シンジはどこへも行かないわ。この街は、碇シンジの街なのよ。なによりも−この私が不在中に帝都を去るなど、許されると思って?」
 妖艶な美しさの後ろに、ぞくりとするほど危険な物が輝いているのを、確かに彼女は知った。
 
 
 
 
 
 女だけになった室内を、一種異様な沈黙が包んでいた。
 レイは黙って状況を眺めているし、マユミの方は誰かしらの暴走に備えているのか、その四肢からはふっと力が抜けている。
 唯一の部外者であるカンナは、腕を組んだまま軽く目を閉じているし、他の娘はマリアに刺すような視線を向けている。
 いや、違った。
 火喰い鳥−クワッサリーの異名を誇るマリアは、戦闘能力においては他の追随を許さぬレベルを持っており、それがあるだけにどうしても正面から視線を合わせ続ける事が出来ない。
 初対面の織姫でさえ、数秒が限度であった。静かに見返すマリアに、それ以上睨む事は出来なかったのだ。
「とりあえず訊くけど、マユミとレイ以外は全員、と言う事でいいのかしら?」
「…な、何がですか」
「決まってるでしょう、シンジを好きかと言う事よ」
「マ、マリア…」
「何、アイリス?」
「マリア…邪魔するの…?」
 殆ど泣きそうな顔で訊ねたアイリスに、
「しないわよ、そんな事は。それと皆、何か勘違いしているようだけど、私とあの変な奴は何にも関係ないわよ」
「…嘘、嘘に決まってますっ」
「事実よ、受け入れなさい。さくら、何を思いこんでいるのか知らないけれど、少なくとも当事者の片方にされている私が違うと言っているのよ。それに、もし私が本当に付き合っているなら、付き合っているから諦めなさいと言った方がいいと思わない?」
「そ、それは…」
 確かにマリアの言うとおりで、シンジ争奪戦を本人の知らぬ所で展開してきたさくらだからよく分かる。
 あなた達の知らないところで、私はずっとシンジと付き合ってきたのよ−そう言われればシンジのあの反応と言い、さくら達は涙を飲まざるを得ないだろう。
「で、でもマリアさんあなた、碇さんを見た時の反応はなんだったんですの。少なくとも、以前には何か関係があったのでしょう」
「随分性格が変わったのね、すみれ。ただ、その質問にはノーコメントよ。今のシンジを好きなあなた達には関係ないし、何よりも私にとって懐かしく思い出せる話ではないからよ。どうしても聞きたければ、シンジに聞いてごらんなさい」
「マ、マリアそんなのずるいわよっ。あたし達が絶対聞けないの知ってるじゃないのよっ」
「なぜ聞けないの?シンジの反応が怖いからでしょう。それを私に聞くの?私から聞き出した事をシンジが知って、どんな反応をするか位はさっきのシンジを見ても分からない?」
「『……』」
「とにかく、今の碇シンジと私には、何の関係もないわ。それにあの反応を見るとおそらく、此処にあった機体の事も知らなかったようね。そうでしょう?」
「そ、それは御前様が言われたから…」
「そうね、知ればシンジはここにいなかったでしょうし、当然の選択ね。もっとも、シンジのろくでもない下克上を考慮しなければ、の話だけれど。いずれにしても、無関係の私には、あなた達がシンジを取り合いをしようと関係ないわ。ただし、意を告げてもいない一方でそんな事をしてどうなるのかは知らないけれど」
「なっ、何で私達が言ってないって分かるですかー!」
「あなたは?」
「お、織姫、ソレッタ・織姫でーす」
「住人にしたのはシンジね」
 頷いた織姫に、
「悪いけれど、あなた達とシンジの関係が、告白をした者とされた者とのそれには見えなかったからよ。そして何よりも、碇シンジが挟まれて悩むような人間では決してないからだわ。シンジは逃げ出さないようにしておくから、争奪戦でも何でも好きにしなさい。話は以上よ」
 そう言うとマリアは、住人達の反応を待たず、
「入ってもいいわ」
 廊下に向かって声を掛けた。
「で、誰を生け贄にすると決まった?」
「残念ながら、野蛮な五精使いの情欲を満たす気はないのよ」
「ま、金髪が仕切るならその程度だな」
「…何ですって」
「別に〜」
 キッとシンジを睨んだマリアだが、別の睨んでいる視線に気づいた。
 絶対怪しい、とその視線は揃って言っており、
「とにかく、あなたは勝手に出ていく事は許されないわ。こんなのでも、必要としている子達はいるのだから。ただし、私にはかまわな−」
「お前に任せる」
「…え?」
「お前は聞いてなかっただろうが、俺は管理人を辞めると伝えた」
「それは聞いていた」
「じゃ、好都合だ。ただし、放り出すとは言ってない。マリア、お前ならそれぐらい出来るだろ」
「ちょ、ちょっと何をっ」
「放り出して逃げる訳じゃないからな。後始末もちゃんとしておくし、これで立派に引継成立だ」
(しまった!)
 まさかこう来るとは予想外であり、ひときわ強くなった視線が背に刺さってくるのをマリアは感じた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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