妖華−女神館の住人達
第二十七話:眠り姫の起こし方は?
「起きたか」
「ん?え?」
凄まじい速度に、無理矢理意識が覚醒させられたらしい。
それと、自分が今どこにいるのかもなんとなく。
きゃっ、と叫びかけたが、
「騒ぐと落とすぞ」
いくら寝起きのさくらでも、このスピードで放り出されたらどうなるか位は、見当が付く。
第一、突風に近いそれにも関わらず、服が捲れ上がっていないのは、シンジのおかげなのだ。
シンジがちょっと手を動かせば、下着まで瞬時にご開帳である。
「は、はい…」
だがさくらの本能はある物を捉えていた。
すなわち、
「血の匂いがする…」
と。
「何?」
忍者衣装みたいなのに身を包んだお頭の後ろで、ミロクは平伏していた。
「あやつが…碇シンジが来ていたというのか」
「はっ、まちがいなく」
無抵抗で戻ったとあり、無論お咎めは覚悟していた。
だが、
「何しに来たのだ」
「はっ?」
「あやつは、帝都を守りになど来る男ではない。それが、どうしてここにいたのだ」
この台詞からすると、シンジがいるとは思っていなかったらしい。
「そ、それが叉丹様…」
「どうした」
「なんでも、受験とやらで戻っていたとか…」
「受験?」
背を向けたままの、叉丹と呼ばれた男の肩が一瞬動いた。
「そうか、学院の試験か。碇フユノめ、自分の後継に仕立て上げるつもりだな」
「あの、おそれながら」
「なんだ」
「それが、落ちたと…聞いております」
「何!?」
その時になって、初めて叉丹はこちらを向いた。
右目の眼帯は、奥州の独眼竜と呼ばれた武将を思い出させるが、全身の雰囲気は決して武人のそれではない。
そう、少なくとも烈々たる気を放つような、確固たる武人のそれでは。
「なぜ落ちた?」
「なんでも、名前を空欄にして出したと」
「空欄?ふん、おおかた遊んでいたのであろうが。だが帝都には今、一馬の娘が上京している。もし、あやつと接近するならば面倒だな」
「御意」
しかしながら、ミロクはシンジを見たとき驚愕の表情を隠しておらず、それは決して芝居には見えなかった。
だとしたら、ここへ来るまでの短時間に調べた事になるが、どうやってそれを知ったのだろうか。
ただ如何なる手段を使ったにせよ、ミロクはさくらとシンジの関係までは分からなかったと見える。
知っていれば、無論隠しはしない筈だからだ。
「あやつがいるなら厄介になる。だがこの際だ、まとめて借りは返してくれる。そう、この眼と腕の借りは必ずな」
叉丹が右腕をぎゅっと掴むと、それは簡単にずれた。
まったく同じに見えたそれは、作り物の腕であった。
その時、吹いてきた一陣の風がその髪を揺らす。
だが今彼等のいる場所が、MSビルの屋上であると知ったら、女神館の住人達はどんな顔をするだろうか。
「少しは落ち着いたか?」
シンジは館へはまっすぐ帰らず、途中でファミリーレストランへ寄った。
深夜営業など当たり前だから、開いている店を探すのに苦労する事もない。
フェンリルの肢体に店中の視線が集まったことで、物騒な日本刀が見とがめられる事も無かった。
銃刀の届け出はしたのかと、ふと気になったシンジだがあえて訊かないでおいた。
「はい…ご迷惑おかけしました」
こくんと頭を下げたが、やはりフェンリルが気になるのか、ちらちらとそっとを見ている。
「これが気になる?」
と、シンジが横を向いて訊いた所へ、ストロー越しにふっと息を吹きかけた。
「私をこれ呼ばわりなんか、十万光年早いんだよ」
はうっ、と首筋を拭ったシンジに、
「あ、あの…その、い、碇さんとはどういう…」
「私か?」
「は、はい」
「小娘、お前には何に見える?」
とフェンリルが逆に訊いた。
ただし、シンジを片手で引き寄せながら。
シンジも長身だが、フェンリルも数センチしか変わらないので、どうしても他が小さく見えてしまう。
これで、シビウまで加わった日には、その辺の小娘などどうやっても太刀打ち出来ない。
「だからそれ止せって。さっきから視線全部お前に向いているんだから」
にゅうと身を離してから、
「さくら、北欧神話は知ってる?」
「ええ、少しだけ。確かフェンリルは巨大な白狼の名前だった筈…ま、まさか!?」
「ここまで、ヘリに乗ってきた訳じゃないだろ」
「じゃ、じゃ、じゃああなたがっ!?」
「さて」
フェンリルは、それには直接答えなかった。
「そんな事より、頼んだの来たぞ」
