援交鬼
 
 
 
 
 
「な、なるほど…う、嘘ではなかったな…」
 たっぷりと精を放出したばかりの、自分の性器を見ながら男が低い声で言った。
 だがその声は、満足げな物と言うよりどこか疲労しきった響きがある。
 原因は、白い裸身を大きく波打たせている目の前の少女にあった。
 その少女が、街中でいきなり腕を絡ませてきた時、男は最初警戒した。美人局かと思ったのである。どこから見ても清楚な女子高生、それもどこかの令嬢に見えるような少女が、
「援助してみる?」
 奇妙なことを囁いてきたのだ。
 今時こんなことをいきなり言い出すのはいない、下らんと振りほどこうとした腕が固まった。少女は胸を押し付けてもいない、単に腕が絡んでいるだけだ。それなのに少女が僅かに力を入れた瞬間、脳髄まで突き抜けるような刺激が伝わったのだ。
 それを辛うじて堪えたのは、今までの豊富な女経験のおかげかもしれない。40代前半にして次期社長は確実と言われ、甘いマスクと学生時代から欠かさぬ運動による引き締まった身体。自らの物を知っている彼にとって、女を選り取りみどりで食い散らかすのは造作もなかったのだ。
「こんな中年に用か?」 
 訊ねた声は擦れていた。
「女が男を選ぶのは年齢ではないわ…ね?」
 そう言って少女が何故か頬を染めた時、男は陥落したのかもしれない。
「で、幾らだ?」
 金額を持ち出した時、男は少しだけ我を取り戻した。金を払う以上、常に優位はこちらにあるのだから。
 だが少女はこう言った。
「私に満足できたなら、お望みの額を支払って」
 と。
 余裕ありげな表情に、それならば試してやろうと男は、ホテル街への入り口へ足を向けた。それでもホテルの入り口までは、付けてくる“相棒”がいないかと後ろを振り返っていたのだが、中に入るなり男の理性は溶けた。エレベーターの中で、いきなり壁に押し付けると唇(くち)を吸ったのだ。
 吸い返してくる舌を感じた時、完全に男から余裕は失われていた。
 シャワーはおろか、前戯も無しにいきなり挿れたのだ。
 そしてそれは、男にとって生まれて始めての経験となった。女を抱くときは、常に支配者であった自分が、年端も行かぬ小娘の身体に翻弄されるとは。
 しかも、腰を殆ど律動させぬ内に射精を強いられるとは。
 何よりも、果てた瞬間少女の中で、男のそれはすぐに勢いを取り戻したのである。
 一度も抜かぬまま三度も射精させられてから、ようやく男は開放された。
 唯一残ったかすかなプライドで、
「た、たいした物だったな…」
 と言うのを聞いた時、ゆっくりと少女が振り返った。
 股間からは、男から搾り取った液が滴っているのを隠そうともせず、少女は妖艶に笑った。
「満足できた?」
「あ、ああ」
 男の言葉を聞くと、少女の笑みは更に深くなった。
 そして。
「では今度は私が報酬を貰う番ね」
 血のように紅い咥内から、ゆっくりと長い牙がせり出してくるのを見た時、男は少女の正体を知った。
 
 
 
 
 
