シンジと愉快な仲間達−ゴーストバスターズ
 
 
 
 
 
封魔カルテ1−C
 
 
 
 
 
 宙に浮かんだまま、腕組みして見下ろしているシンジに、殺気だった女二人も思わず固まった。
「誰も決闘しろなんて言ってないよ?」
 やれやれ、とゆっくり降り立ったシンジは、めっと悪ガキを睨むように二人を見た。
 恫喝や怒りなど微塵もない視線だったが、二人は叱られた子猫のように俯いた−妖女でさえも。
 固まった二人を、ほんの少しだけ睨むようにしてシンジは言った。
「葛城、コーヒーを三つ。それから君」
 少し萎縮したが、未だ殺気を漂わせている妖女を見た。
「名前は?」
「ナル」
 短く言った女に、
「変身のあれ?」
 と訊いた。
「さあね。悪いの?」
「不成りより、よほどいいですよ」
 誉めてるんだか判らない口調で言うと、椅子を勧めた。将棋の不成りの意味らしい。
 どさりと座った弾みに、纏っていた毛布が落ちる。
 重たげに揺れる乳房を、隠そうともしないナルにシンジは衣服を渡した。
「畳んでおきました」
 アイロンこそ掛かっていなかったが、ぴしりと畳まれたそれを見て、ナルは一瞬唖然とし、その直後に低く笑った。
「綺麗な人は家事も万能って訳?」
「風邪ひきます、そちらで着替えて下さい。その頃には熱い飲み物も来ますから」
 シンジの口調に何を感じ取ったのか、さっきとは別人のように素直に従った。
 一人になるとシンジは、ソファーに腰を下ろし自分の指を見つめた。
 妖しく銀光を放つ指輪が、シンジの黒瞳に映える。
「消すのは簡単だけど、でも」
 ほんの少し首を傾けると考え込んだ。女達が熱く心を鷲掴みにされるポーズであることに、本人は気付いているのかどうか。
 そのまま考え込んだ数分後、左右のドアが同時に開いて二人が入ってきた。
 入った瞬間相手を視界に認め、シンジの頭上で火花が散る。
 だがそれも一瞬のことで、同時にぷいっとそっぽを向きながら座った。
 ミサトがシンジの前に置いたのはブラック。砂糖もミルクも入っていない、やや苦めのそれをシンジは一口飲んだ。
 ナルの前に置くとき、さすがに音を立てておくような真似はしなかったが、それでもナルは手を出そうともしない。
「暖まりますから少し飲んで」
「いや」
 とナルは一言で拒絶した。
「どうして?」
「こんな女が淹れた物なんか飲めないわ。猛毒でも入っているのがオチね」
 それを聞いたミサトの目に殺気が混じる。
 だが何か言いかけるのを制して、
「では僕のでは如何?」
「『え?』」
 と重なった声への返答は、カップの交換であった。
 美しい指がそっとカップを持ち上げ、自分のそれと交換したのだ。
「僕のは毒見は済んでます、どうぞ」
 雪を自在に操る妖女は頬を染め、ミサトは半ば呆然として雇用主を見つめた。
(シ、シンジ君!?)
 味は変わらないはずだが、ナルはゆっくりと音を立てて飲み干し、
「ああ、美味しかった」
 とカップを下に置いた。
「淹れたのはミサトだよ」
 何考えてるのか、よく分からない口調にナルは少し眉を寄せた。
「随分とかばうのね、出来てるのかしら?」
「成立してるよ」
