妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第七十三話:二分の一の乙女心
 
 
 
 
 
「御前様、ここの所元気ないのね」
「無理もないわ。一番気に入られたいお孫さんから、もっとも忌まれてしまったのだから」
「−許したんじゃなかったの?」
「瞳は甘いのよ。これが自分にした事だったら、多分笑って許してるわ。おそらく、御前様に取っては唯一悔いを残す選択になるかも知れないわ」
「姉さんっ」
「御前様が言っておられたのよ。冬月総監に怒られたの知ってる?」
 以前と同様、レオタードに身を包んだ姿が夜の街を行く。別に何かをさらって来る訳ではないが、こうやって飛び回るだけで、彼女達にとっては楽しいらしく、
「別に良いんじゃないの」
 シンジの一声であっさり許可は出た。
「怒られたって…御前様が?」
「このあいだ、もう引退しようかって洩らしておられたのよ。後はもうミサトさんに任せて、自分は別荘の一つで余生でも送ろうかって」
「ミサトさんに?無理に決まってるじゃない、そんなの」
 結構失礼な言い方ではあるが、的を射た発言ではある。
「あと数年もすれば、同じとまでは行かないけれどブレーンを使いこなせる位にはなるわ。もっとも、その前に浮気な恋人をどこにも行かせないようにしないとね−瞳、あなたもよ」
「あんなヤツはどーでもいいわよ」
 ぷい、とそっぽを向いた瞳だが、ふとその視線がある物を捉えた。
「姉さんあれを」
「え?あれは…神崎重工の会長…!?」
 神崎忠義が出てきたのは、持ち主が夜逃げして廃墟同然となったビルからであり、それ自体も不自然なのに見送りに出てきたのは二人の女だったのだ。
 神崎重工の会長が、こんな所に何の用がある?
「姉さん、あれ人間じゃないわ」
「神崎忠義が?」
「そうじゃなくて、今見送って出てきた二人よ。それにあれは、見送ると言うより紐を付けた獲物を放つ感じだわ。一体これは…」
「人間じゃないって事は降魔の一味かしら。でも誘拐したものをわざわざ解き放しもしないでしょう」
「案外、金の成る木を中から自由に操ろうって言う事かも知れないわよ。それにあの動き…妙にぎこちないのよね。すたすた歩いてるけど、普通老人はあんな歩き方をしないもの」
「取りあえず、シンジ様に連絡した方が良さそうね。茶飲み話に誘われた訳では無さそうだし。瞳、あなたはご老人の後を追ってちょうだい。屋敷に着いたら引き返して」
「分かったわ」
 瞳がすっと降下した後、泪は携帯を取りだしたが、
「電波の届かない所?自家発電かと思ったのに」
 聞かれたら八つ裂きにされそうな事を呟いてから、はてと首を傾げた。
 
 
 
 
 
