恋人達の事件簿「逆位置の女(ひと)」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 逆、と言う漢字がある。
 字の通りぎゃくと読むそれは、逆臣とか反逆とかどちらかと言えば負のイメージが強い。
 鉄棒の逆上がり、と言う使い方もあるがこれは少ない方と言えるだろう。
 ただその逆と言う単語、時として『逆の方がいい』場合もある。
 “逆位置”
 と言う言葉だ。
 逆子のことではなく、タロットカードの話だ。
 無論幸運の場合は困るが、それ自体が不幸を招く場合だ。
 そう、例えば−
 
 
 
 
「ハングドマン?」
「そう、吊るされた男の意味よ」
 はあ、と返した声が幾分間抜けなのは仕方が無い。今は午前一時近いのだ。
「…で、何?」
「逆位置が出ているの。この感じは立たされる事を意味する可能性が強いわ」
「立たされる?」
「そうよ、気を付けてね。じゃあお休みなさい」
「……う、うん…」
 一方的に切れた電話を見ながら、しばらくシンジは呆然としていた。
 電話の相手は山岸マユミ−真面目が服を着ているような少女であり、成績は常に学年トップを維持しながら、塾には全く通っていない。
 校則には寸分たりとも抵触しない服装と、色気の“いの字”もないようなお下げは、色恋など全く無縁の存在と思われていた。
 が。
 
