書弁申 夫寿谷


申 弁 書

第一 北支に於ける略奪婦女暴行事項の申弁

第二 南京に於ける中華門内外の殺人強姦財産破壊に関する事項の申弁

(一) 殺人、強姦の対象無し
(二) 財産破壊の犯罪なしと確信す
(三) 被告は部下の監督厳正にして暴行非違行為を見聞せしことなし
(四) 被告の部下に暴行行為なき旨の証言
(五) 隷下部隊の情況
(六) 被告の部隊の厳正なる行動
(七) 中華門附近駐留の他部隊の件
(八) 起訴書の理由に記述せられある被害者又は目撃者の法廷に於ける一方的不完全なる陳述に就て

第三 起訴書提示の其他事項に対する申弁

(一) 被告は侵略的急進派軍人に非ず
(二) 中島部隊との関係
(三) 南京暴行の時期と範囲
(四) 被告が南京事件を知れるは終戦後なり

第四 結 言


  申 弁 書

民国三十六年 (昭和二十二年) 一月十五日

南京戦犯拘留所 被告 谷 寿夫

国防部軍事法廷

  廷長 石美 閣下

 被告は民国二十六年(昭和十二年)八月中旬以降約五ヶ月間、第六師団長として北支及中支の広大長延なる地区に行動したるも、其期間専ら作戦に従事し、起訴書に提示せられたる南京駐留一週間内に於ける多数の殺人強姦財産破壊事項を、被告の行為なりとなすの論告は、本申弁書に以下陳述する各種の理由に依り、被告の絶対に認むる能はざる所なり。

 被告は此等の暴行ありしを、見たことも聴きたることもなく、また目認目許せしこともなく、況や命令を下せしことも、報告を受けたることもなし。

 また住民よりの訴へも、陳情を受けたることもなし。

 この事実は被告の率ゆる部隊が、専ら迅速なる作戦行動に忙はしく、暴行等を為すの余裕なかりしに依るの外、被告の部下指導の方針に依るものなり。

 即ち元来被告は中日親善の信念に基づき、内地出発当時の部下に与へたる訓示にも


「兄弟国たる中国住民には骨肉の愛情を以てし、戦闘の必要以外、極力之を愛撫し俘虜には親切を旨とし、略奪、暴行等の過誤を厳に戒めたる」

に依る外、各戦闘の前後には機会を求めて隷下部隊に厳重に非違行為を戒め、常に軍紀風紀の厳正を要求し、犯すものには厳罰を加へたるに原因す。

 故に被告は被告の部隊に関する限り此等提示せられたる戦犯行為なきを確信す。

 尚起訴書には被告を日本侵略運動中の一急進軍人なりと記述せられあるも、被告の経歴其他に依り該当せざること明瞭なり。

 また南京に於て中島部隊と共に南京大屠殺を発動せりと論ぜられあるも、被告の聞知する所にては南京大屠殺は、中島部隊の属せる南京攻略軍の主力方面の出来事にして、其の被害者に対しては真に気の毒の至りなるも、柳川軍方面の関係なき事項にして、即ち被告の部隊に関係なき事項なり。

 又従って中島部隊と共同して、暴行するが如きはあり得ざる事なり。

 被告に対する審判に於いては、何卒先づ右根本的事項を確認せられ度、尚詳細は以下申弁する所により判定煩わし度し。


第一 北支に於ける略奪婦女暴行事項の申弁

 起訴書に保定、石家庄への前進途上、陳嗣哲氏の家にて略奪を行ひ、又中国婦女を脅迫し肉体的慰安の具に供したる如く提示せられあるも、被告は全く此両件を見聞せしことなく、目認目許せしこともなし、況んや命令を下し、又は報告を受けたることなし。

 又此両件に関し住民より訴えもなく陳情を受けず、起訴書の文面にては其場所判然たらざるも、被告は前述せし如く内地出発当時の訓示及び、永定河より南下の直前、特に非違行為に対し厳に之を戒めたるにより、被告の部下に恣に斯かる行為ありしを信ずる能はず。