 深沈たる闇に閉ざされた屋敷内を、シンジは一人歩いていた。
 まるで冥府のように光は喪われ、永劫の深みのような闇が辺りを支配している。
 だがシンジは奇妙なことに、その手に明かりとなる物を何も持っていなかったのだ。
 にも関わらず、まるで灯りがあるかのように真っ直ぐ歩いていく。
 今下っている石段が、何段あるのかも数えていない。無論迎えを要求すれば、頼もしい案内人が来てくれる筈だ。ただシンジがそれを好まないだけである。
 中世ヨーロッパの古城には、こんな地下階段もあったのだろうか。
 無限とも思われるようなそこに、シンジの乾いた足音だけが冷たく響く。
 そしてどれだけの時が過ぎたのか、ようやくシンジは足を止めた。
 一枚の重たげな扉が、シンジの前に立ちふさがったのだ。青銅製でもあろうかと思われるそれは、上部の真中に人の顔をぶら下げている。
 美女の顔を模したそれは、この屋敷の者達すべてに取って絶対の意味を持っており、畏怖と崇拝の対象でもある。
 だがシンジは気にする様子もなく、その唇の部分を突いた。すると奇妙なことに、それはまるで生きた人間の物のように、ぷるんとたわんだのである。
「入るよ」
 返答を待たずシンジは、錆付いてそうなそれに手を掛けた。
 幾星霜を超えて、いや永劫に眠っていそうな青銅の扉は、シンジが触れた途端すっと開いたのだ。
 シンジが一歩中に入るのと、
「どうぞ」
 と返事があるのとが同時であった。
 普通の者がそこに入れば、まず首を傾げるだろう−室内には煌々と月光が差し込んでいたのだ。
 普通に考えれば、明らかに人工の光の筈だが、燦然と輝いて室内に灯りを与えているそれは、どうみても自然のそれにしか見えない。
「お茶飲んでたのに」
 シンジの視線は、部屋の中央にあるソファに向けられていた。正確には、そこに下着姿で横たわる美少女に。
「どぉ?似合う?」
 半ば透けたような、上下の分かれたキャミソールの下に、少女は何も着けていなかった。早い話がノーブラである。
 下はショーツ−殆ど面積を持たないが−を穿いているものの、透けて見える乳房と相まって、全裸よりも妖しく見える。
「ランジェリーショーに呼んだの?アスカ」
「だーって、折角届いたんだもん。最初に見て欲しかったのよ」
「なるほど」
「で…どう?」
 乳房をくいと持ち上げてみせる仕種は、どうみても自信たっぷりだが、口調にはどこか緊張がある。
 アスカは知っているのだ−目の前の憧れの少年が、美の基準を求めれば微に入り細に入り、冷たいほどの観察眼を持っていることを。
 だから少年がいいよ、と言った時には心から安堵した。
 不安げな表情が消えたアスカへ、
「評論家の役目?」
 とシンジは訊いた。
「へへん」
 アスカは小さく舌を出すと、叱られた子供のように笑って見せた。
 掛けてあったケープを羽織ると、すっと隣室に消えた。
 オーバーオールに着替えて、コーヒーを持って出てくるまで、その間一分と経っていなかった。
 驚きもしないシンジの前に、コーヒーを静かに置く。
「ねシンジ、援交って知ってる?」
「鉛鉱?鉱山のこと?」
「違うわよもう。遅れてるんだからあ」
 どこか鼻に掛かったような口調で言うと、シンジの前にスクラップの記事を置いた。
「噂の連続殺人だね。でもなんでこんなのに興味を?」
「だってこれ吸精じゃない。当然よ」
「吸精?」
「新聞読んでるんでしょ、まったく。ラブホテルで男女が片っ端から変死してるじゃない。しかも全員お金は取られてない上に、骸骨みたいにやせ衰えて死んでるのよ。どう見たって…」
「腹上死だと思うよ、単に」
 ぼん、と音がした。アスカの顔が真っ赤に染まったのである。
「なっ、何て事言うのよっ」
「事実の確認。お子様には早かった?」
 それを聞いてアスカの頬は、極限まで膨らんだ。すっかりご機嫌を損ねたらしい。
 と、その口がゆっくりと元に戻った。それと同時に目が据わる。
「私は子供じゃないわ」
 低い声で言うと、赤光を放つ目でシンジを見た。
 ぷい、と逸らそうとするのを逃がさず、
「いつも姉さんばっかり。夜の一族が怒るとどうなるか、教えてあげるわ」
 ずい、と身を乗り出したアスカを、シンジは指一本で止めた。
「また今度ね。で、腹上死じゃないとすると何なの?姫君」
 呼称と微笑の組み合わせで、ころりと機嫌は直ったらしい。ソファに深く座ると、
「精を吸い取るタイプの妖魔かも知れないじゃない。だから退治するのよ」
「どうして」
「どうしてって、そんなの野放しにして置けないもの」
「普段は人間なんか、その辺の生ごみ程度にしか見ていないのに?」
「そ、それは…」
「綾波はどうしてる?」
 それを聞いた時、アスカの身体がびくりと震えた。
「い、今外国に行ってるわ。し、しばらく帰らないの」
「ほう」
 シンジの目に怪しい光が浮かんだ。
「じゃこの際だ、当主不在の館内を探検させて…」
「駄目よっ!」
 思わず大きな声を出したアスカに、
「綾波に聞こえるよ」
 シンジはにっと笑った。
 墓穴を掘ったことに気が付いたのか、アスカは紅くなって俯いた。
「さて」
 とシンジは言った。
「な、何…」
「本音を吐いてもらおう、きりきりとね。眠っている姉に黙って、しかも普段侮蔑している人間のための妖魔退治。何を考えているの?」
「み、認めてもらうのよ」
「認知?」
「姉さん、いつも私のこと子供扱いするし…それにシンジだってそうだもの。だから私が一人で片付けて、ちゃんと私のこと…」
「認めさせたいの?」
 こくりとアスカは頷いた。
「いいんじゃない」
「え?」
 アスカの顔に疑問符が張り付いたのは、どっちの意味か分からなかったからだ。
「綾波は、認めているよ。飛べない吸血姫を、単独行動などさせた例はないからね」
「で、でも…」
「どうしてもしたいの?」
 少しだけ冷たい響きに、アスカの身体は硬直した。
 相手は不死人であっても、能力は自分の方が上…の筈である。
 だが怖いのだ−そう、シンジの不興を買う事が。
 それでも勇気を振り絞り、小さく頷いたアスカの頭を、シンジは軽く撫でた。
「え…」
「世話の焼ける妹を持って綾波も大変だ」
 少し微笑を含んだ口調で言うと、テーブルの上に書類を置いた。
「これは?」
「最新の被害者はモーテルに入る直前、女子高生らしいのと一緒にいたのを目撃されている。でもってこれがその剖検結果。さっき道で拾ったんだ」
「あ、ありがとう」
「僕は帰ってお茶を飲み直す。寝ている姉様には、くれぐれも発覚しないようにね。妖魔退治は、君ら一族には対岸の火事なんだから−特に人間が被害者の場合には」
 そう言うと、シンジは少しぬるくなったコーヒーを一気に飲んだ。
「猫舌の僕にはちょうどいい。じゃ僕はこれで」
 立ち上がるとアスカにふっと笑って見せ、そのままドアに向かった。
 青銅の扉が、最初と同じように開くと訪問者を送り出す。
 その後ろ姿を見つめてアスカはぽつりと洩らした。
「そういうとこ…犯罪級よね…」
 
