SUMMER WALTZ 

 6th story The first part: Rei2_A

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  翌朝、研究室でアスカは何やら難しい顔をして、PCと挌闘していた。

 

「何やってるんですか?」

 

  あのアスカがそんなに険しい顔をしているのだから、よっぽど難解な論文でも作成しているのだろうと思い、院生の一人が訊いた。

 

「教科書づくり」

 

「は?」

 

 意外な返答に驚いた院生に手を止め、モニタを見せる。

 そこには『SALでもわかるプログラミング』の文字。

 

「ほら、基本的なプログラムの教科書」

 

「あ、懐かしい。こんなの勉強しましたよね。これ、どうするんですか?」

 

「うん?木火滝さんに教えるのに必要だと思って」

 

「……」

 

 人の良いアスカに彼女が何も言えないでいると、アスカは言った。

 

「基本は大事でしょ」

 

「惣流先生に教えてもらえる学生は幸せですね」

 

「さぁ、どうだか…でも、『先生』って呼ばれてるからにはこのくらいやらないとね」

 

 尊敬の眼差しで自分を見つめる院生に、照れ隠しにそう言ってみせた。

 

ガチャ!!

 

 明らかに不機嫌な人間が開けたとわかる乱暴なドアの開閉音。

 一瞬、研究室が凍りつくが、開けた張本人を確認すると僅かな失笑が漏れる。

 頭を包帯でグルグル巻きにして、片手を三角巾で吊っているのに、顔は取り澄ましているのが笑いを誘う。

 昨日の騒動でアスカが時田に与えた傷は、多少の引っ掻き傷だけのはずだ。

 怪訝に思うアスカに院生がそっと耳打ちする。

 

「…あれ、奥さんにやられたらしいですよ」

 

 女性にこっぴどくやられたのが恥ずかしかったらしく、家でこっそり自分で治療をしているのを時田婦人に見つかり、

 『女の爪による傷』+『こそこそ治療』→『浮気』という婦人の導き出した誤解により、輪をかけて手酷くやられたらしい。

 

「しかも、見つかった時に治療してたの…背中らしいです」

 

「そりゃ、お気の毒…でも、なんでそんな事知ってるの?」

 

「私の家、時田んちの近くで…アソコの家の夫婦喧嘩、うるさくて有名なんです。

半径50メートルに丸聞こえです。まったく、眠れやしない…」

 

「…そりゃ、お気の毒」

 

 いつまでも、他人事のように言ってもいられない。

 自分は時田の包帯の間接的な原因だし、隣の院生の寝不足の遠因でもある。

 諦めのため息とともに席を立ち時田に挨拶に向う。

 

「おはようございます、時田先生。昨日は申し訳ありませんでした。その…指導に『少し』熱が入りすぎまして」

 

「……・・」

 

 深々と頭を下げるアスカを黙殺し、時田は歩を進める。

 めげずにアスカは謝り続ける。

 

「とにかく、すみませんでした。奥様の方にも私の方から説明させていただきます」

 

「!!」

 

 瞬間、夫婦喧嘩のことまで知られているとは予測していなかった時田の顔が羞恥に染まる。

 余計なフォローだったらしい。

 

「…えーっと、木火滝さんの連絡先知ってますか?名簿に載ってる番号にかけてもつながらなくて…」

 

 時田のためを思い、奥方から話題を逸らした瞬間、時田の顔が嫌らしく歪む。

 

「ああ、その件だったら、もういいから」

 

 意図的に周囲に聞かせるような声が、研究室全体に響いた。

 

「どういう…ことですか?」

 

「キミ、まさか生徒と暴力沙汰を起こして、ただで済むと思っていたのかね?」

 

 『生徒と暴力沙汰』というのは、かなり事実に反する。

 アスカがしたのは『数百kgはある教卓を蹴り上げただけ』で、モエに手を出していない。

 警備員と時田の傷も掴みかかってきたから振りほどいただけだ。

 時田の大きめの傷だって、ドサクサに紛れて『へんなところ』を触ってきたから、相応の報いをくれてやっただけだ。

 

「クビ…ということですか?」

 

「私も反対したんだがね!今朝、臨時の教授会で正式に承認されたよ!」

 

 いくら講師の立場が弱いとはいっても、この決定は早すぎる。

 欠席裁判の上に、アスカに好意を持ってくれている教授陣も昨日からリツコとともに海外出張。

 絶妙のタイミングで、時田は目の上のタンコブであるアスカを排斥にかかったのだ。

 時田の小賢しい策略に、アスカは幾らでも反論することができる。

 リツコ達の帰国を待ち、正式の教授会を開けば、こうまで一方的に責を負わされることもなかったであろう。 

 時田に纏わる黒い噂を持ち出し、逆に時田を辞めさせることだってできた。

 だが、勝ち誇った時田に放ったアスカの返答はただ一言。

 