 黒いガウンを、これはもう袖も通さず前も留めず、ただ羽織っただけのレニが、はらりと落とすとシンジの目が点になる。上下を真っ黒な下着で包み、レースの付いたショーツはガーターベルトで留められていたのだ。
 単に肢体で言えばフェンリルには遠く及ばず、衣装を着せればシビウのそれと比較にもならない。しかし、元々アンダーが六十台でAしかなかった胸が、いきなり八十台のDで出てくれば、シンジならずともびっくりする。
 ましてそれが、詰め物でも下着で誤魔化したのでもなく、実物と聞かされれば尚更である。普通なら疑うところだが、担当医が担当医だけに、却って偽りを見いだす方が難しい。
「シビウ医師が、シンジの好みは気に入った物だけって言ってた。シンジ、これは…いや?」
 シビウが告げたとおり、シンジ自身に女の好みはない。男の友人もそうだが、自分が気に入った相手が好みのシンジであり、だから交友層も極めて幅広いのだが。
「そんな事はないよ、うん」
「じゃ、触って」
「べ、別に触らなくても…あ」
「偽物じゃないよ、本物なんだから」
 そう言ってレニがシンジの手を押しつけた乳房からは、まぎれもない熱い鼓動が伝わってくる。
「胸は分かった」
 下は、と言い出す高尚な趣味はしてなかったが、
「中はいいとしてその下着はなに?」
「だって…」
 レニがぽう、と頬を染めた所へ、
「レニはエッチだもんね」
 尖った声がした。
「ア、アイリス?」
 おにいちゃんと一緒、そう思って待っていた娘が面白い筈もなく、起きてきたアイリスが、
「もう寝るだけなのに、わざわざそんなの着てくるなんて絶対おかしいもん。おにいちゃんもそう思うよねえ」
 シンジの台詞をあらかじめ予想していたように、シンジの顔を下から覗き込んだ。
 いや、シンジも多少はからかってみようかな、とは思っていたがエッチとか変態とかと言う気はなく、アイリスにそんな事を言われて同意できる筈もない。
「そんな事はないんだけど、ほら初めてで少しびっくりしたから」
 初めて男の裸を見た処女みたいな台詞だが、アイリスは納得せず、
「嘘、おにいいちゃんだってそう思ってたもん」
 と、今度は、
「自分がお子さまだからってひがまないで欲しいよね、シンジ」
 レニの逆襲。
「一緒に寝たって小さくて踏むかも知れない子供より、この身体の方がいいに決まってるんだから。そうだよね、シンジ」
「お、俺!?」
 シビウとフェンリルならともかく、それ以外でこんな体験はシンジにとって初めてである。いや、実を言えばレニのそれもフェンリルには及ばないし、アイリスだって別に美少女趣味も美幼女趣味もシンジにはない。
 かと言って、二人とも意地になってるから、選択肢を間違うと大変な事になりそうだしとシンジが眠たげな脳をいきなり高回転させたそこへ、
「アイリスは、シンジよりジャンポールと一緒の方がいいんじゃないの?」
 意地悪な口調に加え、
「実物の方がいいよね、ほら」
 見事な手際で、秒と掛からずにブラジャーを外すと、中から白い乳房がぷるっと零れ出る。
 それだけなら、分かったからしまっといてとなるのだが、
「ア…アイリスだって負けないもんっ」
(何!?)
 まさかとは思ったが、シンジが止める間もあらばこそ、あっという間にアイリスはパジャマの上衣を脱ぎ捨ててしまい、こっちはブラジャーなどしておらず、揺れる揺らすは無理なサイズの胸がちょこんと鎮座している。
「お、おにいちゃんに触って大きくしてもらうんだもんっ」
 どこで覚えたのか、アイリスがシンジの手を引っ張ると、
「こっちの方がいいよね、シンジ」
 両側から引っ張られてシンジの手が動いた。
