妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第九話:白昼の美女
 
 
 
 
 
「覚悟はいいでしょうねえ?」
 妙に優しげな口調のアスカは、裸体を隠そうともしない。
 いや、それよりも更にシンジへの怒りの方が大きいらしい。
 が。
実はそうではなく、バスタオルを巻いて隠しても、既に用意している最終奥義を使えばその途端にまた落ちると、もう巻いていないのだ。
「んな事言われても…ん?」
 シンジの感覚が何かを捉え、
「惣流、待て」
「この期に及んで命乞い?」
「あっち向いて」
 有無を言わせぬ口調に、びくっとアスカの気が緩み、
「な、何よう…」
 不満げながらも、言われたとおり向こうを向く。
 どうやら、初戦の敗退がよほど残っているらしい。
 ぷりん、としたお尻がシンジの前に見えたが、シンジはすっと屈んでバスタオルを手にした。
 ぎゅっぎゅ。
「…え?」
 自分の裸身にバスタオルが巻き付けられ、くるくると巻かれていくのをアスカは唖然として眺めて−はいなかった。
「ちょ、ちょっと何してんのよ、放しなさいよっ」
 たちまち、じたばたと暴れだし、
「ちょっと待てこら、なに勘違いして…いてっ」
 肘鉄の一撃に、またもタオルが床に落ちる。
 と、その時。
「もう、朝から何して…」
 そこへ、アイリスが姿を見せたのだ。
 アスカの叫びを聞いて来たのだが、
「大丈夫っ!?」
 と走って来ない所は、アスカの評価を表しているのかもしれない。
 今日の朝食当番はアイリスで、頑張って作ったのは無論シンジおにいちゃんが来たからだ。そして昨晩頬ながらキスして貰った−と本人は思っている−事も、当然ながら大きかったろう。
 が。
「な、何してるの二人とも…」
 シンジのお節介にも似た行動は、その感覚に人の足音を捉えたからであり、それがアイリスの物だと見切っていたからだ。
 でなけらば、自分から裸を晒している娘に、バスタオルを巻き付けようなどとはするまい。昨晩、ぱたぱたとやってきた足音と同じだと、記憶が告げていたのである。
 だから、さっさとバスタオルだけでも羽織らせようと思ったのだが。
「い、いやそのこれは…」
「アイリス、この男痴漢だから近づいちゃ駄目よ」
 とは言え、裸でもみ合っていれば説得力は存在しない。
 三・二・一。
「いやああっ!」
 がしかし、わなわなと手を震わせたのを見た瞬間、シンジは嫌な予感がした。
 そしてそれは見事に的中した。
「ア、アイリス…じゃ、邪魔するつもりじゃなかったの。バ、バイバイっ」
 ばたばたばたっと走り去っていくアイリス。
 そして、その後には。
「う、浮いてる…」
「ちょ、ちょっとこれどうすんのよっ」
 空中に浮いたまま、固定されている男女(ふたり)が取り残された。
「さすがは超能力者、大したもんだ」
 感心しているのはシンジだが、アスカはそれどころではない。
 第一、その肢体を覆っている物は何もないのだ。
「こら、あんた感心してる場合じゃ…あっ」
 うそ…と、違う意味でアスカは驚愕していた。
 シンジが、裸のアスカを抱き寄せたのだ。
 胸がシンジの体に触れた事より、破った事の方にアスカは愕然としていた。
「どした?」
「ど、どうして破れるのよ…」
「念動力だろ?根性だ」
「こ、根性〜?」
「そ、根性。惣流も結構根性が…あ」
 そこまで言った時、シンジは状況に気が付いた。
 すなわち、自分に押しつけられている−正確には自分で引き寄せた−アスカの胸に。
 それも、すっぱだかで。
「こっ、こっ、この…」
 シンジが破ったおかげで、アスカも四肢の自由を取り戻し。
「こんの色情狂がー!!」
「ウギャーッ!」 
 すらりとした脚がシンジを一撃し、
「中もぴんく」
 吹っ飛びながらシンジの呟いた声が、アスカに届かなかったのは幸いだったろう。
「アイリスの念動力を破ったから、ちょっとは出来ると思ったけど…やっぱりあいつはただのドヘンタイよっ!!」
 ぷりぷりしながら浴場へ戻っていく。
 その日、女神館の住人が二人遅刻し、一人が欠席した。
  
