シンジと愉快な仲間達−ゴーストバスターズ
 
 
 
 
 
封魔カルテ1−E
 
 
 
 
 
「シンジ君、起きなさいこら」
「…にゅ?」
 ミサトがシンジを起こしに来たのは、マユミとのデート当日の事である−ただし、午前五時。
 普段低血圧のミサトが珍しく早起きして、と言うよりこんな時間に来たのを見て、シンジは寝ぼけ眼を瞬かせている。
「今何時?」
「五時五分前よ」
「…もう一度」
「今日はデートでしょ?」
「…君と?」
「マ・ユ・ミ・さんよ。お忘れですか?」
 ん、と宙を見上げていたシンジの焦点が、漸く定まったのは数十秒後の事であった。
「そう言えばそうだった」
 ゆっくりと身を起こしたシンジが、
「お風呂は?」
「熱いのが用意してあります」
 起き上がったシンジが、少し眠そうな顔で出て行くのをミサトは黙って見送った。
「シンジ君にデートさせるなんて…許さないわよ」
 一瞬眼に凄まじい光が宿ったが、誰に向けられた物だったのか。
 
 
 
 
 
 さて、シンジの方はミサトに起こされての早起きだったが、ここにも早起きしたのが一人。
「さて、思いっきりおしゃれしなくちゃ」
 いそいそと起き上がったがマユミだが、実は殆ど寝てない。妄想に囚われているうちに、あっという間に数時間が経ってしまったのだ。
 幾分ぬるめにしてある風呂へ浸かると、これまたしばらく出て来なかった。中でなにやら妖しげな美容法を試していたのだが、これも賢明であったろう。
 なぜなら、風呂場にだけは盗聴器は無かったのだから。
 やっと出てきたマユミは、今度はドレッサーを開けて中を物色し始めた。普段趣味を優先しているせいで、あまりデートに似合いそうな物が見当たらない−殆どがフリフリ系を占めている為だ。
 コスプレ会場には似合っても、普通のデートなんぞに似合う訳ではない。
 童話の中の人形が着そうなそれを鏡に合わせて、
「これでお似合いかしら」
 うふふ、と悦に入っている姿は乙女の物だが、隣を歩くシンジが同じような格好で来るかどうか。
 
 
 
 
 
「これか?いやこっちだ」
 服を選んでいるのは、マユミだけではなかったらしい。
 緑基調の迷彩服と、灰色を基調にした迷彩服を引っ張り出してどっちにしようかと、鏡の前で衣装合わせの最中である、
 無論デートをつける事にした権助は、何思ったか町中で迷彩服を着用することに下らしい。
「マユミ…俺が必ず救ってあげるからね。そしたら二人で…ニヒッ」
 不気味に笑うその姿は、完全にあっちの世界に入り込んでしまっている。
 結局灰色をベースにした方に決め、催涙ガスとスタンガン、それと改造したエアガンを装備した権助は、一時間後には家を出ていた。
 
 
 
