簡単に覚えられる歴史的仮名遣ひ

一、「いふ」か「いう」か

 「現代仮名遣い」は発音どほり書くのを原則としますから、ハ行の動詞であった「言ふ」は「言う」と書き、ア行の動詞となります。でも、発音どほりに書くと、ちょっとややこしいことが起こります。
 「言う」に「ない」がつくと「言わない」と書き、こんどはワ行の動詞になります。「現代仮名」は、「言わない」「言います」「言う」「言うとき」「言えば」「言え」「わ・い・う・う・え・え」とワ行とア行の二つの行にまたがって活用語尾が変化します。日本語の動詞は、五十音図の二行にわたって決して活用しないといふのが原則で、これは明らかなルール違反です。
 さらに、意志・推量の助動詞「う」がつくときはどうなるのか。「言おう」と書きます。意志・推量の助動詞がつくのは未然形ですから、未然形には「言わない」と「言おう」のワ行とア行が混在します。ところでこの「言おう」と書くとき、はたして「う」は助動詞だらうかとの疑問が湧いてきます。「言おう」は「言お」ののびた音、「おー」といふ《お列》の長音に過ぎないのではないか、といふことです。このことは、また後で詳しく説明しませう。
 「歴史仮名」と較べてみませう。「言ふ」は「言はない」「言ひます」「言ふ」「言ふとき」「言へば」「言へ」で、未然形につく推量の助動詞「う」がついた時も「言はう」と書きます。これを文法用語で説明しますと、「ハ行四段活用動詞」といひます。実にすっきりしてゐますね。ちなみに「現代仮名」の方は「ワア行五段活用動詞」と説明してゐますが、合理的といふ考へ方からみますと、「歴史仮名」の方が合理的と思はれませんか。
 「現代仮名」でも、「私は」と書いて「私ワ」と読む、「東京へ」と書いて「東京エ」と読むことになってゐます。「言ふ」と書いて「言ウ」と読むのが、そんなにむづかしいことでせうか。語の響きからいっても「言わない」「言う」よりも、「言はない」「言ふ」と書いた方がまろやかな表記だと思ひますが、どうでせうか。
 少し余談になりますが、発音と仮名遣ひにズレが生じてきたのは、もう千年以上も前、萬葉の時代から起こってゐる問題ですが、われわれは今も、そんな昔の書物が読めるといふことに、もっと思ひを致さねばなりません。
 発音が変はるために仮名遣ひを変へてゐたら、古典の解読はもっともっとたいへんなことだったでせう。先人はそのことをよく知ってゐたからこそ、仮名遣ひと発音にズレがあっても仮名遣ひを変へずにきたのです。文章は今生きてゐる者だけに通ずればよいといふものでなく、百年も千年も二千年も、もっともっと後々の人にまでわれわれの考へを伝へていく役目を持ってゐます。
 われわれは今、わづか四、五十年前の書物が原文では読めなくなってきてゐる事実に、目を背けてはなりません。われわれの時代に、そんな軽率なことを許していいのでせうか。
 余談が長くなってしまひましたが、「言う」と同じ例として、「現代仮名」で買う、食う、問う、逢う、使う、扱う、思う、願う――など、語の末尾が「う」字で終る動詞はすべて「歴史仮名」ではハ行で表記します。

二、「える」か「へる」か「ゑる」か

 「言う」か「言ふ」か、ハ行四段活用動詞について説明しましたので、もう一つハ行の下一段活用動詞(文語は下二段活用動詞)について説明しませう。かういふ文法的な用語を用ゐますと、もうそれだけでおっくうになってしまひますので、文法用語はなるべく遣はないやうにしませう。
 要するに、「歴史仮名」で「へる」と遣ふ用語はどんなものかといふことです。
 「現代仮名」で、考える、答える、変える、替える、支える、加える、数える、整える、称える、耐える、揃える――等々、「える」と書く用語のほとんどは「へる」だと思ってください。ただ、「歴史仮名」では「える」と書く場合と「ゑる」と書く場合もありますので、これがややこしいといはれるわけです。
 しかし、「える」も「ゑる」も用語例が少なく、これだけは機械的に覚えていただきたいのです。覚えるといっても、本当に覚えなくてはいけないのは、「ゑる」の用語です。これは「植ゑる」「据ゑる」「飢ゑる」の三語しかありません。「ウー」「スー」「ウー」と三度声を出されればもう覚えられたでせう。
 では、「える」はどんな用語か。それは、かつて学校で習った文語を思ひ出して下さい。 文語で終止形が「ゆ」で終はる「ヤ」行動詞です。

