妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第一話:八つ当たり
 
 
 
 
 
 既に退魔の儀式はその半ばとなっていた。
 注連縄は完全な結界となり、淫魔に取り憑かれた娘を完全に低級霊からガードしている。
 低い呪詛の声が、娘に取り憑いた霊をまさに引き出そうとしており、娘の躯は既に痙攣を繰り返しているところだ。
「臨・兵・闘・者…ん!?」
 術者の耳に、静寂を破る声が聞こえて来たのだ。
「誰なんですあなたはっ」
「今は退魔儀式の最中だ、さっさと出ていけ!」
「ひっ捕まえて放り出せっ」
 だが、声の割に一向に騒ぎは収まらず、何時の間にやら近づいて来るではないか。
「何だ一体…」
 最後の唱言を邪魔されて、苛立たしげにそっちを見た術者の表情が、次の瞬間さっと変わった。
「わ、若大将っ、どうしてここにっ!?」
 愕然とした男には目もくれず、
「なにもたもたしてんのさ、まったく」
「ちょ、ちょっとそれはっ」
 ずかずかと結界を踏んで入り込んだ途端、辺りの空気が変わった。
 完全な結界で澄み切っていた空気が、素人にもそれと分かるほど澱み出したのだ。
 結界が破れ、悪霊の温床となっていた娘の躯に、一斉に邪霊共が集まり出す。
「な、なんて事を…」
 呆然として呟いた男に、
「ごたごた言わないで、いいから見物してる」
 ショーツ一枚で横たわっている娘の胸には、それを覆い隠すかのように札が貼られている。
 それをびっと引っ張って剥がすと、事もあろうに娘の乳房をぐいと掴んだのだ。
 無意識な筈だが、それでも肉体が反応するのかぴくっと動く。
 見ていた両親が血相を変えたのへ、
「来るな」
 それだけで呪縛すると、
「股開いてやる。さ、来るがいい」
 誰に向かって言ったのか不明だが、呆然としている術師の男に、
「全開で開脚」
 とんでもない事を言いだした。
 だがもう諦めたのか、或いは命令は絶対なのか、言われるままに下着を脱がせると、娘の両足に手を掛けてぐいと開く。
 普通なら目を覆うような、と言うよりポルノサイトでしか見られないような光景が展開した瞬間、澱んでいた空気がふっと綺麗になった。
 いや、正確にはそれを為していた者達が、一斉に娘の股間を目指したのだ。
 実体を伴わぬ霊達、それでも素人にすら分かるようなそれが、文字通り唸りを上げてまさに娘に押し入ろうとした瞬間。
「劫火」
 青年が突きだした手の平から、光球状の炎が迸る。
「いやああああっ」
 母親が絶叫するのと、同時にもう一つの叫びが上がった−霊達の。
 明らかな炎でありながら、不可視の存在にのみダメージを与えられるのか、入り込もうとしていた者達は周囲を揺るがすような末期の悲鳴を上げたのだ。
 だがそれも数秒の事で、五秒と経たない内に静かになった。
 そして次の瞬間に起きた事を、娘の両親は一生忘れる事はあるまい。
 青年は、いきなり娘の股間に手を入れたのだ。指を入れたのではない、拳までも埋め込んだのである。
 娘が処女なのは分かっている、驚きと激怒に支配された両親の前で、青年はずるりと手を引きだした。
 “くけええっ”
 その手に握られている小さな物体が奇怪な声で鳴いた時、両親は常識と言う物の再構築を決意した。
「さて」
「はっ」
 恭しく呪符を差し出すと、何思ったか青年はその手の中で、それをぐしゃりと握りつぶした。
 見る見る灰と化したそれを、呪符の上にさらさらとこぼす。
 そしてその二秒後、
「終わった、はい起きて起きて」
 娘に声を掛けると、その脇腹をつうっとなぞる。
 
