女同士(前編)
 
 
 
 
 
 夜が来て、朝が来る。
 いや、朝が来て夜が来るのかも知れない。
 変わることなく繰り返されるサイクルは、幾つもの景色をその中に生み出す。
 ごくありふれたものから、決してあってはならないこと、或いは滅多に見られないものまで、それこそ多種多様である。
 ここ凍夜町に於いても、それは例外ではなかった。
 例えば、駅の裏にある深夜喫茶。
 向か合っている二人がいずれも女である事、それ自体はさして珍しくはないかも知れない。
 だがそれが、ついこの間まで互いを恋敵として認識し、激しく敵対心をぶつけ合っていた事を考えれば、そして二人に敵対心が見られない事を知れば、事情を知る者は驚くかも知れない。
 
 
 
 
 
 シンジ宅で、揃って痴態を晒した事が原因なのか、レイとせいらの距離は急速に改善されつつあった。
 女同士の場合は、そこが男とは異なる部分なのかも知れない。
 そう、どんな事でも話せる女の関係のそれとは。
 無論共通の想い人はシンジだから、そこはお互いに譲れないものがあるが、如何せんその想い人がなかなか思い通りにならない。
 出自が尋常でないのは、夜の一族を束ねるレイも、しばらく前まで海底族の女王の妹だったせいらも、ほぼ遜色はない。
 当然ながら、彼らに取っておよそ、思い通りにならない事は無かったのだ。
 だが、これだけは駄目なのだ。
 迫ってみたい、と思ったことはあるし、実際罠に掛かったとは言え、二人してシンジを襲った事もある。
 が、簡単に返り討ちにされた。
 と言うよりも、処女のままなのにもかかわらず、散々いかされたと言った方が正解だろう。
 その折に、二人は後ろの処女を喪う事になったのだ。
 それも、シンジの性器ではなく。
 とまれ、それを機に敵対し合っていた二人の仲が改善されたのは事実である、何よりもシンジにされたと言う事で、二人とも気にした様子は見られない。
 せいらから、レイの屋敷に電話があったのは夕方だったが、時間指定も深夜だったのは、彼らに相応しいかも知れない。
 他に客のいない、貸し切り状態となった深夜喫茶で二人は向かい合った。
「あなたが呼び出すなんて珍しいわね、せいら」
「たまには、夜の一族の当主も呼び出されないとね。いつも、シンジ様を呼びだしているんでしょう?」
 だが、
「……」
 微妙な表情は、招待の断りを意味しているのかも知れない。
「え?温泉旅行?」
「葛城さんに貰ったの。良かったら、一緒に行かない?」
「私に?」
「そう、綾波レイよ。それとも、私とでは嫌?」
 いやとか言う以前に、つい先日までのせいらからは考えられない。
 何よりも、基本的にレイには他人との付き合いが殆どない。
 妹のアスカは別として、あるとしたらシンジ位のものであり、戸惑った表情も無理はないかも知れない。
 だから、
「碇君は…誘わなかったの?」
 訊ねた時、我ながら間の抜けた事を聞いたと一瞬後悔した。
 しかし、せいらは気を悪くした様子もなく、
「多分、来て下さるから」
「…え?」
 ぴくりとレイの眉が上がりかけたが寸前で押さえたのは、ライバルの嫌がらせではないと知ったからだ。
「温泉と言えば入浴、あるいは混浴。入ってと言えば一緒に入って下さるし、一緒の布団も可能かも知れない。でもシンジ様に取って、今の私とのそれは日常生活の中のそれと同義だから」
 確かにせいらの言うとおりであった。
 シンジは優しいし、他の女に色目を使う訳でもない。
 ただし、それが自分だからかと言うと、ややレイは不安なのだ。
 短い付き合いではないが、そこの部分はレイにも分からない。
 だが、それが簡単に分かったとしたら、レイがシンジを好きになってはいなかったかも知れない。
 不死人の底知れぬ部分、そこにレイが惹かれた事もまた、確かなのだ。
「レイは、日の光もある程度は大丈夫でしょう?明日から一週間、ほぼ曇りだと聞いてあるわ」
「目的地が?」
「出雲よ。お参り、に効能があると聞いたわ」
「?」
 お参りだの効能だの、少なくともレイには無縁の単語だったのだが、
「出雲大社は恋愛を成就させる所として有名なのよ」
 恋愛成就、の単語にレイの表情が動く。
「神、と言うのがどんな存在かは知らないけれど、恋愛祈願で押し掛ける人間は、相当多いそうよ。二人で現地に行くなら条件は五分五分−女同士、これで決着を付けるのはどうかしら」
 単なる旅行の誘いならともかく、シンジとの仲の願掛けとあっては、レイと言えども黙って見てはいられない。
 しかもせいらは、これで決着を付けようと言うのだ。
 恋敵に挑まれて、引き下がれるレイではない。
 まして対象はシンジである、
「いいわ、それで何時行くの」
 秒と経たずに決定したレイに、せいらは唇の端で笑った。
  
