ンァツンポタ・デア


チベット女戦士 アデ

平成十一年五月六日 総合法令出版 税別二千円
ISBN4-89346-636-4 C0023

 愛した人々の叫びを伝えるために私は戦い、生き残った。
 中国共産党の侵略に抵抗すべく、地下組織に加わったアデ。拷問、レイプ、奴隷労働、飢餓――彼女を待ち受けていたのは二十七年間の壮絶な獄中生活だった。
 残酷な歴史のたくらみの中でこれほど強く、気高く生きた女性がいる。チベットの監獄の生き証人が語る衝撃の事実。


ダライ・ラマの序文

 この本は、チベットの人々の苦しみと勇気ある行動についての、心動かされる証言です。その大半は、人生の二十七年間を中国の監獄で過ごした、アマ・アデに関わるものです。
 彼女と家族は、一九五〇年代の初頭に始まった、チベットの抵抗運動に加わったために投獄されました。チベット人の闘争に推進力と持続力を与えてきたのは、彼らのような人々なのです。
 世界の人々が、アマ・アデの物語を読む機会を与えられたことのみならず、彼女が生き残り、この話を伝えられたことをとても喜ばしく思います。
 これは、中国共産党の占領下で苦しんだ、すべてのチベット人たちの話です。そして、正義と自由を求めるチベットの闘争に、チベットの女性たちもまたいかに自分のみを捧げて参加してきたかについての話です。
 彼女自身が語っているように、ここに書かれているのは、「生き残ることができなかった、多くのチベットの人々を記憶している声」なのです。
 この本を読まれた方々が、チベットの人々の苦しみと、彼らの文化と独自性を排斥しようとした企てがどれほどのものであったのか、その真実の程度を理解してくれることを確信しています。
 また、その結果として、チベットの人々の正当な主張を支援する気持ちを奮い起こしてくださることを心から祈っています。


The DALAI LAMA FOREWORD

This book is a moving testimony of both the suffering and the heroism of the Tibetan people. I mostly concerns Ama Adhe, sho spent twenty-seven years of her life in Chinese prisons.

She and the members of her family were imprisoned because they participated in the Tibetan resistance movement that started in the early 1950s. It is people like them who have given the Tibetan struggle its impetus and endurance.

I am happy not only that people will be able to read Ama Adhe's story, but also that she survived to tell it. Here is the story of all Tibetans who have suffered under the Chinese Communist occupation.

It is also a story of how Tibetan women have equally sacrificed and participated in the Tibetan struggle for justice and freedom. As she herself says, hers is "voice that remembers the many who did not survive."

I am convinced that people who read this book will come to understand the true extent of the suffering of the Tobetan people and the attempts that have been made to eliminate their culture and identity.

I hope as a result some may also be inspired to lead their support to the just cause of the Tibetan people.


まえがき

 いま読もうとされている、本書に匹敵するほどの物語は、ほとんどありません。これは、計りしれないほどの辱めと苦しみに直面しながらも、人間としての尊厳、誠実さ、慈悲深さを維持しつづけた、ひとりの女性の壮烈な物語です。中国のチベット占領に抵抗したため、二十七年間もの投獄生活を送ることになった、このまれにみる女性、アデ・タポンツァンは、彼女自身の経験を通して、チベットの人々に起こった悲劇を証言しています。残念なことに、本書につづられている状況は、未だに解決されていません。アデの語る苦難は、いまもなおチベットで暮らす何百万ものチベット人の間に続いているのです。
 私のこの物語とのかかわりは、一九八八年の夏に始まりました。友人のジョアンが、ニューヨーク州北部にある彼女の家の庭の階段に腰かけながら、インドのダラムサラ──一九五九年にダライ・ラマ法王がチベットから脱出してほどなく、チベット亡命政府の本部が置かれたヒマラヤの村──で、チベット人の友人と写した写真を見せてくれました。バラやユリの花が咲くジョアンの家の庭で、もともとは独立国だった土地を、共産党が計画的に侵略したことによって圧倒された、勇敢な人々のつらい闘争と背信行為について、初めて聞かされました。
 ガンで余命幾ばくもないことを知らされたジョアンは、ダラムサラで彼女の大好きな人々と最後の日々を過ごすことに決めていました。あの夏の日、彼女の庭の塀のそばに立って、お互いに別れの言葉を口にしながら、もう二度と彼女に会うことはできないのだと思いました。


