恋人達の事件簿「バストアップ」 
 
 
 
 
 
 
 
 豊胸、と言うのは細身と言う単語に加えて、人間の片方の種族にとっては永劫の課題であろう。もっとも太さこそ美とする所もあり、一概には言えないので大方は、とするのが正解かもしれない。
 しかし、世界的な傾向としては大きく張り出した胸とすっと引き締まった腰、これを理想とする向きが強いのが事実である。
 そしてそれは、目下攻めてくる訳分かんない連中の撃退に追われている、ここ第三新東京市においても例外ではなかった。
 
 
 
 
 
 裸の所を押し倒されて胸を掴まれた、これだけ見れば間違いなく犯罪である。羨望等も入った判決は、一生出てこられない無期懲役が相応しいかも知れない。
 ただし、何があるのか分からないのが人生であり、そしてこの当事者達に於いても例外ではなかった。
 使徒の撃退に駆り出される子供達−チルドレン。
 彼らの任務は使徒退治だけにあらず、年齢相応の物も伴っていた。そう、学業も。
 生乳を揉まれたり、父親が信じられないと言ったらいきなり平手が飛んできたり−自分の実父の筈だったが−色々紆余曲折はあったものの、その功績に比べて、やや存在感の希薄なこの男女(ふたり)は、余り目立たないがカップルになっていた。
 そうなっても、余り目立たないのが彼ららしいと言えるかも知れない。ただし実際は、単体としての価値が下がる事を恐れたある少年が、事実の隠蔽に奔走したおかげとの見方もある。
 二人をそれぞれ被写体として、高い利潤を上げていただけに半分以上は、利益優先から来る物だったとされるが実際はどうだったか。
 とまれ、今日もそのカップルは今日も並んで下校中であったが、ネルフがらみと言うことでしばしば行動を共にしているため、さして違和感は感じられなかった。
「ねえ綾波」
「何?碇君」
 殆ど動かぬ赤瞳と、感情を感じさせぬ口調。
 普通なら嫌われてるのかと即納得しそうだが、横にいるシンジはレイが少し変わって来たことを知っている。
 瞳は殆ど変化がないが、口調だけは微妙にずれるのだ。期限の善し悪しは、語尾のわずかな変化で悟るのだが、それを出来るのはシンジを入れて数人といない。
「今日はネルフへ行くの?」
「いえ、今日は空いているわ。訓練も用事もないもの」
「そうなんだ。じゃあさ、今からどこか行かない?」
「どこかってどこ?」
「その、甘い物でもどうかなって」
「後は?」
「え?」
「それ以外の選択肢はないの?」
「い、嫌なら…」
「嫌ではないわ。でもどうして『でも』って言うの」
 きょとん、としたシンジをちらりと見ると、
「他に選択肢がある場合に言うものよ。おかしな言い方するのね、碇君」
 少し前ならば、間違いなくここでへこんでいる所だが、今のシンジは少し違う。レイの口調にほんの少しの笑みを読みとっていたのだ。
「…ないわけじゃないよ」
「何があるの」
 シンジの反応に、レイの表情がわずかに動く。
「例えば…ステーキハウスとか」
「ステーキハウス?」
「厚いステーキを食べる所」
 深追い過ぎたかな、と思った時にはもう遅い。レイの四方三十センチは、零度以下に下がっていた。
「…そう、そう言う事言うのね」
 冷たい視線でシンジを見ると、
「私からも提案があるわ。もっといいところに行きましょう」
「…い、いいところ?」
「碇司令の所よ」
「と、父さんの!?」
「親子の会話は必要でしょう。とても良い案だと思うわ」
 なお。
 レイは肉が嫌いだが、シンジはゲンドウが嫌いである。いや、実際の感情はいまいち不明だが、とりあえず会いに行きたいなどという事は到底あり得ない。
「あ、綾波ひどいよっ、僕が父さん嫌いなの知ってて」
「私に肉を食べさせようとしたのはあなた。私のは普通の好意よ」
「ふーん…」
「…何」
 場所は往来のど真ん中。ついでに天気は快晴である。
 救いようもない感じで睨み合っていた二人だが、二ヶ月前に比べれば痴話喧嘩出来るだけいいのかも知れない。
 ともあれ、先に視線を逸らしたのはシンジである。男らしい、と言えば聞こえはいいが単にレイの眼光に屈したと言った方が正解かもしれない。
「ご、ごめん」
「………」
 レイは答えずにシンジを射抜くように見ていたが、ぷいっと顔を逸らした。
「あ、綾波僕が悪かったよ」
 すたすた歩き出した手を、慌ててシンジが掴む。
「何するの、触らないで」
 シンジに手を取られた時点で、レイの表情はわずかに緩んでいたのだが、作戦は詰めが重要である−そして引きも。
 こんなに謝っているのに、とシンジが逆ギレする寸前で引くのが肝心なのだ。
 シンジの表情が硬直し出すのを確認してから、
「本当に反省しているの」
「し、してるよ」
「じゃあ許してあげるわ」
「ほんとに?」
 ころっと変わったシンジを見て、男なんて単純と思ったかどうかは不明だが、あくまで表情は崩さぬまま、
「でも条件があるわ」
「条件?」
「二丁目のルフラン、この間開店したばかりよ」
「ルフラン?」
「甘味喫茶のお店よ」
「な、何が言いたいの?」
「何かしら?」
 こんな時は力押しは逆効果である。ちらっとシンジに視線を向けると、下から流し目で見つめた。
「う、う…」
 後退の兆しを見せかけたそこへすかさず、
 「仲直り…したいの?」
 少しだけ濡れたような口調で止めを。
「わ、分かったよもう。それで何が食べたいの」
「…と、特大のストロベリーアラモードを」
 立場が入れ替わる、これも痴話喧嘩もどきの面白い所かも知れない。レイの口調に、わずかな乱れを感じ取ったシンジがくすっと笑ったのだ。
「な、何がおかしいの」
 言いながら、既に自分の失敗は悟っているレイ。
 そのレイに、
「綾波、どうしてそんな店知ってるの?甘い物は余分な栄養だからいらない−んじゃなかったかな〜?」
「そ、それは…」
 ほんのりと紅くなるレイ。
 ただし、シンジもレイも押しすぎない一線は分かっている。
 シンジもいい物を見たと、
「その店、混んでない?」
 え?、と我に平静を取り戻したレイが、
「混んできては邪魔が入るわ。早く行きましょう」
 今度はシンジの手を取ると、さっさと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ綾波」
 いきなり引っ張られて、わずかに体勢を崩したシンジが、慌てて足並みを取り戻すとレイの横に並んだ。
 女が男の手を、ではなく手首を握っているという少し違和感のある光景だが、それでも肩を寄せて並ぶ後ろ姿を、蝉の鳴き声が見送っていた。
 
