妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第五十四話:DD8−軽く流せない娘(こ)
 
 
 
 
 
 実家に電話を掛け、執事に用件を告げたすみれは、電話を置いてから一瞬宙を見上げた。
「碇さんがご一緒なら、隕石が降ってきても大丈夫でしょう」
 誘い主の事は、一応分かってきているらしい。
「でも…マユミさんがわたくしを弄うとは思えませんし…念のためですわ」
 別段聞く者もいないが、自分に言い聞かせるようにすみれは呟いた。
 
 
 
 
 
(ふんふんふ〜ん♪)
 自分から女を喜ばせるタイプではない、そう評されたシンジがすみれの手など握ったのは、無論気まぐれではない。
 付けてくる気配に気が付いたのだ。
 宮田ではなく金剛の方だったが、それでも確認できれば十分だ。
 厳つい大男が、見え隠れしているのを知り、シンジは内心で僅かに笑った。
「あれが相手、か」
「え?」
 ふと呟いたシンジに、すみれが怪訝な顔を見せる。
「あ、いや何でもない。それよりすみれ」
「何ですの?」
「他のヒト達は今学校だし、こんな時間に二人で手繋いで歩いてるのって、何か背徳的じゃない?」
「べっ、別にそれは碇さんが…」
 手を繋ぐ、の単語よりも背徳の単語に反応したらしいすみれに、
「でも、これは気にならないの?」
 くっついた手に、ちらりと視線を向けて訊いた。
 赤くなるかな、と思ったが案外真顔で、
「そうでもない…ですわ」
「その間は何?」
「わたくしも…あまり違和感がなくて…どうしてかしら」
「ふ〜ん」
 シンジ自身も自覚はしていないが、フェンリルを筆頭にシビウ、麗香と、その辺のレベルを遙かに凌駕した美貌が揃っており、シンジ自身にも耐性にも似たものがついている。もっとも、自分の容貌がそこに遠く及ばないと、余人から見ればかなり贅沢な事を悩んでいるシンジである。
 元より、気にするような性格でもないが、これが異性との初めてのそれであれば、すみれの方の反応も変わったかも知れない。
「ところで碇さん」
「はい?」
「あの…そのシビウ先生とは…」
「シビウがどうかした?」
「いえ、そのそんな風に呼び捨てだなどと…」
「あ、いいのいいの」
 からからと笑って、
「細かいこと気にするタイプじゃないし、俺もシンジって名前で呼ばれてるから」
(そ、それは分かってますわよ)
 言いたくなったのを抑えて、
「せ、先生とは以前からのお知り合いですの?」
「あそこで生まれたってほど前じゃないけど、一応それなりに」
「そ、そうじゃなくてあの…」
「ん?」
 言いよどんだすみれを見て、ピンと来たらしい。
「大丈夫、そう言うんじゃないから」
「え?」
「別に愛人とか二号とかじゃないから。不潔とか思ってたでしょ?」
「わっ、わたくしはそんな事はっ」
 ぽん、と赤くなったすみれだがそのせいで、あることには気が付かなかった。
 すなわち、
「力が重なるからね」
 と、シンジが小さく呟いた事には。
 もっとも、気が付いたとしてもその意味までは推し量れなかった筈だが。
「食事はどこにしようか?」
「わたくしは何処でも−碇さんが選んでくださいな」
「じゃ、立ち食いの蕎麦を…いだだだ」
「ご冗談ですわよね?」
 にっこり笑ったが、目は笑っていない。
 こんな時、手など繋いでいると逃げられないのだ。
「じゃ、座って牛丼でも…ふぐー!」
 ぎゅうっと、結構手加減無しにブーツが踏んづけられた。
 確かに、デートと銘打って誘った以上、あまり好ましい場所ではあるまい。
「じゃ、パスタなどその辺で」
「ま、まあそれならよろしいでしょう。さ、案内してくださいな」
「は、はあ」
 頷いたが、この娘女神館に来るまでは、服の脱ぎ方も知らなかったに違いないと内心でぼんやり考えていた。
 
 
 
 
 
