拝啓 韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国 殿
日本に「戦争責任」なし
平成九年十一月二十五日 光文社 税別千二百円
ISBN4-334-97155-5 C0030
私たちは、あまりに自国の歴史を知らなすぎる。二十世紀前半の欧米の対アジア戦略の中に日本をおいてみよ。アジアにおける唯一の独立国日本の必死に生き残るための姿が見える。現在の日本が主権国家としての矜持を取り戻すには、反省でもお詫びでもない、真の歴史を世界に向かって識らしめることが急務である。
本書の日本現代史の記述に誤謬があれば論駁していただきたい
●原爆と無差別爆撃で、無辜の日本人を殺したのはアメリカではないのか●日ソ中立条約を破って一方的に満州、樺太、千島に攻め込んできたのはロシアではないのか●慰安婦問題や日韓併合は政治的に決着済みなのに、なぜ韓国はことあるごとに問題にするのか●旧満州、チベット、ウイグルをいまだに侵略しつづげているのは中国ではないのか
結 共通の認識を分かち合うために
終戦直後、昭和天皇が側近の一人に口述された文書が半世紀近く経ってから出版された。昭和天皇の戦争原因に対する考え方が、私が考えていたことと全く同じであったことを知ってびっくりした。しかし後で考えてみると、その見方は、当時の日本人の大部分の見方だったのであり、私は子供のときから、家にある新聞や雑誌(「キング」のような大人の雑誌から「少年倶楽部」に至るまで)や単行本によって、その見方を自然に身につけてきたのであった。昭和天皇の戦争の原因に対する考え方とは次のようなものである。
(一)人種差別、特にアメリカにおける人種差別が遠因である。
(二)石油を日本に売らない決定が近因である。
どちらかと言えば私は戦記物やそれに類したもののオタクに近く、子供のときから読みつづけている。戦後は敵方のものも相当に読んでいるので、あまり一方的に偏した見方にはなっていないと思うが、あの大戦の戦争原因については戦中戦後、そして今も変わらない。つまり昭和天皇と、そして当時の大多数の日本人と同じである。
戦後の世代と話していていちばん困るのは、戦前の人種差別が全く実感してもらえないことである。前にもあげたことがある一例を再びあげておく。それはハーマン・ウォークの『戦争と追憶』の中にある話である。この本は小説であるが、史実の部分は登場人物の名前を変えたりしてはいるが、そういう事実は実際にあった。それはこの本の主人公が昭和十六年にシンガポール(当時はイギリス領)を訪ね、旧知のシンガポール放送の社長(イギリス人)の家に行く。シンガポールの総督(もちろんイギリス人)が主人公をタングリン・クラブに招く。
シンガポール放送の社長夫妻が車で主人公をそのクラブまで送っていく。主人公は当然、夫妻も一緒にクラブに入ってくると思ったが、入らない。主人公は「一緒に入ろう」と誘うが、その社長は「私はこのクラブの会員をやめたんだ」という。すると側にいた社長夫人が「私の母はビルマ人でした」と言って一挙に事情が主人公に明らかになる。イギリス人が有色人種の女性を現地妻──つまり妾──としている分にはかまわないが、正式に有色人種、あるいはその混血児と結婚したら、その白人は白人の社交界から追放されるのである。これが昭和十六年(一九四一年)までのシンガポールの人種差別状況であった。日本軍占領下のシンガポールを描いたノエル・バーバーも、戦後には有色人種の白人に対する尊敬心が一掃されていること、つまり人種差別がなくなってしまったことを述べている。
戦前のアメリカが、アイルランドやポーランドやイタリアやギリシャからの移民を認めたように、日本にも移民を認めてくれたら──あるいはその百分の一の数でも認めていてくれていたら──戦争は絶対に起こらなかったであろう。日本の大陸政策もアメリカと歩調を合わせることができたであろう。
