女同士(後)
 
 
 
 
 
 危険な物を手に入れた翌朝、せいらは庭にある池の畔にいた。
 幾らするのか、見当も付かない錦鯉がうぞうぞと泳いでいるそれを、澄んだ黒瞳がじっと見ている。
 鯉の鑑賞には見えないが、すくなくとも懐に強力な劇薬を含んでいる風情はない。
 そう、自らの思いを遂げるためのそれを。
 斑の鯉が一匹、ふっと足元まで泳いできた。
 悠々と泳ぐその後を、せいらの視線が追う。
 それがくるりと向きを変えた時、せいらの手が懐中に入った。 
 
 
 
 
 
「ふわーあ、よく寝…!?」
 伸びをしたシンジだが、欠伸しかけてふと気付いた−足元にある物体に。
 しかもそれが、妙に柔らかい物体であることに。
(ん…あ!)
 この場合のこれは、そこにある物体に気付いての物ではない。
 鑑識課の優秀な刑事が、全裸で転がっていても不死人にはどうと言うことはない。
 が、足を伸ばした時にそれが柔らかい物体に当たったのだ。
 つまり、胸を蹴飛ばしたのである。
(あぢゃー)
 確かケーキをつまみにワインを次々リツコが空けていき、胸焼けを何とか抑えていたと、そこまでは覚えている。
 確かマロンのモンブランをワインに放り込み、さあ飲めと来たから本能でダウンしたのだ。
 自己防衛本能と言える。
 しかし、その後の記憶がない。
「一体何が」
 と呟くまで0,3秒。
 すぐに結論は出た。
「三十六計逃げるに如か…しか…」
 にゅう。
 抜け出そうとしたが、伸びてきた手に足首をがっしりと掴まれた。
「嫁入り前なのにおっぱい触られたわ。間違いなくあなたの脚−責任はどうとってくれるの?」
 文字通り甘ったるい吐息には、ワインの香りが嫌になるほど含まれている。
 シンジが顔をしかめた途端、ふっと力が緩んだ。
「どしたの?」
「気持ち悪い…うぷ」
「あー!!」
 
 
 
 
 
「シンジいる〜…あ」
 こっちは夜の内にちゃんと家に帰ったアスカ。
 朝になってからもう一度来たのだが、玄関を開けてすぐに立ちすくんだ。
「シ、シンジってそんな…」
 アスカの前には蓑虫が、いや吊されたリツコの姿があったのだ。
 それも縄でぐるぐる巻きにされており、しかも下着姿である。
 パンティーは穿いているがブラはない。
 交差した縄が乳房に食い込むように巻き付いており、赤くなった乳房が異様な迄の色香を醸し出している。
 が、吊されている方にそんな意識はなく、
「お、お願いもう許して…」
「駄目。あ、アスカどうしたの?」
「ど、どうってそれはこっちの台詞よ。なんでリツコさん吊されて…」
「僕に家政夫をさせた罰だ」
「はあ?」
「僕が掃除をする羽目になった」
「は、反省してるから…お願い降ろして」
「ふん」
 そっぽを向いて、
「アスカ、今日は曇ってるから宅配してこい」
(?)
 シンジがこい、などと言うのは極めて希である。
 と言うよりアスカは聞いた例が無い。
 だが口には出さず、
「…どこへ?」
「警察署の前。わいせつ物陳列罪で百年くらいぶち込んでもらおう」
 一体全体、何をぷりぷりしてるのかと首を捻ったが、その嗅覚が僅かだが臭いを捉えた。
(シンジが怒る訳ね)
 理由は納得したが、自分が宅配係にされてはたまらない。
 どうやってシンジを宥めた物かと、やや自己的な理由でアスカの脳はフル回転を始めた。
 
 
 
 
 
