「正論」平成十八年三月号

いま申し上げて置きたいこと

 女系天皇を容認した「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大総長)の答申に、ヒゲの殿下こと寛仁ともひと親王が「あまりに拙速過ぎる」と異議を唱えられた。現職の皇族である寛仁親王が、「火中のクリを拾う覚悟」であえて発言された意味は大きい。松の内があけた一月上旬に宮邸を訪ね、ご発言の真意を伺った。

還暦はまだ小僧っ子

 ─ 今年のお正月はいかがでしたか。

 寛仁親王 お正月は忙しいのですよ。毎年、一目は皇居に缶詰めになる。二日はお年始のお客さんがいらっしゃるから、家にいないといけないでしょう。三日は原始祭と各宮家へのお年賀ですし、五日は私の誕生日(六十歳)。その間も、兄弟が還暦祝いをやってくれたりして、七日の昭和天皇祭までずっと忙しかったですね。元々、(正月に)家族でゆっくりと過ごす時間はまったくないのです。子供達(彬子あきこ女王、瑶子ようこ女王)も独自の動きをして、もう何年にもなりますからね。

 ─ 還暦を迎えられたお気持ちはどうでしたか。

 寛仁親王 去年の十二月に父(三笠宮殿下)が卒寿(九十歳)を迎えまして、こちらのお祝いに忙しいのですよ。だから私の還暦は、霞んでしまいます。それに一昔前なら還暦って大騒ぎしましたけど、今は皆、長生きをされているのですから、(還暦と言っても)まだ小僧っ子ですよ。

政治を超えた歴史、民族の問題

 ─ さて、皇室典範に関する有識者会議が昨年、女系天皇を容認する報告書をまとめました。それに対して、様々な問題点が指摘されていますが、一番の問題は、国民が十分に理解をしていない、という事ではないでしょうか。女性天皇と女系天皇の区別がついていない人も多いですね。

 寛仁親王 (有識者会議が設置された)去年の一月から、私は仕事上、付き合っている色々な人に質問をしてみたのです。私と仕事をしているくらいですから、(皇室について)よく知っている訳ですが、その人達ですら、女帝と女系の違いをあまり判っていない。八方十代の女帝がいらしたというニュースだけが流れているのです。「だから新しく女帝が出来て何がおかしいの?」という感じなのですね。
 でも、(八方十代の女性天皇は)皆様、未亡人乃至は独身だった。または、皇后様として、旦那様を亡くされて、その後、幼帝が成長されるまでお待ちになったとか、様々な形態があるけれど、皆様、等しく配偶者を求めていらっしゃらない。あるいは宇多天皇のように、臣籍降下されてから、もう一度お戻りになったり、光格天皇などのように、遠い遠い傍系から婿入りされて天皇になった例もありますが、そういう事まで知っておられる方は皆無ですよね。学者でない限り。だからこの一年間はひたすら、説明するために日本中を歩いていました。
 私は、皆さんが決める以上、納得して決めて下さいという気持ちです。何の意味も判らずに、〇×式で決められたら、たまったものではないでしょう。日本国の歴史が変わってしまうのですからね。そして、百二十五代二千六百六十六年間、ひたすら男系で先人たちが守ってきた万世一系を、平成の御世で変える。それをいとも簡単に決めてしまっていいのかということです。

 ─ 有識者会議の議論の中身も判りにくいですね。

 寛仁親王 驚いたのは、有識者会議というのは、あの下に専門部会が出来るのかと思っていたのですが、そうではない。その方達だけで決めてしまうのですね。我々、外で聞いている者には中で何が議論されているのか、さっぱり判らない。ましてや一般国民はもっと判らないでしょう。それなのに、どうしてこんなに拙速で決めてしまうのか。それを皆が不思議がっています。

 ─ 確かに各種の世論調査では女性天皇を容認する回答が多い。でもそれは、「愛子さまが即位されるのはいいじゃないか」というぐらいの感覚だと思うのですが。

 寛仁親王 私はあまりアンケートというものを信用していません(笑い)。設問の仕方次第で結果は大きく変わりますからね。例えば単に「女性天皇も可ですか?」という聞き方をすれば、誰だって「可です」となるでしょう。それに対して、きちんと、日本は神武天皇以来のDNAが続いている世界で唯一の国なのです。女性天皇を認めるという事は、やがて女系に移るという事です。そして、過去の八方十代の女性天皇はこうだった、と説明した上で、アンケートをすれば、結果は違うと思いますよ。
 それから、「愛子さまかわいや」とか、「雅子さまがお世継ぎ問題のプレッシャーから解放されるのじゃないか」、というようなレヴェルの認識で決められたら困る訳です。歴史の大転換点ですからね。私はこの問題は、政治を超えた問題だと思います。我々は政治にはタッチ出来ませんが、これは政治を超えていますから、きちんと正しい事を言って置くべきだ、と考えました。最終的には皆さんのご判断を待つ訳ですが、それにしてもメディアも、きちんとした事実を発信してほしい。そういった意味で、色々な所でお話をしている訳です。