 との言葉にナルの眉は上がり、ミサトはにっと笑った。
「従姉弟関係がね」
 それを聞いて、二人の表情は入れ替わる。
 だが自分の言葉の波紋など気にもしない風情で、
「話、聞かせてもらえますね」
 口調は穏やかだが、その視線は真っ直ぐにナルを捉えていた。
「何を聞きたいの?」
「君誰だ?」
 単刀直入な台詞に、一瞬ナルは口を開け、三秒後に面白そうに笑った。
「直球な日本語ねえ。アンコールにはいなかったタイプだわ」
 つい口走ってから、しまったという顔になったナルに、
「なるほど、そっち方面の人だったわけか。で、彼女との関係は?」
「彼女?」
 真顔で訊ねたナルに、
「山岸マユミさんのことです」
 こちらも真顔で返す。
「さあて」
 肩をすくめたナルを見て、ミサトの表情が変わる。
「社長、ご許可頂けますか?」
 言った時にはもう、その手は印を結び始めている。
「こりゃ磁石だな」
 呟くと、シンジはミサトの手をぴん、と弾いた。
「血の気が多いぞ、あの日?」
 囁かれてミサトは真っ赤になった。
「少し黙って聞いてて」
 はい、と俯きながらミサトは自分でも驚いていた。彼女自身、こんな事は初めてだったのだ。
 今までに勝手に封魔に乗り出した事もなければ、顧客に突っかかった事もな−例えそれが妖魔であっても。
(どうしたのかしら私…)
 内心で首をかしげたミサトを見て、これなら口を出すことはあるまいと再度、シンジの視線はナルに向いた。
「引き寄せたのはマユミさんですね?」
 それを聞いたナルの顔に、驚愕の様相が浮かんだ。
 不思議そうな顔をして、
「なんで分かるの?」
「マユミさんは少しばかり魔力が高かった。だけど」
「だけど?」
「貴女みたいな雪女が、自ら選ぶには少々貧弱です」
 怪しからん事を平然と告げると、ナルの豊かな胸に視線を向けた。
「気になるのかしら?綺麗な人」
 少し歌うように言ったナルの胸元に、すっと指が伸びたのは次の瞬間であった。
 透き通るような指を突き付けられて、思わず上体を逸らしかけたナルへ、人差し指はそのままで、
「胸の谷間に傷がある−あなたにだけ」
 と、どこか囁くように言った。
「マユミさんに脱いで貰った時は、そんな物はなかった。片方にあって片方にあるということは、答えは一つだけ。全くの別人だという事です」
 それを聞いたナルは、少しの間沈黙していた。その瞳は、胸元に伸びているシンジの指に向けられている。
 そして数十秒経った時。
 不意にナルの手が動き、シンジの手を包み込んだ。暖かい手に包まれただけなのに、何故か淫らな感覚が伝わってきた。
「あたしを討つつもり?」
 言いながら小刻みに動かしている手からは、すさまじい快感が押し寄せて来る。
「悪くはないよ」
 美しい封魔師は、微かに笑った−かに見えた。
 だがその手がそっと自分の手を引き離した時、ナルは自らの妖力が敗れたことを知った。色仕掛けは通じず、そして妖力すらも通じない。
 もはや待つ運命は一つ、と思われた時、
「僕の助手、やってみませんか?」
「『え?…ええーっ!』」
 二人の叫びを茶菓にするかのように、ゆっくりとシンジはコーヒーを飲み干した。
 
