哀執(前)
 
 
 
 
 
「いい夜ね」
「ええ」
 レイの言葉に応じたせいらだが、二人とも口調には棘がある。
 二人が並んで歩き、その前方にシンジがいるとくれば理由は一つだが、今日に限って言えば原因は別にあった。
「悪趣味が服を着て」「碇君をさらっていったわ」
 珍しく繋ぎ台詞でぶつぶつ言ってる対象は、無論共通の想い人の右側にいる奴だ。
 屍刑四郎、つい先だってこの街に赴任してきた刑事だが、何故かシンジとはウマが合うようで、
「悪いが碇、街を案内してくれや」
 と言い出した。
 無論シンジの答えは決まっており、
「やなこった」
 即座に断った。
「どうしてだ?」
「僕は国家の下僕じゃない。頼みたかったらリツコさんに頼めばいいじゃない」
「派手なのは苦手でな」
「大うそつき」
 余人には決して許されぬ台詞を吐き、一度はそっぽを向いて立ち去ったのだが、
「碇君(シンジ様)、散歩に行きましょう」
 二人にシンジが誘い出された所へ、きっちり先回りして待っていたのだ。
 ところでせいらとレイだが、無論シンジの共有を決めた訳ではないし、強烈なライバル意識は持っている。
 が、数度の対決で取りあえず早急な決着は付かないと知った。
 目下強力なライバルはいないから一騎打ちの筈だが、金髪刑事の動向もどこか油断が出来ない。
 とまれ、これは長期戦だと見て取ったのは、ある意味でお互いを認めた事でもある。
 これでどちらかが人間であればもっと簡単に終焉を見たのかもしれないが、或いは両方とも人外−人には異端視される存在であったのもその一因と言えよう。
 初対決の時、二人の手は互いの胸を深々と貫いていたのである。
 好敵手と互いを認めたような二人だが、そんな事よりも折角誘いに応じたシンジを、待ち伏せしていた隻眼刑事なぞに攫われて面白いわけはないのだ。
「殺っちゃおうかしら」
「悪くないわ」
 ひそひそと物騒な事を囁き合っている二人に、
「こうむしっこうぼうがいだってさ」
「『……』」
 ひょいと振り返ったシンジに二人が顔を見合わせて、小さく口許を尖らせる。
 やっぱり面白くないらしい。
 と、次の瞬間派手な音がした。
「え?」
 何事かと見ると、シンジの横にいた長身の刑事がいきなり停まっていた車を蹴り飛ばした所であった−それもど派手に。
「何してはります?」
 覚えたばかりの関西弁に屍が反応する前に、ドアが勢いよく開いてサングラスにアロハシャツと言うチンピラのオーソドックスみたいな奴が四人出てきた。
「何しゃがんだてめ−がっはあっ」
 おお、とシンジが感心するようなスクリューが、文字通り音を立ててグラサン男の腹に食い込むと、そいつはそのまま数メートルも吹き飛んだ。
「盗難車検挙の条件って知ってるか?」
 目の前に景色しかないかのように訊いた刑事にシンジは首を振った。
「生憎、警察学校とは縁が無かったのさ」
「教えておいてやる、盗難車の特徴を叩き込むことさ」
 そう言いながらついでに蹴りがもう一人の男の脇腹に叩き込まれ、そいつも一人目の後を追った。
「野郎っ」
 残った二人の手にナイフが飛び出したのを見て、
「これで公務執行妨害と銃刀法違反だ。ついでに−屍刑四郎脅迫罪も付けておくか」
 シンジが刹那ながら真顔になったのは、そこにこぼれるような笑みを見たからだ。
 そう、文字通り天真爛漫に近い笑みのそれを。
「うえっぷ」
 シンジがあらかじめ洩らした直後、男達の腕は本来の方向にさよならを告げていた。
 綺麗に折れ曲がった腕に、ほぼ垂直に上がった足で明後日の方向に飛んでいくのを見ながら、
「それ、古代武術ってやつ?」
 訊ねたシンジに、
「いいや、単なる喧嘩殺法だ」
「お〜」
 妙な感心をしているシンジは放っておいて、屍は運転席を覗き込んだ。
 あからさま過ぎる直結のそれに、
「ったく、近頃のガキは遠慮って事を知らねえ。まあいいや、取りあえず起きな」
 片腕を喪い、ついでに血の気も喪っている男をもう一つ蹴り飛ばした。
「あのさあ」
「なんだ」
「これ、あんたの靴でへこんでるんだけどいいのかい」
「問題ない」
 屍はにこりともせずに言った。
「大体、近頃は盗難が多くて保険屋が困ってる。それがそのまま保険料の値上がりで一般市民が大迷惑だ」
「何乗ってるの?」
 訊いたのは間違いなく、無意識下であった。
「ジャガーだ」
 一瞬考えてからシンジはちょっと宙を見上げた。
 何故かこの刑事には合ってるような気がしたのだ。
「これはあくまで、凶悪な窃盗犯を取り押さえる時に出来た代物で、無論警官の暴行や捜査の行き過ぎとは何の関係もない」
 何となく気取ったように聞こえない事もなかったが、若年化と凶悪化を辿る犯罪のデータを見れば、そっと窓をノックしての職質など愚行と断定してほぼ間違いない。
 例えばこの連中にしたって、提示を求めた免許証代わりに銀の刃が突き出されても、少しもおかしくなかったのだ。
 ある意味、襲われてからナイフが出てきたのは可愛いものかもしれない。
「修理は?」
「修理はだな−」
 身分証明を勝に探していた屍が中から財布を取りだした。
「最近は堅気まがいがちんけな犯罪に加わることが多いようだな、こいつにしよう」
「ほうほう」
 かなり無茶苦茶なやり方の刑事と、しかもそれを面白そうに見ているシンジを見て、せいらとレイは顔を見合わせた。
「碇君が楽しそうなのは何故」
「私が知っているわけでしょう」
 男達とは対称的に、こっちは声すらも段々険悪になりつつあった。
 