 
 浴室へ向かった筈のシンジだったが、何故かそのまままっすぐには向かわなかった。 応接室へ入ると、壁に掛かっていた日本刀を手に取って鞘から抜いた。
 その刹那、部屋の中に凄絶なまでの妖気が立ちこめる−常人でもそれと分かるであろうほどの。
 いや、単に眩暈を起こして倒れるだけかもしれない。
 恐山を始めとして、霊山と呼ばれる箇所は世界中に何カ所もある。全くの一般人が訪れた場合でも何らかの物を感じる所や、ある程度以上のレベルにないと何も感じない場合と大きく分けて二通りある。
 無論本人のレベルにもよるが、対象物自体の持つ妖気で否応なく感じさせられる事もあるのだ。
 そして今シンジが抜いた村正は、それ自体が妖気の塊みたいな物である。軽く青眼に構えると、上段からゆっくりと振り下ろす。
 風を切るような物ではなかったが、それでも刀に振り回されている節はない。何よりも、この刀自体幾度も人を凶行に走らせている代物なのだ。
 シンジが振り下ろす度に、刀身から妖気が辺りに雫のように飛散する。
 無論眼に見える訳ではない。それでもはっきりと気を伴った程の動きが、シンジの手の動きに合わせて感じ取れるのだ。
 二十、三十と振り下ろしていくにつれて段々と刀の妖気が薄れていく。それに伴うかのように、シンジの額にはわずかながら汗がにじんできた。
 刀の妖気を発散させるかのように、素振りを続けるシンジ。
 だが、これが本当に発散させているのだと知る者は少ない−そう、刀が自分で発散しに行かないように。
 ところで素人が同じ事をしたらどうなるか。答えは簡単、刀を持って人を斬りに行くだけである。
 刀を抑え、なおかつその妖気を散らす事が出来る者−シンジでなければこれを壁掛けになど出来なかったろう。
 持った者を操って血を吸わせる、放って置けば勝手に歩き出して血を吸いに行く。これを御しえるなど、そうそういるものではあるまい。
 三百を数えた時、ようやくシンジは村正を置いた。
 不思議な事に、それを手に下げると同時にシンジの額から急速に汗が引いていく。
「こんなものか」
 その言葉に答えるかのように、一瞬妖刀が鈍く光る。
 ゆっくりとシンジが鞘に戻そうとした時、ドアがノックされた。
「空いてるよ」
 ドアが開いてミサトが入ってくる。
 その視線が真っ直ぐに村正に向けられているのを見ながら、
「何?」
「それ…お貸し願えませんか」
 ミサトの言葉を予期していた物か、シンジは表情も変えず、
「止めておいた方がいい。葛城にはまだ無理だ」
「それは…分かっています」
「どうしても?」
 はい、と頷いた姿にはどこか悲壮な物さえ感じられる。
「いいだろう」
 村正とミサトを見比べたシンジは、あっさりと頷いた。
「えっ?」
 それが以外だったのか、ミサトの顔が上がった。
「こんなの持って何するの?」
「は?」
「ストーカーもどき退治にしては少し大げさだ。まだ早いと思うけど」
 俯いたままのミサトを見てやれやれと肩をすくめると、
「いいよ、持ってごらん」
 シンジは柄を持つと、ミサトにひょいと渡した。柄の部分を握りしめ、まるで床に突き刺すかのように持ったミサト。
 その肩が震えだしたのは、三十秒あまり後の事であった。
「やっぱり無理か」
 シンジの呟きの指す物は、すぐに明らかになった−ミサトの顔が妖々と上がったのである。
 肩を震わせながら顔を上げたミサトだが、その顔は完全に凶相と化している。眦は鬼女のごとく釣り上がり、少し尖った犬歯はにゅうと伸びて唇を割っている。
「悪いなシンジ殿−お命頂戴」
 どこぞの忍者みたいな事を言うと、下から秒の早さで薙ぎ上げてきた。
「まったく」
 ミサトの動きを読んでいたのか、すっと半歩下がると身体を横に捻る。シンジのいた場所を刀が襲ったのは、次の瞬間であった。半歩引いただけなら、間違いなくシンジは二つになっていただろう。
 斬りつけてくるミサトも最小限度だが、紙一重で逃げているかに見えるシンジも最小限の動きで見切っていた。
 動きの察知は目と手首−だが鮮血を宿したような赤瞳からは意志は見えない。操られているだけに、手首から意志を消すのは無理があったようだ。
「いい加減にしろ」
 数分後、数本宙に舞った自分の髪を見ながら、シンジが奇妙な事を言った。しかもおかしな事にそれは、ミサトに向けた風情ではなかったのである。
 その黒瞳は、鈍い光を放っている村正に向けられている。それを聞いた時、刀を持ったミサトの手が空中で固まった。一刀両断にしそうな勢いが急速に消えていき、そして数十秒後にその手から妖刀が落ちた。
「ろくな事をせん奴だ」
 ぶつぶつ言いながら、床に突き立った村正を引き抜く。鞘に納めて壁に戻したところへ、糸が切れたようにミサトが倒れ込んできた。
 その身体を片手で受け止めると、
「前は五秒持たなかったからね。少しは進歩したよ、ミサトさん」
 失神している女体へ話しかけると、ソファの上に抱き上げて横に寝かせた。
「今日は留守番していて」
 じろりと妖刀を見ると、
「悪さするなよ」
 と言った。
まるで、それ自体に何かを宿した自我があるかのように。
 腕を回しながらシンジが出ていき、部屋の中にはミサトの静かな寝息だけが響いていた。
 だがシンジは知らない−シンジが浴室に消えた後、妖刀ががたんと動いたことを。
 そしてそれが勝手に鯉口を切ったことを。
 何よりも、僅かに見えた刀身が危険な光を放ったことなどは。
 その刀身に映っているのは、紛れもなく失神しているミサトだった。
 しかし数秒後に刀は勝手に元に戻った−まるで、怒られるから止めたとでも言うかのように。
 
