突発企画「奴らが戦国にやって来た」
 
第二十三話:キレた殿様と脱ぎたてのサ・ラ・シ
 
 
 
 
 
「おにょほほほ…ほほほほほ」
 笑いが止まらない、とはこの事であったろう。美里率いる熊野水軍は、ちょうど雑賀城の裏にいたのだが、その目の前で碇摩耶の部隊が壊滅したのだ。
 生娘がまさにテイクアウトされようとする寸前。
「撃てーっ!」
 美里の号令一下、一斉に砲門が巨弾をたたき込み、あっという間に義賢の部隊を壊滅させ、ついでアスカと真名の部隊まで壊滅させてしまった。別に二人へ恨みはないが、チジョウノモツレで戦争をしている小娘に、少しばかりお灸を据えたのだ。
 とまれ、負傷している摩耶は目下美里の部屋で、手当を受けて昏々と眠っているし、アスカと真名は麗と麗奈が慌てて担いでいった。
 後は晋二を呼び寄せてお礼をしてもらうだけだと、美里は高笑いが止まらなかったのである。
 がしかし。
 美里は知らなかった。
 石山本願寺にある晋二が、早馬を受けて赫怒していたことを。
 そしてその怒りが、実の姉妹に向かっていた事などは。
 
「この馬鹿共、どの面下げておめおめと帰ってきた!」
 本願寺麗奈に碇麗、二人とも晋二の姉である。麗奈とは腹違いだが、麗とはまぎれもない実の姉弟だ。
 その二人がアスカと真名を収容し、俯いて現れた途端晋二の怒号が飛んだのだ。しかも飛んだのは怒号だけではなく、二人の身体というおまけ付きであった。
 さすがに拳ではなかったが、一体どこにこんな力がと思われるほどの威力を伴っていた平手は、二人の娘をして軽々と壁に叩きつけたのである。
「大砲隊だけでは心許ないと鉄砲隊を付けたのに、さっさと見物モードに入って離脱とはどういう了見だ!」
「も、もうしわけあ…」
 初めて見る晋二の姿に、そして全身を走る激痛に何とか麗奈が声を絞り出したが、
「詫びならあの世から手紙を送ってこい」
 娘、と言うのは例えそれが母無しで出来る代物であっても、血縁には変わりない。だいたい晋二にしてみれば、城落とし競争など愚の骨頂だが、麗奈は自分が責任を取るからと晋二を押し切ったのであり、到底仕方ないねと許せるものではなかった。
 いきなり太刀を引き抜いた晋二に、さくらを始め居合わせた者達も蒼白になった。これが尾張の金切り声が特徴の当主ならともかく、晋二の怒号自体城の中で聞くのは初めてなのだ。
 まして、手討ちだといきなり刀を抜いた姿など、一生かかっても見られないと思っていただけに、止める事すら気が回らなかった。アスカと真名が、別室で寝かされていたのは幸せだったかも知れない。
「申しわけありません」
 すっと居住まいを正した麗奈が、深々と頭を下げた。この時点でもう、自分の命は捨てているが、麗だけは斬らせてはならないとそれだけを考えていた。
 家臣達が止めに入れない、と言うより茫然自失なのは分かっている。
 ならば、刀が振られる瞬間麗を突き飛ばす−真宮寺さくらの所くらいまでなら、この態勢でも突き飛ばせる。
 いくらさくらでも、自分に押しつけられた事くらいは察するだろう。それで万が一、さくらが麗を差し出すような事があれば、その時はその時だと麗奈は覚悟を決めた。
 既に晋二の表情は完全にキレており、無論消息すら知れぬ娘の為だろうが、制止できる者もない。
(本当なら紀伊を落として戦勝の宴の筈なのに…わたしも所詮はうつけだったと言う事ね…)
 確かに結果として紀伊は落ちており、本来はこんな刀など抜かれる所ではない。
 それをただ−ただ大砲隊から離れたばかりに、晋二の手で二人の重臣が手討ちにされかかっており、過信の結果としてはあまりに重いと言わざるを得まい。
「いい度胸だ」
