恋人達の事件簿「デート」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ね、お願いアスカ。どうしても断れないのよ」
「あのねー、何であたしがどこの骸骨とも分からない奴とデートなんか」
「アスカ、それを言うなら馬の骨なんじゃ…」
「馬でも骸骨でもいいわよ、とにかく嫌!」
(困ったわね…あ、そうだ)
 姉からたっての頼みとあって、ヒカリとしても単なるメッセンジャーガールだけで、終わる訳にはいかない。
 かといって言い出したら聞かないアスカの性格は、短い付き合いながら十分知っている以上、正面から攻めても埒があかないと悟った。
 数秒思案した後、そっぽを向いてコーンをかじっているアスカに、
「碇君がいいって言えば良いの?」
 それを聞いた瞬間、アスカがかじっていたコーンを派手に噴き出す。
「な、な、何を言い出すのよっ!な、何で馬鹿シンジが!!」
「別にアスカと恋仲だなんて言ってないわ」
「え?」
「アスカが見ていてあげないと、碇君は駄目なんでしょ?」
「え・・あ、そ、そうよっ、あいつは私が目離すとすぐうじうじする奴なんだから。だからあたしがほいほいデートする訳にはいかないの、ごめんね」
 訳が分からないが、計算通りの答えにヒカリは、内心でにんまりと笑った。
「そうよねえ。しょせん馬鹿シンジ君だものねえ」
 たっぷりと嫌みを含んだ声に、アスカの眉がぴくりと動いた。
 第一の成果を確認しながら、表情には微塵も出さずに続ける。
「何かと言うと“逃げちゃ駄目だ”って、まるでバカの一つ覚えみたいに言っちゃって。まるでオウムよね、オウム。大体三馬鹿トリオって中心は碇君なのよね、本人は気付いてないみたいだけど」
 横目でちらりとアスカを見ると、完全に顔色が変わっている。
 ここまで来れば後は最終段階である。
「前にアスカ言ってたわよね?“何であんな奴がパイロットに選ばれたのかしら”って。その気持ち、私よく分かるわ。しかも何かにつけて綾波さんを気にして…」
「ヒ、ヒカリっ!」
 だめ押しのレイの名前は効いた。アスカが真っ赤な顔をしてこっちを向いた時、手の中にあったコーンは微塵に握りつぶされていたのだ。
「何?アスカ」
 ここはあくまで素知らぬ顔が基本である。
「何?じゃないわよ。シンジだってねえ、いいとこいっぱいあるんだからね。それは…少しは暗いし、すぐいじけるし…だけど料理は凄くうまいし、結構気の利く所あるし、それに案外優しいんだから…あ!」
 そこまで言った時、ヒカリの罠にはまった事に気が付いたらしい。
 アスカは慌てて言葉を切った。
 だが、この時アスカは気が付いていなかった。
 ヒカリの狙いは、アスカの告白まがいの引き出しにはないということを。
 何よりもはまったと思わせる事自体が、既にヒカリの手中に落ちているのだ、ということにも。
「じゃあいいでしょ?」
 真面目な顔のヒカリに、アスカの口が一瞬開いた。
「私、少し言い過ぎたみたいね。アスカが碇君をそんなに評価しているなんてしらなかったの。ごめんね」
「べ、別にいいわよ…でも“じゃあいいって”何の事?」
 この展開は、アスカの予想外だったらしく、狐に化かされたような顔のアスカ。
「碇君がそんなにしっかりしているなら、別にアスカが見張って無くてもいいんじゃない?」
「だ、駄目よっ!」
 慌ててアスカは遮った。
「あ、あいつは…その、やっぱり駄目なのよっ」
「困ったわねえ…」
 さぞ弱ったと言う顔で、考え込んで見せるヒカリ。
「私もお姉ちゃんに、学校一の美少女に頼めるのはヒカリだけって言われてるのよね…。アスカさんの友人なんだからって」
 それを言われるとアスカも、無下には否定できない。
 ラブレターの手渡しならいざ知らず、ヒカリの実姉を通しての依頼なのだ。
 数秒気まずい沈黙が漂った後、不意にヒカリが言った−名案を思いついたように。
「碇君に決めてもらいましょうよ、ね?」
「え?」
「碇君も自分の事はちゃんと分かっていると思うわ。そうでしょう?」
「う、うん…」
 訳が分からないが、取りあえず肯定する。
「じゃ、アスカが一緒にいた方がいいのか、本人に聞いてみて」
「どういうこと?」
「動物は自分にとって、本当に必要な飼い主を知っているものよ。だからもしアスカが本当に、ずっと碇君の側にいなくちゃならない存在なら、碇君はそれを認める筈よ」
「そんな、シンジを動物みたいに…」
「それとも別の意味でもね」
「別の意味?」
「他の男と、デートなんかして欲しく無いって言う事」
 ぼっと、音を立ててアスカの顔が紅潮した。
「な、何をそんな事…」
「どっちかは自信あるんでしょ、アスカ?」
「そ、それは…」
「碇君が何を思っているのか、知るチャンスじゃない。それとも自信無いのかしら?アスカは」
「そ、そんな訳無いじゃない!あいつはあたしの下僕なんだからね。下僕が主人を忘れてどうするのよ」
 当初とは大分ずれた話になっているが、それでも一応乗せるのには成功した。
 後は…
「じゃ、決まりね。碇君が“アスカ様行かないで”って言ったら、私も諦める。お姉ちゃんにそのこと伝えるわ。でももし言わなかったら…」
「その必要はないわ」
「え?」
「シンジがあたしの下僕の身分を忘れる筈ないもの。その時は何でもしてあげるわ」
「…本当にいいの?」
 ここで挑発的に言うと、却って裏目に出る可能性がある。
 一歩引いておけば、完全に事は成るとヒカリは読んだのだ。
「勿論よ!あたしを誰だと思っているの?無敵の惣流・アスカ・ラングレーよ!」
 へへん、と胸を張って去っていく後ろ姿を見ながら、ヒカリは呟いた。
「アスカ、力押しじゃ通じないって事、知らないのかしら?」
 
