恋人達の事件簿「シンジを狩る者達」
 
 
 
 
 
 
 
 
「私がいなくなったら、ATフィールドが消えてしまう」
 と、二人目のレイは自爆した。
 だが、まだレイの役目は終わっておらず、早急に代役を立てなくてはいけない。
 従って水槽から次の者を掬ってくる事となった。
 ところが。
 
 
 
「二人目が自爆したそうよ」
「では三人目が使われるのね」
「そうね」
「でもそれは一人だけ」
「私たちの内、だれか一人だけね」
 人知れぬ暗い部屋の水槽内で、静かに火花が飛び散った。
「やりたくないけれど、仕方がないわね」
「そうね、決闘で決めましょう」
「それしかないわ」
 あわや水中乱闘が始まるかと思われたその刹那。
「待ちなさい」
 別のレイの声が止めた。
「『邪魔をするの』」
「迷惑なのよ。参加しない者だってここにはいるのよ。ちぎれた手足がここに浮いていたら大迷惑よ」
 恐ろしいことをさらっと言ってのけると、
「違う方法にしてもらうわ」
 有無を言わさぬ口調で、仲間に命じた。
「案があるの?」
「あるわ−集団脱走よ」
「『集団脱走?』」
 同じクローン仲間でも、意志の疎通は完全ではないらしい。
 奇妙な表情になった仲間に、
「今碇君は、綾波レイが自爆したと思ってショックを受けている最中よ。そこへもし綾波レイが無傷で現れたら、どうなると思う?」
「喜ぶわ。涙でも流すかもしれない」
「早い者勝ちにするのよ」
「早い者勝ち?」
「志望者が一斉に脱走して、誰が最初に碇君の心を掴むか競争するのよ」
「何を目標にするの」
「口づけね。舌は挿れなくてもいいわ」
 その言葉に、なぜかレイ達がにっと笑い、水槽の中に何やら妖しい空気が漂った。
「ただし」
 他の一人が口を挟んだ。
「無理矢理に押し倒すのは反則よ。それと洗脳も禁止」
 とすると。
 洗脳すら既に、クローン達の特技に含まれていると言うのか?
「『いいわ』」
 参戦表明をしていたのは、この時点で五人いたが、いずれも揃って一斉に頷いた。
「勝つのは私」
 と一人のレイが言った。
「いいえ、私」
 更に別のレイが、
「私以外にはいないわ」
 冷たい自信と共に告げ、水槽の中に危険な気が漂ったが、
「結果で証明すればいい事よ。そうでなければ机上の空論だわ」
 一度も発言していない、別のレイが止めた。
 どうやらこの中では、いろいろと複雑な人間模様があるらしい。
 とそのとき、
「脱出方法はどうするの」
 一瞬レイ同士で顔を見合わせたが、
「私がやるわ」
 上の方で、暇そうに『外界』を眺めてたレイが名乗りを上げた。
「監視カメラが及ばないのは、ほんのわずかの範囲だけ。赤木リツコを殴って眠らせたら、あっという間に計画は崩れるわ」
 その言葉に、参戦表明組が顔を見合わせる。
 リツコをぶん殴ってから、悠々と脱出を謀る気だったようだ。
「あなたが犠牲になるというの」
「言わないわ、そんな事は」
「え?」
「溺れている振りをするのよ。取り合えず助けに来るはず、そこを中へ引きずり込むの。後はATフィールドでカメラを破壊すればいいわ。保安員が駆けつけてくる前に、脱出くらいは出来るでしょう」
 衆議一決、ではそれで行くわと頷き合った直後。
「来たわ」
 凍り付いたアスファルトに、冷たくハイヒールの音が鳴り響いた。
 
 
 