色々な選択肢がある

 ─ 殿下は(女系容認以外の)色々な選択肢をよく検討した上で、結論を出すべきだ、とおっしゃっていますね。

 寛仁親王 戦後、臣籍降下をなさった方、それも御自分の意思ではなく、やむなくGHQの指示でなさった十一宮家の方々がいらっしゃる。そうした方々が皇籍に復帰されるのは決して不自然な事ではありません。その方々は万世一系のDNAをお持ちな訳です。それから、養子を取れるように法改正をする。これは、せざるを得ないだろうと思います。私は皇室典範をそのまま残して置けといっている訳ではなく、改正は必要だと思うのです。例えば、秩父宮家、高松宮家は絶家になってしまいました。それも養子が取れないからです。でも、よく知られているように、高松宮家は有栖川宮家の祭祀をお継ぎになっていた訳です。それと同じように、昭和天皇の弟様の由緒ある宮家の祭祀を継いで頂くために、(旧皇族方に)皇籍復帰をして頂くという手もあるし、現在のメンバーの中に愛子さま、眞子さま、佳子さまに婿入りされる方がいらっしゃってもいい。そういう方策が出来るように皇室典範を改正して、あらゆる手を尽くした上で、またしても次の世代が女性ばかりだったとか、そういう状況になれば、その時に初めて女帝・女系の議論に入っていけばいいのではないでしょうか。それは早く見積もったとしても四十年ぐらい先に起こり得る事でしょう。皇太子さまが即位されて、その次の世代の話をしている訳ですからね。

 ─ 有識者会議は、旧皇族の復帰について、戦後六十年も皇籍を離れていたという事を問題視していましたが。

 寛仁親王 二千六百六十六年の中の六十年なんて、吹けば飛ぶような時間です。それから先帝様(昭和天皇)の御親族の集まりである、菊栄親睦会というものがありますが、それを中心にして我々は親類付き合いをしている訳です。ですから私みたいにゴルフをする人間は、年に二回のゴルフ会がある。お正月もそうですし、皆さんとしよっちゅうお目に掛かっているのです。だから「違和感」というのはどうしても納得が出来ません。
 そんな事よりも、もっと違和感があるのは、愛子さまの配偶者を求めようとしている訳でしょう。そして、恐ろしい事に(配偶者を)陛下と呼ぶという。考えても見てください。昨日まで「田中さん」「佐藤さん」だった方が、突然見込まれて配偶者になり、「今日から陛下と呼んで下さい」という方がよほど違和感がありますよ。それから神道上、難しいのは、その配偶者の次の代の方は天皇家と○○家の祭祀を祭らなければなりません。(報告書は)男女の別なく長子優先としていますから、○○家、××家が入ってきて、段々と万世一系という世界で唯一の素晴らしい伝統が破壊されてしまうでしょう。そうなれば、果たして天皇制の正統性を皆さんが認めて下さるでしょうか。皆さんの家系とあまり変わらない訳ですからね。やがて天皇家の滅亡につながって行くと思います。

天皇制がなくなれば日本は四分五裂

 ─ 二千六百年以上守られてきた万世一系の大切さはどういう点にあるのでしょう?

 寛仁親王 天皇家は日本最古のファミリーです。国民が現在の天皇様を尊崇して下さっているのは血脈というか、世界に例を見ない男系で続いてきた万世一系だからこそだと思うのです。何代目の天皇が好きだとか、何十代の天皇が好きだという方はあまりいない。天皇陛下という制度、システムそのものを大切にするという事を、何となく皆さんが体感して下さっている。そこに自然と敬愛を持って下さるものがあるのではないでしょうか。日本の皇室は外国の王侯族のようにパワーでのし上がったり、革命で潰れたりとか、そういう権力を持つ存在ではありません。権力と権威を分けてきたのです。これは日本の民族の知恵でしょうね。陛下は振り子の原点″にいらっしゃると思います。右に行っても左へ行っても一回転しても、そこにいらっしゃるから軸がぶれないのです。そうしたものをいとも簡単に変えようとしている。もっと徹底的に議論してほしい。私はそう思って、色々なアイディアを出しているつもりなのですが。