  
 
 
 
 
 
 
 所変わって碇亭。
 いや本来はミサトの住居なのだが、実質上の運営主の名を取って、いつの間にかこう呼ばれるようになったのだ。
 ここの運営者にして主夫のシンジは、学校から帰ると宿題を終わらせ、今は雑誌を読んでいた。
 題は「手作り料理百選−安くて栄養のある料理を目指す主婦の為に」
 と書いてある。
 14歳、中二の少年が読む物ではないのだが、家事不能者と“家事手伝わず”が一匹ずつ、しかもその内の一匹は『金食いビヤダル』ときてるとあって、彼の心労も並大抵ではない。
 最年長者が、どうやって人生破綻せずに来ていたのか、彼にとっては七不思議の一つとなりつつある。
「今日は唐揚げだな」
 ぽつりと呟いたシンジの目は、“豆腐の活用法”のページに注がれている。
 普通は鶏肉を使うのだが、今月は既に酒代が規定を遙かに越えてしまってるのだ。
 使徒に侵入され、かろうじて撃破したとは言え、侵入を許した上に気付かなかったとあって、ミサトはリツコともどもたっぷりと冬月に絞られたのだ。
 しかし、さすがに子供に当たるわけにも行かず、その代わりに酒量が一気に跳ね上がったのである。
「あれだけ呑んでも、一向に太らないんだもんな…それより豆腐はどっちにするかな…」
 小首を傾げて考え込んだ時、玄関のドアが開いた。
 
 
 
 
 