  
                
 
 
「あ、あのシンジ…や、やりにくいんだけど…」
「却下」
 普段は暖かいそれも、こんな時は逆に気になってしようがない。
 そう、シンジだ。
 本を読んでいるアスカを、さっきから黙って眺めているのだ。
 見つめる、とか見守っている、とかではなく、単に眺めているだけ。
 何をしているのかと聞いたら、
「人間ウォッチング。ただし、題材がいないからアスカにモデルをしてもらう」
 と来た。
 題材がいない、とは無論レイの事である。
 何があったかは不明、と言うより奇妙な事態だが、せいらがレイと旅行に出かけたのだ。
 出雲、と言う地名に首を捻り、本を引っ張り出して神有月と言う単語に当たった。
「十月は神無月、じゃないの?」
 シンジに訊くと、
「普通は。ただし、出雲にだけは神が全部集結する。せいらとレイも、神様の一人にサインでも貰いに行ったんだろう」
 どことなく、口調が憮然としたものに感じられたのは、もしかしたらシンジが、二人の目的を知っているのではないかと、何となくアスカはそんな気がした。
 だがそんな事よりも、アスカに取って目下の大事は、このシンジの視線をなんとかする事だ。
 普通に見つめられると、妙にどぎまぎしたりするが、こんな視線は要らない。
 何よりも、それが純粋な関心ではないと分かっているだけに、尚更である。
「あ、あ、あのさあシンジ」
「何」
「あ、あのっ、あたしコーヒー淹れてくるから…ひうっ!?」
 にゅう、とシンジの手が伸びてきた。
「な、な、何ぃ?」
「君は当主レイの妹、すなわち君には使用人がいる。当主の妹御に飲み物をセルフで用意させるほど、躾がなっていないのかな?」
「あ…あう…」
(お、お姉ちゃん助けて…じゃなくて早く帰って来てー!)
 
 
 
 
 
