「日本の息吹」平成十八年二月号

日本文明の核を守りぬけ!

  櫻井よしこ ジャーナリスト

◎皇室は神話から生成した制度

 戦後、日本の教育や家族のあり方が大きく変化を遂げたのは、本当に必要だったからではなく、アメリカの価値観の導入によってもたらされた側面が大きく、現在の皇室の基本的なあり方も、第二次世界大戦で日本が敗戦した後、占領時に生まれたものです。昭和二十七年に独立を回復してから五十年以上経ちましたが、本来ならばその間に日本の国柄そのものに戻る努力をしてくるべきだったのです。それが為されず、今回、皇室典範改定の問題といういわば究極の形になって私たちに突きつけられました。
 歴史は民族生成の物語です。日本の場合、初代神武天皇は紀元前六六〇年頃に百二十七歳まで生きたと言われる方ですから、これは半分以上神話の世界です。神武天皇の曾お爺さんはニニギノミコトという神様で、さらにそのお祖母さんは天照大御神であったというと、これは神話以外の何ものでもない。つまり我が国の皇室は、神話から生まれ出た、民族生成の物語を形にした制度だと言えます。
 その制度が万世一系と言われる男系天皇制の下で、お血筋を保ちながら二千六百六十五年間、今日まで続いてきました。途中、男系のお世継ぎが絶えそうになった時、女性天皇を据え、その間に男系の血筋を引く男子を探し出して天皇に据えました。それは十親等も八親等も離れていた。その様な努力を重ねてまでも、男系天皇制というものを繋いできたわけです。それを現在の価値観で判断をすること自体まちがっていると思います。百歩譲って現代の価値観で判断するのであるならば、せめて国民の大半が女性天皇と女系天皇の相違くらいは認識した上で、意見を募り、民主的なやり方で変えるべきです。しかし私が色々な会で、女性・女系天皇の違いが分かるかを問うと、ほとんど手が挙がりません。つまり国民の大多数は皇室典範改定問題の本質を、まだ理解していないのです。
 小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が結論を出しました。しかし、いきなり男系天皇制から女系天皇制に変わり、長子相続であると言われても、国民にとってはこれがどのような影響を及ぼすのかさっぱり分からない。有識者会議は説明責任を全く果たしていません。

◎喧伝される危険な論

 有識者会議の吉川弘之座長は「この結論は日本の歴史や文化、文明、伝統というものを元にして作ったのではない。現実の問題を見て考えた」と仰っています。しかし天皇を戴く皇室自体が、.神話の世界から生まれた民族生成物語の象徴なのです。たとえ不合理に見えようとも、日本人の心のあり方を反映したものであり、日本人の判断の積み重ね、心の積み重ねなのです。この積み重ね、則ち日本文明を形として代表するものが天皇制です。このあり方を、日本の文化も歴史も考慮せずに決めようとは有識者らしからぬ判断だと思います。
 三笠宮寛仁親王殿下が男系天皇が宜しいのではないかというご意見をプライベートな形で発表なさったとき、吉川座長はこのご意向を「何と言うことはない」と言って全く無視しました。すると、あのように無視することが出来るのは、その後ろに今上陛下のお気持ちがあるからだろうというようなことを言う方々が出てきました。憲法では、天皇陛下は政治に介入なさらないとなっております。それでも内々に、その様なお気持ちをどこかで漏らされたのならば、どうも議論がしにくい気分に陥ってしまうわけです。
 これに関して一九九二年、天皇陛下のご訪中に反対する声に対して、国内の親中派が「陛下の御意思である」と喧伝したことがありました。当時私は、関係者全員に取材を申し込みましたが、誰一人として、誰がそのことを聞いたのかを言明することができなかったのです。
 今回の問題で、天皇陛下の御意思が反映されているということは、私は絶対に無いと思っておりますが、このような噂が出てくること自体、無理なことを無理矢理ある一定方向に導こうとする力が働いているのだろうと思います。このような論が出てきた時には、非常に危ないということを察知しなければなりません。

◎自己破綻している有識者会議の報告

 有識者会議の報告は、自己破綻、自家撞着も甚だしい点が多々あります。例えば、浩宮殿下、秋篠宮殿下、そして男系天皇制の下で愛子内親王殿下が女性天皇となり代を繋げる間に、かつて十親等も八親等も離れていたところから男系の天皇のお血筋を引いた方を連れてきたように、そのような努力もしてみる価値があるのではないかという民間からの提言に対して、有識者会議の報告は反論をしています。戦後約六十年間一般人として過ごしてきた人たちが、今更皇族に復帰することが国民にとって受け入れがたく、誰も有り難いとは思わないと書かれてある。しかし報告書のように、女系天皇、長子相続を容認した場合、一般国民から夫または妻を迎えることが日常茶飯になり、これらの方を私たち一般国民は、どのようにして認めればいいのでしょうか。甚だしい論理矛盾です。
 また確率でもって男子.女子が生まれる割合をはじき出しています。例えば今、五人の男系男子の皇族がおられると仮定して、結婚して、子供の世代では男系男子のお子さんが三・二三人、孫の世代では二・〇八人、曾孫の世代では一・三四人と激減し、男系天皇制は続けることが出来ないと計算結果を示しています。このようなことは天の配材と言うべきものであつて、数式で決めるべきものではないと思います。
 そして報告書は日本の皇室は独自のものであるが、ヨーロッパの王室に学びそのあり方を整理することも大事だと書かれていますが、西洋の王室と日本の皇室は根本的に違っていて、日本の皇室は権威の象徴、西洋の王室は権力の象徴です。日本の皇室は長く住まわれた京都御所は武人が造り上げた江戸城と違い、お堀も塀もありません。僅か三十センチばかりの疎水が流れているだけです。その気になれば誰でも御所に入れるわけですが、織田信長でさえもその様な暴挙はしなかった。二千年にも渡って、疎水一つでしか隔てられていない御所に押し入つて強盗を働こうとした人はおりません。これは皇室が国民と共にあったという一つの象徴的な事実です。日本の皇室を西洋の王室と同列に論じることは、おかしいことだと思います。

◎天皇の歴史は日本人の心の積み重ね

 私は何が何でも古いものをそのまま継ぐべきだとは思っていません。ただ天皇制の二千六百六十五年の長い伝統は、私たちの祖先の幾百世代の人たちの価値観、心の積み重ねなのです。その文明を継ぐ者として恥ずかしくないような制度を考え、次へと続けていかなければならない。
 天皇制のことを論じるのにはまだまだ十分な時間があります。たった一年、十人の有識者の十七回の非公開の会議によって、しかも度々欠席者があったような会議で、二千六百六十五年間続いて来た、日本文明の伝統・歴史の核である天皇制を変えるのは暴挙だと思います。
 一つ私が心配なのは、小泉総理大臣がこの報告書を「大変意義深い」と評価していることです。小泉総理は、はたから見ていると一度言い出したら聞かない性格の方のように思えますが、もしそうならば今度の通常国会で何が何でも通すだろうと思います。意外に問題意識を共有することなく、強行に通されてしまうのではと、非常に心配をしています。それを妨げる力は、世論の力しかありません。支持率を気にする内閣に対しては支持率でもって応えることです。皆様方の百万人力のお働きをお願いしたいと思います。

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