第一回指定物:カウント6666「三姉妹+1」
 
 
 
「追えっ!絶対に逃がすな!!」
 怒号が鳴り響き、投光機が広い邸内を射抜くように照らし出す。
 一斉に猟犬が解き放たれ、殺気だった警官達が銃を手にして四方に散った。既に撃鉄の起きているそれは、彼らの殺意度の高さを物語っている。
 だがそんな中、彼らの追撃を嘲笑うかのように哄笑が木魂した。
「あはは、この寒い中ご苦労さんねえ」
 その言葉どおり、既に雨将軍がその先鋒を派遣しているのだ。
「出すだけ予算の無駄。すぐに退散した方がいいわ」
 とこれは別の、どこか冷めたような声がした。
「レイ姉の言う通りよ。本気と書いてマジと読む。今宵の本気度は30%、少しは愉しませてよね、全くもう。じゃまたね、間抜けな刑事さんたち」
 三番目に上がった声は、これもまた別物であったが、どこか二番目のそれに似ているように思われたのは気のせいだろうか。
 
 
「うー寒いよう。早くストーブストーブ!」
「待ちなさいよマナ、戦利品を眺める方が先よ」
「あーあ、いいわよねえ…皮下脂肪が厚くていらっしゃるアスカ姉は」
 たっぷりと嫌味を含んだ声に、赤毛の娘がぴくりと反応した。
「そうよ、私は胸にたっぷり付いているんだから。誰かみたいに18にもなってAカップのままな、貧乳さんとは一緒にしないで欲しいわね」
「ふん、どうだか。どうせすぐ垂れてくるのは分かってるんだから。ばーさんになったらあっという間に“ヘチマのたわし”はわよっいひゃい!」
 呂律が奇妙になったのは、どうやら顔を横に引っ張られたせいらしい。
「ナイ乳の癖に偉そうじゃないのよマナ…あ、あいすううのおっ」
 互いに顔をつねりあっている二人に、もう一人の娘がふうとため息を付いた。
「アスカ姉もマナも、私より巨乳になってから喧嘩したら?」
 一言、だが強烈な一撃で二人の喧嘩を強引に止めた。
「レイっ、あんた」
「今問題なのは、乳首の大きさでも乳輪の色でもないわ」
 何故か赤くなって下を向いた二人を見ながら、レイはすっと立ち上がると、暖炉に火を投じた。
「お風呂入れてくるからそれ開けておいて。これ以上喧嘩は駄目よ」
 統制と年長とは関係ない、という事を如実に示したレイは風呂場へと向かった。
「あの二人にも困った物ね」
 浴槽を洗ってからスイッチを入れる。後は全自動でやってくれる筈だ。
 陶器のように白い肌が、ほんの少し湯で赤くなったのを見ながら、
「手入れ、少し荒かったかしら?」
 首を傾げたとき、今から聞こえた叫びにレイは地を蹴っていた。
「どうしたのっ」
 さすがに少しだけ慌てて飛び込んだレイは、目の前の光景に立ちすくんだ。
 
 
 
 
 
