「日本の息吹」平成十八年二月号

万系一世は神の末裔すえ

  インタビュー 京都大学教授 中西輝政

男系による万世一系の系譜こそ、神の末裔なる皇統の意識を高めてきた。一方、女系とは即ち王朝の交代に他ならない。

◎イギリス、デンマ─クは男子優先

─ 本日は、「皇室典範に関する有識者会議」(以下、有識者会議)の報告書の内容について、「第一子優先」及び「女系天皇容認」の二点について、お伺いしたいと思います。

中西 まず、「第一子優先」についてですが、私は、有識者会議のこの結論を見て正直いって愕然といたしました。これは日本国民一般の社会通念とおよそ相容れないものです。例えば、今日でも先祖供養とかお墓の管理など家庭祭祀はやはり大抵は男子優先でやっているわけです。
 それから、よくマスコミ等が比較に出すのがヨーロッパの君主国です。確かにオランダやスウェーデンなど、第一子優先の王位継承システムを採っている国もありますが、スペイン、イギリス、デンマークなどのように男子優先を採っている国もあります。ただ、二千年にわたる歴史を持つ日本の皇室と高々二百年以下の歴史がほとんどのヨーロッパの王室とを同列に論じること自体、無理があります。
 例えば、スペインは共和制と王制との交替を繰り返してきた国です。オランダは、ナポレオン戦争後のウィーン会議(一八一四〜一五)で国際政治上の必要性があって、共和国が王国となり、王室もその中の一貴族から格上げになった王室です。ベルギーは、一八三〇年代の独立戦争時、フランスに併合されようとしたとき、イギリスが同じ王制を採らせればこれを阻止できるとして、共和国になるはずが王国にさせられたという経緯でできた王室です。スウェーデン王家は、ナポレオンの副官でありながらナポレオンを裏切って連合国側に寝返ったベルナドット将軍が、その功績によりスウェーデン王に据えられたという発祥なわけです。ノルウェーは二十世紀の始めスウェーデンから独立してやっと王国になった百年足らずの王家です。また誤解されているかもしれませんが、リヒテンシュタインやルクセンブルグ、モナコなどは王室ではなく、大公国というように、いわば貴族の自治領地を勢力均衡上の理由から形式的に「独立国家」としただけです。
 このように、ヨーロッパの君主国は、その多くが二百年以下の歴史しか持たず、しかも諸国の勢力均衡という国際政治上の取引によって生まれた王家が多く、到底、わが皇室の比較対象にはなりません。かろうじて、ヨーロッパで最も古く数百年の歴史を持つイギリスとデンマークの王制が取りあえず比較対象の資格があるとすれば、両国とも男子優先制を採っていますので、第一子優先とした有識者会議の結論とは大きく異なります。