「わかりました」

 

 落ち着いた声は理性で完全に支配されていた。

 ただでさえ反目しあっている『赤城派』と『反赤城派』の火種になり、鬱陶しい派閥争いの材料になるのは御免だった。

 クビを言い渡されて落胆も動揺もせず、すっきりしている自分にも気がついてもいた。 

 カオルに逃げられた時から、こうなることを自分は心のどこかで期待していたのかもしれない。

 自分は、過去へ区切りを付けたかったのだ、と。

 

「引継ぎ、私物の整理は後日。今日はこれで失礼いたします」

 

 敬礼が似合うような姿勢と口調を残して、アスカは踵を返した。

 

「う、うむ、まぁ、その、私も残念だよ」

 

 アスカの態度に拍子抜けした時田は曖昧な返事を返した。

 研究室のメンバー達は時田をひとしきり睨んだ後、アスカの元に駆け寄っていく。

 今更ながら、アスカの人望を確認させられた時田は、自分のしたことが恐ろしくなり、慌てて彼の自室に逃げ込んだ。

 アスカは、別れを惜しんで泣き出す院生や署名運動を訴える学部生をなだめるのに忙しく、それには気がつかない。

 時田のことなど、もうどうでもよかった。

 

 自分を必要だと思ってくれる人が居てくれたことが、嬉しかった。

 自分が指導していた学生達の今後が、心配だった。

 

 潔し、惣流・アスカ・ラングレー。

 かなり男前な女である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽器店で偶然レイとばったり会い、シンジはごく自然に喫茶店に誘った。

 

 今日買ったCDの話。

 最近のお天気。

 採算を度外視した薫り高い紅茶を出すこの店の偏屈なマスターのこと。

 

 二人はついこの前までは考えられないほどに、穏やかに打ち解けて話すことができた。

 原因はハッキリしている。

 この前の夜にレイがシンジの家を訪れてから、二人の距離は少しずつ近づいていた。

 レイはそのことを無邪気に喜び、シンジは―――喜んでいいのかどうかはわからなかった。

 彼女の恋人という可能性を捨て、諦めの中にレイの成長だけを見守ろうとしていたシンジなら素直に喜べていただろう。

 けれど、彼の胸にはアスカの言葉が、強く、強く、心に刺さってしまっていた。

 

<立派なこと、正しいこと、相手が喜ぶこと…でも、もっと大事なことって、あるよ>

 

<失敗しても、後悔しても、気持ちに嘘ついたら、自分が信じられなくっちゃうもの> 

 

<ただアンタならさ、自分の気持ちに嘘つかないで、相手の喜ぶ立派で正しいこと、できるんじゃないかと思って>

 

 アスカらしい言葉たち。

 自分とは正反対の彼女の言葉は簡単に飲み込めるものではない。

 けれど、不思議と反対する気も起きず、ただその言葉の意味を噛み締める。

 アスカの言葉が織り成す世界は、余りにも眩しく、そして綺麗で、思い出すたびに目を細めそうになる。

 それは飛べない人間が空に憧れ、焦がれて大空を見つめ続ける行為によく似ている。

 

 飛べないから、空の苦しさを知らないから、ただ純粋に憧れられるのだろう。

 鳥は楽しいだけで、空を飛んでいるわけではない。

 鳥は地上の恐怖から逃れるためにだけに、その強さを手に入れたのかもしれない。

 

 シンジには、なんとなくわかる。

 鳥は必要に迫られて、莫大な努力の上で空を手に入れた。

 アスカもたぶんそうなのだろう。

 アスカとは正反対にシンジは辛抱強く、ゆっくりと地上を這いまわることを覚えた。

 自制と忍耐は、幼いころから他人の中で生きいかざるを得なかったシンジにとって見つけた生きる術。

 

<アンタ、もっと自分のことを一番に考えてもいいんじゃない?>

 

 それは、とても魅力的な励ましだけれど、いつも他者の顔色を伺ってきたシンジにはどうやったらそれができるのかすら、わからない。

 一度地上に住む場所を定めた人類が、空へ一歩を踏み出すのは、判っているだけで二千年近くの努力を必要とした。

 

「ライト兄弟って偉大だよね…」

 

「?」

 

