聖魔転生−第六話

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「しかし、訳の分からない生き物だな」
 呟いたケルベロスの前に、アスカがだらりと転がっている。
 別に獣姦プレイになった、訳ではない。
「主を守護するには、そのデータが必要なのだ」
 あんた番犬になりなさいと、とんでもない事を言いだしたアスカだが、ただのアスカなら本来弱い。
 双頭とも言われるケルベロスに、本来敵う訳はないのだ。
 また、アスカ以外がアメジストを持っても、これまたケルベロスには敵し得ない。
 アスカが、そしてアメジストをと言う偶然の産物なのだ。
 これを贈ったシンジとて、対ケルベロスまでは想定していなかったろう。
 とまれ、ケルベロスはこの娘の僕になる事を誓った。
 そして、アスカの求めるまま守護すら承諾し、その身体からデータを読みとった所である。
 読みとる、とは言っても簡単で、仰向けになったアスカの胸に、その前足を置いたに過ぎない。
 アスカがダウンしているのは、ケルベロスの霊力にあたったせいだ。
 ふつう人間というのは、常に第一にされている物があるのだが、アスカの場合は非常にわかりやすい物であった。
 そう、碇シンジ。
 ケルベロスがもし人間で、お喋りな娘だった日には明日あたり、学校中の噂になっているのは間違いない。
 だが、アスカのシンジに対する、殆ど下僕のような物を見ているだけに、妖獣がそう呟いたのも不思議ではなかったろう。
 こんなに占めているくせにつれなくあしらう、微妙と言うより変と言った方が合っているかも知れない。
 完全に無防備な、いや失神しているアスカを見て、
「契約は少し早かったか?」
 呟いた途端、ドアが開いてシンジが駆け込んできた。
「時間通りだな、ラファエル」
 どうせ持たないと、十分経ったら来るようにアスカから連絡させて置いたのだ。
「これは…」
「私の霊気に保たなかったのだ。いずれ目は覚める」
「そうか」
 と、開いた胸元からちょっと視線を逸らして、
「ケルベロス、聞きたい事がある」
「なんだ」
「お前を送ったのは、メドゥーサだな?」
 だがそれは、聞いたと言うより確認に近い物であった。
 そしてケルベロスも、
「そうだ」
 と否定はしなかった。
「あいつはお前に、浚ってこいと言ったのか?それとも食ってこいと?」
「食え、と言うわけはあるまいが。この娘は貢ぎ物だ。もっとも、自分で少し味見はしていたかもしれんがな」
「……」
 味見、というのはケルベロスが自分の事を指してはいない。
 だとするとレイがアスカを、と言う事になる。
 なにやら考え込んだシンジを見て、
「お前、本当にラファエルか?」
「何?」
「女の絡みに興味があるとは知らなかったぞ。随分、人間らしくなったものだな」
「僕はそんな事に興味はない」
 そわそわしながら否定しても、説得力はないと言う物だ。
「まあいい。そんな事よりこの娘、思考の中にお前がいっぱい詰まっていたぞ」
 その途端、シンジの顔が一瞬だがぽっと赤くなった。
「そ、そ、そんな事あるわけが…」
「あるんだな、それが」
 どことなく面倒くさそうに言うと、
「お前も知っているだろうが、霊気にあたった眠りは、霊力を持った者の口づけでしか起きん。メドゥーサを呼びたくなければ、お前がしてやれ」
 そう言うと、のそのそ歩いて出ていった。
 なお、その姿はシベリアンハスキーのままである。
 メドゥーサ、すなわちレイの事だが、呼べる訳はない。
 従ってシンジが、と言うことになるが…
「ど、どうしようか…」
 うっすらと唇を開けているアスカは、条件としてはお誂え向きである。
 がしかし。
 アスカがもっと素直で、及びシンジがもっと積極的なら、さっさとシンジはアスカの服を脱がせて愛撫に入っている。
 つまり、とっくに恋人関係になっていると言うことだ。
 それが出来ないから、
「ア、アスカ待ってよう」
「早くしなさいよ、バカシンジ!」
 の関係が変わらないのだ。
 無論今も、
「い、いいのかな…」
 ラファエルのそれは微塵もなく、単に優柔不断な一匹がそこにいるだけである。
「だ、だけどばれたら殺されそうだし…え、えーと…」
 ちょっと顔を近づけかけては引っ込め、
「ど、どうしようどうしようと」
 と、室内をうろついているシンジ。
 挙げ句の果てには、数分経ったときアスカがぴくっと動いたのにも、まったく気づかなかった。
「こ、これは合法だから決して寝込みを襲った訳じゃなく…」
 ついに決心したか、アスカの横にかがみ込むと、すっと唇を近づけていく。
 そしてそれが、殆ど差がなくなったその瞬間。
 ぱちり。
 アスカの双瞳が開いた。
「あ、あ、あのっ、そのこれはっ」
 青い瞳にみるみる危険な色が芽生えだし、シンジがじりじりと下がろうとした途端、にゅうと伸びた手が、がっしりとシンジを捕まえていた。
「何してんのよあんたは」
「い、何時から起きて…」
 まさか全部聞かれたかと、僅かに顔色を変えたが、
「優柔不断にうろうろしてる誰かさんのせいよ」
 どうやら、シンジがうろうろしてる最中に起きたらしい。
 ケルベロスとの会話を聞かれなかったのは、せめてもの幸いだと思った時、
「何しようとしたのよシンジ」
「え?」
「口移しで、あたしに毒でも飲ませようとしてたわけ?」
 何かおかしい。
「そ、そんなんじゃないよっ」
「じゃあ何なのよ」
 どうも違う、とようやくシンジも気付いた。
 本来なら、とっくに袋叩きにされておかしくない、いや間違いなくそうなっている所なのだ。
 それなのに、シンジを見つめる双瞳はどこか、いや間違いなく潤んでいる。
 初めて見せたアスカの表情だが、自分の理性もなぜか萎縮している事に、シンジも気づかなかった。
「シンジ…ん…」
 ちょっと突きだした唇に、シンジの理性が急速に溶けていく。
 ゆっくりとその手がアスカの首に回り、アスカの手はシンジの腰に伸びた。
 お互いに抱き合いながら、
「ん…ふ…ッ」
 初めてのキスは、あまりにも突然であった。
 舌を挿れもしない、ただ触れ合うようなあっさりした口づけだが、それでも顔が離れた時、二人の顔には確かに欲情があった。
「アスカ…」
「シンジ…」
 名前を呼び合い、回した腕に力がこもる。
 初めてのキスが、そのまま初夜になるかと思われたその時。
「『あ、あれ…』」
 二人の身体から急激に力が抜け、シンジがそのままアスカの上に倒れ込むような格好になった。
 押し倒した、と言う表現がぴったりに見えるが、実際には二人とも猛烈な睡魔に襲われており、のしかかったとものしかかられたとも、すでに自覚はない。
 それでも、アスカを押しつぶす寸前で、シンジがわずかに身体をひねってその横に倒れ込んだのは、無意識にと言うより、普段の関係の凝縮かもしれない。
 どこか情事の後の疲労に包まれた、ようにも見えるが、それにしては幾分幼い感じで二人が寝息を立て始めたのは、まもなくのことであった。
 顔と顔が、殆どくっつくような姿勢のままで。
 