 
 
 
 
「少し早く来すぎたかしら」
 どうしましょう、と首を傾げているのはマユミである。
 清楚な女子大生の雰囲気だが、実は今のマユミは普段からすれば珍事に近い−マユミの服装は、ごく普通のワンピースだったのだ。
 ひらひらのドレスにポシェットではない、それだけでも一種異様な出来事なのだ。
 このことは、近くのコンビニの店員がコスプレみたいな格好か或いはジャージ姿のマユミ以外、見たことがない事実でも分かる。
 今日の天気に合わせたものか、薄いピンクのワンピースにパンプス。しかもハンドバッグまで持っている。
 普通の格好ではあるが、マユミに取っては普通ではないのだ。
 ただしこれは、マユミが選んだものではない…ナルが選んだのだ。マユミはいつものように、おとぎの国の姫スタイルを選ぼうとしたのだが、その瞬間何故か気絶しており、気が付いたら着替えて外に出ていたのである。
 無論、こんな格好では出せないとナルが着替えさせたのだが、実は今までにマユミの格好に口出しなどしたのは初めてである。
 シンジの所へ行った時、普通の格好をしていったのはかなり例外なのだ。
 ナルの内情など知らぬマユミは、自分の格好にびっくりして帰ろうとしたが、第六感に危険を告げられて止めたのだ。正解であったろう。
 待ち合わせ場所に着いたのは、八時少し前であった。約束の時間までは、まだ一時間以上ある。
 手を顔に当てて立っている姿は、一人で外出した事のない令嬢にも見えるのか、周囲からは早くも妙な視線が集まっていた。
 がしかし。
 確かにおっとりした雰囲気は生来のものだが、思考内容は若干飛翔気味である。マユミの思いは既に十二時間後に飛んでいたのだ。
 すなわち、夜八時頃には食事は済んでいる筈である、その後はどこへ連れて行かれるのか、と。
 マユミの愛読書によれば、女は自分から誘ったりしてはいけないらしい。むしろ、男が誘いたくなる魅力を持つのが正しいのだそうだ。
 誘いたくなる魅力、と言う点ではある意味合っているかもしれない。そんなに襟ぐりが深くはないが、カーデガンも上着も着ていないせいで、身体のラインがほぼ分かるようになっており、そしてそれは充分に肉感的に見えた。
 特にマユミがグラマーな訳ではなく、服自体も平凡なものである。だが、着慣れないものを着ると吉凶双方に転ぶ場合があり、そしてマユミに取っては吉と出たらしい。
「碇さん…どこへ連れていってくれるのかしら?」
 遠くを見るような目に、僅かに濡れたような光が浮かぶ。
 何を思ったのか口許を緩めたマユミは、彼女に注がれる視線の中でもっとも熱く、そして最も危険な視線には気がつかなかった。
 
