妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第六十七話:燃える砂塵 〜Busty Goddess〜
 
 
 
 
 
「カリン」
「ん、なに?」
 ふと呼ばれて顔を横に向けると、シンジの顔は満天の星空に向いていた。他にも方法はあるのだが、砂漠に寝ころんで周囲をぐるっと炎が取り囲んでおり、肌の下は冷たいが周りは十分すぎる程に熱い、と言うアンバランスな状況になっている。
「君はどうか知らないが、バーディは間違いない」
「何の事?」
「彼女はコーディネーター、だな?」
「そうよ」
 シンジの横顔を眺めながら、カリンはあっさりと頷いた。
「今はもう退役だけど、あたしの父は連合の軍人だったのよ。両親はナチュラルで、あたしをコーディネーターにしたの。みんなとは長い付き合いで、連合に属する事も別に違和感はなかったわ。あまり役に立ってないとは言え、ザフトにもナチュラルはいるんだから」
「では、五人全員が?」
「そ。自賛になるけど、ハルバートン提督ご自慢の部隊だったわ…」
「出自をとやかく言おうとは思っていない。ただ、コーディネーターのナチュラルに対する感情より、ナチュラル共がコーディネーターを忌む感情の方がはるかに強いだろう。ナチュラルがザフトにも居るからと言って、その反対が上手く行くとは限るまい」
「そんな事言っても、結局能力面であたし達の方が上回るのは事実だもの。それと、ナチュラルとコーディネーターが、全面的に憎み合ってる訳じゃないわ。それはあなたも知ってるでしょう」
「知ってはいる。だがその割に、一向に戦争は終わらないようだが」
「ま、まあそれを言われると困っちゃうんだけどね。ただ、戦争中とは言ってもお互いの存在を否定し合うばかりじゃない、って事だけは知っておいてほしいの」
「で、何時終わる?」
「それは…」
「まあいい。私の興味はそこにはない。それよりもコーディネーターの、しかも精鋭揃いの君らをおハルさんが、どうして洗濯係として寄越したかの方が余程興味深い」
「……」
 何を思ったのか、すっとカリンが起きあがった。真剣な眼差しで、じっとシンジを見つめる。
 シンジに反応は見られない。
「何か」
「単に洗濯の担当だけで、あたし達を行かせる筈がないでしょう。ハルバートン提督はあなたに…あなたにアークエンジェルとラミアス艦長を任せたの。あなたに全てを託して、その補佐として私達をこの艦へ来させたのよ」
「ご丁寧な事だ」
「……!」
 一瞬カリンの眉が上がってキッとシンジを見据えたが、すぐに和らいだ。シンジ達一味に縛られても、自分達をシンジに託したハルバートンの事を思い出したのだ。
「一部気になる単語があったが、まあいい。だがカリン、この先アークエンジェルの命運を左右するのは私などではない」
「え!?」
 じゃあ一体誰なのかと、訝しげな視線を向けたカリンに、
「明日はまた、一日土木作業と飛行訓練だ。今日はもう、おやすみ」
 静かに目を閉じたその顔が、揺るがぬ意志を表していると知り、
「…おやすみ」
 カリンもまた横になった。
 確かにシンジは大地を操れるし、キラやステラと乗れば機体の性能を向上させるという、尋常ならざる現象も起こしうる。
 だがそれとて限界はある。宇宙ならまだしも、飛べないMSでの戦闘を強いられるこの地上で、未だに振り切れないキラの心をかかえたまま、どこまで戦えるか。どんなに強くとも、心が弱くては戦えぬ。
 まして、この先は海上の道行きになる。
 宇宙では、文字通り敵を寄せ付けぬ守備を見せたが、結構大きな地雷を内部に抱えている事は、シンジが一番分かっていたのだ。
 
 
 
