「日本の息吹」平成十八年二月号

皇室典範問題は歴史の一大事である

  女系天皇導入を憂慮する私の真意

寛仁親王ともひとしんのう殿下

 聞き手 小堀桂一郎
    (東京大学名誉教授・日本会議副会長)

政治をはるかに超える問題

小堀 殿下は咋十七年九月に「皇室典範に関する有識者会議」(以下、有識者会議)の動向を深く憂慮されまして、男系を以て貫く万世一系という皇室伝統の堅持に向けての所感の一端を「柏朋会」の会報で私的な随想の形でお書きになりました。この冊子の扱いには私共も十分注意いたしましたが、内輪向けのお話が結果としてどこからか漏れて、十一月の初めに読売新聞に公表されてしまいました。そしてインターネットでもこの情報はかなり広い範囲に流れ、一部の月刊誌にもそっくりそのまま掲載されるということが生じ、殿下もさぞご不快であられたのではないかとお案じ申し上げておりました。けれどもその反響には意外なほどに好意的な声が多かったようであります。殿下のご憂慮はよくわかるし、また殿下がそこまで憂慮されているこの事態を、我々草莽の民が黙って見ていて良いのかという空気を巻き起こす力にもなったようです。あの時のご発言に踏み切られたそのご心境とその反響についてご感想をいただければと思います。

殿下 最初は、これが政治的発言にとられてしまうのではないかと大変問題視していました。ですから、まずは柏朋会の会員二百五十人ぐらいに、会長の意見ぐらい知って欲しいと思って書いたわけです。市販していませんし、プライベートの会報ですから。実は去年六月、柏朋会の総会のミニスピーチで私は通常は福祉の話をするわけですが、あえてこの問題に触れて「皆さん真剣に考えてくれないと困る。我々からあまり積極的に発信できないのだから」と言っていたのです。それを活字に変えただけのことでした。
 私の真意は、国民に本当のことを知って戴きたい。そしてみんなに真剣に考えてもらいたいという所にポイントがあるのです。ですから結果的に、皆さんが私の言葉を引用して下さったり、それで正しい筋道を立てた話をしようという雰囲気になったことをとても喜んでいます。
 あの後、様々な方々の意見を聞き色々なものを読みました。そのなかで例えば明治の憲法と皇室典範が同格の法律であったというようなことを知るに及んで、法律を超えたものがこの皇室典範であり、天皇のあり方であろうと改めて思いました。もしも、この平成の御代で歴史を変える覚悟を日本国民が持つならば、これは慎重の上にも慎重なる審議の上行って頂きたい。これは皆様方がお決めになることですが、失礼な言い方ですが、郵政民営化や財政改革などといった政治問題をはるかに超えた重要な問題だと思っています。皇族はもともと政治や営利にタッチしないことがモットーであり、いまだかつて私は講演など公衆の面前ではいっさい政治に触れることは言っておりませんが、この典範問題は単純な政治問題ではなく、日本国の歴史が変わるか否かという大事と理解しています。ですから、今は遠慮なく皆さんの前でも発言するべしと現在は思っていますが、ひとたび法案が国会にかかってしまえば、皇族は政治的発言を封じられてしまっているわけですから、もう私は何も話せません。

陛下がおっしゃるはずがない

小堀 法案が国会に上程されるまでのいまの貴重な機会を逃してはならぬという気が致します。世間一般の好意的反応とは対照的に、有識者会議の座長吉川弘之氏が、殿下のご発言に対し「どうということもない」と実に無礼極まる感想を漏らしました。この一言はおそらく吉川氏に最後までついて廻る人格上の汚点として後世に記憶されるでしょうが、こうした強気な姿勢をとらしめているその裏面には、あの座長及び会議全体を動かしている何かの力が陰で働いているのではないかと勘ぐりたくもなるわけです。殿下には何かお心当たりはおありでしょうか。