 
 
 
 
「さてこれで三匹目」
 マユミの後方で、さっきからどさっと音がしているのは、全部同一犯の手による。
 そう、藍田権助がマユミを見つめる男達を、片っ端から攻撃して回っているのだ。
 ある者は首筋に小さな針を打ち込まれて昏倒したし、またある者は強力な電流を押し当てられて背中を黒くして失神した。
「どいつもこいつも俺のマユミを」
 マユミが何時から権助の物になったのか、おそらくは誰も知るまい。
 だが、今権助の眼にあるのは紛れもなく、人の想い人に手を出す不埒者に、天誅を加える男のそれであった。空気銃を改造した小型の回転拳銃は、強力な薬を塗った銀の短針を打ち出す。射程距離は十メートルもないが、首の後ろにでも打ち込めば大人でもあっさり昏倒する。そしてスタンガンもまた、非合法的に改造してある。
 だが、ケンスケの本命はそれではなかったのだ。唇を舐めたケンスケの手が、迷彩服の内懐に伸びる。
 とあるアイドルの、盗撮写真と引き換えに手に入れたブツ−M84の冷たい感触が伝わってきた。
 凶悪犯罪は増加の一途を辿っているものの、権助は荒事は得意ではない。むしろその中を、ひょいひょいと泳ぎ切ってきた感がある。
 確かにこの街では、銃器の類は簡単に手に入るものの、権助も相手の事は十分調べてある。常に高額の賞金を掛けられながら、未だにその首が胴に付いている碇シンジ。
 警察関連からも依頼が多い為、当然のように犯罪者側からは敵視されているのだ。
 三下とは言え、部下を犠牲にして取りつかせた魔刀を、いとも容易く祓われてはたまったものではあるまい。
 だが彼らがシンジに敵意を向けた結果、今までに十指に余る暴力団が壊滅に追い込まれている。
 そして、その半数近くは葛城ミサトの呪詛による、という事は特筆に価すると言えるだろう。それは、権助にとっては幸と不幸双方であった。不幸とはミサトの事まで知らなかった事であり、幸とはミサトがシンジの家でダウンしている事であった。権助を退治するべく、凄まじい殺意を燃やしていたミサトが村正に弄ばれて失神だなどと、権助が知る由も無かった。
 ただ人間と言うもの、眼で見ないとなかなか信じるのは難しかったりする。
 無論空気とかそう言った物は別格だが、眼に見える人間の噂と言うのは自分で見ないと、信じきれない事も多い。
 権助の場合がそうであった。もしシンジの事を、いやミサトだけでも知っていれば拳銃一丁で殺っちまおうなどと、死んでも思わなかっただろう。
 確かに権助が用意したのは普通の弾ではない。呪詛を刻んである上に、弾自体が人体にのめり込んで中で炸裂するタイプだ。一般人ならば、ひとたまりもあるまい。
 そう、それが普通の人ならば−相手が、碇シンジで無ければ。
 マユミと一緒にいる無防備な所を狙い撃つ、確かに合理的な方法だが、それがマユミを得る天国への階段となるか、あるいは?
  
 
 