 シンジの突然の呟きにレイは首を傾げた。

 その表情を見て、心の底から恐い、と思った。

 

ジブンノシタイコト

 

 それを貫き通すのは、とても勇気がいること。

 ピアノで生きていくと決めた時、たくさん傷ついたし、どうしようもなく恐かった。

 しかも、今回貫き通そうとすることは、目の前の女の子を巻き込んでしまう。

 

 シンジはこういう気持ちをわがままっていうんだ、と思っていた。

 自分のことばかりで、他人のことなんか考えないで、周囲に迷惑をかける。

 自分が綾波レイと…なんて自分で勝手に決めたって相手にも考えも気持ちもあるのに。

 どうしたらいいんだろう、どうしたら、と思っても答えは出ない。

 でも、今は間違っているとは思えない。

 そうしてみよう、とさえ思ってしまう。

 誰もわかってくれなくても、傷ついても、傷つけても、アスカなら親指をぐっと突き出して、はげましてくれるということを知ってしまったから。

 

 

 

 

 シンジが物思いに耽ってしまえば、このカップルの会話は途切れてしまう。

 店内も静かで、紅茶の香りと店内に流れるジャズだけが二人の間を行き来していた。

 表面上は穏やかに流れる時間を破ったのは、意外にもレイだった。

 

「碇君、これ」

 

 彼女が鞄から茶封筒を取り出す。

 

「今日、もしかしたら会えるかもしれないと思って」

 

 シンジはレイにしてはかなり珍しいその行為に驚きながら、茶封筒の中から書類を取り出し、目を通す。

 

「…コンクールの申込書?」

 

「そう、両沢ショパンコンクールの申込書。

この前の芸秀院は落ちたけれど、これなら碇君向きの選考基準だから、受かるかもしれないわ」

 

 身も蓋もない言い方だが、レイの心遣いをシンジは素直に嬉しく思った。

 

「…ありがとう、綾波」

 

 だが、それっきり、シンジは書類を見つめたまま考え込んでしまった。

 

「これで賞を取ったら、オーケストラに専属の口があるかもしれないわ」

 

「ほんとにありがとう、綾波。

でも、今、コンクールを受ける気ないんだ」

 

「どうして?」

 

 書類を返されたレイが訊き返した。

 

「一言では言えないんだけど…今は自分を試す時期じゃなくて、自分とか、自分のピアノを見直す時期だと思ってる」

 

 レイにはシンジの言っている意味がよくわからなかった。

 

「それに、教室の生徒さんのこともあるしね」

 

「そんなの、ただのアルバイト…」

 

「バイトかもしれないけど、僕にとっては仕事なんだ」

 

「……・」

 

「仕事な以上、きちんとやらないとね」

 

 やっぱり、レイにはシンジの言ってることがよくわからない。

 何もなかった自分にできかけた居場所を失ってしまいそうで、不安になる。

 だから、いつもなら言わないようなことを口走ってしまった。

 

「…私のことも?」

 

違うよ、綾波とのことは僕がやりたいからやってるんだ。

綾波とピアノを弾いていると、いろんなものが見えてくる」

 

 レイの不安を取り除く、嘘の無い言葉に彼女は安心して、また訊いた。

 

「何が見えるの?」

 

「そうだね…。

忘れていた懐かしいもの、すぐそばにあった大事なもの、それと…今までの自分だったら見えなかったもの、とか色々」

 

「楽しい?」

 

「うん、貴重な時間だよ。

綾波にとってはそうじゃないかもしれないけどね」

 

「そんなこと、ない」

 

 ムキになって言い返すレイにシンジは微笑む。

 

<また、『先生』やってるな…僕>

 

 嘘は言ってない。

 楽しくないわけではない。

 貴重な時間なのも本当。

 けれど、言葉の裏に隠していることがある。

 

 想い人が生徒であることがせつなかった。

 両親のことを思い出させる彼女のピアノが苦しかった。

 彼女と自分の間にあるピアノの技術の差が情けなかった。

 けれど、全てをシンジは笑顔で覆い隠してしまう。

 

 それは、彼の強さなのだろうか?

 それは、彼の弱さなのだろうか?