 
 
 
 
「あれで良かったの?シンジ君」
「あの娘(こ)は飛べない代わり、他の一族のように連続して眠り続ける事もない。それに人間社会にも興味があるしね。時期的に何となくそんな気がしたのさ」
「でも」
 金髪の美女は、グラスを傾けて笑った。
「一族の当主にばれたら大変じゃない?色々と」
「何が言いたいのかな?リツコさん」
「“週の眠り”に付き合わされるわよ。その間ずうっと一緒に」
 一緒に、の部分をやけに強調した知り合いに、シンジはふっと笑った。
「世の中何でも、ばれなきゃいいのさ」
 それを聞いてリツコは一瞬シンジに視線を向けたが、何も言わずにグラスを傾ける。
 鑑識課に勤める優秀な女刑事の艶やかな唇が、焼酎ベースのカクテル、舞乙女を吸い込んでいくのを、シンジは視界の端に捉えていた。
 一層艶の増した、妖艶な口元から視線を逸らし、
「では僕はこれで」
 とシンジは立ち上がった。
 赤木リツコが選んだのはジン・リッキー。マドラーを持つ指は、妖艶な深紅に彩られている。
 どこか官能的な手つきでマドラーを動かしながら、リツコはシンジの後姿に、
「あの傷口は夜の一族に似ている物。一人ではどうかしらね」
 全身にまとっているような、冷たい雰囲気と同じ口調で呟いた。
 
 
 
 
 
「ちっ、どいつもこいつも」
 肉隗と化して足元に倒れた女を見ながら、アスカは忌々しげに舌打ちをした。
 シンジに渡された資料には、首筋への不可解な二本の傷のことが記されていおり、それを知ったアスカの表情が、凄愴なものへと変わった。
 この街には、人も妖も入り混じって住んでいるが、アスカ達夜の一族に付いては、少々事情が異なる。
 自らの技術で、生き血と等しい物を作り出せる吸血鬼達。
 彼らが人を糧とすることは既にないのだが、未だに夜な夜な人を襲うとされる言い伝えは消えておらず、この街でもそれは変わらない。
 魔と人が共に生きるこの街において、誰もが好きな生き方を選ぶことは出来る。
 だがそれはその逆も意味しており、いかなる死もこの街では起こり得るのだ。
 自分たちを癒しの集団と称し、重病人にろくな治療も与えずに死なせた者達がいた。
 だが彼らは逮捕されなかった。
 無罪とされたのではない、警察のパトカーが大挙して向かった時、その目の前で建物にロケット弾が撃ち込まれたのである。
 自分の息子が愚かな集団に入った挙句、人を殺めた事を知った父親の悩んだ末の行動であり、その父親は直後に拳銃で、自らの頭を撃ち抜いて果てた。
 また、モンスターを殺しまくるゲームと、現実の区別がつかなくなったある若者が街中で、突如若い女性を襲った。
 レイプの衝動に駆られたのではない事は、
「化け猫退治だ」
 と喚き叫んでいたことでも明らかであり−そしてその女性は俗に言う猫又であった。
 そのスカートからは、尻尾の先端が見え隠れしていたのである。
 そして見事“化け猫退治”をした直後、愚かな青年は全身に軽機関銃の一斉射を浴びて、文字通りの蜂の巣と化した。
 どんな生き方も、そしてどんな死も起こりうるこの街。
 だが中には、未だに吸血鬼は即有害と見なして、退治しようとする者達もいるのだ。
 吸血鬼達が住む凍夜(とうや)町、すべての吸血鬼はそこに住む事になっているが、いずれの家も頑丈な警備に守られており、中でも当主である綾波邸は一個大隊でも容易く撃退出来る程の規模を誇っている。
 とは言えそれも、今回の事件の犯人が吸血鬼であると知られれば均衡は崩れる。町中の者達がアスカ達の退治に立ち上がるだろう。
 なんとしても犯人を始末しなければならない。当初気楽だったアスカは、徐々に焦りだしていたのだ。
 女子高校生を始めとする者達の売春行為を、「援助交際」と呼ぶ事も知った。興味を持ったのではない、被害者は何れも援助交際の“買春側”の常習だった事を聞いたのである。
 だとすれば“売っている”中に目当てはいるだろうと、片っ端から締め上げて訊いているのだが一向に成果はなく、単に痛いお仕置きにあった、女子高生や女子中学生が増えるだけであった。
「これで二十五人目…一体何匹いるのよこいつらは」
 
