シンジと愉快な仲間達−ゴーストバスターズ
封魔カルテ2−D
わずかだが止まぬ霧雨が、町中のあちこちに紗幕を作りだしており、風景そのものがどこか歪んで見える。
こんな傘の有無が微妙な天候の時、道行く人は服の保護を気にして歩く。もう少し上がれば気にしなくていいが、増量間近であればおろし立ての服が濡れないよう、周囲の一挙一動をも気にしなくてはならないからだ。
特に視界さえ悪化させる時には、消音で走る車から一気に飛沫が放たれる事もあり、デートの日には要注意となる。
「おはよう−少し減量した?」
やつれた顔でミサトが出社したとき、きれいな雇用主の第一声はそれであった。
「ええ、お陰様で…ちょ、ちょっとっ」
シンジはすっと立ち上がり、ミサトに近づくとその腹部をもにゅっと掴んだ。
「本当だ、少し減ってる」
ミサトの表情に憤怒の色が浮かぶ前にすっと離れ、
「でも胸も大きいから多少は仕方ないよね」
操る加減は分かっているらしい。
「…それで成果は?」
軽く髪をかき上げながら訊くと、水滴と色香がさっと周囲に散った。朝から一歩も出てないシンジとは違い、水も滴るいい女になったようだ。
「残念ながらまだ」
シンジは首を振って、
「身体が乾いたら少し散歩でも行こうか?」
「え?は、はいっ」
珍しい台詞に一瞬驚いたが、すぐに頷いた。
しかし、結局出てきたのはシンジを二十分待たせてからであった。
女性と待ち合わせして彼女が時間ちょうどにいたとしよう。
待ち合わせ場所が自分と彼女の中間地点にあり、そこまでは十分で着くとする。もし自分が一時間前に起きてちゃんと間に合ったとしても、それを彼女に当てはめるのは厳禁だ。
少なくとも−倍は見ておかなければ。
化粧というのは諸刃の剣であり、あまり濃かったりケバかったりすると、素顔をさらせないと言う一面もある。
その点ミサトは薄い。
ナチュラル、と言うより最低限で済ませているが、それだけ素材に自信があるのだろう。
「今日はどこへ行くんですか?」
「決めてない」
「え?」
「今回の一件は、何となく本質を見失ってるような気がするんだ」
「と言うと?」
「手を引け、とご忠告された事は話したよね」
「ええ」
「よく考えてみれば、今回の件は依頼があったわけじゃない。それに、僕が出ていくような事でもないんだ。これは僕の想像だけど」
ほんの少し首を傾げたシンジから、ミサトは慌てて目をそらした。ぞくりとするような色香の危険性は、ミサトもよく知っている。
「あのリポーターは、やはり殺されたんだと思う。それも呪詛でだ。本来はそれで終わりだったんだけど、僕が興味を持った事を知った。だけど、僕を知らない相手なら別に関係はない。おそらく、おかしな警告は僕を釣り出す餌だ」
「餌?」
「つまり、妙な真似をすれば僕が乗ってくると踏んだんだ」
「大物が釣れたっていう事ですか?」
「いや、多分最初から仕掛けたわけじゃないと思うよ。急遽予定を変更したんだ」
「命知らずな真似をする奴がいるものね」
ミサトは小声で呟いたが、それは心からのものであった。
と、ふとシンジが髪に手を触れた。
一瞬にしてミサトの視線が厳しい物に変わる。ただし、歩みに変化はない。
付けられている、シンジの仕草はそれを表しており、
「ね、第二ボタンまで開けた方がいい?」
シンジと軽く腕を組みながらミサトが訊いた。
「開けるのは一つだけでいいよ」
「もう、控え目なんだから」
甘い口調でブラウスのボタンを一つだけ外す。
二つなら撒く。
それが一つなら…殺るだ。
二人の会話が途切れたが、歩き方に変化はなく、後ろを振り返る様子も全くない。むしろ、周囲の町並みを見回しながら歩いているだけで、その手はしっかりと重ねられているのだ。
「ね、シンジ君」
不意にミサトの足が止まった。
店の軒先に欲しいおもちゃを見つけた子供のような表情で、
「あそこに…しましょ?」
囁いて指差した先には一軒のホテルがある。
「こんな昼間から?」