 実例をあげませう。

覚える(覚ゆ) 聞える(聞ゆ) 見える(見ゆ)
消える(消ゆ) 甘える(甘ゆ) 越える(越ゆ)
超える(超ゆ) 肥える(肥ゆ) 凍える(凍ゆ)
冷える(冷ゆ) 栄える(栄ゆ) 聳える(聳ゆ)
絶える(絶ゆ) 煮える(煮ゆ) 生える(生ゆ)
映える(映ゆ) 増える(増ゆ) 冴える(冴ゆ)
癒える(癒ゆ) 萎える(萎ゆ) 吠える(吠ゆ)
萌える(萌ゆ) 燃える(燃ゆ) 脅える(脅ゆ)
悶える(悶ゆ)

 この他にもまだ少しありますが、日常用語にはほとんどでてきません。「現代仮名」で「える」ときた用語は、まづ「ゆ」に置き換へて、ちょっと考へてみてください。慣れれば自然に遣ひ分けられるものです。
 ここで間違ひやすい用例は、「絶える」と「耐(堪)へる」です。「絶える」はヤ行「絶ゆ」で、「耐(堪)へる」はハ行です。同音であるために気をつけてください。

三、語中語尾の「わいうえお」は原則として「はひふへほ」になります

 「歴史仮名」の代表選手はハ行表記にあるといってもいいでせう。このハ行表記を習得すれば、「歴史仮名」の八割方を覚えたといっても過言ではありません。
 では、ハ行表記の覚え方の基本となるものは何か。それは「現代仮名」の表記で、語中語尾にくる「ワイウエオ」は原則としてハ行になる、といふことです。「すなわち→すなはち」「ついに→つひに」「ゆうがた→ゆふがた」「たとえば→たとへば」「おおきい→おほきい」といふふうにです。「言う」の項で述べた語尾に「う」のつく動詞はすべて「ふ」といふのもこの原則に当てはまります。
 「原則として」といふのは例外があるからです。ですからこの例外だけを覚えればよいわけです。例外を覚えるのがたいへんだ、と尻込みをしないでください。 「現代仮名」にも実はたくさん例外があって、こちらの方が理屈がないだけに覚えるのがたいへんなのです。
 一例をあげると、「おおきい(大きい)」か「おうきい」か、「こおり(氷)」か「こうり」か、「おとおさん」か「おとうさん」か、「とおだい(灯台)」か「とうだい」か。「現代仮名」は発音どほり書くのを原則としますから、「オ」と発音するものはすべて「お」と書けばよいはずですが、「おオきい」「こオり」は「お」と書き、「おとオさん」「とオだい」は「う」と書かなければいけません。この書き分けの理屈が分りますか。『改訂現代仮名遣い』の説明によりますと、歴史的仮名遣ひで「ほ」または「を」と書くものは「う」ではなく「お」と書くことになってゐます。これでは歴史的仮名遣ひを知ってゐなければ分らないといふことになりますね。
 例外があるからといって恐れることはありません。「現代仮名」にも例外が多いことを考へれば、むしろ「歴史仮名」の方が理屈にあってゐるものが多いだけに、その気になれば覚えやすいでせう。それに、例外を全部覚えなくても、実際に文章を書いてみると、これらのうちのほとんどは漢字で表記することが多いので、それほどたいへんなことではありません。

四、語中語尾にワがきても「わ」と表記するもの

 「歴史仮名」のハ行表記の覚え方は、その基本は、「現代仮名」で語中語尾にくる「ワ・イ・ウ・エ・オ」は原則としてハ行になるといふことです。「原則として」といふのは例外があるからです。
 その例外は次のやうなものです。普段は漢字で表記しますから、覚えなくても差し障りはありません。