 
「はあ?リツコが気絶させられてた?」
 レイの自爆、イコール戦力の大幅なダウンを意味している。
 機体はともかく、レイだけでも救出したいと、自分でも無意味と知りながら命令した所へ、
「生存者がいたら、の話ね」
 と宣ったから、ハンマーで粉末状にしたくなったが、辛うじて抑えていたところだったのだ、
 従って自分の願いが天に通じたのだろうと、見えない誰かに感謝したくなったが、ふと気になって訊いた。
「場所は?」
「セントラルドグマです」
 それを聞いた瞬間ミサトの表情が動く。
 すでに亡き想い人もどきは、その死の直前ミサトに一つの鍵を送っており、それはミサトにある場所へと辿り着かせていたのだ−すなわち、セントラルドグマへと。
「碇司令にはもう?」
 急に小声になったミサトに、黒服は電話の向こうで怪訝な顔を見せたが、
「いえ、まだです」
 その言葉に、ミサトの顔が一気に引き締まる。
「分かったわ。すぐに行くから開けて置いて」
 入り口が分かっても、鍵があるとは限らない。
 無論現在のミサトは、セントラルドグマに入れるパスは持っていない。
 だが異変が起きた場合、たとえばリツコが入ったまま閉じこめられた場合などは、外から開ける必要がある。
 従って、スペアの鍵は存在する筈なのだ。
 どうやって異変を知ったのかは不明だが、ともかく今、セントラルドグマは出入りが可能になっている。
 とすれば、この機会を逃す手はあるまい。
 俊敏に立ち上がったミサトは、
「日向君、後を頼むわね」
 いつもの通りの台詞を、いつもの通りのオペレーターに向けた。
「分かってます、行ってらっしゃい」
 と言われるのを知りつつ。
 
 
 
 
 
 さてその頃。
「汚い部屋ね、まったく」
「二人目は何をしていたのかしら」
「女の風上にも置けないわね」
 言うまでもなくレイ達である…全員が綾波レイだ。
 そして彼らがいるのは、『歴代の綾波レイ用に設えられた部屋』である。
 つまり、つい先日まで綾波レイが暮らしていた部屋だ。
 まんまとリツコをやっつけて、水槽からの脱出に成功した彼らだが、出てからある事に気が付いた。
 そう、当然のことだが誰一人として服をもっていないのだ。
 つまり全員が全裸のまま脱走したのである。
 その存在自体危険だが、なんとか陳列罪で捕まっても困ると、彼らが目を付けたのはレイの部屋であり、無論その前に。
「仕方ないわ、これを身ぐるみはがしましょう」
「でもばーさんの下着はいやよ」
 他の者達も、一斉にぶんぶんと頷いた。
 しかしそれが逆に幸いしたかもしれない。
 確かに上下とも紫で固めており、しかもガーターベルト付きの代物ではあったが、全裸を晒さずに済んだのだから。
 ただ着られる物、となると限られており、白衣に黒のノースリーブ、それに後は靴とタイトスカート位である。
 配分を巡って少々揉めたが結局、二人羽織で全裸の上に白衣、もう一人が全裸にスカート、もう一人が全裸にノースリーブ。
 と、ここまではいい。
 リツコもそれなりに胸は大きく、二人羽織でもほとんどレイの肢体なら隠せたのだ。
 そしてノースリーブも、下にぐいと引っ張れば、ある場所が丸見えにならない程度には隠れるから。
 が、スカート担当のレイは上半身は剥き出しで、スカートもかなり短いせいでだいぶ妖しい格好になっていた。
 これはもう人目に触れれば、即通報の憂き目を見るのは間違いない。
 そして。
 せめて脚だけでも、と言う理由で靴だけ履いたレイは。
 サイズが合わないのだ。
 服に限って言えば、体を隠すという事であれば大は小を兼ねる。
 ところが、靴に限ってはそうは行かない。
 大が小を履けばたちまち足を痛めるし、逆になれば今度はぶかぶかになってすぐに脱げてしまう。
 そしてレイは後者であった。
 二センチほど大きいサイズで、しかもハイヒールである。
 一歩進むたびに、
「私はここよ!誰か気づいて!!」
 と、大声で宣伝しているような物だ。
 全裸に靴下、と言うのは時折聞くが、ぶかぶかのハイヒールだけ、と言うのは聞いた例がない。
 よくこれで見つからなかった物である。
 あるいは、既に薄闇だった事も幸いしたのかもしれない。
 そして、二人目の自爆で殆どの市民が疎開にかかっていた事も。
 さて部屋に入り込んだレイ達は、がさがさと引き出しをあさり始めた。
 だが。
「これでは駄目」
「これではお子さま下着すぎるわ」
「碇君が見てくれない」
 断言しても構わないが、そんな事はない。
 何となれば、依然この部屋の主がシンジに胸を揉まれた時、床に下着が散らばった。
 レイは顔色も変えずにしまったのだが、不用心にも先にさっさと出ていったのだ。
 中に残ったのは、やわらかな感触を焼き付けるべく補助用具を探していた、目に危険な光を浮かばせた少年のみ。
 後でレイが帰ってきた時、よく探したならばブラジャーが数枚と、パンツも二枚ほど失踪しているのに気が付いた筈なのだが。
 ただそんな事は彼らは知らず、ただ先代の下着の質に文句を付けていただけである。
 しかも、彼らは更に重大な事に気が付いた。
「服が…無いわ」
 そう、ドレッサーの中には服がまったくなかったのだ。
 普段は常に制服、家に帰れば下着姿、ネルフではプラグスーツ…これでは、他の服など買う余地も理由もない。
 たちまち争奪戦の勃発かと思われたその時。
「いい物があるわ」
 室内を物色していたレイが呼んだ。
 何?、と近寄って来たレイ達が、一斉にその顔を輝かせる。
 彼らは発見したのだ、効果覿面と想われるアイテムを。
「『水着ね』」
 着る物の少ない中にあってこれだけは−おそらくはゲンドウの趣味であったろうか−十着を越える水着が吊ってあったのだ。
 どれも同じ学校指定の水着だが、よくよく見れば、股の部分の切れ上がりがわずかに異なっていることに気が付いた…かもしれない。
 もとより全裸で生きてきた彼女達であり、『自分同士』と言うこともあって、羞恥心などはなく、たちまち素っ裸になると着替え始めた。
 裸体を惜しげもなく晒しての着替えだったが、他の者が見れば狂喜した、とは限らなかったかもしれない。
 なにしろ…全員が頭の先から爪先まで、寸分違わぬ同一人物だったのだから。
 