◎男系とは神の末裔を担保するもの

─ 「女系天皇」の問題についてはいかがでしょうか。

中西 まず、これまで百二十五代という長い歴史のなかで、男系をつなぐために、側室からの庶子継承や傍系継承など、ある意味でとてつもない無理を重ねてきたのは、なぜなのかということですね。ことに繰り返し何度も遠い傍系からの男系継承を優先させてきた。その根拠は父方の血筋を辿っていけば天皇に行き着くから、ということです。そこには、天皇家という家族ではなくひとつの氏族、いわば複数のファミリーの統合体として、あえて遠い御祖先の血を継承していくというはっきりとした構想が見て取れます。
 どこの君主国でも一応「血筋は続いている」ということは言うわけです。しかし日本の皇室の「万世一系」という独特の表現は、文字通り掛け値なしにそれが実践されてきたということを示しています。なぜそこまで厳密にこだわったのか。それは、その万世一系の系譜が神武天皇、ひいては天孫降臨のニニギノミコト、天照大御神というように神話の神々に直接つながるからです。つまり万世一系の系譜の御自覚が即、神の御子孫、即ち神の末裔すえであられるとの御自覚につながってくるからです。そしてその御自覚をお持ちのお方が祭祀をなされる。このことが、わが皇室の核心的アイデンティティだからです。万世一系とは、そのような系譜とそれに基づく重い使命感に支えられていたからこそ、成立してきたものなのです。
 それは近代になっても一向に変わりありません。昭和天皇は昭和二十一年元旦「新日本建設の詔」をお出しになられました。天皇の「人間宣言」と流布されていますが、それは占領軍当局の要求でありました。これに対して、昭和天皇は、「天皇は人間であると同時に神の末裔すえである」とおっしゃいました。人間であることは生理的に当たり前のことであって、そのことを言うことにはやぶさかでない。しかし、神の末裔すえ、即ち神話につながる系譜の継承者であるということだけは譲れない。それを否定したら皇室の存在そのものを否定することになる、という強い御決意で占領軍と対峙されたのです。明治天皇の「五箇条の御誓文」を、冒頭に置かれたことは有名な話ですが、この神の末裔すえとの御自覚は一切お譲りにならなかったということはもっと知られていいはずです。
 「神武(天皇)以来の」という言葉がありますが、神武天皇が尊いのは、この国を平定され即位された初代の天皇というだけではありません。それ以前の神話に連なっておられるからこそ尊いのです。このような神話に直に連なる王家がいま尚続いているのは、世界広しといえども日本の皇室以外ありません。
 その証しが三種の神器です。三種の神器とは、ニニギノミコトが日向の高千穂の峰に天孫降臨されるときに、天照大御神から授けられた八咫鏡、草薙剣(天乃叢雲の剣)、八坂瓊勾玉です。この三種の神器は、文字通り皇位の証しで、先帝が崩御されると新帝が直ちに践祚され三種の神器を継承される。そして即位の間は、常に天皇と同座しているわけです。これが何ゆえに皇位のみしるし」となるかといえば、まさにそれが神話に由来するからです。この神話に直結するということが、皇室のアイデンティティであり、つまりは日本国のアイデンティティであるのです。
 奈良、平安はもとより、天皇が国政の大権を直接にお執りにならなかった鎌倉、江戸時代をも通じ一貫して、貴族、武士から庶民に至るまで日本人すべてが、この国の在り様は、神話に由来する皇統が万世一系続いてきた事実の上にある、という確信を抱いてきたのです。そのことを例えば天照大御神をお祀りしている伊勢の皇太神宮への「お伊勢参り」などを通して感じ取ってきたのです。その中から、我々日本人の自己像、「この国の国柄」という意識が生まれ、その積み重ねの中で、日本の家族や共同体のあり方、人間関係のあり方、道徳意識なども形成されてきたのです。