「だ、だってもう身体が疼いちゃって…」
目元を染めている女を見て、冷徹な罠を張っていると誰が想像しえよう。
そのまま腕を組んで二人はホテル内に消えた。
その背後にすっと現れたのは、スーツ姿の男達四人組であった。真っ昼間にもかかわらず、懐から大型拳銃を抜き出し、目配せすると音もなくホテルの玄関をくぐった。
全自動だから、受付と顔を合わせる必要もない。
シンジ達の乗ったエレベーターは六階で止まっており、後は高性能の盗聴器で室内を探ればいい。
元より、ミサトは無論シンジも自分たちに気づいた様子は全くない。
昼間からラブホテル入りする、盛りの付いた二人にしか見えないから、男達もまったく用心していない。
殺せとは言われておらず、動きを見張っておけと言われたのだが、何構うものか。
どうせ、直接手を下す時になれば、自分たちが駒として使われるのだ。どうせ行くのなら、女と絡み合って油断しきっている時の方がましである。
それに、あの葛城という女まで殺せとは言われていない。
ただでさえそそる身体の上、すでに脱いでいるはずだ。ことに寄ったらもう、くわえているかもしれない。
その方が手間も省けるな、と男達はぎらついた表情で、思考の半分くらいは捕らえたミサトの肢体の方に向いている。
女を抱いている碇シンジなど、簡単に始末出来ると信じて疑っていない。
だが、それは不意に終わりを告げた。
エレベーターの扉が開き、一斉に踏み出した男達の腰にかすかな違和感が走り、そっちを見ようとして、視界の向きが歪んでいるのに気が付いた。
本来ならあり得ぬ角度━━斜めになっていたのである。下半身が上半身に三行半を突きつけたのを知り、男達の意識はそのまま薄れていった。
「通路へ出る時は左右を確認しましょうって、学校で習ってこなかったのかしらね」
転がっている身体のパーツを見ながら、ミサトは冷ややかな口調で呟いた。
無論、連中の腰の位置に村正を配したのはシンジであり、ドアの向こう側に異次元への扉を造ってやろうとミサトが言ったのだが、面倒だからとこっちにしたのだ。
男達の血を吸った村正は、そのまま窓から飛行して出ていった。危険な妖刀ではあるが、一方的に使役し、またされる間柄ではない。
妖刀の姿が消えてから、
「社長、この連中に見覚えは?」
「ない。でも単なる三下にも見えないし…あ、そうだ」
屈み込んでがさがさと背広の内側を探る。上半身と下半身が綺麗に分断されている状況に、シンジは無論のことミサトの表情もまったく変わらない。
取り出した手帳を勝手に開き、
「プロでなきゃ半分堅気だ。間抜けにも、こう言うところに身分証明を持っていたりするんだな」
八州会ねえ、と呟いたシンジに、ミサトの表情が動いた。
その名前なら知っている。以前家出娘に淫魔の低級霊を取り憑かせてソープで働かせていた所をシンジに奪還され、戦闘部隊三十名を失った組だ。
「潰しますか?」
「ううん」
ふるふるとシンジは首を振った。
「…ほら」
「え?」
覗き込んでからミサトは絶句した。
確かに八州会の名前はあった。だがその他に十数個の名前が記されていたのだ。
「フリーターですか?」
「と言うより、二股のバージョンアップだ。女の敵だね」
「やだもう社長ったら」
くすっと笑ってから、
「それで…すぐ帰ります?」
明後日の方向を向きながら訊いた。
ここは事務所ではなくホテルなのだ。
それも――男と女が飽くなき快楽を求める場所である。
「上下が別れた肢体を見ながらすると、とても燃える人を知っている。それで良ければ紹介するよ。僕は帰る」
「ま、待って、あたしも帰りますっ」
無論、一度も身体を重ねた事はないし、シンジがその気になるとは思っていない。ただ、なんとなく言ってみたのだ。
それが断られるならまだしも、そっち専門の男を紹介すると来た。
シンジでなければ…シンジ以外ならまったく意味などないと言うのに。
