シンジと愉快な仲間達−ゴーストバスターズ
封魔カルテ1−A
直径数メートルの方陣に、それを遙かに凌駕する大きさの巨人が、今まさに没しようとする所であった。
だがそれが本意とかけ離れているのは、その表情を見れば一目瞭然である。
耳元まで裂けているかのような口からは鮮血が滴っており、眼球の毛細血管が切れた物か、その眼は血の色をしている。
そして何よりも、その口からは呪詛が絶えぬではないか。
だが奇妙なことに、その巨人が対峙する相手はどこにもその姿が見えない。
いや、よく見れば−
巨人の大きさとはかけ離れているが、円の両端に二人の人間が印を結んだまま仁王立ちになっている。
その男女は、いずれも満身創痍であり服もあちこちが既に裂けているのだ。
立っているのが不思議、いや気力だけで立っているのが明白であった。
「オン・キリクシュチリビキリ・タダノウウン・サラバシャトロダシャヤ・サタンバヤサタンバヤ…」
男女二人とも唱えているのだが、女の方が特に重傷であった。
真言を一語唱えるごとに唇からは鮮血が流れ出し、身体の血管さえも造反するのか、あちこちに血玉ができる。
一方男の方は身体的な傷はさして見あたらなかったが、精神の衰弱度は女をも越えていた。
頬は急激に痩け落ち、破れた服の隙間からは浮き上がったあばらが見える筈だ。
もともと、細身ではあったがやせぎすではない。
術が凄まじい霊力を要求したため、それが肉体にまで影響を及ぼしたのだ。
「お、おのれ…おのれ…人間どもが…この、このわらわを…」
両手で円の縁を掴み、必死で這い上がろうとしてくる巨人−女。
振り乱された髪すらも、生への執着を具現するかのように、二人に巻き付かんとざわめいている。
その間も、二人の肉体のダメージは止まらない。
もはや女に至っては顔色は白蝋のように白く、首から下は鮮血で深紅に染まっている有様である。
どう見ても、人間達が倒れるのが先に見える。呪文の唱言が止んでしまえば、巨躯の魔女はやすやすと地上に現れるに違いない。
事実、女の上体は一瞬傾きかけたのだ。
だがその時、彼女の脳裏にある少年が浮かんだ。
その無垢な微笑みを思い出した瞬間、彼女の双眸に凄絶な光が宿った。
「はっ!」
裂帛の気合いが洩れると同時に、僅かにばらけかかった印を強固に組み直した。
そしてついに−
「が…あああああっ…ぐ・・ううう…お…のれ…」
幾千幾万の蛇のごとくうねっていた髪はその勢いを無くし、縁を掴んでいた手はその力を失った。
「に、人間如きが…この私を…だが忘れるな、私は必ず蘇る……そしてその時…愚かな人間どもを全て…すべて滅ぼしてくれる!」
冥府の果てから響いてくるような声が消えた時、その姿も埋妖陣に没した。
二人が思わず力を抜いた次の瞬間。
「きゃあっ!!」
「ユイっ!」
妻の叫びを耳にした男の目が、驚愕で見開かれた。完全に没したはずの女の髪が、ユイの足首に巻き付いていたのだ。
「暫しの眠りと言え、一人では逝かぬぞ」
女の情念か、幾重にも巻き付いた黒髪は確実にユイを捉えていた。
だがユイには、既に振りほどく力もない。
それを見た瞬間、こちらも既に体力は尽きていながら、咄嗟に駆け寄った男−ゲンドウ。
刃物で断てる代物ではない。
呪符を取り出すと念を送って鋭利な刃物にしようとして−凍り付いた。
もはや彼に魔力は残されていなかったのである。
二人きりで人外の妖女を封じる為には、希代の魔道士と言われた彼らをもってしてさえも、その全精力を要求したのである。
無駄なあがきと知りつつ、髪を掴んで引き離そうとする。
髪を通して様子が伝わってくるものか、地中から哄笑が響いた。
「ほほほ、愚かな男よ。儂を一時とは言え封じるほどの力を持ちながら、所詮女が大切と見える。よかろう、お前も共に来るが良い。眠りの連れは多い方が面白いでな」
ぎりりと歯がみしたゲンドウの手を、白い繊手がそっと捉えた。
「ユイ?」
既にその胸元まで妖髪は巻き付き、その顔も苦悶に歪んでいる。
だが、
「私はここまで。あなた…逃げて」
「なっ!何を馬鹿なっ、お前を置いて行けるか」