殿下 皆さんが考え得ることは二つあると思います。一つは総理大臣が何としてでも任期中にこの大きな変革を自分の手でなしとげたいという気持ちがもし仮にあったとしたら、有識者会議はご自分のお作りになった私的諮問機関なので、万難を排してこの線でいけと指示を出しているという可能性が考えられます。
 もう一つは、これは絶対にあり得ないと私は思いますが、色々な人に聞くと、「これは陛下のご意思である」と言っている人がいるそうですね。周りの人たちが陛下のお気持ちを勝手に斟酌し、解釈してしまうことは、かつてのご訪中の時の二番煎じです。平成四年に陛下が中国をご訪問になった時に、私と私のブレーン四名は、二国間が平和な状況にないときに陛下に親書のために行っていただくことはまかりならんと反対論を唱えました。しかし、政治家や外交官が、「これは陛下のご意思である」と押し切って結局まとめ上げてしまったことがありました。櫻井よしこさんに伺った所によると、櫻井さんもそのことがとても不審で、後に一人一人に取材なさったそうです。けれども全くの嘘だったらしいですね。一人として直接、陛下からその話を伺った人はいなかったと。
 今度のことも、私は陛下と直接お話をしていませんが、陛下のお立場でああせよ、こうせよとおっしゃるわけがない。私は身内として陛下のお立場を考えた時に、陛下がおっしゃるとすれば、確かにこのまま行けば本当に先細ってしまうわけですから、平成の御代のうちに何らかの皇室典範の改定ということは必要であるから、きちんとしておいて欲しいということを宮内庁長官他に発言されたであろうことは想像に難くないと思います。ただし(女系だとか長子優先だとか)具体的におっしゃるわけがないということは声を大にして言っておきたいですね。陛下は、そういう細かな点を指示なさるようなご性格の方ではないということを私は良くわかっていますから、全く心配していません。総理がどうおっしゃったのかは知りませんが、陛下がどうこうおっしゃったということはまずあり得ないと思います。

小堀 何とかして今の総理大臣に私共の考えを通じさせるような意思疎通の回路はないものかと考えているところなのでございますけれども。

殿下 私の知っている国会議員の中にも、私と同じような危機感を持っている人が何人もいます。私の立場でこの人たちにどうするべしとは言えませんが、折に触れて「この間題は重要ですから、真剣に考えてください」とメッセージは送っているつもりです。

神武以来の・・・・・・

小堀 総理に私共の意見を通じさせる回路としては、やはり有力な国会議員を頼りにするより他ないということでございますね。これは立ち人った質問で不躾になることを十分承知の上で敢えておたづね申し上げるのですが、殿下のご両親、三笠宮崇仁親王殿下と妃殿下のお二方とは、この話題についてご意見の交換をなさった機会はお持ちでございましょうか。

殿下 我々は普通の家庭のように頻繁に一緒になったりすることはないんです。けれども柏朋会の私の文章が読売新聞にすっぱ抜かれた時に、誤解されては困るのですぐ母親の所に電話をしました。「読まれましたか? 親父はどう考えているのかしら?」と話をしました。本当は、私が発言するより皇族の長老である父に口火を切ってもらいたかったわけです。すると、母の話では、父は宮内庁次長を呼んで、あまりに拙速な動きについてクレームをつけているということでした。これは去年の十月ぐらいの話です。ああそうか、それは結構なことだ、もっとどんどんやって欲しいなと思いました。それから「お袋は女帝・女系になったら大変なことになること、わかっているの」と聞いたら、「もちろん大変なこと」だと言っていました。その後、父が年末に来たときに、「いいことを言ってくれたね」と、一言いって、さらに『八人の女帝』(高木きよ子著)という単行本を「読んでおいて欲しい」と持ってきて、それから月刊『文藝春秋』一月号に工藤美代子さんがお書きになった論文を、「私の意見はこれと同じである」と、娘の分までコピーして持ってきてくれました。ですから三笠宮一族は、同じ考え方であると言えると思います。
 やはり、万世一系百二十五代、二六六六年続いてきたのは世界に類を見ないのであって、それがなぜ続いてきたかというときに、その時代その時代で、今日のように議論しあって守りぬいてきたのではないでしょうか。あるときは和気清麻呂公のような人が出たりして、神武天皇のお血筋が男系によって保たれてきた。これは、今も我が国では家を継ぐのは男子が普通だと思いますが、皇室は日本人の宗家のようなものと考えれば、男系男子にこだわったのもうなづけると思います。
 これはちょっと余談ですが、私の次女が剣道三段で学生連盟の代表として、昨年独仏へ遠征することが決まって、その出発の日に父がやってきて言うには、「神武以来の画期的なことだ」と(笑)。このように意識の中に神武天皇の末裔であるということが常にあるのです。