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                       第6話:決戦、第3新東京市 <前編>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大学をクビになったアスカは、清々したと感じながらも、流石に今後のことに不安を覚えながらマンションに戻った。

 こういう時は、熱いシャワーを浴びて、首まで湯船に浸かってリフレッシュにするに限る。

 風呂に入ってさっぱりしたアスカは、久しぶりにペディキュアをすることにした。

 足の爪一本一本に、丁寧にマニキュアを塗っているところに、シンジが帰ってくる。

 

「クビ…?」

 

 話を聞いて、自分のことのようにショックな顔をするシンジ。

 アスカはそんなシンジに苦笑しながら、サバサバした口調で続ける。

 

「うすうすわかってたからいいんだけどね。

仕事を干された上、大量の雑用、わかりやすい肩叩きでしょ?

不景気だしね、うちの大学の台所事情も相当だって話だし。

まだまだ休暇だ」

 

「休暇?」

 

「あっ、ナニ?自分の言ったこともう忘れてるワケ?

言ったじゃない『何やってもうまくいかない時は、神様のくれた休暇だと思って、あせらない』って」

 

「ああ…」

 

「こうも言ったわ。

『好きな音楽でも聴いてさ、いろんな事を考えて』」

 

「…よく、覚えてるね」

 

「無駄に高い学歴はダテじゃない、ってね。

ねぇ、何か弾いてよ」

 

「え?」

 

「アタシ、今、お休みだからさ。

アタシの好きそうな曲、弾いてよ」

 

「アスカの好きそうな曲?」

 

「そ」

 

「でも…」

 

「わーってるわよ、人前じゃ弾かないんでしょ?

でも『クリスマスと誕生日と、大事な記念日は特別』。

今日はアタシの退職記念日だから、いいでしょ?」

 

「…ホント、よく覚えてるね」

 

 しぶしぶ、シンジはピアノに向う。

 その背中を見て、アスカは楽しそうに、笑った。

 結果として、アスカに言いくるめられたようなシンジだが、こんなことを言わなくても、彼はきっとピアノを弾いてくれただろう。

 そう思うことのできることが嬉しかった。

 

「じゃあ、適当に」

 

♪...♪♪...♪...♪...♪...♪♪♪...

 

 そう言って弾き始めたシンジの指先は、言葉とは裏腹に一つ一つに想いが篭っている。

 鍵盤をいたわるようなタッチが、それに相応しい音符を生み出した。

 メロディーは町の雑踏に掻き消されてしまってもおかしくないくらいに微か。

 けれど、アスカには音の色さえ、見えるような気がした。

 

 静かに大地を潤す朝露。

 深緑の間に射す木漏れ日。

 月夜に吹く爽やかな風。

 

 シンジの曲は、無償で与えられるそんなステキなものたちと一緒のように思えた。

 アスカのささくれだっていた心にその淡い音が染みていく。

 

「こんなのでどうかな?」

 

 あまりにも深く、シンジの創り出した世界に入り込んでしまっていたアスカは、シンジが演奏を終えたことさえ気がつかなかった。

 そこまで、自己主張しないシンジのピアノを評論家達は評価しないかもしれないが、アスカにそんなことは関係なかった。

 首が千切れるくらいに首を縦に振り、自分のピアノの成果に不安そうなシンジを、別の意味で心配させる勢いで感想を語り出した。

 

「うん!うん!うん!アンタすっごいじゃない!

感動した!…っていうんじゃなくて、安らげる…っていうのも違うし…。

何かこう、眠くなるっていうか…あ、違う、退屈って意味じゃないのよ?

夏のさ、風の涼しい日に…木陰の下で大好きな絵本を読んでたら、何時の間にか眠ってた子供のころの感じ?…アンタ、何、笑ってんのよ」

 

「え?」

 

 シンジがいつもの微笑みではなく、ニッコリと笑っていたことに気がついたアスカは、自分の表現力の無さを笑われたと思ってムッとなった。

 

「どーせ、『ねこふんじゃった』も弾けないようなようなアタシには、シンジ様のピアノの高尚な音なんてわからないですよーだ!」

 

 そこまで言われて、アスカの拗ねている理由がわかった。

 子供のようなアスカが何だか可愛くて、また、笑ってしまう。

 

「…!!