「あうっ」「いたっ」
「レニ、下着つけて。それからアイリスも服着なさい」
 命じた声には、前後に展開した裸胸への感慨はまったく感じられない。怒られた二人がもぞもぞと着直すと、
「いい?言っておくけど俺は眠いの。喧嘩したいなら止めないから、表に行って裸でも何でもなるといい。じゃ、おやすみ」
 二人などもう忘れたようなシンジに、慌ててレニが袖を引っ張った。
「ご、ごめんなさいそんなつもりじゃなかったの…」
「お、おにいちゃんごめんなさい」
 さっきの勢いは何処へやら、すっかりしゅんとなってしまった二人に、本当は放り出そうかと思ったシンジだが、
「もう喧嘩したりしない?」
「『はい』」
「じゃ、二人とも此処で寝ていいけど、レニはその前に何か着て来なさい。フェンリル以外とその格好で寝る気はないよ」
 かなり問題発言ではあるが、二人ともその意味に気付く余裕はなく、すっ飛んでいったレニはあっという間にパジャマを羽織って戻ってきた。
 左にレニ、右にアイリスと言う傍目にはかなり羨ましい状況だが、真ん中の顔を見るとそうでもなく、
「おやすみ」
「『おやすみさない』」
 両側からしがみついたまま、寝息を立て始めた二人とは別に、何やら考えている顔で天井を見上げた。どうやら、放牧に出した羊の数を数えている訳ではないらしい。
 柔らかな感触をそっとどけると、身軽に音も立てずに起きあがる。ベッドから降りると、何を思ったのか携帯を取って電源を入れた。電源が入るのと、ブルブルと震えるのとが同時であった。この時間はもう、音は鳴らさないのだ。
「はい…なに、見つけた?」
 ちょっと待て、と制して部屋の外に出る。或いは、内容によっては子供に聞かせたくはないのだ。
 瞳一人を付けたと聞いて、ふむとシンジは一瞬宙を見上げた。
「泪、すぐ瞳の後を追って。或いは気付かれたかも知れない−そうだ、急いで」
 かつての大盗賊とは言え、シンジのように敵陣を撃破して行くタイプではなく、その網をかいくぐっていくタイプだ。まして、降魔のお宝を頂いてきた訳ではないのだ。
「逃げ足なら一級だろうが…」
 携帯を切ってからシンジが呟いた所へ、また振動を伝えてきた。
「瞳?今どこに」
 まさか囲まれでもしたかと、僅かに声が急いたような気もしたが、瞳の報告は妙な物であった。
 すたすた歩いていた神崎忠義が、一軒の料亭に入ったというのだ。無論こんな時間にやっている筈もなく、
「裏口から、それもすぐに家人が迎えに出てきました。このまま見張りますか?」
「いや、その必要はない。いま泪がそっちに向かう筈だから、今晩はもう引き上げて」
「放っておいて大丈夫でしょうか」
「あれだけの地位にいる人間が誘拐されれば、少なくとも総監の所にはこっそりと情報が入る。帝都を警備する大親分は、間抜けな婆さんの尻に敷かれてはいるが無能じゃない。どこで何があったかを知る情報網はかなりのモンだ」
「では−」
「神崎家で完全に秘しているんだ。もっとも、ドアをぶち壊して攫われたらしいから、んな事いきなり公表もできないだろうが、死人が出てるのまで伏せてるのは大したものだ」
 うんうんと頷いたシンジは、感心のレベルが普通とは違うらしい。
 しかし、瞳の方もこんなヒトにとっ捕まりはしたが昨日今日の付き合いではない。
「じゃ、そのまま姉さんと一緒に帰ります」
「うんおやすみ」
「おやすみなさい−では」
 至極あっさりと電話を切った。こんな事で驚いては、一日も付き合っていられない事を既に経験で知っているようだ。
「こんな時間に京風料理とは…あ、お腹空いた」
 食べてなかった事を思いだしたが、台所へ行かずそのまますみれの部屋へと赴いた。
 