あわ(泡)
あわてる(慌…泡と語源的に関連あり〈泡立てる〉)
よわい(弱)
いわし(鰯…弱いと関連あり)
さわぐ(騒)
すわる(坐る…据ゑると仲間)
うわる(植…植ゑると同じ)
こわいろ(声色…声はこゑ)
しわ(皺)
たわいない
たわむ(撓)
ことわる(理・断…言割るからきたもの)
かわく(気湧くからきたもの)

 語の頭にくるワは常に「わ」と書くので、二つの語の接続によって生じた語中のワは「わ」と書く。

うちわ(内輪)
いひわけ(言訳)
しわざ(仕業)
しわけ(仕分)
はらわた
ことわざ
ものわかり(物分り)
おきわすれ(置忘れ)
――など。
 「ことわる」も「かわく」もこの部類に入れてよい。

五、語中語尾にイがきても「い」と表記するもの

 これはほとんどが音便変化によるものです。ですから、「現代仮名」で語中語尾の「い」を「き」に置きかへて、それでも意味の通ずるものは音便変化と一応考へてよいでせう。本当に覚えなくてはならない語は、数少ないものです。

おいて(於…おきての音便)
さいはひ(幸…さきはひ)
たいまつ(松明…たきまつ)
ついたて(衝立…つきたて)
ついて(就…つきて)
ついで(序、次…つぎて)
やいば(刃…やきば)
おほいに(大…おほきに)
かいぞへ(介添…かきぞへ)
かいまみる(垣間…かきまみる)
あいにく(生憎…あやにくの変化)
にいさん(兄…あにさまの変化)
かはいい(可愛…かはゆいの変化)

 注意したいのは、「つひに」と「つい」です。「つひに〜をした」の「つひに」は「ひ」だが、「ついうっかり」「ついつい」といった副詞や接頭語の「つい」は、「い」です。間違ひやすいものの一つとして覚えておいてください。また、「あるいは」「あるひは」は、これはどちらを遣ってもよい(明治の学校教育における仮名遣ひの統一以前はどちらも遣はれてゐた)が、「あるひは」は間違ひとの説もあり、このため、明治の学校教育では「あるいは」に定められました。
 どちらを遣ってもよいものとしては、このほかに「用ゐる」と「用ひる」があります。

六、語中語尾にウがきても「う」と表記するもの

 この場合はほとんどが「ウ音便」による音便変化と、意志・推量を表す助動詞「う」がついたものです。 「ウ音便」については別の項で説明しますが、

「ありがた(く)う」
「おめでた(く)う」
「美し(く)う」
「楽し(く)う」
「おはや(く)う」
「少な(く)う」
「かたじけな(く)う」

など、「く」の音が「う」に変はったものです。
 次に、意志・推量の助動詞「う」です。書かう、行かう、走らう、飲まう、食はう、言はう、あらう――など、動詞の未然形につく意志・推量の助動詞「う」は「う」と表記し、「書かふ」「行かふ」などと書いては誤りです。
 ここでは助動詞の「う」そのものよりも、動詞の未然形の方に注意してください。このことは、「『言ふ』か『言う』か」の項で説明しましたが、合理性がないと指摘されてゐる「現代仮名」の大きな欠陥を含んだ問題なので、もう一度説明しませう。
 動詞の「書く」は、

「書か・ない(未然)、
 書き・ます(連用)、
 書く   (終止)、
 書く・とき(連体)、
 書け・ば (仮定)、
 書け   (命令)」

と活用し、未然形は「書か」で、意志・推量の助動詞は未然形につきますから、「書かう」となります。

「行く→行かう」
「飲む→飲まう」
「ある→あらう」
「言ふ→言はう」

みな同じです。
 「現代仮名」は「書こう」で、「こ」は本来、未然形でもなんでもありませんが、「現代仮名」は発音どほり書くのを原則としますから、「こ」をむりやり未然形の中に押し込んで、「書かない、書こう」と、「か」と「こ」の二つを未然形だと説明づけてしまひました。同じやうに「行く」は「行かない、行こう」、「飲む」は「飲まない、飲もう」、「言う」は「言わない、言おう」となります。
 「ある」といふ動詞に打ち消しの「ない」がつくとき、口語では「あらない」といふいひ方はしません。この場合は「ない」といふ形容詞だけを遣ひますから、未然形は「あろ」だけです。