 町の少し外れにあるアパート、『メゾンANGEL』
 その一室の部屋のドアが、控えめにノックされたのは夕方の事であった。
「あの、碇さん…」 
 ちょうど帰ってきたばかりの碇シンジの部屋を、山岸マユミが訪れたのだ。
 控えめな声で呼ぶと、
「はい」
 その声に一瞬耳を傾け、闇の声でないのに安心してゆっくりとドアを開ける。
「お、お疲れ様でした」
 その声に、向こう向きになっていた青年がこちらを向いた。
「今日はいかがでした?」
「痴情のもつれ」
「え?」
 と訳もなく赤くなるマユミを見て、シンジは薄く笑った。
「愛の新居と騙しておいて出資させ、完成直前に相手の過去の経歴を暴いて、ぽいと放り出したのさ」
「と言われますと?」
 小首を傾げたマユミの前にすっとシンジが立ち上がった。
「それ、貰っていい?」
 盆を持ったままなのに気付き、あわてて下ろそうとする手を止めて、シンジはカップを手に取ると一口傾けた。
 熱めのダージリンティーに、シンジの目が満足そうに細まった。
「ど、どうでしょう」
「美味しい」
 頷いた後、
「座ったら」
 と、ソファを指した。
 マユミが腰を下ろすのを見てから、再度シンジは口を開いた。
「彼女は以前水商売の方にいたんだが、それを隠していたのさ。しかもF女子大出身と偽っていたらしい」
「まあ」
「F大に入ったのは嘘ではないが、途中で中退している。元は学費稼ぎに始めたらしいが、思ったより収入がいいので本職にしたらしい。だから金はあった」
「そ、それで…」
「捨てられた女は、騙されていたことに漸く気がついた。だがプライドが邪魔したのか、訴えるような事は出来なかったんだな。それで違う方法を取った」
「違う方法?」
「裏切った男の結婚式に乗り込んだ」
「え!?」
 と言う割には身を乗り出しているマユミ。どうやら女と言う人種は、根本的にゴシックが好きらしい。
「お色直しの間に、天井から自分を吊り下ろした」
「自分を?」
「そう。ただし自分は喪服に着替え、その胸元に5本の刃を突き立てて。入ってきた新郎新婦の前には、喪服を着た女が血まみれで倒れていたって訳」
「ひどい…。そ、それでその後は」
「知らない」
 シンジはあっさりと首を振った。
「ただ、半狂乱になった新婦が刃物を抜き取って暴れだし、死者は10名を超えたと言うことだけだ−本人を含めてね」
「…それで祓いを」
 ピンと来たらしいマユミに、シンジは頷いて見せた。
「誰だって、毎晩のように夢に魘されたくは無いからね。しかも二人の女が生首になって睨んでいるんだそうだ…“よくも騙したわね”って。男の方は式場で死んですっきりしたのか、現れる事は無いそうなんだが」
「勝手ですわね」
 ぽつりと呟いた声を、シンジは聞き逃さなかった。
「男の事?」
「勿論です…いつも泣くのは女ばっかりで…男なんて最低です」
「僕は?」
「あっ」
 気付いたマユミの顔から、急速に血の気が引いていった。
 自分が管理しているアパートの、住人のことを忘れていたのだ−それも目の前にいたと言うのに。
「い、碇さんは全然っ!」
「でも僕は男だよ…根っからのね」
 シンジが薄く笑った時、マユミは心から安堵した。
 だが、
「オーナーは潔癖症だからね」
 と言われて、再度その表情を落胆が彩った。
 普段は山岸さんと呼んでくれるのに、やっぱり怒ってる…
「それで、どうしたの?」
 思わず泣きたくなるのを抑えて、
「お、お仕事の依頼で…」
「仕事?」
「はい」
 シンジの口調が、業務用のそれに変わった事さえも何故か奇妙に嬉しく、マユミは内心でほっと安堵した。
 
 
 
 
 