そこへ、料理が運ばれてきた。
「暴れ回って疲れただろ、とりあえず食べておいた方がいい」
「い、いえそんな別に…」
と言ったまさにその瞬間、
キュルルルル…
ぼっ、とさくらが真っ赤になったが、二人は気にした様子もなく、
「食べないと冷えるよ」
「は、はい…」
おずおずと手を伸ばしたところで、
「あ、ちょっと待て」
「はい?」
「ブレスレット返せ」
「え?」
「暴走する危ない娘にはあげない」
が、
「やです」
「は?」
「これ返したら、碇さんどっか行っちゃいます」
「よく分かったな…いでっ」
マスターをつねっておいてから、
「娘、素直に返しておけ」
「で、でも…」
「お前の手には負える代物じゃない事は、分かっただろ。この私の前で、マスターに二度同じ事を言わせるな」
変わらぬ口調だが、一切の異論を許さぬ物を含んだそれに、
「はい…」
どこか泣きそうな顔で、シンジにそれを返す。
「ま、後数年したら制御できるかな。多分だけど」
自分の腕にそれを嵌めると、一瞬だが妖しく光った。
「それはそうとさくら」
「…はい」
「世話の焼けるのと手の掛かるのと、引っ越しを嫌がるのとがいる」
「は?」
「俺としてはさっさとパンダ狩りでも行きたいが、とりあえず世話が掛からなくなるまで、面倒は見なきゃならない。留守中に、帝都が消滅するのもちょっと困るからな」
一瞬ぽかんとしていたさくらだが、
「じゃ、じゃあ?」
「しようがない」
「はいっ」
一瞬で満面の喜色に変わったところで、
「さ、冷めない内に食べるんだな」
「はい」
さくらが五人前をあっさりと片づけ、周囲が色々な意味で呆気に取られる中、悠然と出ていったのは十五分後の事であった。
「駄目です、ミサトさん」
昏々と眠り続けるアスカを、全員が心配そうにのぞき込んでいる。
結局エヴァを全機回収し、アイリスとアスカを連れて帰ってきたら、大幅に時間が掛かってしまった。
フェンリルの術に落ちたアイリスは、館へ帰ってきてからなんとか起きてくれた。
が、今すぐはショックが強いと、シンジが去った事は告げなかった。こんな所で、アイリスに暴走などされてはたまらないからだ。
一方、シンジに妙な術を掛けられたアスカは、まったく目覚める気配がない。
ここまで来るとむしろ、昏睡状態と言った方がいいかも知れない。
全員であれこれ手を尽くしたが、そのブルーの瞳はまったく見えてこない。
ゆっくりと上下する胸だけが、その眠りの状態を示すのみである。
「困ったわねえ」
台詞だけ見ると呑気だが、実の所内心は火の車であった。
シンジがいなくなった、これだけで戦力は間違いなく九割方落ちた。
無論ミサトとて無能ではないが、統率に関しては得手とする所ではない。
指揮だけならまだ可能だが、シンジのように突撃隊長プラス総司令、と言う役目は向いていないのだ。
もっとも、大抵はどちらかに属するものであり、シンジがやや特異なのだ。
シンジを引いて残りは一割。
しかもその一割から、シンジの力を得たさくらを引くと、そのまた四割ぐらいは減退する。
つまり…シンジとさくらを加えた時点の、六パーセント位しかないのだ。
十パーセントの六ではない、百パーセントの六だ。
そもそも。
シンジが来る前の時点で、花組のメンバーは完全に揃ったわけではない。
ただでさえ不完全な所へ、シンジの帰国で絶大な迄に補われた。
が、シンジが消えてしまえば、あっという間に激減するのだ。何よりも、さくらまで失ったのは痛手だったと言える。
それも、少ないとは言えシンジの力を得たさくらのそれを。
アスカ、アイリス、すみれ、レイ、マユミ。
この中で、アイリスはまだエヴァを操っての戦闘には向かない。
と言う事は、神崎すみれ一人しか、エヴァを操れる者はいないことになる。
それも。
「熱出してダウンしてるしねえ…」
大きく内心で溜息をついた通り、理由は不明だが寝込み中。
フユノとミサトの構想では、アスカ達は本来前線に出す予定はなかった。
勿論エヴァを使えない、と言うこともあったのだが、彼女たちは後衛としてここの館を守らせる気でいたのだ。
だから、アイリス、すみれ、それにさくらがエヴァの操縦をマスター出来れば、ちょうど戦力的には釣り合う計算だったのだ。
アスカとすみれが犬猿の仲なのは、この際仕方がない。
担当部署が異なれば、戦闘中に争うことは無いはずだからだ。
がしかし。