 ─ 確かに今回の問題は歴史の問題、日本民族の問題であると思います。それなのに有識者会議は「歴史観、国家観に基づいて議論はしていない」と言っているのはおかしなことだと思います。また、当事者である天皇家や皇族の方の意見をまったく聞かない、というのもどうなのでしょうか。

 寛仁親王 皇族は政治にタッチしないという大原則があります。だから陛下もご発言にならないし、皇太子さまもお話にならない。私も発言がある程度、限られてしまう。本当はあらゆる所へ講演に行って、皆さんああですよ、こうですよ、って言いたい所ですがね(笑い)。その原則があるから、有識者会議も聞かないのでしょうが、先程も申し上げた通り、これは政治を超えた、日本国の歴史と伝統をどうするかという問題です。よほど腰を据えて考えていかないと、日本がおかしな方向に向かってしまうと思うのです。
 過去の日本の歴史を紐解いてみれば、常にナンバーワンが天子様で、最高権力者がナンバー二だった苦です。だから色々な大事件はあったのでしょうが、国民の皆さんは天皇制さえあれば日本は不動だと感じているでしょう。それは歴史が物語っていると思っています。天皇制がなくなれば、日本は四分五裂してしまうのではないでしょうか。日本という国を大事にすればするほど天皇制が必要だと思うのです。

絶対に変えてはいけないもの

 ─ 小泉純一郎首相のやり方は、「改革」の名の下なら、何でも変えていいんだというように見えます。でも変えて良いものと良くないものがある。日本として大事に守って行かなくてはならないものがあるのではないでしょうか。

 寛仁親王 私たちは(立場上)小泉さんのやり方が良いとか、悪いとかは言えません。ただ、変えて良いものと絶対に変えてはいけないものがあるのは確かです。天皇家の中でも、どんどん変わって行った事があります。三笠宮家が良い例なのですが、皇族の歴史の中で、初めて親子が一緒に住んで生活をするという大改革をしたのはうちの両親が最初。二番目にそれを実行されたのが、いまの両陛下です。これもある種の改革でしょう。先帝様も随分色々な事を変えられました。一夫一婦制や殆ど洋服で過ごされるようになさった事もそうです。日本最古のファミリーもそうして次々と変えていらっしやった。私が現場監督″として、この三十五年間、スキーや福祉の仕事で現場に徹して仕事をしてきたのも改革の一つです。
 伝統というのは一度切ったらそこで終わってしまいます。郵政改革とは違うと思います。世界に冠たる伝統を築くにはまた、二千六百年掛かってしまう。良いものは、続いた方が良い訳ですよ。こんな大事なものを変えようとしている訳ですから、一朝一夕ではなく、最低でも五年間ぐらいは議論して、日本の津々浦々で意見を聞いて、それから、有識者会議がもう一度、答申を出されて、国会で国民の代表である議員が慎重審議をし、国民の大多数が納得するような結論を出す必要があると思います。

 ─ 皇室、皇族のあり方について伺いたいのですが、殿下は皇室というのは「存在そのものに意義がある」とおっしゃっていますね。

 寛仁親王 私は昔から感動しているのですが、先帝様は、台風などで被害が出ると、必ず「稲穂の状態はどうか?」「被災民は大丈夫であるか?」と待従に御下問される。農家の方たちや被災民の方々は陛下が心配して下さっていると聞いて、もう大感激です。だから、陛下がそこにいらっしゃるだけで国民が安心できる。陛下が国民の事、世界平和の事を常に考えて下さるから、我々は自由な事が出来るということは確かにあると思うのです。
 私たち皇族は、職業選択の自由も限られていますし、政治、営利にタッチ出来ないということは、普通のサラリーマンも出来ないし、会社を興す事も出来ない。突き詰めて考えれば、私は皇族というのは仕事をするために存在するのではなくて、極端な話、存在していることに価値があるのだと思います。皇族は「血のスペア」ということですね。

背筋が凍った先帝様の打ち明け話

 ─ 昭和天皇のお話が出ましたが、産経新聞で「戦後六十年で印象に残った人物」を読者に聞いた時、「昭和天皇」を挙げた回答が多かった。それだけ国民に親しまれ、敬愛されていらしたという事でしょうね。