 
 
 
「で?」
 ミサトは、なぜかズボンの前を押さえている警備員をじろりと見た。
 前屈みになっており、しかも奇妙な事に顔には血の痕があったのだ。
 殴られて出血、ではないとミサトは見た。
 そう、鼻血だ。
「リツコはどこよ」
「こ、この奥です」
 訊くまでもなく、明らかに怪しすぎる。
 だいたい予想が付いたから、この際口封じしておこうかとも思ったが、ゲンドウの前に知らせてもらった借りがある。
 それに、保安部を敵に回すと厄介かもしれない−後々に色々と。
「ちょっとあんた」
「は、はい?」
「ありがと」
 一瞬溶け合いすぐに離れた影だったが、男が更に前屈みになるには十分であった。
 もしかしたら利いたのかもしれない…余分に開けておいたボタンが。
 殆どエビ状態になっている男を後に、ミサトは歩き出した。
 そして。
 驚きは、幾つかの種類が一緒になっていただろう。
 その眼前の光景は、まず一つ目が下着姿のリツコ。
 服を剥がされた、と分かる格好でうつぶせになって倒れている。
 そして二つ目はオレンジ色の液体−LCLが満たされた水槽であった。
 無論、その中には全裸のレイ達が泳いでいる。
「な…な…」
 取り合えずリツコに駆け寄ったのは、その全身が濡れているのに気が付いたからだ。
 ここしばらく、険悪な関係が続いていたのだが、ここは一応友情を優先する事にしたらしい。
「リツコっ、起きなさいこらっ」
 心配そうな顔で駆け寄るが、気絶しているだけと知り途端に強気になる。
 起きないリツコの頬を、二度三度と張り飛ばすと、ようやくリツコは目を開けた。
「ミ、ミサト…?」
「あんたには訊きたい事がたっぷりあるからね。ところでリツコ…服はどうしたのよ」
「脱走…よ」
 それだけ言うと、リツコはまたがくりと首を折った。
 再度気絶したのである。
 水槽の中にいる綾波レイの群、それが何を意味するのかはミサトにも分からない。
 だが彼女はおぼろげながら感じていた。
 そう、自爆した綾波レイも、おそらくこの中から来たのだろうという事を。
 そして、リツコがここへ来たのは、次のレイを用意するためではなかったのか、という事も。
 リツコが口にした言葉『脱走』とは、レイ達に襲われたのでないか、と言う事を。
 ただ、張本人が気絶している上、間違いなくゲンドウも絡んでいる以上、着替えさせる方が優先である。
 何しろ、生き証人という事に加えて、大事な人質でもあるのだから。
 抱きかかえようとしたミサト、ふとリツコの姿に気が付いた−濡れた肢体に下着がぴっとりと張り付いた、あまりにも妖しいその姿に。
 躯のラインが露わになっているその姿は、普段仕事詰めの警備員では、おそらく簡単に撃墜された事だろう。
 理性を喪わなかっただけ、まだ良かったかもしれない。
 
