聖魔転生−第八話

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「うわああっ、ぐああああっっ!!」
 煉獄に包まれ絶叫した、と自分でも知っているのは刹那の事で、すぐにトウジは意識を喪っていった。
 全身が焼かれるような激痛を感じながら、それでいて妙に気分は晴れていた。
 そもそも、見知らぬ女の言葉に、あっさりと燃える炎の中に身を投じるなど、どう考えても常識外れである。
 にもかかわらず、トウジは飛び込んだ。
 女に騙された、とは思っていない。
 胸に全く視線が行かなかったか、と言えば嘘になるかも知れないが。
 だがそれよりも、本能が告げていたのだ。
 行こう、と。
 そして今、本能は肉体とは別に起きた事態に納得していた。
 身体の痛みと精神が別なのは、そのせいかも知れない。
 倒れ込んでいったトウジを、えりあはどこか冷ややかな視線で眺めた。
「想いが体躯すら変えうるか、さて見せてもらうわよ」
 
  
 
 
 
「お邪魔します」
 アスカの嫌がらせと言うか八つ当たりみたいな攻撃を受け、あちこち傷む身体を引きずってシンジはリツコの部屋を訪れた。
「何の用」
 冷ややかな視線がシンジを出迎え、
「あの、えーと先生が呼んだんじゃ」
「呼んでないわよ」
 リツコは一蹴し、
「私が呼んだのは碇シンジであって、いちゃつき病に罹った間者ではなくてよ」
「僕はスパイだったのか」
 うーんと考え込んだシンジに、
「そう、女の尻を追い回す間者よ。いつからアスカとの仲が進展し始めたのかしら」
「不明。別に仲良くなった気はないんだけどなあ」
「こんなのが元天使だなんて、霊界も落ちたものね」
「僕がいなくなったから落ちたんだよ。で、用件は」
「それは私の台詞よ。本来はあなたから来るべきじゃなくて?」
 シンジの表情が、おやっと言うような物になり、
「何か感じたの?」
「最近感じやすいのよ」
「はいはい」
 お手上げ、とシンジは両手を上げた。
「すみません、降参いたします」
「最近べたべたしてると、何故か私の所にクレームが来るのよ。まいた種は自分で刈り取るものよ」
「は、はあ」
 と言っても、実はシンジには心当たりがない。別にいちゃいちゃしてる、等という自覚はないのだから。
 
「さて、な」
 シベリアンハスキーにその身を変えた魔獣は、ちらりと空を見上げた。
 土産代わりにかけたマリンカリン−媚薬にも似たその低級魔法が、単純な二人には未だに影響を及ぼしている事を、無論ケルベロスは知っているが決して教えてやる気はなかったのだ。
「しかし暇だな」
 人間界で番犬になってしまったのはやむを得ないが、ぼんやり道路を見ているのがこんなに暇だとは思わなかった。
「ん?」
 一瞬その耳がぴんと立ち、鋭い光が双眸に宿ったのは、ちょうどリツコがそれを感知したのと同時刻であった。
 
「そんなことより、あの蛇娘はどうするの」
「メドゥーサ?うーん…あんまり関わりたくない」
「愛情が濃すぎるのかしら」
「リツコさんの性格みた…ううんなんでもない」
 すう、と掌を滑った指は尖った針をそこへ握っており、それが普通のまち針とかミシン針である訳は決してないのだ。
「要するにアスカが欲しいんだよ、あの蛇は」
 まったくもう、と言う感じの口調に、
「でも欲しいのは、アスカじゃなくてその持っている力でしょう。あなたは欲しくないのかしら」
「要らない」
 シンジは首を振った。
「僕は、そんな事のためにアスカの側にいる訳じゃない」
「ではなんのために?」
「何のためにって…知らない」
「知らない?」
「気が付いたらここにいてアスカがいた。でも気付いた時期を考えると、別にアスカのために来たわけでもなさそうだし。僕がなぜここにいるか知ってる?」
「あなたの前世になど、いえ正体と言うべきかしらね。そんな事に興味はないわ。私の興味があるのは、あくまで受け持った生徒の成績だけ、それを忘れないでもらいたいわね」
「は、はあ」
 いかにもリツコらしい答えではあったが、結局どうしてシンジを呼びだしたのかは分からなかった。
 聞こうと思ったのだが、
「お帰りはあちらよ」
 ペンの先がすっと出口を指差し、用は済んだと言わんばかりのリツコに、シンジもそれ以上は訊けなかったのだ。
 
 
 
 
 