 殊に急進途上に於て衣服、古薫品二十八箱及び紫檀細工の家具を略奪するが如きは、部隊の情況上あり得べからざることにして、作戦途上に於て如斯物品を携行することは不可能事なり。

 万一携持せば被告又は部下隊長これを発見すべきなり、而して保定は攻撃に任ぜし香月軍の他の師団と共に到着後、此等の部隊と共に約三日駐留し、被告は城外にありて出発準備を整へたる後南下し、又石家庄は往路には同市を離れたる東方地区を通過し、帰路には転身の為め天津への鉄道輸送発起点として使用せしのみにして、何れも略奪等の起り得る実状に非ず。


 もし陳嗣哲氏に斯かる被害ありとせば、当時加害部隊長に陳情を具申すべきなり。

 万一此処置を為し得ざる情況なりとせば、今日と雖も、其事実に誤りなくば、其加害部隊を明示すること不可能なるに於ても、日本政府は当然その被害を賠償すべきにより其手続きを採られたし。

 又、女子肉体提供の慰安所設置に関する事項は、訊問の際未だ一回もこれを聴きたることなく、殊に起訴書の理由の部中、被告が弁解して上官と談合の上、慰安婦人を募集し婦人の同意を得て設立したる如く答弁せしとの事なるも、斯かることを聴きたることも述べたることもなく全く事実無根なり。

 婦女慰安の具に供する如きは真に被告の夢想だもせざる所にして、況んや迅速なる作戦行動中、被告の部隊の為し得べからざる所にして、若しありとせば相当期間駐留せる他部隊の犯せしものと謂つべく、被告の部下は常に被告の要求せる軍紀風紀厳正なりしこと、他部隊も能くこれを知る所なりき。

 故に北支に於ける掠奪婦女暴行は共に確固たる証拠なき限り、被告の部下の行動ならざるを断言す。


第二 南京に於ける中華門内外の殺人強姦財産破壊に関する事項の申弁

 南京戦にて被告の率ゆる第六師団の短小なる駐留期間、被告は起訴書に提示せられある如き、多数の殺人、強姦、財産破壊事項が、中華門内外に行はれたりとは一切これを知らず、また被告の部下が此暴行を行ひしものと信ずるを得ず、左に当時に於ける被告の部隊の情況及び他部隊との関係其他詳細の説明を行ひ、被告の部下の行為に非ざる理由を明瞭ならしむべし。

(一) 殺人、強姦の対象無し

 南京陥落予想せらるるや、南京市民就中官吏、富商等多数の者は自動車、人力車、数十隻の汽船ジャンク等あらゆる乗物を利用し、揚子江上流又は田舎に退避せり。

 中華門付近も亦此の例に漏れず、殊に中華門付近は激戦地域なりし為め、被告の部隊入城の際は、住民は既に戦禍を避くる為め、他地域に避難しあり。

 残存者皆無にして我師団は空家に宿営せり。

 従って我将兵により迫害を受くる対象となる住民は皆無なりき。

 而して城内に避難せし住民は、松井最高指揮官の予め飛行機より投下して、指定せし城内中央地区以北(第六師団作戦区域外)の安全地域に集結し、被告の部隊が蕪湖へ転進する迄には復帰せるを認めず、況んや揚子江上流又は田舎に避難せしものに於いてをや。


 而して被告部隊の宿営地付近に人ありとするも、夫れは空家狙ひの野盗若しくは乞食の類の出没するのみなり。

 故に被告の部隊駐留期間に、該区域に殺人事件生起する筈なし。

 況んや婦女子の強盗事件の如きはあり得べからず。

 城外駐留地も亦雨花台戦闘後、住民悉く他地域へ避難せり。

 安全地域に避難せし住民を、中華門付近被告部隊の宿営地域に復帰せしむることは、警備司令官たりし中島中将(第十六師団長)の責任なり。

 而して此場合警備司令官より当然被告に通知あるべき筈なり。

 然るに被告は蕪湖に向かひ出発するまで、住民復帰に関する何等の通報を受領せず。

 又実際にも己術せし如く、被告部隊の宿営地域に復帰せし事実を認めず。

 故にこれ等住民が暴行を受けたりとせば、安全地域内にある間か又は復帰の途中において惹起したるか、或は被告の率ゆる部隊転進後に生起したるものにして、其責は警備司令官に在りて、被告の関知せざる所なり。