 
 
 
 
 車はやはり盗難車であり、三日前に捜索願いが出されたばかりであった。
 しかも特徴はリアバンパーの小さな傷であり、屍の一撃で一層大きくなっている。
 押収された車と一緒に屍も引き上げていったが、ふとシンジは二人がご機嫌ななめなのに気が付いた。
「喧嘩でもしたの…え?」
 つかつかと二人が寄ってきたかと思うと、あっという間にシンジは逮捕直後の犯罪者と化していた。
「…何?」
 さすがにシンジが左右を見たが、そこには危険日一歩手前のレイとそれが伝染ったようなせいらがいる。
 一瞬振り払うことも考えたが、
「何か食べに行く?」
 下手に出てみると、少し表情の緩んだ二人が揃って頷いた。
 
 
で?」
 ちゅうちゅうトマトジュースを飲んでいるレイと、コーヒーの表面をミルクで染めているせいらを見ながらシンジが訊いた。
「え?」
「いや、だから何でさっきはご機嫌悪かったのさ」
「碇君は乱暴な方がいいの?」
 逆にレイが聞き返し、シンジの顔に?マークが浮かんだ。
「女の子の好み?」
 言った途端に失敗したと思ったのは、二人の温度があっという間に十度以上下がったからだ。
 ごほん、と何とか咳払いして、
「い、いえあの、お二人みたいなタイプが当然です」
「光栄ですわ」「当然ね」
 レイはともかく、せいらまで何故か偉そうに頷く。
 他の娘を見たわけでもないし、なんでこうなるのかと内心で首を傾げたのだが、
「だから乱暴って何?」
「あの男は危険です」
「…屍さんの事?」
「あんなのは刑事ではないわ。ああいうタイプが警察の評判を落とすの。ええ、そうに決まってるわ」
 この二人とは会話などなかったはずだが、シンジをさらわれたのがよほど面白くなかったようだ。
「そうかな?」
「どうして」
「そんなに悪い人じゃないよ−ちょっと凶暴だけど。もっとも」
「もっとも?」
「あれぐらいでないと、この街の刑事は務まらない。リツコさんがおしとやかな淑女だったら、今頃は凶悪犯に攫われて輪姦されてるよ」
「で、でもシンジ様」
「ん?」
「シ、シンジ様があのようになってしまわれては…」
 あっはっは、とシンジは大笑いした。
 しかし一瞬で真顔に戻ると、
「ある意味ではあれほど人間らしく−僕もいつかなってみたいものだよ」
「碇君…」「シンジ様…」
 気に入ったかどうかは別として、刹那ほんの僅かであったけれども、シンジの双眸に羨望に似た色が浮かんだような気がして二人は顔をそっと見合わせた。
 
 
 