「何言ってるんだ、俺達も行くぞ!」
「そうだ、しかもあんただけ出るなんてそんな事させられるか!」
「俺達の戦いに客人を巻き込んで、しかも自分達だけ安全地帯から見物してろってのか!?」
 うるさくて熱い奴らだ、とシンジは内心で呟いた。
 言うまでもないが、アークエンジェルの武装とMSを封印するのに、テロリストの力など借りる気は毛頭無い。と言うよりも、いても邪魔でかつ迷惑なだけだ。
 黙って見物していろ、とそう告げたら、スズメバチの巣を蹴飛ばしたような騒ぎになったのだが、シンジは大きな声を出すことも、何人かレア状にする事もしなかった。
「それよりも、女達にやってもらいたい事がある」
 その途端、騒ぎはぴたっと止んだ。
「『!?』」
 男達を置いておいて、一体何をさせようというのか。
「バズーカやロケット砲を担ぎ、何の防御もされていないジープに乗った男達がどれほど役に立つかなど、私が言うまであるまい。夫や息子を、家族や想い人や友人を、あたら無駄死にさせたくない女達は――」
 シンジの視線が周囲を見据え、
「余計な死出の旅路に出立せぬよう、捕まえておくがいい。せぬものは、殺したい意志の表れと見なす。止められる者も同様だ」
「『!!』」
 珍しく強い口調に、女達の肩が一瞬びくっと震えた直後――意を決したように一斉に男達に飛びかかった。女が難なくこなす子育てでも男には到底出来ぬように、種類によっては女の方が強い場合がある。
 たちまち無鉄砲な男達は捕らえられ、幾重にも縛り上げられてしまった。
「それでいい」
 初めてシンジの表情が緩んだ。
「男と女がいて、子を為して子孫を増やして繁栄していく。それが自然の摂理だ。男だけでも、女だけでもならぬ。最初から命を捨てた戦いも時にはあろう。だが今回は――私の邪魔になるだけだ。勝つことではなく、滅ぼすという言葉の意味を、酒でも飲みながらゆっくりと噛み締めているがいい」
 そう言うと、シンジは静かに背を向けた。
「『……』」
 虚勢ではなく、何故か静かな自信に満ちあふれた姿を、テロリスト達は声もなく見送ったが、
「待って」
 一人だけ、呼び止めた者がいた。聞き慣れた声に振り向くと、アフメドの母親が立っていた。
「ご母堂…」
「あなたの事だから、心配はしていないけれど」
「?」
 手に握らされた物を見て、シンジの表情が僅かに動く。それは、カガリを守ってくれとアフメドがシンジに託そうとしたハウメアの護り石であり、ペンダントの形に加工されている。
「これは受け取れない。ご子息の形見は、ご母堂が持っておられるのが一番いい」
「あの子を戦士として扱ってくれた旅人へ、この母からせめてものお礼です。受け取ってはもらえませんか」
「……」
 シンジは刹那天を仰ぎ、大きく息を吐き出した。
「…では」
「はい」
 受け取ったそれをシンジが軽く握りしめた時、母親の顔に僅かな笑みが浮かんだ。息子は、宝物にしていたこれを渡し、カガリのことを頼んだという。
 無論買収などではあるまい。必死の思いの表れであり、またこの青年を認めたからの行動だろう。カガリのことは言わなかったが、我が子の遂に渡しえなかったそれを渡し、母親の顔には満足の色があった。
 ただし、アフメドはシンジにこれをプレゼントしたかった、と言うわけではない。シンジが脅威になると認めた上で、カガリに手を出さぬ事を頼んだのだ。
 そしてシンジは――依然としてカガリの事を茶坊主以上、とは見ていない。
 微妙な表情でシンジが戻ってくると、そのカガリが待っていた。その顔からして、待っていたのはシンジだろう。
「茶坊主、何用だ」
「あ、あのさ…頼みがあるんだ…」
「頼み事をされる間柄でも、聞かざるをえない関係でもないはずだが。自分が生きていると国民が災禍に見舞われるから、冥府に送ってくれと言うなら喜んでお応えしよう」
「そ、そんな事言わないで…お願いだから…」
「……」
 冷ややかな視線を向けられ、カガリが身体を硬直させるが、それでも必死の面持ちで頼み込んでくる。
「つまらん、或いはろくな頼みでない事は確定だが、まあいい言ってみるがいい」
「あ、あの…」
 カガリに耳打ちされたシンジは、さっさと背を向けた。
「あのっ…」
「その件なら、既に話はついている」
 
 
  
「母てふものは、か」
「何か言った?」
「いや、何でもない。カリン、出るよ」
「了解。カーテローゼ・フォン・クロイツェル、スカイグラスパー出撃(で)るわよ!」
 まるで、手足を縛られたような状態でゆっくりと進むアークエンジェルから、スカイグラスパーがただ一機飛び立った。
「ブリッジ、聞こえるか?」
「ええ、良好よ」
 聞こえてきたのは、バーディの声であった。サイはまだ放り込んであるし、ブリッジなら入れるというので、バーディを配して来たのだ。
「まもなく、レーダーの受信状況がかなり変わるはずだ。カリン、撃って」
「了解!」
 スカイグラスパーに搭載された火砲アグニが轟然と火を噴いた直後、一斉に砂漠が隆起した。
「『!?』」
 レーダーが突如、敵影を捕捉したのだ。しかも前方に二つ、後方に一つあるではないか。
「この距離は…全く捉えられなかったのに…」
 信じられない顔で呟いたナタルの声を聞きながら、マリューはふと妙な感覚にとらわれた。
「ハウ二等兵」
「はい」
「カメラを艦の周辺に切り替えて」
「了解」
 映像が切り替わった途端、首を傾げたのは一人や二人ではなかった。艦の周辺には、小さく渦を巻く風がいくつも発生していたのだ。
「竜巻?」
「あれが竜巻なら苦労はしない」
 アークエンジェルから聞こえた声にシンジが呟き、カリンがくすっと笑った。
「さてと、まずはハトホルから行こうか」
 