 又中華門付近の戦闘に際し、安全地域に退避することなく残留したるものは、被告は之を見聞せざりしも、若し之れありとせば其中には砲撃銃撃等を受け、死没するに到りたるものもあるべきも、之は気の毒ながら被害者独自に責を負ふべきものにして、之を暴行なりと告訴せるもの或はなきを保し難し、充分御精査あり度。

 起訴書提示の幾多の暴行の実例中、正覚寺等各地に於ける八十余人の集団屠殺、門東各地の子供外数百人を銃殺せる事件は、絶対に事実無根にして造言、偽証なること明白なるの一例なり。

 其他提示の各事実及び強姦の各種事実は全然被告の部下の行為に非ざるを断言す。

(二) 財産破壊の犯罪なしと確信す

 恣に財産を破壊せりとの起訴書の提示も、被告の部下にはかねての訓示と南京戦前後の厳達により、斯くの如き行為なかりしものと確信す。

 家屋の破棄に就いては数月前より南京城は上海方面より軍飛行体の爆撃を受けつつありき、また戦闘中我が火砲弾の城内外に落下し、之が為め破壊又は火災を生ぜるものあり。


 尚我が軍の宿営妨害の為め、中国便衣隊による破壊又は放火は、従来屡其例を見る所にして、若し中華門付近に家屋の破壊又は火災生起せば、右の如き原因によることも想像し得可く、之を我部隊の行為なりと断定し得ず、又我部隊が退避せる住宅に宿営せしは、作戦直後に於ては従来の慣例上止むを得ざる所にして、之が為め家具其他の損失なき様、被告は常に注意せる所なるも若しありとせば、之に対しては当時師団経理部より柳川軍経理部に調査報告し、之が損害賠償は柳川軍司令部において処理せるもの、又南京に残留せる主力軍に引継ぎたるものあり、本件は其後已に解決済みのことと信ずるも、若し未解決ならば国家相互間の問題なるを以て、今日に於いても我国は賠償に応じ得るものと思惟す。

(三) 被告は部下の監督厳正にして暴行非違行為を見聞せしことなし

 被告は中華門内外に駐留せし一週間、決して屋内に蟄居しあらず。

 努めて隷下部隊の情況を視察せしも、此間一件の暴行ありしを見聞せしことなく、目認目許せしことも命令を下したることも、報告を受けたることもなし。

 又住民よりの訴へ或は陳情を受けたることなきは已述の通りにして、此事実が内地出発当時の被告の訓示(已に記述の通り)に基づくものにして、南京戦の前後にも繰返し軍紀風紀の厳正を部下に要求訓示せり。

 故に此点に留意せる被告の耳に入らざる筈なし、又参謀長旅団長等の部下幹部が之を知らぬ筈なし。


 必ずや被告に報告したるなるべし。

 試みに御提示の九百余名の殺人及び四十余名の強姦事件が、被告の部下により行はれたりとせば、一人を一件と見做し師団の各兵科一中隊二十五件以上、大隊に六十件以上、連隊に二百件以上の割合となり、中隊長大隊長連隊長は素より四百件以上に関する旅団長必ず之を知る。

 又一週間を通じて一日平均百五十件の多きに達し、被告を初め各部隊長之を知らざる道理なし。

 被告が東京拘置所入所の直前面接せる、被告の参謀長旅団長は毫も被告の部隊に暴行行為なかりしを述べたり。

(四) 被告の部下に暴行行為なき旨の証言

 前項の部下証言の外、被告東京拘置所に入所の直前、復員省史実部大熊主任は、従来の調査殊に終戦後の精査に照し、「第六師団には戦犯行為なし」と断言せり。

 又松井(最高指揮官)大将其他、東京拘置所入所中の南京事件に関係せる将兵の悉くの者及び、復員省主脳幹部数名も同じく「第六師団に戦犯行為なきにより他の部隊の間違ひならん」と述べたり。