 
 
 
 
「吸血鬼ではない?」
「ええそうよ。あの資料見たでしょう」
 シンジが首をかしげたのは、それから二日後の事であった。
 リツコの研究室に通されたシンジは、ココアの入ったカップを傾けながら、
「あれ乱杭歯の痕じゃなかったか」
「似ているけれど別物よ。第一被害者は全員血が残っていた筈よ」
「だからアスカが焦ってるのさ」
「どうして?」
「血を吸うためならまだしも、殺人嗜好で殺されまくったら、この街の住人は全員敵に回るからだ」
「ふうん?」
「何?」
「どうして貴方は協力しないの?」
「無差別じゃないからね」
「あら」
「顔をまっくろけにした連中だし。買う方も買う方さ」
 それを聞いたリツコ、妖しく笑って、
「じゃあ…どんなのがお好みかしら」
 シンジの耳元に口を付けて囁いた。
「あんなの」
 シンジが指差したのは、骸骨の標本である。リツコはふっとため息を付いた。
「で、何者なの?」
 ころりと話題を変えたシンジに、
「多分…あれね」
 とリツコが指したのは、シンジが指したのと同じ物であった。
「……」
「…何かしら?」
「お返しのつもりかい?」
「いいえ」
 僅かにシンジの表情が動いた。
「屍肉鬼(グール)?」
「の、グレードアップ版ね」
「妖魔がバージョンアップする、と?」
「だから言ったでしょう、被害者は何れも精を吸い取られてるって。精を変換できれば−吸血鬼よりも…あ、ちょっと…」
 何も言わず立ち上がったシンジの後姿を、リツコは黙って見送った。
「人魚」
 と一言だけ呟いて。
 
 
 
 
 