 
 大見得を切った後、というのは誰しも多少は気恥ずかしくなったりするものだが、ましてそれが実は自信などないと来れば、なおさらの事である。
 角を曲がった後のアスカの足取りは、実に重かった。
「完全にヒカリにはめられたわよね…」
 ほんの少し、そう3%程冷静になって考えればそれだけで分かるのだ。
 だいたい、ヒカリが他人をあしざまに言うなど、明日雹が降るとしても、殆どあり得ないというのに。
「あーあ、あたしって…」
 だがしかし。
 ぼやいてはみたもののこのままでは、確実に見知らぬガイコツとのデートが約束されてしまう。ここは何としてもシンジに、自分を引き留めてもらわなくてはならない。
 「どうしよう…」
 幽鬼のような声で呟いた時、既に足は玄関の前にあった。
「やるしかないか…」
 再度幽鬼のような声で呟くと、重い足取りで中に入っていった。
 
 
 
 
 
 
「あ、お帰りアスカ。遅かったね」
 本から僅かに顔を上げて、シンジが声を掛けた。
「うん」
 何か考え込んでいる様子で、シンジの方は見ずに返事だけすると、そのまま部屋に入ってしまった。
「何かあったのかな?」
 一瞬疑問がよぎったが、夕食の方が重点を占めており、シンジもそれ以上気にする事は無かった。
 珍しく、だが嫌な物とは違う沈黙が家の中に流れて、数十分が経った時。
「直球よ!」
 訳の分からない気合いと共に、アスカの部屋の扉が勢いよく開いた。
「あれ、アスカどうしたの?」
 ちょうどシンジは、買い物に出ようとしている所であった。
 以前は学校の帰りに買っていたが、やはりテキストと一緒に持ってくるのは結構重いものがある。
 その為、最近では一旦帰ってから行くようになっていた。
「あんた、どっか行くの?」
「今日の夕飯の買い物。あと15分でセールだから」
「ちょっと待って。あたしも行く」
「え!?」
 一瞬シンジの目が見開かれた。
 “お菓子買ってきて。ポテチの種類間違えるんじゃないわよ!”
 と声が投げられる事はあっても、自分も行くと言い出すとは。
「ほら、何ボケボケっとしてのよ。さっさと行くわよ」
 学校の帰りに、良からぬ物でも食べて中毒(あた)ったかと、一瞬不安になったが、
(良かった、いつものアスカだ)
 奇妙に安心した事に、シンジは自分で気が付いていなかった。
 
 
 
 並んで歩く二人の間を、妙な沈黙が支配していた。
 気まずいというかやりづらいと言うべきか。
 原因はアスカだ。
 歩きながら、横目でちらちらとシンジの方を窺っているのだ。
 そのくせ、シンジと視線があった瞬間、鬼神も避けそうな視線を送ってくる。
 シンジにとっては、針のむしろの気分であった。
 ついにたまりかねた瞬間、二人の足が同時に止まる。
「『ねえ』」
 ユニゾンの残果でもあるまいが、二人の声はぴたりと重なっていた。
 無論予想外であり、二人とも紅くなって下を向いている。
 やがて同時に顔が上がったが、今度はアスカが早かった。
「明日さあ、あたし変な骨とデートなのよね」
「は?」
 これで理解しろというのは、全くの素人に材料だけを渡して、さあテポドンを作れというのとさして変わらない。
「変な骨?デート?」
「だからー、あんたも鈍いわね。知らない奴って言う意味よ」
(それは何処かの馬の骨って言う事じゃ…)
 無論突っ込みは心中だけにしておく。
「断ってやったんだから感謝しなさいよね」
 シンジの左の頬にあった?マークが、今度は右側にも付いた。
「え?断って感謝?」
 ちっともさっぱり全然分からない。
 レイなら違う論法を取ったろう。いや、おそらくはこう言ったはずだ。
「私は碇君とだけ一つになりたいから、他の人には興味がないの。碇君はいや?」
 と−。
 これならシンジはほぼ堕ちる。こう言った手合いには、からきし弱いシンジなのだ。
 だがアスカはレイではない。
  もとの性格からしてまるっきり違う上、レイの真似などご免だと思っているアスカに、それが出来ようはずもない。
 しかも約束が明日とあって、焦りも手伝ってつい、
「あんたの為に断ったって言ってんのよ、分かんないの?」
 甲高い口調で言われて分かる筈もなく、
「わ、分かる訳無いだろ、そんなの。大体僕の為って何だよ」
 一瞬の沈黙の後。
「あんたはあたしの下僕なのよ。ご主人様が下僕を置いてデートなんか出来ないでしょうが。まったくあんたは馬鹿シンジよね」
「な、な、何だよそれ!何で僕がアスカなんかの下僕にならなきゃなんないのさっ」
「何よ、馬鹿シンジのくせに生意気ね。このアスカ様が下僕にしてやるって言ってるのよ、有り難くお受けしなさいよ!」
「だ、誰が!同じ下僕になるんだったら綾波の方が…」
 