日本は第一次大戦の結果作られた国際連盟(the League of Nations)の規約に、「国家が皮膚の色によって差別されることのないようにする」という趣旨の項目を入れることを提案したが、アメリカ大統領ウィルソンが議長となってこの提案を否決した。票数で言えば日本案への賛成が多かったが、ウィルソンは多数決を排して全会一致を主張したのである(それまで多数決で決めたこともあるし、国際連盟の所在地をジュネーヴに決めたのも多数決だったにもかかわらずである)。
日本人の移民を一人も入れないというアメリカの反日政策がアメリカ議会で決められると、アメリカとの強調は難しいと日本人は考えるようになったことは確かである。しかし、これだけでは戦争に発火しない。あくまで遠因である。
第二の原因──近因──は何かと言えば、日本に石油を売らないという決定がなされたことである。これについても戦後世代になかなか通じないのはアウタルキーというものについての実感である。戦前は今では考えられないほど国境が高かった。そして自国内及び自分の植民地内に近代産業に必要なすべての天然資源を持つ国々があった。石油、鉄鉱、食糧など、何でも十分にある国々。そういう国々をアウタルキー(autarky)の国、自給自足国家と呼んだ。アメリカやソ連、また広大な植民地を有するイギリス、フランス、オランダなどがそうであった。これに反して日本はマッカーサー元帥が言ったように、生糸ぐらいしか自給自足できなかった。日本は典型的な非アウタルキー国家であった。
アウタルキー国家がそれぞれブロック経済に入ったらどうなる。非アウタルキー国家はアップアップしてしまう。ブロック経済といっても、高い関税ですんでいるうちは何とか工夫の仕方もある。しかし近代産業に必要な物資をいっさい売らないと言われたら非アウタルキー国家はどうなる。これこそ戦前の日本人を常に悪夢のように悩ませてきた問題である。山本五十六元帥は日本海軍を代表する知性の一人であった。この山本五十六ですらも、海軍次官のときに、「海水から石油ができる」というインチキ話に飛びついたという。当時の日本の連合艦隊は世界でも超一流であった。しかしその大艦隊はすべて重油で動かさなければならない。しかし日本にはそれがない。
これに反して日本の仮想敵国であるアメリカとイギリスは、大艦隊もあるし重油も無限にあるアウタルキーの国々だったのだ。石油の輸入に不安が生じたとき、海軍の責任者はどうするか。「海水から石油を作る」というインチキ話にも飛びつきたい気になったとしても、同情できるのではないか。そして昭和十六年(一九四一年)八月一日、遂に日本には石油は一滴も入らないことになった。そのころ山本五十六は連合艦隊司令長官であった。日本海軍が、つまりは日本が生きつづける道はただ一つ、蘭印──オランダ領東インド諸島、今のインドネシア──の石油を確保することであった。そしてその石油の道を確保するために、必ず邪魔しに出てくるにちがいないアメリカ太平洋艦隊とイギリスの東洋艦隊を撃滅することであった。かくしてハワイ・マレー沖海戦となる(日本がハワイのパールハーバーを攻撃する前に宣戦布告しなかったのは、昭和天皇の意志でも、日本政府・大本営の意志でも、連合艦隊司令長官山本五十六の意志でもなかった。国交断絶通告はワシントン時間午後一時に手渡すように命令されていたのに、日本のワシントン駐在の大使館員の怠慢によって、勝手に午後二時に手渡されたのである。その約三十分前にハワイ空襲が始まっていた。日本が宣戦布告なしで攻撃する意志のなかったことは東京裁判でも認められ、これに関する有罪者は出ていない)。
つまり大東亜戦争──アメリカの言い方では太平洋戦争であるが、日本は大陸やインドネシア、ビルマ、インド洋でも戦っていたので、太平洋戦争という名称は日本に関しては不適当──は、アメリカによる対日人種差別を遠因とし、石油禁輸を近因として勃発したことは昭和天皇のお考えのごとく、明白なことである。
