シンジと愉快な仲間達−ゴーストバスターズ
封魔カルテ2−C
「ふう」
青いドレスに身を包んだ美女が、熱く溜息をつく度に店内からは視線が集まった。
憂いとも何ともつかない表情の美女が、じつは武闘派やくざの若頭だと知ったら、熱い視線を向けている者達も仰天するに違いない。
が。
彼らがもっと仰天する事が起きた。
ゆっくりと樫のドアが開き、一人の美青年を招じ入れたのだ。
瞬時に店内の視線を集めた美貌の主は、真っ直ぐに美女の元へと歩み寄った。
「待った?五代」
「い、碇さんっ」
その声を聞いた時、五代と呼ばれた美女の顔がぱっと輝いたのを全員が知った。
「い、いいえ、ついさっき来た所です」
だが彼女が一時間も前からいた事は、同時刻からいた者達は全員が知っている。
にもかかわらず、全く突っ込む余地がないのは、本能が悟っていたからだ。
すなわち、この相手なら仕方がない、と。
ところで実際はやや違う。
店に入ってから一時間待っていたが、その前に店外で二時間待っており、見かねたバーテンが入るように勧めたのだ。
なお、シンジの到着は待ち合わせから一分後であった。
三時間ばかりも前から、ずっと待っていた事になる。
「取りあえず、彼女と同じ物を」
シンジが告げたとき、店内のあちこちから溜息が洩れた。
そう、このカップルは両想いに違いない、と察して。
ドライマティーニが出てくると、シンジは軽くグラスを持ち上げた。
「え?」
ぼんやりと見とれている巳姫を、シンジは軽くつついた。
「ほら五代」
「あ、は、は、はいっ」
慌てて、それでもどこかぎこちなくグラスを持ち上げたのへ、シンジは僅かに触れ合わせた。
チン、と音がしたそれだけで、また巳姫の顔がうっとりとした物に変わった。
「さて、ミサトちゃん」
「は、はいっ」
とっくに背中の感覚は無くなっている。
別に縛られた訳でも、一服盛られた訳でもない。
だが、シンジが立ち去った途端、家の中には凄まじいまでの妖気が立ちこめたのだ。
赤木ナオコが持っているのは、莫大なまでの情報量だけではなかったらしい。
無論ミサトとて素人ではない。
その辺の妖魔など、酔っぱらって居眠りしていても始末してみせるが、そのミサトをしても全く動かさなかったのだ。
「あの子が何をどうみているか、見当は付くかい」
いいえ、とミサトは首を振った。
首を動かすのも筋肉が痛むような気がするが、無視するわけにも行かないのだ。
そうだろうね、とナオコは笑った−ように見えた。
「まあ、ゴーストバスターの思考を読めるなら、今頃はあんたが花嫁になっているさね」
奇妙な事を言うと、
「でもそれよりも」
「は、はい」
「ようかんを勝手に取るとは許せないね。これ以上たるんだらどうするんだい」
下腹をきゅっと摘まれ、ミサトはあうう、と呻いた。
「さて、人体改造から始めるのが手っ取り早いんだけどねえ」
全身を観察するように見られた瞬間、ミサトの背に冷たい物が流れた。
「ええ、名前は聞いております」
グラスを傾けながら巳姫が言ったが、すでにボトルで数本分は空けている。
にもかかわらず、その表情に変化はない。
一方のシンジはと言うと、まだ二杯しか飲んでおらず、そのくせに頬はもう赤い。
しかも、赤らんだそれが危険なまでの妖美と昇華しており、巳姫の口調にどこか濡れたような物があるのはそのせいだ。
要するに弱いのである。
一応素面だが、加わった妖香に周囲から熱い視線が向けられており、それを眺めているものだから、殆ど人間ウォッチングと化している。
「極道系の担当も?」
いいえ、と巳姫は首を振った。
こちらも口調はしっかりしている。
ただ−シンジに魂まで抜き取られたような分を別にすれば。
「前に一度、極州会の若頭に情婦(いろ)が出来たんですよ。その女が、しばらくしてある政治家の女に出されたんです」
極州会と言えば、指定暴力団に認定されている武闘派集団である。
「で、それの素性を暴いたわけ?」
「はい」
「ん?」
「どうかされましたか」
「元がやくざの女でも、政治家のおっさんもそれは知っての事でしょ?」
「はい」
「それがどうして、女リポーターが無傷で済んだの」
「新法ですから」
巳姫の言葉に、シンジはああ、と頷いた。
新法、すなわち暴力団対策新法であり、それも四度目の改正である。
それも今までの物とは違い、政治家などとの癒着を完全に断とうと言う物だ。
従って、出かかった記事を差し止めるのは何とか出来たが、それを発掘した女へのお礼参りは出来なかった。
もし何かあれば、間違いなくすべてが明るみに出るからだ。
ただし、警察が力を入れた法律は、大抵時間が経てば薄れると決まっており、突き上げによる物であればなおさらである。
だから。
「と言うことは、だ」
「はい?」
「僕が五代と飲んでいてこれをスクープされたら、うちのお客は減っちゃうね」