 彼女はその翌年の冬にインドで亡くなりました。
 その翌春、彼女があれほど高く評価していたその友人たちに会い、チベットの人々に私ができるかぎりの助力を申し出るために、初めてダラムサラを訪れました。この訪問の間、ダライ・ラマ法王の個人的な秘書のテンズィン・ゲイチェに会い、自分にどんなことができるかを聞くことができました。一九九〇年の春にダラムサラに戻ったとき、チベット亡命政府で人権問題を担当しているンガワン・ダクマギャポンが、私がいままでに出会ったなかで最もすばらしい人物のひとり、アデ・タポンツァンを紹介してくれました。
 アデと私は、最初に会ったときから、お互いに深い愛情と説明しようのない絆を感じ、その感情は年を追うごとに深まっていきました。アデは、私のことを養女だと思っています。同じように、私も彼女のことを尊敬と愛情のこもった「アマ」(お母さん)という言葉で呼んでいます。彼女はチベット人社会の中で広くそう呼ばれています。最初に会ったとき彼女は、ゆっくりと時間をかけて、彼女が話す細部にまで特別な注意を払って話を書き取るように、私に懇願しました。彼女の話には、占領された母国が被った痛手についてだけではなく、彼女が逮捕される以前に経験した、昔からの文化の貴重な思い出も含まれていました。その寒気のするような実話と人を奮い立たせるような彼女の強さと高潔さに感動し、彼女の牧歌的な子供時代から、長い監獄生活、拷問、そして最終的に釈放されるまでを書き留めることに同意しました。

 最初の頃のインタビューは、アマ・アデと私が、ダラムサラにある難民受け入れ施設のガランとした部屋のふたつのベッドに腰かけて、通訳をしてくれた人権問題の係官、ンガワン氏と一緒に行いました。彼女が語る話を、私は驚きを持って聞いていました。若いときの話をするとき、彼女は目を閉じ、陽気で気楽な子供の頃の顔に変わっていくようでした。対照的に、彼女自身の信じがたいほどの苦痛については、ほとんど何の感情も交えずに語りました。私のほうは、竹串を爪の下に差し込まれたために醜く変形してしまった指を見せてくれたときなど、彼女と同じ平静さを保つのにとても苦労しました。このインタビューを通して、アマ・アデが泣いたのは、家族や友人、また、たまたまその拷問と悲惨な死を目撃した名前も知らない人々など、ほかの人々の惨めさについて思い起こしたときだけでした。
 自分の悲惨な経験を語るアマ・アデの淡々とした口調には、時にはむしろ動揺させられます。でも、この調子はチベット語とチベット文化そのものの反映だということを、読者に理解していただきたいと思います。外国人がよく感じるように、チベット人は自分たちの人生について、劇的な表現や悲劇的な表現を使うことを好みません。これは、恐らく個人的な不幸をくどくどと話すことには、チベット社会に浸透している仏教の考え方からすれば、望ましくない特性の、自己中心性が含まれているせいだと思われます。アマ・アデの非常に率直な口調に暗示されている無私の態度があったからこそ、この本に語られている悲惨な出来事にも彼女が生き残ることができたのかもしれません。

 多くのチベット人と同じように、アマ・アデは正式な教育を受けていません。そのため、彼女の物語は、注意深く細工を施した文学作品をいうよりは、鮮やかに編み上げられた口述の物語という雰囲気がします。
 私は、彼女が語った表現を可能なかぎりそのまま残し、用語もそのまま使うように心がけました。チベット語や中国語の表現、本の中に出てくる人名や地名は、アマ・アデが彼女のカムの方言で発音したとおりに記述しました。この方法は、チベット学者たちを完全に満足させるものではないかもしれませんが、アマ・アデの物語が、彼女がダラムサラで私に語ったときと同じ臨場感を持って伝えられるように願ったのです。
 アマ・アデと私は、本書が、生き残ることができなかった、また、いまも続く中国のチベット占領によって脅かされている多くの人々のことを思い起こさせる、チベットの人々のための声として役立ってくれることを期待しています。
 彼女を取り巻く人生の状況は悲劇的なものでしたが、彼女が何十年にもわたる激しい苦しみの歳月を通して持続した、知恵、精神力そして勇気が、彼女を、助けを必要としている人々に背を向けず、信じていない教義を復唱したりしない、まれにみる人間にしたのです。チベット人にとって、アデは勇気と決意の象徴です。そして、私にとって彼女は、自分たちの文化、宗教、心の自由を勇敢に主張する人々を代表する存在です。