 右の事実によるも、起訴書提示の暴行行為は、被告の部隊に関係なきを確信す。


 尚十二月二十一日検察官より、第三回の訊問の際、突如四百件の暴行行為ある旨を提示せられたるを以て、被告はがく然として驚き取敢えず我南京連絡部に依頼し、被告の部下に斯かる犯行なしとの証言を、当時の上級司令部の主脳幹部より送致すべきを要求せり。

 此証言は起訴書提示の事項に重大関係あるを以て、被告の公判は該証言到達後に願ひ度し。

(五) 隷下部隊の情況

 被告の部隊は入城の直後命令に基づき、十二月十五日(入城翌々日)より城内部隊を先頭に、逐次蕪湖に転進せるを以て、残留兵力は漸減し此等の部隊も、日夜出発準備に忙殺せられて暴行等の暇なし。

 出発準備の実例を示せば、戦死者、遺骨整理後送傷病兵に対する入院又は還医処理、部隊内の編合改正、戦闘詳報の調製、各種命令報告通報の発受伝達、弾薬糧秣の補充、武器装具の手入れ修理検査、戦闘論功調査、内地との私信の発受、内地よりの慰問袋の受領分配、加給品分配、被服の補修等にして、爾後杭州に向ふべき軍司令部と当分離れる関係上、急速処理すべき事項多く、為に将兵共に昼夜を通して多用にして、引き続き南京に滞留すべき部隊の比に非ざるなり。

 上司の命令に基づく入城式慰霊祭の両日の如き、各宿舎には最小限残留兵を残したるも、其外出は禁じ監督将校を残して厳重に監督し、暴行の余地絶無なりき。


 即ち被告の部隊は起訴書提示の暴行を為すが如き余裕なかりし情況に在り。

(六) 被告の部隊の厳正なる行動

 南京戦は首都攻撃なるが為め、特別の感情を生じて暴行事件生起せりとの考へ方は、被告を初め被告の部隊には絶対になし。

 被告は他の戦場同様に軍紀風紀の厳正を、該戦闘の前後に要求せること已述の如し。

 故に被告の部隊が引き続き蕪湖に到りし際、何等の暴行事件なかりしは事実上これを証するものにして、反つて住民は被告の部隊の親切なる行動を満足せし実情なり。

 即ち千場少佐の同市郊外小戦に戦死せし際、住民殊に保護を受けたる婦女子は、同少佐に感謝し其葬儀に参列して流涕慟哭せる例証あり。 (七) 中華門附近駐留の他部隊の件

 中華門内外の地区には被告の部隊の外、被告の部隊と併列して作戦せし、柳川軍の第百十四師団(末松部隊)柳川軍の直属各種部隊(砲兵工兵通信)及び第十八師団(牛島部隊)の代表たる一連隊内外(この部隊は入城式参列の為め師団長以下入城す)等、多数の他部隊も柳川軍司令部と共に駐留せり。

 従つて若し万一起訴書提示の暴行事件の一部が事実なりと仮定するも、これが被告の部下行為なりと断定するを得ず。


(八) 起訴書の理由に記述せられある被害者又は目撃者の法廷に於ける一方的不完全なる陳述に就て

 起訴書提示の多数の暴行に関する住民の陳述、告訴裏面を察するに、対日怨恨を晴らさんと欲する者、又は此機会を私利私慾に利用せんとする者等が、南京事件関係各師団長中、被告一人のみが訊問せられあるに乗じ、他部隊又は多方面地域の暴行事項又は、被告部隊蕪湖転進後に発生せる事項等を、被告の関係地域に流用し、其日時も強ひて被告の部隊の駐留最長期間に合致せしめ、被告一人に罪を負わしめんとするもの、又は暴行以外の原因(例へば戦禍盗難其他)により生起したる損失を、被告の部隊の行為に転嫁せんとするものなしとせず、殊に、十年以前の事件なれば犯行の時期、場所、事実等を如何様にも真実らしく作為し得るものと思惟す。

