恋人達の事件簿「夢療治」
「だ、だから悪かったって言ってるじゃんか」
「なーにがじゃんかよ、はんっ、ばっかみたい」
「何だよ、自分だって馬鹿の一つ覚えみたいにすぐ“あんたバカァ”って。馬鹿って言う方が馬鹿なんだよ」
「な、何ですってぇっ、この馬鹿シンジの癖に!!」
甲高い音が一つ…そしてもう一つ鳴り響き、走り出したアスカを見ながらシンジは呟いた。
「自分こそ…ママぁとか言っちゃって子供のくせに…」
「いー加減鬱陶しいのよねえ」
ミサトが勝手に取ったカップを見ながら、
「それ、冷えてるわよ」
うげ、と一瞬吐き出しかけたが結局ぐいと飲み干して、
「別に嫌な訳じゃないらしいのよね」
二人の議題は無論アスカとシンジ、彼らの痴話喧嘩にも似たそれにある。
確かにキス未遂なのはシンジが悪い。悪事は迅速に、そして確実に行うべきだからだ。しかも未遂な挙句、誘導尋問と呼べぬような代物であっさり白状するなど、言語道断である。
が。
ミサトの言う通り、別にアスカもさして嫌がった様子はないのだ。あれからもうじき二週間になるが、ミサトは一度訊いた事がある。
「なんだったらシンジ君と別居してもいいのよ?どっちかが出て行った方が…」
「いいわよ別に」
どっちのいいわよなのか、ミサトが量りかねていると、
「あいつ家事は出来るから、家政夫には丁度いいしね。ミサトには無理でしょ」
「でもそれならチルドレン用の特別費用枠で、ヘルパーさんでも用意出来るわよ?」
「い、いいのよっ」
一瞬血相を変えたアスカを見て、内心で刹那首を傾げたミサトはすぐに、にやっと笑った。
「どおして?」
「どうしてって…そ、そんな費用があるならあたし達のお小遣い上げてよ」
「無理よ」
「何でよ」
「遊興費と生活費は別よ。組まれている予算を動かすには、それなりの理由が要るの。やっぱり家事担当を別に用意した方が…」
「そ、そんなの…い、いらないわよっ」
走って出て行ったアスカを見ながら、
「これだから、“女は走り出せば何とかなると思ってる”なんて言われるのよね」
人の事を言えた義理ではないが、肩をすくめたミサトはやれやれとぼやいた。
「何だかんだ言って…結構気に入ってるんじゃないの」
往来の真中で連れから、しかも女からダブルの平手を食らうなど、とてもじゃないが見られた物ではない。
が、シンジの両頬に手形を貼り付けたアスカは、玄関まで疾走してくると漸く立ち止まった。
「馬鹿、バカシンジのバカ…」
既に奇怪な日本語になっているが、それすらも気付かぬようにバカバカと繰り返した後、アスカは家の中に入って行った。
「要するに、素直になれないガキの遊びなのね」
ふうっと紫煙を吐き出したその視線は、目まぐるしく変わるディスプレイから離れない。
「リ、リツコ…何もそこまで言わなくても」
「事実の認識は必要よ、何事においてもね」
だが、自分の愛人関係を暴露されたら間違いなく否定する事を、本人自身自覚していない部分がある。事実を捉える権利など、極めてもろい物であり正しい物でもないのだ。
「でもさ、なんか良い案あるの?」
「無くはないわね」
微妙な言い方に、ミサトの表情が動いた。
「どうするの?」
「インプリンティング」
「インプリ…刷り込みを?」
「するのよ」
はあ、とどこかミサトは間抜けに頷いた。こんな時補足的な説明など得られない事を、長い付き合いの間に十分知っているからだ。
そして数日後。
「シンクロテストじゃなかったの」
テストだとだけ聞かされ、本部に呼ばれたアスカとシンジはリツコの部屋にいた。制服のままなだけでも妙なのに、リツコの部屋とあって二人とも身を硬くしている。