「そうか、盗まれたか…くっくっく…はーはっはっはっ」
 大事な絵が盗まれたと知ったのに、何故か大笑いしている父の幻史郎を見て、気でも触れたかと葛城ミサトは、一歩後ずさりした。その足が止まったのは三歩下がった時である−父親は彼女をじっと見ていたのだ。
「お、お父…さん?」
「私がなぜ笑っているか、お前に分かるか?」
 父の表情を見た時、本能が囁いた。これは危険だと。すぐに逃げた方が良いと。
 だがミサトは何故か動かなかった。あるいは動けなかったのかも知れない。
 無言で首を振ったミサトを見て、幻史郎はにやりと笑った。
 つかつかとカーテンに歩み寄り、さっと開いたそれにミサトの表情は、驚愕に彩られた。
「絵…盗まれていなかったの?」
 なんだ、あれは偽物(ダミー)だったのね、良かった… 
「いや、盗まれた」
 幻史郎はあっさりと否定した。
「え!?」
「こっちがダミーなのだ」
「な、何でそんなのを」
「用は済んだからだ」
「用が済んだ?」
 鸚鵡返しに訊き返したミサトに、幻史郎はその絵を指差した。
「効果があればそれでいいのだ。ミサト、この絵を良く見るがいい」
 言われるまま、ミサトはモナリザの微笑に似たそれを凝視する。
 “見た感じはモナリザ”だが、一つ違うのは胸が露出していること。女なら誰でも羨望しそうなそこは、薄っすらと色づいた乳首までも、まるで服から押し出されるかのように、見る者を惹き付けているのだ。
「どうだな?」
 その声を、ミサトは遠く聞いた。
「…はぁ…うぅん…あ、あつい…」
 最初に異変を感じたのは胸であった。自分では、到底得られないほどの凄まじい快感がそこから溢れ出し、まるで岩か何かのように乳首が硬直する。弾力を通り越して硬化しているようなそれに、ミサトは恐る恐る触れた。
「くふうあああっ」
 奇怪な声と共に、ミサトはへなへなと崩れ落ちた。
 触れた瞬間脳髄に痺れるような何かが走り、際どい黒のショーツも粘ついた液で溢れ返った事を、躰の感覚で知ったのだ。
 面積が小さかった事を、ミサトが後悔したかどうか。
 既に口はだらしなく開き、あられもない姿で床の上で悶え、自らの乳と尻を激しく責めたてる娘を、幻史郎はぎらついた目でじっと見ていた。
 そして数分後。
 僅か数十秒で絶頂に達しているミサトは、既に何度目とも知れぬ高みに自ら飛翔していた。
 にも関わらず、いまだその指の動きも、そして喉から漏れる獣のような声も、一向に衰える気配を見せない。
 そのミサトの前に、ゆっくりと幻史郎が立ったのはその直後である。
 既に天を仰いでいる肉竿を、片手で持ち上げると幻史郎は、実の娘の前に差し出した。
「いるか?」
 奇怪にして破廉恥極まる問いは、歓喜に似た唸り声でもって迎えられた。有無を言わさず押し倒し、実父の性器にミサトはむしゃぶりつく。
 だがすぐに口を離したのは倫理に目覚めたから−ではなかった。ミサトは父の身体をまたぐと、すとんと腰を落としたのだ。
 満足げな唸り声と共に、熱い喘ぎが部屋中に満ちていき、男の物とも女の物とも知れぬ声が、室内をねっとりと充たしたのは数分後の事であった。
 
 
 
 
 
  
「絵に取り憑かれた?」
「はい。碇さんは闇姉妹をご存知ですか?」
「ダークシスターズ、とか言われてる連中だな。確か三人組だとか」
「実は…」
 言いよどんだマユミに、シンジはちらりと視線を向けた。
「わ、私の友人なんです…い、碇さん?」
 受話器に手をかけたシンジを、マユミは呆然と見つめた。 
「犯罪者を隠匿すると捕まるからね。模範的な市民としては即座に通報を…なぜ止めない?」
「い、碇さん人が悪いです…」
 泣きそうな顔で口を膨らませたマユミに、シンジはにっと笑った。
「え?」
「僕は最低な人種だから」
「も、もう…」
「それで?その悪魔三人組がどうしたの?」
「あ、はい…その…“モナリザの艶笑”とか言う絵を…」
「無理だ」
「え?」
 そんな意地悪を、と言いかけたマユミは止めた−シンジの表情に気が付いたのだ。
「逆凪の量が半端じゃない。恐らくは」
 声を切ったシンジを、マユミは不安そうに見た。
「盗まされたな」
 シンジの声は冷たい雷(イカズチ)のように、マユミの全身を襲った。
「そ、そんな」
「モナリザの艶笑って、知っているかい?」
「え?…いいえ?」
 