 かつて、母唯が銃弾の前に身を投げ出した時でさえ、こんな理性を喪ったようなキレ方はしていない。
 ぎゅっと麗奈が手を握りしめたその時−
「ちょう待ちィ」
「え…ぶっ」
 振り向いた晋二の顔に真っ白な何かが当たった。
「な、なんですかこれ」
「ああそれですか、摩耶ちゃんのサラシですよ」
「ふーん摩耶ちゃんのサラシ…ぼ、僕の娘ですかっ!?」
「それ以外におらんでしょうが。グラマーな胸をきゅっと押さえ込んでた代物で、ついでに脱ぎたてです」
「!?」
 次の瞬間、度肝と一緒に殺気も抜かれたような晋二の顔に鬼気が満ちた。
 はらりとほどけたそれは−中があちこち血に染まっていたのである。物騒な殺気を漲らせた殿様に、
「本人は真っ白なモン着けてますよ。脱ぎたてのサラシって高く売れるんで持っていこうかと思ってるんですが何か−」
「な、何かって…え?本人?」
「ええ、本人の碇摩耶殿です。それとも、違う摩耶殿にお知り合いでもいるんですか?」
「そっ、そんなのはいませんけど…」
 しゅうしゅうと音を立てて、晋二の全身から殺気が抜け落ちていく。
 これでもし、得留之助が、落ち着きなさいなどと偉そうに言っていたら、麗奈は妹を突き飛ばす事すら出来ず、まとめて討たれていたかもしれない。
 とはいえ、そこまで考えての行動かは怪しく、実際は言葉通りに店へ行ってサラシを売って来ようとか思っていただけかも知れないが。
「熊野水軍のボス葛城美里の鉄甲船内で、現在ぐっすり眠ってます。最初はやや危険でしたが、もう大丈夫ですよ」
「た、助かったんですか…」
「当たり前です」
 初めて得留之助の口調に針の先ほどだが尖ったものが混じった。
「武将である以上、死ぬも生きるも武運次第−それを受け入れられずにキレるような殿様がいては、おちおち死んでも行かれないでしょうが。もっとも大砲隊だけに任せて高みの見物する方もする方ですが。それと晋二殿、お客さんですよ」
「おきゃ…は、母上っ!?」
「包帯をぶつければ止まる、と得留之助殿が奇妙な事を言いきるので任せましたが、もしも止まらなかったらその腕を射抜くつもりでしたよ」
 そこへ姿を見せたのは、まだ何カ所かに包帯を巻いてはいるが、キリリと引き絞った弓を構えたまぎれもない母唯であった。
「晋二、たとえ理由はどうあれ、怒りに任せて家臣を手討ちにするなど論外ですよ」
「で、ですが…」
「ですがも春日もありません!」
「は、はいっ」
「あの子達はまだ眠っています。麗を連れて様子を見に行ってきなさい。それから麗の手当も忘れずに。さ、早くなさい」
「は、はい」
 言われるまま刀を収めた晋二が、刹那射抜くような視線を麗に向けたがそれも一瞬の事で、
「姉上、参りましょう」
 すっと手を差し出した。
「し、晋二…」
 とは言え、あの凄まじい殺気を浴びせられてから数分も経っておらず、おずおずと母の顔を見上げたが、いいからお行きなさいと言う風に頷かれ、やっと腰を上げた。
 まだ他の家臣達が茫然自失の態から抜け出せぬ中、唯はつかつかと麗奈に歩み寄った。
 愛人の娘と本妻、その二度目の邂逅だったが、先に視線を逸らしたのは麗奈の方であった。
「麗奈殿」
「は、はい…」
 最初に出会った時、二人の女の視線は宙で絡まって火花を散らしていた。その光景を見て、斬り合いか取っ組み合いでも始めるのではないかと心配した程である。
 それを知っている者は一体どうなるかと、固唾を呑んで見守ったが、
「晋二が迷惑を掛けました」
 唯の言葉は意外な物であった。
「え…?」
「確かにまともな事を言って怒ってるようには見えるけれど、本当に心配しているのなら騎馬隊を付けるのが当然です」
 