 
 
 
 
 
 
「あ、綾波あの…」
「なに?」
「ほ、本当にこれ食べるの?」
「問題ないわ」
(ぜ、絶対問題あるよっ)
 シンジが内心で叫んだ通り、レイの前には巨大な物体が鎮座していた。
 確かに開店記念で安い物ではあるが、だからといって量は手加減していないらしい。それどころか、逆にパワーアップしている節さえある。
 シンジはこんな店に来るのは初めてで、普通のサイズなど知る由も無かったのだが、実はこれ三人分である。したがって、到底一人で頼む物ではなかったのだ。
 しかも、シンジの方はコーヒーをブラックで頼んだだけで、尚更その大きさが際立つ。
 シンジが首を傾げていたのは、レイがこれを知りつつ頼んだ事なのだ。シンジが手洗いに立った時レイが注文していたのだが、その時には隣のテーブルに既にこれは来ていた。無論そっちは四人連れであったが。
 わざわざ無謀な注文をする事もないだろうにと、シンジにはむしろそちらの方が不思議であった。別に食べられるかどうかの、賭けをしていた訳でもないのだから。
 ストロベリーアイスがベースだが、アイス→果物→アイスの順番でまず三層。その上には墓標のようにチョコレートが突き刺さり、カラフルなクリーム達までが陣地を与えられているのだ。これはシンジならずとも、なかなか諸手を上げて喜べる物ではあるまい。
 ふとシンジの表情が動いた。
 目の前の山を、じっと見つめているレイの表情が目に入ったのだ−見つめている、と言うよりは睨んでいるようなその表情が。
(どこかで見たような…)
 うーん、と記憶の棚をあさると、すぐに答えは出た。
(確かあの時だ)
 
 
 