「あろ・う、
 あり・ます、
 ある、
 ある・とき、
 あれ・ば、
 あれ」

で、「ろ、り、る、る、れ、れ」と活用します。これでは文法の説明がつきません。そこで、「あらぬ噂」「さはらぬ神」といふ文語的用語がまだ残ってゐますので、これを口語として残し、未然形に留めました。さうして、「ら」と「ろ」の二つを未然形とし、ラ行五段活用動詞としてゐるわけです。口語でほとんど遣はない打ち消しの助動詞「ぬ」がまだ生きてゐるのはうれしいことですが、果たしてこれが口語といへるかどうか、疑はしいと思ふのですが……。
 これが「歴史仮名」だと、未然形「あら」で、推量の助動詞「う」がついて「あらう」と書きます。活用は、「ら、り、る、る、れ、れ」のラ行四段活用動詞──と、実にすっきりした説明がつきます。さて、「現代仮名」の「書こう、飲もう、言おう、あろう」と書いた場合、どんな問題が起こるかといふと、「こう、もう、おう、ろう」の「う」は、「こー、もー、おー、ろー」と、それぞれの音ののびた部分を、単に「う」の字で表記したにすぎないことになります。長音を表す単なる記号に、助動詞といふ説明をつけるのはこじつけにすぎません。
 時枝誠記博士は、かういふ文法説明が生じてくるのを大変恐れて、「現代仮名は文法意識の抹殺である」と批判してをられます。博士は、「文法的表記を存置しておくのは、単に文法学のために必要なのではなく、言語の理論性を保つためのもの」といってをられるのは重要なことです。理にかなった文字遣ひを子々孫々に伝へたいものです。

七、語中語尾にエがきても「え」あるいは「ゑ」と表記するもの

 「へる・える・ゑる」の項で説明したとほりです。「え」と書くのはヤ行の動詞、「ゑ」と書くのは「植ゑる、据ゑる、飢ゑる」の三語のみです。ただ、動詞以外で「ゑ」の表記が少し残ってゐますので、それを次に記します。これも普段は漢字で表記しますから、問題はありません。

こゑ(声) すゑ(末) ちゑ(知恵) つくゑ(机)
つゑ(杖) ともゑ(巴) ゆゑ(故)

【語頭のゑ】

ゑ(絵) ゑ(餌) ゑ(会) ゑぐる(抉)
ゑふ(酔) ゑむ(笑)

八、語頭、語中、語尾のオを「を」と書く場合がある

・を(尾) を(緒) を(小)
・をす(雄) をとこ(男) をっと(夫)
 ををしい(雄々しい)
・をんな(女) をとめ(少女) をさない(幼)
 …これらは小さい、か弱いの意味があり、小(を)
 を用ゐる。
・をか(岡) をぎ(荻) をけ(桶) をさ(長)
 をしどり(鳥の名)をとり(囮) をどり(踊)
 をととし(一昨年) をととひ(一昨日)
 をり(澱) をろち(大蛇) をかしい
 をこがましい をさをさ
・をる(居…をります)
 をる(折…〜のをりから、をりをり等)
 をかす(犯す) をがむ(拝む)
 をさめる(納、治) をしむ(惜) をしへる(教)
 をはる(終) をののく

【語中語尾のを】

あを (青)  いさを(勲)  うを (魚)
かをり(香り) さを (棹)  とを (十)
みさを(操)  めをと(夫婦) たをやか
しをれる    まをす(申)  をがは(小川)