 
 
 
 
「お一人とは珍しいですな。今日はどうなされました?」
 神崎忠義が訪れた店『池田屋』は、かつて幕末に血風吹き荒れた店から取っており、ここの主はと言うと、襲った側の大ファンであった。
「相談がある」
 こんな口調も珍しいが、あくまで主人は笑顔を絶やさず、
「私どもで出来る事でしたら、お手伝いさせて頂きます。座敷でも用意致しますか?」
「いや、いい」
 首を振った姿は、普段とはやや異なるものの、ついさっきまで奇妙な女と一緒にいたとは、まして誘拐されたとはとても思えない。
「孫娘のすみれだが、今女神館にいる」
「存じております。つい先だって、管理人が変わったとか」
 どこから仕入れるのかは不明だが、情報にも通じているらしい。
「そう、その管理人の碇シンジだが、すみれが惚れ込んだらしいのだ」
「すみれさんが?」
 神崎すみれなら、確かに帝劇代表と謳われてはいるが、言い寄る男などは歯牙にも掛けず、到底自分から入れ込むようなタイプではない。主人が首を傾げたのも道理だったが、
「間違いない、確かめたのだ。しかし、私としては人となりを知っておきたいのだ」
「当然の事です」
 頷いた主人に我が意を得たりと、
「実は会ってみたいのだが、すみれに気付かれると色々とうるさい。そこで、秘かにさらって来たいのだ。私の好むやり方ではないが、すみれはあの通りの気質、私が動いたと知れば何を言い出すか分からない。それにさらって来れば、どういう反応をするかでもある程度は分かる。協力してはもらえないか?」
「さらう、と言ってもかなり優秀と聞いていますが」
 ぴくりと眉が上がったが何とか抑え、
「強烈な薬を嗅がせれば済む事だ。重樹はともかく、私としては何も知らずに預けておくのはどうしても不安なのだ、一つ頼む」
 その辺の旦那ならともかく、忠義クラスともなると秘かな行動も難しいのだろうと、主人は軽く頷いた。
「分かりました、お手伝いしましょう。ただし、碇シンジさんには、この旨すべてお話しされますね」
「当然だ、私の眼鏡に適えば無論すみれの事は頼みたいと思っているのだからな」
 鷹揚に頷いた忠義だが、それがある種の反語的表現−すなわちそんな事はあるものかと言う口調である事に、主人は気付かなかった。
 そして更に、その双眸がよーく見ると、どこか澱んで見える事にもまた。
 池田屋の主奥平貞昌は、あっさり頷いた事を少しばかり後悔する事になる。
 
 
 
 
 