「昼間なのに、随分と空いているのね」
「今日の予報は雨だからよ。もっとも、人間達に好んで混ざりたい訳ではないでしょう−レイも、そして私も」
「そうね」
 ミサトがせいらに渡したのは、一流ホテルの宿泊券であった。
 美貌の歌姫のおかげで、店の人気が急上昇した礼である。
 普段は結構吝嗇な経営者だが、一応従業員の福利厚生は考えているらしい。
 もっとも、普通に考えれば二人一組のそれで、せいらが誘うのはほぼ間違いなくシンジである。
 そしてそれをレイが黙って見ているか、と言う事を考えれば、純粋な好意だけとは考えにくい。
 もとより、火中に油を投じるのは、決して嫌いではない性格なのだ。
 しかし、せいらが誘ったのは奇妙とも言えるがレイであり、これまた珍奇な事にレイも応じた。
 無論、恋の鞘当てがそこには絡んでいるのだが。
 命題は恋の決着−ただし、見たこともない神頼みと言う、甚だ妙な事態ではあったものの、女二人ここまでやって来た。
 屋敷の者達も特に反対はしなかったが、ただ一点通常の交通機関を使う事だけは、頑として反対した。
 人間にその意志が無くとも、知らずにどんな危険な物を持っているか分からない。
 専用バス、或いは専用機なら構わないが、それ以外では行かせられないと、そこだけは譲らない。
 と言っても、専用機を使うにはスペースが足りず、結局小型のバスを手配して、二人だけでここまで揺られて来たのだ。
 せいらとレイはいずれも美貌の少女二人、仲が悪そうでもないが、さりとて会話がある訳でもない−運転手は、さぞかしやりづらかったに違いない。
 もしガイドがいれば、間違いなく途中のサービスエリアで、首吊り自殺でも起こしていただろう。
「お賽銭を投げる、とあったわね」
「そうよ、縁を願うなら五円玉」
「そうだったわね」
 重複するがもう一度記述すると、確かに二人は五円玉で合意したのだ。
 と言うより、五円玉を入れる物だと確認し合った。
 ところが次の動作は、それとはあまりにもかけ離れた物であった。
 ハンドバックから、先に何かを取りだしたのはレイ。
 そう…分厚い札束を。
 見たことのある者がいれば、帯封のされたそれが百万円ちょうどだと、気が付いたかも知れない。
「…五円玉、じゃなかったのかしら」
「…あなたこそ、それは何」
 レイの視線の先にはせいらの手がある。
 これも、すっと札束を取りだしたせいらの手が。
 五円と言いながら、札束を持った二人の視線が交錯する。
 次の瞬間、二人は競うようにしてそれを投げ入れた。
「……」
 正装した、おそらくは神主でもあろうが、半ば唖然としてそれを見ていたのは、五円云々の会話が聞こえていたからに違いない。
 ぽいと投げ入れると、すぐさま紐に手を…伸ばさなかった。
 そこは飛ばして、手を合わせて目を閉じたのだが。省略したのか間違えたのかは分からない。
 が、賽銭の多さを考えると、恐らくは後者であろう。
 手を合わせ、一身に拝んでいるようなその姿は、親友同士のそれにも見える。
 だがそれが実際は、ある不死人の少年のことだけを、ひたすら祈念していると知ったら、多分仰天するに違いない。
 祈願、と呼べるのかどうかは不明だが、五分ほどの間、二人は微動だにしなかった。
 どちらも、シンジの事を思っていたのは間違いないが、同じ事を繰り返したのか、あれもこれも次々と祈ったのか。
 これも、金額からすれば結構な数を祈っても良さそうだが、ただこれが文字通りの賽銭と呼べるかは疑問がある。
 そしてそう思ったのは、どうやら神主だけではなかったらしい。
 二人が、期せずして同時に目を開けた途端、上から落下してくる物体が見えた。
 それも鳥の糞などではなく、よりによって巨大な鈴が落ちてきたのだ。
 先に気付いたせいらが、とっさにレイを突き飛ばす。
 レイはよろめきながらも鈴の落下からは逃れたが、せいらはそれが腕をかすめた。
 それでも、無理な体勢から身体をひねっており、それがなかったら直撃は間違いない所だ。
「つ、うっ」
 鈍い音はしなかったのと、長袖を着込んでいた事で、おそらく骨にまでは行ってないだろうが、せいらが腕を押さえて膝を付く。
 押さえた指の間から、鮮血が流れ出したのを見て、レイが駆け寄った。
 ただ、
「どうして…?」
 無事か、と言わずにそう訊いたのは、レイらしいと言えるかも知れない。
 せいらが一瞬苦笑したが、
「私が怪我したら、レイに背負って帰ってもらうからよ」
 冗談とも付かぬ口調に、
「私は嫌よ」
 レイがこれも真顔で応じた。
 神主が慌てて駆け寄ろうとしたが、その足が急停止する。
 彼の視界に、奇妙なものが映ったのだ。
 蒼髪の娘が、連れの娘の腕を取って服をまくり上げる。
 と、次の瞬間その娘は、そこに口づけしたのだ。
 連れの傷口にキスする女−二人とも美貌の持ち主なだけに、その光景は一種異様な妖美となって彼の脳裏に焼き付いた。
 だが神主がぎょっとしたのは、その二秒後の事である。
 蒼髪の娘が口づけした所は、異常な事に出血をぴたりと止めていたのだ。
「な、な…」
 呆然と立ちつくす神主に、レイが一瞥を向けた。
「本当なら死罪だけれど、碇君に怒られても困るから止めておくわ。さっさと片づけなさい」
 その口許を、よく見れば乱杭歯に気付いたかも知れない。
 しかしそんな余裕はなく、神主は慌てて小坊主達を呼んだ。
 それには一瞥もせずに、
「せいら、血は止まった?」
「さすがは本職ね、もう止まったわ」
 掛け値なしに褒めると、レイが唇を付けたそこを数度揉んだ。
 以前、シンジの血をレイと分け合って以来、せいらは自分の生命力が確実に上がっているのを感じ取っていた。
 レイが何をしたのかは不明だが、見るともう、傷口は完全にふさがっている。
「ありがとう、レイ。もう治ったわ」
「別に…当然の事をしたまでよ。私が原因で、怪我などされたくないもの」
 そう言いながらも、どこかレイの顔は赤い。
 ひょいと覗くとすっと避ける。
 気付いたせいらが覗き込み、それをレイが避けるという、どこか妖しい光景が展開したが、やっと落下騒ぎで人が集まってきた。
 それを知ったせいらが、
「レイ、ここにはいない方がいいわ。さ、行きましょう」
「そうね」
 レイもすっと立ち上がり、二人して素早く姿を消す。
 そのため、鈴が落下して参拝客を襲ったと聞いて、警官と救急車が到着した時には、落ちて壊れた鈴が残るのみであった。
 しかも、けが人はおろか血痕すらない。
 どう言うことだと、神主が一発かまされなかったのは、さすがに神職にある者へのそれは控えたらしい。
 とは言え、肩身の思い切り狭い思いをしたのは、言うまでもない。
 賽銭として放り込まれた札束二つ、それだけが奇妙な訪問者の参拝を示していたのだが、動揺したせいでそれにまで思いは至らなかった。
 