◎女系とは王朝が変わること

─ しかし、神話に連なるお血筋ということでは、女系でも同じということにはなりませんか。

中西 女系とは何か。その意味について、イギリス王室を例として考えてみましょう。
 イギリスの歴史には女王が多く登場しています。しかし、「これは男女同権」などということとは全く関係ありません。近代以前のヨーロッパの歴史における女性の地位は、日本とは比べものにならないほど低くいわば人間扱いされていませんでした。しかしそんな時代にも女王はたくさん出ていました。それは男女同権という理由では毛頭なく、キリスト教の考えから来ています。王位に就くときに神から特別の祝福を受ければ、もはや女性・男性を超えた存在になるというわけです。
 さて、イギリス王室もある時期までは男系でした。即ちエリザベス一世やアン女王などすべて男系で、女王自身は、生涯独身で子供がなかった。つまり、王位にある間に結婚して、その子供が後を継いだことはありませんでした。ところが、その原則がある女王のとき破られました。一八三七年に即位したビクトリア女王です。ビクトリア女王は在位中に夫君を迎えられました。歴史上なかったことで、プリンス・コンソート(皇配殿下)という新しい称号を作って、ドイツのサックス・コブルグ・ゴータ家という貴族の家からアルバート公という方をお婿さんに迎えたわけです。ビクトリア女王御自身は男系の女王でしたが、やがて二人の間に生まれた長男が、一九〇一年女王亡き後、即位してエドワード七世となりました。日英同盟が締結されたときの王様ですが、ここにイギリス史上初めて「女系の王様」が誕生したのです。
 すると、ここで王朝が交代したと枢密院と議会が追認します。つまり、それまでのハノーバー王朝からサックス・コブルグ王朝となったとみなすわけです。
 これが国民の不満でした。ハノーバーもサックス・コブルグもドイツ系ですが、前者がイギリス王家との関係が古いのに対して、後者は名前からしてドイツ系そのもので、国民にとっては、「どこの馬の骨?」という感じだったからです。このイギリス国民の反感が反独感情となって、第一次世界大戦の伏線のひとつともなっていくのです。戦争の原因になるほど女系、つまり王朝の交代とは重大事なのです。
 大戦が始まりますと、いよいよ敵国ドイツの名前はいかにも都合が悪いということで、その居城の名を取って、ウィンザー王朝と称しました。それが今のエリザベス二世まで続く現イギリス王朝です。ところが、やがてチャールズ皇太子が王位を継いだとき、また王朝が変わることになります。というのもエリザベス女王の夫君エジンバラ公フィリップ殿下は、ドイツのバッテンベルグ家という家柄の出で、英語式に直すと「マウントバッテン」です。ですからチャールズ三世が誕生したときにイギリス王室はウィンザー王朝がマウントバッテン王朝に交代するのです。ちなみにこのフィリップ殿下の叔父さんは日本と戦争をしたときのビルマなど東南アジア連合軍の司令官で最後のインド総督も務めたマウントバッテン元帥です。
 さて、このイギリスの例を参考に日本の皇室について考えてみます。もし仮に愛子様が皇位を継がれることになっても、これは過去八方十代の女帝の例と同じ「男系の女帝」ですから、何も真新しいことではありません。ただ、もし御在位中にご夫君をお迎えになって、親王を御出産になられ、その方が愛子様の次に皇位に就かれるということになりますと、これは史上初めて「女系の男帝」となります。
 もし愛子様のご夫君が皇族以外の一般国民であったとします。例えば卑近な例で恐縮ですが、分かりやすくするためにその方が仮に「山田太郎」という名前であられたら、お二人のお子様が皇位を継がれた時点で、「山田王朝」が誕生したとみなされるわけです。つまり、愛子様まで一貫して神武天皇に始まる男系が続いてきましたから、これを仮に「神武王朝」と申し上げれば、神武王朝から山田王朝へと、日本史上初めて王朝の交代が起こるということになるのです。ここで天皇家の姓が変わる、あるいは始めてたとえば「山田」という姓をもたれる、つまり「易姓革命」が起るということです。
 これは同時に、世界で唯一残っていた神話に由来し二千年間直接につながってきた王朝がなくなるということを意味します。
 さらには「王朝の交代」ということは、イギリスの例でもわかるように大きな政治的意味合いも持ち得るのです。女性の皇后様や皇太子妃をお迎えするのと違って、男性を迎えるというのは、その男性の職業や生まれた実家の関係、属した組織の利害、あるいはヨーロッパの場合はその出身国であったりするわけですが、それらを全部引きずって持ってくるわけです。日本でも弓削の道鏡の話があります。やはり男性の場合、女性とは違う社会性の強さ、権力意識の強さもあり、政治的野心を持つのは自然なことともいえるわけです。ですからヨーロッパ王室でもビクトリア女王の時も現エリザベス女王の時も、ものすごくきめ細かな、夫君を監視する制度を作るわけです。まず夫君に自分の出身家系と繋がりを一切絶って来させます。それから夫君が出身家系の関係者と頻繁に会うことは認められていません。さらに出身家系の人間は議員に立候補することも公務員になることもできません。そこまで縛らないと、恐ろしいことになりかねないからです。
 このように女系に移ることの重大な意味について、有識者会議も考え抜いた形跡はないし、マスコミも多くは知らないでしょう。この不見識はやはり戦後の天皇観、皇室観が歪められ希薄になってしまったことに起因するものではないでしょうか。何百年、何千年連綿と続いてきた日本人の精神構造、価値観に支えられた皇室に対する意識が、占領政策によって大きく歪められてしまった。それがいまだに回復していないのです。