 
「そう…あの娘が」
 大砲隊が揃って壊滅し、誰もいなくなった戦場で麗と麗奈が城を落としてきた事は、既に唯の元へ訪れていた得留之助の所へ届いていた。
 零下の視線を見せた唯だが、
「鉄砲だけ行かせるのが悪いんですよ」
 奇妙な得留之助の言葉に視線を向けた。
「どういう意味です」
「唯殿もご存じのように、大砲隊は鉄砲隊に次いで足が遅いでしょう。つまり、敵が打って出てきたのを見て逃げるのなら、一緒にいたって大砲隊は壊滅しますよ。よしんば撃ちまくったとしても武将小隊だけ狙われれば無意味です。確かにあの麗奈殿も褒められたものではないが、結果的には断を下した大将の−」
 そこまで言った時、全身を真っ黒な衣装に包んだ娘が入ってきて、得留之助になにやら耳打ちした。
「晋二殿が?分かった」
 得留之助が頷くと娘は姿を消し、
「晋二殿がキレてるようです」
「え?」
「暴れてはいませんが、漂ってる気は完全にキレてると伝えてきました。城へ向かった方が良さそうですな」
「晋二がキレるなんて…」
 言いかけてからある事に気付いた。
「ちょっと待って、どうしてあなたがそれを知ってるの」
「好きな人の事なら全部知りたいのが乙女心です」
 種子島でも撃ち込んでやろうかと思ったがとりあえず我慢して、
「私も行くわ」
 立ち上がった唯に、
「見物しに行くだけですから、別に無理しなくてもいいですよ」
「いえ、行くわ。息子が暴れているのに、止めない母親なんて母親失格よ」
(息子のガールフレンドを売り飛ばそうとした母親もいましたが…)
 そんな事は口にはせず、
「分かりました。それともう一つ」
「何」
「麗奈殿と仲直りされてはいかがですか?そろそろいい頃ですよ」
「なぜ私がそんな事をしなければならないの。向こうは私からあの人を奪った女の娘よ」
「夫婦仲が円満そのものだったのに、いきなり入ってきた女が壊したわけではないでしょう。それに、向こうは愛人そのものじゃありません」
「同じようなものじゃない」
「同じよう、と同じはまったく違います。本妻と愛人なら張り合っても決闘しても自由ですが、向こうはその娘です。つまり、一言で言うと年下相手に大人げない、とこうなるんです」
「…くっ」
「それに今回は、仲直りなんて言い出さなくても大丈夫ですよ」
「え?」
「私が包帯ぶつけて気を逸らしますから、あなたがその後のんびり出ていって止めてください」
「ほ、包帯?」
「ええ、いい物があるんです」
 さっさと出ていく得留之助を慌てて唯が追った。
 
 
「も、申しわけありません…」
 これで、もし唯がきつい言葉を放っていたら、麗奈も反発したかも知れない。
 だがこの状況でまったく麗や麗奈を咎めようとはせず、責任は総大将に、つまり晋二にあると言わんばかりの台詞に、麗奈は不覚にもぽろぽろと涙をこぼした。
(この娘…こんなもの?)
 初めて会った時は真っ向から睨み返して来て、なんて生意気で憎らしい娘なのかしらと思っていたのだが、今目の前にいる娘は至極普通の娘であり、晋二に嫌われたと泣き崩れていた麗となんら変わるところはない。
(確かに…こんな娘と張り合っていたら、私が子供に見られるだけね)
 アブナい所だったと内心で息を一つ吐きだしてから、
「泣いたら折角の顔が崩れてしまうわ。さ、涙を拭いて」
 唯が布を差し出したのを見て、周囲はやっと安堵の息をついた。
 
 
 晋二に手を取られて立ち上がった麗だったが、廊下に出た途端その手を振り払った。
「姉上?」
 麗はその場に座ると、静かに目を閉じた。
「晋二、例え助かったとは言え一歩間違えれば間違いなく死んでいました。その責任は私が負うわ。だから…姉さんの事は責めないで。もともと、私やアスカがおかしな対抗心を持たなければ良かったのよ。その代わりに…斬るのは私の首だけにして」
 だが晋二は首を振り、麗の手を取った。
「ほんの短い間だったけど…考えたんだ。確かに大砲隊だけにされたからあんな反応しちゃったけど、よく考えたら騎馬を付けなかった僕が悪いんだ。あれでさくらさんか馨君でも行かせていれば、絶対に壊滅なんかしなかったのに…姉さん、ごめんね…」
「し、晋二…」
 みるみる麗の顔が崩れていき、声こそ上げなかったが、顔をくしゃくしゃにして晋二にだきついた。
 
 
 
 
 