 
 何がどうなったのか、シンジのことが気に入ったらしい。
 事の起こりは図書室での接触であり、いつものようにシンジは謝った。
 そこまでは良かったのだが、マユミは顔を赤くしていきなり走り去ってしまったのである。
 怒りのためと勘違いしたシンジだが、その元へマユミは次の日に来襲し、開口一番こう言ったのだ。
「あなたは私の運命(さだめ)の人よ」
 と。
 普通なら引くところだが、生憎シンジはお人よし率が高い。しかも脳裏にストライプという単語が浮かんだ為、つい否定できなかったのだ。
 マユミが、休み時間の度に来襲するようになったのは、それからのことである。
 ある時マユミはこう言った。
「“恋人”が逆位置になっているわ」
「え?」
「違う愛があるかもしれない…危険ね」
 だが、その割には何故かマユミの顔は赤かった。
「僕と一つにならないかい?」
 通称−危険なナルシスト、渚カヲルに襲われかけたのはその日の放課後の事である。
 従妹である、アスカとレイが通りかからなかったら、違うところの処女喪失になっていたかも知れない。
 山岸マユミが、とあるジャンルの同人作家である事を知ったのは、それから二週間後の事であった。
 またある時は、
「戦車の逆位置」
 とシンジに告げた。
 逆位置?と首を傾げたシンジに、
「戦車には気をつけてね」
 囁かれたが、シンジには戦車など思い当たる節は一人しかない。その直後、ケンスケから陸自に配備された新型の重戦車を見に行こうと誘われたのだ。
 これだと断ったまでは良かったが、帰りに立ち寄ったプラモデル店で零戦の機体を眺めている時、ふと肘が何かに当たった。
 棚から落ちてきたのは、イギリスのチャーチル戦車であった。
 呆然としているところへ、店の親父がぬっと手の平を突き出してきた。
 空になった財布を持って出ると、そこには不釣合いな顔がいるのに気が付いた。
 さすがにむっとして、
「…からかいに来たの?」
 マユミはふるふると首を振って、
「相田君の誘いを断ったと聞いて、気になってきてみたの。ごめんなさい」
 幾つもの占いはされたものの、今までに外れたことは一度も無い。
 今度は一体何だと考えていたが、何時の間にか眠ってしまったらしく、起きたのは七時過ぎであった。
「シンジ、どないしたんや?」
「え?」
「え?じゃないよ、何時もより陰鬱な顔してるじゃないか」
 ケンスケとトウジにも、シンジの浮かぬ顔はすぐに分かったらしい。
 元よりシンジの性格を知るだけに、心配そうに訊ねたがシンジは首を振った。
「いや、なんでもないんだ」
「あのなあ、シンジ。なんでもあるって顔に書いてあるぞ」
 ケンスケの言葉に、
「せやせや。また従妹にいじめられたんか?」
「違うってば」
 確かにアスカとレイは世話が焼けるが、シンジをいじめるまでは行っていない。
「じゃあどうしたん…」
 言いかけたケンスケが言葉を切った。
「もしかして山岸か?」
 シンジの肩がぴくりと動いたのを見て、二人は顔を見合わせた。
「なあシンジ、お前占いの趣味なんかあったのか?」
 休み時間の度にマユミが来るせいで、最近シンジの付き合いが悪いのだ。
 何があったかは知らないが、おそらくマユミが悪運でも告げたのだろうと、ケンスケは大筋で読んでいた。
「べ、別にそんなの無いよ」
「せやったら、別に付き合うてやる事もないやろ?」
「そ、それはそうなんだけど…」
(で、でも山岸さん結構可愛いし…そ、それに見ちゃったから…)
 と、さすがに口にしないだけの物は持ち合わせていた。
 それに気が付いたのか、
「で、今度は何予言されたんだよ?」
「それが…ハングドマンの逆位置って…」
「ハングドマン?」
「ケンスケ、お前知っとるんか」
「吊るされた男だろ、聞いたことはあるよ」
「で、それが何なんや」
「さあ、そこまでは…」
 はてと首を捻ったが、
「立つって意味じゃないか?」
「『立つ?』」
 ハモった二人に、
「だって吊るされるの反対だろ?立たされるならありそうじゃないか」
 その瞬間、三人の脳裏にある女教師の姿が浮かんだ。
 赤木リツコ−狂科学者の代名詞と言われる物理担当であり、その逆鱗に触れる位なら閻魔を激昂させる方がましだと言われている。
「い、一限目は物理やったな…」
 トウジの言葉に、シンジの首がかくんと頷いた。
「で、でも」
「ん?」
「立たされる理由が無いよ。べ、別に嫌われてないし」
 確かにシンジの言う通り、シンジは妙にリツコから好かれている節があり、いきなり立たせるリツコでもない。
 三人が揃って首をかしげた所へ、
「こらっ、シンジ!」
「いたっ」
 延髄に白い脚が直撃した。
「な、何だよアスカ」
「何だよじゃないわよ、何で先にすたすた行っちゃうのよっ」
「あ…忘れてた…うぐっ」
 その後頭部へ更に一撃が。ただしこれは別人から。
「シンちゃんのいじわる…」
 派手な攻撃とは裏腹に、恨み節を展開しているのはレイだ。
「一緒に行ってくれるって昨日行ったじゃない。シンちゃんの嘘つき」
 目をうるうるさせているレイは、普段からシンジにべったりである。
 往来の真ん中でシクシク言い出したのを、
「みっともないから止めなさいよ」
 一撃で止めると、じろりとシンジを見た。
「で?なんで置いて行ったのよ?普段なら忘れるあんたじゃないでしょ」
 腰に手を当てて威張っているが、実は彼らは三人とも従兄妹同士であり、生まれはシンジが一番早い。
 更に言うと、揃って低気圧な彼らを毎朝電話で起こしているのもシンジだ。
 が、役割と報酬が釣り合うとは限らない訳で、彼らの勢力図は現在の所、
 