 一九九七年七月

ニューヨーク州オネオンタ ジョイ・ブレイクスリー

監訳者あとがき

「アデの物語」はフィクションではありません。
 しかし、私は彼女のこの本を読んで、英国のジョージ・オーウェルの『動物農場』に似ているような気がしました。
「アデの物語」は実在のひとりの女性の二十七年間にわたる獄中生活の生々しい記録です。そこには拷問、強姦、相互スパイ、人民裁判など、日本の読者が映画の世界で見ることしかできないような、想像もできない記録が細かく述べられています。飾り気のない一つひとつの言葉の中には魂のようなものが感じられます。
 ダライ・ラマ法王の序文にも書かれてありますように、この物語は残念ながら過去のことではなく現在も進行中の物語です。
 一人のアデではなく、六百万人のチベットの人々が直面した歴史的悲劇の記録でもあり、また他民族の屈辱的支配のもとで苦しんでいる多くの人々の苦しみに共通するものです。
 私はふだん涙もろく、最近話題の『五体不満足』という本を読んでいるとき、何回笑ったか何回泣いたか数え切れないほどでした。それどころか、テレビなどを見てもすぐにティッシュペーパーに手を伸ばすのが常ですが、今回の物語では泣くことよりも、あまりにも残酷な描写に震えるほどの怒りを覚えました。


 その物語は私の耳にタコができるくらい多くの人から語られ、さらに自分自身の目で一部を目撃した臨場感もあったからでしょう。とはいえ、アデが逮捕されたときたった一歳だった娘と成人して再会を果たした場面や、アデの息子が母親の逮捕されたショックのあまり発狂してしまうところでは、涙を抑えることができませんでした。
 アデは私の生まれ育った地方の人間で、彼女の本の中に登場するギャリ、またはギャリツァンとは私の家のことであり、ギャリ・ニマは私の父、ギャリ・ニンチェンは私の曾祖父です。また、シヴァツァンとは私の祖父の家を示し、祖父はシヴァツァンからギャリに婿入りしたのです。ギャリ・チミ・ドルマは私の祖父の妹です。
 タポンツァンとは彼女自身もいっているように、私の曾祖父の馬担当の家臣ということです。
 当時の馬は戦争に備えて必要なものであったため、戦闘準備のための責任者であったわけで、後に彼女の父はティムポン、つまり裁判官に任命され、先祖代々私の家に尽くすことを誇りにしてきた方でした。
 なお、本書に出てくるチベットや中国の地名・人名などは、できるだけ私たちが住んでいた地方の発音に忠実であるように心がけました。ですから、日本で一般的に使われている表記と異なるものもありますが、ご了承いただきたいと思います。

 さて、私と彼女が初めて対面したときに、彼女はいきなり、私がギャリという名前を名乗っていないことに対し不平をもらすと同時に叱りました。昔の領主と家臣という上下関係ははっきりしていたものの、善悪に関しては愛情を持って家臣が領主を叱ったり、コントロールすることも当然のこととしてありました。
 その関係は信頼、特に保護と忠誠心によるものでした。彼女の家の家来たちが中国当局の強い圧力にもめげず、彼女に危害を加えたり批判をしたりすることがなかったことも、このような人間関係を表しているように思えます。
 彼女の体験記を読んで、私の幼い時期の記憶がいくつか間違っていることに気がつきました。しかし、それはまた再確認した上で別に記したいと思います。
 ただ私は彼女の流した涙、汗、そして多くの血と肉が祖国の土の中に流れ、それが現在も土の中によどんでいることを考えながら、これらの人々の尊い犠牲が無駄にならないよう、すべての人々や生き物が、チベット人が受けた苦痛と屈辱を味合わなくてもすむような世界になってほしいと切に願っています。
 しかし、悪の力は善よりも大きいときがあります。この悪の力がどの程度侵入しているかは、これから日本のマスコミがどれほど「アデの物語」に対して反応を示すかでわかるでしょう。
 中国の『ワイルド・スワン』に匹敵するこの物語に、日本のマスコミそして人権運動家たち、さらに政治家がどのようなリアクションを起こすか興味を持って見守っていきます。

 私はこの紙面を借りて、祖国のたくさんのアデたちに対し心から敬意を表すると同時に、ギャリと名乗らずともこの時代にふさわしいやり方で、それらの人々に対し義務を果たすことを誓いたいと思います。
 チベット問題、「アデの物語」はまだ終わっていないのです。
 しかもこの問題は、チベットだけの問題でもなければ中国だけの問題でもないように思います。
 これは、人類の歴史上に起きてはならないことであると思いますし、これからもこのようなことが起きないように、心から祈って行動していきたいと思います。

 一九九九年三月

ペマ・ギャルポ

る還へ【書蔵蔵溜古雲】