でもいつかはきっと、そう自分に言い聞かせてミサトはシンジの横に並んだ。
次の日、シンジはナオコに呼び出されていた。
応接室に通されたはいいが、盗聴器や監視カメラの類がびっしりと来客を見張っており、例えそれがスイッチを切ってあると分かっていても、あまり気持ちのいいものではない。
もっとも、自分の家にさえこんな仕掛けをする女だからこそ、シンジは優秀な情報屋から情報が入ってくるのだ。
ドアを開けて入ってきたナオコが開口一番、
「大体読めたよ」
「大筋?」
「粗筋だよ。あの女、どうやら一般人からも恨まれていたらしいね。この間、道が急に歪んで見えたと言ったね。あれを聞いて妙だと思ったのさ」
「妙?」
「あれはね、一人がやったものじゃないんだよ。勿論偶然だとは思うけど、数人の怨念が重なったのさ」
「そこまで恨まれてる…あちこちに手をだしまくってたの?」
「その通りさ」
ナオコは頷き、
「基本的にああ言う三文週刊誌は、政治家や芸能人がターゲットだけど、それと絡んでくるのは一般人の事も多いし、ちょっと変わった事故なんかは、面白おかしく書き立てたりもする。一般人にだって十分恨まれる理由はあるさ」
スイッチの切られた監視カメラを見上げながら、
「で、何人位?」
ややうんざりした口調で訊いた。
さすがのシンジも、個人の怨みに巻き込まれたとは思わなかったのだ。
だが、
「確かにあんたが嫌になるのも分かるさ。でもね」
「?」
「呪い殺したい、なんて思っても素人ならそれで終わりだよ。それを成功させ、あまつさえあんたに影響を及ぼすなんて事が、素人に出来ると思うかい?」
「分かってるよ。どこかのやくざかなんかが、裏で糸を引いている筈だ。そうでなかったらこんな事は−」
「分かってないね」
言い終わらぬ内に遮られたが、こんな事は初めてである。
「良いように利用されたのがどんなに若くていい女でもね、力を借りたお礼に風俗へ直行させられる事はないんだよ。どうしてか分かるかい」
シンジは首を振った。
そこまでは分からない。
「簡単だよ。使い物にならないからさ。人を呪わば穴二つ…あれは呪い返しの事を指している。呪いの余波は必ず自分にも返ってくるんだ。勿論プロならそんな事は分かり切っているし、札や小動物を盾に使う。でもそれを知らない素人はどうする?」
「それってまさか」
「そのまさか、さ」
ナオコは頷くとシンジを見た。
「さ、あたしは用があるんだ。悪いけど、もう帰ってくれないかい?」
「あ、邪魔したね」
呼びつけられた事など忘れたような口調だが、シンジは何も言わずに立ち上がった。
表に出て空を見上げると、いつの間にかどんよりと曇っている。
両腕を上げて伸びをしたが、秀麗な美貌が僅かに曇った。
素人は呪いになど縁はない。
だがどうしても使いたいと裏の世界に入る。
当然だが、あっさりと呪殺を引き受ける者などいない。権力を持った者と連んでいるケースはあるが、これは見つかれば間違いなく消される為、少なくとも素人では決して引き受けてもらえない。
消されるのであり、死刑になる訳ではない。
呪殺など不可能−普通の認識がそれである以上、法律に於いて裁く事は出来ない。その代わりに消されるのだ。
丑の刻参りをせっせとやろうと、そう簡単に人など殺せるものではないが、そこにプロが絡むと話は変わってくる。
だから発覚すれば消されるのだ。
呪術関係の仕事など一般には認識されていないのに、それが人を殺せる稼業だと認識されてしまえば、それこそ社会から抹殺されてしまう。
シンジはそれに関して口を出す気はない。
単なる金目当てならともかく、相手が非常に巧妙な悪事を働き、どうやっても法の下には引きずり出せない事もあろう。
或いは友人や家族を殺されながら、自分の目撃だけしか証拠が無く、しかも箝口令の厳守と引き替えに生かされているとなれば、警察に駆け込む事も出来まい。
警察など、一般人を守る事に関しては非常に無能な組織なのだから。この連中が得意なのは、身内の恥を隠す事に関してのみである。