 
 
 
 
「やはり、温泉は気分がいいわね」
「そうね」
 取りあえずせいらが着替え、その辺を少し回ってから早めに宿に着いた。
 無論目的は風呂であり、贅沢にも個室にある露天風呂に、二人して浸かっている最中だ。
 女同士だから、どこも隠さずに入っているのだが、ふとせいらが自分の腕を見た。
 さっき鈴の一撃を受けたそこは、既に傷跡は微塵もない。
「ねえレイ」
「何?」
「さっき、私のここに何をしたの?」
「大した事はしていないわ」
 何故か言おうとしないレイに、
「患者は、主治医に治療の説明を聞く権利がある事、知ってる?」
「…少し、唾液を入れたのよ」
 聞くまで下がらないと見たか、レイが諦めたように言った。
「唾液って…レイの?」
「そうよ」
「つまり私は、唾液に救われたのね」
「だから聞かない方がいいと言ったのに。嫌なんでしょう」
「そんな事無いわ」
「え?」
「私の中にシンジ様の血があるから、レイのそれが反応するんでしょう?」
「その通りよ」
 頷いたレイだが、ふとその視線がせいらの胸に行った。
 たっぷりと、重量感のある胸。
 残念だが、これだけは自分でも敵いそうにない。
 レイの視線に気付いたせいらが、自分の胸を見てからある所へ視線を向けた。
 ほっそりとして、きゅうっと引き締まった腰。
 物憂げな感の漂う腰は、人の手で出来る物ではない。
 少なくとも、自分にはないものだ。
 お互いに、相手の胸と腰をちらちら見ているのは、やはり恋敵の事は気になるせいなのか。
 ふと、二人の視線が空中で会った。
 ほとんど同時に逸らしたが、先にせいらが口を開いた。
「身体の事であれこれするのは止めましょう−お互いに」
「そうね」
 レイがすぐに応じ、二人して昼間からかなり暗い空へと視線を向けた。
 湯に浸かりながら、同じ方向を眺める少女二人。
 一見のんびりして見えるが、二人とも気付いていない。
 さっきの治癒術が、実は他の者にも見られていたことを。
 そしてその者が、このホテルまで二人を付けて来たことなどは、無論知らない。
 何よりも、それがシンジの影響かは不明だが、妙な事を引き寄せる何かを、既に二人とも持ってしまっていることは、まったく気付いていないのだった。
 
 
 
 
 
(続)

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