 
 
 
 
「あー、疲れた」
 朝っぱらから吹っ飛んだが、傷一つ無いシンジが、学園の理事長室を訪れたのは午前中の事である。
 色々な意味で、不可侵の聖域と言われるこの部屋に、シンジはノックもせずに押し入った。
 しかも入るなり、
「リっちゃんコーヒーちょうだい。たっぷりクリームの乗ったやつね」
 と来た。
 ノックとお伺いなしにこの部屋に侵入した場合、まず最初にレーザーが迎える。
 更に一歩進むと、凄まじい頭痛と幻聴に襲われる。
 壁に仕掛けられた、心霊兵器の仕業だ。
 ふらつきながらも、更に前へ進んだ場合、
「月に代わってお仕置きー!」
 と、どこかで聞いたような声と共に、人体にはかなり危険な電流が流れる。
 以前は、更に仕掛けがあったとされる、東京学園総理事長赤木リツコの居室なのだ。
「来ると思っていたわ。三分待ってね」
 そしてきっかり三分後、私服姿のリツコがトレーを持って現れた。
 シンジの注文通り、カップの上にはたっぷりとクリームが乗っている。
 甘い微笑と共に、シンジにトレーごと差し出した。
「今日は一段と、金髪が艶々してるねえ」
 なお、根本から金髪のリツコのそれは完璧な染色である。
「ふふ、ありがとう。それでどう?管理人は」
「沢山の色があっていい感じだよ」
 カップを取ると、勝手にリツコの椅子に腰を下ろす。
「色?」
 まさか淫唇の色だとは、さすがのリツコも分からない。
「そ、いい色。で、マヤちゃんは?」
「今呼んであるわ。それで…やるの?」
 一転して、真面目な表情で訊いたリツコに、
「どうすっかなあ」
 偉そうにふんぞり返った所へ、ドアがノックされた。
「開いてるわ、入りなさい」
 楚々と入ってきたのは伊吹マヤ。
 リツコの家来みたいな物だが、対降魔用兵器エヴァを完成させたのは、彼女である。
「あ、シンジさんお久しぶり」
「なんか、前よりファンが増えていそうだな」
 ちょっとロリっぽい雰囲気が増えた感じだが、マヤは額面通りに受け取ったらしく、
「そ、そんなこと…」
 顔を赤くしかけたが、リツコの視線に気付いて慌てて背筋を伸ばした。
 そう、南極の氷山みたいな視線に。
「で、リっちゃん最近はどうなのよ、暇人共の襲来状況は?」
「まだ大した事は無いわ。華撃団も、出陣はまだ一回もないのよ」
「このまま無事に行くか?」
 まさか、とリツコが笑った。
 目の下の黒子が、ひときわ妖艶に見える。
「だったら、あやめもかえでも用無しよ」
「だね」
 一気にカップを空にしてから、
「それで、あれは融通は利くやつなの?」
 と、これはマヤに訊いた。
「ええ、最初からそのつもりで造っています。彼らの能力には、やや差がありますから」
 エヴァの話になると、これはもう科学者の顔になっている。
「あやめが、脇侍を捕まえて改造してるみたいだな。リっちゃん知ってる?」
「あやめ?随分仲いいのね」
 棘のある口調に、
「逆だ、逆」
「え?」
「お婆が結界変えたからな。俺の色になっちゃった」
「御前様が!?」
 さすがに驚いたような表情になったのは、まだ早いと思ったせいだろう。
「いや、それはいいんだ。それで、なんでリっちゃんが気にするの?」
「べっ、別にそれはその、何となく…」
「ふーん」
 覗き込まれた顔を逸らした時点で、既に自白済みである。
 その空気を何とか打開しようと、
「あ、あのっ、どうしてですか?」
 訊ねたマヤに、
「いぢわるな住人は、もうおうちに入れてあげないの」
 シンジの言葉を聞いて、二人が笑ったのは、シンジの境遇が大方想像ついたからだ。
「シンジ君もたいへ…」
「じゃ、リツコ代われ」
 余計な事は言うもんじゃない。
 まして、シンジの前では。
「だ、だってほら、私はここの理事が…」
「メンバーチェンジ。それ、俺がやる」
「そ、それは…」
「血統書付きのサラブレッドじゃ不足か?」
「そ、そう言う訳じゃ…」
 見かねてマヤが、
「あ、あのシンジさんもうそろそろ…」
「今度、炭焼きにして食ってやる」
 青ざめた二人に、
「まあいいや。それより、リツコの母堂のとこ行って来るわ」
「母さんの?」
 進学塾のオーナーだが、エヴァの基礎理論を組んだのは彼女なのだ。
「本当は俺とフェンリルがいれば十分なんだけどな。ま、舞台だけやってるのもつまらないだろうし」
「あの子達、あれでも結構厳しい訓練は積んできているのよ。シンジ君の邪魔にはならないと思うわ」
「あれが?」