悪かったわよ!もう二度とピアノを弾いてなんて言わないから安心して!」

 

 完全に怒髪天を突いてしまったアスカが大股で出て行こうとする。

 それさえも、可愛く見えたシンジはまた笑みをこぼしそうになったが、なんとか堪えた。

 

「違うんよ、アスカ。そうじゃない」

 

「何が違うのよ!」

 

「嬉しかったんだよ」

 

「え?」

 

「この曲、アスカの言った通りの曲だから」

 

「え?」

 

「夏、だよ」

 

「…はい?」

 

「真っ黒に日焼けした子供たちが『プールに行こう!』ってはしゃいでるのが遠くで聞こえる。

テレビでは海水浴場とかの行楽地で楽しそうな家族の姿が映ってる。

でも、僕は父さんの言いつけどおりに家でピアノの練習」

 

「……」

 

「退屈でどうしようもない日、それでも風だけは心地よくて、それだけで嬉しくなれた。

もう、練習なんか止めにして、自分の大好きな絵本を読みながら、何時の間にか昼寝。

そんな感じを創った曲なんだ。アスカの言った通りの曲だよ」

 

「…アンタが創った曲なんだ?」

 

「うん…まぁ…そうなるかな」

 

 シンジは恥ずかしそうに頭を掻きながら、頷いた。

 

「ねぇ…」

 

「うん?」

 

「なんて題名?」

 

「…そういえば、決めてない」

 

 言われてやっと気がついたといった風情のシンジに、アスカはちょっと呆れた。

 途端に真剣になって題名を考え出すが、優柔不断な彼らしく情けない表情で悩み出すシンジを見て、だいぶ呆れた。

 そんな男が、自己主張とかプロデュース能力が才能のひとつに数えられることもある音楽家を目指していいのか少し心配になった。

 

「Summer Waltz…」

 

「え?」

 

「サマーワルツ。この曲の題名。今、アタシが決めた」

 

「うん…悪くないね」

 

「ね、結構いいでしょ、Summer Waltz…」

 

 ピアノの旋律を思い出しながらうっとりと呟くアスカは、いつもとは違い何だか色っぽい。

 夜、自分の(アスカのでもあるが)部屋で二人っきりということを、これまでに無いほどに意識してしまったシンジはアスカから目を逸らせない。

 『Summer Waltz』を鼻歌で歌いながら、アスカは上機嫌でペディキュアを塗っている。

 いつもなら何でもないその姿すらも、シンジにアスカの女を意識させ始めてしまう。

 『どうしよう…』とかどうにもできなくせにあせり出すシンジ君。

 と、アスカがシンジの方を見た。

 シンジの心臓が一気に跳ね上がる。

 

<ど、どうしよう?>

 

 いや、だから、君はどうにもできないってば。

 

「ペデキュア、珍しい?」

 

「あ、ああ、いや、初めて見るから」

 

「アタシさ、何かあるとマニキュアとか、ペディキュアとか塗るクセがあるの。

なんか、落ち着くのよね」

 

「へぇ…」

 

 会話が無難な方向に向い、シンジのことも落ち着かせてくれる。

 

「シンジは何かないの?」

 

「そうだね…僕はCDの整理とかかな」

 

「へぇ…」

 

 整理の嫌いなアスカには到底思いつかない答えであろう。

 

「クラシックを年代順に並べたり、音楽家をアルファベット順に並べたりするんだ」

 

 なんだか嬉しそうに話すシンジを、アスカは理解できないものを見るような目つきで見る。

 

「暗いヤツ…だから、アンタの部屋って妙にこぎれいなのね」

 

「なんだよ、アスカの部屋みたいな人外魔境よりはよっぽどマシじゃないか」

 

 言い合いながらも、二人の顔には笑顔。

 他愛のないおしゃべり。

 お互いの存在が気にならない時間が流れる。

 家族や友人、ましてや恋人と一緒にいるより気が楽だった。

 

「ねぇ、アタシ、昔から不思議なことがあるんだけどさ」

 

「うん?」

 

 シンジは向かい側に座って雑誌を見ながら、アスカの話を聞くとはなしに聞いている。

 

「足の人差し指のことなんだけどさ」

 

「…もしかして、足の人差し指が、中指みたいなかんじがするってこと。

 

「えっ、アンタもそう思ってたの?」

 

 自分でもくだらないと思っていた問いの、思いがけない賛同者にアスカははしゃぎ、シンジも嬉しそうだ。

 

「思ってたよ」

 

「ね!ね!絶対、変だよね。こうでしょ?」

 

 アスカは足の人差し指を摘んで、目を閉じてその感触を確かめる。

 

「これってどう考えたって中指触ってる感触なのよね」

 

「うん、そうだよね。で、これが本当の中指でしょ?」

 

 シンジが中指をつかんだ瞬間―――

 

「アンッ…」

 

 かなり演技の入った感じる声。

 いつものシンジならアスカを軽く嗜めて返せただろうが、先程アスカに女を感じてしまったことを思い出し、咄嗟に手を放す。

 そんなシンジの過敏な反応に、アスカも驚く。

 

「???冗談よ?どう考えてもこっちが中指」

 

 深く突っ込まれなかったのはまだ顔の赤いシンジには幸いだった。

 アスカはシンジの内心の葛藤に気付かず、足の人さし指をつまみ、もう一度目を閉じる。

 

「じゃ、これはなんだって言われると困るのよね。

でも、アタシ、子供のころからずーっと不思議だったんだけど、同じ考えの人に会ったのって初めて!