ゆっくりとユイは首を振った。
「この髪を断つ力はもうあなたには残っていないでしょう?それに私にも。無理に離せばあの女が上がってくるわ。やはり人柱は必要だったのよ」
ゲンドウの表情に苦渋の色が満ちた。
秒とかからずに決断は出たらしい。
「…分かった」
とゲンドウは言った。
「あなた、あの子のこと…」
「一人では逝かせんよ」
ゲンドウの声が遮った。
「あ、あなた!?」
「君は綺麗だからな」
「こ、こんな時に何を…」
いきなりの言葉に一瞬紅くなったユイに、
「黄泉津醜女に嫉妬されて虐められても困るからな。俺がガードしていってやる」
言った方も幾分紅くなっているのだが、取りあえずそんな場合ではない。
二人とも既に満身創痍、ユイに至っては体中を締め付けられて顔色さえも、既に土気色になりかかっているのだ。
ゲンドウの言葉を聞いたユイ、拒もうとして…諦めた。
そうね、あなたいつもあの子に焼き餅焼いてたものね。
私の愛情があの子に取られるんじゃないかって、いつも子供みたいに…
でも私も人のことは言えないわね。
実の妹だって判ってるのに、何故かミサトさんにあなたを取られるような気がしていたもの。
あなたは口癖のように、
「シンジに構いすぎだな、ユイ」
と言っていたし私は私で、
「ミサトさんと私とどっちが大事なの」
って聞いて…傍から見たら相当おかしな夫婦だったでしょうね…
既に死相が表れているユイの表情に、僅かな笑みが浮かんだ。
少しだけ自由になる手を伸ばすと、夫の手をしっかりと握る。
「ずっと…一緒よ」
その手が強く握り返された。
「ああそうだな。ずっと一緒だ、ユイ…」
視線を絡み合わせる二人の甘い空気を、邪悪な声が破った。
「ほほほほほ、覚悟を決めたと見えるな。所詮は人間、その程度の生き物じゃ。せいぜい冥土までの道行きを楽しむがよい」
人の苦しみが力の源なのか地底から響く声には邪悪の度合いは増しているが、最前までのような苦痛の響きはほとんど感じられない。
(まさか結界が破られる!?)
見交わした視線に言葉は要らなかった。
ユイに巻き付いている髪をしっかりと掴むと、最後の力を振り絞って呪文を唱える。 ゲンドウが地を蹴って、結界に開いた黒穴に飛び込んだ数秒後−
結界から吹き上げた大火炎は、大陸を覆うほどの大きさになり一瞬にして辺りの氷山を溶かしにかかった。
だがそこから一筋の光が空に消えていったことを、知る者は一人としていなかった。
後に隕石の落下として世に広く伝えられる事になる、「セカンドインパクト」の勃発である。
そして十数年が経過した−
店員が次々と返却されたCDを棚に戻していく。
他の店員は全員休暇だから、彼女が一人でしなくてはならない。
お気に入りのビジュアル系バンドのCDを見つけ、いつものようにしばし妄想の世界に耽る。
これさえなければ、と店長を嘆かせる彼女の癖はヴォーカルと二人きりの世界を夢見ること−ただし勤務時間内外を問わず。
有線で曲が流れるだけでも、彼女がトリップするには十分なのである。
いったん自分の世界に入り込むと、戻ってくるのに最低十分はかかる。
いつもならばそれで良かったかも知れない。
だがこの日は少し違っていた。そう、何かが。
しかしそれに気づく事も無く若き女店員はCDを手にして、うっとりとした表情になっている。
とその時、彼女の背後で奇妙な事が起こった。棚に陳列されていたCDが宙に浮き上がったのである。
普通に考えれば到底あり得ない事−怪奇現象−だが彼女は気づかない。
一枚、二枚、三枚、と次々にCDが空中浮遊を始めた。
彼女が異様な気配に気が付いたのは、更に数秒後の事であった。
凄まじいまでの圧迫感に何事かと振り向いた時。
彼女が見たのは−
空中を乱舞しているCDの群であった。
あるものは一定のリズムに従って舞い、またあるもの達は自分たちを陳列していた棚に怨みをぶつけるかのように、棚に体当たりを敢行していた。
彼女の目が一瞬にして、大きく見開かれた。だがそれは反射的な行動であって、事態を理解した訳ではない。