九、「ゐる」と「いる」

 「歴史仮名」の代表選手にはハ行の仮名遣ひと、「現代仮名」では抹殺されてしまった「ワ行」の「ゐ」と「ゑ」があります。このうち「ゑ」については説明しましたので、ここでは使用頻度の高い「ゐる」について書きませう。
 「歴史仮名」では「イル」と発音するものに「ゐる」と「いる」の二通りの表記法があります。「ゐ」は、「居、為、井」の漢字を仮名書きにしたもので、「〜して居る」の「居る」といふ動詞にこの「ゐる」を用ゐます。ほかに「用ゐる」と「率ゐる」の二語があります(ただし、「用ゐる」は「用ひる」と書く場合もあり、どちらを用ゐても構ひません)。それだけです。ほかに用例はありません。
 因みに、「居る」は「オル」とも読みますので、この場合の「オル」もワ行で、「をる」と書きます。「〜してゐます」「〜してをります」はよく出てくる用例ですので、「ゐる」「をる」は「居」といふ字にあたるものだと頭に入れておいてください。
 なほ、「〜しておきます」と「〜してをります」をよく間違へる人がゐます。前者は「置きます」で「お」ですので、注意してください。
 では、「いる」と書く場合はどれか。「必要」といふ意味の「要(い)る」、「入る」意味の「入(い)る」、それに「射る」、と「煎る」があります。そのほかに語の活用としてでてくるのに「老いる、悔いる、報いる」の三語があります。これも文語で「老ゆ、悔ゆ、報ゆ」とヤ行の動詞だからです。
 要するに、「ゐる」は「〜してゐる(ゐます)」と「用ゐる、率ゐる」で、それ以外は「いる」と覚えておけば何でもありません。
 ここで要注意。間違ひやすいのが二例あります。一つは「〜していらっしゃる」といふ用語です。「ゐる」の敬語のやうだから「〜してゐらっしゃる」と書きたいのですが、これは「ゐる」の敬語ではなく、文語の「入らせらる」といふ敬語です。ですから、「ゐらっしゃる」は間違ひで、「〜していらっしゃる」と書くのが正しいのです。「いらっしゃいませ」も同じですね。この方が「入らっしゃいませ」だといふ意味であることがよくわかりますね。
 もう一つは「いますが如く」といふ用例。これは漢字で書くと「在す・坐す」と表記します。「いらっしゃる」と同義の尊敬語です。
 なほ、ここでは「ゐる」と「いる」について述べたのであって、「ゐ」とつく単語についてはほかにもあります。「〜のせゐで」といふのは漢字で「所為」と書きますから、「ゐ」です。「まゐる(参る)」と「くらゐ(位)」はよく遣はれる用例です。そのほか、「ゐど(井戸)」「ゐのしし(猪)」「あぢさゐ(紫陽花)」「くれなゐ(紅)」「ゐなか(田舎)」「とりゐ(鳥居)」「もとゐ(基)」「しほさゐ(潮騒)」等々ありますが、これらはほとんど漢字で表記しますから問題はありません。「せゐ」と「まゐる」「くらゐ」ぐらゐは覚えておきませう。
 ここで注意したいのは、「ございます」を「ござゐます」と書く人がゐますが、これは間違ひです。「御座居ます」と漢字で書くことがありますので、「居…ゐ」と考へるわけですが、この漢字表記が当て字で、本来は「ござります」が変化したもので、「ございます」が正しい表記です。

十、「やう」と「よう」

 「現代仮名」で「よう」と書くものに、「やう」と「よう」の二通りあります。「やう」は漢字で「様」にあたるものだけです。使用度の高いものは、「花のやう(様)に美しい」「御出席くださいますやう(様)ご案内申し上げます」の「やう」がありますが、そのほか、「しやう(仕様)がない」「やうす(様子)を伺ふ」「さやう(左様)なら」「さやう(左様)ですか」「見やう(様)見まね」などがあります。
 では「よう」は何か。英語でwill、shallにあたる意志を表す助動詞がこれで、あとは「様」以外の漢字で「ヨウ」と読む漢字(用、洋、幼、要、陽そのほか多数)です。意志を表す助動詞は動詞の未然形につくものですから、「受けよう」「食べよう」「見よう」「しよう」などがあります。
 ここでちょっとまごつくのは、「見よう」と「見やう」、「しよう」と「しやう」です。音が同じで二通りの遣ひ方がありますので注意をしてください。でも簡単です。「よう」と「やう」では意味が違ひますから、すぐにわかります。「見よう」は「見てやらう」、「しよう」は「してやらう」といふ意味で、この「やらう」といふ語におきかへることのできないものが「やう」だと覚えておきませう。
 なほ、ついでに「せう」も覚えておきませう。「せう」は「現代仮名」では、「しょう」と「よ」を小さく書く拗音のみに用ゐます。