 
 
 
 ところ変わって綾波邸。
 ようやく全員が水着に着替え終わり、玄関前に集合していた。
「では勝負開始、行くわ」
「ええ」
「では」
 と一斉に散っていく…スクール水着のままで。
 なお、足はスニーカーである。
 
 
 
 
 
 さて、こちらは渦中に放り込まれた碇シンジだが、無論彼は自分の身に降りかかっている事など、知る由も無い。
 レイの自爆を目の当たりにして、ただ深い後悔の念に囚われている最中である。
 何しろレイが自爆したのは、はっきり言えばシンジのせいなのだ。
 さっさと出ていれば、いや出ていたとしても結果は同じであったろう。
 全てはシンジの無能に起因しているのだから。
 だが。
 このシンジ、あまり落ち込んでいる暇は与えられていない。この家の家事はシンジは全て担当しているからだ。
 ミサトの方はともかく、同居人はもう一人いるのだ…こちらはシンジ以上に、もはや限界点まで達しかかっているアスカが。
 時計を見ると既に夕方になっており、食事の時間が近づいている。
 食べたくない、そう言うのはほぼ目に見えているが、ここのところ目に見えて痩せてきているだけに、今日あたりは何としても食べさせないと、そう決意してシンジは立ち上がった。
 部屋を出てちらりと横を見る。
 当然と言うべきか、アスカの部屋は閉まったままで、開く気配は皆無である。
 ふう、とシンジがため息をついた時、玄関のベルが鳴った。
「はい?」
 だが応答はなく、シンジは首を捻りながら玄関に近づいた。
 ピンポーン、と再度ベルが鳴ったが、名前も言わぬ来訪者はシンジの知り合いにはいない。
 一体誰だと、首を傾げながらドアを開けた次の瞬間。
 
 「あ、あ、あ…綾波!?」
 
 
 愕然とした顔が一気に赤くなる。
 その視線は…大きく開いた胸元に注がれていた。
 胸の周辺が少しいびつになっているあたり、どうやら自分で細工したらしい。
「ぶ、ぶ、無事、無事っ、無事…なっ!?」
 半分くらいまでは、無傷なレイにただ驚いたのだが、後半の部分は少し違っていた。
 レイがシンジの手を取ると、いきなり胸元へ差し込んだのだ。
「私のこと…好き?」
「あ、綾波何を…あっ!」
 素早くシンジを引き寄せると、自分の躯の上に引き寄せたレイ。
 従って、シンジがレイにのしかかっているような格好になっている。
 押し倒すのは禁止と言うのは、押し倒させるのはいい、と言う解釈に繋がるらしい。
「私の事、好きなんでしょう?」
 見上げる視線というのは、基本的に有効なのだが、死んだとばかり思っていたレイが無傷で現れ、しかも水着でいきなり迫ってきたのだ。
 これはシンジに取っては、混乱させる以外の何者でもなく−
「うわあー!」
 奇怪な叫び声を上げて、裸足のまま走り出してしまった。
 これにはさすがのアスカも、不機嫌そうに部屋の扉を開けた。
「うっるさいわねー、一体何やって…ファ、ファースト!?あ、あんた何してるのよっ」
 無論アスカとて、レイの自爆は目の当たりにしている。
 ただ普段から不仲な悲しさ、喜ぶより前に訝しさが先立ったのだ。
 ここにいるレイは、アスカとの関係は知らない。
 しかし、その最優先事項はシンジであり、アスカには一顧だにくれず、ぺたぺたと走り出した。
「あっ、こら待ちなさいっ」
 叫んでみたが、レイは振り向きもせず走っていく。
 プライドの高いアスカが許せるはずもなく、とっ捕まえようと走りだしかけたが、気力はまだそこまで快復していなかった。
「あいつら…今度会ったら憶えてなさいよっ」
 ぷりぷりしてドアを閉めたが、アスカの顔にわずかながら生色が戻っていた事に、本人は気付いていなかった。
 