今まで30人くらいの人に聞いてみたんだけど、みんな何いってんだよって相手にしてくれなかったわ」

 

 こんな話を目を輝かせながら話すアスカのテンションにもシンジは上の空。

 くだらない話の内容のせいではなくて、自分の心臓の音がうるさすぎるせいで。

 

「よかったね…」

 

 と、とりあえず言うのが精一杯。

 

「シンジは?」

 

 身を乗り出して訊いてくるアスカ。

 いつもなら気にもならない、露出過多なタンクトップをせりあげる胸の谷間が目に飛び込み、思わず目を逸らす。

 

「ぼ、ぼく?…僕は別に人に確認したことはないけど」

 

 シンジが戸惑っているのがようやくわかって、アスカは身を引く。

 

「…そっか、そういうことなんだ」

 

「えっ…?」

 

「アタシ、ほら、自分がうれしかったり、一生懸命になったりすると夢中になっちゃって、人が戸惑ってんの目に入らないとこあるの。

この間、アンタも言ったじゃない『人の気持ちや状況が読めない』って」

 

「いや…あれは…」

 

 単なる言い過ぎだったのに。

 自分の戸惑いがこんな結果を生み出すとは思ってもみなかったシンジは、さらに戸惑った。

 

「いいの。だから、カオルも違う人と結婚したんだと思う」

 

「それは、わからないけど…」

 

 それは、シンジには否定することも肯定することもできない。

 

「卑怯よね、こんな言い方。

でもさ、他人の中に責任を見つけるより、自分の中に理由を見出した方が今後の発展の仕方が違うってもんじゃない?」

 

 おどけて言うアスカにも、シンジは何て言っていいのかわからない。

 

「そうかも知れないけど…」

 

「いいの、言ってみただけ…それよりさ」

 

「?」

 

「写真、はんぶん、食べてくれて…ありがとう。

相手の女の顔がわかったら、余計ショックだったと思う」

 

「いいよ、別に」

 

 相手は女ですらなかったのだが。

 それでも、シンジはアスカの前向きな言葉が嬉しかった。

 立ち直った訳ではないが、確実にそのことを過去にしつつあるアスカが嬉しかった。

 

「ねぇ…その人、美人だった?」

 

 強がりではなく、本当に気になっていた疑問をシンジにぶつける。

 シンジは少し考えて、振り返ると、

 

「アスカの方がキレイだよ」

 

 という、とんでもなくキザな台詞をさらりと返してのけた。

 

「……やだ!バカ!何言ってんのよ!」

 

 照れまくって、そう言ったものの、そのお世辞は嬉しかった、

 シンジはお世辞でもなんでもなく、心からそういった。

 そうだ、コイツはそういうことが言えるヒトなのだ。

 

「アンタって…まぁいいや。

そうだ、お礼とこの前のお詫びに、お店に招待するわ」

 

「お礼?お詫び?」

 

 どちらも、とっさに思い当たらないシンジが聞き返す。

 

「ラーメン屋のお詫びよ、いい店ができたの。

アタシ、この前のこと綾波さんにちゃんと誤りたいし。

ね?一緒においでよ」

 

 レイといっしょ…それもいいかなと思ったシンジはその誘いを受けることにした。

 

「ね、でもさ」

 

「なによ?」

 

「お礼って?」

 

「一つはアンタのピアノ…もう一つはわかんなくていいわ」

 

「なんだよ、それ…」

 

 なんだかバカにされたような気がして、シンジは少しだけムッとした。

 そんなところがシンジ君の魅力であり、幸せになりにくいところなのです。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

                                                       第6話:決戦、第3新東京市 <前編>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下にある『Under_Age』へ降りていく階段は細くて狭い。

 ちょっと高めのヒールを履いたレイを気づかいながら、シンジは階段を降りていく。

 無論、手を引くなんて真似はできる訳もない。

 

 薄暗がりに浮かび上がる白いワンピースは少しの不安に少しの好奇心。

 おそらく、こんな場所に来るのは初めてなのだろう。

 誘ったのがシンジでなかったら、おそらく彼女とは無縁の場所。

 そんなレイに保護欲らしきものを刺激された優柔なナイトは、チラチラと彼女を振り返りながら、店内に入り周りを見回す。

 先に来ていたアスカが、二人に気が付き、手を振った。

 そこそこ混んでいる客の間を、レイをエスコートしながら、アスカとリツコがいる席にやってきた。

 