彼女が事態を理解するのには数秒を要した。
そしてゆっくりと彼女の口が開き…絶叫が迸った。
「やっと終わった」
店先で、箒を持った青年が最後の落ち葉を集め終えた所であった。
丁稚奉公か何かに見えるが、彼の雰囲気がはっきりと否定している。
使われている者のそれがないのだ。
と言うよりも、若旦那が下働きに興味を持ってこっそり掃除をしてみた、と言った感じに見える。
さて集めるかとちり取りを手にした時、
「あれ?」
通りの向こうを見たのは爆音を聞いたからであり、
「げ!」
しなやかな眉をしかめたのは、それがこちらに向かってくるのを見たからであった。
爆音と共に滑り込んできたのはBMW320A。
今では殆ど見られないその車体はマニアにとっては垂涎物だ−ただしせっかく集めた枯れ葉を散らされた者以外には。
「あのっ」
切羽詰まった声にも、
「何でしょう?」
僅かに硬い声で返したとしてもやむを得まい。
「ここ、妖魔退治の会社でしょうか?」
「…そうです」
「あ、あの、い、依頼に来たんですけど…」
「開店は午前九時となっております。後二時間半ほどしたら、またお越し下さい」
そう言って再度掃除を始めた青年をみて、一瞬度肝を抜かれたらしいが慌てて、
「い、急ぐんです!」
僅かに青年の顔が自分の方を見たのを知って、ほっと安堵した。
「…分かりました、どうぞ」
そう言って手をかざした時、娘は青年の手に指輪がはめられているのを知った。
ちょっと待ってと先に入った時、青年はちらりと枯れ葉に目を向けた。
ふう、と内心でため息を洩らしたのを知る者は、無論他にはいなかった。
彼女が通されたのは、十畳ほどの応接間であった。
一見したところは普通の洋間である。壁際には年代を感じさせる暖炉が置かれ、部屋の真ん中には四人用の応接セットが置かれている。
だが『全てが尋常』という訳ではなかった。
壁に飾られた長剣はサーベルだが、鞘の部分にぐるりと巻き付いている物がある−龍だ。
中国に棲む伝説の生き物と言われ、白虎・朱雀・玄武と共に四聖獣の一神と言われている。普通ならばお守りか招福なのだが、この場合はかなり異なる。
そしてその下に掛けられているのは日本刀−ただし太刀のみ。
その筋では有名な妖刀「村正」。
別名『鬼包丁』とも呼ばれる代物だが、本来は普通の刀であった。
だが、とある将軍家の家系の凶事にしばしば登場するため、禁忌視されて排除の憂き目に遭ってきたのである。
とは言え実際には偶然の産物であり、それ自体に妖力は無い。
だが今掛けられている刀は−
とある美術品好きの会社社長に送られた際、自らの剣の腕前を見せるべく抜いた社長は我を忘れて暴れ回り、駆けつけた警官達に射殺されるまでに八人を惨殺し、二十余名に重軽傷を負わせていた。
無論刀は警察に押収されたものの、刀から半径十メートル以内に近づくだけで、誰彼と言わず目を血走らせて低い声で唸り出すため、頭を抱えた署長が密かに流出させた経緯がある。
白いミンクのコートを脱ぐと、中からは細身の肢体が現れた−ただし体の線だけ。
ハイネックのセーターは豊かな胸に持ち上げられ気味になっているし、黒いタイトスカートもまた然りである。
豊かな胸を大きく上下させている娘に、青年はソファーに座るよう勧めた。
青年は娘を残して台所へ入ると、やかんを火に掛けた。
指輪をはめた指が空に伸ばされた時、空中にモニターが出現した。
幻影の筈だが、その画面には応接室の様子が映し出されている。
「さてどんな方?」
呟くと青年は画面を凝視した。
青年が去った後、しばらく彼女は胸を押さえていたがふと、何かに気づいたように辺りを見回した。
何かおかしい−そう、妙に寒いのだ。
無論外の気温は低いし、額は少し汗ばんでいるから急速に冷えたとも言える。
だが、そうではないと本能が告げていた。
あえて言うならば、『女の勘』とでも言うのだろうか。
部屋のとある方角から伝わってくると知ったのは、数十秒経ってからであった。
彼女の視線は暖炉に向けられている。
一見普通の暖炉に見える−何かを燃やした形跡はあるのに煙突が無かったり、部屋の天井に一点の染みもない以外は。