 
 
 どっちもどっちという言葉がある。
 早い話が喧嘩両成敗となる理由なのだが、この場合はどちらが悪いのか。
 想いが空回りして、かってに下僕を任命した少女か?
 それともつい買い言葉で思ってもいないこと−少しはあるかも知れないが−を口走ってしまった少年か?
 ともあれ、甲高い音が二度鳴り響き、
「このウスラトンカチ!馬鹿シンジ!!死んじゃえ!!!」
 犬も食わない、というより幼稚園児の喧嘩のような−少し悲しげな−声が投げつけられ、後には頬に手形を貼り付けた少年が一人残された。
「ア、アスカの馬鹿…」
 こちらも少し悲しげに呟いた少年に、掛けるべき言葉を持つ者が何処にいるというのだろうか。
 
 
 
 
 
 無論つけていた訳ではない。
 無論盗撮していた訳でもない。
 だがヒカリには何となく確信があった−もういい頃合いだろうと。そして−自分が読んだ通りの結果になっているだろうと。
 アスカの携帯を押すと、三回目で出た。
「はい…」
 予期していたとは言え、その声のあまりの暗さに一瞬ヒカリも息を呑んだ。
 だが、無言で切ってはストーカーに成り下がる。
 意を決して、
「私。ヒカリよ」
「いいわよ、明日行くわ」
 開口一番がこれである。
 経緯も何もなしにいいわよ、ときた。結果としては成功だが、さすがに少しは周辺事情も気になる。
 口調を極めて抑えながら、
「あの…碇君はいいの?」
 ぴくっとアスカが反応したのが、ヒカリには手に取るように見えた気がした。
「束縛しちゃ悪いから、行って来てって」
「え?」
「下僕がご主人様を束縛するなどおそれ多いんですって。結構可愛いわよね」
 そういって笑ったアスカだが、ヒカリはその奥に潜んだ感情を読んだ。
 数秒沈黙が流れた後、
「で?」
 先に口を開いたのはアスカであった。
「え?」
 思わず間抜けな返事をしたヒカリに、
「だから、明日のデートよ。時間と場所は?」
「ああ、えーと…」
 聞き終わったアスカは、
「分かったわ、明日の九時ね。相手の彼に言って置いて、“楽しみにしてますから”って。じゃあね」
 一方的に切れた電話の向こうで、少しの間ヒカリは立ちつくしていた。
  
 
 
 
 シンジに電話が掛かってきたのは、夕方6時を回った頃であった。
「碇、明日暇か?」
 ケンスケからの電話は、ゲームセンターへの誘いで、新台が入荷したから一番乗りしようと言う。
 何となく気乗りがしなかったが、アスカと家にいて顔を合わせるのはもっと嫌だ。
 待ち合わせの時間と場所を決めて切った時、アスカが部屋から出てきた。
 シンジの方を見ようともせずアスカが通り過ぎようとした瞬間、
「あ、あのアスカ…」
 声を掛けたのは、自分の意志ではなかったような気もするが定かではなかった。
「何よ」
 地底の幽鬼のような声で返事が返ってきた。
「さ、さっきはごめん…あの…」
「……」
「……」
 沈黙が続くのかと思われた時。
 不意にアスカが振り返り、
「いいのよ、シンジ」
 ぞっとするほど優しげな声で言った。
「え?…」
「あたし明日デートって決めたから。それより叩いたりして悪かったわね」
「あ、あの…」
「あたしの事なんか気にしないで、ファーストとうまくやるのよ」
 食事は要らないからと告げて、浴室に姿を消したアスカは上がったきり、部屋に閉じこもって一晩中出てこなかった。
 