 
 その時点で二人は無意識であり。
 当然の事として、
「マリンカリンは掛けておいた。私からの贈り物だ」
 ごろりと横になったケルベロスが口にしたことも、更には、
「もっとも、今のお前達では催淫も含むこれは保たないかもしれないな」
 と呟いた事は知る由もなかった。
 マリンカリン。
 魅惑の効果を持つその魔法を、主となったアスカに掛けたケルベロス。
 素直と一直線、この二つが遠いカップルにとっては、一時の贈り物となったろうか?
「一晩経てば忘れる、いずれ思い起こすがいい」
 どこかで聞こえた声は、そのまま夜の静寂へと吸い込まれて行った。
 
  
  
  
 
 夢見はかなり幸せな物であった事が、想像に難くない男女(ふたり)がいる一方で、到底それには及ばぬ組み合わせもまた、存在していた。
 背中に背負われた妹を見ても、姉は取り乱しはしなかった。
 その顔が、とても安らかだったと気が付いたからだ。
 だが、
「いつもありがとう」
 その笑顔も、今の彼にとっては苦痛でしかなかった。
 そう、鈴原トウジに取っては。
 手を出さずに運搬してきた、その事への礼なら当てはまったかも知れない。
 だがその一歩前、すなわち守ると言う部分に於いて、トウジは全く無力だったのだ。
 突如現れた、どこか獅子にも似たそれは、はっきりと人語を解していた。
 つまり、檻から脱走したライオンではなかったのだ。
 それだけならまだ、良かったかも知れない。
 あり得ない現象に巻き込まれたと、自分を納得させる事もできたからだ。
 だが。
 ケンスケは、あっさりとそいつを撃退して見せた。
 それも、自分が到底及ばぬ力を持って。
 
 俺は何をした?
 何も出来ずに、ただ眺めていただけだ。
 あのままケンスケが来なかったら、俺を犠牲にして洞木を逃がせたか?
 