 
 シンジが来たのは九時二十分前だったが、マユミを一目見て随分待ったと直感的に知った。私は人を待っています、と全身の雰囲気で告げながら立っているマユミ。どこかうっとりした顔は、デートコースにでも思いを馳せているせいだろう。
 ただ分かり易すぎるとは言え、殆ど動いていないらしい姿勢にシンジは妙に感心していた。
(あっちの人じゃなさそうだし)
 内心で呟くと、声も立てずにマユミの後ろに近づいた。
「待ちました?」
 囁くような声を聞いた途端、マユミの口から何とも艶っぽい声が漏れた。ああん、と鼻にかかったような声を聞いたとき、周囲からの視線がひときわ強くなった。
 ただし、その半数以上は秀麗な青年に向けられているのはやむを得まい。
 妄想の最中へのささやきが、どこかの神経を直撃したらしい。
「お、お、おはようございますっ」
 振り向いた目は、完全に潤んでいる。
「大分前から?」
「ぜ、全然待ってないです」
 ぶんぶんと首を振ったマユミへ、
「でも周囲から随分視線が集まってますよ」
「や、やだそんな」
 顔を赤くしたがふと気が付いたように、
「わ、私の格好変じゃありません?」
 ドレスじゃないのが、どうも引っかかるらしい。
 そんな事は、とシンジは首を振ったが、もしここにミサトがいたら違うことを言った筈だ−違うことに気を付けなさい、と。
 そう、既にマユミの待ち合わせがシンジと知った周囲からは、殺気にも似た視線がマユミに集中しているのだ。
 自分の世界に入れる、と言うのは他からの視線を気にしないでいられる、と言う部分ではプラスになるのかもしれない。
 一方シンジはそんな視線に興味などないように、
「じゃ、行きましょうか?」
「はいっ」
 とシンジの横に並んだが、手を繋ごうとしなかったのは正解だったろう。
 嫉妬と羨望、そして危険な視線を受けながら二人は肩を並べて歩き出した。
 
 
「ところでどこ行きます?」
 歩き出してから、シンジが思い出したように訊いた。どうやら、コースの設定などしてこなかったらしい。
「え?」
「山岸さんに任せますから」
「私に?」
 コースも知らないなんて、と落胆するかと思いきや嬉々として頷いた。
「じゃ、こっちですっ」
 勢いよく歩き出したが、その右手はしっかりとシンジの手を取っていた。
 引っ張られるようにして歩き出したシンジ、何を思ったか上着のポケットに手を入れて何かに触れた。
 いそいそと歩き出したマユミは、シンジが何をしたかは知らない。
 無論−その手が携帯に伸びてある番号に掛けた、などとは。
 そしてそれを受け取ったのは、異様な雰囲気の男たちだったことも。
 
 
 
  
 
「え?若僧を締め上げろですって?」
 聖龍会の若頭、五代巳姫(ごだいみき)は怪訝な表情を見せた。
「うん、殺さないようにね」
「碇さんの頼みなら喜んで。でも相手は誰なんです?」
「デート中の僕たちをつけてくるやつ」
 デート、と言った時巳姫の顔に一瞬危険な光が走った。ただ、誰に向けた物かは分からない。
「デート、なさるんですか?」
 女ながら、構成組員五百人を数える聖龍会の若頭を務める巳姫は、普段は感情など殆ど表に出さない。
 剛毅にして沈着、子分達の厚い信頼を受けているのだが、シンジに関しては少し異なる。とは言え部下たちも認めているのだ−無理も無い、と。
 巳姫を殺って名を上げようと、ドスを構えた男に突っ込まれた時、運悪く巳姫の手は塞がっていた。ボールを追って車道に出ようとした子供を、ひょいと抱き上げたところだったのだ。
 普段なら容易くかわせるそれも、子供を抱いた姿勢では無理があった。しかも、刃には強力な呪詛が仕込まれていたのである。
 抜くに抜けないまま、とうとうシンジに依頼が持ち込まれ、シンジが全裸の巳姫と体面した時には、既に三途の川のほとりまで巳姫は出かけていた。
 二分で抜き取ったシンジは、三日間の絶対安静を命じた。
 そして三日後、起き上がった巳姫の身体には傷跡の片鱗も無かったのである。
 平身低頭して礼を言った巳姫に、シンジはこう言った。
「ミサトちゃんには内緒ね」
 と。
 そう、ミサトは巳姫のことを知らないのだ。
 村正に魅入られたミサトは、最低でも三日間は起きない。ミサトを諦めたシンジは、今度はこの事務所を訪れた。
 デート、の単語が気になるのか巳姫が、
「相手はどこの女なんで?」
 と訊いた。
「僕の助手…候補」
「え?」
「助手を増やすんで、その試験だよ」
 仕事上、と訊いて安堵したらしく、
「分かりました、若いもん何人か回します」
 重々しく頭を下げた。
「じゃ、よろしく」
 巳姫の肩をぽんぽんと叩いたシンジ。だが、他の者がこんな事をしたら、忽ち簀巻きにして北極海に沈められる、と言う事を知っているのかどうか。
 出て行きかけたシンジが、ふと振り返った。
「五代」
「はい?」
「今度呑みにでも行くかい?」
「え…」
 それを聞いた時、巳姫の口許がふーっと緩んだ。こみ上げる何かを抑えきれなかったようだ。
「わ、私で良ければ」
「五代のおごりね」
 勝手な事を言ってさっさとドアを閉めたシンジだが、深々と頭を下げている巳姫の顔は、僅かながら朱色に染まっていた−怒りではなく、違う感情で。
 