 
  
 
 
「ピートリーは前に出ろ。ヘンリーカーターの方はどうなっている」
「まもなく配置につく予定です。敵艦に察知された様子はありません」
 今回の戦闘に際し、バルトフェルドは文字通り総力を注ぎ込んだ。レセップスの前に駆逐艦ピートリーを配し、アークエンジェルの背後から潜ませてあった戦艦ヘンリーカーターと挟撃する策を取った。
 とりあえずここまでは何とか上手く行っており、
「さてと…」
 バルトフェルドが何故か難しい顔で呟いたその時、
「隊長、隊長ーっ!!像がっ、砂の像が大量にっ!!」
 ヘンリーカーターから聞こえてきたのは、通信手の絶叫であった。
「映像を出せっ!」
 叩きつけるように叫び、小型の無人偵察機が僚艦の映像をスクリーンに投影した瞬間、誰もが言葉を失った。
 そこに映っていたのは砂像、それも美女で巨乳の形をした砂像が十数体ヘンリーカーターの周辺を取り囲んでおり、あり得ぬ事態を目の当たりにして恐怖に囚われたか、全砲門を狂ったように撃ちまくるが、ただの一発も当たらない。
 いや、よく見ると吸収されているのだ。僅かに砂が散るもののそれが唯一の成果で、巨大な砂像がその乳房を揺らしながらゆっくりと距離を縮めてくる。その速度でしか動けないのではなく、恐怖心を煽るやり方だと明らかに分かる。
「隊長っ、全軍一気に進軍しましょう!このままではヘンリーカーターがっ!」
 ピートリーに配してあったダコスタが、叫ぶように進言したが、
「無駄だ」
 冷ややかに近い口調で、バルトフェルドは遮った。
「前方を放置で、後方にだけ仕掛けると思うか?焦れば敵の策に乗せられるだけだ」
「隊長…!」
 あまりと言えばあまりな言葉に、バルトフェルドに非難めいた視線を向けた者達もいたのだが、ダコスタはバルトフェルドの握りしめた拳が、震えていることに気づいた。
(隊長…)
 数ではこちらが圧倒的に有利なのに、MSを出さないどころか一発も撃たぬ敵に、早くも作戦を大幅に狂わされ、仲間達を失おうとしているのだ。バルトフェルド隊の隊長としても、また同じザフトの仲間としても、ただ切り捨てられるものではない。
 そんな彼らを嘲笑うかのように、美女の形をした巨大な砂像が五体、前後からヘンリーカーターに覆い被さったかと思うと、あっという間にその全身は溶け始めた。砲撃にびくともしなかったそれが、無数の砂となって艦全体を覆い尽くし――まもなくヘンリーカーターは、その姿を完全に地中へと没してしまった。
「ヘ、ヘンリーカーター内から…生命反応消失…」
 砂像に囲まれてからわずか八分の出来事であり、誰一人脱出することすら出来なかった。パニックに陥って全砲門から撃ちまくった為、ヘリやザウートを出す事もかなわなかったのだ。
「慌てふためくなと、彼らは身を以て教えてくれたのだ。何が出ようと何が起ころうと、決して慌てるなと全クルーに伝えておけ」
「はっ!」
 艦の下にあった砂漠までも変動したらしく、ヘンリーカーターのいた場所は、完全に平坦な砂地と化してしまった。文字通り、その存在を根こそぎ抹消されてしまったのである。
 何事もなかったかのように、ゆっくりと全身を始めた砂像の群れを見て、バルトフェルドはゆっくりと傍らのライラを振り返った。
「あれが、アークエンジェルの唯一にして最悪最凶の武器だ。おまけに、前回の戦闘よりも更にパワーアップしているよ、ライラ」
 まるで、火を噴きそうな言葉であった。
「……」
「これより、我が隊は敵艦アークエンジェルの撃破に移る。ヘンリーカーターの敵討ちだ、思い切り暴れてやれ!」
 おおっと、威勢の良い声が一斉に上がり、
「敵艦、まもなく射程圏内に入りますっ!」
「よし、まずは主砲発射用意!派手にお見舞いしてや――」
 バルトフェルドの声が途中で止まる。
 一斉に砂漠が隆起したのだ。みるみる内に像の形を取ったそれは、女の姿をしていた。
 その数、およそ二十。
「猫の顔に楽器と盾…バステトか!?やむを得ん、バクゥを全機出せ、ヘリもだ!あの物体を迂回して敵艦に迫れ!」
 指示を出してから、
「しかし…どうしてどいつもこいつも…巨乳に出来てるんだ?」
 釈然としない顔で呟いた。
 