 視界に入る物を、片っ端から加粒子砲でぶち抜いてくるラミエル。日本中の電力を集めると言う、半ば無謀にも近い作戦で迎撃を決めたミサト。
 無論実際に戦場へ赴くのは、シンジでありレイである。そしてシンジは射手、レイはシンジを身をもって護ると言う言わば人柱にも近い役目となった。
 白い満月の夜、まるで落ちてきたかのような大きさに見えるそれを前にして、レイはシンジにこう言ったのだ。
「あなたは死なないわ−私がまもるもの」
 シンジは別に臆病ではない。男は女を護る者、と言うスタンスくらいは持っている。それをあっさり覆されて、一瞬返答に窮したシンジを見て、
「だから碇君は…必ず使徒を倒して」
 シンジの返答も待たず、くるりと踵を返したレイだったが、その直後に使徒の方に向けた視線が今と同じ物だったのだ。
 あなたは私が護る、だけだったならおそらくシンジとレイの距離が縮まる事はなかったろう。 レイがその後に言った一言、それがあったからシンジは自分の手の熱傷も顧みず、プラグを開けたのであり、無事と知ったレイを見て涙も見せたのだ。
  
 
 
 
「あの、綾波?」
 ぼんやりとシンジが回想している間に、レイの方はグラスからポッキーを取るとそれをアイスの部分に突き刺した。しかもそれを使徒のコアに突き刺した、プラグナイフみたいにじっと睨んでいる。明らかに“戦闘態勢”である。
「綾波ってば」
「えっ?」
 レイが漸く気付いたように、シンジに視線を戻した。
「どうしたの?」
「何が?」
「何がって…それ使徒みたいに睨んでるよ。どうかしたの?」
「別に。どうもしないわ」
 だがしかし。
 自分で頼んだ特大パフェを前にして、敵でも見るように睨む女子中学生と言うのも、結構珍しいだろう。
 少なくとも、シンジに出してもらうから残しては悪い、との風情には見えないのだ。
 さすがにシンジも気になって、
「綾波、無理なら残してもいいよ」
 レイの食の細さと、今までの貧食ぶりはシンジも知っている。と言うよりも、殆どを薬で済ませていた辺りは、いずれ父親のゲンドウに一発かましてやろうと、密かに義憤を燃やしていた所なのだ。
「無理ではないわ−多分」
 言うなり、スプーンを突き刺そうとした手を、シンジはすっと抑えた。
「綾波どこか変だよ、どうしたの?」
 口調は穏やかだったが、手にはかなり力が入っていたらしい。痛い、とレイが僅かに顔をしかめる。
「ご、ごめん」
 慌てて離したシンジだが、二人揃って紅くなる。二人の様子に、店中の視線が集まっていたのだ。
 特にレイの容姿はかなり人目を引く。蒼い髪と紅い瞳に、しばらく好奇にも似た視線が集まったが、染髪もカラーコンタクトもさして珍しくはなくなっている。不干渉の気質もあって、三十秒もしないうちにまた視線は離れて行った。
 元より人の視線など視野に無いレイと、ここへ来て大分慣れてきたシンジ。とは言え、幾分気恥ずかしさもあって、顔を上げたのは一分余り経ってからである。
 先に口を開いたのはレイだった。
「あ、あの…碇君…」
「え?」
 何となく違和感を感じたシンジだが、カップに口を付けた事を猛烈に後悔する事になる。
「碇君は、巨乳が好きなの?」
 
ぶっ!!
 