「晴れ、あまり出たくはないんでしょう」
「そうね」
 レイが外の景色を見ながら短く言った。
 空は太陽が顔を覗かせており、観光にはなかなかの日和なのだが、いかんせんここにいるのは吸血鬼であり、太陽とは相容れぬ存在である。
 とは言え、レイクラスになるとさして影響はないのだが、それでも全く皆無という訳には行かない。
 本来なら真っ直ぐ帰ればいいのだが、一般の時間を避けて、帰途のバスは真夜中だ。
 元々観光目的でもないし、出られないとなると暇である。
 天候次第で左右される旅程は、考えてなかったらしい。
 宮の願対象で、二人ともぱっと乗ってしまったのだ。
 これをシンジの想われ深さと見るか、二人の性格と判断するかは微妙な所であろう。
「どうしたの、レイ?」
 ふとせいらが、窓の外をじっと見ているレイに気が付いた。
 少なくとも、外の景色を楽しんでいるようには見えない。
 が、返事がない。
「レイ」
 重ねて呼ぶと、顔だけこちらに向けた。
「昨晩、何を手に入れたの」
 不意に紡がれた言葉は、感情の色を塗られていなかった。
「……」
 一瞬躊躇ったものの、
「やっぱり、知られていたのね」
 と、さして気にした様子もない。
「怒らないの?」
 訊ねた口調には、どこか冷ややかな物がある。
 そしてそれは、
「私も――私も同じ事をしていたわ」
 レイのこの言葉を、どこか予想していたのかもしれない。
「それなら丁度いいわ。決着、付ける時ね」
 室内に、突如危険な気が漂った。
 やっとレイが振り向いた時、せいらはすっと立ち上がった。
 冷蔵庫へ行き、中からブランデーの小瓶を出してくる。
 それをグラス二つに注ぐと、ポケットから二つのカプセルを取りだした。
「この中に入っているのは劇薬。ただしもう片方は解毒剤だから、飲んでも何ともないわ。陽光の中で闘えば私の方が有利。だからハンデを上げるわ。あなたが毒を飲めば私の勝ち、私が飲めばあなたが勝てる。数分で効いてくるから、手っ取り早く決着が付くわ」
 せいらがレイから視線を外さずに言った。
「いい案ね」
 応じたレイも、せいらから視線は外さない。
 美少女が二人、互いを射抜くような視線を絡ませ合ったまま、数秒が流れた。
 先にレイが破った。
「私はこちら」
 レイが選んだのは、せいらの左手にあるカプセルであった。
「では私はこっちね」
 せいらが右手にあるカプセルを口に入れる。
 見た目のそれはまったく区別が付かず、せいらの言うとおりだとしたら、少なくとも片方におかしな細工は出来ない。
 そう、レイがどっちを選ぶか分かってでもいない限り。
 二人の喉が同時に動き、カプセルを嚥下した。
「今はまだ曇り」
 せいらが空を見て言った。
「とは言え、中庭に出るわけには行かないわ。屋上へ行きましょう」
 敵意も憎悪もなく、ただそこにあるのは闘いの気のみ。
 二人が音もなく部屋を出た後、小さな音と共にドアが閉められた。
 
 
 
 
 