「えーと…全員足してよ、全員」
 能力差に思い至ったらしい。
「血の気は俺より数倍上だが…」
 ちょっと洩らしてから、
「見せて」
 とマヤに手を出した。
 恭しく差し出された分厚い資料に、尋常じゃない勢いで目を通していく。
 A4用紙にびっしりと、120枚に束ねられたそれに、三十秒ほどで目を通して、
「大体分かった」
 マヤに返した。
 二人とも、シンジの能力は知っているから、別に驚きもしない。
 無論、シンジが全部読んだのは分かっている。
「改良はどうかしら?」
「電磁波じゃないから、長刀はもっと刃の部分を長く出来るでしょ。それと持たせる機銃は、機関部への初弾をもっとスムーズに送れるようにして。脇侍は待ってくれないよ」
「分かりました」
「内燃機関、まだ全体に改良の余地はあるな。圧縮ポンプをもう少し細く。油圧があと数パーセント上がる筈だよ」
 言われたとおり、マヤが書き込んでいく。
「ところで、避難訓練はちゃんとやってるの?」
 リツコに顔を向ける。
「ええ、全校総出でやっているわ」
 避難訓練とは、地震や火事を想定し、
 一 おすな
 二 かけるな
 三 しゃべるな
 で、おかしの法則とか言うあれじゃない。
 脇侍が出現した場合、都民を安全に避難させる為の訓練だ。
 戦闘訓練は無いが、その中には応急手当の訓練も入っている。
 その意味では、既に臨戦態勢と言っても過言ではない。
 そう考えると、シンジの帰国は圧倒的な戦力の増加とも言えるのだが。
「俺としては、細切り麺をまだ探してなかったしなあ。な。フェンリル」
「あたしに振るなっての」
 ぬうと現れた妖狼に、マヤもリツコも一礼した。
「お久しぶりです、フェンリルさん」
「お前も元気そうだな、金髪。髪が痛むって前から言ってるだろうが」
 その口調はどこか主に、すなわちシンジ似ている。
 結構似たもの主従なのかも知れない。
「そんな事より」
 フェンリルの毛を引っ張るシンジ。
「こら、マスター引っ張るな」
「どうする?」
「私は既に妖気は捉えているが」
「ほ、本当ですかっ?」
 身を乗り出したマヤに。
「私が嘘を言ってどうする。それにしてもお前、幼児体型がまったく変わってないな。まだ男はいないな」
「…いいんです、私は別に」
「人の恋愛観に口出すなよ、全く四本足のぶんざ…OUCH」
 言いかける前に、真っ白な足がシンジの後頭部を直撃した。
「くーっ」
 頭をおさえている所を見ると、結構まともに入ったらしい。
「二本足の分際で何を威張ってるんだ」
 本数は多い方が偉いらしい。
「今度毛皮を剥いでやるからな。ところで、劇場の方は今開いてる?」
「ええ、開いてるけど」
「見物できるかな」
「『え?』」
 揃って声を上げたのは、シンジの申し出が意外だったらしい。
「帝劇で泥鰌すくいでもしてるかな、と思って」
「あら、結構みんな上手いのよ。評判いいんだから」
「ふーん。で、お前も来る?」
「私が一緒に行ったら目立つ」
「いいから来い」
 言った時にはもう、シンジは立ち上がっていた。
「…で?」
 しかもフェンリルの背によいしょと乗って。
 フェンリルも大柄だが、シンジの背も180センチを越えているから、結構余る。
「降りろ」
 どうやら、最初からその気だったらしい。
「積んでくなら乗せてってやるぞ」
「付き合い悪いんだから」
 ぶつぶつ言いながら、シンジは妖狼の背にだらーんと乗った。
 殆ど、運搬される荷物のように背に乗る。
 腰近くまである長髪が床に着く寸前、ひょいと手で押さえて、
「小さいぞ」
 フェンリルが、巨躯と化したのは次の瞬間であった。
 シンジの髪が垂れても、床に着かぬ程の大きさになると、
「これでいいか?マスター」
「ちょうどいいや」
 大きくなったせいでもあるまいが、ひときわ放たれる妖気が強くなり、
「運んでくる」
 歩き出したそれへ、
「あ、あの場所は…」
 言いかけたマヤに、
「迷うと思うか?」
 場所は知らない筈だが、悠然と出ていった。
 二人の気配が消えた後、
「あの、先輩…」
「何?」
「シンジ君…受けるでしょうか?」
「興味がない事はなさそうね。少しもなかったら今頃は、さっさと海外に出かけているわよ。それよりマヤ」
「はい?」
「劇場の三人娘に連絡しておきなさい。あの二人にいきなり会ったら、色ボケ起こしかねないわよ」
「はい」
 言われたとおりマヤが電話に手を伸ばす。リツコの命は絶対なのか、流れるような動作であった。
 