 アスカ>レイ>シンジ
 
 の順で固定されており、しばしばシンジを困らせにかかるのだ。
「ちょっと考え事し…いひゃい」
 立ち直ったレイが、その頬を両側から引っ張ったのだ。
「山岸マユミでしょ」
 レイの言葉に、アスカの眉がぴっと上がった。
「何ですって…シンジそれ本当?」
 腰に手を当てた格好は変わらないが、口調は二十度ほど気温の下がった物になっている。
「そ、それはその」
 一瞬詰まったシンジに、
「で、今度は何の占いなのよ?」
「つ、吊られた男の逆位置って言うんだけど…」
「逆位置?吊られた男?はんっ…」
 言葉が途中で止まったのは、級友の姿を認めたからだ。
「あ、ヒカリおはよう」
「おはようアスカ、それに…あら?」
「シンちゃんが浮気した…」
 頬を膨らませているレイに、
「レイちゃんどうしたの?」
 小声で訊いたヒカリに、
「またシンジが、山岸マユミのインチキ占いに引っ掛かってるのよ。まったくあんなへぼ占いに。そう思うわよねえ」
 だが、ねえと言われても困る。
 今ヒカリの鞄には、二人分の弁当箱が入っており、一つはアスカとレイの来襲と同時に身を引いたジャージへの物なのだ。
「洞木ヒカリさんね」
 今まで付き合いなど全く無かったヒカリに、いきなり声を掛けてきたのがマユミである。
 警戒の色を見せたヒカリに、
「あなた、片思いで困っているでしょう」
 ずばりと切り込んだのだ。
「え…え!?」
 うろたえたヒカリに、
「その位のことはすぐ分かるわ。それよりも、叶えたくない?」
 半信半疑のヒカリに、 
「死神の逆位置…放課後にでも校庭に呼び出すのね」
 不運を意味するカードの逆転は、すなわちこれ幸運である。
 何故素直に従ったのか、今考えると良く分からない。もしかしたら、呪縛されていたような気もする。
 ともあれあっさり告白は成功し、おおっぴらには出来ないが“カレカノ”の関係になっている。
 だが、昔から見料は高いと決まっている。一体何を要求されるのか、ヒカリはふと不安になった。
 そのヒカリへ、
「とりあえず中立でいてくれればいいの」
 奇妙な言葉に首を捻ったが、
「二人の従妹が強敵だから」
 その言葉を聞いて納得した表情になった。
 しかも分かったわ、と納得した物だから反故にはできない。
 何よりも、ここでアスカ達の肩を持つと呪われそうな気もするのだ。
「わ、私は占いはよく分からないから…」
 お茶を濁したヒカリに、
「まったくヒカリはいつも中庸なんだから」
 ぶつぶつ言っていたが、
「シンジ、そんなの気にすること無いわよ。いいわね」
「う、うん…」
 断言されて頷いたものの、妙に引っ掛かる。
 そんな二人を他所に、ヒカリはかさかさとトウジに近づいた。
(トウジ、はいこれ)
(お、おう)
 さっと手渡し、素早く鞄にしまい込まれる。
 ケンスケもシンジも、一々突っ込むのも面倒なので、別にツッコミなど入れたりしない。そうと分かっていても、何やら秘密めいたことは乙女の望みなのだ。
 置いて行った罰だと、両側から連行されるように学校へ向かったシンジ。
 シンジには悪いがこれ幸いと、ヒカリはトウジにくっついてその後に続き、ケンスケだけが天を呪いながら歩いていた。
 が。
「あーっ!!」
 校門へ入る直前、シンジのいきなりの大声にびっくりして、アスカとレイが同時に手を離した。
「ど、どうしたのよ」
「忘れた…」
「え?」
「レポート作ったのに…持って来てない」
 遅刻や私語、何よりも宿題を忘れるなどリツコの反応は目に見えている。
 さすがにアスカもからかう気になれず、結局一限目のシンジは廊下で過ごしたのだ。
「シンジ、災難だったな」
 授業が終わるとすぐ、ケンスケとトウジが廊下に出てきた。
「ちょっと…足が吊ったかな…吊るされた男だ」
 自嘲気味に笑った所へ、
「シンジっ」
 揃ってやってきた二人に、
「大丈夫だから」
 と軽く手を上げて見せた。
「まったくあの女…」
 忌々しげに呟いたのは、無論リツコの事ではない。
「不幸ばっかり予言して…縁起悪いったらありはしないわっ」
 レイの口調もどこか尖っている。
(あ…)
 ぷりぷりしている二人に、幾分苦笑気味のシンジの視界に一人の少女が映った。
(ちょ、ちょっと今は…)
 まずいな、と思っているところへ、
「おはよう、碇君」
 シンジが何も言わないうちに、
「ちょっとあんたっ」
 真っ先にアスカが噛み付いた。
「なんですか」
 一応返事はしたが、これもアスカなど視野には入れていない。
「いつもいつも縁起悪いことばかりしか言えないの?シンジに付きまとうの、いい加減に止めなさいよっ」
「そうよそうよ」
 とこれはレイ。
「シンちゃんだって、こんなことばかり言われて迷惑してるわ。もしかして呪ってるんじゃないのっ」
 アスカの言葉には反応しなかったが、レイの迷惑という言葉にぴくりとその眉が上がった。
「碇君…やっぱり迷惑だったのね…」
 俯いた少女に、鉄槌を振り下ろせるような性格をシンジはしていない。
「そ、そんな事ないよっ」
 慌てて首を振ったが、
「やっぱり…嫌なのね…」
 顔を覆って走りだすのを、慌てて止めようとしたが、
「うぐう…何?」
「行っちゃ駄目よ、シンちゃん。もっと不幸になっちゃうわよ」
「そうよシンジ、わざわざ墓穴掘ること無いじゃない」
 口々に言いかけたが、不意にその口を閉じた。
「僕がいいと言ったのに?タロットを何も知らずに口を出すの?」
 一年に一度、いや数年に一度のシンジの怒りに二人は慌てて、
「だ、だからそれはその…」
「べ、別に非難なんか…」
「うるさい」
 大股で歩いてくシンジを、しゅんとして二人は見送った。普段まず怒らないだけに、その暴発は極めて怖いのだ。
 うな垂れている二人に、
「あのアスカ」
 声を掛けたのはヒカリ。
「何…」
「あ、あのね、別に山岸さん不幸ばかり占うわけじゃないのよ」
 突然の発言に、一体何を言い出すのかとケンスケ達も怪訝な目を向けた。
 