ただし、緊張からか警戒からかは分からない。
「ミサト、シンクロテストなんて言ったの?」
「そんな事言ってないわよ、私は」
「ミサトさっき…あ」
ミサトはテストだ、としか言わなかったのをようやくアスカは思い出した。
「アスカ、シンクロテストだからさっさと来いって言ったじゃないか」
「う、うるさいわね亀シンジのくせに」
「亀?」
首を傾げたミサトに、
「こいつみたいなグズでのろまな奴は亀シンジで十分なのよ」
何時の間にそんな名前付けたのかしら、と内心首を捻ったが、そんな事も気付かないほど2人を見ていなかったのかと、リツコに突っ込まれるのは分かっていたので止めた。
「で?何のテストなのよ、リツコ」
「この間の再現よ」
「は?」
「前回の使徒退治で、初号機と弐号機の動きを揃えた攻撃。あれを再現して欲しいの」
「『なんで(ですか)?』」
口調の揃った2人に、
「2人とも、あの時のシンクロ数値が一時的に急増したからよ。無論、この後また必要になるかは別だけど、数秒で一気に増加した現象は興味があるわ。何かに使えるかも知れないのよ」
「『何かって?』」
「機体交換実験とかね」
「『機体交換?』」
「あくまでも可能性の話よ、現時点ではね」
悟らせぬために振った話が、どうも妙な方向に行きそうなのでリツコはそこで打ち切った。
「それで何するんですか?」
訊ねたシンジに、
「そこにある椅子に座ってちょうだい」
2人の視線がリツコの指に従って動く。
「体感ゲーム?」
「似たような物かしらね。座ったらそのヘッドホンを頭に着けて」
原住民の奇怪な音楽でも聞こえて来そうな気がしたが、サードインパクト世代にはなりたくないので、アスカは黙って従った。
2人がヘッドホンを頭に着けるのを確認してから、リツコはリモコンのスイッチを入れた。
流れ出した音楽に、2人の表情が僅かに動く。数十秒と経たない内に、アスカとシンジが揃って首を垂れた−眠り込んだのである。
「ちょ、ちょっとリツコ」
何も聞かされていないミサトが、思わず身を乗り出したのを視線で制した。
「これからが面白いのよ、黙って見ていなさい」
諦めたミサトの前で、ゆっくりと2人が眼を開けたのは数分後の事であった。
「ちょっと2人ともだいじょう…いたっ」
大丈夫と言い掛けたミサトの脇腹を、リツコがつねったのだ。
「な、何するのよっ」
ミサトを無視して、
「シンジ君、アスカ、気分はどう?」
「悪くないわ」「別に平気です」
「そう、それは良かったわ。脳波のヒーリングだったから、寝込んでしまったのね。今日はもういいわ、2人ともお疲れ様」
「『はい』」
そこまでは普通の光景−だが次の瞬間、ミサトの眼が大きく見開かれた。
「アスカ、帰るよ」
「うん」
奇妙、いや奇怪な事に…シンジがアスカに手を差し伸べたではないか。しかも、アスカはその手をきゅっと握ったのである。
「な…な…あ…」
呆然としているミサトを他所に、
「じゃあ、僕達これで帰ります」
今の2人を考えれば驚天動地、手を繋いで出ていく彼等を、ミサトは唖然として見送った。
「リ、リツコ…」
口を動かしているだけのミサトを見て、リツコはにやっと笑った。自分の上司に似たそれを見て、一瞬ミサトが引く。
「ちょっとした荒療治よ。まあ見ていなさい」
リツコが何をしたのかは不明だが、、その日からミサトは猛烈な頭痛と神経痛に悩まされる事になった。無論原因は2人にある。喧嘩しなくなったのはいいが、場所を問わず時間を問わずくっつきまくる。勿論ミサトがいようがいまいが、とにかくべたべたするせいで、ミサトの酒量は急速に増えていた。