 いいや、とトウジは声に出して首を振った。
 
 ケンスケが来なかったら、俺も洞木も犠牲になっていただけだ。
 そうだ…洞木を犠牲にして、守ることも出来ない無様を晒していた筈だ。
 
 屈辱と言うよりは、どうしようもない無力感に、トウジは全身を焼かれていた。
 今のトウジにとって、ヒカリは他と比べれば仲が、と言うだけの女生徒である。
 だがそんな事はトウジには関係なく、
「女は男が守るもの」
 と言う、最近では少し古めいた感もある矜持が、これ以上ない位に、傷ついていたのだから。
 ヒカリを送った帰り道、トウジの足はまるで死人のように重かった。
 墓から呼び出されたゾンビの列は、あるいはこんな風に歩くのかも知れない。
 そして家へ帰っても、その表情が微塵もはれる事はなかった。
 ベッドの上に座り、ただじっと虚空を見つめて。
 そして二時間、殆ど身動きせずに考え込んでいたトウジが、やっと口を開いた。
 それもただ一言、よし、と言っただけである。
 しかしそれが、トウジにとっては自分を賭ける程の決断であった事は、容易に見て取れた。
 ただ…それが自分の命運を変える物である事には気づかずに…。
 
 
 
 
 
 惣流夫妻が泊まりだった事は、二人にとって幸せだったかも知れない。
 殆ど顔をくっつけるように眠っていたのに加えて、奇妙な犬まで増えていたから、寝ぼけ眼で尋問されなくて済んだのだから。
 間抜けた鶏がさっさと鳴き出した数時間後、朝日を知らせる雀達が囀りだした。
「ん…」
 先に目が覚めたのはアスカの方であった。
 布団に寝ていないのを身体が察したせいか、どうも妙だと感じていたらしい。
 むにゃ…と呟いた途端、その目が一気に限界まで見開かれた。
 (な、なっ、何よこれえっ!!)
 何か柔らかい物が頭の下にあり、数十センチ先には人の顔がある。
 つまり。
 (あたしはシンジを枕にして、二人して雑魚寝してたって事?)
 事情がさっぱり分からない、と言うか記憶がないが、状況から判断するとそう言う事になる。
 そーっと、自分の身体に視線を向ける。
 別に乱れてない。
 多少下の方がしわになってるのは、寝ている時に出来た物だろう。
 どうしよう。三秒考えた。
 結論。先手必勝。
 すうと頭を持ち上げて、勢いよく落とそうとした瞬間。
「うーん」
 これも起きかけたシンジが、運悪く体を捻ったのだ。
 “飛び出すな 頭は急に止まれない”
 どこかで聞いたような台詞が、アスカの頭を過ぎった途端、気持ちのいい位の音で、その頭は床に打ち付けられていた。
 ゴツン、の音が火花と共に聞こえ、
「つう…」
 さすがに言葉も出ないまま、アスカは後頭部を押さえた。
 言って見れば、リングポストトップからのボディスラムを外されたようなものだ。
 物騒な気配にシンジが目を覚まし、そこに見た光景は。
 真っ赤な顔で後頭部をおさえ、唸っている幼なじみの姿であった。
「ど、どうしたのアスカっ!?」
 がばと跳ね起きた瞬間、シンジの脳裏から現在の状況は吹き飛んでいた。
 が。
 殆ど赤鬼と化している表情には気が付かず、顔をのぞき込み掛けた時には、もう鉄拳が目前に迫っていた。
「……っ!?」
 無言で吹っ飛んだシンジを見ながら、仁王立ちになったアスカは、ふんっと鼻をならした。
「まったくこのバカシンジが!」
 
 
 