 
 
 
 
 裸足で逃げ出したシンジだが、いつのまにか近くのコンビニの前まで来ていた。
「な、何だったんだあれは…」
 我に返ってふと考え込んだが、到底結論は出ない。
 取り合えずミサトに電話しようと思ったが、携帯を持っていないのに気が付いた。
 公衆電話はあるものの、ミサトの携帯番号など知らない。
 ミサトが携帯を渡した時、一番最初に自分の番号を電話帳に登録したせいだ。
 が、買い物に出ようとしていたから財布はある。
 取り合えずジュースでも買おうと、シンジは自動販売機に近づいた。
「コーラでいいや」
 と、ボタンを押そうとした瞬間。 
「カルピスがいいわ」
 にゅっと伸びた白い手が、勝手にボタンを押す。
 缶の出てくる音が、今日に限ってやけに機械的に聞こえ、シンジはその場に立ちつくしていた。
「はい、これ」
 ギギギ、と音を立ててシンジの首が後ろを向く。
「どうしたの?碇君」
 立っているのは綾波レイであり、着ているのもさっきと同じスクール水着。
 だが何かが違う。
 シンジの本能が囁いた。
「あ、綾波…なの?」
「何を言うの?」
「…え゛?」
 これも違う、さっきと同じ種類だ。
 シンジは直感でそれを感じ取っていた。
 そして。
「私と一つになりま…」
 白い腕に絡み付かれる寸前、シンジは辛うじて走り出していた。
 
 
 
 
 そして三十分後。
「やだ…もういやだ…」
 合計四人の水着レイに襲われたシンジは、気付かぬ内にレイの家へと来ていた。
 無論根拠など無いが、レイがいるような気がしたのだ。本物の綾波レイが。
「あ、綾波…」
 ノックもせずに勝手に開ける。
 もとよりノブの壊れた家だから、問題ないと言えば無いのかもしれないが。
「綾波?綾波いないの?」
 シンジの掃除も無駄になり、また元通り埃の宝庫となった廊下をぺたぺた歩く。
 居室へ続くドアは閉まっていたが、シンジは躊躇なくそれに手を掛けた。
 ただし。向こうの情景を想像してはいなかっただろう。
 そしてシンジが勢いよくドアを開けた瞬間、
「何?」
 聞き慣れた声に、シンジの目が大きく見開かれた。
 その視界には、ベッドに座るレイが映っていた。そして、首筋に巻かれた包帯を取り替えているレイが。
「綾波っ」
 抱きつかんばかりの勢いで、ベッドに駆け寄るシンジ。
「綾波、無事だったんだね、綾波…」
 ところで、この時点において綾波レイは一人足りない。
 そう、シンジはこの時点で、まだ四人としか遭遇していないのだ。
「もう大丈夫よ」
 その声に、シンジの目から涙が落ちる。
「怖かった、怖かったんだよ…」
 よしよし、というようにレイがシンジに手を伸ばしたが、既にシンジはその不自然さに気付く余裕は無かった。
 だがレイがシンジの頭を引き寄せようとした、まさにその刹那−
「そうは行かないわ」
「一人だけ包帯プレイは反則よ」
「しかも動く労力も惜しんで」
「皆裸足で走り回ったのに」
 シンジがはっと振り返ると、無論そこには残りのレイ達が集結していた。
 そう、一様にスクール水着を着て、同じように足にあちこち怪我をしているレイが。
 こんな時、怯えるより先に怪我を心配するのは、シンジの特性の一つと言えるかもしれない。
「ど、どうしたのその怪我っ」
 四人、いや五人いる不気味さより、そっちの方が気になったシンジだが、ここはレイ達が失敗した。
「碇君、私と一つになりましょう」
 にっと笑うと、一斉に開いた口から出た言葉がそれだったのだ。
 それを聞いた途端、うーんと唸ってシンジはそのまま気絶してしまった。
 