「すると、歳などとつまらぬ事で喧嘩になったと言うのかい」
 シンジが来訪したせいで、フユノの気はほぼ戻っていた。
 その前で、しゅんと萎縮しているのは無論ミサトと瞳である。
 似たような、と言うより対照のように頬に引っ掻き傷のある二人を、呪縛性の視線で見据えていたが、
「まあよいわ」
 どこか呆れたように言った。
「お前達二人、一緒にしておいたのが儂のミスであったわ。何より、瞳は儂の直属にしてあったからの」
 と、そこへドアが控えめにノックされた。
「お入り」
「失礼致します」
 音も立てずに、漆黒のスーツに身を包んだ美女が入ってきた。
 そしてもう一人、これはまだ十代の感がある娘と。
「御前様、申し訳ありません」
 腰から深々と折って謝罪した女に、
「シンジが、面白い事を申しておったわ」
「シンジ様が?」
「どうして女同士はどれもこれも、とのう。向こうでも、何やらあったようじゃ。それに、今の儂にはさして気にならぬ。さっきシンジが来てくれたばかり、とあっては怒りもなるまいよ」
 来てくれた、と言った時財閥総帥の顔が、ふっと緩んだのを知った。
 無論、フユノの入院原因は知っているだけに、孫の来院が立ち直らせたのだろうと気が付いた。
「それより泪よ、愛はもう店の方は扱えるのかい」
「ええ、ほぼ一人でも大丈夫です」
「そうかい。ならば、お前にも来てもらうとしよう。この二人ではまだ不安が残る、それで良いか?」
「姉さんから聞いてます。店の方は私に任せてください」
 ぽん、と胸を叩いたのは来生愛、三姉妹の一番下だ。
「ご迷惑をお掛け致します」
 と、さっきに続いて二度目の腰を折ったのが、長姉の泪。
 真ん中の瞳がフユノに引き抜かれて、二人で喫茶店を経営していたのだが、急遽フユノから呼ばれたのだ。
 絵画の収集−ただし人の物−に執心の三人だったが、夜にとある若者と歩いていたシンジに見付かったのが運の尽きで、あっさりと捕獲された。
 ただし、それと知りつつ警察など無用なのがシンジであり、
「お婆のボディガード見つけたが、いる?」
 そう言って持ってきたのがこの三人だったのだ。
「これが良い」
 と選んだのが瞳であり、彼女たちが命を賭してまで探していた代物は、妖艶な院長があっさりと手に入れてのけた。
 シンジが、
「これとこれとこれ、何とかして」
 とまるで、プレゼントをねだる子供みたいに言ったのだが、それがなければ動くことなど絶対にあり得なかったろう。
 訳の分からないおねだりに、シビウが動くなどと誰が想像出来るだろう。
「ただ、愛だけでは不安もありますので、永石さんに頼んでおきました」
 すみれに取っての宮田みたいなものであり、彼女達の父の時から仕えている家僕だ。
 碇財閥には遠く及ばないが、来生の家もまたその辺の資産家とは比較にならないだけの物は持っているのだ。
「なら大丈夫だね。取りあえず泪」
「はい」
「この二人、何とかしておおき。こんな顔で、儂の前にいられたんじゃ堪らないよ」
「仰せの通りに」
 ミサトと瞳が、連行されて行った後、
「シンジ君、来てくれたんですか?」
「大方、いいことでもあったんだろうよ」
 すなわち、綾波レイの出自が。
「ふーん。ね、御前様、今度お店にも来てくれるように言って下さいよ。全然来てくれないんですから」
「そうさね、言っておくよ。たまには抜き打ちの検査も必要だろうとね」
「そうそう」
 にゃっと笑った愛だが、この辺はどこかレイにも似た所がある。
「約束ですよ?」
「分かっておるわ」
 やったー、とはしゃぐ愛を見ながら、フユノは僅かに目を細めた。
 既に重役連中からは、シンジの出馬依頼が来ているのだ。
 やはり、取り仕切るのは男でなければならない、そう思われている証拠だろうが、何せ本人にその気がないだけに、フユノも何時までも寝てはいられなかったのだ。
 例え−極微妙なさじ加減で、治癒の手が止められていたとしても。
 
  
 
 
 