 モナリザの艶笑。それは究極の魔画とされ、常に歴史の闇に見え隠れしてきた物だ。
 モナリザの微笑自体は、有名すぎるほど有名な絵だが、それが有名と化した事に目をつけたある魔術師がいたのである。
 豊かな谷間から覗く乳首、それだけにしておけば洒落で済んだ物を、わざわざ降霊術で悪魔を降ろしたのだ−しかも右の胸にはサッキュバス、左の胸にはインキュバスを。
 女に寄生するインキュバス、それに男に寄生するサッキュバス、この二種の夢魔を封じた絵は絶大な媚薬と化した。
 かのロシアの怪僧といわれた、とある性豪もこれを所持していたと言われ、思うままに施政を操った中国の女帝もまた、この絵を使って人々を意のままに操ったとされる。
 本物よりも、人々が手に入れることに執着を燃やした−その意味では創った甲斐があったのかもしれない。
 だがそれは、完全に人の手を越えたのだ。
 どんよりと澱んだ邪気を、僅かでも払うのに数人の生命を要し、それさえも絵自体の存在には何ら影響を与え得なかったのだ。
 もはや数える事さえ能わぬ程の、多数の人々の生と引き換えにいまなお、烈々たる妖気を湛える魔画。
 普通の依頼なら受けたかもしれないが、盗品に魅入られた物を受けようとは、シンジは思わなかった。倫理がどうこうより−単に面倒なのかもしれないが。
 
 
  
  
 
 どうもおかしいとシンジが気付いたのは、マユミの頼みを断ってから数日してからである。街を歩く時、粘っこい視線が身体に纏わり付いているのに、シンジは気付いていたのだ。それも多人数ではない、恐らくは一人か二人だろうとシンジは見ていた。
 襲撃するのではなく、もっと別の何か。
 ただ、敵意や害意の感じられないそれを、立ち止まって追いかけるほどシンジも暇ではなかったのだが、或る日接触してきたのは向こうからであった。
 方違えの静めの時、へっぽこな祓い師に頼んだせいで、よりによって太白神を犯しかけたと言うのを納めた帰り道に、シンジはあの例の視線を感じていた−それもすぐ後方に。なぜ振り返らなかったのかは、自分でもよく分からない。
 だが次の瞬間、シンジはどことなくわざとらしい体当たりを食らっていた。無論無様に転ぶような真似はせず、持っていた道具を取り落しもしなかった。
 その表情が、次の一瞬で微妙に変わったのは、どうみてもぶつけられたかに見える、泥にまみれたハンカチを見たからだ−それと、そのぶつかった位置と。
 肘に違和感を感じて見た時、純白のジャケットがそこだけ真っ黒になっているのを、シンジは知った。
「泥…だらけ」
 シンジがぼやくのと、
「ごめんなさい」
 声が掛かるのとがほぼ同時。
 シンジは視界に一人の若い女を認めた。
 年の頃は自分と変わるまい。ひっそりとした清楚な雰囲気に、その辺の三流モデルなど歯牙にもかけないようなスタイル。その気になって街を歩けば、男など両手に余るほど集まってくるだろう−ただし、好奇の目もまた。
 抜けるように白い肌はともかく、血のように赤い瞳と白髪とはまた別の位置にある銀髪とは、一種奇異な目で見る者も多そうだ。
「ああ、大丈夫ですから」
 とりあえずハンカチを出そうとして…ない。
 さっき喫茶店でコーヒーを飲んだ時には、ズボンの中に収納されてあったのにと、首を捻ったところへ、すっと繊手が差し出された。
「あ、洗いますから」
「え?でも別に…」
 いいから、とぐいと手を引っ張られ、シンジは素直に従った。上着など脱げば済む話だが、若い女と腕を引っ張りあっている姿など、みっともないだけである。痴話喧嘩の最中です、と宣伝しているような物だ。
「どこへ?」
 数分歩いた時、シンジは前を歩く女に訊いた。
「洗える所です」
 といわれたものの、まさかラブホテルに直行するとは思わなかった。
 しかも昼間とあって、空室が目立つ中一番高い部屋を選び、ずかずかと入っていく。無論シンジの腕は、取られたままである。
「別に逃げないから」
 エレベーターの中でそう言った時、女は初めて気付いたように手を離し、うっすらと赤くなった。
 別に気にしてもいなかったのだが、シンジは初めて彼女が全身を覆っているのに気が付いた。既に初夏だと言うのに長袖のブラウスに、足首まであるロングスカート。そう言う趣味にも見えない辺り、若干の違和感を感じさせる。
「どうぞ」
 部屋の前に付いた時小さな、だがはっきりとした声で彼女は促した。
「はいはい」
 と逆らいもせずに入ったシンジに続き、後ろ手に鍵を閉めた。
 シンジは上着を脱いで、汚れた部分を数秒眺めていたが、ゆっくりと振り向いた。
 二人の視線が空中で絡み合い、どこか奇妙な雰囲気を作り出す。先に目を逸らしたのはシンジではなかった。
「そろそろ話してくれない?惣流レイ嬢」
 少し冷たい声で言われて、その体がびくりと震えた。
「知って…いたの」
「人を尾行する時はもう少し冷静にね。焦りで気配が全然消えていなかったよ」
 と、次の瞬間シンジの目が、少しだけ見開かれた。
 レイがはらりと服を落としたのだ。
 着やせするタイプなのか、外見からは想像もつかないほどの圧巻な胸。だがシンジが見たのはそこではない。ましてレイが下着を着けていなかったことでもなかった。
 胸と言わず首と言わず、所構わずといった表現が似合うような感じの、キスマークにその目は注がれていたのである。
「もてる事の自慢、じゃなさそうだ」
 とシンジは言った。
「誰に魅入られた?」
 