◎「国民主権」の規定が皇室観を歪めている

─ つまり、今回の皇室典範の改定問題は、戦後の体制、風潮との戦いでもあるわけですね。 中西 戦前は憲法と皇室典範は同格でした。憲法は西洋近代法と我が国の政治伝統との折衷ですが、皇室典範は法律ではなく、皇室の長い伝統を単に明文化したものでした。つまり憲法の外にあったのです。ところが、戦後占領軍によって、憲法は改変され、皇室典範はその憲法下の一法律にされてしまった。
 そしてその憲法ですが、第一条「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」という前段は、天皇は日本という国の歴史、文化、伝統の象徴と捉えればいいとしても、後段の「この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」というような規定を持っている君主国はほとんどありません。これは前文で言う「国民主権」と対応しているわけですが、国民主権を憲法に謳っているのは、アメリカやフランスのような革命を経て成立した共和国であって、君主国ではほとんどありません。そもそも国民主権と君主制とは相容れない考え方なのです。例えばイギリスは不文憲法の国ですが、国民主権という建前はとりません。主権は国王と議会が半分ずつ持っていて、国王と議会が一致するとき、そこに完全な主権が生ずるという考え方をとっています。デンマーク憲法には、「国王は行政権の長である」とあって、国王には自ら法案を作り提出する権利があります。アジアにはタイの王室がありますが、タイの国王は総理大臣の「罷免権」を持っています。一九九二年にタイで暴動が起こって、当時の総理大臣が国王に言い訳しましたが、国王はそれを受け入れずその場で首相を罷免しました。首相が国王の前に跪いているシーンがニュースで流れましたが、これがタイの国王と政権との関係です。
 これが普通の君主国なのです。かといって、いま挙げたイギリスやデンマーク、タイが民主主義でない、というような議論は俎上に上ることはありません。
 このように世界の君主国と比較すれば、いかに日本の現行憲法の天皇に関する規定が異常かよく分かります。なぜ、そうなったか。もちろん現行憲法が占領軍によって起草されたからですが、当初、アメリカの方針には「この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」という後段の部分はなかったのです。最近公開されつつある連合国の日本占領政策に関する史料をつぶさに調べれば分かりますが、あの条文を入れ込んだのはソ連なんです。ソ連が将来、国民の意思によって天皇制を廃止できると解釈できる文言を入れ込んだのです。ですから、第一条は、連合国の対日戦略とイデオロギー対立の妥協の産物なんです。この矛盾を放置したまま我々は、国民主権か、君民共同の民主政体ないしヨーロッパのような本来の立憲君主制なのか、という議論を戦後ずっとしてこなかった。ここに戦後の国民の天皇観を歪めつづけるいわば「時限爆弾」が仕掛けられていたのです。

─ 自民党の憲法草案もかつて読売新聞が出した憲法試案も「国民主権」に囚われています。

中西 国民主権とは、元来革命思想の別の表現なんですね。だから世界の君主国にはそういう考え方はほとんどないのです。そういうことを、なぜもっとマスコミは国民に知らせないのでしょうか。それでいてマスコミは、ヨーロッパの王室はヨットに乗って週末を過ごされる。日本の皇室ももっとご自由に遊ばれては、などとしたり顔でそういうところばかり引き合いに出したりしている。大変な不見識です。そもそも、そういう比較をするなら、皇室財産を大幅に増やさなければ実現不可能なのにそれは言わない。例えばイギリス王室と日本の皇室の予算を比べてみれば、桁が二桁も三桁も違います。これも占領軍が残した「皇室経済法」の縛りの故です。皇室から財産を奪い、どんな細かいことでも宮廷費は議会の議決がいるというように予算を極減したのです。こんな拘束を王室に課している君主国は世界にありません。


◎占領軍が仕組んだ皇室《立ち枯れ》政策

中西 今、我々が本当に考えなければならないのは、昭和二十年代に「皇室民主化」という掛け声のもとに行われた様々な「改革」の弊害についてです。皇室経済法で皇室に経済的に不当な縛りをかける一方で、米軍の圧力による十一宮家の臣籍降下に象徴されるように、皇室から皇位継承者を減らし皇位継承自体を困難にし、いわゆる藩屏をなくしてゆき、皇室の生命力を削り落し、やがて立ち枯れにしてゆくという狙いで「皇室民主化」が進められたのです。