「あの〜、荷物を届けに来たんで…あなたは?」
 やはり全裸は止めて、取りあえず職場まで“同伴出勤”と相成ったシンジとリツコだが、署へやって来たシンジを出迎えたのは、花と眼帯であった。
(趣味わる…)
 言いかけて止めたが眼帯はともかく、花をこれでもかと言わんばかりに散らしたコートは、シンジの言葉も尤もと言えよう。
「屍だ」
「屍さん?」
 ちょっと眉を寄せた刹那、その眉間にぴたりと銃口がポイントされた。
 しまい場所にも困りそうな超大型のリボルバーにも、シンジの表情は動かない。
「しかばね、その単語を口にして五体満足だった奴はいない。お前さんもそうなって見るか?」
 むしろ、にこりと笑って屍と名乗った隻眼の刑事は訊いた。
「ふ」
 シンジが小さく呟いた。
「あ?」
「五体満足になれない、そんな単語を気安く口にしなさんな」
「何だと」
「無論、生を望む物もいるけれど、死を夢見て叶わぬ者もいる。死だのなんだのと口にするのは、死ねる人の特権だけど僕は好きじゃない」
「……」
 限界までセーフティに手を掛けながら、それ以上その指は動かなかった。
 鑑識課、有能、この二つの単語を検索して引っ掛かるのが、今少年の肩にいる女−赤木リツコだとは知っている。
 無論、この署の全データは赴任までに頭に叩き込んできた。
 指が止まったのは、肩の“同僚”を気にしたからではなかった。
「初めまして」
 冬の闇にも似た声が、後方からしたからだ。
 それも、凄まじい殺気を帯びた声が。
「何だお前は」
「凍夜町、綾波レイの妹アスカ。その手を今すぐ退けなさい」
 その双眸が爛々と光を放っているのが、見なくても分かった。
「吸血鬼、少年…」
 屍が呟き、思い出したように言った。
「そうかお前が碇シン…!?」
 が、最後まで続ける事は出来なかった。
 一瞬シンジがぐらりとよろめき、そこに叛意の感じられなかった屍が、さすがに刹那気を取られるのと、手首を取られるのとが同時であった。
 内側に捻って完全に極められるのは防いだものの、後コンマ二秒遅かったら、間違いなく関節は外されていた。
 辛うじて抜け出した代償は、相棒の喪失であった。
「そう言えば柄の悪いのが来るって、聞いたのを忘れていたわ」
 シンジの肩にいた時、妙にくっついているように見えたが、それとは打って変わって妖気を帯びて、リツコがすっくと立っていた。
 そこには、シンジ宅で吊されて全身を赤く染めた痴情は微塵もない。
「吸血鬼と不死人−特に後者は、絶対に手を出してはいけないと、要項で見なかったのかしら」
 どこかしら嘲るような口調だが、リツコはあっさりと拳銃を返した。
「どんな名銃も、それが効く相手にこそ意味はあるわ」
 効く相手−この場に於いて、これほど相応しい単語は無かったろう。
 像をも倒す銃とて、吸血鬼と不死人になんの意味があると言うのか。
「分かったよ」
 目の前の光景が、少なくとも現時点で理解範疇外と知り、隻眼の刑事はあっさりと降参する事にした。
 勝つとか負けるとか言う以前に、倒し方が分からない相手では、手の出しようがないのだから。
 軽く肩をすくめて、
「屍刑四郎だ。今度、霊能班に配属された。よろしくな」
「赤木リツコよ、よろしく」
 差し出された手を軽く握り返して、
「最近は古代武術も習っているそうね。アスカ、あなた辺りじゃあっさりとばらされちゃうかもしれないわよ」
 物騒な事を言いだしたが、珍しくきつめにルージュを塗った唇から出ると、さして不思議でも無くなってくる。
 無論、アスカとシンジがぐりぐりと塗ったものだ。
 が、その表情が強ばった。
 自分の失言を知ったように。
 シンジがその顔を眺めていたのだ。
「ばらす−僕の前でなの?」
 訊いた声には、抑揚も感情もない。
「じょ、冗談よじょうだ…」
 言いかけた声は途中で硬直した。
 文字通り、抜く手を見せずに引き抜かれた白刃が、リツコの肩を壁に縫いつけていたのだ。
 ナイフではない。
 むしろ長剣かサーベルみたいなそれだが、普段何処にしまっているのかは、不死の秘密と同じ位に謎とされている。
「その銃、僕とアスカ以外になら効きそうだな」
 抑揚のない声で言うと、
「さ、アスカ帰るよ」
 声を掛けてさっさと歩き出す。
「う、うん」
 慌ててアスカが追ったが、
「ちょっと待ちな」
 歩みは止まったが振り向かない。
「何か」
 依然として抑揚の無い声に、
「取りあえず俺の最初の仕事は、人形使いの姉妹でな。今度は出雲方面に出るって話だが、心当たりないかい」
 シンジはそれには直接答えず、
「無能だから左遷された訳ではなさそうだけど、そっちの専門とも思えない。どうして霊能班に?」
 と逆に訊いた。
「武者修行だ」
 屍が初めてにやっと笑った。
「心当たりがある。運転手なら付いてきてもいいよ」
 とんでもない事を言いだしたが、
「隻眼で良ければな」
 これも飄々と応じた。
「じゃ、車回して僕の家に寄っといてね」
「おいおい、この刑事さんはどうするんだ」
 ショックで蒼白になったリツコを見やると、
「吊しておけば、今日の晩には白骨になってる。脂肪ばかりで美味しくなさそうだけどね」
 ふん、とすたすた歩き出す。
「おいおい」
 豪放無双な刑事も苦笑して、
「あんた、いい知り合い持ってるんだな」
「い、言わないで…」
 気の強さと能力は署内無類と聞いていたが、と白刃を外そうとした途端、電流にも似たようなショックが走り、
「うおっ!?」
 思わず叫んだ。
 
 
 
 
 