 月光が照らす河原に、一組の男女が蠢いていた。
 何れも全裸だが、酔っ払って寝ているのではないらしい。
 その証拠に男が女の腹の上で上下運動…ではなくて、男の上で腰を使っているのは女の方であった。
 とはいえ多少不埒な行為ではあるのだが、それ自体にさして問題はあるまい、一点を別にすれば−髪を振り乱し、自らの乳房を揉み立てているのは、どうみても少女だったのである。
 だが男は数分と保たなかった。女−少女が腰を落とし、自在に動き始めてから数十秒もしないうちに、男は果てていたのだ。
「だらしないわねえ、おじ様は。まだ五回目よ…ほら勃って!」
 駄々をこねる子供を引っ張るような口調だが、やっている事は全然違う。
 しかも少女は男から降りると、萎えた物を躊躇いもなく口に含んだのだ。萎縮後から回復まで、どれほどの時を要するかは人によって違うだろう。
 ところが少女がそれを口に含み、舌で包み込んだ直後にそれは回復した。再び天を仰いだ屹立を見て、
「ほうら、まだ生けるじゃない。たっぷりと出してもらうわよ」
 男の口から呻き声が上がるのも無視して、少女は再度それを受け入れた。
「いい感じよ…そう、奥まで当たってくる。だから止められないのよねえ、この商売は」
 意識は苦痛に苛まれたまま、身体だけは本能で反応している男を見ながら、少女は婉然と笑った。
 と、何かを思い出したのか、その顔が奇妙に歪んだ。
「アスカ…あの小娘の所為で…」
 しかし、感情の動きは一層の締め付けを生んだのか、男の顔は快楽に歪んだ。
「もう終わり?…これまでね」
 蔑むように言ったところを見ると、どうやら男は果てたらしい。
 ゆっくりと男の上から降りた少女は、ぴくぴくと痙攣している男の身体をぐいと掴んだ。
「連続して六回。なかなかの物だったわよ、人間にしてはね」
 どこか嘲笑を含んだ口調で言うと、男の頭を掴んで引き寄せる。
「後は私が吸ってあげるわ、全部。私の役に立てる事を、光栄に思いなさい」
 言うと同時に犬歯が迫り出して行き、数秒と掛からずに、二十センチほどの長さになった。一見すれば、誰でも吸血鬼だと思うだろう。
 少女がそれを付き立てた時、男は僅かに声を洩らした。
 だがそれも一瞬のことで、みるみる男の身体は乾涸びていく。文字通りにしぼんでいくのだ。栄養失調で餓死寸前になった子供よろしく、やせ衰えた身体を少女が荒々しく放り出した。
 すると、奇怪なことに少女の身体に変化が訪れたのだ。
 高校生位に見える顔立ちは変わらないのだが、肢体は確実に変化を見せた。まず胸元がぐいとせり出し、あっという間にたわわな乳房と化した。
 だが妙な事にそれは数秒と持たず元に戻ったのだ−正確には元より幾分大きなそれへと。と言うことは、最も大きな時のそれが普通であり、そこまで戻るには精がいるということか。
 幾分大きさと質量をました胸に加え、臀部もまた同様の変化(へんげ)を見せた。ほんの少し張り出したかと思うと、濡れたような艶が加わったのである。この年頃なら、成熟に向かって突き進む頃であり、艶付いてくるのもさして不思議ではないが、この変貌は明らかに異様であった−まるで誰かを一人、犠牲にする度に成長していくかのようなそれは。
 少女は立ち上がると、自分の胸を愛しそうに撫でた。秘所も何も隠そうともしない。
「ようやくここまでは戻った。後は…」
「二桁じゃ足りないようね」
 降り注ぐ月光と、同じような声で誰かが言った。
「アスカ、当主の妹か。なぜ助けようとしなかった?」
 どうやらさっきからアスカはおり、しかもそれを知っていたらしい口調であった。
「数百歳のばーさんにころりと騙されるような愚か者、助ける義務も興味もないわ」
 それを聞いた少女はにっと笑った、愛らしさと辛辣さが同居した、そんな笑みであった。
「それで私を討ちにきたか、良かろう。だがお前に討てるのか?私を」
「お湯が沸く間に片付ける」
 言い終わらぬ内にアスカの手が煌いた。華奢にも近いその手から飛んだのは苦無であり、忍者が使うとされたそれは、アスカの手によって素晴らしい速度で立っている少女を襲った。
 一本は頭部を、そして二本は左右の肩をそれぞれ射抜いた筈であった。
 だが。
「この程度の物か?小娘」
 少女はのめり込んだ苦無を、あっさりと引き抜いたのだ。そしてその痕からは一滴の血も出ない。
「飛び道具、にしては進歩がない。これでは次期当主の座は遠いのう」
 低い声で嗤いかけて、女は後ろへ飛びのいた。瞬時に間合いを詰めた、アスカの右足が唸りを立てて襲ったのだ。
「あんたに触りたくないから投げただけ。寝ぼけるのはまだ早いわよ」