学校でも例外ではなく、黒服にも体の不調を訴える者が続出したし、昼食時に食べさせあう二人の姿に、狂わんばかりに髪をかきむしる者が多いと言う。
授業中は席が前後なのに関わらず、周囲が低温火傷しそうな視線を交わしていると伝えられる。
「その頃私は…」
マイペースで授業を勧めるくだんの老教師も、あまりの惨状に席替えすら考えたと言うのだがさて。
「リツコお願い、何とかして」
酒量が一気に進んだにも関わらず、げっそりとやつれた顔でミサトが頼み込んだのは、“手術後”一週間目の事であった。
「なんの事かしら?」
リツコも人が悪い、ミサトを見ながら真顔でとぼけたのだ。
「何ってリツコ…」
もはや突っかかる気力も無く、顔色の悪い十年来の友人にリツコはにやっと笑った−七日前と同じように。
まさかこれ以上の地獄かと、更に青白くなったミサトに、
「処方箋は切れるのよ−補給しなきゃね」
幾分奇妙な事を告げると、壁に掛かったモニターのスイッチを入れた。
「あの2人…」
ミサトの視線の先には、手を繋いで歩く2人の姿があった。
「呼ばれたのは三時だったよね、アスカ」
「うん。もう少し時間あるから公園寄ってこ?」
「そうだね」
今日は若干曇っており、湿度も高い。なのに、彼等には天候も抗し得ないのか、きゅっと握った手に汗ばんだ気配は見られない。
ぴたりとくっついて歩く二人だが、ふとアスカが足を止めた。
「ねえシンジ」
「なあに?」
呼ぶ方も答える方も、毛布を被って逃避したくなるほど甘い声である。周囲が呪殺したくなるのも、無理はないのかもしれない。
「あ、あのさ…」
「なに?」
「アイス、買ってくれる?」
意識してかせずか、ちらりと流し目を向ける。そうでなくともシンジが断るはずは無く、すぐに頷いて店の中に入って行った。
店内で、あーでもないこーでも無いと選んだ挙句、結局買ったのはカップに入ったソフトクリーム。
しかも呪わしい事に、アイスはシンジの手に握られていたのだ。別に荷物持ちに身をやつしていた、訳ではない。 アスカはシンジの手から食べて…要するに食べさせて貰っていたのである。
「アスカ、あーん」
「ん…あーん」
おぞましげな会話の後、アスカが小さく口を開ける。
アイスの先端すら入りそうにないスペースに、
「ほら、アスカそれじゃ入らないよ」
「で、でもぉ…」
「もう少しだけ開けて」
「だ、だって…」
「なに?」
「あんまり口開けたらみっともないし…シンジに嫌われちゃうもん」
ちゃうもん、ではなくて羅生門の鬼でもぶつけたい所だが、シンジは優しげに首を振ると、
「そんな事無いよ。だって…」
「だって何?」
「そ、その…」
今度はシンジが言いよどみ、アスカが促している。
「だってなによぅ」
「ア、アスカはその…」
「シンジひどい。あたしに隠し事するのね…信じてたのに…」
ぷうっと膨れたアスカに慌てて、
「ちっ、違うよっ。た、ただ…ア、アスカは何時だって可愛いから…」
顔を赤くして言うと、言われた方もまた頬を染めて、
「も、もう…」
ぽう、と頬を染めて俯く。
断って置くが、これは初めての事ではない。家と言わず学校と言わず、どこでもこうなのだ。
彼等が凄まじい憎悪を受けたとしても、至極妥当かもしれない。
2人ともあらぬ方向を向いてもじもじしていたが、先に戻ったのはシンジであった。
「じゃ、アスカ」
「う、うん…」
さっきよりは大きく、どうにか白い物体が入るだけのスペースは空いた。シンジがそこへアイスを押し込むと、ほんの少しだけ口の中に入れ、口内で転がすようにしてから飲み込んだ。
「どう、アスカ?」