それはどうでも良い事だが、確かにナオコの指摘した通り、何の伝手もない一般人が確実に成功させようとすれば、やはり裏の世界へ足を踏み入れるしかなく、無論極道絡みで頼んだ場合、慈善事業などあり得ない。
謝礼が単なる金ならいいが、ナオコは違うと言った。しかもシンジを襲った怨念は複数だとも言ったのだ。
金や身体ではなくその代償は魂…一生掛かっても払えぬ金額を要求される方がましかもしれない。
五体はあるし意識もある。
だがその魂は自分の物ではないのだ。言われるままに呪文を唱え、その矛先は見知らぬ相手に向けられる。
そして、その反動はすべて自分に返ってくる。
気づいた時にはもう、いや気づかぬまま身体を操縦され、朽ち果てて行くのだ。
しかし問題は、それがおそらくは本人も何となく分かっている可能性があるという事だ。最初に何も告げていなければまだしも、呪殺という自分が手を下さぬ手段の見返りに、何も無しで済むとは思って居るまい。
お礼して潰してくれば済む話だが、来た時点では間違いなく自分の意志だった一般人をどう扱うべきか。
うっすらと憂いを掃いたような顔でシンジが小首を傾げる。
すれ違ったOL二人が赤い顔で魅入られたように見つめたところへ、
「迷う事無いんじゃない?」
背後から聞こえた声にシンジは振り返った。
山岸マユミの姿をした女―ナルが立っている。
「料理の仕方かと思ったら、妙な事で悩んでいるのね。何を気にしているの」
「その前に、君が何故ここにいるのかがよほど気になるんだけど」
「マユミとは話が付いているのよ。いわゆる共同作戦ってやつね」
「はあ」
何故か胸を張ると、
「ちょっと付き合ってもらいたいところがあるのよ。いいでしょ?」
「別に構わないけど…」
前回とは違い、身体全体から色香を発するような話し方もしてもらず、シンジが軽く頷くのを見ると先に立って歩き出した。
五分ほど歩いて着いた先は、既に廃墟となったビルであった。
だが着いた瞬間、シンジの表情が動く。
その感覚が捉えたのだ−妖気と血を。
それでも何も聞くことはせずに、ナルの後に続いて入っていく。
目的地は三階の一室であった。
「女の決闘ってやつかしらね」
ナルが冷たい視線を向けた先には、互いの髪を掴み合った女二人が倒れていた。
ただし、もう片方の手には包丁が握られ、それは測ったように相手の脇腹を刺し貫いていた。
まるで自決か心中でも図ったような光景だが、二人の顔に浮かぶ憎悪の色がそれを否定する。
その時になってやっと、シンジが口を開いた。
「痴情か金銭かで殺し合いになった、そう言う事じゃないよね」
「まあ、普通はそう見えるだろうなあ」
ナルが答える前に、答えは後方から聞こえた。
振り返るまでもなく、銃口が狙っているのは分かっている。
「どちらさんで?」
銃口など気にした様子もないシンジだが、狙ってる方も別に怒るでもなく、
「八州会若頭、霧島剛さ。あんたにどうお礼しようかと思ってたんだが、そっちから来てくれるとはラッキーだった」
「僕は別に顔見たくも無かったが、それはそうとこの二人は何だい?」
「見りゃ分かるだろ、生け贄だよ。正確には生け贄を捧げる任務を完了したってところだな。あんたも知ってる通り、その二人の精神は俺たちに操られている。二人ともスクープの為なら閻魔でも取材する女のせいで家庭を壊されて、絶対に許せんとうちに来たのさ」
「京野はづきか」
「そう言うことだ。で、お手伝いしてやったんで、そのお礼をもらってたんだが、残念ながら身体が限界になっちまってなあ」
「それで、京野はづきはまだ死んでないと植え付けたわけか」
「そうだ」
低い声で笑ってから、
「あんたがこの件に首を突っ込んでいるのが分かってな。本当はもう少し後で殺し合ってもらう気だった」
やはりナオコの言った通り、拉致されたのでも強制されたのでもなく、自分からやって来たのだ。