「すぐに終わらせてあげる」
「お相手するわ」
 屋上で二人は対峙した。
 彼我の距離はおよそ十メートル。
 静かな気だけが二人を繋ぐ。
 先にせいらが動いた。
 たっと地を蹴り、数メートルまで一気に跳ぶのと同時に、軽く頭に手を当てる。
 来る、と分かっていて待つ気はレイにはない。
 左か右か。
 右だ、そう本能が告げた瞬間、レイは左に身体を横転させていた。
 秒と置かず、黒髪が刃と化してレイのいた場所を襲った。
 転がったままの姿勢から、レイの右手が反撃に転じ、宙にいたせいらを短い刃が襲った。
 せいらのそれより短いが、破壊力は抜群の物を秘めている。
 無論読んでいたせいらは身を捻ってかわし、地上に音もなく着地した。
「『……』」
 数本頭髪を引き抜き、すっと指でなぞるとそのまま刀へと姿を変えた。
 単発のそれとは違い、太刀並の太さへと量感と質量を増す。
「器用なものね」
 レイの口許が僅かに歪み、
「では、次は私」
 数個取りだした小さな刃は、これもレイの手の上で長剣と化す。
 数メートルの距離を取って、剣を青眼に構えた二人が対峙する。
 ほぼ同時に地を蹴った。
 キーン、と刃がぶつかり合い、金属が火花を散らした−ほとんど、顔が触れ合いそうな距離で鍔迫り合いを繰り広げる二人と同じように。
「『…くっ』」
 腕力も力量も互角、ぎりぎりと押し合う二人の位置は、押されれば押し返し、ほとんど動かない。
 共に、刃の先が触れたせいで、額が僅かに裂けている。
 それを気にもせず、無言のまま死力を尽くして斬り結ぶ二人。
 だが、均衡はあっさりと崩れた。
 レイが一瞬手を離したのだ。
 鍔迫り合いで、手を離すなどと以ての外だが、体勢故に二人とも刹那バランスを崩した。
 その瞬間に、レイが左手を拳にしてせいらの下腹に打ちこんだのだ。
 柔らかい感触がして、がくっとせいらが前にのめる。
「もう一撃」
 無論この台詞は、薬の効き目を見通してのものだ。
 体術など知らないが、えいっと繰り出した蹴りの一撃が、せいらの胸元に決まった。
 今度はもっと柔らかな感触と共に、せいらがばったりと前に倒れ込む。
 倒れ込んだそれを見ながら、
「せめて、あっさりと送ってあげるわ」
 白刃をゆっくりと振り上げる。
 一気に振り下ろそうとした途端、その身体がぐらりとよろめいた。
「わ、私に…」
 愕然と呟いた二秒後、そのせいらを追うように倒れ込む。
「……とても痛かったわ」
 せいらが起きあがったのは、十秒後である。
「おっぱいの感度が悪くなったらどうしてくれるのかしら」
 二、三度胸を揉んでから、
「…シンジ様に治して頂いた方が良さそうね」
 頬を染めてうっすらと笑った。
「さて、これで形勢逆転ね」
 ひょいとレイを引っ張り上げ、
「さてどうしてくれ…」
 言葉は最後まで続かなかった。
 足元から、急速に力が抜けていったのである。
 これもぐったりと、レイに重なるように倒れ込んでいく。
「おや相打ち?これはこれで助かるわね」
 二人が重なって倒れた数分後、不意に姿を見せた影がある。
 邪悪に笑ったそいつが、二人を抱えて連れ出すのに数十秒と要さなかった。
 
 
 
 
 
「で、どう言うことだ」
「そ、それが…」
 二人のいたホテルへ三人が着いた時、既にホテルの部屋はもぬけの殻であった。
 しかも、室内には荷物が置きっぱなしである。
 屍がフロントをとっちめても、分からないの一点張りだが、ある意味仕方がないかもしれない。
 ここへ来る道中、完全にスモークを施された車内で、アスカはすやすやと寝息を立てていた−シンジの膝で。
 レイが見たら吊されるに違いない。
「よく分からんな」
「なにが?」
 膝のアスカの髪をいじりながら、ぼんやりと外を見ていたシンジが訊いた。
「さっきの台詞を聞けば死を望んでいるようにも見えるが、今のあんたにはそんな気は感じられないのさ」
「望んでるわけじゃないよ」
 シンジは外を見たまま言った。
「ただ、死ぬのがどんな物か知りたい、と言うのはあるかもしれない」
 とんでもない事を言いだした不死人の少年に、隻眼の刑事はちらりと視線を向けた。
「自分が体験できない事って知りたくない?」
 シンジの問いに一瞬考えてから、
「面白い事を言う。だがその通りだな」
 軽く頷いた。
 
 
「多分誰かに連れ出されたのよ」
 アスカが悲壮な顔で言った。
「でも誰に?」
 二人の実力を考えれば、シンジの言葉は当然と言える。
「吸血鬼の当主と人魚はそんなに強いのか?」
 横から訊いた屍に、
「あの二人を足すと、機動隊の二つや三つ、あっさり全滅」
「あっさりか」
「あっさり」
 断言してから、
「どっちにしても、町中で殺せる二人じゃない。すぐに非常線の手配」
 言いかけて止めた。
「じゃなくて、この辺に植物公園は」
「植物公園?どうして?」
「僕の勘。すいません、勘はいい方ですか?」
「おれの?」
 ええと頷いて、
「どっちか選んで欲しいんです」
 差し出された地図には、二つの植物公園が示されていた。
 
 
 
 
 