 
 
 
「ミサト、電話くらいしなくていいの?」
 書類の山に埋もれ、缶ビールを数本空けている友人に、声が掛かったのは夜9時過ぎであった。
「いいのよー、別に」
 少しだけ顔を上げて呑気に答えると、ミサトはぐいと缶を傾けた。
 無責任極まる自称保護者だが、ある意味無理がない訳ではないのだ。
 ここ最近はアスカとシンジは妙に仲がいいし、ミサトの方は現在書類との近接格闘に追われている。
 ユニゾンの最終日、シンジがアスカにキス未遂をしでかしたらしいが、所詮シンジではそれ以上行くまいと踏んでいるし、黒服を張り付けてあれば安全面の心配はない。
 さして心配する事もあるまいと考えていたのだ。
 また書類の山に埋もれた友人を見て、リツコはふうとため息をついた。
「大らかなのかいい加減なのか…MAGIに聞いてみる必要があるわね、一度」
 冗談とも付かない口調で洩らすと、またキーボードを叩き始めた。
 
 
  
 
 
「おはよう、ヒカリ」
 時間より20分も前に現れたアスカを見て、一瞬ヒカリは目を見張った。
(イヤリングにルージュにサングラス…嘘!?)
 していた物に驚いた訳ではない、その効果に驚いたのだ。
 耳から下がっているのはハーフムーンのイヤリング。
 唇に塗られているのは艶出しグロスではなく、濃い紫色のルージュ。
 サングラスをしている姿は、まるで別人に見えた。
 だが、ヒカリはほんの少し引っかかっていた。
 そう何かが違うのだ…そしてそれに気が付くのには、数秒と掛からなかった。
(アスカ…自棄になってるみたい)
 ヒカリは、いつもアスカが言っていることを思い出した。
(“ルージュなんてあんなケバイやつ、塗る人間の気が知れないわよね”って言ってたのに…)
「一瞬別人かと思ったわよ、アスカ」
「そんなに変わって見える?」
 頷いたヒカリに、アスカは乾いた声で笑った。
 と気が付いたようにヒカリが、
「アスカ、サングラスのフレーム汚れてるわ」
「え?」
「ほら貸して、拭けば取れるから」
「あ、ちょっと…」
 アスカの返事も待たず、サングラスを外させたヒカリの目に、哀しげな光が満ちた。
 もっともらしく拭った後、アスカに返す。
 二人で他愛もないことを話している内に、あっという間に約束の5分前となった。
「あ、来たみたい」
「ああ、あの人?」
 生気のない声に、光の胸はちくっと痛んだ。
「アスカ、あと一人で大丈夫?」
「大丈夫よ、心配しないでヒカリ。ちゃんとうまくやるから…」
 最後に呟いた言葉は、ヒカリの耳には届かなかった。
「じゃあねアスカ、私はこれで」
 ヒカリに軽く手を振ると、アスカは近づいてきた一年上の先輩に笑顔で歩み寄っていった−大胆にむき出された、太股に突き刺さる視線を意識しながら。
 
 
 