 
 
 
 
 文字通り手も足も出ぬまま、戦艦を一隻いともたやすく砂の下に葬った光景は、通信状況が異様に良好なアークエンジェルからはよく見えていた。
「まるで…子供みたいに…」
 前回の戦闘でも、確かにザフト軍を寄せ付けはしなかったが、明らかにレベルが違う。しかも敵の砲撃を全く受け付けないと来れば、端から勝負は見えている。
 そのまま悠然と進攻する砂像を、驚愕の眼差しでクルー達が見つめる中、一人だけマリューがうっすらと顔を赤らめていることに、ナタルが気づいた。
(マリュー?)
 先日、何となく勢いで抱かれてしまってから、ちらちらとマリューを視線で追う自分が居ることに、ナタルは少々戸惑っていた。無論、女に抱かれた事など生まれて初めてだし、しかもその直前までは裸で掴み合っていた相手なのだ。
 ただし、ナタルが身を任せたのは、マリューの愛撫が理性を失わせるほどに上手だった、と言う理由ではない。確かに、自慰すらろくに知らぬナタルに取って、おかしくなりそうな快楽ではあったが、マリューをはねつける体力は残っていた。
 ナタルが完全に身を任せたのは、マリューの言葉を聞いた時であった。
 ナタルの乳房にくまなく甘いキスを降らせてから、
「もっと早く…仲良しになれれば良かったのにね」
 顔を上げて囁いたマリューの目に涙を見たとき、ナタルの目からもまた涙が流れ落ちた。マリューの心は読み切れなかったが、あれでナタルに残っていた理性が完全に溶けてしまったのは事実だ。
 身体を重ねても、マリューとナタルの性格が太陽と月位に異なっている事に変わりはない。それでも、人種が違うからとか、必要がないからとか、理由を付けて回避するのではなく、もう少しマリューの事を理解してみよう、とナタルは思うようになった。理解し合えぬ二人が、本当に仲良くなることはないのだから。
 ナタルの知識を元にすれば、マリューが赤くなる可能性は九割方シンジが原因だ。但し、さっきまでマリューは普通だった。あの砂像を見てからだが、砂像の顔はマリューに全く似ていないし、赤くなる理由が分からない。
(何かを思い出したのか?)
 マリューの後ろ姿をじっと見つめていたナタルだが、ふとあの時のことを思い出してしまい、すうっと赤くなった顔を慌てて下に向ける。何かを思い出して赤くなったのは、マリューに非ずナタルの方であった。
 そんな艦橋の様子をよそに、シンジの視線は敵戦艦に注がれていた。
「先陣はバステト、左翼にはイシス、右翼はセクメト、後詰めはハトホル。これが五精使いの返礼だ、アンドリュー・バルトフェルド。古の中で、悠久の時にその名を刻んできた女神達にどこまで抗えるか、みせてもらうぞ」
「シンジ君」
「ん?」
「セクメト神以外は、戦闘系の神じゃないよね?」
 顔は前を向いたまま、カリンが訊いた。三日間寝食を共にした事で、また年齢が近いと言うこともあって、だいぶ二人の距離は近くなっている。
「戦闘系の女神もいる事はいるが、そもそも神話に於ける神の記述は二面性なところが大きいから。ある神話では豊穣の女神でも別の神話では殺戮の象徴になっていたりする。音楽を司る神が、常に優しい顔だけ見せているとは限らないよ」
「ふうん」
 二人が乗るスカイグラスパーは、単機でやや前に出ているが、砲撃はまだ一度も飛んできていない。その視界に映っているのは、雌獅子の顔を持ったセクメトに飲み込まれるバクゥであり、イシスの頭部から吹き付ける砂塵に機体を覆われ、操縦不能になって地面に叩きつけられる戦闘ヘリであり――突如盛り上がった砂の壁に激突し、四散するザウートであった。両翼を任せて悠々と進攻するバステトに、既に戦艦は二隻とも後退を余儀なくされている。
「突撃は出来ずとも退却は出来る、とそう思ったか?バルトフェルド」
 冷たく笑ったシンジが、エクスカリバーの柄を僅かに持ち上げ、チンっと音をさせて鞘に収めた次の瞬間――下がりつつある二隻の後方に、巨大な砂嵐が発生した。
「四方を固めた砂像の進軍は前菜、これが私の手間暇かけたメインディッシュだ。生けるもの全てを飲み込む死の風から、さてどう逃げる?」
 
 
 