(根本的に目算が狂ったわね…)
エヴァに乗る者達は、どれも共通の、そして他とは異なった霊力を持っている。
同じ霊力でも、アスカやレイがそれに乗る事は出来ないのだ。
文字通り、類い希な能力である。
どんなに修練を積んでも、これだけは変える事が出来ない、文字通りの天賦の才だ。
がしかし、この期に及んでは、もはやリスクもやむを得ないかと、ミサトは覚悟を決めていた。
すなわち、波長の不揃いを無視して、アスカ達のうち誰かを、正確にはレイを乗せざるを得ないか、と。
アスカは絶対に乗せられない。戦闘中に大喧嘩する可能性など、普通ならばあり得ないのだが、この二人に限っては十分過ぎる位可能性があるのだ。
また、マユミも駄目。
あの一流の剣撃は、ここの防衛に外せない。
従って、残るはレイしかいないのだ。
しかしそんな事より何より。
「早く帰ってきて!」
ミサトの、悲痛なまでの願いである。
あの世に行ってはいないだろうが、その手前の亡者が石を積んでいる河原辺りまではもう、行っているかも知れない。
しかも、引き戻す手段が無いときた。
「あ、あのミサトお姉ちゃん」
「…え?ああ、何?」
ダークの思考ループに落ちかけたミサトが、アイリスの声で我に返った。
「やっぱり、シビウ先生に診てもらった方がいいんじゃない」
「そ、そうね…」
頷いたが、同時に内心で天を仰いだミサト。
かなり器用だ。
が、すぐに気を取り直して、
「駄目よアイリス」
「どうして?」
「シンちゃんいないもの」
と言いかけて、アイリスが治療代の事を知らなかったと思い出した。
何より、去ってしまったなどと言える訳がない。
「多分ドクターは、今お忙しいのよ。けが人も出たでしょうしね」
「じゃあ、仕方ないね」
取りあえず誤魔化したが、無論名案があるわけでもない。
それに残ったメンバーも、決して元気ではない。
特に、シンジの圧巻とも言える力を目の当たりにしただけに、抜けた事のショックは大きいのだ。
レイに至っては、ほとんど抜け殻である。
(マイガッ!)
秘かに天を仰いだ時、
「ん?」
門の所に、リムジンが音を立てずに滑り込んできた。
フユノだ。
降りてきたが、車椅子に乗ったそれを見て、アイリスが顔色を変える。
「お、おばあちゃんっ!?」
アイリスはフユノがこんな状態になった事を知らない。フユノが来たときにはもう、アイリスはあっちの世界へ向かっていたのだ。
しかも、元気な時に会ってから、ほとんど時間は経っていないのだ。
ある意味当然の反応だが、
「大丈夫じゃ」
軽く手を上げて制すると、後ろに控えている黒服達に、
「後はリツコに送ってもらうから、今日はもうよい。お前達もお戻り」
張り付くのが彼等の役目だが、フユノの言葉は絶対なのか、一礼すると車に便乗して去っていった。
「まだ、起きる気配はないのかい」
ミサトが首を振った。
「仕方がないね。ま、じきに何とかなるさ」
「何とか?」
「シンジは、戻ってくるよ」
「『え!?』」
一斉に声が上がったが、アイリスの場合は意味合いが違う。
フユノが何を言っているのか、分からなかったのだ。
「あ、あのおばあちゃん」
「なんだい?」
「おにいちゃんが戻ってくるって、どういう事なの?」
「それはね」
一転して氷雪のような視線で、あやめとかえでを見た。
「そこの生ゴミ達にお訊き」
「え…?」
「儂の命はシンジの手のひらにあるが、そこの馬鹿共のせいでシンジが、もう少しで去ってしまう所であったわ」
「なっ!?」
アイリスが、一瞬唖然として二人を見たが、その表情に答えを見たのか、危険な色がその双眸に満ちた。
「おにいちゃんを…二人が…」
これがさくらなら、身体が動くから分かるが、アイリスはそうも行かない。
眉一筋動かさずに、この二人位簡単に持ち上げて見せるはずだ。
と言っても放っておく訳にも行かず、ミサトが止めようとしたとき、
「内乱罪で逮捕するぞ」
静かな声に、一斉に視線がそっちを向く。
「お、おにいちゃんっ」「シンちゃん!?」
シンジとフェンリルが、ゆっくりと並んで歩いてきた。
そしてその後ろに、ちょっと俯き気味のさくらが。
「まだ起きないか?惣流は」
アスカの顔を見てから、
「中に入れないと風邪引くぞ」
「あたし達も、さっき帰ってきた所だったのよ。で、アスカに何したの?」
「犯してついでに埋めた、って言えば納得するか?」