 
「しっかしシンジの奴、妙に元気がなかったで。一体どないしたんや」
「どうせまた惣流に、おかしな因縁でも付けられて虐められたんだろ。惣流は家じゃ女王属性全開だからな」
「まったくシンジもいつまでも甘い顔しよってからに。あーゆー女はいっぺん思い切り…」
「思い切りなんですって?鈴原?」
「げ!いいんちょ!!」
「どうしたんだよ、こんな時間から?惣流とどっか行くのか?」
「あ、あのね…」
 僅かにケンスケの表情が動いた。アスカに用ではないと感じ取ったのである。
「なあトウジ」
 ヒカリの存在など忘れたように、ケンスケがトウジを呼んだ。
「なんや?」
 ヒカリの視縛から逃れてほっとしたようにトウジが答える。
「今日の所は二人で行かないか?ゲーセン」
「…何やと?」
「確かこの間、週末は大掃除だって言ってたんだよ。多分昨日は忘れてたのさ」
「ワイらになんぞ関係あるんか?」
「シンジを連れ出したら惣流に襲われるぞ」
 訳の分からなかったトウジも、この一言には反応した。
「惣流に…よーし面白いやないかい、一発かました…あたっ」
「女の子に暴力振るうなんて最低よ、鈴原」
「い、いやこれはやなあ…」
 一撃の入った頭を押さえながら、言い訳を探すトウジにケンスケは、
「いいから、行こうぜ。ほら、早くしないと台取られちまうよ」
 じろりとヒカリに睨まれて、分が悪いと踏んだかトウジもあっさりと踵を返した。
 攫うようにトウジを連れ去ったケンスケは、途中で僅かに顔を向けて振り返る。
 目があったヒカリは、ほんの少し頭を下げた−ある思いを込めて。
「トウジ達が来るまでもう少しあるな。先にゴミ出しとこう」
 ゴミ袋を担いで出たシンジは、ばったりとヒカリに出くわした。
「お、おはよう碇君…」
「おはよう…ってアスカはいないよ」
「あなたに用があるの。あのね…」
 ぎゅっと掴まれた腕に、妙に力がこもっているのを感じたシンジは、ゴミ捨てを延長してその場に袋を置いた。
 
 
 
 
 
「私、一人でも大丈夫ですから」
「いいよ、無理するなって。君の足さっきから震えてるじゃない」
 そう言いながら、妙になれなれしく腕に触れてくる。
 アスカは蹴飛ばしたいのを、必死に抑えていた。
(なんなのよ、こいつは…まったく図々しいわね)
 ひんやりと冷えたお化け屋敷の中だが、別にアスカは震えてはいない。
 震えているとすれば、それはなれなれしい相手への怒りからだろう。
「惣流さん、きれいな脚してるよね」
 不躾な視線と粘ついた口調に、ついにアスカが切れた。
 伸びてきた手を思い切りひっぱたくと、がら空きの脛をこれまた思い切り蹴飛ばす。
 呻いてうずくまるのへ、
「あたしに触ろうなんて1億年早いのよ」
 吐き捨てると、後も見ないで走り出す。
(あたし、何やってんだろ…馬鹿みたい)
 不意に涙が込み上げてきた。
 溢れる涙を拭おうともせずに走り続ける。一応出口に向かってはいたので、2分余りで外に出た。
「あ…」
 外に出た事に気が付いて、慌てて涙を拭おうとした瞬間、何かにぶつかった。
「あ、しつれ…シンジ!?」
 初めて会った直後、一緒に弐号機に乗り込み使徒を撃破した時、身体がぴたりとくっついても嫌じゃなかった。
 あの時とは全然違う…。
 アスカがぼんやりと考えていた相手が、目の前に立っているのだ。
「な、なにしてるのよあんた」
 その言葉が終わらない内に、ぐいと顔が掴まれた。
「ちょっとなにす…むー!」
 にゅうと手が伸びてきて、唇に触れた。
 ルージュを落としているのだと気付くには、数秒掛かった。
「はい、終わったよ」
 ややぶっきらぼうに言うと、シンジはくるりと背を向けた。
 しかも、そのまますたすたと歩き出したのだ。
「こら!馬鹿シンジっ、待ちなさいよっ」
 と、その肩が掴まれたのは次の瞬間だった。
 強い力に、何の真似よと振り向いた顔が凍り付いた。
 さっき蹴り飛ばしてきた男が、目を血走らせて立っていたのだ。
「なかなかいい蹴りだったぜ、おい」
 シンジが異変を察知し、駆け寄ろうとした途端そいつは崩れ落ちた。
 一瞬シンジの足が止まり、アスカも呆然と足下を見下ろす。
 珍事の理由はすぐに知れた。
 革靴の音が響いたかと思うと、数人の黒服が現れて転がっている少年を担ぎ上げたのである。
 ほっとすると同時に、何故か奇妙な苛立ちを覚えてアスカは、
「休みの日まで子供のガード?ご苦労様よねえ」
 皮肉な言葉への返答は、
「違う」
 あっさりとした否定であった。
「え?」
「休みの日までつけ回す趣味はない。赤木博士からの依頼だ」
「リツコの…」
 アスカが首を傾げた時、
「アスカっ、大丈夫?」
 