「アンディ、もう限界ヨ。せめてラゴゥで出撃して一矢報いないとっ!」
 正面から突っ込めばミサイルやビームは吸収され、機体は砂に飲み込まれる。迂回しようとすれば、砂像から吹き付ける砂塵がまるで蜘蛛の子のように入り込み、アークエンジェルを攻撃するどころか、砂像を抜くことさえ出来ずにいる。しかもあれだけの大きさなのに、ぬうっと動く速度は決して遅くないのだ。
 主砲の射程距離に捉える寸前までは行ったものの、今は数キロも後退している有様だ。
 確かにアイシャの言うとおり、このままでは搭載機体を全て失い、護衛の無い戦艦二隻とラゴゥが一機、死の風を渦巻かせているあの砂像の前に、無防備な姿をさらすことになる。
 とは言え、今ならばまだ退ける。砂像を相手に打つ手が無いと判明した今、これ以上進むのはあたら仲間を死なせる事になる。
 バルトフェルドの脳裏を、退却の二文字が過ぎった次の瞬間、
「隊長、後方に巨大な砂嵐が発生しましたっ!!」
「!!」
 絶望的な報告が飛び込んできた。無論、これとて単なる自然現象ではあるまい。進路に加えて退路までも断たれてしまったのだ。
「……」
 刹那考え込んだバルトフェルドは、直ちに決断した。
「ライラ、私と一緒に出るぞ」
「ア、アンディ、私とライラじゃナイのっ!?」
「敵の小娘とレズってるようなお前を、生死を賭けた戦場に連れて行かれるか?」
 それを聞いた途端、アイシャの顔からすうっと血の気が失せていく。
「アンディ…あ、あなたモそう思っていたの…?」
「当たり前だ。私は腕を落とされ、屋敷に居た者は悉く屍と化したのに、お前だけ無傷に済んだのは、連中と通じ合ったから以外に何があるというのだ。ラゴゥの中で寝返られたらたまらんからな。留守番していろ」
 他の誰が自分にどんな視線を向けようと、バルトフェルドだけは信じてくれると思っていた。そのバルトフェルドから冷酷な言葉を投げつけられ、アイシャの双眸からぽろぽろと涙が落ちる。
「ひ、ひどいヨアンディ…」
「仲間を裏切る女よりましだろう?」
 次の瞬間、ずむと拳がアイシャの腹部に吸い込まれ、アイシャは泣きながら失神した。
「いくら心を離れさせる為とはいえ、ちょっと言い過ぎじゃないのか?」
「足りない位だよ。俺への心が僅かでも残っていたら、向こうで自殺でもしかねん」
「……」
「さて、俺は行ってくる。ライラ、もう一度だけ訊くぞ。本当に…いいんだな?」
「かたわのあんたに、ラゴゥを動かして砂像を引きつけられるのかい?素直に、地獄まで付き合ってくれとお言いよ」
 バルトフェルドは何も言わず、ライラにすっと敬礼した。
 頷いたライラが敬礼を返す。この奇妙な関係の二人に、それ以上の言葉は要らないらしかった。
 それから二十分後、死体と破壊された機体が累々と積み重なり、残りは這々の体で引き上げ、ゆっくりと進み続けるアークエンジェルの前に、オレンジ色のMSが飛び出してきた。
「シンジ君、何か出てきたよ」
「さて、何をしに来たのやら」
 バクゥと比べて大型で、或いは二人乗りかも知れないが、かなりの確率でバルトフェルドが乗っているらしい――ひどく危うい走行なのだ。
 よたよたと進んできたそれが不意に停止し、どさっと何かが放り出された。しかも、機体はさっさと戻って行くではないか。
 あからさまに怪しい。
「何あれ?」
「ミイラ」
 カリンの即答に、シンジは首を傾げた。
「もう一度」
「正確に言えばミイラもどき。と言うか、人間を包帯で巻いてあるんじゃない?」
「ふーん…何?」
 わずかにその表情が動いた直後、猛威を振るい続ける砂像は、全てその動きを停止した。
「姉御、聞こえる?」
「聞こえてるわ」
「事情が変わった。ヤマトを出撃させて」
「キラさんを?」
「今出てきた奴が、放り出して行った物体は見えるな?あれを回収させて」
 通信機の向こうで、一瞬マリューが息をのんだ気配が伝わってきたが、戻ってきたのは、
「了解、すぐに出すわ」
 と言う答えであった。
 間もなくストライクが出撃し、包帯に巻かれた物体を抱えて、てくてくと戻っていった。
 ストライクが帰投するのを見てから、
「あれの中身が何となく想像はついた。カリンは?」
「いいえ?」
「そう。爆弾とか、気の利いたものでない事は賭けてもいいが…さて、ここからどうする?既に進路も退路も断ってあるぞ」
 ストライクが戻ると同時に、再度砂像の一個中隊は進軍を開始した。同時に、二隻の後方で勢力を増しつつある砂嵐もまた、その退路をゆっくりと進んでくる。
 まっすぐに突っ込んでくれば、砂像に阻まれて壊滅する。
 後退すれば、既に死の刃を研ぎ澄ませている砂嵐が待ち受けている。舞っているのは、ただの風ではない。
 唯一道がありそうなのは、左右へ逃げる事だけだが、無論逃げ道を残しておくほど甘くはない。既に伏兵は用意してある。
 カリンがある一点を撃てば、たちまち砂漠は壁と化してその行方を阻む。
 一見すれば鉄壁の包囲網だが、それが完全でないことをカリンは知っている。シンジから聞いたのだから、間違いない。
「逃げ道がない、というわけじゃない。この世界に慣れてないせいで、完全じゃないんだ」
 カリンは、シンジの言葉を思い出していた。
 