 その次の日、美里の元を訪れた晋二だったが、待っていたのは意外な言葉であった。
「父上、ずっと来てくれるのを待ってました」
 妙にやつれた顔の娘を見ていぶかしげな表情になった晋二に、
「水軍の葛城殿が、良くな〜れ〜良くな〜れ〜って妙な呪いのようなものを…こ、怖かったです」
 蛇足だが、摩耶の言った呪いとは、『まじない』と読むものであり、有名な丑三つ時に藁人形を、の呪いとは別物である。ただし、両方とも実際には為さぬ工程によって何かをしようと言うものであり、基本的に他人を傷つけるものかそうでないかの違いだけ、と言うことを考えれば、似たようなものかもしれない。
「た、多分美里さん流の良くなるような物だとおも−うぷ!?」
「んなわけないでしょうが」
 がしっと巻き付いた腕がシンジを捕らえ、
(あたしが放って置いたら、この子間違いなく討ち死にだったのよねえ)
(ぼっ、僕にどうしろとっ?)
(添い寝で手を打ったげるわ。ただし、あたしは上半身裸ね)
(は、裸っ!?)
(当然でしょう。男と女が服着たまま添い寝してどうすんのよ)
(で、でもそれはいくらなんでも…)
(得留之助からイイ薬もらってるのよね。是があればだれでもコロリって言うやつなんだけど)
(わっ、分かりましたっ、やりますよやればいいんでしょう)
(なーんかその言い方癪に障るわね。嫌なら別にいいのよ)
(い、嫌々なんかじゃなくて…ま、前からその、美里さんの胸に顔埋めてみたかったんです)
(ふーん、じゃ、商談成立ね)
 
 その日の夕刻、摩耶はほぼ治って帰ってきた。まだ包帯は取れていなかったが、唯が夜になってから見に行くと、なぜかアスカと真名、それと摩耶の頬にお互いの物と思しき紅葉が一つずつ付いていたが、険悪な雰囲気ではなかったのでこれが娘達のやり方なのかと放っておいた。
 妙に目許が充血し、しかもあちこちに包帯を巻いた晋二が帰ってきたのは翌々日の事であった。
 葛城美里に捕まっていると知っていたから、頭を冷やしている最中だと家臣には告げてあったが、実を言えばあまり内心穏やかではなかった。
 しかも帰ってきた晋二を一目見て、それが口吻の痕隠しだと、唯は一目で気付いたのである。
 が、すぐに緩んだ。
 思い出したらしい−わざと痕が残るように強く吸う源道に、隠さなければならないからと拒否したが、なぜか聞いてくれない夫と床を別にしたことを。
 思えばあれも出奔される一環だったのかもしれないと、思い出したのである。
 ところがその途端、
「晋二殿、包帯の下はキスマークですか?」
 遠慮もデリカシーもなく訊ねた得留之助に、晋二が真っ赤になったのだ。
「で、でででもっ、ぼ、僕は付けてないんですよっ」
 慌てて弁解する晋二に、
「じゃ、晋二殿は全身に付けられたんですな」
 セクハラ商人のセクハラに、首まで赤くして走っていく我が子を見て唯は、毒を塗った吹き矢を持っていない事を思い切り後悔した。
 
 
「全員集合して」
 号令一下家臣達がわらわらと集まると、半分マミーのままだが、表情はもうすっかり元に戻った晋二が、
「先般は僕のせいで迷惑掛けたね。でももう大丈夫だから」
 ははっと一斉に頭を下げた家臣達に、
「長政とさくら、それから馨と義輝は僕と一緒に、播磨から丹波丹後までを一気に攻め落とす。すぐに準備を」
「ははっ」
「それからアスカと真名、母上と麗奈、それから勝家」
「ここにおります」
「四国の攻略は任せる。麗奈を軍団長として第二軍団を設置し、四国を攻略するように」
「わ、私が軍団長に…」
「そう」
 当然といった感じで頷いた晋二に、
「分かりました。立派に勤め上げて見せます」
 恭しく一礼した。
 摩耶の仇、と騒ぐ事もせず、冷静に周囲を分析して侵攻先を判断する晋二に、これなら大丈夫と判断したのだ。
 もう…自分が側にいなくても大丈夫だ、と。
 アスカと真名は、単に晋二の側にいられなくなると心配顔だが、
「四国を統一すれば合流できるわ。だから頑張りましょう」
 麗奈の餌に、
「『はいっ』」
 勢い良く頷いたし、馨は馨で、
「晋二君が僕を呼び捨てに…痛っ!…夢じゃない」
 顔が緩みまくったまま、ぎゅーっと自分の頬を引っ張っている。
 摩耶はまだ大事を取って養生させたのだが、もう唯と麗奈の仲も心配は要らない。
 こうしてついに、1559年3月、軍団を二つに分けた碇家は南征に乗り出したのである。
 
 
 
 
 
(続)

大手門

桜田門