─ それがなければ男子の皇位後継者は確実にいたことになりますから、そもそもこんな議論も起こらなかったわけですね。

中西 その通りです。たしかにマッカーサーの占領政策は、すぐに皇室をなくすことはしなかったが、将来的に立ち枯れていく仕掛けを埋め込んでおいたのです。最近米国で公開されつつある公文書からはその辺りのことが透かし見えてきます。当初マッカーサー・ノートの第一項には、イギリス型の立憲君主制ということが構想されていました。イギリスには、王族の藩屏として膨大な数の貴族階層があって、議会にも選挙ではなく世襲の議員から成る上院があり、千何十人かの貴族院議員がいます。こういう形で多くの藩屏が王室を支えている。これがイギリス型立憲君主制です。これと比較してみてもいかに戦後の「象徴天皇制」というものが、世界の立憲君主国に例のないものであるかが分かります。そしてそれは日本の国柄から見て到底長くは許容することのできないものであり、こんなことを続けていれば、やがては皇室の将来を危うくし、ひいては、政治の安定、日本人の精神面や日本の文明的生命力の源まで毀損することになりかねません。
 ですから、皇室典範の改正も本来は、この現行憲法の象徴天皇制の危ういところをも合わせた改正でなければならないのですが、それにはまだ時間がかかるとすれば、一番急がれるところだけをまず改正すればいい。もちろんそれは有識者会議の報告書のいう「女系天皇容認」「第一子優先」などというものではなく、第九条の「[養子の禁止]天皇及び皇族は、養子をすることができない」を改正して、旧皇族方が現在の宮家に養子に入ることができるようにすることです。それから特別立法で占領軍によって臣籍降下させられた十一宮家の皇籍復帰を可能にする。この二つの改正および立法措置が急がれます。
 蛇足ながら、憲法も教育基本法もまず改正を急ぐべき条項は第九条(*)ですが、皇室典範もまず改正すべきは第九条で、これは偶然の一致ですが、戦後も六十年の還暦を過ぎ二巡目に入った今、これら「三つの九条改正」を合言葉にしたいものです。

◎天皇を敬う心が、きれいな心の日本人をつくる

中西 占領政策の「置き土産」としての象徴天皇制の根本的矛盾を克服していこうというときに、いまこそ大切なのは、国民の教育です。
 ホリエモンことライブドアの堀江社長がこんなことを言ったという。「天皇が日本の象徴であるという所から憲法が始まっているのには違和感がある。歴代の内閣や首相が天皇制を変えようとしないのは、多分右翼の人たちが怖いからだ。大統領制にしたほうがいい。特にインターネットでスピードが速くなった時代は」云々と。こういう人が選挙に出て、しかも自民党がラブコールを送ったというのですから、恐るべき風潮です。いわゆる社会主義革命にあこがれた団塊の世代が、挫折したマルクス主義の夢をいまだにひきずって「戦争責任問題」「皇室問題」「人権問題」や「ジェンダーフリー」などという形で自らの恨みつらみ、ルサンチマンのハケ口をそこに向け続けている。そういう人たちがホリエモン世代を教育してきているわけです。こんな状態で万一、女系を認めた場合、数十年後に「今の天皇陛下は万世一系でないんだ、神武天皇の伝統のある日本皇室は過去にもう終わっているんだ」などと言い立て、天皇制度廃止論が出てくる危険性はすこぶる高いと思われます。
 ですから、まず今必要なのは、もっと天皇、皇室について多くの世代の日本人が、本来の関心をもってよく知ること、そして深く理解することだと思います。それが、何よりも大切なときなのです。なぜ天皇、皇室が日本にとって必要なのか。それを我々は改めて知らなければならない。これが政治家にも国民にも今求められているのです。そういう基本的なことも知らない者に、皇室制度に関して重大な転換をする資格は毛頭ないのです。同じ君主国でも例えばイギリスでは、王室について教えるカリキュラムが義務教育にはちゃんと組み込まれています。我が国においても、皇室について、せめてそれくらいは早急に始めるべきではないでしょうか。