 
 
 
 
 
「これで…・良かったのよね」 
 すっかり冷え切ったコーヒーを前にして、マユミは何度目とも知れぬ自問自答を繰り返していた。
 憔悴しきったレイに頼まれ、シンジを付けるよう授けたのは、無論マユミである。
 その衰えた顔に、一体何があったのと訊ねたマユミにレイは答えず、代わりに黙って胸元を見せた。
 キスマークと呼ぶには、あまりにも痛々しい鬱血の痕の数々。
 それだけならマユミにも分からなかっただろうが、既にシンジから魔画の事を聞かされているマユミには、その意味するものが理解できたのだ。
「お願い」
 一言、だが万感の思いを込めて頼む友人に、ノーと言える性格をマユミは持ち合わせてはいなかった。
  
 
 
 
 
 
「手におえない−事もない」
 とシンジは言った。
 盛りのついた猛獣と化した妹と姉。
 そんなのを街に放つ訳にはいかず、毎晩のようにレイは二人のおもちゃになっていたのだ。
 元々レイにそっちの趣味などない上、何がそこまで精力を付けさせるのか、毎晩のように執拗に責め抜かれるレイは、既に身体的にも精神的にもかなり参っていた。
 これが父親などではないのは、まだましだったかもしれない。
「二人を街に放てばそれで済む話だよ」
 シンジは冷ややかに告げた。
「そ、そんな…そんなことをしたら」
「完全に取り憑かれてはいないようだけど」
「どうしてそんなことが」
「君はまだ、あの絵の怖さを分かっていない」
「え?」
「もし魅入られたなら、昼夜問わずよがり狂う可能性が高いんですよ。例えば−」
 シンジはソファから立ち上がり、ベッドに腰掛けているレイに近づいた。
「あん…くっ」
 レイが小さく呻いたのは、シンジの指先がいきなり乳首に触れたからだ。人差し指の爪と親指で挟み込み、きゅっとねじられたレイは、くすぐったそうに身を捩った。
「あまり気持ちよくないでしょう」
 真顔で聞かれ、
「う、うん…」
 小さな声で言ったレイに、
「既に感度の基準がずれてきている」
 診察結果を告げるような口調でシンジは言った。
「え?」
「入って」
 声と同時にゆっくりとドアが開いた。
「マ、マユミ…」
「多分こうなると思ったんで、呼んでおいた」
「マユミこれどういう…」
「無駄だよ」
「無駄って?」
「彼女の裸を見るのは初じゃないが」
 とシンジが言った時、何故かレイの胸中にもんやりとした物が湧き上がった。
「一応僕の姿を目にした時から、奴隷になるように設定しておいた」
「設定って、なに?」
 シンジはそれには答えず、
「きりきり脱いで」
 シンジの言葉に答えるように、マユミがさらさらと服を床に落とした時、少しだけレイの表情に驚きが浮かんだ。
「う、嘘…」
 ただし、マユミが異性の前に裸体を晒した事に驚いたのか、身に着けているショーツとブラが、紫の際どい物だった事に驚いたのかは分からなかった。
「下は穿いていて」
 言われて、ひもを解こうとしていた手が止まった。
 シンジはそのマユミへ近づくと、レイほどではないがやはり形のいい胸に触れた−レイにしたのと同じように。
「ふっ…ふあぅっ!」
 切なげに声を洩らし、へにゃへにゃと崩れ落ちたマユミを見て、レイは愕然とした表情になった。
「これが普通の反応」
 とシンジに言われても、半ば呆然とマユミを見つめている。その顔が漸く赤くなったのは、数秒が経ってからであった。シンジに言われた意味が分かったのである−つまり自分は不感症になっている、のだと。
「山岸さんを見て、何か感じる?」
「え?」