「おかしな暖炉ね」
と言った時、彼女は無意識に口にしたことに気づいていない。
いや、声にしなければ不安なのだと本能が感じていることに。
すっと立ち上がりかけて数歩暖炉に近づきかけたが、なぜか後ずさりしてまたソファーに戻った。
だが彼女は気づいていない。
自分が立ち上がったことも、そして足が勝手に戻ったことも。
そして何よりも、モニターを通して見ていた青年がこう呟いたことも。
「何かを見たのは本当のようだ。それと霊的防御本能はまあまあかな」
「私…今何を?」
数秒間の記憶の空白に思わず娘が首を傾げた時、青年が盆に湯飲みを載せて入って来た。
音も立てずに萩焼の湯飲みを娘の前に置く。
「まずはお茶を飲んで。気を落ち着けるには番茶が一番です。あ、これ僕の名刺」
渡された名刺には、碇シンジとあった。
名詞を見た時、何故か急激に喉の渇きを感じた彼女は湯飲みをぐいと傾けた。
思わずおいしい、と呟いたが原因ははっきりしている。
茶葉の値段と−入れ方だ。
ゆっくりと湯飲みを置いて顔を上げた時、ふっと視線が合った。
青年の切れ長の瞳からの視線が、自分の口元に注がれていると知った瞬間、何故かその頬は一気に染まった。
「熱くなかったですか?」
「え?あ、はいっ」
「それはよかった。さて、お話を伺えますか?」
「山岸マユミです」
「え?」
「あ、あのっ、私の名前です」
恥ずかしそうに娘−マユミは俯いた。
「そう言えば、まだ名前をお聞きしてなかったですね。これは失礼」
そう言ってなぜか薄くふっと笑った時、マユミも思わずつられて笑っていた。
ひとしきり笑った後、マユミは自分がかなり落ち着きを取り戻しているのを感じた。
いつの間にか頬の紅潮も消えている。
そっと自分の顔に触れたマユミに、
「それで?」
と、シンジは穏やかな声で訊ねた。
訊ねられてマユミは我に返った。
両手を膝に置くとそっと深呼吸してから、
「あの…空飛ぶCDなんです」
と言った。
一瞬室内に沈黙が漂った。
シンジはほっそりした指を下顎に当てた。
僅かに首を傾げたその姿を見た時、マユミが感じたのはなぜか嫉妬であった。
目の前の青年は、見た目は単なる美男子である−それもモデル級の。
何よりも全身の雰囲気は春霞を感じさせる程に『甘い』。
そこらの女など歯牙にも掛けないようなその美貌は、穏やかな表情を見せている。
だが、正面は笑っている者が、横を向いても同じ顔とは限らないのだ。
微かな声できれい…と呟いた時、マユミは自らの声に気づいていなかった。
無論シンジにはその声は届いている。
別に初めてではない。
訪れる依頼人の内、五人に二人はこういう反応を示す。それどころか、呟きを通り越して手を伸ばして来る者もいるし、もっとも直接的な行動を−押し倒そうとした者もいる。
彼らがどうなったかを知る術は無い。
だが、この事務所に入ったまま二度と出るなかった者が何人かいる事が、その答えを示している。
しかしながらこの部屋には、微塵も血臭などは感じられない。
一見何の変哲もないこの家に、一体何の仕掛けがあるというのか。
そしてこの青年の何処に、『封魔師』としてその名を馳せている要因があると言うのか。
「物が空を飛ぶ事自体は、さほど珍しくはありません」
不意にシンジが言った。
「え?は、はいっ」
シンジの指に見とれていたマユミは、いつの間にかその美貌が指から離れた事にも、そしてその黒瞳が自分を映していることにも気が付いてはいなかった。
穏やかな表情のまま、
「もう一口飲んで」
とシンジは促した。
言われるままに再度傾けると、幾分ぬるくなった玉露が食道を滑り落ちていった。
何が含まれているのかは不明だが、さっきと同様平静さを取り戻したのをマユミは知った。
湯飲みを手に持ったまま、
「UFOですか?」
聞きながら、自分でもどこか間の抜けた質問だと感じていた。
UFO。
俗に言うところの『未確認飛行物体』である。
心霊写真と並んで、合成写真が最も多く作られる物だ。