十一、「かうして」と「さうして」

 「現代仮名」で「こうして」「そうして」は、「歴史仮名」では「かうして」「さうして」と書きます。「こうして」も「さうして」も意味の上から仲間の言葉として考へてみませう。
 ここで問題となるのは、「かう」と「さう」です。
 「かう」からいきませう。「かう」は、「かくして」「かくいふ」「かくする」「かくなる」「かくあれば」などの、「く」が「う」の音に変化したものです。これを文法用語で音便変化といひます。この場合は、「く」が「う」に変はったもので「ウ音便」といひます。
 音便変化には、このほか「き」が「い」に変はる「イ音便」もあります。例へば「大きに」が「大いに」、「さきはひ」が「さいはひ」、「於きて」が「於いて」、「就きて」が「就いて」に変はるものです。それから促音便(「現代仮名」で小さな「っ」を遣ふつまった音)、撥音便(「現代仮名」で「ん」とはねる音)があります。
 変化したのは「く」だけで、語根である「か」は変はってゐません。したがって、「かうして」「かういふ」「かうする」「かうなる」と書くわけです。
 語根は変はらない、動かないから語根といひます。「現代仮名」はその語根をいぢくった。手をつけてはならないものに手をつけたので、過去と現代の繋がりがわからなくなりました。「こうして」「こういう」では、「かくして」「かくいふ」との繋がりがなくなり、語としての説明がつかなくなってしまひました。「現代仮名」は「日本語の破壊」といはれるゆゑんはここにあります。
 次に「さう」をみてみませう。
 「さう」は「さくして」といふ言葉がありませんから、これは音便変化ではありません。「さ・して」ののびた音です。音便ではないけれども、意味の上から「かうして」と同じ仲間の言葉で、非常に近い仲間であるがゆゑに、「かく」が「かう」と変化したのにつられて、「さ―して」ののびた部分に「う」が入り込んだ、とみたらどうでせう。「さういふ」「さうする」「さうなる」も皆同じです。
 「かうして」も「さうして」も仲間の言葉として一緒に覚えませう。
 「さうして」は、漢字で「然うして」と書きますが、この「然」を「さ」と読むのが字音仮名といふ説明もあります。様を「やう」と書くのも字音仮名です。字音仮名にはあまりこだはりたくありませんが、この「やう」と「さう」だけは「歴史的仮名遣ひ」として残しておきたいものです。

十二、「ありがたう」「おめでたう」

 音便変化が出たついでに(この「ついで」も「つぎて」のイ音便)「ありがとう」「おめでとう」も説明しませう。
 「現代仮名」は、「ありがとう」「おめでとう」と書きます。この語尾の「う」は音便変化によるもので、もとは「ありがたく」「おめでたく」の「く」が「う」に変はったものです。語根は「ありがた」「おめでた」で、語根は変化しないといふのが原則ですから、音便変化した「う」だけを語根につければいいわけです。「ありがとう」「おめでとう」では、語根に変化をきたし、一方では「ありがたい」「ありがたく御礼申し上げます」、「おめでたい」「めでたく合格した」といふ表記法がありながら、同じ言葉で表記法が語根から違ふといふのもをかしなものですね。