「うんっ、美味しい」
「良かった」
別にシンジが作った訳ではなく、選んだのもアスカだった筈だが、何とかは盲目と言う諺は、ここでも正しい事が証明されたらしい。
「シンジ、貸して?」
「え?」
「こ、今度はあたしが…た、食べさせてあげるから」
「で、でもそれは…」
「いいからほら、かして」
一週間前ならば、決してこんな事を口走りはしなかっただろう。
いや万が一言ったとしても、
「さっさと貸しなさいよ、このバカシンジ」
そう言っていた筈だ。
それもないと言うのは、やはり相当の『手術』が行われたのだろうか。
シンジの方は、アスカのように小さすぎる事もなく大きく開け、
「はい、あーん」
自分がかじった後を、押し付けるようにシンジの口に入れる。アスカと同じくゆっくり飲み込んだシンジは、アスカの表情に気付いた。
「アスカ、どうしたの?」
「……ス……」
「え?」
「…せつ……ス…」
キーワードの破片で、シンジがの方が気付いたらしい。
「『か、間接…』」
二人揃ってハモった後、すうっと赤くなると下を向いてもじもじしている。
洗濯物も一緒、食事は食べさせ合っている仲でも、こういうのは恥ずかしいらしい。
「ア、アスカ」
「な、なに…」
「ご、ごめん…」
「…べ、別にいいわ…あ、あたし…い、嫌じゃなかったし。シ、シンジは嫌なの?」
「そっ、そんな事はないよっ!!」
ぶんぶん、と首を振ったシンジにアスカはにっこりと笑った。
「良かった」
シンジがその笑顔に思わず見とれた時、垂れ下がった2人の手がわずかにぶつかった。
一瞬びくりと震えた手を、先に取ったのはシンジであった。
「アスカ、行こう」
「うんっ」
握った手はしっかりと握り返され、2人は寄りそうようにして歩き出した。
さておよそ十分後公園に着いた時、アイスは2人の手のどちらにも無かった。どうやら綺麗に片付いたらしい。二人の口の端に、ほんの少し白い物が付いている辺り、お互いに食べさせてもらって来たらしいのが窺える。
ベンチに並んで腰を下ろした2人は、しばらくぼんやりと前を眺めていた。
数分の間、無言で前を見ていた2人だったが、先に口を開いたのはアスカ。
「ねえシンジ」
「何?」
「なんかさ…不思議な感じよね」
「何が?」
「あたし達」
「僕達が?」
「うん。だってこの間会ったばかりなのに、なんかずっと前から知ってるような気がするの」
それを聞いたシンジは、言葉を噛みしめるように聞いていたが、数秒経ってから頷いた。
「そう、だよね。なんか…ずっと前からの幼馴染みたいな気がする」
「うん…」
一瞬会話が途切れ、アスカはシンジの肩にそっと頭を寄せた。
「少し…こうしていい?」
「いいよ」
ただ電車などでもそうなのだが、単に頭部だけ寄りかかると言うのは、余り楽な物ではない。
そのせいか、ゆっくりとアスカの頭は下がって行った。
うっすらと香る甘い匂いを感じながら、躊躇いがちに伸びたシンジの手が、ほんの少しだけアスカの頭を押した。
アスカも逆らおうとはせず、結局シンジに膝枕する格好になった。
「あ、ありがと」
「う、うん」
柔らかいシンジの膝を愉しんでいたアスカと、アスカの髪の匂いに陶然となっていたシンジだが、ふとアスカが気付いたように、空いているシンジの手を取った。
そっとその手を取ると、ゆっくりと自分の頭に当てる。
「なあに?」
「ねえシンジ…撫でて?」
シンジは一瞬迷ったものの、やがて置かれた手を動かした。軽くだが、よしよしというように撫でる動きに、アスカの眼がゆっくりと溶けていく。
久しく与えられなかった物、そして14歳の少女がずっと心のどこかで欲していた物。