「一応は、褒めておくべきかしらね」
 だが、足元に横たわるトウジを見下ろすえりあの視線には、内容とは反対の物が含まれている。
 トウジが飛び込んだのは燃えさかる炎だが、実際のそれとはやや異なる。とは言え、飛び込んで冷たい代物ではなく、その身体もあちこちが焦げている。
 が、服は盛大に焦げているのに、露出している皮膚にまったく火傷の痕が見られないのはおかしい。何よりも、服の状態とは反対にもっとも露出している部分−頭部には外傷も焦げた痕もチリチリになった髪もない。
 おそらく大半の方は、ドライヤーを当てすぎて髪が焦げた経験はおありだろう。髪の火傷とも言うべきそれは、チリチリになったそれが落ちてきて分かるのだ。
 無論、デート前には決してなりたくない髪型である事は、言う迄もないが。
「上がったわよ」
 一丁上がり、みたいな口調で言うと、すっと扉が開いてケンスケが姿を見せた。
「これは…」
「思いが不純だから半端なのよ。受洗に相応しいのは欲を始めとする自分のための欲求で、ナイトだの小娘を守るだの、そんなのは邪魔なだけなのはあなたも知っているでしょう」
「こいつはそう言うやつです。そして御前もそれを承知で同意された。違いますか」
「随分とこの子が気に入っているのね」
「俺は女を守るために身を替えるなんて事は出来ない。でもこいつはそれが出来るやつです。俺には…決して出来ないそれを」
「まあいいわ。いずれにせよ、私には関係ない事だわ−マユミ」
「はい」
 姿を見せた美少女だが、ケンスケはむしろその気配の無さに驚いていた。自分が入った時、間違いなく後ろには誰もいなかった。それなのにこの娘は、自分にまったく気配を感じさせる事無く現れたのである。
「自分に気取られないのは妙だ、と思っているわね。この子は山岸マユミ、私の妹みたいなものよ」
 妹、とは言っても雰囲気はまったく似ても似つかないから、実妹ではなく妹分と言う事だろう。
「こちらは相田ケンスケ、有能な術師の方よ。さ、挨拶なさい」
 有能という事になっている、と言う響きをそこに感じ、僅かに眉が上がりかけたが理性で抑えたケンスケに、
「山岸マユミです。よろしくお願いいたします」
 マユミは静かに頭を下げた。
「あ、ああこちらこそよろしく」
 と返してから、ケンスケは何故か急に反発したくなった。
「いきなりであれだが、どんな能力を?」
 やや挑戦的な口調になったような気もしたが、二人とも顔色一つ変えず、
「いいわ。実力を知っておきたいと思うのは当然だもの。マユミ、あなたの力見せておあげなさい」
「はい」
 マユミは頷くと髪に手を当てた。そこから一本引き抜くと、目にも留まらぬ速さで腰まである長さのそれを指に巻き付けていく。
「では」
 その手が水平に肩の高さまであがり、ひょいと振り下ろされた。実に何気ない仕種である。
 だが次の瞬間ケンスケの前に出現したのは、マユミの身体に巻き付いた巨大な大蛇であり、そいつは火を舌と変えて吐き出しながら、光る目でケンスケを睨み付けている。
(小手調べに幻影か…?)
 しかしトウジはいるしえりあもいる。レイが校庭で引っ掛かった世界ごと変えたそれとは明らかに違う。何より、マユミの身体は巨体の中に沈み掛けているのだ。
「ボアは本来人は襲いません。だから、原住民の中にはペットとまでは行かなくても守護神として崇めている部族もあります。ですがやはり便利なのは、紙切れ一枚で中に封じ込められる事ですね。さあ、ご挨拶してください」
 マユミの言葉が終わると同時に、巨躯からは想像もつかないような俊敏な動きで、蛇は一直線にケンスケの顔を目指して伸びた。ケンスケが避ける間もない。
 ぬるぬると硬質が混ざった、あの独特の感じが身体に巻き付き、凄まじい力で締め付けてきた。
「蛇は最初、友好度を試すために取りあえず締め付けるそうです。それとも−怖いですか?」
「こ、この位なら大した事はないさ」
 とは言え、既に骨が鳴っているような気もするし、それに首を振ろうにも動かす隙間すらない。
 この時ケンスケがマユミの言葉を無視していれば、気が付いたに違いない。大蛇をペットにしていようが、実力とは何ら関係ないことに。
 そしてマユミはこう言ったのだ−紙切れ一枚で中に封じ込められる、と。
 マユミが指に巻き付けたたのは、紙ではなく紙ではなかったか。
 突っ立ったままのケンスケが、両手をぴったり身体に付けて失神したのを見ながら、
「こんな初歩の手が通じるとは、それもヒントは出したのに引っ掛かるとは、この人は本当に?」
 ちらりとえりあを見たマユミに、
「そう。これでも一応は御前様が認めた子なのよ。さあ、次は悦びの方を教えてあげるのよ」
「い、いや…」
 小さく首を振って抵抗した。
「男なんか嫌、お姉さまのでして…いつもみたいにお尻もあそこもめちゃくちゃにしてくれなきゃいや」
 男を女に変え、お姉さまをシンジに変えてアスカに言わせたら、間違いなくシンジを心臓発作であの世に送れるに違いない。
 この清楚な娘の何処にそんな淫乱な性質が、と首を八十度くらい傾けたくなるような台詞だが、
「いいわ、してあげる」
 えりあはあっさりと頷いた。
「ただし、この子を三十秒以内に射精させたらね。あんたなら簡単でしょう」
 冷たい台詞と口調にマユミの顔が歪む。
「出来なければ無理強いはしないわ。じゃ、私は用があるからこれで」
 トウジの服をぐいと掴んだえりあに、
「や、やりますっ」
 震える声でマユミが叫んだ。
「こ、この位平気ですっ」
 よほど快楽が身体に根付いているのか、或いは他の理由があるのか、マユミは手をケンスケのズボンへと伸ばした。だが、その手つきにはどこか思い詰めたような危険な物が含まれている。
 立ったまま硬直しているケンスケのそれは、指の一振りですぐに顔を出した。刹那睨むようにマユミは見たが、もし下半身に人格があれば、間違いなく萎縮しそうな視線であった。
 無論下を向いているそれを、しなやかな指がぎゅっと掴み、慌てて力を抜いてやんわりと手に取った。
 本人は失神しているが、勃起を促すのに舌も赤い唇も要らなかった。
 見よう見まねと明らかに分かる手つきで、ゆっくりと刺激を加えだしたマユミだが、
「ちゃんと舌も使って。使わないなら指しかしないわよ」
 冷たい言葉にマユミの肩がびくりと震えたが、諦めたように赤い唇でくわえこんだ。
 噛まれそうな動きではあったがそんな事もなく、ケンスケの腰が揺れて、マユミが激しくむせ混んだのは丁度二十八秒後であり、けほけほと噎せ返っているマユミが初めての苦みを吐き出そうとすると、不意にその髪が掴まれた。 
「二十八秒、一応合格にしてあげるわ」
 あまり褒めていない口調で言うと、
「吐き出すのは駄目。私が飲んであげる」
 過ぎるほど粘着質なそれを、マユミから口移しに吸い上げ、二人の唇を精液の白く濁った糸が繋いだ。
 そのままマユミの舌も絡め取り、左手でその身体を抱き寄せたまま、右手がするするとマユミの服の中へ滑り込んでいく。
 乳首をぎゅっと掴まれたマユミが、口許に精液の痕を残したままうっとりとした顔になって喘いだ。
 どうやら、痛くされる方がお好みらしい。
 女同士の痴情が続く間も、放出して勢いを喪った下半身を露出したまま、ケンスケは直立不動で立っている。
 その精神世界ではおそらく、巻き付く大蛇の締め付けを必死になって堪えているに違いなかった。
 
