聖魔転生−第七話

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ここは…ケンスケの家じゃないな」
「ああ、俺の家じゃない」
 ケンスケに連れられて、トウジは見たこともない家に来ていた。
 年代を感じさせる和風造りの家は、トウジに何かを感じさせた。
 そう、全身にひしひしと迫ってくる何かを。
 ただし、シンジならこう言ったであろう。
 すなわち妖気、と。
 がしかし、真夜中の墓地で感じるそれとは、大方の場合異種である。
 例えば霊気であり。
 或いは怨念でもあり。
 霊感のない、或いは尋常を超えた者にしかその判断は、いやその認知すら難しい。
 気温の割に寒い、そう感じるのはそれの正体が分かっていないからだ。
 トウジにおいては、気温の差よりももう少し上のレベルにあると言えるだろう。
 見事に手入れされた竹垣の前に立つと、ししおどしが鳴った。
 何故か二度鳴ったのは、来客を知らせるシステムでも組まれていたものだろうか。
「開いてるわよ、入りなさい」
 女の声だが、何故かトウジは背中にぞくりとする物を感じた。
 官能だ、と知るには十秒位掛かった。
 トウジとて、無論木偶人形でもなくホモでもない。
 女の裸、に感じるだけの物は持ち合わせているが、ここまでのそれを感じた事は無かった。
 まして、声しか聞いていない女などに。
「どうした、トウジ?」
 不意にケンスケが振り向いた。
「い、いや何でもない…」
 無論ケンスケは、女の声がもたらした物には気付いている。
 だがそれには少しも突っ込まず、
「じゃ、行くぞ」
 何もなかったのように、すたすたと歩き出した。
 
  
 
 
 
「で、欠席は綾波と鈴原か。それに相田までいないとは、珍しい組み合わせだな」
 ふむ、と教師が出席簿に書き込んだとき、アスカがじろっと睨んだ。
 別に教師が気に入らないわけではない、単にヒカリの表情に気付いたのだ。
 一瞬ながら、動揺を表に出してしまったその顔に。
「ちょっとシンジ、あんた知らないの?」
「僕が知るわけないじゃな…いたっ」
 ぴっと、アスカの手から飛んだ消しゴムがシンジを直撃する。
「な、何するんだよいきなりっ」
「あんたが使えないからよ。まったく、使えない奴ねえ」
「何だよアスカこそ…」
 言いかけた所へ、

「うるさい黙れ」

 教師の危険な声が飛んできた。
 二人が周囲を見回すと、自分もそれに一票と言う視線が、あちこちから自分達を見ている。
 つまり、痴話喧嘩は外でしやがれ、と言う視線が。
「『すみません』」
 揃って謝った声は、不気味な位揃っており、次の瞬間教室中がどっと湧いた。
 
 
 
 
 