 
 
「……」
 シンジが敵の生態を見物している頃、残存兵を艦内に収容したバルトフェルドは、ある映像を見ていた。味方が砂像に阻まれ、次々と討ち死にしていく映像であり、到底趣味がいいとは言えないようだが、目的は鑑賞などにはない。
 どこへ進路を取っても、あり得ぬ大自然の脅威が立ち塞がるため、既にクルー達の表情には諦めの色がある。ここまで手も足も出ないと、もはや抗う気力も消え失せてしまうらしい。
 だが、バルトフェルドは違った。
 元より、無意味に突撃する気などなく、猛虎の視線で映像を見据えていたバルトフェルドが呟いたのは、
「やはりな」
 と言う言葉であった。
「アンディ…」
 ちらりとライラを見やったバルトフェルドが、通信機を手に取った。
「これより、レセップスは、最後の突撃を敢行する。艦の生還はもはや不可能だ。決死の覚悟がある者は操舵の任につけ。それ以外の者は全員、戦闘ヘリとバクゥに乗って出撃しろ」
「『!?』」
 バクゥもヘリも、全く通じないと既に明らかではないか。単機死ねと言わんばかりの台詞を聞き、艦内にどよめきが起きた。
 だがバルトフェルドは気にも留めず、
「良く聞け。向かってくる砂像だが、全てが同じ強度ではない。何体か、ビームやミサイルを受けた時に、その部分に穴の空く奴がいる。吹き付ける砂塵で誤魔化してはいるが、そこが奴らの弱点だ。レセップスは、砲撃を加えながら突撃する。奴らの隙を見つけ、そこを一点突破しろ。外部に対して強い奴は、内部からの攻撃には弱いと相場が決まっている。砂像の壁を抜けばアークエンジェルだが、決して攻撃はするな。そのまま左右へ一気に突っ込み、内部から砂像を突破して走り抜けろ。おそらく、アークエンジェルを攻撃すれば、二陣、三陣が起動してくる。明日の為、ザフトの誇りに賭けて生き抜いて無念を晴らせ。これは、隊長の私から最後の命令だ。そして――」
 一瞬瞑目したバルトフェルドが、すうっと息を吸い込んだ。
「私のような奴についてきてくれて、ありがとう。礼を言う」
 アイシャは敵の前に放り出してきた。あの時、浴場で何があったかは知らないが、おそらく敵はアイシャを殺すまい、とバルトフェルドは読んでいた。
 あえてアイシャを貶した上で、敵の前に放り出す。殺されぬと読んだ上での、アイシャを生かす為に命を賭けた博奕であった。
 二人乗りのラゴゥでは、バルトフェルドが操縦してアイシャを運ぶしかない。シンジがその気になれば、ラゴゥは砂漠の下にその機体を沈めていただろう。
 もう、思い残すことはない。残存の機体からして、ピートリーの乗員は全員脱出できるはずだ。レセップスは少々微妙だが、全員が脱出を選ぶなら、ラゴゥ一機でも死出の旅路に仲間の血路を開いてみせる。
「ライラ」
「分かってる、行くぞ。おい貴様ら、何をしている。こいつは自動操縦も可能なんだ、さっさと降りろ」
「で、隊長とライラ大尉の討ち死にを眺めるんですか?」
「何だと」
「お二人とも、生きて帰るつもり無いんでしょ。付き合いますよ」
「貴様ら…」
 艦橋にいたのは九名だが、誰一人として立とうとはしない。
「自動操縦じゃ当てにならないし、万一上手く行けば、あそこの支援機でこっちを見て笑ってる奴に、一発かませるかもしれない。俺達は残ります」
 それは命などとっくに捨てた、男達の意地であった。量で勝る地球軍に、自分達は質で勝ってきたという自負がある。
 だがそんなプライドは、たった一人の青年の前に木っ端微塵に打ち砕かれてしまったのだ。無論、またどこかで相見える時が来ればいい。が、それが無ければ自分達のプライドは粉砕されたままなのだ。
 単に、地球軍を相手に勝てば良いというものではない。
「分かった…任せる」
「はっ」
 視線で語り合った男達に、言葉は要らなかった。
 そこへ、
「隊長、こっちが先陣切りますよ!」
 飛び込んできたのはダコスタの声であった。
「ダコスタ!?」
「地獄で副官がいないんじゃ、かっこつかないでしょ――バルトフェルド隊長?」
「ちょっ、おまっ…待っ…」
「ピートリー、これより突撃を開始する。折角開いた血路を無駄にするなよ!」
「了解!」
 ダコスタと部下の会話が聞こえたと同時に通信が切られ、ピートリーが動き出した。
「あの…馬鹿共が!」
 バルトフェルドが、唇を噛む。
 見ると、ピートリーから発進したのは戦闘ヘリが二機とバクゥが一機しかいない。積んでいる機体の十分の一程度だ。
「命を捨てて掛かっている部下に、余計な事を言うのは侮辱だよアンディ」
「分かっている、ライラ。行くぞ!」
「承知」
 肩を並べて出て行った二人の背後で、残った者達が全員立ち上がり直立不動の姿勢で見送った。
 