 寛仁親王 私が解釈しているのは、先帝様(昭和天皇)ほど、戦前戦中戦後という日本国が蒙った未曾有の大波乱、国難の時代を国民と苦楽をともにされた方というのは、他にいらっしゃらない。そこを国民はよく見ているのだと思うのです。私は、戦後生まれですから戦前戦中は判らない、先帝様の足元にも及ばない訳です。あれだけの国難に毅然として立ち向かわれた方はいません。しかも、公平無私という言葉が見事に当てはまる方でしたね。だから、鮮やかに印象が残る方といえば、私だって先帝陛下としか答えようがないと思います。

 ─ 殿下は皇族のあり方について、何度か昭和天皇とお話をされたそうですね。

 寛仁親王 皆さん方も一族の中で、長老とか中堅とか若造といった区別があると思うのですが、皇族の中では明快に序列が決まっていますから、しょっちゅうお会いしている割に、議論をするという事はなかなかないのです。私は子供の頃から、秩父宮様や高松宮様の所へお伺いして、よく議論を繰り返したものですが、同じ伯父様でも陛下の所へはそんなに行けないでしょう。
 それが、札幌オリンピックが終わってしばらくたった頃でしょうか、高松宮様にお願いして、「陛下とサシでお話をしてみたい」と伺ったのです。将来の皇族のためにね。高松宮様が間を取り持って下さって、確か二度、まったく二人だけの会談が実現しました。その時に、震え上がったのは、陛下が「自分の意見を言った事が二度ある」とおっしゃった事です。それが世間に漏れていない話だったので、吃驚したのです。一つは二・二六事件の時に、ご自分で「馬引け」とおっしゃったのですね。そして鎮圧に行くと。二度目は(終戦を決めた)御前会議で、和平派と継続派が三対三となり、鈴木貫太郎首相(当時)が「三対三で決着がつきません」と絶妙のタイミングで陛下の御意見を伺った時です。ただ、陛下は御自分の意見を聞かれたので答えられた訳で、「御聖断」とはニュアンスが違うと思います。決して立憲君主の道を踏み外された訳ではないのです。私がこの話を聞いた時は、まだ世に出ていなかった訳ですから、背筋が凍る気持ちがしました。これは他言出来ないぞと。それが、その後の記者会見で陛下、おん自ら、この話を明らかにされましたので、私も平気で話が出来る訳です。それがとても印象的でしたね。

オーラが違った昭和天皇

 ─ そうですか。

 寛仁親王 それから、どの御進講をされた方々も陛下のお詳しさに吃驚して感動される。実に色々な事を御存じなのですよ。私の体験でも、陛下は全部、お見通しなのですね。私がやっていた青少年育成の仕事について、間題点をお話をした時に、陛下が質間を色々となさる訳ですが、それがビシッと来るんですよ。「どうしてそんな事まで御存じなのですか」とお聞きしたかったですね。陛下は知事や市長クラスの人々から、良い事しか聞いていらっしゃらないだろうと思っていたのですが、とんでもない。そういう点が凄い方でしたね。
 そして、これは先程も申しましたが、陛下が戦前戦中戦後と、あらゆる国難の中で、様々な人と会い、色々な決断もなさらねばならなかったし、様々な事を真剣に深く掘り下げてお考えにならねばならなかった。もの凄く大変な経験をなさった。それから戦後の御巡幸もあります。炭鉱の中にまで入られたりして、様々な人を激励され、お話をされた。そういう事が大きいのだと思います。いずれにしても我々若造ではとても勝てません。私は還暦を過ぎましたが、それでもご生前の陛下にはとても勝てない気がします。それは例えば、人間に会った数では私も負けないと思いますが、公平無私とか、心から本当に平和を望んでおられる強いお気持ちとか、一視同仁というか、もう人間を超越されているような気がしますね。

 ─ それは、凄いですね。

 寛仁親王 これは言葉にするのが難しいのですが、園遊会とか我々のパーティーに陛下をお招きした時に、陛下が入ってこられると、そこに不思議な事にオーラのようなものがあるのですね。そこに陛下がいらっしゃるんだという事が判ってしまう。それだけの存在感がおありになりました。私は結婚する時に、カミさん(信子妃)にこう言ったのです。「俺は非常時にあなたを助けない」とね。まず第一にお助けしないといけないのは陛下である。その次は高松宮殿下である。私はこのお二方に大変お世話になった訳ですからね。それというのも、皇族がみんな集まった時に一番近くにいるのは皇宮護衛官や警視庁の警衛担当ではなく、私ですから、皇室の用心棒を自任していたのです。「おまえさんを助けないから覚悟しておけよ」と話したらカミさんは、かなり吃驚していましたけどね。