 
「ど、どうしてですかっ!」
 先に我を取り戻したのはミサトであった。そして先に噛み付いたのも。
「どういう事ですか?納得できませんっ」
 顔を真っ赤にしているが、赫怒故かそれ以外の理由でかは分からない。
「どうして困る?」
「え?…えーとそれは…」
 訊き返されて、言葉に詰まったミサト。確かにシンジの言うとおり、シンジを氷漬けにしようとはしたが、それはあくまでシンジの問題であって、シンジが構わないならそれでいいのだ。
 あえて言うなら…漠然とした不安感であった。
 ただ、目の前の女が、シンジに危害を加えるとか言うのとは違うのだ。である以上、ミサトの女の部分はともかく、シンジの部下としての部分は否定する事を拒んでいる。
 言いよどんだミサトを見て、
「彼女一人に決めてもらう訳じゃない」
 シンジの言葉に、ミサトの顔が上がった。
「今の主はマユミさんの方だ。それに意味は−」
「分かっているわ、綺麗な人」
「戸籍は碇シンジになってますが」
 それを聞いてナルは低く笑った。
「これは失礼よね…シンジさん。これでいいのかしら?」
 そう言ってちらりと見た先は、何故かミサトであった。
(そういうことね)
 ナルの視線を受けて、ミサトは感じていた不安の意味を知った。
「あーら、シンジ、じゃなくっていいのかしら?雪女さん」
「僕が困る」
 とシンジの手が上がった。
「あら?」
「おかしな揉め事はしないでくれる、二人とも」
「『はい』」
 何故か揃っての返事に、シンジは宙を仰いだ。
 が、気を取り直して、
「マユミさんと話したい。代わってもらえますか?」
「嫌」
「あれ?」
「折角綺麗な人に会えたのに、もうさよならなんてもったいないわ」
 そう言ってシンジを見つめたが、ミサトは何故か反応しようとしなかった。
(ばかね)
 内心で呟くと、空のカップを取って立ち上がった。巻き込まれたくないのである。
「僕はもういいです」
 つれない言葉であり、無常な響きの言葉である。
 だが、それが微妙に異なっているとナルが知ったのは、数秒後の事であった。
 ごく普通の言葉も、目の前の青年の口から出るとそれだけで異形と変わる。
 一語一語が脳内麻薬と化し、中枢神経を犯していく。
 しかも言葉だけではない、妖しく光るシンジの黒瞳がナルの双眸を見つめたのだ。
 その視線が何をもたらすのか、妖女のまなざしはみるみる溶けた。妖気を秘めた瞳は魅入られた者のそれに変わり、魔笑を湛えた唇もまた白い歯を見せて小さく開いた。
 部屋に漂いだした妖気は、誰から発せられた物だったのか。
「もったいない、と言った?」
 シンジがすっと立ち上がると、ナルはそれだけで気圧されるように僅かに身体を逸らした。
 だがそれだけで逃げられる筈もなく、シンジの綺麗な指はナルの顔に触れて、くいと持ち上げた。
「あ…あぅ…」
「もう一度」
 シンジはむしろ優しく促した。
 だがそれは魔王の囁き−甘い誘惑と引き換えに青黴の生えた羊皮紙へ、気が付けばサインしている結末が待っている。
「変わるな?」
 むしろ冷たい声でシンジが囁いた次の瞬間、ナルはがくりと首を折った。
 その顔が数秒後に上がった時、妖艶な美女は清楚な女子大生へと戻っていた。
「わ、私…?」
 辺りを見回してマユミの視線が、シンジの顔で止まり、それが紅くなるのには秒と要さなかった。シンジの妖気は、未だ室内を支配していたのである。
「さっき転んだんです」
「え?」
「軽い脳震盪で済んだので、横になっていてもらいました」
「ご、ごめんなさい、ご迷惑かけて…」
「結構倒れる人も多いのよ」
 言いながら、新しいカップを手に入ってきたのはミサトであった。
 さっきまでの表情は微塵も見せず、マユミの前にカップを置いた。
「秘書の葛城ミサトです。これブランデーが入っているから暖まるわ。飲んで」
 うって変わったミサトに、
「風が変わったの?」
 こっそり聞くと、
「敵は一人で十分ですから」
 奇妙な答えに、美麗な雇用主は追求しようとはしなかった。
「美味しかったです」
 とウェッジウッドのカップを、音も立てずに置いたマユミをシンジは穏やかに見た。
「偽証はなしですよ」
「え?」
「あなたの事、詳しく話して頂けますね?」
「わ、私の…?」
「もう一人のあなたのことを」
 それを聞いた途端、マユミの顔から血の気が引く。どうやら当たりだったらしい。
「わ、私はなにもっ」
 全身全霊で拒否しながらも、その手が震えているのにシンジもミサトも、すぐに気がついた。