 
 
 
「え?いない?」
「さっき鞄持って走り出ていったわ。早退したんじゃないの」
 それを聞いたシンジは、全速力で走り出した。
 自分が全てを賭す物を否定された時−その思いはシンジにも良く分かる。
 それだけに、階段を飛ぶように駆け下りるシンジの表情は、緊張と言うよりは鬼気に近いものが浮かんでいた。
 
 
 
 
 
「う、嘘…」
「嘘じゃないわ」
 別にヒカリは香を炊いた訳でも、怪しげな薬を使った訳でもない。ごく、普通に告白しただけである。
 ただそうであっても、やはり占術に頼ったと言うのは少し恥ずかしい。
 やや顔を赤らめて話したヒカリを、アスカとレイは唖然として眺めていた。
「じゃ、じゃああの娘(こ)、幸運も分かるって言うの?」
「…そうだろうな」
 口を挟んだケンスケに、一斉に視線が集まる。
「吉凶を占うのが占術だからな、べつに凶だけじゃない。シンジが頼めば、山岸もそれは分かった筈だよ」
「で、でも」
 抵抗するようにレイが口を挟んだ。
「じゃあ何で今までしなかったのよ」
「それは多分」
 ちらりとヒカリを見て、
「恋煩いっていきなり言われた時、どう思った?」
 間髪いれず、
「ちょっと…不気味かなって」
「と言うわけだ」
「え?」
「身を案じて不幸を告げる、位ならまだしも吉凶全てを勝手に告げたら、それこそシンジに気味悪がられかねない。多分山岸なりに考えたんだよ」
 やはり、こう言う時の心情分析はケンスケの右に出る者はいない。
 ふうん、と揃って感心していたが、
「でもどうするの?」
 ヒカリの言葉で、急速に現実に還った。
 と言うよりも、トウジとの事を冷やかされる前の予防線だったのだが。
「ど、どうしよう…」
「シンちゃん怒ってたよね…」
「謝ればええんとちゃうか?」
 ふとトウジが言い出した。
「シンジを取られるの嫌だったんやろ、二人と…ぐはあっ」
「『うるさいだまれ』」
 途中までは良かったのにと、余計な事で墓穴を掘った友人に、ケンスケは人知れず天を仰いだ。
 慌ててヒカリが駆け寄ったが、
「『今度言ったら殺すわよ』」
 ユニゾンすると、ぷいっと中へ入っていった。
「鈴原っ、だ、大丈夫っ?」
 起こそうとしたのだが、
「オ、オレンジや…」
 それを聞いた途端、ヒカリの頭には確かに角があったと言う。
「知らないっ!」
 ごきん、と頭をぶつけた友人に、
「で、もう片方は?」
「く、黒の水玉…」
「水玉?そうかあや…ぐえっ」
 飛んできた黒板消しに、二人揃って廊下にぶっ倒れた。
 