 ─ 「お二方にお世話になった」というのは、どのような事でしょうか。

 寛仁親王 本当にお二方にはお世話になりました。陛下には天子様というものに対する尊崇の念とその実力に対して、同じ男として、その存在感は逆立ちをしても勝てないという事実に対して、敬意を表していました。高松宮様は私の水先案内人のような事をして下さつた。私には兄貴がいませんから、伯父様の後だったらどこにでもついて行く。そういう感じでした。当時の皇室は父もいましたし、他の皇族方もいらっしゃいましたし、皇族が万全、盤石でした。だから私達のような陣笠″が何をやっても安心する事が出来たのです。皇室がビクともしないと思っていましたね。意外と私は慎重派で、新しい事をやる時には皆に相談して、特に高松宮様には議論を吹っ掛けて、とことん詰めて、それで「よかろう」という事で動いていました。メディアに出るというこれまでの皇室にはない事をやったのも私ですし、DJもやりました。でもそんな事が出来たのも皇室が盤石だったからですね。

 ─ 今はそうではないと。

 寛仁親王 平成になってからは、皇室をタレント扱いするような風潮がメディアに出てきました。これで私はメディアに出るのをやめてしまいました。皇族というのはタレントではありません。でも、同じ週刊誌のグラビアに皇后さまが写られて、その次にタレントが出てきてしまったり、雅子さまや紀子さまがモデルなどと同じ週刊誌に登場されれば、国民は皆そう思ってしまいます。(皇族というのは)特殊なタレントだとね。そうあってはいけません。やはり皇族の殿下方は国民に要望される公務を粛々とこなされる。皇后陛下や皇太子妃、一般の妃殿下方は、国民を仁慈あふれるお心でいつも温かく見守って下さるというのが務めだと思います。だから今回の皇室典範のアンケートの問題も、こういった風潮に影響されているのだと思います。それではいけないと思います。

今上陛下のご心中

 ─ 天皇陛下は今回の問題についてどうお考えなのでしょうか。一部には女性・女系天皇容認を陛下の御意思であるかのように伝える動きもあるようですが。

 寛仁親王 (女系天皇容認が陛下の御意思ということは)それは違うでしょう。私が推測するに、平成の御世にきちんとした道筋を立てて置きたい、というお気持ちは陛下として当然、おありだと思うのです。それを(宮内庁)長官や、侍従長に「きちんと整備して欲しい」という事は当然、おっしゃったでしょう。逆におっしゃらなけらば、私の方から「どうなさいましたか?」と聞きたいぐらいですから。でも、天皇というお立場上、「女帝でいい」とか「女系でいい」とか、「誰それを連れてこい」というような細かい所までおっしゃる筈がありません。私は(今上陛下の)御訪中の時も大反対で、あらゆるチャンネルを使って反対の論陣を張ったのですけれど、結局、私達は惨敗しました。あの時も、陛下の御意向であるかのように吹聴して回っていた連中がいましたが、実際には陛下から直接聞いた人は、一人もいなかったといいます。今回もその時に似ていますね。

かつては想像もできなかった事態

 ─ 昭和天皇は戦後の十一宮家の臣籍降下の時に、随分反対されたようですね。あれから約六十年たって、ある意味、今日の事態は予想されたようにも思えます。

 寛仁親王 正直言いまして二十六年前結婚した頃は、このような状態になるとは想像もしませんでしたね。だって、皇太子さまも秋篠宮さまも健康でいらしたから、次々と男子がお生まれになると思っていました。私達は傍系だと判っていましたから、娘が二人で、満足していました。男系は万々歳だと思っていたのです。私のみならず、誰も予想しなかったでしょうね。私の弟達もいましたし。
 十一宮家の臣籍降下については、当時、陛下が全員をお呼びになって、「誠に残念な事態になった」とおっしゃって、当時の宮内府次長が、万が一の時のために復帰の事をお考えになって身を謹んで頂きたいというような事を話したそうです。だからそういう方策があるという事を声を大にして言って置きたいですね。