どこか冷たい口調で言うと、
「こっち」
と、さくらを手招きした。
「は、はい…」
「姉貴に一つ言っとくが、俺のブレス持ったさくらじゃ、手も足も出ない。余計な喧嘩はしないでもらおう」
「…分かったわよ」
逆らうと危険そうだと判断して、
「さくら、悪かったわね」
ぶるぶると首を振って、
「い、いえっ、あのっ、わ、私こそ申し訳ありませんでしたっ」
頭を下げたところで、
「それはそうとさくら」
「はい?」
「何で切れたの?最後に見たときは、別にそんな様子もなかったが」
「あ、あのそれはその…」
斬りかかったのはあやめ達に対してだが、子供みたいな喧嘩を繰り広げたのはミサトとである。
原因は何とも言えない。
シンジもそれ以上追求しようとはせず、
「まあいいや。ところでエヴァ全機、無傷で持ってきたか?」
穏やかな声であやめに訊いた。
「あ、あの…ええ…」
何か言いかけたのへ、すっと手を上げて制し、
「そうか、ならばいいさ。それとアイリス」
「な、なにおにいちゃん…」
さっき怒られたのを思い出したのか、しゅんとなったアイリスに、
「俺の事で勝手に怒るんじゃないの。いい?」
「だ、だって…」
「抑えられないなら封印しちゃうぞ」
「…はい」
こくん、と小さく頷くのを見てから、
「で、起きる気配なし?」
とマユミに訊いた。
「ええ、全然駄目です」
「まったく、こんな簡単なモンぐらい解けなくてどうするんだっての」
「か、簡単〜?」
「そう、簡単」
頷いて、
「悪いけど、霧吹き持ってきて」
とレイに言った。
「うん、今持ってくる」
(なるほど、さすがね)
フユノの車椅子を押していたリツコだが、その場の空気に内心で感嘆していた。
シンジが帰ってきた、ただそれだけなのに、そこの空気は急激に変化したのだ。
好意とかそんな事よりも、彼等が身を以て体験したのに違いない。
すなわち、シンジがいると言うことの絶対的安心感を。
現存するエヴァは五機。
レニが搭乗する機体はまだないが、それを加えても六機。
降魔相手になら、いやその辺の国の軍隊相手にでさえ互角以上の戦力を持ちうる。
だがそれを全部足しても、シンジには到底敵わぬ事を、リツコは数字で既にはじき出していた。
だからこそ、絶対的な地位にミサトではなくシンジを置くことを、フユノが選んだこともまた。
がしかし。
レニのことで、決してシンジがフユノを許していないと、リツコは察していた。
いやもしかしたら、ずっと許さないのかも知れない。
無論、既にシンジがレニの家を襲撃したことは、リツコは知らない。
とまれ、このまま黙って帰すとはリツコは思っていない。
フユノとて、それは分かっている筈だ。
ただ、シンジが何をするかが問題なのだが。
リツコが、シンジの思考から結果をはじき出そうとした時、
「持ってきたよ」
ばたばたと、レイが走って来た。
「ん、ありがとう」
それを受け取ると宙にかざし、
「これより、目覚めの儀式を行います」
勿体つけて告げた。
何をする気かと、全員の視線が集まる。
この中で、一番術に精通しているのはフユノであり、ついでミサトだが、ミサトに解けぬ物はフユノにもおそらく出来ない。
ましてこの二人に出来なければ、他の面々にはもっと無理である。
ふとシンジが訊いた。
「山岸、分かる?」
急に振られて、びっくりしたような表情になったが、すぐに首を振った。
「いえ…」
霧吹き持ってきて、さあ答えろと言っても無理だ。
普通なら分からない。
「ちょっと難しいかな」
怪しく笑うと、霧吹きをアスカの顔に近づけて二度、三度とポンプを押した。
当然のように、霧状の物がアスカの顔に掛かり、水滴が出来る。
と、今度はシンジがその顔を両手で挟んだのを見て、アイリスの眉がぴくりと動き、ミサトは内心で首を傾げた。
(はて…?)
周囲の動向など気にする様子もなく、シンジは顔を近づけていく。
白雪姫、毒リンゴ。
そんな単語が浮かんだのかは不明だが、思わずアイリスの足が動くのと、
「おいで」
シンジが、アスカの耳に囁くのとが同時であった。
次の瞬間、全員が唖然とした表情と化した。
フユノやミサトも。
ぱちり、とアスカは目を開けたのだ。
全員がどれだけ手を尽くしても起きなかったそれが、霧吹きの水と囁きだけで。
「ふわー、よく寝た」
むくっと起きあがり、
「あれ…みんなどうしたの?」
周囲を見回したアスカに、しんと静寂が漂った。