皇族は存在していることに意味がある

小堀 最近、昭和二十二年に皇籍離脱なさいました竹田宮恒徳王のお孫さんに当たる竹田恒泰さんが『語られなかった皇族たちの真実』という著書を出版されました。非常に真面目な態度で綴られた手堅い研究書という性格もございますし、かつ現代史についての竹田さんの認識とその信ずるところを吐露したなかなか立派な著作だと私は評価いたしております。文章も明晰で、よく考えぬかれた上での著述と思います。殿下のご感想はいかがでございましょうか。

殿下 恒泰君のお父さん恒和さんは今JOCの委員長をやっていますが、私より一歳下で子供の頃から親しくしています。実は恒泰君は今度の本を書く前に孝明天皇の研究をしているんです。もう随分前になりますけれども、孝明天皇の本のまだワープロ書きの原本を、親父さんから、まず私に見せて検定してもらえと言われたらしくて持ってきたんですね。それで、歴史好きな娘にも読ませて、私と娘の意見を付けた付箋紙でいっばいになった『孝明天皇』を彼に返したことがあります。そこから彼との付き合いが始まりました。
 今度の新しい本には、私も知らないことがたくさん書いてありました。元宮様方のご苦労話は全く我々は知りませんで、分かっているのは各宮様の素敵なお家が皆プリンスホテルに買いたたかれてしまったことぐらいです(笑)。彼はよく勉強しています。継体天皇、後花園天皇、光格天皇という方々が、十親等位遠い所から、婿にお入りになったことを正確に教えてくれたのも彼でした。
 私がこの頃よく色々なところで発言していることは、我々皇族というのは究極的には存在していることに価値がある。それはつまり「血のスペア」だからだ、ということです。公的には団体の総裁をしたり、国体や植樹祭に行くなど色々ありますけれども、実際、突き詰めて考えれば皇統を絶やさないための血のスペアとして存在している。それが皇族の存在意義と思います。私みたいに現場監督が好きで、国民の要望があれば何であれ引き受けて飛び出してしまう人もいますが、それが本来の仕事ではないはずです。そういった意味で、彼が元皇族は、自分たちの責任を考えた方がいい、皆覚悟をしていた方がいいということを書いたことは、彼の真剣な発想なんだと思います。ただ実際そのお立場にいらっしゃる元皇族さん側からメディア、或いは国民に向かって発言をすることはお立場上とてもやりにくいでしょう。どの方が当事者になるのか分からないわけですから。それで皆さん方一応、積極的に発言することはしないということを申し合わされたということも漏れ承っているし、あれが限界だったのかも知れませんね。

皇室の藩屏とは

小堀 竹田さんの著書の中の一章で注意を引かれたところですが、昭和二十年の八月十五日に終戦のご詔勅が玉音を以て放送されます。その翌日、陛下が、朝香宮鳩彦王、竹田宮恒徳王、開院宮春仁王をお召しになり、東アジアの各地にまだ前線部隊として健在だった日本軍に、終戦の手続きを順調に果させる必要から、終戦の聖旨を伝達するための特使として、このお三方の宮様をそれぞれの現地部隊に派遣されたわけです。その御差遣御下命の現場を竹田さんが、なかなか見事に書いておられました。
 これはやはり皇室に一朝非常の事態が生じた場合に、皇室の藩屏としての皇族のご存在が如何に重要な意味を帯びてくるかを証言している貴重な記録であると思います。殿下の弟君なる高円宮憲仁親王の突然の薨去の際にも、皇室の藩屏にまた一つの大きな欠落が生じてしまったという悲運を痛感いたしました。今皇室の藩屏が数の劣勢という意味で明らかに弱体化しておりますけれども、この現状について殿下のご感想はいかがでございましょうか。