 ─ 十一宮家の方々と最近、お会いになった時に、今回の問題について、お話をされることもあるんですか。

 寛仁親王 最近、神社本庁の統理をなさっている久邇邦昭さんにお目に掛かった時に、「神社本庁、しっかりして下さい」と言ったのです。神社本庁はすでに総長名で二度、慎重審議を求める申し入れを官房長官にしていますから、頑張って下さいよと言った訳です。でも、久邇さんも困っておられましたけど、メディアが「コメントを出せ、出せ」とひっきりなしに言ってくるそうです。でも久邇さんも当事者の一人だから御自分では言えないでしょう。神社本庁の統理としては言いたい事はあっても、久邇邦昭さんとしては言えない訳です。「コメントを出せば、まるで自分が皇族に戻りたいように思われてしまう。自分はそんな気はないのに」と話しておられました。他の(旧皇族の)方々もおっしゃれないですよね。当事者ですから。私だってそうですよ。指示をしている訳ではなくて、「考えて下さい」と提案しているだけですから。それを判断するのは私じゃなくて、皆さんなのです。

 ─ でも、「火中のクリを拾う覚悟」で殿下が発言された事に対し、有識者会議の吉川座長が「どうってことない」という発言をしましたね。

 寛仁親王 「その言い方はないでしょう」と思いましたけど、有識者会議の機構や人選については政治マターですから、何も言わない事にしています。ただ、ロボット工学の専門家だから、人間の言葉が判らないのかなと(笑い)。敬語とか丁寧語がね。「ありがたく拝聴しておきます」というように言っておけば、何の問題も起きないと思いますが。

 ─ 殿下が提案されている選択肢のうち、あえて順位をつけるとすると、どの案がベストでしょうか。

 寛仁親王 (現在の皇室の家系につながる)開院宮家は、江戸時代に新井白石の提案によって創設されました。いわゆる「血のファーム」を残して置く、という意味ですね。白石は本当に良い提案をしてくれたと思います。私の提案はエッセーなどに書いた通り色々な選択肢がありますが、まず二段階あると思います。単純に旧皇族方(戦後、臣籍降下した十一宮家)に皇籍復帰して頂くというやり方もあるし、祭祀をお祭り頂くために、秩父宮家、高松宮家を継いで頂く、という方法もあります。そのあたりのことは歴史学者や法律学者が真剣に議論して下さいという事なのです。私達、素人には言えませんから。でも大雑把に言えば、養子縁組と一般的な皇籍復帰と祭祀を続けて頂くための皇籍復帰と、いくつかの方法があるでしょう。

父親としては困る話

 ─ 殿下の二人のお嬢さま方も当事者になります。

 寛仁親王 うちの娘達(彬子女王、瑶子女王)が一番、適齢期に当たる訳ですよ(二十四歳、二十二歳)。これは、私個人としてはえらく困る話です。父親としてはね。というのも、いずれ臣籍降下するという前提に立って、社会に放り出された時に大丈夫なように、死に物狂いで育ててきた訳ですから。娘が小さいころ、侍女に対して「約束した事をやってくれなかった」と居丈高になって怒ったりした事があったのですが、それを聞いた私は、もの凄い勢いで娘を怒りました。「この人達はあんた達が雇っているのではなくて、俺が雇っているんだ。筋違いの事を言うのじゃない。お前達が何か頼みたい時は下手に出なければいけない」とね。学校への通学も、両親が私にした教育方針と同じように、中学からは電車で(小学校は徒歩通学)通わせました。また私がグリーン車に乗る時も、娘達は普通車にとか、全部区別をして、一般人として生活が出来るようにしたつもりです。(イギリス留学中の)長女は寮で自炊生活をしています。だから、「いまさら皇族に残れよ」というのは父親としては言いづらいですね。ただ、法律が決まってしまえばそれに従わざるを得ませんけどね。

 ─ そのことで、お嬢さま方とお話をされることはよくあるのでしょうか。

 寛仁親王 それは、もう何回もしています。

 ─ お嬢さま方にとっても、やはり困る話ですか。

 寛仁親王 当然ですよ。「私達はそんなつもりで生きてきたのじゃない」と言っていますよ。私の意見と同じようにね。ただ、今回の答申を細かく読めば、対象はあくまで内親王さまにしているようですね。女王たちは皇室会議の議をへて、臣籍降下をする事も出来るような書き方をしているようですから、うちや高円宮の所(三人の女王)は考えていないのかな、とは思いますけどね。

 ─ では、法律が変わる前に結婚された方がいいかもしれませんね。

 寛仁親王 そうですね。二人とも結構もてますから(笑い)。

自信のない親たち

 ─ 今回の皇室典範の改正問題とも関連しますが、今の日本社会は、大切なもの、土台のようなものが、根底から揺らいでいるように感じます。ニート、フリーターといった若者が増えている事もその一つだと思います。長年、青少年育成に取り組んでこられた殿下は、こうした問題をどう、御覧になっていますか。