 
 勢い良く吐き出しかけて、辛うじて抑えた。テーブルの上のおしぼりを、咄嗟に口に押し当てたのである。
 シュミレーションを使った使徒退治の練習成果かと、シンジは妙な事に感謝したが、すぐにそれどころではないと、
「ど、どう言うこと?」
「…私、見たの…」
「な、何を!?」
「葛城一尉の胸にでれでれしたり、学校で裸の本見ていたでしょう」
「し、し、してないよっ!!」
 思わず大声になり、また店内の視線が集まる。
 しかし、半分は本当だが半分は事実である。普段だらしないせいで、ミサトの胸など見慣れているシンジだが、そこはやはり普通の少年である。中身は同じとは言え、制服からちらりと谷間を見せられると、つい視線が行ってしまう事もある。そんな所をレイに見られたらしい。
「こ、この間のあれはケンスケが持って来たんだよっ」
 懸命に弁明しているところを見ると、どうやら心当たりがあるらしい。
「“無修正の舶来物”って言ってたわ。いい表現ね」
 ケンスケの口調をそのまま真似したレイだが、そこには零下の温度が伴っていた。
(僕は断ったのに…)
 確かにシンジの言う通り、この時シンジは見なかったのだ。と言うより実は、背後に嫌な気を感じて逃げたと言った方が正解だったのだが。
 そしてその勘は当たった。シンジが去って数秒もしないうちに、残った二人組は耳を掴まれていたのである。
 加えて、
「まーたこんな本見て!全くこのサンバカトリオは…あら?一人いないわ」
 とこんな決め付けられた台詞をも、聞かずに済んだのだ。 
(な、何で綾波がそんなこと知ってるんだよもう…)
 幸いレイの声は高くない。それだけに周囲に洩れ聞こえる恐れは無かったが、そんな事まで知られたかと思うと、シンジは背中に寒い物を感じていた。
 だが次の瞬間、シンジは本題を思い出していた。
(綾波がそれを知ってるのと、こんなの頼んだのって…関係あるの?)
 死刑囚を見る裁判官のような視線に、立ち向かうと言うのは極めて困難を要する。とは言えこのままでは、一方的にスケベ碇君の烙印を押されかねないと、
「ぼ、僕のそれと関係あるの?」
 その口がぽかんと開いたのは、レイの表情を見たからだ。
 シンジがそれを聞いた途端、南極の海みたいな温度の顔が、ふにゃーっと溶けたのだ。いや融解したと言った方が正解かもしれない。
 手にはスプーンを持ったままだが、その顔がほんの少し俯いた。
 あれ?と首を傾げたシンジだったが、なぜかそれ以上は聞きかねて、二人の間に沈黙が流れた。
 訳の分からない沈黙、これほど不気味な物はほかにあるまい。急変したレイを見ながら、シンジは針の筵にでも座っているような気がした。
 だから、
「…あ、あるわ」
 とレイが言った時には、何故だか分からないがほっと安堵した。
「ど、どうして?」
「太るわ」
 短く言ったその顔は、何故だか赤かった。
 こんな台詞で分かるほど、シンジの脳は高回転まで回るようには出来ていない。
「ど、どう言うこと?」
 訊ねた顔には、大きな?マークが付いている。
 次の瞬間、思わず後ろに引きかけたのは、レイがずいっと身を乗り出してきたから。
「この間、私の胸触ったでしょう」
 この時、シンジは何も持っていなかった事と、何も口内に無かったことを心から感謝した。何かが口内にあれば、間違いなくレイに顔面射撃していたところだ。
「あ、あれはあやま…」
 謝ったといいかけてシンジは止めた−レイがまだ根に持っていると思ったのだ。
「そ、そうじゃないの」
「へっ?」
 つい声が上擦ったシンジに、
「あ、あの時手の平に…お、収まっていたわ」
「は?…あっ」
 二秒後にシンジは理解した、レイが何を言おうとしていたのかを。
 確かにあの時、ゲンドウの眼鏡を勝手にしていたシンジから、レイは眼鏡を取ろうとして手を伸ばした。
 その結果二人は床に倒れ、シンジの手はレイの左胸を掴む破目になったのだ。
(そ、そう言えばすっぽり収まって…って違うっ!)
 慌てて首を振ると、
「そ、それで?」
 と訊いた。無論平静さを装うのは忘れない。
「だ、だけど碇君は胸の大きい方が好きなんでしょう」
 こう言われてもまだ分からない。
 よく分からないまま頷いたシンジに、
「だから…む、胸を大きくしようと思ったの」
 これ以上は聞けない、本能で感じたシンジは脳の思考能力を高回転まで上げた。
(胸を大きくする…太る…甘いもの…)
 おぼろげに答えが出たのは、数秒後のことであった。
「じゃ、じゃあこれは食べて…そ、その胸を…?」
 こくっと頷いたレイを見て、なぜかシンジは嬉しくなった。彼女が自分のために、胸を大きくしようとしてくれていると知れば、大抵の男は嬉しくなるかも知れない。
 しかしうっすらと笑ったシンジを見て、レイは笑われたと勘違いしたらしく俯いてしまった。
「あ、綾波違うんだ、笑った訳じゃないよ」
 その言葉に、レイがちらっと顔を上げる。
「僕の為って思ったら、なんかその、嬉しくなって」
 赤面もののことを口にしているが、自分では気が付いていない。レイもそこまでは慣れていないから、少しだけ嬉しそうに顔が上がった。
「ほ、本当に笑わないの?」
 シンジが勢い良く首を振る。
「そ、そんな事しないよっ」
「そう。ありがとう」
 そして数秒後、見合わせた二人の顔にゆっくりと微笑みが浮かんできた。
「食べるから、待っていて」
 うん、と言いかけたシンジだがふと気付いた。
(でもこの分だと綾波、胸が大きくなるまで毎日来るって言いそうだな)
 毎日特大パフェを食べるレイと、毎日それを眺めている自分と。
 想像しただけで胸焼けを起こしたシンジは、生クリームを口に入れようとしているレイを止めた。
「あ、綾波待って」
「なに?」
「あ、甘いものは太るけど…あまり胸には関係ないと思うよ」
「…え?」
「だ、だってほらそれだとアンダーばっかり大きくなるから…」
「…よく知っているのね」
「だってミサトさんが…」
 言いかけた時、墓穴を掘ったと知った。
「葛城一尉が…何」
「いやその…も、もっといい方法があると思うんだ」
「いい方法?」
「牛乳を飲むとか、食べ物を変えるとか。だから甘いものじゃない方がいいと思うよ」
「それも葛城一尉に訊いたの?」
 どうやらレイは、よほどミサトの胸にコンプレックスでもあるらしい。うっかりミサトの名を出したシンジに、しつこく絡んでくる。
 こうなると、打つ手は一つしかない。
「そうじゃないけど…あ、綾波が太るのは嫌だから」
「…え?」
 効果は十分であった。
「ほ、ほら胸の前に体が太ると嫌だなって」
「わ、私のこと心配してくれてるの?」
 頷いたシンジに、レイの表情が少しだけ緩む。とりあえず機嫌は直ったようだ。
 と、その時。
「あんたさあ、また胸大きくなったんじゃないの?」
「そりゃそうよ。だって毎日揉んでもらってるもん」
「…あんた何のために男作ってるのよ。豊胸専門じゃないの?」
「あったり前でしょ」
 とけらけら笑う声が、二人の後方から聞こえてきた。
 二人が一瞬顔を見合わせ、計ったように揃って赤くなった。二人して同じ事を考えていたらしい。
「…揉む、のね」
 とレイが言えば、
「揉む手も…あるんだよね」
 とシンジ。
「『あ、あの』」
 揃って声を上げ、一層赤くなる二人。
「あ、綾波から」
「い、碇君からでいいわ」
 お互い譲り合っていたが、シンジの方が先に口を開いた。
「と、とりあえず食事とかそっちから直そうよ」
「え?」
 一瞬、そう一瞬だが残念そうな色がその顔を過ぎった事に、シンジは気が付いていた。
(もしかして綾波…)
 浮かんだ邪念を振り払い、
「僕がさ、綾波のお弁当作ってくるから」
「いいの?」
「うん、肉とかは入れないようにするから」
「あ、ありがとう」
「だから余り、甘いものとか摂らないようにしてね」
 シンジの言葉に、レイは素直に頷いた。
「分かった、そうするわ。だけど…」
「どうしたの?」
「これ、どうしようかしら」
 無論二人の前には、殆ど手付かずの代物が鎮座している。
 困ったような顔のレイに、
「やっぱり残すのはまずいよ、頼んだ物だし」
「そ、そうね」
 とは言ったものの、レイは明らかに気乗りしてない。
 どうやら、豊胸のためだけに無理して食べる気だったらしい。とすると、さっきの表情は気乗りしていないせいもあったのか。
 それを見たシンジが、
「あのさ、僕も手伝うから」
「ええ」
 と言う訳で、一つの皿から二人して食べると言う、結構美味しい場面になったのだが。
 