 だがミサトも止めようとはせず、シンジも反応せずに続けた。
「あなたがここに来たのは、突如現れた現象に驚いたからではなく、制御外だったのに驚いたのではありませんか?」
「……」
 マユミの指の震えを見ながら、シンジは更に続けた。
「今までは、もう一人のあなたとは上手くやっていた。それがここの所おかしくなってきていた。正確には…」
「違うわっ!」
 次の瞬間、カップが宙に浮かんで木っ端微塵になった。マユミが持ち上げたのではない、勝手に浮き上がったのだ。
 その破片がシンジを襲う直前、それは何かに阻まれたかのようにテーブルに落ちて鈍い音を立てた。
「違う、とは?」
 シンジの声にも表情にも動揺はなく、ミサトもまた同じである。
「わ、私は人間です…普通の…」
「普通じゃない、とは言っていないわ」
 少しだけ優しげな声をミサトが掛けた。
「え?」
「此処で使っている食器の類は職業柄、耐魔仕様になっているの。見た目も触った感じも何ら変哲はないけれど、滅多なことじゃ反応はしないわ。まして浮き上がって破裂させるなんて、よほどの魔力が必要よ。あるいは」
 ミサトが言葉を切ったのは、シンジの視線に遭ったからだ。シンジは一瞥でミサトを抑えると、
「変わった物を見ると、いじめたくなるのが人間という種族です。異物の排除と言う意味では、ある程度合っているかも知れませんが。ただ、自分の意志でなければ話は変わってきます−例えばあなたのように」
 それを聞いて、マユミの体がびくりと動いた。
「お、驚かないんですか」
「あいにく、魔力で驚くようには生まれついていない物で」
 シンジのうっすらとした微笑が何を生んだのか、マユミの全身からゆっくりと震えが消えていった。
「私が始めて知ったのは、高校生の時でした」
 低い声でマユミは話し始めた。
 もともと自分の世界を好む所のあったマユミは、さして友人づきあいもなかった。
 ただ自分と違うだけで、攻撃したくなる人種はどこにでもいるものであり、マユミの周りの連中も何ら変わる所はなかった。
 気に入らない物をいたぶる。それはごく普通に行われている光景ではあるが、一つ問題があった−マユミは普通ではなかったのである。
 中学校の半ばから起きた陰湿ないじめは、高校になっても終わる事はなかった。
 それどころか新たなメンバーを加えて、一層エスカレートしたのである。事が公にならなかったのは、グループが表立ったやり方は取らなかったからに過ぎない。
 だがそれが一歩前進した或る日、事は起きた。
 マユミの成熟した肢体を妬んだ女達が、その服を脱がそうとしたのである。
 しかも運の悪いことに、その日マユミがつけていた下着は、従姉が海外で買ってきてくれた、とある有名ブランドの新作であった。
 自分達の三流品とは、明らかに違うそれを見て女たちは逆上した。有無を言わせず剥ぎ取ると、刃物で切り刻もうとしたのだ。
 その時の事を、マユミはよく覚えていない。
 ただ−
「私のブラジャーに、あの人たちが刃物を近づけた途端、頭の中が真っ白になったんです」
 気が付けば、辺りには全身を紅に染めた連中が転がっていた。
 勿論大騒ぎにはなったのだが、平素の素行に問題がある上、凶器も不明とあってお蔵入りになったのだ。
 何よりも、居合わせた者たちが全員植物人間と化していた事も大きかった。
 ただ、マユミがそれを実際に知るのは、もう少し後のことになる−即ち、繁華街で柄の悪い男たちに囲まれたときに。
「スタンガンを押し付けられて、私は気を失いました。ところが薄れ行く意識の中で私が見たのは」
 気絶させた筈の女が、倒れながらぬっと起き上がれば誰でも驚く。しかも凄まじい程の妖艶さをまとい、口を耳まで開いてにっと笑えば。
 まして、指一本でスラックスを引き裂き、露出した男根をきゅっと握れば。
 進んで奉仕してくれるのかと、笑ったのは一瞬の事であった。
 女の目にある種の光が宿った瞬間、天を仰いでいたそれは一瞬にして凍りついたのである。
 悲鳴を上げる間もなく、女は氷柱と化したそれを握りつぶす。するとあっけなくそれは砕け散った。
「即席の性転換手術よ」
 女は氷のような声で告げた。
 高電圧のショックが全身を襲っているにも関わらず、マユミは失神できなかった。
 まるで意識だけを、強い力で押さえ込まれているような奇妙な感覚で、マユミが呆然と見つめる中、次々と男たちは氷塊と化して行き、マユミはもう一人の自分の存在を知った。