 
 
 
 
「や、山岸さんっ」
 街並みが一望できる高台で、ようやくシンジはマユミを見つけた。
 だが次の瞬間シンジは血相を変えた−マユミの手にはタロットカードがあったのだ。
 捨てる意思なのは一目瞭然であった。
「駄目だよっ」
 まさに手から落ちようとする寸前、ラグビーで言うところのタックルのように、シンジは後ろから飛びついた。
「きゃっ!?」
 まさか抱き付かれるとは思っていなかったのか、幸いカードは手前側に落ちた。
 が。
「『あ…』」
 二度、三度と重なるようにして斜面を転がった二人は、かなり際どい姿勢になっていたのだ。
 しかも−マユミの方が上になっていて、マユミからは降りづらい体制と言える。
「な、何しに来たんですか…」
 マユミの声は、どこか震えている。
「あ、あの…さっきはごめんね…」
「いいんです。どうせ…碇君には邪魔なんです…」
「じゃ、邪魔なんかじゃないよ」
「嘘…」
「う、嘘じゃないって」
「し、信じられません」
 ぷいっとそっぽを向いたマユミに、
「じゃあどうしたら信じてくれるの?」
「いいです…もう近づきませんから。碇君、さよなら…」
 手首を掴んでいたのは、おそらくは無意識の内だったろう。
 だが咄嗟の行動に、むしろ自分で驚いていたのはシンジらしいと言える。
「占いは…嫌な事ばかりじゃないんだよね…」
「え?」
「いい事だって占おうと思えば出来るけど、僕がそこまで訊かなかったからしなかった。もっとちゃんと話していたら良かったんだよね」
 シンジの言葉に、マユミの目から涙がぽつりと落ちた。
「ごめん、ごめんね…山岸さん」
「…です…」
「え?」
「い、嫌です…マユミって呼んで下さい…」
 赤くなった顔は、陽光のせいでシンジには分からなかった。
 ただその姿がとてもいとおしく、
「マ、マユミ…」
「は、はい」
 笑顔が戻ったマユミを、シンジはぐいと引き寄せていた。
 一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐにその全身から力は抜けた。
 切なげな声が、だんだんと甲高い喘ぎ声に変わっていくまで、そう時間はかからなかった。
 絡み合う裸身に直射日光はきつすぎる、そう思ったかどうかは不明だが間もなく、太陽はその身を厚い雲の中へと沈めていった。
 
 
 