 腹に食い込む痛みで、レイは目が覚めた。
「お目覚めかしら」
「っ!」
 目覚めてすぐ、後ろ手に縛られているのを知った。
「何の真似」
「別に」
 少女は軽く首を振って、
「致死量を渡したのに、何故かまだ生きてるんだもの。取りあえず、縛って置いたのよ」
 こともなげに笑ったが、その顔がすぐに強ばる。
「く、苦しいの…」
 背後から聞こえたか細い声に気が付いたのだ。
「分かってるわ、姉さん。少し、もう少しだけ待っていて」
 すっと懐中から取りだしたのは、刃でも銃でもなく十字架であった。
 普通なら笑止の、だが吸血鬼にはあまりにも効果的なそれを手にして、
「本当ならとっくに死んでいる所だけど、どうしてか生きてるから、私が始末してあげる。もっとも、すぐに増えるから寂しくはないわ」
「ふ、増える…?」
「あんたの恋敵の、元人魚の化け物よ。すぐに送ってあげるから、あの世で、男の取り合いでもするとい…!?」
 ふと振り向いた顔が、愕然と大きく目を見開いた。
「い、いないっ!?」
 確かに転がして置いた筈なのに、そこにはせいらの姿が無かったのだ。
「ど、どこ…ぐああっ」
 次の瞬間に、肩口を大きく抉られて前につんのめる。
「多分右だと思っていたのよ」
 声は上から振ってきた。
「せ、せいら…」
「レイが右のカプセルを取ると思っていたから、そっちに少し毒の量を増やしたの。私より遅かったのはそのせいね」
 分析して見せたせいらに、レイが唖然とした表情になる。
「じゃ、じゃあ最初から…」
「女の決闘は、身体じゃなくて躰でするものでしょ?」
 妖艶に笑って見せたまま、その右手が一閃した時、肩を抉られた娘の首が飛んだ。
 みるみる枯れ木と化していくのを、レイは半ば呆然となって見つめた。
 返す手で、もはや断末魔の“姉”を片づけ、
「どのみち、もう長くはなかったのよ。レイの血でも、保つかなんて怪しいものだったわ」
 着地すると、レイの縄をぶつっと断ち切った。
「だ、だけどせいら…」
「何?」
「さ、さっき本気だったじゃ…」
「本気でやり合って見せないと、これが納得しないでしょう」
「じゃ、じゃあもし私が勝った…」
 言いかけてから、自分が負のカプセルを飲んだと思い出した。
 どのみちせいらの策通りだと、かーっとなりかけたのを抑えて、
「い、碇君とは今のところ私がリードよ。わ、忘れない事ね」
 取りあえず強がってみたが、せいらは反応もせず、
「だから余計に、なのよ」
「え?」
「あなたが死んでしまったら、私は絶対に勝てないもの。それよりは、私がシンジ様と結ばれる所をその目に見せてあげる方がいいわ」
「くっ」
 バチバチと火花が散ったところへ、車の急ブレーキの音が鳴り響いた。
 
 
 
 
 
 結局せいらが、どうして気が変わったような行動を取ったのかは、よく分からなかった。
 言葉通りに取れば、死なれては不戦勝にされる、と言う事になるのだが。
 取りあえず事件(ヤマ)は終わった屍だが、毒素でおかしくなった植物園の始末に引っ張り出されて、大迷惑しているようだ。
 もっとも本人曰く、
「ここの植物を全部コレクションにしてやる」
 と、花を飾った自分の上衣を、更に改造するチャンスにする気らしいが。
 本人が言わないから、それ以上訊くことは出来なかったが、アスカはどうしても腑に落ちなかった。
 だが、それにヒントを与えるような事が、一週間後に起きた。
 一通の手紙、それはレイ達が泊まったホテルからの物だったが、そこには鯉の請求書が入っていたのである。
「鯉が薬品で死亡し、お客様の部屋にあった物と同じと思われ…」
 賠償すれば、取りあえず警察沙汰にはしないと書いてある。
 やはり、体面が気になるらしい。
「まったくもうこんな物ついでに…?」
 ぶつぶつ言いかけたが、ふと言葉が途中で止まった。
 死因となった薬が、落ちたのではなく落とされたのだとしたら?
 そしてその効用を見て気が変わったのだとしたら?
 怖ろしい事が脳裏に浮かんだが、すぐにアスカは首を振った。
 黙っていよう、そう決めたのだ。
 せいらの一方的ならともかく、レイもまた剣を作ってやり合ったのだから。
 何よりも、女の戦いなど巻き込まれる物ではないと、既に知りきっているアスカなのだから。
 
 
 
 
 
(了)

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