(随分と歩くんだな…)
 家の中に上がった二人だが、もう長い間歩き続けていた。
 外から見る限り、凝った造りではあってもそんなに面積は無かった。
 それに何よりも。
「同じ所、か?」
 内心で首を傾げた時、
「着いたぞ」
「おっ、おう」
 慌てて姿勢を正したのは、ケンスケが珍しくまともな顔をしていたからだ。
「失礼いたします」
「お入り」
 さっきの女とは違う、柔らかな物腰の声が返ってきた。
 性別も変わり、ついでに年齢もだいぶ加算されている。
 す、と障子を開けると、音を立てずに室内に滑り込む。
(ケンスケ?)
 到底素人には見えぬ歩みだが、何とかトウジも後に…続けなかった。
 ずるり、と足元が取られたかと思うと、次の瞬間顔から突っ込んでいたのだ。
「おいおい、何してんだよ」
 畳に熱いキスをかましたトウジを、口調とは裏腹に真顔のままケンスケは起こした。
 和服姿のまま、端座している老人の前でこれも正座すると、
「御前、これがお話しした鈴原トウジです。連れて参りました」
 トウジも、慌ててケンスケに習って正座した。
「黄泉藤吉です。よく来られた」
 軽い挨拶だが、ずしりと響いてくるのをトウジは感じた。
「す、鈴原トウジですっ」
 ゆっくりと頷いて、
「話はケンスケから聞いています。力が欲しい、との事だがどうしてかな」
「それは…」
 一旦言葉を切ってから、
「自分はこの年になるまで、化け物とかそう言った類のものは、全く信じて来ませんでした。いやいたとしても、それが自分にかかわるとは思っていなかったのです。でも先日、自分はそれを目の当たりにしました。もう少しで、命を落とす所でした。それがもし、自分だけならその程度の運だと思っています。ですが、その時自分はクラスメートを、それも女子と一緒でした。自分の非力で一緒に死なせてしまったら、自分はきっと一生悔やみ切れません」
「なるほど、近頃では珍しい男気だ」
 そう言いながら、なぜかケンスケをちらりと見た。
「だが、それだけでは無理ですな」
「え?」
「自分の身を犠牲にして、と言うのは大抵の場合いい結果は生みません。それどころか、むしろ逆の効果をもたらす場合が多いのです」
 噛んで含めるような口調だが、促すようにケンスケを見た。
「つまりさ、トウジ。お前は自分を犠牲にしても、とか思ってるんだろ。その場はそれで守れるかも知れないけど、次の時はもうお前はいない。そうなったら委員長はどうするんだ?」
「お、俺は別に個人的に誰かを…」
 顔を赤くしながら否定しても、説得力はない。
 ただし、ケンスケもそれ以上は触れず、
「まあいいさ。とにかく、自分を強くしたいと言うのが一番の理由であって、誰かを守るとかはその次でなきゃいけない、そう言われたんだよ」
「そ、それは…」
「如何かな」
 藤吉老人が、静かにトウジを見た。
 だが、その視線が僅かに変わっている事に、トウジは気付いていた。
 確かにケンスケの言う事は正論ではある。
 その場限りの特攻隊もどきでは、次回はもう無いからだ。
 しかも、頼れるもののない恐怖を与えるなら、最初から守らぬ方がいいかも知れないのだ。
 とは言え、自分を最優先にする事を、いわば強要にも近い形で迫っている事もまた事実である。
 そしてそれこそがこの、すなわちケンスケが連れてきたこの場所における本質とも言える事項だと言う事に、トウジは気付いていない。
 ただ一つはっきりしていることは、おそらく目の前の老人が、自分に力を与えうる存在である、と言う事であり、そしてそれはトウジに取ってもっとも重要な事である。
「…分かりました」
 トウジがゆっくりと頷く。
 どこか、自分に納得させるような頷き方に見えた。
「よろしい。では」
 藤吉老人の声と共に、すっと障子が開いた。
「あ、あなたは」
 そこに控えていた女を見て、一目でさっきの女だと分かった。
 紺のスーツに身を包んではいるが、胸元は大きく開いており、全身から色香を掃いたような気を醸し出している。
「ここの案内人よ。えりあ、と呼んでちょうだいな」
「は、はあ」
 どことなく間延びした声は、向いた視線の先にあるとケンスケは知っていた。
 すなわち、その大きく開いた胸元から惜しげもなく覗く乳房に。
(委員長が知ったら怒るだろうな)
 ケンスケが内心でにっと笑った時、
「こっちよ、さあ行きましょう」
 えりあが立ち上がって歩き出すと、トウジがつられるように立ち上がる。
 その姿が消えるのを見送ってから、
「御前、いかがでしょうか」
「役に立たぬ、そう知って連れてはくるまいよ、お前は。それに見込みがない訳でも無さそうだ、何よりも、今の我らには戦力となる者がいる。我ら−ガイア教団にはな」
「仰せの通りに」
 ケンスケはすっと一礼した。
 
 
 
 
 