シンジの手の動きが何を喚起したのか、アスカはこみ上げる何かを抑えるように、ぐっと唇を噛むと目を閉じた。
それを知らぬげに、シンジは依然ゆっくりとアスカの頭を撫でている。
かすかに切なげな、そして穏やかな時が数分経った時アスカが呼んだ。
「シンジ…」
「なに?」
「あたし達さ…もっと…仲良くなれるかな?」
言葉にする前に、先にシンジは頷いた。
それから、
「なれるよ…もっと、もっと…」
「そうよね」
答えた、と言うよりどこか自分に言い聞かせるようにアスカが言った時、赤い髪がふわりと揺れた。
くるりとアスカが向きを変え、髪に見とれていたシンジと目が合う。
訳もなく赤くなったシンジを見て、アスカはくすっと笑った。
「え?」
「シンジ、口の所にアイス付いてる。何か白くなってるわよ」
慌ててポケットからハンカチを取り出そうとした、シンジの視線がアスカの顔に固定された。
「あれ、アスカも唇にアイスが少し残ってるよ」
「嘘っ」
起き上がろうとするのを抑えて、
「待って、今拭いてあげるから」
取り出したハンカチを近づけた手が、そっと抑えられたのは次の瞬間である。
「何?」
「ね、ねえシンジ…」
今度はアスカが何故か赤くなっているが、アイスがくっついたままだった事への物では無いらしい。
「え?」
「い、い…一斉にきれいにしない?」
「一緒に?」
意味が分からず聞き返したシンジに、
「く…唇がくっついたら…ふ、2人ともキ、キ、綺麗になるじゃない」
言葉の途中で意味を知り、シンジの顔がぼっと赤くなった。それに触発されたかのように、更にアスカの紅潮度も増して行き、膝枕をしてるのとされてるのと、揃って真っ赤になっている。
「 い…嫌?…・」
赤くなっているから、嫌がってはいないと思う。それでも言葉で欲しいのか数十秒後、固まっているシンジにアスカが声を掛けた。
期待と…かすかな不安で見上げる蒼瞳は、しっとりと濡れてはいなかったが、シンジの心を直撃するには十分な物であり、シンジはこくりと頷いた。
キスを提案する方とされた方。前者の方が勇気を要する気はするのだが、なにせこの2人に限っては一概にそうとも言えない。
先に言いだされたとは言え、頷くのにこれも勇気を総動員したシンジは、アスカがほっとしたように小さく息を吐き出した事には気付かなかった。
きゅっと目を閉じるとわずかに首を反らせ、
「シ、シンジからして…」
んっ、と少しだけ唇を開いた。
うっすらと開いた唇の間から見える、真珠のような白い歯にシンジの心拍数は一気に上がった。
緊張のためか、乾いているのが分かる柔らかそうな唇を見た時、シンジの指は思わず伸びていた。
ぷる、と揺れた時アスカが小さな声を洩らす。だが目を開けようとはせずに、ほんの少しだけ頬を染めてシンジを待った。
「い、いい?…」
こくりとかすかに、だがはっきりと頷いたアスカにシンジの決心も付いたらしい。こちらはアスカと違ってぎゅっと目を閉じ、唇どころか体中を微妙な感じで震わせながら、ゆっくりと顔を近づけていく。
がしかし。
アスカがシンジの前髪を顔に感じ、少しだけ体を硬くした直後がくりとシンジは首を折った。
ずっしりとした重量感に、慌ててアスカが目を開けた途端、アスカも又同じ運命をたどったのである。
十秒後、わらわらと現れた黒服が二人を手早く担ぎ上げ、さっさと姿を消すのをミサトは、呆然と眺めていた。
「リツコっ、これ何よ」
「リミッターよ」
「え?」
「暴走しても困るのよ、だからキス以上は出来ないようにセーブしてあるの」
「はあ?」
「今に分かるわよ」