仔細は不明だが、相当恨まれていたと見える。
ただ問題は頼む相手を間違えた事であり、その相手が碇シンジに殺意を持っていた事だ。
利用されるだけされた挙げ句、正気を失った女達に囁かれたのは、目の前にいるのが殺したい女だと言うことであった。
それ以上の引き金は不要である。
「その姉ちゃんが、あんたといる所を見かけたんでな。しかもここを見つけられちまった。人質にしようかと思ったんだがな、多分あんたへご注進に行くような気がして放っておいたのさ。正解だったようだ。さ、秘密も分かった事だしもういいだろう。俺の部下達があの世でお待ちかねだ」
「そうだね」
頷いた美貌に促されるように引き金を引いたのは、むしろ恐怖であった。
大型拳銃の引き金を引いた手はまったくぶれる事無く、あっという間に全弾をたたき出した。
次々に赤い血の華が咲き、穴の開いた身体から血が奔騰していく。
正確に互いを撃ち抜いていく男達を見ながら、シンジとナルの表情は変わらない。引き金を引く力さえ残っていない筈なのに、それでも男達は撃ち続けた。
弾切れを告げる撃鉄の乾いた音を確認してから、その身体はゆっくりと後ろに倒れ込んでいった。
「何時の間に?」
シンジは振り向いておらず、眼力で操ったとは思えない。他の方法を使ったにせよ、シンジの身体はまったく動いていなかったのだ。
「それを使ったんだ。ほら」
仰向けにぶっ倒れている男達をシンジが指した。よく見ると、その靴の裏には小さな紙片が貼り付いている。
「あの紙切れ?」
「そう。何となく気になってね、入る時にばらまいておいたの」
「あたしの事を信用してなかったの?」
「そんな事じゃないよ。ただ、君が何かの現場を見たにしても、君から血の匂いがしなかった。つまり、君が血路を切り開いたのでも追っ手を始末してきたのでもないっていう事になる。泳がされていたら、と何となく思ったんだ」
「敵の手先だとは思わなかったの?」
「ううん、それは全然」
「そ、良かった」
ふにゅっと視線を緩めてから、
「この女達、要は自分から来たって言うことでしょう。乗り出すことも無かったんじゃないの」
「そうかもしれない」
シンジは軽く頷いた。
「でもね、それなら力を貸してやった方が神って事になる。だいたい、そんな事に力を貸す事自体が違法なんだ。需要と供給の関係とは言え、どこかで断ち切らないと表世界から抹殺されかねない。何よりも」
「何よりも?」
「僕の商売が上がったりになる。それが一番迷惑だ」
「あなたって正直なのねえ」
くすくすとと笑ったナルが、
「何にしても、取りあえずは片づいたわね」
「うん」
「今回はね、あの子と組んでたのよ」
「山岸マユミさん?」
「そう。色々とライバルも多いみたいだし、取りあえずは共同戦線張っておこうってね。お礼はしてくれるんでしょ?」
「しなきゃ駄目?」
「だーめ。何よ情けない顔しちゃって。いい男が台無しじゃない」
「いや、別にそう言う訳じゃないけど」
「大丈夫よ、今回はホテルとか言わないから。今度美味しいケーキの店が出来たらしいから、そこでいいわよ」
「んー、それ位ならいいか」
「何よ、そのそれ位って」
「前回から、依頼じゃないもんで収入にならない。要するに赤字なんだ。ホテル代も高かったし」
「ケチねえ。大丈夫よ、私が付いていてあげるから。さ、行きましょ」
シンジの腕を取ってナルが歩き出す。
シンジも抗おうとはしなかったが、出口にさしかかった時一瞬だけ振り向いた。
何故救えなかったか、とは思わない。
選んだのは自分なのだ。
また、魂を賭すほどの憎悪に異論を唱える気もない。
それもまた、人間の感情なのだ。
しかし、それと本来素人のやくざ達がそれを食い物にするのはまた別問題だ。ナルにも言った通り、こんなのが横行すればシンジ達の職業に影響する。
とは言え結局は需要と供給の関係であり、人間の負の部分がある以上、またどこかで危険な取引は続く筈だと、シンジの心は完全には晴れなかった。