「せいら、どう思う?」
 分からないわ、とせいらは首を振った。
「それに私よりもよほどお側にいた時間が長くて、その上自信のある娘はどうしたのかしら」
「何が言いたいの」
「何かしら」
 ふっと睨み合った二人だが、それを破ったのは近づいてくる足音であった。
 聞き慣れたそれに二人が振り返ると、アスカが何かを担いでやって来る所であった。
「アスカ、それは?」
「デブ人間」
 しかし、その割に肩にいる少女はせいらと変わらぬような体格であり、どうみてもデブの単語は似合わない。
「せいらみたいな体型なんだけど、無茶苦茶重いのよこの娘…くっ」
 アスカもレイには及ばないが、その膂力も尋常ではなく、普通の人間とは比較にならない。
 そのアスカがいかにも重たげにしているのを見て、せいらが近づいた。
「アスカ、私にかしてみて…あうっ」
 ぐらりとよろめいたせいらに、慌ててアスカが取り上げた。
「無理よ、人魚のあんたじゃ。元々あたし達とは造りが違うんだから」
「それでアスカ、なぜその子を?」
「それがね」
 アスカの言う所によると、どう見てもひ弱そうに見えるこの娘が、一人を囲んでボコボコにしていた不良女達のグループに割って入ったのだという。
 しかも逆さに振っても顔見知りに見えぬ彼女は、あっという間に返り討ちにあった。
「え?」
 そんな筈は、とレイが皮膚に触れると確かに柔らかい。となると、重いのは持ち上げた時だけのようだ。
 それにしても、とレイは首を傾げた。
 事情は分かったが、だからと言ってアスカが割って入るとは思えなかったのだ。
 姉の発想が伝わったのか、
「なんかね…身体に植え付けられてるような気がしたのよ」
「植え付けって…プログラム化?」
 うんと頷いて、
「だけど警備用のロボットにしては、どう考えても弱すぎるわ。こんなのじゃ話にならないもの」
 確かに暴行現場に出くわしても、一緒になってフクロにされては何の意味もないだろう。
「それに…」
「それに?」
 訊ねたせいらに首を振り、
「ううん、多分あたしの気のせいだから。それよりこの子、ちょっと連れてってくるね」
「赤木さんの所?」
「う、うん」
 先だっての一件以来、この二人はリツコと冷戦状態に近い。
 だからアスカも一人で行く気だったのだが、やはりレイの口調はすっと下がった。
「アスカ、おかしな改造されないように気を付けるのよ」
 と、これはせいら。
(やっぱりー!)
 巨大冷凍庫に入ったような感覚に囚われながら、アスカは早々にその場を後にした。
 そのアスカを見送って、
「おかしなモノを作る人間もいるのね」
「だといいけれど」
「どういう事」
「肢体が、私達と一緒だったのよ。おそらくあれは誰かが造りだした物−それも、何かに似せてね」
 さっきの事など忘れたように、今度のせいらはまともな答えを返した。
 しかしレイもそれには触れず、
「形見と言う事」
 突っ込み合えないのは、やはり紙一重の危うさをお互いに感じているためかも知れない。
 そう、針の先ほどのそれを。
 
 
 
 
 
「珍しいわね、シンジ君」
 そっとグラスを傾けたシンジの後ろで陽気な声がした。
「店の経営はどうしたの?」
「あン、いいのよあんなのは。優秀な歌姫一人で大黒字よ」
 鼻に掛かったような声で言うと、
「女の子侍らせてないなんて珍しいじゃない。あの二人はどうしたの?」
「僕を何だと思ってる。しまいには海に沈めるぞ」
「あら怖い。悪酔いしちゃった?」
 一人陽気なミサトの顔を、シンジはまじまじと眺めた。
「脳の配線が一本飛んだのかい」
「私じゃないわよ」
 ふっと真顔になったミサトだったが、シンジはあっさり視線を逸らしてグラスを眺めた。
「私の知り合いがね、娘がいなくなったって言うのよ。なんか娘離れ出来ない母親なんだけどね、捜してって言うからこっち来たの。さ、シンジ君一緒に飲みましょ」
「…捜すのはどうしたの」
「ああ、あれ?いいのよ別に。娘の事になるとネジ一本イッちゃうような親父なんだから。ああ言うのを子離れ不可能症候群って言うのね」
「そんな病気が?」
「精神研究の第一人者、ミサト・カツラーギが言うんだから間違いないわ。さ、シンジ君飲むわよ」
 確かにせいらが入ってから、店の売り上げは十倍以上になったと聞いている。ミサトが浮かれたくなるのも無理はないが、駄目だこりゃとシンジは溜息をついた。
 と、同時にレイ達がいなくて良かったと、ほっと安堵した。
 いたら間違いなく、強制的に飲まされてダウンするのは間違いないからだ。
 人魚と吸血鬼と言えども、このミサトの前では単なる小娘に成り下がるのだ。
 安堵と溜息の両方をこなした後、どうやって酔い潰すかシンジの脳はフル回転を始めた。
 
 
 
 
 
「お、重…ふぐっ」
 べしゃ。
 リツコの家の前まで来たものの、とうとうアスカは背中の荷物に押しつぶされた。
 カエルみたいに潰れたそこへ、
「潰れるなら死体置き場で圧死してちょぅだい、迷惑よ」
 いつも通り冷ややかなリツコの声がした。
「だ、だってこれすんごく重くて…」
 よいしょと這いだして汗を拭ったアスカに、
「吸血鬼の発汗なんて珍しいわね。今度メカニズムも研究させてちょうだい」
「そ、それは…」
「冗談よ。それより私の研究材料を運んできたんでしょう。さ、中に運んで」
「は、はい…」
 リツコの目が怪しく光ったのを見て、これは連れてくる場所を間違えたかなと早くもアスカは後悔し始めていたが、リツコの生き生きした台詞には逆らえず、またよっこらしょとスレンダーかつ重量感溢れる娘を担ぎ上げた。
 
 
 
 
 
(続)

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