「…ここは…」
 レイはゆっくりと目を開けたが、喉元に激痛を感じて思わずせき込んだ。
「おう、起きたな。気分はどうだい」
 聞き覚えのある声に、がばと跳ね起きた。
「別に取って食おうって訳じゃない。が、無断欠席は担任が心配するぞ」
「…あんたは…加持…和尚」
 一応呼称を付けたのは、助けられたと本能的に知っていたからだ。
「蛇女−メドゥーサだったか。どこの神話にあったかな」
「ど、どうしてそれをっ」
 加持はそれには答えず、急須を傾けて湯飲みに何やら注いだ。
「滋養剤だ。だいぶダメージがあったからな、飲んだ方がいいだろう」
「……」
「日本の寺社と言えば、古来から憑いた物の本性を見る技量は備わっている。昨日シンジ君に来るよう言って置いたのに、ころっと忘れていた。一騒ぎあったらしいな」
「…余計なお世話よ」
「その余計なお世話で、もう少しでシンジ君に絞殺される所だったぞ」
「…か、感謝してるわよ」
 ややぶっきらぼうに言うと、ぐいと湯飲みを傾けた。
 甘い、とは到底言い得ぬ、しかも妙な色をした液体が流れ込んできたが、何とか飲み干す。
 それを見ながら、いいやと加持は首を振った。
「?」
「俺が行った時、君はもう完全に伸びていた。感謝するならあの、アスカっていう娘に感謝するんだな」
「アスカ?」
「あの娘が戻って来なかったら、君はもう手遅れだった。狙うなら、シンジ君を直の方が良かったな−わざわざ従魔を使うくらいなら」
「なっ!?」
 まさかそこまで知られている?
 愕然としたレイだが、加持は唇の端で僅かに笑った。
「この日本は、遙か昔に国津神の治める所だった。それがいつからか、天孫系の神々が彼らを支配下に置くようになった。まあ、神がどっちでも構わないが、何時からだろうな…神と言う物が殆ど消え失せるようになったのは」
 レイに聞かせると言うより、独白に近い台詞であった。
「シンジ君はああ見えて、おそらく属性は中立だ」
(馬鹿ね)
 初めてレイは、内心で笑った。
(ラファエルは天使、バリバリのLAW(ロウ)じゃないのよ)
 そんなレイには気付かぬげに、
「一つ言えてるのは、君の魔の属性とは違うと言う事だ。単身で相手するには、ちょっときついんじゃないかな」
 すっとレイの顔が俯いた。
 怒り出すかな、と思ったのだが、
「残念でした」
「何?」
 上がった顔は妖々と笑っている。
「確かにあんたの言うとおり、私一人でラファエルの相手はちょっときつい」
 無理だ、とは絶対に言わない。
「でも、私にだって仲魔はいるんだからね。見てなさいよ、絶対にぎゃふんといわせてやるんだから」
「それは楽しみだ」
 シンジと親しい者とは思えぬ台詞を吐いたが、一転して真顔になった。
「な、何よ」
「男と女が、女の争奪戦を繰り広げるのもいいだろう。だが、この町に累を及ぼす者は誰であっても、この俺が相手になる」
 眼光鋭く宣言した加持に、
「ふんっ」
 そっぽを向いて、レイは走り出していく。
「滋養茶、よく効いたようだな」
 気にした様子もなく呟くと、
「ぎゃふん?悪霊でも口にしないだろうが…」
 はて、と首を傾げた。
 
 
 
 
 
「さ、着いたわよ」
 えりあに案内された先は、さっきと変わらないような部屋であった。
 事実、廊下から見た限りはまったく区別が付かない。
 だが、えりあがすっと障子を開けた瞬間、トウジの表情は凍りついた。
 その中には、燃える地獄が広がっていたのである。
 誇張ではなく、文字通りの燃え広がる炎がそこには展開していたのである。
「こ、ここは…」
「試練の間よ」
 えりあは、どこかのんびりしたような声で告げた。
「あなたには今から、この中に飛び込んでもらうわ」
「っ!?」
 トウジの脚が硬直するのを見ても、えりあは別段表情も変えなかった。
「無理に、とは言わないわ。このまま素直に帰らせてあげる。ただし、記憶は少しいじらせてもらうけれど」
「……」
「生身の人間が力を得るなら、それ相応の事は必要よ。さ、どうするの?」
 ぐっと、唇が白くなるほど噛みしめたトウジを、えりあは眺めていた。
 他人事、と言うよりどこかどうでもいいような雰囲気さえある。
 ややあってから、トウジの唇がゆっくりと動いた。
 
 
 