 
 そんな馬鹿な!
 娘は二十四時間絶対目覚めない筈だ。
 絶対にあり得ないわ。
 
 
 そんな両親の思いを余所に娘は十秒後、ぱちりと目を開いた。
「あ、あのここは…?」
「君が取り憑かれてたのを、この人が祓ってくれたの」
 青年は術師を指さすと、
「脱げ」
 と言った。
 術師の男が羽織ってた上衣を差し出すと、
「もう、大丈夫だ。純潔のままだからね」
 奇妙な事を言って、上着を娘に掛けてやる。
 上着を掛けられて、ようやく自分の姿に気づいた娘が、顔を真っ赤にして胸を覆ってしまった。
「邪魔した」
 声を掛けられた男が、
「わざわざのご出馬、申し訳ありません」
 と平伏したのには、むしろ両親の方が驚いたろう。
 娘に声を掛けるのも忘れ、呆然と立っている両親に、
「肘まで突っ込んでも破れるとは限らない」
 はあ、と間抜けな答えを返した父親に、
「あんたの娘さんはきっちり処女のままだ。安心するといい」
 そして母親の方には、
「あのタイプは淫魔だ。あんまり両親が純潔だの貞操だのとやかましいと、ああいうのが取り憑く事があるんだ。宗教もいいが、もう少し娘の自由も尊重してやった方がいいだろう」
 硬直していた空気が解けたのは、青年が出ていった後であった。
 母親は泣きながら娘に駆け寄り、
「今の人は一体?」
 まだどこか唖然として訊いた父親に術者の男は、
「我々退魔師の間では知らぬ者はいません。その力において、あの方の右に出る者は誰一人としていないのです」
 畏敬の念のこもった言葉で告げてから、
「でも今頃はご入学の準備で、色々とお忙しい筈だが…」
 誰にも聞こえないような、小さな声で呟いた。
 
 
 その三十分後、青年は繁華街の真ん中を歩いていた。
 いや、真ん中と言うより裏道である。
 大抵の繁華街には、表の顔と裏の顔があるがこことて例外ではなかった。
 膝上何センチ、と言うより殆ど下着が見えている位のタイトスカートで、むっちりした太股と下着を景気良く露出させ、道行く者に妖しい視線を送っている女。
 売れ行きが悪いのか、店の前で実演販売をしている中年の男−ただし、品物の包丁がさばいているのは手足の生えた蛇。要するに合成生物である。
 軒先の煙突から流れている煙が、焼鳥や魚のにおいだったりするのは、あくまで表通りの話だ。
 一歩裏に入れば、その煙はたちまち催淫剤へと変わる。
 無論その煙が流れてくる所では、若者達を店に引き込もうと三重化粧の女達が、互いに火花を散らし合って縄張り争いの最中だ。
 そんなある店の前で、これも互いにガン飛ばし合っていた女達が、ふとある青年に目を留めた。
 
