雄敏辺田

おしとべなた

検証 旧日本軍の「悪行」
歪められた歴史像を見直す

平成十五年一月二十日 自由社
ISBN4-915237-36-2 C0030 税別千九百五円

「南京大虐殺」「七三一部隊」といった日本軍の「悪行」は事実と確認されたものなのだろうか。確かな根拠があっての報道だったのだろうか。伝えられた日本軍の残虐事件、残虐行為を検証。


まえがき

 日本人の安全にとって日中関係は危険な段階に入ったと思う。いや、とうに入っていたと言うべきかも知れない。近い将来、我々日本人の身に危険が迫る事態が生じても私は驚かない。その素地は既に出来ていると思うからである。

 こう書いたところで、ほとんどの日本人は怪訝な顔をするか、何をバカなと一笑に付すのはわかっている。私の思い過ごし、妄想であってくれればそれに越したことはない。だが、嫌なことを言うようだが、やはり日本人への迫害は起こりうるし、その危険は一歩一歩、忍び寄ってきていると思う。

 私が危険と考える第一の理由は、中国政府の最終目的がどこにあるかはわからないが、少なくとも目的達成の一手段として、日本人に対する憎悪、敵愾心を自国民に植え付けていることである。

 北京郊外にある盧溝橋の「中国人民抗日戦争記念館」、南京の「南京大虐殺記念館」を代表とする記念館展示のどぎつさ。これらを見た中国人が日本人への憎しみを抱かなかったとしたら奇跡である。いつか復讐を、と心に誓ったとして何の不思議はない。また、アジア、欧米など外国人が見れば、あらためて日本人の残酷さを強く焼き付けることだろう。


 このような展示館が既に百ヶ所近くに達したとする報道もあるし、さらに日本人の所業という遺跡の発掘や保存活動が展開されている。日本は悪辣な国家であり、日本人を残虐非道な民族として描く教科書とともに、これらの展示が生きた教材として使われるのは言うまでもない。十数億の人口から推して、毎年毎年日本人を敵視する膨大な人間が隣国に生まれるのだから、恐るべきことだと思う。

 中国以外の国に目をやると、我々日本人が残酷にして狡賢く、信用できない民族というイメージが、アメリカ、ヨーロッパ人の人たちの間に少なからず存在していることである。これが、危険と考える第2の理由である。

 もとより、これらの国が直接、危険な存在というのではなく、日本人が直面するであろう危機に対して、どれほど抑止する力になるかは未知数で、風向き次第では見て見ぬ振りという事態も想定できるからである。

 第一の理由も、第二の理由も「日本の過去」に起因する。すなわち、先の大戦で邪悪な日本が中国、アジアなど近隣諸国を侵略し、真珠湾では卑劣にもだまし討ちという挙に出た。そして、日本軍はナチス同様の人道に反する残虐事件、残虐行為を数多く引き起こした。日本の過去とは、詰まるところ「侵略と残虐行為」の二点に集約される。


 二点のうち、どちらが国益を害し、歴史像を規定し、我々の将来の安全にとって危険要因になるかを問われれば、ためらうことなく私は後者をあげる。つまり、日本軍民の残虐事件、残虐行為こそが我が国の「負の遺産」として決定的な足枷になっていると思う。

 このことは、ナチス・ドイツが周辺諸国を侵略したことで非難されるより、アウシュビィッツに象徴されるユダヤ人抹殺の悪寒を覚える残虐さに、遙かに多く避難が集中していることを考えれば事足りると思う。

 これがなければ、ドイツに対する非難も戦争の歴史、侵略の歴史を歩んだヨーロッパでは、侵略した側とされた側との間に感情的なしこりを残しながらも、第2次世界大戦という歴史問題として収束していたはずである。

 我々日本人は、日本軍の旧悪を日本の新聞、テレビなどメディアが発する洪水のような報道によって知らされた。また、報道の影響も大きくあづかってのことだろう、歴史教科書に数多くの残虐事件が取り上げられ、教師はこれでもこれでもかと日本軍の残虐ぶりを教え込んできたし、今も変わらない教室の姿である。また、各地に立つ「平和記念館」の展示も一層拍車を掛ける。

 食料、エネルギーなどの資源に乏しい我が国は、それだけに国際社会と折り合って生きて行かねばならない。だが、地球の有限性、人口の増加を考えただけでも、国家観の紛争が増えこそすれ、減ることはあるまい。


 そして、自国に都合の良いように情報を操り、有利な立場に立とうとする。一方、我々が背負う負の遺産は、「歴史カード」として相手国の手の中にあり、相手の都合の良いときに切られ、国益はいいように翻弄される。

 だが、「歴史カード」を支える日本軍の「悪行」はそもそも事実と確認されたものなのだろうか。また、確かな証拠があっての報道だったのだろうか。ところが、これらのほとんどが報道の名に値しないずさんなもので、不必要な「歴史カード」を相手国に与える愚を犯したばかりでなく、誤った歴史認識に国民を誘導し、我々の安全をも危険にさらすものなのである。

 報じられた残虐事件、残虐行為に疑問を持ち、調査を始めて十余年が経過した。ことの性質上、中国に関するものが大部分であったが、調査を通じて痛切に感じたことは、こんないい加減な事実関係の上に、我が国の近現代史が成り立ち、こんなウソ話がまことしやかに教えられ、贖罪意識が醸成されていたのかということであった。

 日本軍の悪行となれば、「被害者」「加害者」のいうがままに、競うがごとく報じるマスメディア、それに追随した学者や進歩的文化人、簡単に謝罪する政治家の姿がそこにあった。だが、悪行が事実かどうかを確かめる「検証」という二文字が、見事なまでに省かれていたのである。


 本書は伝えられた日本軍の残虐事件、残虐行為が事実かどうかを検証した報告である。と同時に、今日の結果を生むに至った大きな流れについても不十分ながら記述した。また、なぜこのような事態になるまで、声をあげる立場の人達が総じて沈黙し、放置してきたかも多少だが触れることにした。

る還へ【書蔵蔵溜古雲】