 訊き返したレイを見て、シンジはふっと笑った。
「その分なら大丈夫そうだね」
「何の事?」
「君の姉妹なら、とっくに彼女を押し倒しているよ−或いは僕を襲っている」
 でもって腕の骨の二、三本とは、さすがに言わなかった。
「何となくだけど、その絵はダミーかもしれないな」
「え?…」
「洒落を言ってるわけじゃない」
 言われて赤くなったレイに、
「有名な絵なら、贋作の出没は有名税のように付きまとう。本物の方もそうだ。だがその分だけ妖気は落ちる−消えないのがすごい所だけど」
 くい、と顔を持ち上げられて、
「な、何を…」
「少しだけ調査を」
 言うが早いか、シンジはレイに唇を重ねていた。
「ん…んむ…んう…」
 シンジの舌が咥内に侵入し、好きなように蹂躙する度にレイの身体は細かく震えた。
 感じさせる、と言うより全ての地域に痕を付けるような、そんな舌の動きにレイの手はだらりと垂れ下がり、なすがままにされていた。
「あ…ふぅ…」
 数十秒後シンジが唇を離した時、レイは切なげにため息を洩らした。
「初めてだったのに…」
「その割には感度良かったけど」
 ぽっと赤くなりながら、
「も、もう…あっ」
 語尾が上がったのは、マユミに押し倒されたからだ。
「あ、忘れてた」
 シンジはどこか愉快そうに言った。
「ちょ、ちょっとマユミ」
「中毒った場合には無理です」
 さもご愁傷様、と言うようにシンジは言った。
「中毒った?」
「結界を張り、護摩を炊いて真言を唱えるのも祓いの一つ。キスに逆真言をこめてするのもまた」
「じ、じゃあ」
「胸を見てご覧なさい」
「あっ」
 首筋を這い回るマユミの顔をどけながら、なんとか視線を向けたレイの表情に驚愕が浮かんだ。
 痛々しくさえ感じられたそれ−たっぷりとついたキスマーク−は、みるみる内にその姿を消し始めていたのである。
「あ、ありがとう…」
「喜ぶのはまだ早い」
 何故かシンジは断つように言った。
「え?」
「色情狂と化した、君の姉妹までは面倒を見る気はない。自分でやってもらおう」
「自分でってそんな」
「五時間以内に二人にキスすることだ−たっぷりと濃厚なやつをね」
 シンジは妖しく笑った。
 一瞬レイの口がぽかんと開き、すぐにふさがれた。マユミが唇を重ねたのだ。
 普段は清楚な美女が、荒々しく友人の口に、舌を侵入させていく様はどこか異妖であり、強烈なエロスでもあった。
 避けようとして避けきれず、レイはマユミの舌を受け入れた。
 無論シンジとは違い、たっぷりとレイの舌を愉しんでいるマユミに、レイの手は所在なさげに空を泳いでいる。
 だがそれも飽きたのか、やがて唇を離したマユミは次に、陶器へと戻った胸に目をつけた。ほっそりした指が乳房を軽くもみしだき、乳首をぷるんと弾く。
 感度が元に戻ったせいか、切なげに喘ぐレイを見てシンジは立ち上がった。
「姉妹達とあまーいキスの前に」
 珍しく笑みのこもった声で言うと、シンジはレイに笑いかけた。しかしレイは羞恥に襲われながらも、顔を赤くする余裕も無かった。淫花と化したマユミの指が、既に泉となっているレイの秘所へ、指を滑り込ませたからだ。
「は、んっ…くぅ…」
 びくりと腰を浮かせたレイに、
「僕の大家さんを満足させてあげて。それでは」
 触発されたかのように、マユミの胸に手を伸ばしたレイを見ながら、シンジは踵を返した。
「ビデオに撮ったら高く売れそうだし…これのクリーニング代に撮っても良かったかな?」
 生乾きのジャケットを見ながら、シンジはうーんと伸びをして呟いた。
 