ここで私が大東亜戦争の原因をいまさらのごとく述べたのは、この原因が今では完全に消滅していることを強調するためである。第二次世界大戦をきっかけにしてできた国際連合、つまり国連(the United Nations)は、第一次世界大戦の結果作られた国際連盟と異なって、人種差別をしない、つまり国歌を皮膚の色によって差別しないとうたっている(それを第一次世界大戦の直後に言ってもらいたかったのに!)。また、戦後の世界経済は自由貿易を是としている(戦前にそれがあれば良かったのに!)。日本を苦しめ続けた二つの原因は日本が戦った大戦争の後で消滅したのだ。
今でもコリアや中国には、日本の軍国主義を心配し、日本が侵略するのではないか、と恐れる声がある(多分に政治的だと思うが)。しかし、その心配は全く無用である。人種差別はなくなったし、日本の人口増加の圧力もなくなったら、移民問題は消えた。日本人の実業家や商社マンは相手国にとっても必要な存在であり、差別されて締め出される恐れはまずない。日本人観光客は相手国にとってドル箱である。また天然資源を持つ国々は独立国となって、日本はそのいいお客様である。「売らない」という恐れはないのだ。だいいち、戦前にはあれほど重苦しい響きを持ったアウタルキーという言葉も今では耳にすることが全くなくなった。戦前から見ると夢のような結構な世界である。
日本が戦争に出かける理由は全く消えたのである。敗戦後の日本人の心理の中でほっとしたことの一つと言えば、「コリア人を日本人と思わなくてもよくなった」ことがある。コリア人が独立して嬉しいことは当然であるが、大部分の日本人にも嬉しいのだ。シナやロシアに備えて大陸まで出て行く必要はなくなって、日本人は嬉しいのである。
フィリピンやビルマのジャングルで戦争したい日本人などいないはずだ。世界が人種差別の非を認め、各人種の基本的平等(現実の貧富の差、発展程度の差はあれ)が前提とされ、自由貿易が世界秩序の公理であるかぎり、日本人が領土や資源獲得のために戦争を始める気はないと断言できるだろう。
この点で戦前の世界は全く違っていたのだということを思い起こしてもらうこと、また知ってもらうことは、現在の、また将来の日本人のために絶対必要である。これについての無知が、悪意ある反日勢力につけ入られるもととなり、謝罪外交やプライドなき日本人を生む下地になるのである。
谷沢永一さんと私は年齢もほぼ同じで、ほぼ同じ新聞や少年雑誌や単行本を読んで育っている。谷沢さんは大阪、私は東北であるが、当時の情況に対する認識が完全に重なり合う。昭和十八年以前の日本はまだのんびりしていたところがあって、多様な情報があった。共産主義への取り締まりは別として決して厳しい思想統制──今の北朝鮮がそうらしいが──ではなかった。昭和十八年の──日本はすでにガダルカナル島を撤退して敗色濃厚であった──中学の英語教科書の表紙には、イギリス国王の王冠がついていて、内容も戦争には関係ない話ばかりだった。それでも谷沢さんと私は当時の歴史について、実感や認識は一致するのである。そして繰り返していうが、それは基本的に昭和天皇が認識されたことと同じなのである。このことが重要なのは、もしこの認識が本当だとすると今の日本には外国に押しかけて行って戦争する動機は全くなくなっているということを意味する。
同じ認識を有する二人が、ぜひ、この認識を多くの同胞と共にしたいと願ってこの対談が出来上がった。谷沢さんは対談のころ、体調をくずしておられて、顔色もよくなく、むくんだ感じであった。ところが話が進むにつれて、顔色もよくなり、顔も引き締まってきた感じになった。それは私が自分の眼を疑ったほどの急速な変容であった。これが私の主観でなかったことは、谷沢さんご自身が、対談の後は、気分がよくなったとのお話で証明された。谷沢さんはそれほど力をこめて語るべきものをお持ちだったのである。その点では私も似たようなものだった。このわれわれ二人に共通する歴史認識が、一人でも多くの日本人、ひいては外国人にも分かち持たれるようになることを祈念している。
この対論を企画された光文社の松下厚氏と、原稿の整理をして下さった同社の高橋靖典氏に御礼を申し上げる次第である。
平成九年十一月三日
渡部昇一
る還へ【書蔵蔵溜古雲】