「っ!?」
その刹那、巳姫の顔から血の気が引いた。
百年越しの酔いも一瞬で吹っ飛んだような顔色に、
「冗談だよ」
うっすらと笑うと、
「ホットミルクお代わり」
と手を挙げた。
「はい、ただいま」
出てきたそれを見ながら、
「体面で選ぶなら、とっくに縁は切っているよ。そう思わない?」
美貌の囁きに、やっと巳姫の顔に人の顔色が戻ってきた。
「話を戻そう。で、例の女なんだけど、恨まれてる筋は少なくないね」
「と言うよりも、殺したがってる方が普通の恨みよりも多いでしょう」
そう言った巳姫の口調は、まだ幾分硬い。
だがそれを何とか抑えながら、
「あの碇さん、一つお訊ねしてもよろしいですか」
「何?」
「あの女を殺った奴を見つけて、どうなさるおつもりですか?」
そんなに長くはないが、シンジの性格をこれも幾分は分かってきているだけに、シンジが乗り出した理由が分からないらしい。
「どうしようか」
「え?」
「別に、警察から依頼があった訳じゃないし、あっても受ける気はない。ただし」
「た、ただし?」
「僕と葛城が、警察で事情聴取を受ける羽目になった。何の関係もないのに、まったく迷惑な話だ」
シンジの言葉を聞いて、こういう人だったと巳姫は思いだした。
「分かりました。碇さんが言われるなら、うちの若いのを使って下さい。使い走り位には使えますから…はい?」
?マークが顔に付いたのは、シンジがちらりと巳姫を見たからだ。
「自分がやる、とは言わないの?」
珍しく冗談めかしたような口調に、一瞬経ってから巳姫の顔がさっと紅潮した。
「そ、そ、そんな私なんかじゃっ…で、でも…」
「大丈夫だよ。別に人手は足りてるから」
本気ではなかったと知り落胆したような表情になったが、すぐに戻すと、
「私は、呪術とかそっちの事はよく分かりませんが、お話だけでも相当な執念のようです。女の執念など、何をしでかすか分かりません。十分にお気を付けて」
真摯な顔で頭を下げた巳姫に、シンジはありがとうと、笑って見せた。
ほんのり頬が赤く、まるで紅でも掃いた顔の笑みに、巳姫は急速な鼓動の激走を感じ取った。
「い、いえその…」
が、
「では僕はこれで」
シンジが立ち上がったが、
「そう言えば、この間あるビデオが手に入った」
「ビデオ?」
「女子大生と、あるやくざの姐さんとのからみ。あんな過激なレズの映像は、そこら辺じゃまず手に入らないだろうね」
呆気に取られた巳姫を置いて、シンジは勘定を済ませた。
シンジの言葉に思い当たるには数十秒を要し、それはシンジが出て行くのに十分な時間であった。
「ああっ!!」
やっと思い当たった巳姫が、真っ赤な顔で叫んだ時、既にシンジの姿は店内になく、周囲からの奇異な視線が彼女に向けられた。
「やはり分からないな」
吹いてきた宵の風が、シンジの酔いを醒ましていく。
もっとも、たった二杯で酔うとはミサトの親戚とは到底思えない。
ミサトなら、二杯など水とさして変わらないに違いない。
人間誰でも、一つくらいは弱い所があるものだ。
さらさらと髪をなびかせながら、シンジは人のゴシックに命を賭けた女の事を、ぼんやりと考えていた。
巳姫と別れた後、幾つか情報源を回ってみたのだが、どれ一つとしていい物はなかったのである。
つまり、京野はづきが取ったネタで、誰かが幸せになった事が一件も無いと口を揃えたのだ。
しかも、誰かが幸せになったネタは、最初から射程に入れていなかったのだとも言った。
要するに、文字通り人の不幸は蜜の味、の言葉通りの生き方だったと言える。
しかし何故?
確かに駆け出しの頃は、人のスキャンダルをそのまま出世街道にする事もある。
だがはづきは、既に自分の地位は確立しており、ゴシップ専門にこだわる必要もなかった。
それに加えて、それはそのまま危険と隣り合わせをも意味しているのだ。
そう、功績と引き替えに人の恨みや憎悪を買うそれは。
人が誰かを愛するのに、さして理由は要らない。
そしてまた、人が人を殺す事もまた。
人と人の螺旋が紡ぎ出す物、向こう見ずな女リポーターは、それを暴き出すことに取り憑かれたと言うのだろうか。
ぼんやりと空を見上げると、雲に覆われかけていた月は、いつの間にかまたその美貌を見せている。
月と見つめ合っているその横顔は、むしろ月の方が、その視線を逸らすのではないかと思われるほどに冷たく、そして美しく輝いている。
美貌で知られた母ユイの面影を濃く、そしてそれを遙かに上回る秀麗な美貌は、奇怪な女の生き様をどう見ているのか。
しばらくシンジは宙を見上げていたが、やがてふっと視線を戻した。
歩き出そうとして、
「弱いよね」
呟いた直後、ぐらりと身体がよろめいた。
てっきり酔いが回ったかと思ったのだが、そうではないと本能が告げている。
(!?)
