突発企画「奴らが戦国にやって来た」
 
第六話:開戦前夜
 
 
 
 
 
「卯璃屋殿…ありがとうございました」
「はあ」
 深々と頭を下げた唯を、何故か得留之助は奇妙な視線で見ていた。
「別に私は何も」
 無論、得留之助が色々と暗躍していたのは唯も分かっている。
 こんな事をしてのけるのは、商人ならではなのだ。
「ま、どうぞ」
 抹茶の入った器を勧め、唯が清楚な手つきでそれを取るのを見てから、
「今回の戦ですが、多分負けるでしょうな」
 とんでもないことを言い出した。
 が、辛うじて吐き出すのを抑えたのは、無論武家の子女としての嗜みであり、これが町娘なら、勢いよく得留之助の顔に吹き出していただろう。
「ど、どう言うことです」
 ただし、訊ねるのには数秒を要したが。
「力の差です」
 得留之助は嫌な事を言う。
「国人衆は歩兵で、願泉寺の連中の方が先に着きます。石山にいる本願寺の連中は三好家に任せるとしても、寺の連中は撃退しなければなりません。麗殿と晋二殿は別として、問題はアスカ殿と真名殿にあります。おそらくは、先走ってしまうでしょうな」
「あの二人が?それなら予め言い聞かせておけば…」
「無理でしょう」
 得留之助は首を振り、
「大砲部隊は、その防御力の弱さにあります。遠距離は無敵ですが、接近戦になるとそれこそ大の大人が赤子の手を捻るようなものです。寺の連中を前にして、どこまで持ちこたえられるか」
「で、では敗戦間違い無しと?」
 しっとりと潤んだ瞳は天性の物−ただし、これが熱い視線を集めていることを本人が知っているかどうか。
「間違い無し、とまでは言いませんが、苦戦は強いられるでしょう。そこで」
「そ、そこで?」
「唯殿も参戦されることです」
「わ、私が…?」
「そう、唯殿が。此度の戦は、そのまま紀伊の情勢に直結します。もしも破れれば雑賀衆が間違いなく黙ってはいないでしょう。しかも、攻め込まれた時点で守備する遊佐信教が寝返る可能性もあります。そう考えると、絶対に負けられない戦なのです」
「で、でも私は歩兵隊のみで…」
 自信なさげな唯に、得留之助がにっと笑った。
「いいモンがあります」
「い、いいモン?」
「そうです−はいこれ」
 差し出されたのは、小型の弓であった。
「こ、これは…?」
「竹弓です。これを使えば、弓の連射が可能になります。雨撃は豪雨では無効になりますが、弓は天候に関係ありません。援軍にはちょうどいいでしょう」
「これはよいものを…卯璃屋殿、礼を言います」
「あ、いえいえお気になさらずに」
 おおらかに笑った得留之助だったが、唯が辞したところへ、庭先にすっと黒い影が降り立った。
「戻ったか」
「はっ」
「で、様子は?」
「やはり、鉄砲隊を率いてのそれに間違いないようです。それと、父親も間違いなくあの男のようで」
「そうか…やはりそうか」
 何がそうか、なのか得留之助は軽く頷いた。
「異母とは言え、率いるのは鉄砲隊同士−姉妹同士の死闘になるな」
 奇妙な台詞を口にしてから、ふと庭を見た。
「で、渚殿は?」
「既に準備は整っておられます。後は、機を見るのみと」
「そうか…この戦、青史に残るものとなりそうだな」
「御意」
 声は、何故か地中から聞こえたような声がした。
 
 
 
 
 
「はい。晋二あーん」
「い、いや別に大丈夫だから…」
「じゃ、碇君はい」
「そ、そっちも別に…」
「二人ともみっともない真似はお止めなさい。晋二が嫌がっているでしょう。さ、晋二これを」
 両側の二人が差し出す箸に、顔の持って行き場がない晋二。
 で、その前に腰を下ろした麗は、おもむろに箸で摘むと口に入れた。
 しかも、その顔をすっと近づけて来たのである。
 口移しの意味は明らかであった。
「あ、あ、姉上っ!?」
 思わず仰け反ったところへ、
「口移しなんてはしたない。ほら晋二、口開けて!」
「碇君こっち!」
「晋二、んーん」
 一斉に怪しい影が襲いかかり、
「止めてー!」
 屋敷内に殿様の悲鳴が響き渡った。
 
 
 
 
 
「三好殿」
「なんでござる、池田殿?」
 既に開戦を明日に控え、国人衆達も戦の用意に余念がない。
 ここ、三好政勝の屋敷でも無論そうだったが、そこへ同じ国人衆の池田長正が訊ねてきた。
「このまま、本気で碇家に肩入れされるおつもりか?」
「池田殿は反対か?」
「反対ではないが…あまりにも無謀ではござらぬか。元は家臣、しかもその辺の娘達の尻に敷かれているような若者でござるぞ」
 確かにもっともと言える。
 しかも、今麗達に襲われている晋二を見たら、何を言いだしたか分かるまい。
 だが、何故か政勝はからからと笑った。
「…三好殿?」
「卯璃屋得留之助を見れば分かるでござろうよ」
「卯璃屋得留之助を?」
「そうござる、あれは武士ではないが商人じゃ。これは滅ぶ、と見たところに力など入れぬ。何よりも、堺衆は既に碇家に肩入れすることに決めておるのじゃ」
「どう言うことじゃ」
「先代の畠山高政の時は、鉄砲は十分な数が揃っておらなんだが、これはそのまま商人達が売り渋った事を意味しておる。なれど、今の碇家には鉄砲が既に十分な数が集められておる。鉄砲を操る者がおれば、すぐにも三千位はできようぞ」
「……なんと」
 鉄砲三千、それはすなわち五百石取りの武将が三人フルに鉄砲を扱える事を意味している。
 五百石取りになって初めて、千人の兵を率いる事が出来るのだ。
「卯璃屋殿はおそらく…その無さに賭けたのであろうよ」
「無さ?」
「左様。野望、野心、晋二殿に足りぬはそれにあると見たのじゃ。それ故に、堺衆をあげての協力を決めたのであろう。この時代、右を見ても左を見ても、野望と欲望に溢れた輩ばかりじゃ。時にはそんな、浮き雲が似合う男がいても良かろうよ」
「浮き雲…のう」
 呟いた長正に、
「それに、あの娘達はいずれも商人の出身故、武家に似合わぬ女ではない。刀だけ振り回して、天下を取れぬ事など長正殿とて、よくご承知であろうが」
 政勝の言うとおり、商人との折衝無くしては、どんな大名とて国の経営はなり立たない。
 鉄砲、軍馬の購入は元より、兵糧の売買もすべて商人との交渉なのだ。
 その点、都市出身の二人がいるのは多いに心強い。
「確かに三好殿の言うとおりやも知れぬな。王佐の才も、そのあるべき無くしては役に立たぬ、か」
 一人ごちた長正に、政勝は軽く頷いて見せた。
 