 
 
 
 
「あ、綾波…だ、大丈夫?」
「わ、私は平気。も、問題ないわ」
 店から出てきた二人は、かなり危険な色の顔色になっていた。あそこまで甘いものを食べたのは、今までの生涯で初めてだったのだ。
 どう見ても、美味しい場面を楽しんだ気配は感じられない。
「い、碇君」
「…何?」
「や、やっぱり…」
「え?」
「も、揉んだ方が早いかもしれないわ…」
 危険なことを言いながらも、その顔は依然として赤ではなく青である。もはや顔を赤らめる余裕もないらしい。
「い、いいけどその前に…具合直してからね」
 こちらも完全にダウン状態のシンジ。
 寄り添う、と言うよりお互いに寄りかかるようにして歩いていく後姿は、どこか花見の後の酔っ払いにも似ていた。
 
 
 
 
 
 さて、豊胸を命題にしたカップルだが、実際に揉んで大きくしたかは定かではない。
 ただし。
「私が死んでも代わりはいるもの」
 と自爆を決意した少女が、
「そこまででいいの?」
 などと訳の分からない台詞に、あっさりと翻意したという事や、少女の胎内に手を入れようとしたヒゲが、胸が妙にボリュームを増している事に気を取られ、自らの手首を喪ったと言う話が伝えられているのだが。 
 
 
 
 
 
(終)