殿下 弟が亡くなった時に、今皇族の数が少ないから公務が多すぎて過労死ではなかったかということが言われたりしました。このことについて、ここではっきり言っておきますが、今の日本の皇族と国民との関係は、皇族にとっては全て受動態なんですね。決して能動態になることがないわけです。それは太古の昔からずっと我々は受動態で来たのだと思いますが、特に私が律しているのは自分からこれをしたいということを言わない、国民がこれをして欲しいと言った時に初めて出ていくということです。それでも私はある程度選別するようにしています。ところが、あとで弟の親しい友人たちから聞くところによると、弟は自分が出来ることは全部受けてしまおうという方針だったらしいですね。ですから直接の原因は、やはりスクウォッシュという激しいスポーツをする前にやるべきウォーミングアップ不足だったと思いますが、確かにその背景には日頃の過労の蓄積があったのかもしれません。
 おっしゃることも良く分かるのは、例えば日本赤十字社の大会は、毎年四十七都道府県で開催され、その全国の会場を妃殿下方がローテーションでお回りになる。十年以上前は、家のかみさんも含め秋篠宮、常陸宮、秩父宮、高松宮、三笠宮、高円宮の各妃殿下方が分担されていた。ところが、秩父の伯母様は薨去遊ばされて、高松の伯母様も五年間の闘病生活ののち薨去されて、私のお袋も高齢になって、結局、いま秋篠宮妃殿下、常陸宮妃殿下、家のかみさん、高円宮妃殿下の四人で全部回っておられる。確かに皇族の数は少なくなってきているのに比して、国民の要望はどんどん大きくなっている。陛下や皇太子さまの場合には、それはそう簡単にお動きになれない。ですから私たち皇族はそれをお支えする役目を担っているのです。政治家ならば、よく〇〇大臣代理とか言って代読者を立てますが、我々皇族の代理というのは、あり得ません(笑)。まさか宮務官を出すわけにもいきませんし。そういう意味で確かに仕事が多くなってしまうことは事実ですね。

小堀 私もかねてから皇室の藩屏の充実をという脈絡での元皇族方の皇籍復帰を訴えてきております。それと関連いたしますが、昨年お亡くなりになりました元請國神社宮司、松平永芳さんが、生前、繰り返し口にしておられたのが、皇室に何か非常事態が生じた時、最も頼りになるのは寛仁親王だよ、ということでした。この度の事態に接して松平さんの予言は実現したのだとの思いが強うございます。松平さんについて殿下のご追憶が何かございましたらおうかがいしたいと存じます。