「こんにちは」

 

 アスカがレイに挨拶すると、レイもペコンと頭を下げた。

 

「この間はごめんね」

 

「…この前も聞いたわ」

 

「でも、ごめん」

 

「別に、いい」

 

 聞いている分には随分素っ気ないレイの対応だが、シンジにはだいぶ打ち解けているのがわかる。

 姉妹、とは言えないが、はとこ程度の親しさ。

 レイにとってはかなり近い知人である。

 

<やっぱりアスカって、お姉さんって感じだよなぁ>

 

 傍で見ていたシンジに、アスカが自分にとっても『お姉さん的な立場』にいることへの自覚はない。

 まぁ、シンジもたまにアスカのお兄さんであったりお父さんであったりして、それをアスカもわかってないのでイーブンな関係ではある。

 

「えっと、コレが、アタシの上司…あっ、もう仕事辞めたから、上司じゃないか」

 

「赤城リツコです。この間はどうも」

 

 ニッコリと笑って挨拶するリツコにも、レイは頭を下げた。

 

「そっか、ラーメン屋であってんのね」

 

 アルコールの中の微かな記憶を思い出しながらアスカが言う。

 

 アスカは白のシャツにサブリナパンツ、リツコは黒のタイトドレス。

 二人とも『できるオンナ』風にビシッと決まっているだけに、レイの白いワンピースが際立って清楚に見えた。

 見惚れそうになったシンジの後ろから、聞き覚えの有る声がかかった。

 

「どうも、いらっしゃい。センセ」

 

 シンジを『センセ』と呼ぶのは、ピアノ教室の生徒と―――

 

「あ、鈴原君」

 

「トウジで良いって」

 

 微妙にイントネーションは違うがこの前部屋にきた時とは違う標準語。

 そして、ウィンクして返して来たトウジの『女の子にもてそう』なトウジにシンジは少し戸惑う。

 シンジほど他人の表現に好意的でない人間が表現すると、『スケベそう』『オンナ知ってそう』になる。

 戸惑ったままのシンジは息がかかる距離まで顔を近づけられ、『営業用や…』と囁かれちょっと悪寒が走る。

 カオルの一件以来、そういうコトに敏感になっているシンジは『へぇ…そうなんだ』と言いながら、愛想笑いをする。

 シンジの肩に顎をのせ自虐的な笑みを浮かべるトウジを、シンジはもちろんアスカもリツコも見ることはなかった。

 ただ、一人、シンジと同じくらいかそれ以上に戸惑ってトウジを見ている綾波レイ以外は。

 

「……あなた」

 

 美容院の前で声をかけて来た男だと、レイは直ぐに気がついた。

 

「あ、アンタ…」

 

  トウジもシンジの肩の上に顎を乗せたまま驚いていた。

 

「えっ、どうしたの?」

 

 トウジと離れる良い契機なのと、只事でない口調が気になってシンジが訊いた。

 アスカの野性も『二人の間には何かある』と直感した。

 

「ナニ?」

 

「アスカ、いらっしゃい…?」

 

 訊いたと同時にヒカリが出た。

 一気に緊張する場の空気。

 誰も声を発しない。

 

 レイとトウジは奇妙な巡り合わせに驚いていた。

 シンジとアスカは意味もわからないまま緊張していた。

 

 不味い、絶対に不味い。

 何が不味いかわからないが、不味い事だけは確かだった。

 

 訳のわからないヒカリは不思議そうに四人を見つめていた。

 訳のわかったらしいリツコはグラスを片手に面白そうに五人を眺めていた。

 

「若いわね…」

 

 その呟きが開戦の合図。

 決戦、開始。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 REI2_B

 


 

after word

 

 

 ハオハオ。

 今回は言い訳に困らないテリエです。

 骨折→入院→就職→引越と、ついてない割に順調なのかそうでないのかよく判らない厄年を送るテリエです。

 ホントは、はしゃぎ過ぎ and  ムチャし過ぎの当然の報いで言い訳にもならないのですが。

 でも、日々はスムース and スウィンギィン!(意味不明)

 50000HIT超はスペシャルにハッピー!(今更)

 でもでも、やっぱりありがとう、をUrielさんと読んでくれるみなさんへ。

 口ばっかりですが。

 ドンマイ。

 …ドンマイ?