 
 
「三十六計逃げるにしかず、と言う金言を知らんらしいな。あの二隻は、轟沈を覚悟だろう。その気になれば、七割くらいは助かろうものを」
「プライドが許さない、ってやつじゃない?」
「勝率0%でも、決して降ることなく最後の一兵まで戦って散っていくのは、後に残る何かを信じているからだ。ああいうのは、犬死にという。まあ、こちらの戦力を分析した事は褒めてやる。あのまま、何も出来ずに挟まれて殲滅できるかと思ったが」
 一見すればこちらが圧倒的だが、そこに穴があることはシンジも最初から分かっていた。とは言え、その穴は全体から見れば微々たるものであり、通常兵器が通用しない巨大な砂像を前に、冷静に分析できまいとたかをくくっていたのは事実だ。
 最も厄介なのは、二隻の戦艦が轟沈覚悟で砂像に穴を空け、そこからヘリやバクゥが突っ込んでくる事なのだが、見た限りそんな気はないらしい。
 防御力が弱まった訳ではなく、強度に差があるのは最初からの事だが、通じない方が遙かに多いから、そこまで冷静に見られなかったのだろう。それに、見切ったからと言って場所の特定は出来ておらず、逆転には程遠い状況だ。
「さっきの隊長機が出てきたわよ。あれが、部下の脱出しない原因みたいね」
「何とか穴を見つけて斬り込もう、と言う発想はまあ悪くない。だが、決断が遅かったな。何か、忘れてはいないか?」
 
  
 