 斯くては最高指揮官又は、其直下の軍司令官ならざる一部隊長に過ぎざる被告が、他部隊の責任を負ひ、又は部隊に関係なき住民の被害乃至は造言に係はる偽損害の責を負ふこととなり、真に不合理にして、遺憾至極なり。

 起訴書に提示せらるる所に依れば事件の期間を漠然と、被告部隊駐留の一週間とし、単に被害者の氏名、被害の種類及び概略の地点を示し、而も被害者又は目撃者の法廷に於ける陳述を其証拠とせられあるも、


何月何日、何時、何処に於て、谷部隊に属する何某部隊何某に犯行せられたりと、具体的確実なる証拠なき限り、単に筆舌のみの如何なる一方的告訴はたとへ幾万件ありとするも、それが被告の部隊に関係ありとの、何等の証拠とならざるものと確信す。

 故に願わくは各件毎に、月日時刻場所加害者の部隊号、姓名其他当時に於ける加害者側の状態等、谷部隊の行為たることを証するに足る事実を、明確に記述せるものを公判以前に被告に御示しあり度し。

 以上の説明にて起訴書提示多数の暴行々為は被告の部隊に関係なきものと確信す。

 尚此等提示の暴行事件が、被告の部下に関係なきに拘らず、徒に件数の多きの故のみを以てたとへ中国側のみの証人幾万人ありともあいまい不確実の事柄を以て一方的推断の下に、被告一人に罪を負はしむることあらんか、後日南京暴行の真相判明せられ、被告の言行が真実なるを示すの時来らば悔ゆとも詮なく、是れが被告年来の信念たる、中日親善に暗影を投ずるの憂慮多大なりと思惟す。

 現に上海監獄に収容せられある下田軍曹は死刑と判決せられたる直後に、真犯人自首しい出しが如き実例ありと聞く。

 故に被告の裁判以前に南京戦参加の他の部隊長を召還訊問せられ度、尚被告の言に疑問あらば証人を召喚せられ度し。


第三 起訴書提示の其他事項に対する申弁

(一) 被告は侵略的急進派軍人に非ず

 起訴書に被告を「日本侵略運動中の一急進軍人」と見做されたるも、被告の思想と主張は、常に穏健にして日本陸軍の所謂急進派に伍したることなく、急進的如何なる党派にも参加せしことなし。

 従つて被告の現役間の職務は、陸軍大学の学生への軍事学教育方面、又は参謀本部、陸軍省の軍事調査方面を主とし、国策立案等には毫も参画せず。

 故に侵略的運動の如きは夢想だもせざる所にして、終始穏健に一貫す。

 従来より中国と何等交渉なき被告を、酒井隆と比較し、中国侵略行為ありと見做し、又は平和破壊者と論告せらるる如きは事実無根の甚だしきものなり。

 御明察を希ふ。

(二) 中島部隊との関係

 起訴書に中島今朝吾(第十六師団長)と相共に、南京大暴行を発動実施せる如く記されあるも、此考察は根本に於て誤れる論断にして、之が延いて各種の暴行を被告の行為なりとせらるる誤解の根本原因をなせり。


 抑も中島部隊は主力軍方面にして、柳川平助中将の率ゆる軍と関係なく、其作戦地域は全く離れたる別個のものにして、被告の部隊は中島部隊と隣接せず、南京攻撃参加師団は他にも数師団あり。

 被告の関知せる多数の暴行事件は、主力軍方面即ち中島部隊等の参加したる、城内は中央部以東及び以北と、紫金山方面並に下関方面揚子江沿岸と承知し、被告の部隊と関係なきは中国当局須知の事項なり。