 
「えーっ!?」
 ここは謝ろうと決意した二人だったが、帰ってきたシンジの言葉に顔色を変えた。
「ちゃんと付き合うことにしたから」
 シンジはそう言ったのだ。
 だが、この時点で幾つかの事実に気が付かなかったのは幸いだったろう。
 例えば、マユミの頬が赤いだけでなく妙に立ち方がおかしい事とか。
 或いはシンジとマユミ、二人の制服におかしな感じで泥がついていることとか。
 更によく見れば…マユミの靴下に赤い染みがあったことにも気が付いたかもしれない。
 が、そんな事に気付く余裕は二人には無く、それに彼女達にはすることがあった。
「ちょっとあんた!」
 腰に手を当てたアスカに、
「なに?」
 その笑みにすら、女の物があったのだがそれには気が付かず、
「勝負よ!」
「なんのですか?」
「占いに決まってるじゃない!あんたとあたしと、どっちが正確に占えるか勝負よ!今から二ヵ月後、いいわね」
「ちょっと待って」
「何よレイ」
「私もやるに決まってるじゃない。アスカに独り占めなんかさせないんだからね」
「ふん、望むところよ」
 アスカとレイが火花を散らしているところへ、
「私は別に構いません」
 その言葉で三つ巴になるかと思われたが、
「じゃあ行きましょう」
 マユミはシンジの手を取ると、さっさと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ち…」
 慌てて止めようとしたが、ヒカリの無言の忠告にあって止めた。
「ちょっと相田!」
「え?俺?」
「そうよあんたよ。今日の帰り付き合いなさいよ」
 校内でトップクラスの女生徒ではあるが、ケンスケは既に引いている。彼らの用件が分かっているからだ。
「う、占いなら委員長と行った方が…」
 タロットカードを買うのに付き合うなど、どう考えてもみっとも無いのだが、
「そう、あんたは私があの子に負けてもいいって言うのね」
「相田君て、そんな人だったんだ」
 とこれはレイ。
 二人の視線に遭い、ケンスケは早々に白旗を上げた。
「わ、分かったよもう。行けばいいんだろ、まったく…」
 妙に張り切るアスカとレイだったが、
「カード買って…誰に教わるの?」
 ヒカリの小さな呟きは、無論誰にも届く事は無かった。
「まあいいわよね」
 とヒカリは一人ごちた。
「最初から勝敗は見えてるし。それよりも…明日のお弁当は何をいれようかしらね」
 いきなり頬が緩んだ委員長を、他のクラスの者が怪訝な視線を向けて去って行った。
 
 
 
 
 さて、それから数年後。
 とある式場の花嫁控え室に、一組の男女の姿があった。
「もう…来ちゃ駄目って言ったのに…」
 文句を言いながらも、その顔は幸せで緩んでいる。
「でも可愛いよ、マユミ」
 その言葉を聞いて、花嫁の顔が一気に溶ける。
「も、もう…」
「ところで」
 声音の変わった花婿に、マユミの顔が上がる。
「最初の時、いきなり騎乗位だったのはどうしてなの?」
 どうしても訊けなかった事を、結婚前にシンジは聞いて置きたかったのだ。
「ああ、あれ?占いよ」
 マユミはなんでもないように言った。
「う、占い?」
「そう、タロットよ。あの時、“恋人”カードの正位置と、“女帝”カードの正位置が出ていたんだもの。恋人の正位置は恋の始まりを、そして女帝の正位置は…女が上に決まっているじゃない」
 唖然としているシンジに、
「でもこれからは違うわ」 
「違う?」
「ええ、“力”の正位置だったもの。だから」
 一旦言葉を切ると、妖艶な流し目をシンジに向けた。
「あなたが好きなように…めちゃくちゃに愛してね?」
 
 
 シンジがなんと言ったか、ここではあえて書くまい。
 ただ、時間に遅れた上、なおかつドレスの乱れた花嫁を、数十年に及ぶ聖職生活の中で、初めて見ることになった司祭がいた、とだけ付け加えておく。
 
 
 愛し合うスタイルをタロットで決めるも良し、雰囲気で決めるも良し。
 ただ…何時までも幸せであるならば。
 
 
 
 

 

(終)