 
 
「こ、ここは…」
 シンジが意識を取り戻すには、それから数時間を要した。
 目を開けた途端、シンジの視界に飛び込んできたのは五人のレイであった。
 何故か全員が水着に着替えており、シンジの顔の回りを取り囲むように座っている。
「碇君…大丈夫?」
 がばと跳ね起きて、おめき叫ぶような事をしなかったのは、シンジにしてはかなり珍しい行為と言える。
「あの」
 レイ達を見回したシンジに、五対の視線が集中する。
「『なに?』」
「事情が…話してくれる?」
 
        
 
 
「そう…そういうだったのね」
 レイの事を一部始終、全部を白状させられたリツコだったが、その頬は両方とも赤くなっていた。
 結構直情径行型の友人に、数度張り飛ばされたのだ。
 女同士、取っ組み合いの喧嘩にならなかったのは、創造物に逆襲されたせいで、リツコの気力がほとんど萎えていたせいだ。
 そうでなかったら、間違いなく床の上で肉弾戦でも展開していただろう。
 なにせ、シンジが使徒に飲み込まれた時には、完全にミサトの指揮ミスだったのに、初号機の機体優先で救出作業を命じたら、いきなり平手を食らったのだ。
 部下達がいなかったら、即座にやり返している所である。
「で、脱走したレイ達は、何をする気なのよ」
「分からないわ…」
 リツコは力無く首を振った。
「大体、なんであれに意思が芽生えたのか、それすらも不明なのよ。二人目の時までは、あんなの無かったのに…」
「二人目?」
「一人目のレイは殺されたのよ」
「殺された!?誰に?」
「私の…母さんよ」
 自嘲気味に笑ったリツコを見たときミサトは、リツコがレイに向ける視線の理由が、何となく分かったような気がした。
 ただ。
 現時点において、綾波レイと言う存在はあまり重要では無くなっている。
 特に零号機が自爆し、レイの機体が無い今はそう言える。
 となるとここは普通の生活を、と考える所だが、何しろ二十人近くいるだけに、ミサトの頭脳ではすぐには名案は浮かばなかった。
 何よりも、脱走したレイ達が何をしでかすか、そっちの方が不安である。
 とはいえ、レイのクローンが脱走したから捕まえて、などと黒服達には口が裂けても言えない。
 どうしよう、と頭をかきむしったその時、ミサトの携帯が鳴った。
「はい私よ…レイ!?」
 ミサトの目が大きく見開かれ、リツコもぴくっと顔を向けた。
 
 
 
 
 
「だいたい分かった…ような気がする」
 ふう、とため息をついたシンジの顔は、大分平静を取り戻していた。
 ただし、その顔が幾分赤いのは、レイ達の視線をまじまじと受けているからだ。
 不安そうな視線だが、五人の眼差しを一身に受ければ、シンジなどあっさりと赤くなると言うものだ。
「でも、どうして僕なの?」
 墓穴掘り、と言う言葉がある。
 要するに自滅の事だが、シンジは発言した時点でそれに気が付いていなかった。
 レイ達が、その言葉を待っていたように顔を見合わせ、
「碇シンジは、綾波レイの物だから。それは、ずっとずっと決まっていた事なの」
 ぴたりと揃った口調で言うと、一斉にシンジの上に覆い被さって来たのだ。
 さすがにシンジも逃げようともがいたが、
 『「私じゃいや?」』
 潤んだ瞳で一斉に見つめられ、ふるふると首を振った。
 この辺の反応になると、優しいのか不断なのか境が曖昧になる所だ。
 レイ達の手が動き、顔が危険に上下する度に、シンジの口からは小さな声が洩れる。
 月光が薄く差し込む室内に、妖しい絵図が展開されていった。
 ミサトが駆けつけたのは、その三十分後であった。
 
 
 