 中島部隊と被告の部隊とに関し、両指揮官としての性行及び南京戦前後に於ける両部隊の行動に於ては、根底より相違せる事実は、日本内地には幾多の証人あり。

 然るに此須知の事項を混同、若しくは被告側に移して、同一視せらるるは真に遺憾千万なり。

 是れ被告が訊問を受けたる当初より、再三他の部隊長及び証人の召還及び訊問を検察官並に国防部に要請せし所以にして、未だ之を容れられざるは心外なり。

 止むを得ざれば、南京入城前後等に於ける、中島部隊及び被告の部隊の情況を知れる、連絡部参謀小笠原清氏に其証言を聴取せられ参考とせられ度し。

(三) 南京暴行の時期と範囲

 起訴書に南京の暴行は入城後の一週間が、最も激烈なりし旨提示せられあり、主力軍方面は被告の述べる限りに非ざるも、被告の方面には其事実を認めず。


 尚終戦後米国側の調査に基づく新聞の発表は入城後四旬(四十日)に亘りて激しかりしことを報じあり。

 又其暴行は漫然南京全地域に行はれたりと思惟し得ず。

 民国二十七年の写真画報は入城後一週間目に於ける城内住民が、日本軍軍医の治療を受け、又は両者間平和裏に談笑しある情況を発表しあり。

(四) 被告が南京事件を知れるは終戦後なり

 被告が南京事件を知りしは、一昨歳終戦後新聞紙上にて一読せるに初まり驚愕せり。

 該戦闘に参加せし被告さへ全然初めてこれを聴けるなり。

 終戦後聴く所によれば、我政府及び軍部当局は南京の虐殺暴行事件を極秘に付し、終戦時まで新聞雑誌に公表するを許すさざりしに拠る由なり。

 被告は已に退職後なりしを以て此事を知らざりき。

 法廷長閣下は被告が知らざる筈なく、必ずや心中に知るも之を秘匿して、虚言を吐き居るものと疑はるるやも知れざれど、被告は終戦後迄全然知らざりしことは、天地神明に之を誓ふを恥ぢず。

 被告が今日只今迄も、被告の部下に犯行なかりし事実を確信するは右の理由に拠るものにして、果して被告の部下に戦慄すべき大屠殺、強姦の確証判然たるに於ては潔く之を肯定すべきなり。


 然れども今日迄、部下の暴行行為なしと確信するにより、被告の知悉する真実を率直に申弁し、以て誰れの部隊が如何なる理由と動機により、斯かる暴行を生起せるかを明らかならしめんと欲すること之れ被告の唯一の念願とする所なり。

 之が為め伏して懇願するは、南京戦に参加せる各部隊長以下、暴行指導者実行者たる懸念ある将兵並に、中日両国側幾多の証人を尋問精査し、徹底的に調査判明の上、公正なる裁判を行はれ度、止むを得ざるも日本内地より証言到着後、公判を実施せられんことを切に切に願ふ次第なり。


第四 結 言

 以上詳細申弁せしも之を要するに

(一) 被告の南京駐留間に於いては南京大虐殺は中華門附近に於ては絶対に無かりしことを天地神明に誓ひ断言す。

(二) 被告が中島部隊と共謀し、計画的大屠殺を為したるが如きは、絶対に造言なることを天地神明に誓ひ断言す。

(三) 住民の告訴は谷部隊に関係ありとの確実なる物的証拠なき限り、如何に多数を列挙せらるるとも何等の証拠とならざるを確信す。

(四) 被告が戦前及び戦争中、国際条約公約に違反し、対華侵略の陰謀を予備し、且之が発動を支持し、又故意に戦争法規慣例に違反して、保定付近又は南京に於て起訴書提示の大虐行為をなしたりとの綜合観察は誤りにして、被告の絶対に承伏し得ざる所なり。

 右次第にて被告は真面目に無罪を主張す。

 希くは被告の終始一貫、不変の公正にして正義を吐露せる真実を了解せられ、本申弁書に詳述せる所を厳密に審査の上、公正なる審判を賜はらんことを切願す。


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