十三、「向ふ」「向う」

 もう一つ音便の話です。「向ふ」といふハ行四段活用動詞には、「向う」と書く場合があります。
 「向ふ」は、「むか・はない」「むか・ひます」「むか・ふ」「むか・ふとき」「むか・へば」「むか・へ」と活用します。活用語尾のすぐ上はすべてkaの音で発音しますが、ko・uとkoの音で発音する場合があるのです。「向うに」「向う側」「向うの方」「向う三軒両隣」といった例です。すべてko・uと発音します。「むかひに」「むかひ側」「むかひの方」「むかひ三軒」のhi音が、すぐ上のkaがkoに変はったために、それにひかれて変化した、これも音便変化「ウ音便」で、この場合は「ふ」と書かずに「う」と書くわけです。
 ずいぶんむづかしく説明しましたが、要するに「向ふ」と「向う」の遣ひわけは、「mukau」と「ka」で発音するときは、「ふ」、「mukou」と「ko」で発音するときは「う」と書くと覚えておいてください。
 「向う三カ年の活動方針」と書くのが正しくて、「向ふ三カ年」と書くのは誤りです。
 「ウ音便」で「ふ」と書かずに「う」と書くものは、このほかに「問ひて」→「問うて」、「給ふた」→「給うた」――などがあります。

十四、「ぢ」と「じ」、「づ」と「ず」

 「現代仮名遣い」は理屈に合はないといふ例証で、一番理解しやすいのが「ぢ・じ・づ・ず」のいはゆる「四ツ仮名」の問題です。
 「地面」を仮名で表記するとき、「地」は「ち」の濁音だから「ぢめん」だな、「世界中」も「中」は「ちゅう」だから「ぢゅう」だな――さう考へたあなたは「現代仮名遣い」を充分理解してゐません。これは間違ひで、「現代仮名」では「じめん」「せかいじゅう」と書かなくてはいけないのです。
 小学校の先生たちは皆嘆いてゐます。「頭の良い子ほど皆この表記に疑問を持ちます」と。先生には子供にその説明がうまくできないのです。「さう書くことになってゐるから覚えなさい」といふだけです。「現代仮名遣い」は発音に重点をおいてゐますから、理屈なんかいらないのです。「ぢ」は「じ」に、「づ」は「ず」にただ書けといふのです。それなら、「ぢ」「づ」はなくなってしまったのかといふと、さうではないから困るのです。「ちぢむ」「つづく」「つづる」「ちぢれる」などのやうな同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」は「ぢ」「づ」と書けといふのです。
 さらに、「はなぢ」「いれぢえ」「まぢか」「みかづき」まだまだたくさんありますが、二語の連合によって生じた「ぢ」も「づ」も、「ぢ」「づ」と書けといふわけです。「せかいぢゅう」が駄目で、「はなぢ」はよいといふ理屈がわかりますか。
 「こんなでたらめな話はない、何とかしろ」といふ不満の声が非常に高まった。それでも文部省は長い間「現代仮名遣いは定着した」と固執してゐましたが、つひに昭和六十一年二月、国語審議会の答申を受けて、「世界中」「地面」なども「『じ』『ず』で書くのを本則とするけれども『ぢ』『づ』を用いることも許容する」としたのです。要するに、どっちを遣ってもいいといふわけです。ずいぶんいいかげんな話ですね。
 「歴史仮名遣ひ」では、「ぢ、じ、づ、ず」の表記法は、「意味を尊重する」といふことをまづ第一に考へること、それに濁音をとって清音で読んでみると大体わかります。特殊なものは数少ないし、覚えるのにそんなに苦労はいりません。

十五、「出ず」と「出づ」

 「ず」と「づ」を説明したついでに、現代用語ではめったに出てきませんが、「ず」と「づ」では意味が全く逆になるといふ用例をあげませう。
 「出ず」と「出づ」の問題です。文語では「ず」は打ち消しの助動詞ですから、月は「出ず」と書いた場合は「月は出ない」といふ意味です。後者の「出づ」は「出(い)でズ」「出でタリ」「出づ」……、動詞の下二段活用終止形で、「月は出づ」と書いた場合「月が出る」といふ意味になります。出たと出ないでは正反対ですが、「現代仮名」ではこの場合どちらも「出ず」と書きます。日常用語の中には「出づ」といふ語は出てきませんが、現代短歌、現代俳句の中には「出づ」を「出ず」と書いてゐる用例がよくみられます。「出ず」では「いづ」とは読めないし、出たのか出ないのかさっぱりわかりません。
 やはり「ず」と「づ」の遣ひ分けはきちんとしたいものです。

元神社新報編輯長 高井和大

(『神社新報社』平成元年二月から十五回連載、神社本庁研修所『歴史的仮名遣ひのすすめ』に収録)

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