 
 
「あの、アスカさん」
「何よ」
「ちょっと意見など言っていいですか?」
「あたしが悪い、なんて言ったら死刑だからね」
「…じゃ、いいや」
 あからさまにそっちだったらしいシンジに、
「バカシンジの癖にー!」
 ヘッドロック、とかました所で、
「ベッドの上でもそうなのかしら」
 冷たい声がして、慌てて二人は離れた。
「何か?」
「大した事じゃないのよ」
 一瞬止まったリツコの表情に、二人は顔を見合わせた。
 説教しに来た訳では無さそうだ。
 しかも、リツコが思い悩むなど二人には到底想像不能であった。
 悩みがない、と言っているのではない。
 ただ、他人の前でそれを見せるような事は、決してしないリツコの性格であり、何よりも即決の決断力はリツコの特徴でもあったのだ。
「シンジ君」
「はい?」
「お昼、一緒に食べましょう。昼休み、私の所へいらっしゃい」
 それだけ言うと、きびすを返して去っていく。
「シンジ、あんた何かしたの?」
「先生の写真をベッドの下に隠してるのばれ…いだだだだ!」
「ぶっ殺す!」
 人が真面目に訊いてるのに!とアスカは、今度こそ思い切りシンジを締め上げた。
 
 
 
 
 
「…やります」
「やるの?」
 意外そうな答えが返ってきて、さすがのトウジも一瞬呆れた。
 となるとこの女は、自分に試験を受けさせるために連れてきたのではないのか?
「何もそんな顔しなくてもいいじゃない。ただ、一つだけ言っておくわ」
「?」
「炎に身を投じたとて、必ずしも力が得られる訳ではないのよ」
「え?…」
「これは基本的に、今ある物を急速に伸ばした場合に使うの。あなたのように、何も持たぬ素人が挑む物ではないのよ。それに、この中は凄まじい激痛を伴うわ。現に今までも、精神に異常を来した者もいる。そんな思いをしても、結局は無収穫に終わるかもしれない。それでもいい?」
 内心で首を傾げた後、おそらくケンスケだろとトウジは考えた。
 多分ケンスケが、ぎりぎりまで念を押してくれと頼んだに違いないと、と。
「ケンスケには悪いけど、俺も引くわけには行きません」
 静かな声で、トウジは言い切った。
 が、
「……」
 えりあのこの反応は、トウジの予想の外れを示していたのだが、トウジはそこまで気付かなかった。
 すぐに表情を戻すと、
「いいわ、そこまで決心してるならもう止めない。さ、行ってらっしゃい」
 とこれは突然、そう突然押したのだ。
 よりによって、後ろ向きのまま燃える炎の中に突き落とされたトウジ。
「うわあああああっ!!」
 室内に、絶叫が響き渡った。
 
 
 
 
 
 と、同時刻。
「え?」
 誰かに名前を呼ばれたような気がして、ヒカリは一瞬振り返った。
 だが誰もいない。
「アスカ呼ん…」
 言いかけたが、すぐに視線を逸らす。
 そこには、シンジをぎりぎりと締めているアスカの姿があった。
 
 
「ちょ、ちょっとアスカ苦しいって…?」
 一瞬シンジの動きが止まり、
「どうしたのよ」
「今何かが…」
「え?」
(巨大な妖気が動いたような気がしたが…)
「いや、何でもない」
 それよりもと、ちょっと緩んだ腕の間から、シンジはすっと抜け出すのに成功した。
「あっ、こら待ちなさいよっ!」
「今度ね」
 さっさと逃げ出したシンジを睨みながら、
「今度刺身にしてやるんだから」
 奇妙な事を呟くと、
「ヒカリ、さっきあたしの事呼んだ?」
 とヒカリに近づいていく。
 聴覚は随分といいらしい。
「んん、何でもないわ」
 ヒカリは軽く首を振った。
 “洞木!”と呼ばれたような気がしたのだが。
 それも、良く知っている声に。
 気のせいね、と自分に言い聞かせると、
「それよりアスカ、今日は新作のお菓子がでていたのよ」
 登校前、駅前のコンビニで買ったチョコレートを取りだした。