殿下 彼もそう思ってくれていたのかも知れないけれども、松平さんは私にとってもとても大切なブレーンでした。本当によく彼とは話し合ったものです。ちょうど靖國神社の宮司として元気はつらつとしていた頃に、彼は一昔前の皇室というものをよく知っておられた。特にお父様の松平慶民さんが宮内府長官をお務めになって、そのお父様の思い出話として伺ったことの一つにこういうのがあります。
 多分、式武官の頃の慶民さんは、当時、皇太子殿下でいらした先帝様の御外遊を積極的に推進した一人でした。しかし日嗣の御子の御外遊を大層心配された貞明皇后は、随員名簿に慶民さんの名前を発見されると線を引かれたそうです。しかしながら、御外遊が大成功に終り先帝様もご満足だったことを知られて貞明様は、潔く慶民さんにお謝りになったという事です。この事が大正末年の秩父宮殿下のご留学が実現するのに役立ったはずです。
 当時の主従というのは言うべきことは言うけれども、失敗したら謝る。実に素敵な関係だったんだなと。そういう秘話を松平さんから聞いたことがありました。
 大正天皇の崩御で、秩父宮様は留学を途中で引き上げられましたが、一連の儀式が終わられたら復学のつもりで全部イギリスに残してこられた。慶民さんはイギリスに残って、秩父宮さまと何度も手紙を取り交わしていて、こんな束になっているのを松平さんから見せてもらいました。こっちは準備万端整っていますからいつでもどうぞという慶民さんからの手紙に対し、秩父宮様はこちらの世論は大正天皇が崩御あそばされたのにまだ遊学をするのかと世論が反対しているんだというような手紙ですね。結局、復学はおできにならなくなってしまうのですが、この慶民さんのように、あの当時は宮内省の役人の中に、昔の歴代の殿様など錚々たる人物がたくさんいてお諫めするものはお諫めし、麗しい君臣の関係がありました。もう少し古い話では山岡鉄舟が明治天皇がお若い時に相撲で投げ飛ばして胡麻をすらなかったという有名な話もありますが、古き良き時代の宮様方と臣下の家来たちの協力の仕方というものについて、松平さんから私は盛んに吸収するのに務めていました。
 彼とは本当に何でもよく話しました。靖國神社がどうあるべきかとかいうようなことも含めて色々なことにっいて、丁々発止の議論もしました。直接、堂々と政治家にも物申す人でもありましたし、同僚、あるいは一般国民に対してもこうでなければいけないということをきちっと言える数少ない人でした。今そういうことを言う人がいなくなってしまいましたね。本当にいい人材を失ってしまって残念です。

小堀 私も、靖國神社の宮司様であられると同時に、やはりこれは越前のお殿様でなければあり得ない風格だなと心から敬愛しておりました。

殿下 春嶽公の孫だけのことはありましたね。

小堀 まさに今日のような事態に立ち至りましたときに、松平さんがご存命であったならばどんなにか適切なお教えをいただけたのではないかとお偲びすること切なるものがあります。

正しい情報に基いた世論の形成を

小堀 最後に、日本会議の全国の会員に対し、何か一言メッセージをいただければ幸いでございます。

殿下 本来我々皇族は黙っていないといけないことだと思いますが、にもかかわらず私がこういうインタヴューに応じたり、かなり積極的に発言しているのは国家の未曾有の大事件と思うので、あえて火中の栗を拾いに行っているようなきらいがあります。やはり民主主義なるものは「民」が「主」と書くわけだから国民一人一人がしっかりした、確固たる意見をもって、それが大多数を形成して議会政治として実を結ぶということが原点だろうと思います。ところがあまりにも今、皇室、あるいは皇室典範に関する情報というものが、皆さんお分かりになっていなくて、女帝と女系の違いも分かっていないような方々が多い。また、かつての八人十代いらした女帝というものがどういう存在であったかとか、あるいは宇多天皇は臣籍降下なさっていたのがお戻りになって即位されたとか、継体、後花園、光格という三天皇様はとても遠い傍系から婿となって入られて天皇職を務められたという歴史的先例を、国民一人一人が把握しているとはとても思えません。
 皆さんが民主主義を守っていこうとなさるのなら、個々人がしっかりして戴かないと困ります。皆さんが考えに考え抜かれたうえで結論がAになろうがBになろうが、我々にはそれに反対する理由はありませんが、もし情報が全くゼロの中で○か×かとやられたらたまりません。その意味で、この記事は出来るだけ広く読まれて欲しいし、真剣にメンバーの皆さん方が考えて下さって、また周りの方々に広めて運動体にして戴いて、本当の世論を形成して戴きたい。女帝に七十何パーセント賛成しているというような世論調査の結果は、まだそういう正しい情報が行き渡っていないからではないでしょうか。ですからしっかりした意見をもって皆さんが声を上げてくださることが今一番必要なのではないでしょうか。

小堀 本当にその通りだと思います。今日は種々の行事で日程がぎつしりと詰っていると承っておりますのに、そのお忙しい時間をお割きいただき、お話を賜わりましたこと、まことに有り難うございました。(平成十八年一月九日インタヴュー)

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