シンジがいるのは平坦な道、それは間違いない。
にもかかわらず、シンジは身体が後ろに引かれるのを感じ取っていた。
「三半規管が狂ったかな」
洩らすのと、危険な角度に脚が曲がるのとが同時であった。
きれいな横顔に、一瞬だけ苦痛の色が見える。
だが次の瞬間、シンジは自ら身を屈めていた。
髪を引かれる力ではないが、奇妙な術中に落ちた事を、シンジは悟っていたのだ。
身を屈めた途端、ふっと圧し掛かるような力が緩む。
が、それが終わりではないと、本能が告げてる。
果たして来た。
ぐいと、急激に肩を押し込むような力が加わった時、シンジは後ろへ跳んでいた。
しかも、空中で一回転してのけたのだ。
目も覚めるような綺麗な着地に、見えざる敵が怯んだのか、一瞬力がずれる。
「何者だ」
低いが、凍てついた闇をも射抜きそうな声で誰何した時、シンジの双眸は確かに光を放っていた。
「……」
返答はない。
不意打ち、そしてそれに見事に落ちた事で、シンジの両目がすっと細くなった次の瞬間。
手を引け。これ以上かかわるな。
「断る」
シンジは、見えざる敵に向かって冷たく告げた。
すっくと立ち上がったシンジの唇が動く。
「黙っていれば気が変わったかもしれないものを。まして−女ごときでは」
マユミや巳姫が聞いたら、気死しかねないような台詞を口にした時、その報いでもあるかのように足元が揺れた。
三半規管を狂わせ、なおかつ大地すら操ると言うのか。
表情は変わらぬまま、シンジが視線だけを下に向ける。
来る、と一言だけ呟いた。
そして次の瞬間に、それは現実となったのである。
二つの意味で。
一つはまるで強迫するかのように揺れた地が、ぱくりと口を開きかけた事であり、そしてもう一つは、シンジの足元に飛来した何かが突き立った事である。
「ぎゃああああっ」
耳を塞ぎたくなるような絶叫のそれは、むしろおぞましさの方が強い。
のろのろと地が閉じた時、感覚もまた元に戻っていた。
ややきつい表情のまま、シンジは地に刺さったそれを抜き取った。
すなわち、闇を切り裂いて飛来した村正を。
手にした者を、修羅の道へ誘うとされるそれも、シンジが持つとなぜかしっくり馴染んだような感がある。
「やはり、二杯も飲んだのは失敗だったかな」
どことなく昏い声で言うと、シンジは軽く村正を振った。
三度振ってから首を傾げる。
「鞘がない」
気付いたように言ってから、
「抜いたままの白刃を引っ提げて、夜の街を帰らなくちゃならない。職質に引っ掛かったら即留置場行きじゃないか」
しかしその割には、気にした様子も無くすぐに歩き出した。
抜き身のそれを下げて歩く姿は、ひどく危険にも見えるが、どこか浪人のそれを思わせる物があり、何よりもぴたりと絵になっているのは、決して気のせいではあるまい。
「逃がしたか」
「逃げられました」
無理だ、と最初から分かっているような声であり、言われた方もそれと承知の上のような声であった。
「やはり、碇ゲンドウとユイの子は伊達には生まれてこなかったか」
だが、どこか喜んでいるようにも聞こえる、奇妙な声であった。
「確かに」
若い方が肯定して、
「ですが、収穫はあったと言えるでしょう。女を、奴の脳にインプット出来ましたから」
「女、か」
「ええ」
二対の視線が、部屋のある方角を向いた。
そこには、結界の上に鎮座した女が、ぶつぶつと呟いている所であった。
年の頃は三十代だろうか、本来は艶めいた素質も持っていそうだが、げっそりとこけ落ちた頬に、ぼさぼさの髪だけでもう台無しになっている。
しかも、その全身が朱にまみれているとなれば。
十秒と経たず事切れた女を見ながら、
「取りあえず、碇シンジに余計な事を考えさせる駒にはなったか」
「ええ、それで十分です」
「明後日に目を向けさせて後ろからばっさり、基本中の基本ってとこか」
「はい」
薄暗い部屋にわき上がった哄笑は、徐々にその声量を上げていき、死体を肴にするかのように、男達の笑い声は鳴り響いていた。