「で、アスカとは仲良くなったの?」
「は?」
 イカリングを口許に運びかけていた、すみれの手が止まる。
「何ですの、急に?」
「最近、喧嘩しなくなったでしょ。俺が来た頃は、喧嘩はしなくても雰囲気は最悪だったし。一触即発だったが、あれは管理人が無能なせいだ」
「無能?」
「仲をどうこう言う気はない、俺がそう言ったの覚えてる?」
「覚えてますわよ、それがどうかしまして」
「あれには条件がある。少なくとも、俺が女じゃない事ね。女の中にいる女じゃないから、すみれ達の仲が悪くても、そんなに影響は受けないんだな」
「はあ」
 よく分からないが、取りあえず頷いておいた。
「でも、俺が女だったらやだね。他のメンバーはそうでもないのに、二人だけ反目し合ってるのがいるなんて。雰囲気が悪くなる−そうは思わない?」
「あ」
 シンジの言わんとする所が、やっと分かったのだ。
「でも、取りあえず仲良くしてるみたいだし、えらいえらい」
「ちょ、ちょっと碇さん」
 何思ったか、シンジが手を伸ばしてよしよしと撫でたのだ。
 アイリスとは違い、すみれはそんな年齢ではない。
 身をよじって避けようとしたが、手にはフォークを持ったままである。
 しかも。
「お利口さんにはこれを」
「……」
 何をするかと思ったら、皿の上にあったミートボールをフォークに刺したのだ。
 で、ひょいとすみれの口許に持ってきた。
「あげる、おいしいよ」
「……」
 要りませんそんなの、その単語を発するように脳は命令を出した筈だった。
 だが、
「え、ええ…」
 すみれの反応は、躊躇いながらも小さく口を開ける事であった。
 或いはこの降雪で、店内に客がいなかった事も大きく関係していたのだろう。
 他に客がいてまで、こんな事を出来るすみれではないし、その前にシンジもそんな事はすまい。
 唯一の見物人になりうるマスターは、カウンターの奥で背を向けて皿を拭いている事を、シンジは既に確認済みである。
 しかし、こんな所をアイリスにでも見られたら、とんでもない騒ぎになる事はほぼ間違いない。
 独り身から見たら、間違いなく呪詛したくなる光景だが、これが恋人同士ではないと知ったら、即座に銃を取りたくなること請け合いだ。
「美味しいでしょ?」
「そ、そうですわね」
「子羊の、それも柔らかい所が使ってあるから、油っこくもないしさっぱりしてる。身体にもいいんだよ」
「碇さんでもそんなの気になさるんですの?」
「俺でも?」
「いつも、シビウ先生の診療を受けておられるんでしょう?」
「そうでもない。だってほら、しょっちゅう外国をうろうろしてるから。それに、都市部じゃないことの方が多いからね」
 ふうん、と頷いたすみれが、ふと気付いたように訊いた。
「碇さん、外国行って何なさっておられるんですの?お仕事ではないのでしょう」
「探検かな?」
「探検?」
「遺跡とか、自然が創った景観とか見に行ってる」
「国内におられればよろしいのに」
「え?」
「碇財閥の後継は、既に周囲は碇さんと見ていますわ。碇さんさえ頷かれれば、御前様も安心なさるんじゃなくて?」
 それを聞いたシンジは、何故かくすっと笑った。
「な、何がおかしいのです」
「すみれらしい、いや令嬢らしいと思ってね。すみれが継げば、神崎重工も安泰だ」
「どう言うことですの」
「自覚の差だよ。俺みたいなのは風来坊が合ってるし、姉さんよりもその部分はだいぶ足りない。それに、結婚も面倒だし」
「は?」
「継いだらすぐ、見合いがうじゃうじゃ来るのは分かってる。今だって、もうあちこちから変なのが来てるんだから」
「お、お見合いをされた事がおありなの?」
「無いよ、そんなの…何故ほっとする?」
「そ、それは…わ、わたくしも経験無いのに碇さんが先にされては…と」
 不明な理屈だが、
「じゃ、今度してみれ…いで」
「碇さん、少なくともここではして頂きたくないお話ですわ」
 ぐにゃりと足を踏んづけたすみれの台詞は、一応正論ではある。
「すみれって、人格分裂してる?」
「…何ですって」
 眉が上がったすみれに、
「俺の見合い経験を気にするのは、自分が未体験だからだと言った。と言うことは、自分がしたいそれを俺に先越されたくない、と判断するのが普通じゃないの?」
 咎めてるようにも聞こえるが、よく見るとその口許には笑みがある。
「で、ですからそれは…」
「それとも、今のはすみれのもう一人の人格が喋ったの?」
「あう…」
 追いつめられて俯いたすみれが、
「冗談だよ、冗談」
「…は?」
「見合いの自慢話なんて、されても嬉しくないものね」
「そ、そうですわ。わ、わたくしが言いたかったのはそれですのよ」
 
