妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第十一話:いわゆる、歩く惚れ薬?(後)
 
 
 
 
 
「少しは足りた?」
「半分くらいは」
 酸鼻を極める状況の中で、フェンリルは無論シンジも顔色一つ変えていない。
 文字通り、貪り食われたと言う表現が相応しいやくざ達は、妖狼の糧とその姿を変えていたのだ。
「さて、どうしようか」
 残滓を見ながら呟いた時、
「あ、あの碇さん…」
 椿の声に、珍しくシンジの表情が驚きを形作った。
 まさか、平然としているとは思わなかったのだ。
「ど、どうして」
 珍奇とも言えるシンジの狼狽にも似た声に、他の二人もくすくす笑った。
「東京学園で働くのに、血を見て怯える訳には行きません」
「?」
「劇場には一般の方がいらっしゃいますが、まっとうな方ばかりじゃないんです。ファンなのですけど、無理に控え室に押し入ろうとしたりする人もいます」
「最初は、おとなしくお帰り頂くよう説得するのですが」
 由里の後を、
「どうしても駄目なら」
 と椿が、手を首の前で横に引いて見せた。
「誰が?」
「あの世へお帰り願うかは、理事長が決定されます。前は、米田支配人でしたが」
 やはり、こんな若年で劇場専属だけあって、半端では勤まらないらしい。
「さっきのと一緒に始末しましょうか」
 訊ねたかすみに、いやいい、とシンジは首を振って、
「連中に取りに来てもら」
 言いかけた時、やくざ共の車を遠巻きにするように、更に車が十台ばかり止まった。
「あ、あの襟章は…」
 襟元に光るそれは、内調の身分を示している。
 十四名が、いずれもシンジの前に早足でやってくると、横一列に並んで敬礼した。
「どしたの?お前ら」
(お、お前ら〜?)
 知ってて言ってるような口調に、さすがの三人娘もシンジを眺めた。
「御前様が、こちらに急行するようにと言われまして。それより若大将、組事務所の方は潰しておきますか?」
「制服組のくせに柄悪いぞ、まったく」
 その割には、まんざらでもない様子。
 結構気が合うようだ。
「こいつらの組、半壊させたのは誰でした?それと先日の件で」
「先日?」
「娘の淫魔を除霊されたでしょう。親子がお礼に来たので、女神館に行くよう指示しておきました。なかなかの…い、いえその…」
 何か言いかけたが、シンジの視線に遭って口ごもった。
 既にフェンリルはその姿を消しており、
「こいつら、始末だけしておいて。それと、その不燃ゴミは売り払っとけ」
 やくざ共の車を、勝手に売り飛ばす気らしい。
「来たら返り討ちだし、余計な手出しはするな」
「仰せの通りに」
 始末し出すのを見てから、
「じゃ、行こうか?」
 三人に囲まれて歩き出すのを見ながら、
「こ、ここでももう…さすがは…」
 言いかけた所で、脇腹に強烈な肘が入った。
「噂話ならあの世でやるんだな」
「は、はっ」
 
 
  
 
「そうかい、間に合ったかい…なに?そうか、まあよいわ。そうじゃ、シンジの言うとおりにおし」
 受話器を置いた後、
「つい心配してしまったが…シンジには余計であったの」
 洩らした通り、コウゾウの言葉にすぐ手配したのだが、孫には余計だったかと薄く笑った。
「まったく、余計な事を言いおって」
 今度呼びつけてくれると決意してから、分厚い書類を手に取った。
 学園の経営も、重要な決算はフユノの決定を仰ぐ事になる。
 地位が出来るのも、色々と大変なのだ。
 
 
 