 
 ふーん、結構いい男じゃない。
 ハイネックにスラックス、全身真っ黒で何か色っぽいよね。
 いかにも金持っていそうだし、一旦ここは停戦よ。
 オーケー。
 
 
 無言で停戦条約を結ぶと、二人がすっと左右に分かれた。
 青年は少しも気にすることなく、飄々と歩いてくる。
 一歩進む度に、腰まで伸びた髪が妖しく揺れ、女達の目に欲情の色が走る。
 最初は金目当てだったが、こうなれば絶対に喰ってやる。
 あくまでさりげなく、四方から囲むような体勢を取ると、最初の女が先陣を切った。
「ねえお兄さん、少し遊んでいかない?」
 ふっと吹きかけた息、それだけで生きのいい者なら達しかねない。
 この空間に充満している催淫剤は、それだけでも異常な程強く、店の前を通る時は全速力が基本だ。
 そうでないと、その場は切り抜けられても電車に乗った途端、前のOLの胸を鷲掴みにしたくなったり、女子高生のパンツに手を入れたくなったりするからだ。
 もっとも時には逆の使い道もあり、彼氏が相手してくれなくなって一人遊びか女友達と慰め合うしかなくなった娘が、デートの通り道に選んだりもするのだ。
 どんなに色気で、或いは清楚で迫っても見向きもしなかった恋人が、がちがちの防御スタイルで来たにも関わらず、突如手を引いてホテルに連れ込まれ、腰が抜けて気が遠くなるほど愛されたと言う例が幾つも報告されている。
 警察が、この類の店の存在を容認しているのは、ひとえにそのためだ。
 もっとも実際には、婦人団体から存続の強い要望が出ているためらしい。子細は不明だが、その構成の殆どは倦怠期を迎えているとされている。
 それほどに強いこの淫気漂う所に、青年は平然と入ってきた。
 耳に吹きかけられる息に、
「また今度」
 さらりとかわして歩き出す。
 そうはさせじとすぐに次の女が、
「ねえ、そんな事言わないでさあ」
 露出させた乳房を−無論ボリュームと触感は強化済み−青年の胸に押しつけ、腕を青年の肩に回した。
「ん」
 青年はふっと立ち止まった。
 それを勝機と見たか、一斉に女達がその身に纏い付く。
「損はさせないからさ」 
「そうそう、きっちり締め付けてくる娘(こ)ばっかりだよ」
「おっぱいだってほら、こんなに」
 青年の手を胸に持って行こうとした瞬間、
「ひぎあああっ」
 絶叫と共に、女は数メートル吹っ飛んだ。
 仲間達は見た−その胸に大穴が開いているのを。
 しかも青年は、女の胸には指一本触れていなかったのだ。
「野郎っ」
「甘くしてりゃつけ上がってっ」
「ちっといい男だからって調子に乗るんじゃないよっ」
 と、その直後。
「ま、待ちな…」
 胸に大穴の開いた女が、息絶え絶えの声で仲間を止めた。
 ぽっかりと開いた穴からは、ちぎれた電線の束が露出している。
 女は−アンドロイドだったのだ。
 一瞬の事で、青年の力量を悟ったらしい。
 だが、それも血走った仲間達には届かず、一斉に青年に飛びかかった。
「風裂」
 ぽつりと呟いた途端、女達の首はすべて地に落ちていた−機械仕掛けの生首が。
 青年の手から発生した風が、鎌鼬の刃のように女達の首を薙いだのだと、落ちた首になってからようやく女達は理解した。
 さっさと歩き出したその後ろ姿へ、
「あ、あんた…」
 一人の女が口だけぱくぱくさせて呼んだ。
「も、元は…せ、戦闘用アンドロイドのあたし達を一瞬で…な、名前は…」
 青年は振り向かずに言った。
「碇シンジ。趣味は五精使いだ」
 首を喪った胴体が、ようやく倒れ込む音を聞きながら、青年は何事も無かったかのようにまた歩き出した。
 
 
 
 
 