─ 我々にとって天皇とは何か、を考えるヒントをいくつかご教示ください。

中西 まず何よりも大切なことは、皇室のご存在は日本国民の心の在り方に大きな影響を及ぼしているということです。たとえば日本人は団結心、連帯感が他国民に比べて強い。これは外国で暮らせばよく分かります。歴史を比較してみても日本ほど階級間闘争や流血の憎しみの歴史が少ない国民はいない。どんなに名門の人であってもごく普通の庶民階層であっても同じ日本人としての連帯感が強い。欧米では階級が違えば人種が違う以上に、同じ国民でもいがみ合っている。これがなぜ日本ではあまり見られないのか。やはり、「共通の何か」を深く共有しているからです。それは国籍とかそういうものではない。国民をたばねる「特別な方がおられる」という感覚、天皇陛下の前には国民皆が等しく平等であるという意識が国民意識の底流にあるからではないでしょうか。
 孫文が「中華民族は砂のような民族だ。それに比して日本民族は粘土のような民族だ。これなくして日本の近代化はなかった」と言いました。この民族の一体感は、天皇の存在抜きには考えられません。
 そして、その特別な方は、三百年前にドイツから来たとか、二百年前にビルマから来たとかいう方ではなくて、その方の始祖は何千年遡ることができ、しかも「源平藤橘」といわれるように、佐藤さんなら藤原家を通して皇室につながっている。いわば我々は皆皇室から枝分かれした末裔といえる。諸外国の君主は国民とは何の血縁的関係もないのに、我が国の場合はいわば皆皇室の遠い遠い親戚といえるのです。
 そういうお方が、今日でも君臨して、常に我々国民の上を気遣い、「国安かれ民安かれ」と神々に祈ってくださっている。今冬の大雪でも、ご心配くださっている。これはどんな政治家、思想家にもできない、天皇陛下にしかお出来にならない。そういう方がいらっしゃる、ということに気付ければ、誰しも嬉しい、ありがたい、そういう方のおられる日本に生まれてよかった、日本人でよかったと思うはずです。
 そして、そういう気持ちから生じる天皇を敬う心が、きれいな心の日本人をつくってきたわけです。天皇を敬う気持ちがなくなれば、日本人はもっと平気で嘘をついたり、「心の清潔」ということにあまり関心を払わない国民になってしまうと思います。
 天皇は神祭りをなされると共に、たとえばお歌の道を通して国民の間に誠実で素直な心根を養ってこられた。これこそ日本の美、精神的な美しさなのです。そういう天皇を敬う心と日本人の裏表のない「素直な心」はひとつなんですね。
 これが日本民族のDNAであり、日本文明の核になるものです。キリスト教文明やイスラム文明がなくなることがないように、日本文明ある限り日本人の皇室を敬う心、日本人の「心の美しさ」もなくなることはないのです。
 つまりそれは日本人にとっての道徳の根元ですね。日本においてつねに道徳心の涵養と天皇を敬う教育とが一体だったのは、そういう文明史的理由がありました。教育勅語はまさにその集大成だったのです。

◎一大啓蒙運動を

中西 あまり時間的余裕はないのですけれども、こうした国民の啓蒙が不可欠なのです。今の日本人でも、こうしたことが少しでもわかれば、必ず皇室観は変わります。
 実際、それは世論調査の変化に現れています。「第一子優先」に関しては、このことが少し話題になり始めた最近の調査では、反対の方が上回る結果が出ています。女系容認についての支持率も減ってきています。報告書が出る前には、女性天皇容認は七十パーセントを超える支持率でした。それは過去八方十代の女性天皇がおられたわけですから、ある意味で当然でした。ですからこれを逆手にとって、小泉首相は「女性天皇は国民も支持しているから良いんじゃないですか」と言っていました。しかし、報告書が出て、「女系」と「女帝」は違うらしい、今度の女性天皇はどうもかつて歴史上なかった「女系」に道を拓くことになるらしいというように女系ということの重大な意味がほんの少し分かった途端に、見方が変わり始めました。つまり十パーセントぐらいの意識のレベルの高い日本人が、女系ということの意味を考え始めたのです。今日の日本では、こういう層の国民が動くと、さらにその三倍も四倍もの「塊の世論」が動きます。靖國問題がまさにそうでした。
 ですからこの問題も、通常国会が始まり、マスコミが取り上げる頻度が高まるにつれ、世論や国民の態度はさらなる変化を見せると思います。しかしより大切なことは、前述のような皇室伝統について本来の知識がより広く共有されることで、天皇、皇室について日本人があらためて深く考える大切な機会ともなり、国民全体の意識が大きく変わってゆく可能性をたしかなものにすることです。(平成十七年十二月二十六日インタビュー)

なかにし てるまさ

昭和二十二年大阪生まれ。京都大学法学部卒業。英国ケンブリッジ大学歴史学部大学院修了。専攻は国際政治学、国際関係史・文明史。著書に『大英帝国衰亡史』『国民の文明史』など多数。新刊に『日本の「覚悟」』(文藝春秋)。昨年初めに刊行された『皇室の本義』(PHP研究所)での天皇論は深く鋭い。

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