 
「もういいんです」
 と少年は言った。
「このレイ達も、自爆した綾波もクローンだったし、僕はそれに気が付かなかった」
 ミサトは黙ってシンジを見ていたが、レイの呼称が微妙に異なっている事に気が付いた。
 ミサトは思った。
 きっとそれは、彼らの姿勢に関係があるに違いない、と。
 ミサトがドアを蹴破るようにして開けた時、シンジの上には三人のレイが躯を乗せており、別の一人がこちらに顔を向けて、
「葛城三佐、無粋よ」
 赤く光る目を向けて来たのだ。
 なお、今シンジはソファに座っているが、その全身にはレイがまとわり付いており、ミサトの額に青筋を浮かばせる要因になっている。
「シンジ君…それだけなの?」
「え?」
「自爆したレイもクローンだったし、自分はそれに気が付かなかった。今更区別するのは人道に外れる、そう言うこと?」
「あ、あと…こ、こんなに僕の事気に入ってくれてるし…はうっ!」
 言い終わらぬ内に、一人のレイがシンジの耳を軽く噛んだのだ。
 暴発しそうになるのを抑えながら、
「よく分かったわ」
 ミサトの声が、どこか呪詛含みに聞こえたのは、ある程度やむを得ない事だろう。
「シンジ君がそこまで言うのなら、私はもう何も言わないわ。シンジ君の好きにしなさい。ただし、責任はちゃんと取るのよ」
 さっさと席を立ったミサトは、出口へと向かった。
 独り身の自分には非道すぎる空気だ、と思ったのもあるが、ミサトにはまだする事があった。
 リツコは黒服達に命じて監禁してあるが、何よりも悪の親玉達を締め上げなければならないのだから。
 ミサトがドアに手を掛けた瞬間、
「碇君のここ…とても熱いのね」
「ちょ、ちょっと握らないでよっ」
 シンジの悲鳴にも似た声に、派手な音を立ててドアが閉まった。
 
 
 
 
 
 そして。
 必要以上に激怒して乗り込んできたミサトに、親玉達はあっさりと悪事を白状する羽目になった。
 結果として、綾波レイを道具にした人類補完計画は破綻する事になり、ゲンドウと冬月の野望は潰えることとなった。
 だが。
 今も地下の水槽には、レイ達がうぞうぞと泳いでいる。
「ここの方がいいんですって」
 レイは彼らの意志を、そう“通訳”した。
 意志でそう選択した以上、ミサト達に口出しする理由もなく、それにある程度は助かったと言う思惑もある。
 幾ら超法規とは言え、二十つ子とでもいう事にするのは、さすがに無理があったからだ。なにしろ、五つ子の四倍なのである。
 本人達が良ければ、と半ば助かったような形となっている。
 一方アスカの方だが、最初はかなり拒絶反応を示したものの、そうも行かなくなっていた。
 じつは、水槽にいたレイ達のうち二人が、アスカを妙に気に入ったのだ。
 もともとレイとは折りが合わず、しかもクローン二人組になつかれたとあって、一時はどうなるかと思われたが、今では大分慣れて来たらしい。
 もっとも本人に言わせると、
「家来が二人出来たと思えばいいのよ」
 だそうだが。
 
 
 さて、碇シンジはどうしたかと言うと。
「碇君の鞄は私が持つのよ」
「いいえ、私よ」
「あんたは、お弁当作ったでしょう」
「そう言うあんたこそ、昨日は一緒に寝たくせに」
「朝になったら潜り込んできたのは誰」
 頭の先から爪先まで、まったく同じ娘達五人に取り合われているが、それなりに幸福ではあるらしい。
 シンジ曰く、
「綾波は…やっぱり綾波だから」
 なのだそうだ。
 もっとも、顔が可愛くてスタイルも良くておっぱいも大きい娘に想われている、とあれば、それが何人いてもいいのかも知れない。
 ただ、見分けを付けないと色々と大変そうだが。
 特に…寝室では。
 
 
 
 
 
(終)

R「異議あり!」
U「何か?」
R「これ、恋人達の事件簿でしょ」
U「その予定」
R「“達”?」
U「そう、レイ“達”×シンジ。何か問題で…!?」
R’S「『達って何よ達って!やっちゃえー!!』」