「御前、報告は以上です」
 まるで国会議事堂の会議室のような部屋に、黒服の男達が顔を並べていた。
 重厚な造りのこの部屋だが、実は一個人の物だ。
 そしてその個人とは。
「困ったモンだねえ」
 白髪の老婆はからからと笑った。
 小柄な老婆だが、その眼光は炯々として鋭く、辺りを威圧する何かを持っている。
「恐れながら」
 最前列の男が口を挟んだ。
「本日だけで、退魔の場に来られる事六度、そのいずれも邪魔に入っておられます」
「失敗はあるのかい?」
「いえそれは…」
「ほっほっほ、そうだろうよ。あのシンジはこの婆の孫じゃ、どうせ霊共を引き寄せてから、まとめて片づけたのだろうが」
「そ、それはそうですが…」
「それとは別に、警察からも報告が入っております」
「パトカーでも燃やしたのかい」
 あっさりと言ってのけた老婆に、男は冷や汗を背に感じながら頷いた。
「やくざ同士の喧嘩を、両名を半ば溺れさせて強制的に引き分けさせ、そこへ来た警官が署に同行を求めた所、パトカーごと土に埋もれさせたとの事です」
「腐った警察ごときが、シンジに手出しをするからだよ。警察署が劫火で燃やされなかっただけ、ありがたいと思うんだね」
 老婆はとりつく島もない。
「御前様、滅多にない事ですが特例として出来ない事はございません。ここは一つ、特例をもうけられては如何でしょうか」
「特例かい?」
「は、はっ」
 老婆の双眸から、一瞬だけきつい光が消えて優しげなそれへと変わる。
 無論その脳裏には、孫の事があるのだと居並ぶ中に知らない者はいない。
「今までにはいたのかえ?」
「完全な成績でしょうか?」
「そうじゃ。そしてその上で無署名の者は」
「無署名はおりましたが、満点の成績は一人も…」
「困った奴じゃて」
 だが老婆の口調はどこか甘い。
 可愛くてしょうがないやんちゃ坊主を思う口調である。
 とその時、ドアが控えめにノックされて一人の男が滑り込んできた。
 手にしたメモを、最前列の男に渡すと老婆に一礼し、足音も立てずに去っていく。
「何事じゃ」
「最前のやくざが…」
「お礼参りかい」
「ご賢察の通りです」
 額の汗を拭いながら、
「車二十台で乗り付けて、強制的に拉致しようとしたところ、車が全部大破炎上したとのことです。なお…生存者は一人もなし、と」
 さすがにその報告には、室内がざわめきだした。
「どこの組だ?」
「獅子王組だ」
 短い返答に、室内の者は殆どその顔色を変えた。
 構成員は三百人を越える大所帯であり、その武闘派ぶりはつとに知られている。
「御前…」
 瞑目している老婆に、一人がおそるおそる声を掛けた時、いきなり携帯が鳴った。
 一瞬にして室内が静まりかえったのは、これに掛けて来られるのは五人といない事を知っているからだ。
 しかも肉親では、孫の碇シンジしかいない。
 そして今掛けて来たのは。
「儂じゃ。ああ、コウちゃんかい」
 男達がその顔を見合わせる。掛けてきたのが、警視総監の冬月コウゾウと知ったからだ。
 そしておそらく用件は一つ。
「あれかい?ああ、やくざ共が悪いのさ。適当に消しておおき、いいね」
 一体何をしたら、警視総監にこんな事が言えるのか、おそらく本人同士しか分かるまい。
「片づいたよ」
 白い歯を見せて笑うと、一瞬その顔を引き締めて、
「魔道学校の最高府、ネルフ学院への入試に特例は認められぬ−例え、我が孫であろうともな」
 下された断に、男達は一斉に頭を下げた。
 退魔師、あるいは陰陽道の術師を目指す者、あるいはその魔道を究めようとする者達で、あこがれない者はいないとされるネルフ学院。
 一般の大学で言えば、東京大学のそれをもしのぐとされ、入るのも出るのも最難関とされる。
 そして今年、ネルフ学院に続くネルフ高等科を主席で卒業した碇シンジは、圧倒的一番人気で入試に望んだ。実技試験に於ける素材が一等なのに加えて、余人では決して受けられぬ個人レッスンを受けていると来ている。文字通り、満点のみが当然とされる初めての受験生であった。
 そして、
 筆記試験−満点。
 実技試験−満点。
 文句の付けようがない出来で、見事試験をクリアして見せた。
 ただし…無記名で。
 どんなテストでも、名前だけは書いて出せと言われるように、記名だけは絶対に必須条件である。
 それが無かったのを見て、学院の首脳部には衝撃が走った。
 このまま行けば、間違いなく魔道省のトップに立つと、半ばその未来は約束されていたからだ。
 なお魔道省とは、我が国の魔術をすべて管轄する部門であり、国内の術師達はすべてそこに登録する事が法律で義務づけられている。
 そのエリートコースに足を掛けたシンジが、一体何事があって名前を入れなかったのか、まったく分からない。
 シンジの祖母である碇フユノでさえも、
「まったく困った奴じゃよ」
 とからから笑った。
 関係者一同青くなり、特例を作ってでも入れようと言う動きになった。
 まして−その凄まじい力を持って、シンジが現在八つ当たり中となれば尚更である。
 ただ、一般市民を巻き込まないだけ、いいと言えない事もない。
 とは言え、さすがにこのままでは被害が大きくなると読んだのか、
「そろそろ連れもどさねばなるまいの」
 緊張感の無い声でフユノが告げた。
「シンジの事は、儂に任せておけ」
「い、如何なさいますか?」
 訊ねた瞬間青くなったのは、誰に対して異論を唱えかけたのかを思い出したからだ。
 みるみる生気を喪った男へ、別に怒った風情も見せず、
「あれには暫く管理人をしてもらおう」
「管理人?」
 男達の目に、一斉に?マークが浮かぶ。
「ネルフ学院を目指す者達を、何人か預かっている儂のアパートがある。寮のようなところでな、そこの管理人じゃよ。ただし」
「た、ただし?」
「住人は全員女。女だらけの女子寮じゃ」
 その瞬間室内に、声にならないどよめきが走った。
 
 
 
 
 
(つづく)

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