 ポカッ!
 
「痛っ!何するんだよアスカ」
「何でもないわよ」
 心配してるのにいきなり一撃、しかもアスカが笑っているとあって妙にシンジは腹が立ってきた。
「ふーん、何でもないんだ」
「そう、別にあんたなん…い、いひゃっ、あにすうのよっ」
 シンジがアスカの頬を、ぎゅむーと両側から引っ張ったのだ。
 驚いたのもつかの間、すぐに応戦して引っ張り返す。
 十秒くらい、互いの頬を引っ張り合っていたがふと、
「ねえママー、あの人達なにしてるのぉ?」
「しっ、見ちゃいけません。あれはね、痴話喧嘩って言うのよ」
「えー?喧嘩はいけないんだよー」
 くすくす笑う声に、二人とも慌てて手を離した。
「あ、あのね、お姉ちゃん達別に喧嘩はしてないのよ。ねえ、シンジ?」
「え?あ、ああそうだよ。別に喧嘩なんか…」
「良かった。ちゃんと仲良くしてね」
 子供に意見に、はーいと二人揃って手を挙げる。
 子供の姿が消えるのを待ったように、そろってぷいっとそっぽを向いた。
「アスカのせいで、恥かいたじゃないか」
「なに言ってるのよ、あんたのせいでしょっ」
「アスカだよ!」
「いーえ、あんたよ!」
 ひとしきり言い合った後、ふっと沈黙が流れた。
 先に口を開いたのはアスカであった。
「あ、あのさ、シンジ…」
 口調の変化はシンジにも伝わり、
「な、何だよ…」
 どちらもやや歯切れが悪い。
 アスカは横を向いたままだが、
「あんたさあ、今暇なの?」
 と聞いた。
「す、少しだけなら」
「ふうん。あたしも少しだけ暇なのよね。なーんか気分壊れちゃったし、少しだけなら付き合ってあげるわよ」
「べ、別に。だ、だけど少しだけなら付き合わせてあげる」
(あんですってー!馬鹿シンジの癖にー!!)
 暴発しそうになるのを、寸前で抑えた。
(馬鹿シンジの、くせに…馬鹿なんだから…)
「い、いいわよ。じゃ行きましょ」
 先に立って歩き出したアスカの横に、シンジが慌てて追いついたのは数秒後の事であった。
 
 
 
 
 手こそ繋いでいないがぴたりと寄り添う二人を、後方から見つめる瞳があった。
「お姉ちゃん、ご免ね…」
 影はぽつりと呟いた。
「でも…昨日のアスカの声、泣いてたから…」
 少しの間二人を見つめていたがやがて、
「これで良かったのよね、私。じゃ碇君、後は宜しくね」
 聞こえるはずもないが、優しげな口調で言うとくるりと踵を返して去っていった。
 
 
 
 
 
(終)

後書き:
“あたしの事なんか気にしないで、ファーストとうまくやるのよ”の科白の後、
もう少しで「LUCIFER ROOM」行きになる所でした。
『ふにゃふにゃシンジ』に徹すると、奇怪な流れになりそうだったので少しだけボアップ。
なお題に付いては、事件簿となっておりますのでまだ他にもありそうです。