 
「ここがメインの劇場?」
「ええ、そうです」
 戻ってきたシンジは、劇場の中を見て歩いていた。
 椿がすっと消えたと思ったら、手にコップを持って戻ってきた。
「あの、これどうぞ」
 差し出した中には、コーラが氷と共に入っている。
「ああ、ありがと」
 椿の先制に、他の二人の表情がぴくっと動いたが、今から動くのも二番煎じみたいで動けない。
「それにしても、ここ無駄に広くないか?」
「と言いますと」
「うちの連中、今はお芝居はしてないんでしょ。無駄じゃないの?」
「いいえ」
 と由里が得意げに首を振る。
「普段は、演劇部も練習に使っているんですよ。ここ以上の環境は無いですから」
「帝劇の連中はプロじゃないの?」
「商業で成立してますから、一応プロです」
「一応?」
「今のメンバーは、御前様とミサトさんがスカウトされたんです。特にアイリスは、ワインが元ですから」
「ワイン〜?」
「ミサトさんがフランスにワインを探しに行かれた時、絡まれて暴走しているアイリスを見つけたんですって。でも、絡んでいるのを蹴散らしたら、逆に警察に捕まってしまって。アイリスの実家は地元では名家ですから、そのお陰で助かったのをついでに預かったって聞いてます」
「姉貴…」
 分からないでもないが、キーワードがワインとはいかにもミサトらしい、そんな事を思ってシンジは、
「さくらはどうしてここに」
「『さくら?』」
 三人の眉がぴくりと動く。
「だから真宮寺さくらだよ、知らないの?」
「『そうじゃなくて』」
「え?」
「どうしてさくらなんですか?」
「どうしてって…あ」
 さくらは名前だと思い出したらしい。
「え、えーとほらその…な、何となく」
 関係ないじゃん、と言う単語は思い浮かばなかったらしい。
「「何となくう〜?」」
 何でこんな目に遭うのか分からなかったが、
「そ、その方が慣れやすいから」
 苦しい言い訳でごまかした。
「そ、それより真宮寺はどうしてここに?」
 どう見ても納得していなかったが、余り突っ込んでは墓穴を掘ると思ったのか、
「さくらさんのお婆さんが、御前様と古い知り合いなのだとか」
「確か神崎もそうだろ。顔の広い婆さんだ」
 何気なく言ったつもりだったが、
「碇さん、今なんて?」
「婆さんは禁止か?」
「いえ、そうじゃなくてその前です」
「えーと、神崎もって…」
「どうしてすみれさんは名字なんですか?」
「だって薙刀で襲われたし…問題でも?」
「『あります!』」 
「いったーい!」
 手が三本伸びてきて、シンジは一斉につねられた。
 アイリスといいここと言い、どうも理不尽な目に遭っているシンジだが、
「わ、分かったよもう」
 逆らうと面倒だから、はいはいと頷いておいた。
「今いるのは三人だろ。三人でやってたの?」
「違いますよ、まだいます」
「まだ?」
「レ二が今実家に帰ってて」
 言いかけたら、
「レニ?レニ・ミルヒシュトラーセ?」
「ご存じなんですか?」
「ご存じも何も、俺の従妹だよ。小さい頃はよく一緒に遊んだんだ」
「『え?』」
「どうしたの?」
「今一緒に遊んだって…」
「そうだよ」
「レニがそんな事するなんて…」
「そうよねえ」
「あのレニが…」
 それを聞いて、僅かにシンジの表情が動いた。
「どういう事?」
「だって、今レニって言ったら優秀だけど、誰かと遊んだりなんて…」
 それを聞いた時、シンジの表情に危険な物が浮かんだが、幸いそれには気が付かなかった。
 幸運だったろう。
 だがそれも一瞬のことで、すぐ元に戻すと、
「じゃ、人違いかな?」
 軽く首を傾げたものだから、
「碇さん、女の子の事分かってませんね」
「は?」
「女の子は、ちょっと会わないとすぐ変わるんですよ。数年も会わなかったら、別人みたいに綺麗になるんですから」
「…そうなの?」
 返事はいいとしても、三人をまじまじと見たおかげで、
「碇さん…何を考えてるんですか」
「私達だって、ちゃんと綺麗になってますっ」
「失礼ですよっ」
 たちまちじたばたと追いかけられる羽目になったが、それをさせるのもシンジの持ち味の一つと言えるかも知れない。
 本来なら、萎縮しきっていてもおかしくはないのだから。
 そして数分後。  
「あー、私が悪うございました」
 勝手が分からない劇場内で、あっさりとシンジは捕まっていた。
「駄目、許してあげません」
 と、シンジの首に腕を巻き付けているのは椿だが、どうも作意が感じられる。
 無論、すぐにかすみと由里も気付いて、
「あ、椿一人だけずるい」
「抜け駆けよ」
「抜け駆けって夜討ち抜け駆けのあれ?…ぐえっ」
 ふと軍規に思いを馳せた時、その体はしっかりと捕まっていた。
「あの、離れてくれない?」
「『いやです』」
「さっさと下りろ」
 ちょっと脅してみたが、
「『いや』」
 何か力が増したような気がする。
 しようがないと、搦め手から攻める事にした。
「俺の祖母にばれてもいいの?」
 口調は何気ないが、効果は絶大であった。
 びくっと反応し、三人が一斉に跳ね起きたのだ。シンジの作戦通りと言える。
「あ、あの碇さんごめんなさいっ」
 憑き物が落ちたように椿が謝ったのに続き、
「『も、申し訳ありません』」
 かすみと由里が、揃って頭を下げた。
 それを見ていたシンジだが、
「ま、別にいいや」
 と、あっさり不問にした。
「『え?』」
「だって、お婆の耳に入ったら、お前さん達三人とも明日の日の出は見られないし」
 その言葉に、三人の顔からすうと血の気が引くのが、俯いたままでもシンジには感じ取れた。
「それはそれとして、コーヒー位ならおごるよ」
「『え?』」
「行くか?」
「だ、だけど…」
「ここを離れると私達が…」
「許可する」
 偉そうにふんぞり返ると、
「俺が許す、付き合え」
 完全に萎縮しきった三人に、ちょっと切り札が危険だったかなと思い直して誘ったシンジだったが、
「いいのかしら?」
「で、でも碇さんが言われるなら…」
「た、多分大丈夫よね」
 あっさりと衆議一決、慌てて三人ともシンジの後を追った。
 