 
 
 
 
 
 そして数日後。
「碇さん、お紅茶入りました」
 いつものように控えめにドアがノックされる。
「どうぞ」
 と、これも変わらぬ答えが返ってくる。
 そしてゆっくりとドアが開き、盆を手にしたマユミが。
 ここまではいつもと変わらない風景であった。
 ただその日は少しだけ違っていたのは、
「あんたが碇シンジね!」
 腰を手を当てて、びしっと指差す美女が一緒だった事と、
「ふうん、レイ姉の言う通りいい男じゃない。マユミさんずるいわよ」
 更には、
「あの時のキス、続き…」
 おまけが三人付いていた事であった。
「指をさされるのは好きじゃないが」
 シンジの声に慌てて指を下ろし、
「あたしアスカ、惣流・アスカよ。よろしく」
「知っている。三姉妹の中で一番極悪な娘だな」
「なっ!」
 アスカが顔を赤くして言いかけたのに、
「あはは、一番極悪だって。言えてるう」
「そして君が二番目に、正確には大して変わらない性悪のマナ嬢」
 一瞬で笑いが消える。
「『な、何よそれー!』」
「それは僕の台詞だ」
「『え?』」
「この間の一件なら、家賃半年分と引き換えに依頼は受けた」
「ちょ、ちょっと碇さん…」
 だが、慌てたようなマユミの表情を見る限りでは、そんな密約は無かったようにもみえるのだが。
「君達に用はない筈だけど。それとも再発したか?」
 出鼻を挫かれて、一瞬引いたように見えた彼等だったが、すぐにアスカが、
「再発したわ」
「ほう?」
 シンジの透き通るような目がアスカを捉え、アスカはすうと頬を染めた。
 辛うじて視線を逸らすのに成功し、
「し、姉妹仲が悪化する病気よ」
「僕と関係が?」
「い、碇シンジに…ひ、一人だけキスしてもらったのは許せないわ」
「そうよ、レイ姉だけずるいわ」
「別に僕がしなくても完治した筈だが」
「『してないわ』」
 ハモった二人から視線を逸らし、
「君は?」
 とレイに視線を向ける。
「マ、マユミの裸は初めてじゃないって言ったわ。このままでは友情に亀裂が入ってしまうの」
「ほうほう」
 ゆっくりと椅子ごと回転したシンジは、頬を染めているマユミを見た。
「もしかして君も?」
 マユミは小さく頷き、
「お、お家賃半年分では高いです…だ、だから…その…」
「大迷惑」
 と呟いた時、シンジは三人がじりっと包囲を狭めているのに気が付いた。一瞬遅れてもう一人参陣し、四人がかりで包囲網を築く。
「これは」
 シンジは首を傾げ、
「逃げられない?」
「『「『はいっ』」』」
 妙に嬉しそうな声が室内に木魂し、更にシンジの包囲網は狭まった。
 
 
 
 そして数時間後、アパートの前の自販機で、コーヒーを買うシンジの姿があった。
 完全防音の室内で、秘められた数時間の間に何があったかは知られていない。
 ただ事実だけを形容すると−
 シンジの肌は妙につやつやしており、疲労の様子は微塵も窺えなかった。
 ただ、小声で、
「少し疲れた」
 と、そうでもなさそうな口調で呟いた以外は。
 そして室内には、いずれも失神した四人の美女が転がっており、何故かその手は皆、何かを掴むようにして、出口に向かって伸びていたと言う。
「も、もっとぉ…」
 かすかな声が、失神しているレイの口から出たのは、シンジが出て行ってから数分後の事であった。


(終)