「二度目だったかな、来るのは」
 実はこのシンジ、管理人のくせに住人の部屋にはあまり行ってない。個々の管理に任せてあるのと、娘の部屋にあえて興味を持つタイプでもなかったのだ。
 部屋の扉を叩くと、
「どなたですの」
 変わらぬ声が返ってきたが、
「碇だけど、寝てた?」
「起きてますわ、お入りになって」
 お邪魔します、と中に入ると部屋着のまま椅子に座っているすみれがおり、
「碇さん、どうかしましたの?」
「何となく、すみれが夜更かししてるような気がして。美容に良くないよ」
「よ、余計なお世話ですわ」
 はあ、と頷いたが、すみれの目が僅かに赤いのはシンジは見抜いていた。
 が、すぐにそれを隠すように、
「今、何か淹れますわ…碇さん?」
 立ち上がった袖をきゅ、と引っ張って、
「この時間に飲むと太る。今はいいよ」
 本気だかなんだか分からない口調で言うと、
「すみれは、夢を見る?」
 奇妙な事を言いだした。
「夢?夢って…夜に見る夢ですの?」
「うん、そんなところ」
「それならわたくしだって普通に…何故そんな事を?」
「俺の場合、なぜか見る夢はいつも日本じゃない。夢は心を表すと言うけど、その通りだね」
「なんですの、一体」
「いるのはいつも、外国の古城か大草原だ。いつも、フェンリルを枕に流れる雲の数を数えてる。聞こえるのは、フェンリルの毛皮から伝わる僅かな鼓動だけ。でも、起こされて目が覚めると、また狭い日本の小さな屋敷でベッドに寝てる」
「それがどうかしまして?」
 何を言うのかと怪訝な表情になったすみれに、
「夢、そして叶えたい夢もまた、そこは自分だけの世界だ。寝転がって浮き雲を眺める碇シンジにも、そして大女優になって舞台に立っている神崎すみれにも邪魔する者はいない−そんな夢、見たことはない?」
「そ、それは…す、少しは」
「それがすみれの夢だ」
 何故かシンジは断じるように言うと、
「睡眠に伴う夢ならば、枕の下に何か入れたりおまじないしたりで、ある程度は叶える事が出来る。でも自分が抱く夢は違う、それは見るものじゃない、叶えられるものでもない−叶えるものだ。そしてその前に…捨てない事だよ、すみれ」
「っ!?」
 はっと息を呑んだすみれにも、シンジは別段驚いた顔は見せなかった。
「ちょっと我が儘だが、すみれの性格を数式に当てはめれば、自分が身を引く答えはそんなに苦労することなく出てくる。すみれ、帰る気だったね」
「その方が…その方が良いのですわ…ん?」
「なに?」
「我が儘で意地っ張りでプライドが高いって、誰のことですの」
 勝手に付加するアスカみたいな台詞に、
「だ、誰もそんな事言ってないってば…ひたたた」
 ぎにゅーと引っ張ったが、不意にその手が離れた。
「わたくしがいれば、累は碇さんにまで及びますわ。そうなって…無事に済む祖父では、いえ神崎重工ではありませんもの…」
「だから帰る気になったの?」
 ややあってからこくりと頷いたすみれに、
「それは結構だが、多分違った展開になるはずだ」
「え?」
「すみれには知らせてなかったが、神崎忠義が今日拉致された」
「お、お祖父様がっ!?で、でもわたくしには何もっ」
「甘い物あげるから付いておいで、そう言って誘拐された訳じゃない。屋敷に着いた所で、ドアをぶち破られて引きずり出されたようだ」
「ド、ドアって、祖父が乗っているのはリムジンですのよ…」
「だから、神崎邸で秘しておいたのさ。どう見ても人外が絡んでるからな」
 みるみる蒼白になっていくすみれに、
「でも大丈夫、さっき解放されたらしいから」
「か、解放された?」
「身代金なんか、最初から目当てじゃない筈だ。襲うなら、銀行丸ごと襲撃して現金を持っていける連中なんだから。出てくる答えは二つだが方法は一つ、すなわち洗脳だ。一つは神崎重工を内部から操る事、もう一つは碇シンジに敵対させる事。ただしエヴァの開発に、神崎重工が直接絡んだ訳じゃないから、やはり後者と見るのが正しいだろ。さ、どうする?」
「ど、どうするって…い、碇さんは…」
 動揺しているすみれに、
「俺の−あまり頼りにならない−勘が確かならば、帰ったら帰ったで、管理人に嫌がらせをされたのでやむなく帰らせたと弾劾に取り掛かるはずだ。帰らなかったら今度は碇シンジが年頃の娘を囲い者にしていると、あれこれ噂を流す筈」
「そ、そんな事をしたら御前様がっ」
「黙ってないな、きっと。だが、だからこその洗脳だ。何があっても、とにかく碇シンジを追いつめ追い込むこと。すくなくとも、この帝都には居られなくすればそれでいいんだから」
「……」
 自分が帰れば済む、そう秘かに決めていた所へ、次々もたらされる情報にすみれが混乱しているのがシンジにはよく分かった。別にすみれが臆病なのではなく、普通の若い娘が同じ状況に置かれれば同様の、いやこれ以上の錯乱を起こしたに違いない。
 唇をぎゅっと噛んでいるすみれに、シンジはすぐには声を掛けなかった。無論、その様子を楽しんでいた訳ではないが、
「すみれ」
 シンジが呼んだのは、二十秒ほど経ってからである。
「なんですの…あっ」
 小さな声を上げたのは、シンジがその両頬を手で挟み込んだからだ。
「神崎忠義は何とかする。出方が分かればいくらも打つ手はあるし、所詮はもうかましてある連中のすることだ。どう足掻いても先は見えてる」
「碇さん…」
「その上でもう一度訊く。やはり、夢が潰える事になっても帰る事を選ぶ?」
 何故かすみれはシンジを見ていた。睨んではいなかったが、ただじっとその顔を。
(視線逸らそうかな)
 何となく決まりが悪くなった時、不意にすみれの身体が揺れた。
「あれ?」
 倒れ込むかと思われたが、その頭がこつんとシンジの肩に当たって止まる。
「い、碇さん…」
「はい?」
「碇さんはその…あの…」
 台詞をとちる新人女優みたいなすみれに、シンジの眉が一瞬寄った。すみれの台詞が予想できたのである。
「い、碇さんは…わたくしがいなくなっても…平気ですの…」
 多分勇気を総動員したに違いない台詞は、やはりシンジの予想範疇であった。
 窓が開いていたのか、吹き込んできた風にカーテンが僅かに揺れた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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