 
「あんた、本当になんにも覚えてないわけ?」
「全然」
 首を振ったシンジは、アスカと共に登校途中。
 何とかアスカを宥めながら来たのだが、いかんせん二人とも記憶がない。
「で、アスカはどうなのさ」
「あたしが知る訳無いでしょ」
 別に威張る局面ではないが。
「アスカの肩を揉んでいた所までは覚えてるんだけど…」
「あ、あああたしもそこまでは…」
 二人の手が重なった場面までは覚えているらしく、朝っぱらから頬を染めている。
「でもさ…」
「え?」
「僕はあの後、帰ったような記憶があるんだけど」
 それを聞いてアスカも首を傾げた。
「あたしも、シンジを玄関まで見送ったような気がするのよね」
「『?』」
 二人して首を傾げた所へ、
 
 むにゅ。
 
「なっ!?」
「お・は・よ」
 危険な吐息と共に囁いたのは無論レイ。
 そして、両手でアスカの胸を揉んでるのも。
「なっ、何すんのよこの変態!」
「だってアスカ、朝からいちゃついてるんだもん」
 言いながらも、その手を止めようとはしない。
「離れ…なさいっ!」
 肘鉄が当たる寸前、すっと避けたレイ。
「誰がいちゃついてるってのよっ」
 びしっと指差した先には、無論アスカとシンジが。
「朝からいちゃつく趣味はな…くっ」
 否定したものの、シンジにきっぱり否定されると、それはそれでむかつくらしい。
 ぎゅうっとシンジをつねると、
「あたし先に行くからねっ」
 ずんずんと先に歩き出してしまった。
 それを見送りながら、
「さすが幼なじみ、操縦法はわかってるって訳?」
「黙れ化け蛇」
「…なんです…かはっ」
 次の瞬間、レイの体は宙に浮いていた。
 シンジが胸ぐらを掴み、軽々と持ち上げたのだ。
「貴様、なぜケルベロスを送った」
 疑問系ながら、答えなど欲していないかのように、一気に手に力を入れる。
 あらがう事も出来ずに、みるみる顔が紫になっていくレイ。
 対照的にシンジの方は、顔色一つ変えていない。
 絞殺でもする気かと思ったが、落ちる寸前ですっと手を離す。
 立つことも出来ず落下したレイは、喉を押さえて激しくせき込んだ。
「僕を叩いてアスカを手に入れる、それなら別に何も言わない。僕がその程度の無力と言う事だからな。だが、今度アスカを直に狙ったときは、間違いなくお前を殺す」
 気管を潰されかけて、糸のような息を吐き出したレイに、冷たい一瞥をくれるとさっさと歩き出すシンジ。
 だがそれが、見逃したのではないとレイが知ったのは、その直後の事である。
「こらシンジ、あんた宿題やってきた?」
 先に行ったアスカだが、また戻ってきたのだ。
「あれ、レイは?」
「用があって、今日は遅れるんだって」
「ふーん、そうなんだ…あ、それよりシンジ宿題さ…」
 口調にどこか安心したような物があるのを、レイは感じ取っていた。
 どうやら、シンジを一人にしておくのが心配だったらしい。
「勘違いなのに…でも…助かった…わね…」
 途切れ途切れに呟き、そのまま倒れ込んだレイ。
 アスカ達の会話を途中まで耳にしながら、その意識は急激に遠のいていった。
 
 
 
 
 
「頼む、どうしても」
「困ったな」
 言いながらカップを傾けたケンスケの口調は、別に困ったようにも聞こえなかった。
 登校途中、携帯でトウジに呼び出されたケンスケ。
 思い詰めたような顔の友人を見た時、ケンスケはほぼ想像が付いていた。
 そう、どうしてトウジが自分を呼び出したのかを。
 そして、間違いなく頼み事をして来るに違いないことも。
「あの時ケンスケが来なかったら、間違いなく洞木ごとあの怪物に食われていた。俺はどうなってもいいが、女も守る事もできない、まして道連れにするような事はしたくないんだ。頼むケンスケ」
 あの時は俺が来た、結果的に助かったんだからいいじゃないか。
 そう言って納得する相手でない事は分かり切っている。
 それに、借金返済を頼み込むような姿に、店内からは視線が集まっているのだ。
「分かったよ、トウジ」
 ヒカリだけに限った事ではあるまい、こいつはそういう男なのだ。
「ほ、本当か?」
 ぱっと顔を上げたトウジに、
「ああ。でも、その前に命と引き替えになるかも知れないぜ。それでいいんだな」
 死神が宣告するように、冷たくケンスケは念を押した。
 覚悟は出来ている、と即答が返ってくるのを知りながら。
 そして。
「覚悟は、できている」
 トウジはゆっくりと頷いた。

ラストで、オール幸にはならない筈です。
ちょうど参号機がああなった時にアレですが(謎)