「見せてやったのよ、とその女(ひと)は言いました。あんたが分かってないから教えてやったんだ、って。その後も…何度か…」
「いつもあなたは意識を抑えられているんですか?」
 シンジの問いに、マユミは首を振った。
「いいえ、その後はずっと…話し掛けてくるんです。付きまとってきた男たちをこうしてやった、ああしてやったって。それも…すごく愉しそうに」
「なるほど。でもどうして急に此処へ?」
 シンジは間を置かなかった。こんな時沈黙にさらされると、耐え切れなくなる者は多い−特に女には。
 むしろ意識は緩ませない方がいいのである。
「最近、おかしくなったんです」
「あなたが?」
「は、はい。あの…霊障っていうのが起きるようになって…」
「と言うと」
「あの人は間違いなく出てきていない筈なのに、しかも私に危害なんかないのに回りの物が凍りついたり、周囲にいる人が日なたなのにいきなり寒気を訴えて、病院に運び込まれたり…」
 俯いたマユミの肩に何かが触れた。
 上がった顔を、ミサトがそっと抱き寄せると、マユミは堰を切ったように嗚咽し始めた。
「同一人物の範疇だね」
「『え?』」
「実はさっき、もう一人のあなたにお会いしたのです」
 それを聞いた途端、マユミの目が大きく見開かれた。
「嘘っ!」
「別に僕が喚んだ訳じゃありません。あなたの霊体反応が少し妙だったので、本心への暗示を掛けてみたんです」
「あ、あの人はなんて?」
「僕が気に入ったようです」
 シンジがほんの少し口元を緩めたのを知るのと、肩を抱く腕から妙な熱気が伝わってくるのとが、ほぼ同時であった。
「あ、あの…葛城、さん?」
 マユミの不安そうな目に気付き、慌てて、
「あ、失礼。なんでもないわ」
 笑って誤魔化したが、何となくマユミは直感で気付いていた。
 今までもう一人の自分は、男に指一本触れさせはしなかったが、目の前のこの男(ひと)は別だ。こんなに綺麗な人だもの、あの人が興味を持っても不思議はないわ。
 きっと熱い戦いがあったに違いない。
 経緯はよく分からないし、特に知りたいとも思わない。
 ただ、今自分の横に座っている女性(ひと)も、並みの人ではないはず。
 二人の女の三角関係の中でも、この人はこの美貌を少しも変えなかったに違いない、何故かそんな気がして、マユミは少しだけおかしくなった。
「どうかしましたか?」
 いきなり口元が緩んだマユミを見て、ミサトは驚いたような顔をしたが、訊ねたシンジの表情は変わらない。
 どうしてかは分からないが、内心を全部読まれているような気がして、マユミは下を向いて、
「な、何でもないんです」
 蚊の鳴くような声で言った。
「仲間割れ、ではないと思います−多分」
「仲間割れ?」
「もう一人のあなたは、マユミさんの抑圧された心が生んだ第二の人格、ではないということです。抑圧された心から新人格が生まれた場合、そしてそれが尋常ではない力を持っていることは時折あります」
「はあ…」
「例えば、あなたのように虐めに遭っていた場合。別人格が強力で、しかも相手を片付けてくれたとしたら、本人にとってはこの上ないことです。しかしながら、相手がいなくなればどうなるか」
「いなくなる?」
「自分を虐める相手に仕返ししてやりたい、その念が昂じて生まれた人格も、相手がいなくなったり、いじめを止めれば用はなくなります。問題はその時に起こることが多いのです。端的に言えば人格分裂症を引き起こし、自分の身体を傷つけたりします」
「わ、私もそれなんでしょうか?」
「違います」
 シンジは言下に否定した。
「髪の色が別人でしたから」
 そう言って何故か笑ったシンジの顔に、ミサトが一瞬視線を向けたが、慌てて逸らした。
「髪の色?」
 何故か嫌な予感がしたが、シンジはそれには答えず、
「生まれた訳ではなくて、眠っていたのが起きた、と言った方が正解でしょう−多分ですが」
 しかし、そういわれてもマユミにはよく分からない。
「あ、あの私どうすれば…」
「どうして欲しいんですか?」
「えっ?」
 逆に訊き返されて、マユミは唖然とした表情になった。まさか、こんな事を言われるとは思っていなかったらしい。
「ここへ来られた時、どうしてもらいたいと?話を聞いて欲しいと?それとも…もう一人の自分を消すため?」
 シンジの目がマユミのそれと合った。
 視線が絡み合うかと思われたのもつかの間、マユミはゆっくりと倒れこんだ。シンジが眼力を使ったのではない、シンジの双眸に魅入られたのだ。
 