 言うなり突き出した抜き手が真っ直ぐに眉間を狙った。人体すら貫くそれが、眉間を直撃すればどうなるか。
 とは言えアスカの狙いはそこにはない。眉間の一撃はフェイントであり、その真の狙いは右腕の手刀である。女がかわすなり避けるなりすれば、次の刹那その身体を横に薙ぐつもりでいたのだ。
 だが、次の瞬間くるりと一回転していたのはアスカであった。女は避けもせずアスカの手を掴むと、そのまま地に叩き付けたのだ。一度左に揺さぶり、相手の勢いを自分の物にして自在に殺す。合気道の初歩的な技だが、女は綺麗に決めて見せた。
「くっ」
 咄嗟に渾身の力で引き抜いたが、その顔色は変わっていた。強く掴まれてなどいなかったのに、その手首は紫色に変色しかかっていたのである。
「猪では私には勝てぬ。これでは警戒も無意味であったか」
 感情のない声で言った次の瞬間、アスカは身を沈めていた。本能的な反応であったがそれは間違ってはいなかった。
 アスカが身を沈めた次の刹那、腕を組んだままの女の足刀がその上を音を立てて過ぎたのである。
「よく避けた」
 生徒に講義するような口調で言われ、アスカの眉が吊りあがった。
 だが次の瞬間。
「但し読みは足りぬ」
 背中に凄まじい痛みを感じ、一瞬アスカは上体を折った。
「な!?」
 だがそこには何もなく、石達が二人の闘いを見つめているのみ。
 腹筋を使って跳ね起きようとした次の瞬間、その顔が一瞬にして染まった。アスカの首に蔓が巻き付いていたのである。
 蔦だと瞬時に悟り、渾身の力で引き離そうとしても離れない。
「遊ぶのも飽いた」
 女は腕を組んだまま言った。
「それに私の一撃を読んだのも、末恐ろしき証。禍根は断って置くに限る」
 ぎりぎりと締め上げられる中、アスカの瞳が一瞬光を帯びた。レイと同じ赤瞳が、一際強い赤光を帯びたのだ。それと同時に右手が一閃し、蔓を断ち切っていた−ただし一本だけ。
 数本がより合わさったようなそれは、アスカを持ってしても一本しか切れなかったのである。
「ほう、これはこれは」
 女がわざとらしく驚いたような口調で言った時、その指から地が滴ったのをアスカは知った。
「あ、あんた木霊(こだま)ね…かはっ」
 アスカが言った途端、その首から妖蔓の呪縛は解けていたのである。
「私の手を絶ったか」
 どこか人事のような、だが激怒を秘めた口調で女は言った。
 激しく咳き込むアスカを見ながら、
「楽に逝かせてくれるぞ、小娘」
 女は妖々と宣言した。
 アスカの身体が宙に浮き上がったのは、次の瞬間であった。
 両腕を胴体に付けたまま蔓がその身体を縛っており、身動きも取れない。その身体へ女はつかつかと近寄った。
「女の身体は女が一番分かる」
 にいと嗤うと、右手を伸ばしてアスカの胸を鷲掴みにした。
「くうっ…あぁっ」
 激痛が快感に変わるまで、数秒と要さなかった。女の指先は、アスカの敏感な胸に強烈な刺激をもたらしたのである。
「は、離せっ」
「このままでは感触が楽しめない」
 実験過程を修正するように言うと、女は軽く手を引いた。
 胸の部分が切り取られ、アスカの乳房が露出するのを、女は愉しそうに見た。
「やはり生の方が楽しめる」
「や。やめてっ」  
 かっとアスカの目が見開かれたが、女はそれを平然と受け止めた。
「邪眼は私には効かぬ−そう、数百歳の老婆には」
 そのままアスカの首筋に顔を近づけると、
「殺す前にたっぷりと愉しんでくれる。まずはここから」
 犬歯が肥大化すると、アスカのきめ細かい白い肌にゆっくりと近づいた。
「これの使い道はいくつかある」
 女は講義するように言った。
「一つは殺めを吸血鬼どもの仕業に見せかけるため」
 アスカの歯がぎりりとなるのを愉しむように、更に続けた。
「もう一つは無論精を吸い取るため。そして更には獲物を蹂躙する…ほう」
 ゆっくりと女の目が動き、自分の肩に向けられた−白刃が貫いているそこへ。
「探したぞ、アスカ」
 その声がシンジの物と知り、アスカの目からぽろぽろと涙がこぼれた。
「シ、シンジぃ…」
 刃を抜くとき、少しだけ女は顔を歪めた。
 アスカの目が驚愕に見開かれたのは、その痕を見た時であった。そこからは紅い鮮血が流れ出したのである。
(わ、私の時は一滴も出なかったのに…)
「不死人の少年が何の用だ」
「世話のかかる知り合いの奪還に」
 そう言うとシンジはふっと笑った。
「ほう、私を倒す−ではないのか」
「それは僕の役目じゃない」
 シンジの言葉に被せるように、
「初めてお目に掛かる。夜の一族の当主綾波レイ」