 寛仁親王 このあいだも、ある若者に会って、「おまえ大学卒業したのではないのか」と聞いたら、「しました。でも今、ニートをやっています」と言うのです。「ふざけるな」と怒ったら、若者の答えがふるっていました。「僕は攻撃的なニートです」と(笑い)。そういった若者が確かに多くなっているらしいのですが、私は日本ほど優秀な民族はいないと、信じて疑っていないのです。今問題になっているのは、御両親が三十代後半から五十代に差し掛かったぐらいの方が多いのではないでしょうか。その十五年間ぐらいかニ十年間の年代の御両親が頼りないのですよ。その子供達がニートになる事が多いのじゃないでしょうか。
 私は還暦を迎えましたが、私達の年代の子供達にはニートなんていませんから。私なりの解釈ですが、昭和四十年代前半に大学にいた連中は、世界中が大きく揺れた時代の中にいました。私達、体育会系の人間は、どれだけ左翼の連中と対決したかわかりません。大学の学園祭に講師として呼ばれた時には、「天皇制反対」と叫んで会場を占拠した過激派の連中に「訳も判らずにわめくのじゃない」なんて言い返したりね。それから、私達が生まれた時はまだまだモノがない時代でした。うちも貧しかったそうです。葉山に疎開中に生まれたのですが、お袋自ら畑を耕して芋を作っていたような世代ですしね。だからいまだにコーラとかアイスクリームとかは、賛沢品だと思います。うちの冷蔵庫にはそんなものはなかったですからね。

 ─ そうですか。

 寛仁親王 そして、日本の復興時代に青春を過ごした訳です。だから明るかった。確かにモノはないし、遊ぶものはない。運動部に入ると、スパルタで滅茶苦茶にしごかれる、ぶん殴られますし、教師も乱暴でしたね。とにかく荒々しかった。それがある時、九歳年下の(弟の)高円宮から、「生まれてこの方、喧嘩をしたことがない」と問いた時には仰天したものです。我々は電車通学していましたから、学習院の制服を着ていると、よく喧嘩を売られたものでした。相手は、こちらが皇族という事も知りませんからね。ボコボコ殴られる。こちらもやり返しました。でも、基本的に明るかったのです。陰湿な所がなかった。
 でもその下の年代はそうではない。どこか自信がないように見えます。子供の頃に過激派の挫折を見たせいかもしれません。「あの、世界を震撼させた過激派ですら世の中を変えられなかった」とね。例外はいくらでもあるとは思いますが。だから、ニートの子供達を怒るのではなくて、私はその親を怒りたいですね。

「無」の大切さ

 ─ 育った時代の違いですか。

 寛仁親王 私達の時代は本当に何もなかった。それが良かったのです。酒が飲みたいのですが、高くて飲めない。そんな時は、「先輩飲ませて下さい」と頼んだりね。両親が飲みませんから、お中元、お歳暮に酒がほとんどこない。たまに来ると、老女と私と弟とが取り合いをする訳です。「こっちは飲みたい」。向こうは「隠したい」(笑い)。そんな時代ですから。今は情報過多です。何でも出来る代わりに、何を選んでいいのか判らないのだと思うのです。
 私達は小さい頃、姉、私、弟と一緒に六畳の間で寝起きしていましたが、今の子供達は最初から個人部屋が与えられていますからね。だから、一つ理由を挙げるとすれば、あまりにも「有」過ぎるという事です。私の時代などは、ガールフレンドをうちに連れてくるのだって大変だったものです。それが、弟の時代になると、お袋も免疫が出来てしまって、何にも言わなくなりましたよ(笑い)。遊ぶものもないから、運動部の活動に三百六十五日、集中せざるを得なかった。家に帰っても自主トレばかりですよ。そんな私達の世代に育てられた子供の世代には期待しています。

 ─ イギリスでも同じような経験をされたそうですね。

 寛仁親王 オックスフォードに留学した時に感じたのですが、あそこも「無」なのですね。多くの先生方と図書館とスポーツ施設とパブだけはいやになるほどたくさんありますが、映画館は二軒しかないし、女の子のいるクラブもない(笑い)。本当に無でした。無であるからこそ、人間の大切さを再認識出来るのです。何も遊ぶものがないから、必死になって友達獲得作戦をする。そのうちに、週末になると、パーティーに呼んでくれるようになり、友達の輪がどんどん広がりました。それから、イギリスで有り難かったのは、秩父宮様(留学)時代のゆかりの人たちが、まだたくさん残っていた事です。「私はプリンス・チチブと仲良かったんだ」という人達の子供達が私の学校にいたりね。その人達の子供達と長女がまた付き合っているのですよ。