 
 
 
 
「感動的でしたね」
 目を真っ赤にしているのは無論マユミである。
 旧作を上映している映画館に入ったら、南極物語を上映していたのだ。
 置き去りにされた南極犬の話で、確かに感動的ではあるのだが子供達がすれてきたせいか、泣いているのはマユミだけであった。
 暗かったのは、まだ幸いだったろう。しかも前後の席が、がたがたと揺れた事を含めるならば。
 泣いているせいで、能力(ちから)が暴走しかけているのをシンジは知った。すっと伸びた手がマユミの手を握ったが、それが霊力を封じているのだとはマユミは知る由もなかった筈だ。
 ちーん、と鼻をかんだマユミへ、
「落ち着きました?」
「あ、はい。碇さんのおかげです」
「え?」
「さっき、手を握って下さいましたから」
「お役に立てて光栄です」
 思っているかはやや曖昧だが、
「お腹空きませんか?」
 シンジが訊くのと、きゅうと小さな音がするのが同時であった。
 恥ずかしさで真っ赤になったマユミだが、こんな時は突っ込んではいけないと大昔からの鉄則で決まっている。
「パスタでもいいですか?」
「はい…」
 先に立って歩き出したシンジを、慌ててマユミが追う。並んで歩き出した彼らを、何対かの視線が見つめていた。
 
 
「若頭は来られなくて正解だな」
「あんなの…俺達の命がないぞ」
「しかし何だってあの人はわざわざデートなんか…」
 囁き合っているのは巳姫がよこした男達だったが、その視線は間断なく周囲に注がれている。
 彼らが見ているのはシンジとマユミだったが、もっとも気にかけているのは二人に向けられる視線なのだ。危険なまでの美貌の主と歩く女−それだけで周囲は憎悪にも似た視線をマユミに向けていたが、マユミの方はそれには気が付いていない。
 だが、彼らの探すべきはマユミに向いた視線ではなく、シンジに向けられている物の方であり−
「おい」
「あ?」
「あそこだ、あの迷彩服」
「碇さんを睨んでる奴だな…何か泣いてるぞ…」
 
 
「タロ…ジロ…可哀想に…」
 奇怪な事を口走りつつ、これも目を赤くしているのは権助だ。
 付いていったついでに見た映画が、よほど堪えたらしい。
「置いてきぼりにされて…まるで俺みたいだ…」
 ティッシュも持っていないのか、やたらとハンカチで鼻をかんでいたが、ゆっくりとその視線が獲物を捉えた。
「碇シンジ…よくも俺のマユミを泣かせやがって…」
 取り出したのはリボルバー。まだここでは殺す気はないらしい。
 電柱の影に隠れてシンジに狙いを付けた途端、
「いてっ!」
 権助は、思わず大声で叫んでいた。
「なんだこりゃ…パチンコ玉?」
 みるみる赤くなっていく手の甲を見ながら、権助は飛来した方角を呆然と眺めた。
 無論そこには誰もいない。
「何なんだ今のは…あっ」
 痛む手を押さえて前を見ると、シンジ達はさっさと歩き出している。
 ちらりと腕時計を見ると、
「そろそろ食事だな…マユミ、今助けてあげるからな」
 邪魔に却って燃えたらしく、ゴキブリのようにちょこまかと電柱間を移動していく。
 