なにやら狐に化かされたような顔のミサトをよそに、リツコは入ってきた黒服達に、機械の設定を命じた。
担ぎ込まれたアスカとシンジが、再度ヘッドホンを付けられて曲を流され、揃って目を開けたのは二十分後の事である。
「二人とも、気分はどう?」
うっすらと二人の目が開いた。
「『ここは…』」
定まらない焦点のまま左右を見回し、視界にもう一人のチルドレンが入ると同時に、
「アスカ…」「シンジ…」
そして次の瞬間、
「あーっ!!!」
同時に叫んだ。
くっきりと思い出したのだ−自分たちがこの一週間何をしていたのかを。
見る見るうちに二人の顔が真紅に染まって行ったが、今度は口論しようとはしなかった。身の置き所が無いように下を見ながら、ちらちらと横目で相手を伺っているだけである。
「思い出したようね、全部」
リツコの言葉に、二人の視線がそっちを向く。
「ちょっとリツコ!これどういう事よ」
羞恥を押し隠すように、噛みついたのは無論アスカであり、シンジの方も何をしたんだと珍しく、リツコに強い視線を向けている。
リツコは無論動じもせず、にっと笑うと深々とタバコを吸い込んだ−銘柄はセーラムピアニッシモ。
すう、と煙を吐き出しながら、
「なかなかお似合いだったわよ、二人とも」
「『なっ!?』」
たちまち頬を染める二人に、
「あなた達の年頃じゃ、簡単に本音が出ないのは普通よ。ただ、パイロットとなるとそうは行かないのよ」
「『え?』」
「ガキの痴話喧嘩に付き合ってる暇は無いって事よ」
「リツコっ、何よその痴話喧嘩ってのは!だいたいあたしが…」
「映像、市内中の有線で流してみる?」
言われて二人の脳裏に、自分たちの行動が浮かび上がってきた。
くっつき、手をつなぎ…etc…
「リツコさん」
「何かしら?」
「あ、あの…どうしてこんな事を?」
「別にないわ。強いて言えば、チルドレン間の親睦を図る、というところかしら」
「べ、別にここまでしなくても…」
「証拠確保の意味もあるのよ」
「『証拠確保?』」
「そう、今回の実験はあなた達がお互いをどう思っているか、本心を引き出したのよ。無論植え付けた思いは作り物だけど、本当にお互いを嫌っていればあれは即座に無効になるわ。それがあれだけの反応を示したという事は、好意の度合いがかなり強いと言えるわね」
これがミサトなら説得力は微塵もないし、エヴァで踏んづけてでも証拠は没収するのだが、白衣姿のリツコに言われると何となく納得出来るから不思議である。
照れている二人に、
「私は別に冷やかす気はないわよ」
と言われてアスカもシンジも、目をぱちくりさせた。
「『え?』」
「ただね」
「『ただ?』」
「二人とも、もう少し仲良くしてもいいんじゃないかしら?二人が嫌なら無理強いはしないけれど。アスカはどう?」
先に振られて、
「あ、あたしは別に…」
「じゃ、シンジ君は?」
つい曖昧な肯定を示したアスカだが、シンジは何と答えるかとどこか不安そうな顔でシンジを見た。
シンジは少し考えてから、
「僕は…い、嫌じゃないです…」
普段よりはやや小さめな声で答えた。
(なるほどねえ…)
自分だったらこうはいかないだろうとミサトは、わずかに安堵の様子を見せたアスカの顔を眺めていた。
「では、二人ともいいのね」
作戦内容を確認するような口調だったが二人は揃って、
「『はい…』」
と頷いた。
「じゃ、二人とももういいわよ」
「え?」
「暗示を解いたから、少し疲れが出るはずよ。今日と明日はゆっくり休むといいわ」
「あ、はい」
シンジが立ち上がり、アスカも続いて立ち上がる。
さすがにぴたりとくっつきはしなかったが、横に並んで出ていく二人の背に、リツコが声を掛けた。