 
 
 
 
「で、結局何のお呼び出しだったのよ」
「何が?」
「何って昼のあれよ。まさかご飯一緒に食べてきた訳じゃないでしょうね」
「ご飯?ごはんご飯…あー!!」
「な、何よ?」
「食べ忘れた」
「忘れたってあんた、食べてなかったの?」
 忘れた、と言うよりふっと考え込んでいたのだ−自分が何時から、そして何故アスカの側にいるのかを。
「ちょっと考え事してたから」
「考え事?あんたの空っぽの頭で考えたって、しょうがないじゃん」
「アスカより詰まってるけどね」
「なにおう!」
 ぎゅうっとシンジの首を捕まえ、
「あんた最近とっても生意気っ!」
「いたたた」
 シンジの方が身長はあり、小脇に抱えられたシンジの頭にアスカの胸が当たる。
(アスカ最近胸大きくなって…あ)
 自分の頭を極めたまま、アスカがじーっと見ていたのだ。
「あんた、何顔赤くしてるのよ」
 この時点ではまだ、アスカは赤い顔の理由は分かっていなかった。
 が、自分の胸に当たっているシンジの頭に気が付いた。 
「あ、あの〜」
「まあいいわ」
「はい?」
「あんたなんか一生女に縁無さそうだし、このスーパーグラマラスならゴージャスボディに見とれるのも無理はないわね。まあそれに免じて許してあげる」
 自分でそこまで言えれば大したものだが、取りあえず顔を赤くしたのは失敗である。
 ただ取りあえずピンチは逃れたかと、そうっと抜け出そうとしたその途端、がしっと捕まった。
「ところでシンジ」
「は、はい」
「罪一等減じるって知ってる?」
「い、一等?」
「そう。取りあえず死刑だけは許してあげるわ」
 言い終わらぬ内にシンジの身体には、きれいなコブラツイストが決まっており、
「誰か助けてー!」
 往来の真ん中で絡み合った男女、それも男の方の情けない悲鳴に、道行く人々は冷ややかな視線を向けた。
 