 

  今回の反省点

 ●遅いことにはもうビックリしないが、今までにない短さにビックリ。

 ●心理描写が全然アレ。

 ●私の書こうと思っているこの人たちと、みなさんの中のこの人たちは一緒ですか?

 ●話が進まない。

 ●仕事も進まない。

 

 

 

 

よろしこ(キムタク風…今更?)


テリエさんから頂きました、多謝。
ところで、全然関係ない話ですがロンブーが出てるヤミスキで、神取忍がゲストで来てました。
コーナーの一つに、自分が街の人から思われてる良いとこを五つ上げるってのがありまして、筆頭が「男らしい」でした。
だから何…って言われても困るんだけどさ<オイ
人形が集まっても人形の戦争な訳で、別段面白くありません。
がしかし、それが人の形を取った時−修羅場は一気に重みが増えます。
次回、誰が盾で誰が射手になるのか…楽しみな所です。


コメントIN女神館の住人達+X

そこには『SALでもわかるプログラミング』の文字。

さ:「SALって…何の略ですか?」
シ:「多分、サルベージかな」
U:「一般的には海底からの引き上げとか再利用とか。で、それに分かるプログラミングっつーのは?」
「『…さあ…』」
U:「……」

「さぁ、どうだか…でも、『先生』って呼ばれてるからにはこのくらいやらないとね」

シ:「ふーん、アスカが先生ねえ」
ア:「そっ、先生と生徒のあ・ぶ・な・い放課後。シンジもやる?」
シ:「…劫火」
ア:「あちゃちゃちゃっ」

> 『女の爪による傷』+『こそこそ治療』→『浮気』という婦人の導き出した誤解により、輪をかけて手酷くやられたらしい。

U:「何だその傷は」
シ:「女にやられた」
U:「男の風下にも置けないぞ…で、誰に?」
シ:「フェンリルに寝てるときがりっと。今度体験するか?」
U:「……」

時田の大きめの傷だって、ドサクサに紛れて『へんなところ』を触ってきたから、相応の報いをくれてやっただけだ。

ア:「もう、シンジが変な所触るからっ」
U:「言葉の割に何か表情が青いんだけど…どこ触った?」
シ:「ああ、背中をちょっと蒟蒻でぴとっと」
U:「…やや納得」

ただでさえ反目しあっている『赤城派』と『反赤城派』の火種になり、鬱陶しい派閥争いの材料になるのは御免だった。

U:「一文字変えると浅間山荘だな」
リ:「私が赤城リツコだけど何か?」
U:「質問したいことはありますが、それはまたの板に」
リ:「またの機会に、でしょう。日本語も出来ないなんて情けないわね」
U:「……」

それは飛べない人間が空に憧れ、焦がれて大空を見つめ続ける行為によく似ている。

シ:「俺は飛べるけどなあ」
ミ:「じゃ、今度あたしを月まで連れてってよ」
シ:「え?」
ミ:「姉と弟が一体となって月夜を淫乱飛行…あーん、いいわねえ」
シ:「…姉貴…」

シンジの心臓が一気に跳ね上がる。

U:「…もしもし?」
シ:「わ、びっくりした.。いきなり呼ぶなっての」
U:「心臓が飛び出してるぞ」
シ:「…あ」

家族や友人、ましてや恋人と一緒にいるより気が楽だった。

U:「お互いに異性同士なのにどれでもない、となると、この二人って一体」
さ:「宇宙人さんなんじゃないですか」
U:「あ、なーるほど」
ア:「納得するなっ」

なんだかバカにされたような気がして、シンジは少しだけムッとした。

U:「要る?」
シ:「え?」
U:「この間最新型の自白剤が手に入った。本人が知らない事まで喋る薬だが」
シ:「ど、どうやって情報を」
U:「幽体離脱」
シ:「え、え、遠慮しますっ」

 姉妹、とは言えないが、はとこ程度の親しさ。

ア:「はとこ、か。も少し近いと良いわよね」
シ:「鳩子ってのは、姉妹の愛人の従弟の知り合いの四親等の親戚だね」
ア:「それ他人じゃん。それと鳩子って名前じゃないの?」
シ:「そうとも言うね」
ア:「……」

戸惑ったままのシンジは息がかかる距離まで顔を近づけられ、『営業用や…』と囁かれちょっと悪寒が走る。

レ:「変態、碇君を返して
カ:「おっと、そうはいかないよ。僕はシンジ君に会うために生まれてきたんだからね」
レ:「碇君は渡さない」
U:「…二人ともどっから紛れ込んだ」


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