 
 
 
 
「なんて事するんだよもう!」
 晋二がぷりぷり怒っているのは、別に襲われた事に対してではなく、その結果膳がひっくり返った事に付いてであった。
 自分より、駄目になった夕餉を気にするのは晋二らしい。
 しかも、
「折角作ってくれたのに、駄目になっちゃったじゃないか!」
 作ったのは小者達だが、彼らに悪いと気に掛けている。
 他家の大名達からすれば笑止だろうが、そんなところもまた碇晋二の一つなのだ。
 それを知っているからこそ、畠山の旗印には決して靡かなかった国人衆も、いとも簡単に味方になったのだし、堺衆もまたそのバックアップとなったのだ。
「『ご、ごめんなさい…』」
 自分のことでは怒らないが、こんな事では怒る。
 それを知っている三人が、しゅんとなって俯いたところへ、
「あ、あの碇様…」
 控えめな声がした。
「何?」
「し、失礼致します…」
 遠慮がちにそっと扉を開けたのは、着物姿の女達であった。
 普段は、それこそお手つきにでもならない限り、殿様の所へなど来ない彼らは、台所を預かる者達であった。
「どうしたの?」
「あ、あの私たちはよろしいですので…も、もうよろしい頃合いかと…」
 舌足らずなのは仕方あるまい。
 これが他家なら、問答無用で斬り捨てられているところだ。
 俯いている娘達の表情は分からなかった、晋二が一瞬呆気に取られたような顔をした後、
「奥まで…聞こえた?」
「は、はい…あの…」
「そうか、騒いで済まなかったね」
「い、いえっ、決してそんな事はっ」
 激しく首を振った娘達に、
「君達がそう言うならそうするよ。今度から、粗末にするなとよく言っておくから、もう下がっていいよ」
「はい…し、失礼致します…」
 下がったその姿に、晋二はあるものを見ていた。
 すなわち、母唯の姿を。
 元より、彼らが最初から独断で来たとは思っておらず、こんな事をさせるのも、美里か唯しかいない。
 そしてその美里は、今紀伊で雑賀衆に睨みを利かせている筈であった。
 ふう、と溜息をつくと、
「もういいよ。怒っても、またあの子達来ちゃうし。それより真名」
「は、はい…」
「お茶入れて」
「はい?」
「卯璃屋さんから、金平糖を頂いたんだ。食べると気分が静まるんだって。アスカ達も食べる?」
 こくんと頷いた麗達に、やっと室内の空気が緩む。
 更に緩んだのは、立ち上がった真名が脚のしびれで、すてんと転んだ時であった。
 巻き添えを食った二人を見て、晋二の口許が小さな笑みを創り出した。
 
 
「で、晋二はどうしたの」
「はい、多分お許しになったものと…」
「そう、それならいいわ」
「あ、あの唯様」
「何」
「わ、私たちは本当に少しも…」
「分かっていないのね、あなた達の事ではないのよ。お前達を行かせないと、あの子達が何時までも晋二を不機嫌にしたままでしょう。そんな事も分からないの」
「も、申し訳ありませんっ」
 慌てて平伏した娘達から、唯は冷たく視線を逸らした。
 奥を預かる者としては当然の、だが晋二の生母としては、やや似合わぬ振る舞いであった。
 
 
 
 
 
「ほう、すると碇家が攻めて来ると言うのだな」
「はっ」
 ここは、本願寺の聖地とも言える石山御坊。
 ここに、坊主共の親分本願寺顕如と、その父証恵がいた。
 当然彼らも情報網は持っており、碇家の動きは既に掴んでいた。
「願泉寺は、無論御当家にお味方致します。鈴木重泰、下間頼廉のご両所も既に準備は終わっておられます」
 鈴木重泰は大砲、下間頼廉は鉄砲と、いずれも名手としてその名を知られている。
 更に。
「麗奈様も、既に鉄砲の準備を終えられました。後は、明日を待つのみです」
「そうか」
 麗奈の名を聞いた時、初めて顕如の顔が緩む。
「明日の初陣は、手柄を立てさせねばの。頼廉や頼竜にもよく申し聞かせておけよ」
「はっ」
 僧侶のくせに、いつのまにか銃器など持って武装するようになった彼ら。
 それには、各国の大名も手を焼いているのだが…果たして晋二達はこれを、よく撃退しうるのだろうか。
  
 
 その晩は遅くまで、それぞれの陣営は煌々と灯りがついており、夜更けまで消える事は無かった。
 
 
 
 
 
(続)

大手門

桜田門