 
「なんで仕留めなかったんだ?」
「点数稼ぎだ」
「点数稼ぎ?」
「病院に送るのは簡単だが、ちくちくと痛めつけてからの方がいいだろ」
 それもそうだな、と納得したが、
「…お前、楽しんでないか?」
 ふと気になって聞いた仲間へ、にんまりと笑って見せた。
(こいつは敵にしない方がいい)
 と、他の二人が思ったかどうかは不明である。
 
 
 
 
 
「あの、碇さん…」
 マユミが躊躇いがちにシンジを呼んだのは、ショッピングモールを歩いている最中であった。
 食事に来たのだが、この辺りの店並びは若い女性達に取ってはゴキブリホイホイ並の魔力がある。つまり、覗かずにはいられないのだ。
 マユミの素振りに、寄っていくかと聞いたら嬉しそうに頷いた。それで少し予定をずらし、服やら靴やら見て回っている二人だったのだが。
「え?」
「す、少しその…は、離れてもいいですか?」
 ややうつむき加減に訊ねたマユミ。さすがの天然娘も、ここまで視線が殺到すると鈍感ではいられないらしい。
「どうかしました?」
「い、碇さんの側にいると…みんなが私を見るんです」
「山岸さんがきれいだからですよ、きっと」
 あっけらかんと言ったシンジに、マユミは激しく首を振った。
「ちっ、違うんですっ、私が…私なんかじゃっ」
 勢いよく振りすぎて貧血になった訳でもあるまいが、マユミはふらふらと倒れ込んできた。
 シンジが受け止めた瞬間、やや後方で叫び声が上がった。
 一つは
「マユミっ!!」
 と叫んだ物でありもう一つは、
「うぎゃあっ!」
 と叫んだもの−ただし、双方とも発信源は同一人物である。
 ちらっと後方に目を向けて、派手に転がっている迷彩服を見つけたシンジは、
「あれが藍田権助ねえ」
 興味もなさそうに呟いた。
 その頬が、そっと挟まれたのは次の瞬間である。
「これじゃ女連れで歩けもしない。ほんと罪作りよねえ」
 熱く囁いたそれへ、
「マユミさんはどうした」
「今日はもう出てこないわよ。あとはお願いしますだって−選手交代ね」
 妖しく、だがどこか嬉しそうに言ったのは無論ナルだ。
「目的は大体分かったんだけど」
 気乗りしないシンジに、
「葛城ミサトとは違う能力−それに目を付けたんでしょうが」
 うっすらと笑って、
「いやならお礼でもいいわよ」
「…お礼?」
「マユミのやつ、本当はひらひらのドレス着ようとしてたんだから。ステュアート朝の宮廷衣装着た女とデートしたかった?」
 なんでそんな物知ってるんだ、と聞きたくなったが止めた。
「他の女性陣に呪われるぞ」
「自分の顔、よく分かってるじゃないの」
 だが、言葉の割にはその顔は赤い。マユミもそれは分かっており、努めてシンジとは視線を合わせないようにしていたのだ−あまりにも危険だから。
「いいじゃないの、付き合ってよ」
「高く付くぞ」
 ナルの手を取ってぐいと立たせる。
 握り返された手はしっとりと汗ばんでいたが、それは決して−気候のせいだけではなかっただろう。
 
 
 
 
 
(続)

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