 
 
 
 
「しっかしあんさん達、趣味悪いでホンマ」
「これだから、日本男児なんて最低デース」
「ま、まあまあそんな事言わないでさ」
 喫茶店で、二組の男女が向かい合って座っていた。
 いや、雰囲気からしてナンパしてきたばかり、と言った方が正解だろう。
 眼鏡を掛けているのは相田ケンスケ、隣の変なジャージは鈴原トウジ。
 彼らの共通点はいくつかあった。
 一つは年季の入った浪人生だと言うこと。
 ケンスケは二浪で、トウジに至っては三浪である。
 しかも、国立の医学部でもなく三流私立だと言うのも共通している。
 もう一つは、シンジの知り合いだと言う事であった。
 能力面では、群を抜いて優秀なシンジだが、どうしてこんなのと知り合いなのかは不明だが、それなりに仲もいい。
 現在高二だが、既に進学を念頭に置いているのが前にいる二人。
 予備校で見つけて、辛うじてお茶までは成功したのだが。
 この二人も、ある意味変わっていると言えるかも知れない。
 李紅蘭と名乗った少女は、出身は中国だが変な関西弁を喋る。
 しかも、昼間から中国服(チャイナドレス)である。
 もっとも、スリットから覗く太股に視線が集まっており、ケンスケ達も例外ではなかったが。
 ソレッタ・織姫と名乗ったもう一人は、これも昼間からドレス姿。
 とは言え、迷彩服姿のケンスケと、ジャージ姿のトウジでは人の事は言えない。
 見た目が奇妙な者同士、どこか波長が合ったのかもしれない。
「そ、それでさ…こ、紅蘭さんの趣味って何なの?」
 している眼鏡に、小さな機械らしき物があるのを見て、何となくイヤな予感はしていたのだが、お約束として訊く。
「よう訊いてくれましたわ。ウチの趣味は発明ですわ」
「発明?」
「そう、発明。あの発明王を抜くのがウチの夢なんや」
「紅蘭の趣味はいつも迷惑デース」
「め、迷惑?」
「いつも爆発で、みんなが回りを迷惑してるのデス」
(どこの日本語だ?)
 首を傾げたが口にはせず、
「発明が趣味っていいよなあ。な、トウジ?」
「ま、ええんとちゃうか。特許料も出る事やしなあ」
 余計な事を、と思ったが、
「せやせや。勉強かてお金は掛かるんやし、あんたええ事言うなあ」
 内心でほっとしたのもつかの間、
「フン、夢と現実は別デース。それも分からないなんて、しょせんニッポンの男はそんなモンデース。どうせ短小に決まってマス」
 ぶーっ!
「た、短小って何がっ!?」
「もきっ玉デース。私のママがそう言ってマシタ」
「そ、それは肝っ玉の事じゃ…それにあれって短いのか?」
「そんな事より、口から吐き出すなんて信じられまセーン。やっぱりニッポンの男は駄目デス」
「ちょっと待たんかい」
 がたっと立ったのは無論トウジ。
「日本男児が駄目っちゅうのはどういう事や。だいたい、おんどれこそ変な日本語喋りよってからに」
「ワタシが言ったのは事実をデース。事実を引退しようとするのは、日本人の悪い癖デス」
「織姫、それを言うなら事実の隠蔽や。そろそろ日本語覚えなあかんで」
 なぜか突っ込めなかったケンスケが、人選を間違ったかと天を仰いだ瞬間、カランとドアが鳴って、人影を吸い込んだ。
「ここのコーヒー、とってもおいしいんですよ」
「苦いの?」
「いえ、風味があるって有名なんです」
「ほう、そうなんだ…おや?」
 回りを姫に囲ませた青年を見た時、ケンスケはとっても嫌な予感がした。
 
 
 
 
 
(つづく)

TOP><NEXT