 
「すみれお嬢様…」
 さすがに店内には入らず、表に止めたベンツの中から、宮田が双眼鏡で中を覗いている。
 ほとんどストーカーだが、完全スモークだから分かりはしない。
 精度のいいそれは、無論中を完全に教えており、すみれの表情もすべて見えている。
 そう、一喜一憂に見える表情のそれを全部。
 シンジが自分のフォークで、間接キスもどきをしてのけた時には、その白眉がぴっとつり上がったが、ふと彼は気付いた。
 レンズ越しに見えるすみれの表情が、実家で見せるそれとは違って見える事に。
 神崎家の一人娘、としてのスタンスを崩すまいとしているそれが、この青年の前では見えないのだ。
「……」
 憤怒にも近い色を見せていた老人から、その色がすっと消えていく。
「これで…良いのかも知れないな、すみれお嬢様には…」
 ぽつりと洩らした途端、宮田の目がかっと見開かれた。
 
 
「ストロベリーとピーチ」
「わたくしはチェリーとブルーベリーでお願いしますわ」
 食後のアイスに、二人ともカップのダブルを頼んだ。
 まるで、シングルのソフトクリームのように形が整ったまま、綺麗なコントラストを描いているそれにすみれの表情が緩んだのは、やはり甘い物は好きな為らしい。
「いい色だねえ」
「そうですわね」
 相づちを打ったすみれの脳裏に、ふとある考えが浮かんだ。
(い、行きますわよ)
 自分を促すように、左手を一瞬ぎゅっと握ると、自分のアイスをスプーンで掬い、シンジの口許へ伸ばした。
「何?」
「あ、味が分かりませんの。い、碇さんが味を見てくださいな」
 言ってることは普通だが、やってる事はかなりレアである。
 がしかし、
「じゃ、頂きます」
 ぺちっ。
 自分のスプーンを伸ばした手が、叩かれたのだ。
「わ、わたくしが取って差し上げたのに、これではご不満ですの?」
 こういう場合、却って燃えるタイプらしい。
「分かりましたよもう」
 すっと吸い込んでから、
「さくらんぼの味がする。混ぜると美味しいかも知れない」
「わたくしが選んだのですもの、当然ですわ」
「はいはい」
 スプーンで軽く混ぜた物を取って口許へ運んだが、そこで止まる。
 急に恥ずかしくなったらしい。
(そ、それ位軽くお流しなさい、わたくし)
 と、シンジが気付いた。
「おかしな物入っていた?」
「い、いえそうではなくて…」
「ああ言うの、初めてじゃないよねえ?」
 お子さま扱いされた、と気づきその眉がすっと上がった。
「こ、この位なんでもなくてよっ」
 しかし秒と経たない内に、その顔がぼっと真っ赤に染まった。
 おそらく、今日一番に違いない。
 シンジの唇が動いたのだが、それがある単語の形を取っていたのだ。
 おかげで店を出るとき、あちこちつねられる事になり、あちこち引っ張り回された店では、それこそ嫌になるくらいシンジは色々と買わされた。
「疲れたよう」
 とシンジがぼやいた時、既に夕方になっていた。
「まったく、その位でだらしないですわよ。とは言え、今日はこの位で許してあげますわ。で、この後はどこに行きますの?」
「場所がちょうどいい」
「え?」
「周囲に誰もいないし、日も暮れてきた。そろそろだ…っと」
 言い終わらぬうちに、シンジがすみれを突き飛ばす。
「きゃあっ」
 お尻から落下した途端、二人の間を光線が切り裂いた。
「な、なんですのっ」
「お出ましだ。雪に埋もれて出てこないかと思ったが」
「気付いていた癖に何言ってやがる」
 湧いて出た金色の巨体は、すなわち魔装機兵。
 ただし、シンジが先だって片づけたのとは格段に差があり、見た目も怖そうだ。
「聞いておこう、名前は」
「これを片づけたら教えてやる−出よ、黄童子!」
 わらわらと湧いて出たのはおよそ二十体。
「脇侍ベースの改造かな?」
 緊張感ゼロの声で呟いてから、やっと起きあがったすみれに、
「すみれの実力、見せてもらおうか?」
 うっすらと、だがどこか冷たく笑った。
 
 
 
 
 
(つづく)

TOP><NEXT