 ─ それは素晴らしいですね。

 寛仁親王 それも「無」だからですよね。だから、ニートについてもあまり心配はしていません。情報過多の時代に、自分が何をしていいのか判らない、平和のぬるま湯の中にいるだけです。いざ国難となれば、日本人は皆、立ち上がりますよ。間違いないと思います。
 国旗・国歌だって、外(外国)で目にしたり、耳にすれば、日本人は誰だって背筋がぞくぞくするものです。中(国内)にいるから判らないのですよ。安穏としてぬるま湯の中に入っていて、出るに出られず、「出たら風邪をひきそうだし、もう少し入っていようかな」というような状況だと思うのです。それから今は悉くメディアが報道してしまうでしょう。私は、報道されなくて、どれだけ助かった事か。学生時代にね(苦笑)。だから、皆、自由に出来たのですよ。

世界で通用する選手を養成するには

 ─ さて、もうすくトリノで冬季五輪が開幕します。スポーツがお得意な殿下も、日本勢の活躍を期待されていらっしゃると思います。

 寛仁親王 フィギュアスケートとスピードスケート、ショートトラックなどは期待出来るのではないでしょうか。三十年前は、スピードスケート界にも強い選手がいませんでした。それが、今はずっとメダルを連続して獲得しているでしょう。その他にも、ハーフパイプやモーグルも結構、いい線まで行くかもしれません。すごく若い選手も出るでしょう。ジャンプにも十六歳の若い選手が出ますね。

 ─ ウインタースポーツにかかわらず、昔に比べて日本勢は世界の舞台で随分強くなったと思います。二〇〇四年のアテネ五輪でも、活躍しました。

 寛仁親王 私はアテネで銀メダルをとった自転車競技のバックアップをしていたのですが、シドニー五輪(二〇〇〇年)の後から、オーストラリアの名コーチをフルタイムで招いたのです。彼はトレーニングと実際の技術をみるコーチなのですが、そこに通訳を張り付けて、栄養士と医科学の専門家をくっつけました。実に素晴らしいスタッフがそろったのです。そのお陰で、本当は北京五輪(二〇〇八年)が狙いだったのですが、信じられない事にその前のアテネで銀メダル(プロスプリント)をとってしまいました。今の世界は勝ちたいのなら、こうしたスタッフを揃えないとだめですね。逆に成績が上がらないスポーツは、こうした事が出来ていないのだと思います。一番大切なのはコミュニケーションです。外国からせっかくいいコーチを招いても、通訳すらつけていないケースもあるのですよ。もはや、日本語だけでやっていてはだめなのですね。

 ─ 最近は女子選手の活躍が目立ちますね。

 寛仁親王 私はテニスのジュニアの大会にカップを出しているのですが、聞いた所、ジュニアのレヴェルでは男女とも世界で負けないそうです。でも、男子は高校生ぐらいになり、進路を考え始めると、本人と周囲がぐらついてしまう。この道で食べていけるのかという事です。でも、女性はそんな事はお構いなしに、延々と頑張り続けますね。

 ─ ゴルフも女子ですね。

 寛仁親王 中でも宮里藍ちゃんは、いいですね。きっと、お父さんがしっかりしていらっしゃるのだと思います。試合後のインタヴューを見ていても、実に見事な受け答えをしていますし、プレーぶりも堂々としていますしね。技術的のみならず、人間性もしっかりしていますよ。しっかりしていない選手は大人が鍛えていないんです。

 ─ ゴルフは紳士のスポーツですからね。

 寛仁親王 今でも、軽井沢のゴルフ倶楽部は、プロを入れません。つまり、イギリス人は高尚な趣味として、ゴルフなり、乗馬をしているのに、それを「おまんまのためにやるとは許せない」というのが、イギリスで始まったアマチュアリズムなのでしょうね。私も「殿下扱いしない」と言われましたよ。クラブハウスに入ったら、一般の会員と同じ行動をしてほしい。入会金も払えとね(苦笑)。

 ─ そうですか。

 寛仁親王 ルール、マナー、エティケットというのは、いったんそれを知ってしまうと、随分楽になるのですけどね。みんながそれを知っていると、黙っていても、諸外国と共通のルールで出来る訳ですからね。私はグッド・ルーザー(名誉ある敗者)という言葉も好きですよ。そしてそれを称える勝者がいるのです。

 ─ 本日は、いろんな分野にわたって長時間、お話を伺う事が出来ました。ありがとうございました。

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