「主砲、てーっ!!」
 号令一下、レセップスとピートリーの主砲が轟然と火を噴く。
 びくともしない。
「ひるむな!必ず隙はある、撃ちまくれっ!」
 並進する二隻が、全砲門を開いて撃ってくる。ヘンリーカーターの時とは違い、めくらめっぽうの撃ち方ではなく、艦橋では弱点を見つけようと必死に目をこらしているのだろう。
「あれだ!」
 他と比べて、明らかに回復の遅い箇所を発見し、そこへ二隻が猛然と砲火を浴びせてくる。とうとう一箇所が崩れた直後、ヘリとバクゥが一斉に飛び出してきた。どうやら、単に諦めたのではなく、味方の砲撃に巻き込まれぬよう艦内で待ちかねていたものらしい。唯一開かれた血路に、出てきた戦闘ヘリとバクゥが殺到し――次々と飲み込まれていく。一旦引き上げたことで、両翼を固めるイシスとセクメトが、微妙にその位置を変えていたのだ。しかも、砂塵へとその姿を戻してから不意に隆起した事で、突っ込む側には完全に予想外の障壁となった。
 地脈から精を吸い上げた事で、砂像の動員はシンジ単体の比ではなくなっている。
 所詮人間は、自然を超える事は出来ないのだ。
 ただし、もっと早くに弱点を見切られて、弱い箇所を集中攻撃されていれば、シンジも安穏としてはいられなかったろう。一旦引き上げた事と、アイシャを置きに出てきたことが墓穴を掘ったのだ。
「チェックメイト」
 シンジが呟いた直後、二隻の戦艦が砲火を放ちながら一斉に突っ込んできた。既に支援するべき戦闘機はなく、明らかに玉砕覚悟の攻撃であった。
「そう言うのを匹夫の勇と言う」
「お尻?いたっ」
 ぽかっ。
「ちょっと昼寝でもしてろ」
「もー、乱暴なんだから」
 カリンがぶつぶつぼやく間にも、あまり出番の無かったイシス隊と後方から進んできたハトホルが、一斉に敵戦艦へと襲いかかっていく。無論、戦艦の全長ほどの大きさはないが、一隻を十体以上が取り囲むと同時にその姿を砂塵へと戻していけば、撃とうが動こうが全く効果はない。
 ピートリーがその姿を砂漠の中に没し、続いてレセップスがその姿を消した直後、砂中から巨大な火柱が吹き上げた。ヘンリーカーターの時とは異なり、埋もれた船体が大爆発を起こしたのだ。
 炎と砂柱が数十メートルの高さまで吹き上がり――唯一残ったバルトフェルドの機体へ、砂が哀しげに降り注ぐ。
 策が破られ、為す術もなく散っていった仲間達に、バルトフェルドは視線を向けようともしなかった。ビームキャノンは砂像に阻まれ、無論ビームサーベルなど使うべくもない。
 と、そこへ不意に回線が開いた。
「砂像に弱点があると見抜き、その一点に集中砲火を浴びせ、開いた穴から突っ込むというのはまあ悪くなかった。時間のロスさえしなければ」
 画面の向こうで、見下ろしているのは無論シンジである。
「出撃させた機体を下げたり、余計な事をしなければ私も追い込まれたかもしれないものを。さて、部下はすべて滅ぼしたぞ。親玉はどうする。降伏でもしてみるか?」
 バルトフェルドは静かに笑った。
「ザフトの誇りを理解できるようになってから、それを口にするがいい」
「ほう、あたら部下を死なせるのが誇りを持ったザフトの指揮官と見える。お見事なものだ。腕と一緒に知能も失ったか?」
「黙れっ!!」
 冷笑に赫怒したのは、バルトフェルドに非ずライラであった。
「死んでいった仲間の恨み、貴様に一矢報いてくれる!」
「楽しみにしている」
 挑発を目的として、これほど成功といえるケースも多くはあるまい。
 操縦は女に任せ、バルトフェルドは照準を合わせての射撃だけに絞っていると、シンジは見てとった。無論不自由ではあるだろうが、両手が必要な操舵よりはずっとましになる筈だ。
「カリン」
「なに?」
「ある愚かな女が一つの箱を開いた時、その中からありとあらゆる災厄が、世の中に飛び出したという。聞いたことはある?」
「パンドラの箱ね?」
「その時、箱の中に最後たった一つ残った物がある。何が残った?」
「たしか…希望じゃなかった?」
「否」
 シンジは首を振った。
「え!?」
「絶望だよ、カーテローゼ・フォン・クロイツェル。あまりに重いそれは、外に出ることなく残ってしまった。全てを失った後に待つのは――絶望。パンドラの箱に何が残ったのか、己の身で確かめるがいい。カリン、降ろして」
「え…ちょっとシンジ君?」
「あれは、私がこの手で沈めてくる」
「…了解」
 砂漠に降り立ったシンジを見て、艦橋にいたマリューは思わず腰を浮かせた。宣言通り、ここまでアークエンジェルに一発も被弾させる事無く、圧巻と言うより戦慄にも近い内容で敵艦を葬ってきた。
 キラの拾ってきた物が気にはなるが、残るはMS一機だし、このまま一気に片を付けると思ったら、何を考えたのかシンジが地に降り立ったのだ。
 しかもMSの頭部からビームサーベルが生え、シンジめがけて猛然と突撃して来たのを見た時には、戦況を見ていた艦内のあちこちで、あっと声が上がった。部下を悉く討ち果たされ、帰るべき艦までも失い、このままでは終われぬと捨て身の突撃に出てきたMSを、シンジはただ眺めていた。
 砂像はその動きを止め、砂嵐はいつの間にかその姿を消していた。
 もしも今、身を翻したならば、悠々と逃げおおせたろう。
 だが何かに憑かれたように、ただシンジだけを見て真っ直ぐに突っ込んでくる。
「貴様も道連れにしてくれる、覚悟!」
 一撃に全てを賭け、シンジの眼前で獣が大きく飛翔し――シンジがひょいとバズーカを上に向けた。
「残念だが、私を冥府に着払いで送りつける者は既に決まっている。お前などではないぞ」
 自らの精は使わず、大地の精を集めて一気に放った火砲は、かつて無謀に出撃したテロリスト達を助けに行った時と比べ、文字通り天と地ほども違う凄まじいものであり、ラゴゥは一瞬にして爆散した。
 だがその直後、シンジもまた後方に吹っ飛んでいた。砲身が到底耐えきれず、破裂した破片の一つが射手を直撃したのだ。
 激しく咳き込んでから、
「道連れではないが一矢にはなったか。まだまだ未熟」
 胸元をおさえてシンジが呟いた。
 
 ――ザフト軍、全滅す――
 
 生命反応が全て消失していることを確認してから、シンジがゆっくりと身を翻した背後で、もう一度火柱が吹き上がった。
 それは――後に託す想いもなく、砂塵にその命を散らしたザフト兵を嘲笑ったのか、それとも――?
 
 
 
 
 
(第六十七話 了)

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