鎬基崔

ほいけぇち

韓国 堕落の2000年史
日本に大差をつけられた理由

平成十三年十一月五日 祥伝社
ISBN4-396-61135-8 C0020 税別千六百円

 初めて明かされる本当の韓国史。「李朝五百年」と「徳川三百年」韓国が日本に追いつけない根本原因はまさにこの違いにあった! 秀吉が明の制圧を企図し、その過程で朝鮮を侵攻するという噂は、朝鮮にも早くから伝わっていた。そこで朝鮮政府は、秀吉の真意を探るべく使節団を日本に派遣した。大阪城で秀吉と謁見し、帰国した正使は「侵攻の意図あり」と奏答、副使は「その虞(おそれ)なし」と正反対の報告をし、結局、副使の意見が採用された。なぜか? ここに、今に続く韓国社会の病弊が、すべて集約されている。


■ 前書き ■

 日韓間には教科書問題をはじめとして歴史認識をめぐる摩擦が絶えないが、はたして日本人は、どこまで韓国の歴史を知っているだろうか。

 韓国は一九八〇年代に民主化が行われ、今では一人当たり国民所得が中進国の上に達し、民主国家として国際社会の仲間入りをするようになっている。しかし、韓国の政治・経済・社会・文化は、きわめて特異なものがあって、近代国家と呼び難いものである。韓国社会の内容は、その近代的な装いと異なって、どうしようもない前近代的な仕組みによって支配されている。

 今日の韓国が病んでいるのは、理不尽な社会であった李朝時代がほとんど改められることなく、そのまま続いているからだ。李朝の社会がどれほどおぞましいものであったのか、李朝時代がどのような歴史的な経緯によってもたらされたものか、ということをしらずには、今日の韓国人の心理や、その行動様式を理解することができない。

 北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国と称しているが、李氏朝鮮がまさに名前だけ変えて存在しているといえる。文字どおりの虐政が行われており、民主とも、人民とも、まったく無縁である。李朝という下敷きがなければ、北朝鮮のような体制は出現しえなかったろう。


 韓国は国際社会に参加してきたから、民主制度の道を採らねばならなかった。国内における民主的覚醒が進んでいるものの、青瓦台(チョンワデ)として知られる大統領官邸への権力の過度の集中や、法を軽視した人治主義や、収賄構造が深い根を張っているのは、韓国民が李朝の呪いから抜け出すことができないからでる。

 李朝では権力がすべてだった。権力の座に座ったものが、暴虐の限りを尽くした。法は権力者によって、好き勝手に用いられた。権力の奪い合いは、凄惨をきわめた。民衆はただ搾取の対象となった。権力者は美辞麗句を弄(もてあそ)んだが、人命も、道徳も、顧みることがなかった。民衆は過酷な社会のなかで生き延びるために、偽ることが日常の習い性となった。李朝では役人の目や耳を欺くために、商人の間で反語が用いられた。買う時に「売る」といい、売る時に「買う」と、全く逆のことをいった。今日の韓国でも、いまだに反語的な発想がはびこっている。

 かつては高い文化と独立性を保ち、近隣の国々からも高徳の民として尊敬を受けていた韓民族が、二千年を経たいま、なぜこうも屈折した精神を持つようになってしまったのか。韓国民は民族の歴史が、どこで、どう誤ってしまったのか、勇気をもって歴史と直面して、検証しないかぎり、真の民主主義と、明るい未来を手にすることができない。本書がその役に立てば、幸いである。


る還へ【書蔵蔵溜古雲】