「あ、シンジ君」
「はい?」
「ミサトは今日残業で帰れないから、夕飯の支度はいらないわ」
ミサトならこう言ったろう−あたし今日帰れないからね、シンちゃんアスカを襲っちゃだめよ、と。
だがリツコはそんな無粋極まる台詞を吐く事もなく、夕飯はいらないとだけ告げた。おかげで彼等が“2人きり”という事態に気付くのは、夕食時になってからである。
リツコの独断場に発言権を喪っていたようなミサトが、2人の出て行った後、ようやく口を開いた。
「リツコ、あれ一体何なの?」
「簡単に言えば暗示ね。自分達の置かれた状況を脳に信じ込ませるのよ。相手に対して持っていた感情をプラスに変化させ、マイナス部分を消す。後はリミッターを設定しておけば、あんな状況が出来上がるわ」
「でもリツコがそんなの作るなんて珍しいわねえ」
「さっきも言ったでしょう、ガキの痴話喧嘩には付き合ってられないって」
その割にはほんの少しだけ、どこか楽しそうに言うリツコ。
ふとミサトは訊ねてみた。
「リツコ、これ全部映像にして取ってあるの?」
「当然よ。それが条件だもの」
「条件?何それ…あらレイどうしたの?」
入ってきたレイはミサトには目もくれず、リツコの側へ近づいた。
「出来たの?」
「出来たわ、はいこれよ」
渡されたディスクを見ながら、レイはにんまりと笑った。
「リ、リツコ?これどう言う事?」
「これ、レイが考えたのよ」
「へ?レ、レイが?」
「そう、考えたのは私」
「ど、どうして…」
「チルドレンはバカばっかり−勿論私を除いて」
「そ、それでそれをどうするの」
「決まっているでしょう。サルとマザコンをげぼくにするの、この私の」
「あ…あ…」
すたすたと歩いて出て行ったレイに、ミサトは言葉もない。
「機械の設定は少し面倒だったけど、三日間のレンタルは結んだから、一応割には合うわ」
謎の台詞を残して出ていくリツコの後ろ姿が、どことなく嬉しそうに見えたのは気のせいだったろうか。
だがミサトは知らない。
レンタルされたのは人間であり、普段レイにべったりの某髯人物であることを。
そして三日後、どういう訳か数歳若返ったようなリツコとは対象に、その人物がげっそりやつれていたことを。
さてくだんの2人だが、何故かその後付き合う事はなかったと言う。
ただ、とある世界ではプライドの高い赤髪の少女が、拠り所を壊されて自らも壊れてしまったが、この世界においてはそんな事もなく、最後の使徒が来襲した時まで、紫と紅いのとが揃って撃退したと言う。
なお証拠映像を手に入れた少女の、“他のチルドレン下僕化計画”が成功したかまでは、現在定かではない。
ただこれも、
「私はあなたの人形じゃない」
と、胎内に手を入れられる事を拒んだ蒼髪の少女が、その後かつてチルドレンと呼ばれた仲間の2人を、何かにつけてからかう様子が見られ、そしてそのたびに、
「なんであんたがそれを知ってるのよ!」
と、赤くなったり青くなったりする少女と、
「綾波って…母さんみたいだ」
と奇怪な事を口走る少年がいたというのだがさて。
若干14歳にして死線に送り出された少年少女の、ほんの少しだけ違う物語…
(終)
R「下僕…なんて甘美なんでしょう…どきどき」
U「出だしは私からって決まっているのだが。しかもあらぬ事を口走らないように」
R「……あなたも私のげぼくになりたいの」
U「寂しいレイ嬢の為なら別に構わないが」
R「寂しい?私がどうして?」
U「アスカ嬢が想い人を奪還している頃だ。もう着いた頃か」
R「…何ですって…碇君、駄目っ!!」
U「ふう、キキイッパツ」