 
 
 
 
「それでマスター、どうすんの?」
 巨体を揺らしながらフェンリルが訊いた。
 シンジはその背にだらりと乗っかったままである。
「お前ならどうする?」
「マスターに任せるわ。ハーレム造るなら協力してやるぞ」
「してやらないでいいよ、別に」
 頭は下を向いているが、血の移動はないのか顔色に変化はない。
「ただ、俺が出ると余計なお世話かなと思って」
「子供が核兵器持つのを、眺めてる事もあるまい」
 結構きつい事を言う。
「とりあえず、一戦見てからにするわ。適性検査はその時な」
「そうだな。それにただの脇侍じゃ、私も物足りない」
 背に揺られながら、シンジが周囲を見た。
 学期末だが、まだ授業は終わったわけではなく、体育の授業なのかにぎやかな声も聞こえてくる。
「あーあ」
「どうした?」
「本当なら通ってるのに」
 ふう、とため息をついてみた二秒後、どすんと地に落ちた。
 こら、と言おうとした瞬間。
「慰めてやろうか?」
 真っ白な腕が首に巻き付く。
「昼間っから戻るなよ、まったく」
 動物の姿はそこにはなく、すらりとした妖艶な美女が立っていた。
 大きく裾の割れた中国服から見える、真っ白な太股を隠そうともしない。後頭部に柔らかなクッションが当たった、と同時にぎゅうと締め付けられ、
「苦しいだろ、放せ」
「断る」
 一言で拒否すると、
「美女の腕の中で死ぬなら本望、そうよねえ?」
 自賛とともに、シンジの耳に甘い吐息を吹きかけた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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