既に数多の合成写真が暴露され、もはや無駄だと思われるにも関わらず、依然として作られ続けるのは未知への憧憬なのか。
物体だけが知られている訳ではない。アメリカの某州の郊外では、身の丈120センチほどの小さな宇宙人が降りてきて、周囲の草木や土を採取後に悠然と立ち去ったとまことしやかに伝えられるし、NASAでは既に捕獲した宇宙人の研究を終えているとも言われる。
更に宇宙人にさらわれたと証言する者も後を絶たない。
毎月のように継続してUFOに乗せられ、文字通りの『定期検診』を受けたと証言する者や、肢体の隅々までも知り尽くされたと話す女性もいる。
なお彼女がそのときの事を余りにも詳細に語るため、周囲からは欲求不満が高じた誇大妄想として片づけられている。
しかしながら今回のマユミの場合は、明らかにそれらとはケースが異なる。
UFOの場合常に前提となるのは、異物体が飛来する事なのだが、マユミが目撃したのは、並べてあったCDが勝手に空中浮遊を始めた事なのだ。
「少しだけ外れですね」
そう言って微笑したシンジの顔に、ミスを嗤う物は微塵も感じられなかった。
「はい…」
ちらっとマユミは舌を出して笑った。
室内にうっすらと甘い雰囲気が漂った。
「ポルターガイストの方が近いかも知れません」
シンジは微笑を絶やさずに告げた。
例え営業時間前から押し掛けようと、折角集めて焼き芋にしようとした枯れ葉の山を一蹴されても、室内に招じ入れた以上はお客なのだ。
シンジの微笑に、貼り付けたような不自然さは無かった。
「騒がしい霊、ですね」
「そうです。基本的には子供の念が引き起こす物だとか言われていますが、ごくまれに違う事もあります」
「違う物って?」
つい友達に話しかけるように聞いてからしまったと思ったが、シンジが反応しなかったので知らん顔を決め込む事にした。
「怨念です」
シンジはあっさりと言った。
顔と一致していないが、ここまでの美形になると笑みさえも妖しく冴える。
マユミは一瞬、心臓を鷲掴みにされたような気がした。
「わ、私が…ですか?」
「人はいつの間にか怨みを買ったりするものです。ご職業は?」
「アルバイターです。今はビデオのレンタル店に」
「不特定多数の人から思いを寄せられる可能性はありますね−色々と」
最後の言葉はマユミの耳には入らなかったらしい。
「そ、そんな私なんて…」
顔を紅くして、いやいやをするように首を振っている。
「純粋な感情だけではありませんよ」
とは、シンジは言わなかった。
顧客(クライアント)に余計な心労を与える事も無いのである。
「これは僕の勘ですが」
少し冷めた口調でシンジに切り出されて、マユミは我に返った。
「は、はい…」
「あなたの気のせいではないと思います。ただ店自体の物なのか、あなたの個人レベルの物なのかはまだ分かりません。そこで」
一旦言葉を切ると、シンジは妖しく微笑した。
澄んだ黒瞳は無限の闇へと化したような気がして、思わずマユミはスカートを両手で掴んでいた…筈が身を乗り出していたと気づくには数秒掛かった。
シンジが瞬きをした時、既にマユミの顔はその直ぐ前にあった。
端から見れば、どうみてもキスを迫る娘の図にしか見えない。
「ご、ご免なさいっ」
そう言ったつもりが声にはならなかった。
いや、それどころか身体さえ動こうとはしない。
伏せようとした筈の目はシンジの黒瞳に吸い付けられたままだし、スカートをしっかりと掴んでいた筈の両手はテーブルに掛かり、更に身を乗りださんばかりであった。
「あなたの霊力レベルを知る為にテストをします。構いませんか?」
それを聞いた瞬間、マユミの本能は危険を告げた。
目の前の青年は危険だと。激しく首を振って否定しなくてはならないと。
だがマユミの首は瞬時に縦に振られていた。
「勿論いいですっ」
今度は言葉が出た。
「では」
とシンジが言った。
そして二秒後に。
「服を脱いで」
依然として少し冷たい、そして少しだけ妖しげな口調でシンジは告げた。
(続)
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