 
 
 
 
 次の日、いつものようにアスカを起こしに行き、いつものように妙な夢を見て悶えていたアスカに一撃を食らい、ぶつぶつ言いながら学校へ行く。と、ここまではいつも通りだったが、二人を待っていたのは尋常な光景ではなかった。
 仮面か本物かは分からないが、人当たりの良さが看板みたいなケンスケが、火事と地震とこの夜の終わりが一度に来たくらい、ぶすうっとして椅子に座っていたのだ。
 昨日気が付いたら、蛇の猛攻撃(アタック)を耐えていた筈が、下半身を掘り出して立っていた。しかも何が何やら分からぬ内に射精しており、真っ赤な顔で藤吉老人の所にすっ飛んでいくと、もうトウジは受洗が終わって帰ったという。
 まさかトウジの手か口に出した訳ではあるまいが、赤子みたいな手にひっかかり、その上射精した下半身そのままで立っていたなど、相田ケンスケ末代までの不覚であり、さすがのケンスケもご機嫌がかなり斜めになっていたのだ。
「あいつ、にやけ顔だけが取り柄じゃなかったの」
「せめて人当たりの良さって言おうよ」
「似たような物よ。それよりあいつ、フーゾクで婆さんにでも当たったの…いたっ、何するのよ」
 ぽかっと頭を叩かれて、
「アスカさん、どこでそう言うこと覚えてくるんですか」
「レイに聞いたのよ。いい女は男の生理にも通じておかないと駄目とか言って」
「……(あの蛇女)」
 やっぱり八つ裂きにして天日に干してやろうと思ったが、見回すとまだいない。
 と、そこへ、
「はあい、マイハニー」
 張本人が現れ、きゅっとアスカの後ろから抱き付いた。
「ちょっとレイ朝から抱き付くの止めなさいよ」
「まったくだこの変態」
「誰が変態よ」
「アスカは純粋培養なんだから余計な知識は植え込まないでもらおう」
「アスカ、この保護者のヒト何言ってるの」
「あんたが言ってた風俗の当たり外れの話よ。それと言っとくけど、別に保護者じゃないわよこんなの」
「ああ、あれ?ふーん、ばっかじゃないの」
「…何」
「別に風俗が汚いモンじゃないし、ちゃんとした情報を知っておくのは必要よ。それともソープ行って八十代のお婆さんにでも遭ったわけ?」
「ふうん…」
 ぴき、とシンジの眉が上がった。
 風俗の善し悪しなどシンジには興味ないがレイが、すなわちメドゥーサが情報源、と言うことが問題なのだ。
 どうせまた、アスカ絡みで何やら企んでいるに違いないのだから。
 ここで決着を、と言いかけたがふと入口を見たその動きが止まった。
 その視線は入ってきたトウジに注がれている。
「?」
 何故かトウジから視線の動かないシンジだが、次の瞬間その顔色が変わった。
「まさか受けたのかっ!?」
「な、何よ急に。びっくりするじゃないのよ」
 シンジがトウジを見つめているから、まさかそっちに目覚めたかと思ったら急に大きな声を出したから、驚いたアスカが鞄を取り落とした。
 幸い朝の始業前の騒然とした雰囲気で、シンジの声に気付いた者はごく数名で、すぐ興味を喪ったように視線を逸らした。
「あの子が望んだんじゃないの〜」
 揶揄するような台詞にシンジがレイを見たが、
「大方、強くなりたいとか言ってるのをガイアに引き込まれたのよ」
「なんでわざわ−」
 何か言いかけたシンジだったが、
「ほーら生徒共、席に着きなさい。チャイム鳴ったぞー」
 なんとなく資質に問題のありそうな台詞と共にミサトが入ってくると、
「さて男共。前回の転校生は対面に間に合わなかったが、今日は持参したわよ」
「美人?」
「美人なの?」
「餅のロンよ」
 ぐっと親指を立ててから、
「ま、あたしには及ばないけどね」
 あっけらかんとした口調で言うと、
「さ、ほら入って」
 ひっそりと扉が開き、これまたひっそりと入ってきた眼鏡の少女は、山岸マユミと名乗った。