 全裸の肢体を冷たく見据えながらレイが言い、それが胸を露出している妹に及ぶと、そこに凄愴な物が加わった。
「妹が世話になったわね」
 鋼のような声でレイが言った。
「なんの」
 と女は破願した。シンジを前にしても、全裸の肢体を隠そうともしない。
「それ隠してくれる?」
 シンジから注文が入ったのは、数秒後の事であった。
「ほう、自分を抑えきれぬか?」
 嘲笑うように言ったが、その顔が夜叉と化したのは次の瞬間であった。
 シンジはこう言ったのである。
「醜い裸には興味がないんだ」
 少年の言葉が何を喚起したのか、みるみる女の表情が凶相と化した。
「おのれ小僧が。その言葉すぐに撤回させて…」
 自分の身体には絶対の自信があるのか、妖しく乳房を持ち上げようとしたそれへ、
「無駄なことを」
 シンジの言葉をふんと笑った女だが、その顔が引きつったのは次の刹那であった。
 さっきシンジの白刃が貫いたそこは、無残に溶け崩れ初めていたのである。
「き、貴様何をした!?」
「処女の生き血を少々」
 シンジの言葉に、レイの顔が染まった。
「処女のヴァンパイアの血、破魔にはこれ以上の物はない」
「つ、つまらん小細工を…」
 だが女の身体は確実に崩壊が進行している。
 若さの具現とも言えるその肢体は、無残な程に下地を現し始め、みるみるその本体を明らかにしていった。
「やはり屍肉鬼」
 シンジの言葉に、
「し、知っていたの?」
 アスカが苦しげに訊いた。まだダメージは残っているらしい。
「リツコさんに訊いた。剖検の段階である程度目星は付いていたらしいよ」
「赤木さんが…」
 と呟いたアスカ。赤木リツコはアスカが呼び捨てにしない、極めてまれな人間の一人である。
「ほら、本性が出てきた」
 くすっと笑ったシンジの言葉どおり、そこに立っているのは全身に蔓を巻きつけた一匹のグールであった。
「碇君、これは何?」
 興味深そうに訊いたところを見ると、夜の一族の知識にもないケースらしい。
「猫又と同じだよ」
 言った途端、シンジは横に飛んでいた。蔓は真っ直ぐにシンジを襲ったのである。
「猫又と同じ?」
 訊き返したレイは動かない。どうやらシンジに任せるつもりらしい。
「数千を生きた木霊が人と化した。でもその生は長く続かなかった。そのまま休んでいればいいものを、中途半端によみがえったのさ」
「私が自分の意志で生き返ったなどと思うな」
 地獄の羅刹のような声で女−グールは言った。
「半端な呪法で私を蘇らせ、そのままにして置いたのは人間ども。報いにしては軽過ぎるであろうが」
 首筋めがけ、一直線に迫る蔓をシンジが手刀で断たんとした刹那、横から伸びた刃がそれを分断していた。
「確かにそうかもしれない」
 何故か、レイの声はどことなく明るかった。
「でもそれを他に負わせたのは許せない。まして我ら夜の一族になどとは」
 絶たれた自らの蔓を見ながら、
「その夜の一族の当主が人間の小僧に片思いか?地に落ち…ぐふっ」
 嗤いかけたグールの胸元に、抜く手も見せずにレイが投擲した白刃が二本突き立っていた。
「碇君へ向けるべきではなかったわね、化け物」
 能面の表情のまま、氷雪のような口調で言うとレイはすっと間合いを詰めた。
 アスカを容易く縛につけた蔓が、レイをもまた襲う。
 だがレイは避けもせず、自らの手首にそれを巻き付かせると、
「芸がないわ」
 しなやかな筈のそれを、レイがごきりと折った途端妖魔は絶叫した。
 水面に吸い込まれていくそれを聞きながら、
「綾波、どいて」
 シンジの声にレイがひょいと避け、シンジの手から何かが飛んだ。
 それがグールの額にのめり込んだ瞬間、みるみるその身体は崩壊し始めたのである。
 本性が現れたのではなく、文字通りの崩壊であった。
「…ぐ…が…」
 奇怪な声を残し、その場に塵と化したグールのなれの果てを、アスカは呆然となって見つめた。
「こ、これは…」
「アスカ」
 冷たい声に呼ばれ、その身体がびくりと震えた。
「お、お姉ちゃん…」
「折角眠っていたのに起こされたわ…無粋よ」
「別に僕は来いとは言ってないぞ」
 その言葉に、アスカがえ?と言うように顔を上げ、レイは余計な事をと、シンジを軽く睨んだ。
「綾波、アスカは僕が担いでいくから帰って寝直したら?」
 つれない言葉に、レイの眉が少し上がった。
「そうね…でもその前に」
 シンジに歩み寄ったレイは、その首筋に指を這わせた。
「強制するとは気が立っているな、綾波。でも駄目」
「寝酒が必要よ」
 一気に引き寄せようとして止まったのは、シンジの瞳に会ったせいだ。