 
「社長、一体どうされるお考えですか?」
 マユミをソファに横たえて、コーヒーを再度運んできたミサトが訊ねた。
「分からない」
 シンジは単純に言うと首を振った。
「分からないってそんな」
「君ならどうする?」
「え?」
「ナルと言った彼女、マユミさんには危害は加えていない。マユミさんの言っていた霊障、あれは多分本人の引き起こした物だ」
「本人ってどっちの?」
「マユミさんだ。恐らくは彼女自身の霊力が、目覚めたんだろうね。ただ今は自分でそれに気付かず、妙な所で発揮してるって訳だ」
「では抑符を使って?」
「使わない」
「あら」
「それをすると、もう一人の力が強くなり過ぎる。現在マユミさんは、もう一人の方を抑えられてはいないし、多分抑える気もないだろう。ただもう一人のあっちになると分からない。マユミさんを封じるぐらいはしかねないよ」
「だったらこの際滅ぼして…」
「何が嬉しいのかな?葛城さん」
「べ、別に嬉しくなんか」
 内心を言い当てられて、ミサトは顔を隠すように横を向いた。
「とにかくさっきも言ったけれど、彼女は僕の助手にして使いたい。無論、霊能力次第だけど」
「……ねえ」
 妙に拗ねた声でミサトが言った。完全に駄々モードに戻っている。
「何?」
「どうしてそんなにあの女にこだわるの?助手なら男でもいいじゃない」
「マユミさんから霊力を感じたかい?」
 シンジは全然関係ないことを聞いた。
 はぐらかされたような気がして、少し不快にはなったがそれでも、
「いいえ、ほとんど」
 首を振った。
「ではもう一人の時には」
「それは…凄まじいほどの霊圧を」
「だからだよ」
「あ!」
 二人の付き合いも伊達ではない、ミサトもそう言われた時シンジの真意を知った。
「もっと抑えるようにしなくちゃならない、もっとね」
「はい…」
 少しの間俯いていたが、やがてその顔が上がった。
「あ、あのシンジ君?」
 上目遣いになり、妖艶な美貌を見せたミサトを見て大方見当はついたが、
「何?」
 そ知らぬ顔で訊く。
「か、彼女には…し、しないんでしょう」
 答えは判り切っている。自分の従弟であり妖麗な雇用主でもある、目の前の青年が想いを通わせるなど魔女だけ、いや魔女達を束ねる魔女の中の魔女だけだろう。
 そうと知りつつ訊ねた、ミサトの心をシンジはなんと読んだのか。
「んーそうだね、仲人はミサトちゃんにお願いしようかな」
「シンジ君っ!」
 思わず立ち上がった所へ。
「じゃ、婚約指輪がいるわねえ」
 たっぷりと笑みを含んだ妖しい声が上がり、ナルは妖々と起き上がった。
 
 
 
 
 
(続)

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