 シンジの黒瞳とレイの赤瞳が絡み合い…先に目を逸らしたのはレイであった。
「ご免なさい、碇君」
 我に返ったように謝ると、くるりと身を翻したが数メートル歩いて止まった。
「アスカ」
「は、はい」
「胸に小さな傷が出来ているわ。赤木刑事に見てもらいなさい」
「はい…」
「それと」
「え?」
「碇君に胸を押し付けたら…分かっているわね」
 背筋がぞくりとするような声で言うと、軽く地を蹴った。
 黒い羽が大空に消えていくのを見ながら、シンジはアスカの前に立つと屈み込んだ。
「はい」
「え?」
「乗って。送っていく」
「そ、そんな…」
「無理強いはしないけど」
「そんなんじゃないけど…い、いいの?」
「今日だけね」
「じゃ、じゃあ…」
 と嬉しさを隠せず、シンジの背に乗ろうとしたアスカをシンジが止めた。
「だ、駄目なの…あっ」
 シンジの気が変わったかと一瞬落胆しかけた刹那、シンジの指はアスカの右の乳房にのめり込んでいたのである。
「ちょっとシンジっ」
 だがシンジは真顔で、
「リツコさんに直してもらえば直るが…痕は残るな」
「え?」
「僕が貰っとく」
「え?え?」
 アスカが怪訝な顔で訊くのには答えず、シンジはアスカの胸に口を付けたのである。
「はっ、はうんっ…!?」
 シンジの唇が胸に触れた時、切なげに喘いだアスカだが、その顔色が変わったのはシンジの表情に苦悶が浮かんだから。
 咥内一杯にアスカの血を含むと、シンジはそれを血に吐き捨てた。
「い、今の何…」
 朱に染まった乳房をそのままに、アスカは呆然と呟いた。
「さっきのグールが触れた時、小さな傷が出来てた。綾波が言った筈だよ」
 と言われても訳が分からない。
「どういうこと?」
「奴はさっき蘇ったと言った。蘇魂の術には聖なる物が不可欠だからね。いくら吸血鬼と言えども、聖水を含んだ菌を体内に混入されたら持たないよ」
 それを聞いて、アスカの顔が一瞬青ざめた。
「でも今吸ったから大丈夫」
「あ、ありがとう」
 礼を言った物の、シンジの顔に気がついてたちまち紅くなった。
「ちょ、ちょっと!今変な事考えたでしょっ」
「いや」
 言下に否定されて、やや勢いを殺がれた格好のアスカへ、
「下着の替えは持ってない。そのままでいいから乗って」
 と再度背を向けた。
 今度は素直に乗ったアスカを背に、シンジは歩き出した。
 二人ともしばらく無言であったが、ふとシンジが気付いたように言った。
「そう言えば」
「え?」
「アスカの胸は感度いいんだね」
 一瞬置いてアスカの顔が真っ赤になり、シンジの首を締めにかかった。
「や、やっぱりそんなこと考えてたのねっ!こうしてや…あれ?」
 へなへなと力なく腕は崩れ落ちた。
「悪血は取り除いたけど二、三日は力が入らないよ」
「そ、それを知ってて…」
「勿論。二回目は嫌だからね」
「え?二回目?」
「綾波を眠りから起こした時、君に渡したのと同じ資料を見せたら、今と同じ目に遭ったよ。もう少しで絞殺されるところだった」
「お姉ちゃんそんな寝起き悪かったかしら?」
 いくらレイでも、シンジにそんな真似などする筈がない。首を捻ったアスカへ、
「妹によくもそんな危険な物を渡したなって」
「え…そっか、お姉ちゃんが…」
 一瞬ぽかんとし、やがてその顔がゆっくりと緩んでいった。
「あ、あのね」
「ん?」
「す、少しだけ胸押し付けてもいい?」
「少しだけ」
 やがて遠慮がちに裸の胸が押し付けられ、更に数十秒経った時今度は顔が肩にくっついた。
 アスカの寝息を背に感じながら、シンジはぽつりと呟いた。
「いい姉妹だ…器用ではないけれど」
 道を歩く影を、月だけは冷たく、そして少しだけ優しげに照らし出していた。
 シンジに送ってもらったアスカだが、“週の眠り”を妨げられた一族の若き当主に、二週間の謹慎を命じられて、ぷーっと膨れることになるのは翌日のことである。
 そして乳房の傷から毒素を吸い取ったシンジだが、おかげで口内炎が悪化し、一週間ほど食物が沁みて痛い目に遭ったと言う。
 
 
 
 
 
 シンジが、アスカの胸に口を付けて吸い出したのは悪血だと言った。
 だが聖なる物のそれだけではなく、普通の毒素も十分に入っていたのだ。
 にも関わらずシンジがそれを吸い出し、なおかつ咥内感染したにも関わらず、大事に至らなかった理由はただ一つ。
 人にして人に非ず者−UNDEAD(不死人)だからである。
 そのシンジが、女子高生に変化した妖魔を退治したのは、実は枯葉剤を中に埋め込んだ、ピンクの丸い物体だと言うことを、アスカもレイも知らない。
  
 
 
 
(了)

目次へ