2007年 りかぽん加入!うみ新境地へ〜
つりの産休で、ふたたび、かよりんのヘルプを得て活動開始。
夏には、初代メンバー「だん」に代わり、りかぽんが加入。
りかぽん・かよりん体制で、一味もふた味も違ううみとなりました。
この5人で駆け抜けた1年間も、とても思い出深いものがあります。
かよりん、ありがとう。 だん、長期間おつかれさまでした。
2006年 久しぶりのオーディション、つり、年末から再び産休へ
阿佐ヶ谷につづき、横浜市旭区のジャズ祭りにも進出!オーディションを
受けたのは何年振りでしょうか。昨年のNHKを見てくださった方からの出演
依頼、さかさんの地元小学校、中学校の学園祭、立川駅前の大画面に演奏が映し出されたり、12月のチャリティコンサートでは庄野さんと同じステージに
たつなど、つり復活1年目にしてはかなり精力的に動き回り、そして12月を
もって、つり二回目の産休へ。
2005年 つり産休、えりちゃん・かよりん、サンキュー!
つり復活、そしてうみはNHKの生放送に出演!!
ついにつりが産休に入り、今年は一体どうなることやら〜と言ってる間もなく、結婚式でのお座敷依頼が・・。急遽、Indigo Blueのかよりんにヘルプをお願いして、何とか無事終了。
その後も、おなじみの立川と鶴ヶ島(東公民館まつり)から4月に出演依頼があり、今度は同じくIndigo Blue(&ごるごんぞーら)のえりちゃんにヘルプを依頼。30分ステージ×2回に耐えうる全9曲を暗譜してもらいました。えりちゃん、感謝です!!とっても楽しかったよ。また是非お願いね。
また、7月にはふたたびかよりんにお願いして、こちらも「立川子ども劇場コンサート」にて無事50分のステージ終了。ほんとにありがとう〜! かよりんの高音にはお客さまも吸い込まれるようなまなざしで見入っていましたね。まだまだかよりんといろんな曲を歌ってみたいな。
上半期はこんなステキなお二人に助けられて無事終了。
9月から、つりが復活。第一弾は、庄野真代さん主催のセプテンバーコンサートでした。以来、庄野さんとは懇意にさせていただいております。
そして、10月にはなんとNHKの全国放送に登場!阿佐ヶ谷ジャズ
ストリート会場でうみの歌が生放送・フル演奏・テロップつきで、流れてしまった
のです。平日の午後にも関わらず、多く方から「見たよ〜!」の連絡が・・・・。
2004年 つりオメデタ かけこみ遠征西へ東へ
&そしてついに伝説の「海猫屋」へ・・・
この年のニュースは、なんと言ってもつりが結婚し、オメデタとなったこと。ご結婚前までは、常連の立川・羽田空港・さいたま市関連のイベントなどにゆるゆると出演させていただいていましたが、オメデタ速報が入ってからは、なんだかもう大変!まるで行き急ぐかのように遠征ラッシュが始まったのでした。
1本目。長年の夢であった、札幌遠征。北海道のアカペラバンドが集まるイベント
「ハモサツ」への出演、翌日の札幌市内でのストリートライブ、そして、うみにとって忘れることができないのが、うみねこやの名前の由来となった小樽のレストラン「海猫屋」との出会い。突然お店を訪れ、マスターに自己紹介し、ずうずうしくも2曲その場で歌わせていただくことに・・・。マスターともすっかり仲良くなっていろんなお話をしましたが、中でも「ウミネコがいる場所には、魚が沢山集まっている、つまりウミネコのいる場所には沢山の人が集まってくる、、という意味があるんだ・・・」というお言葉には、一同カンゲキ。いやはや、、なるほど。
札幌遠征の味を占めたわけではありませんが、秋には鯛茶ヅケーズさんにお誘いいただき、ついに関西のアカペラの殿堂「Cash Box」へ。。関西はKAJa!以来です。 ところで、このライブは土曜日に行われましたが、金曜日はものすごーい台風で、飛行機も新幹線も全て止まる勢いでした。が、ライブ当日はステージ開始時間が近づくにつれ、大雨が小雨に変わり、どんどんお天気が回復し、ついにお日様まで登場・・・・。いやー、これまでにも何度か似たようなシーンはあったけど、今度ばかりはうみの「晴れバンド」の地位を揺るがぬものにしましたね。
ライト兄弟(別名:うみのてるてるボーイズ)バンザイ!!
しかしこのライブ、鯛茶はもちろんのこと、駆け込みでAJIも登場してくれて、ライブもさることながら、その後の打ち上げも盛り上がりましたねー。AJIメンバーが作ってくれた鶏のカラアゲ食べちゃった・・・。ファンの方々に怒られそうだ・・・。
遠征ラストは、福島県いわき市の呉羽総合病院ライブ。このライブは1年前以上前から企画担当の方にお願いされていたので、つりオメデタニュースよりずっと先に決まっていたもの。大きなお腹をかかえ、ホントに大丈夫かしらん?と心配しながらも 「まあ、いざとなったら病院だし・・・」とワケ分からない理屈をつけて福島まで向かい、何とか無事歌い終えたのでした。運転手のしばたさん(つりご主人)、札幌に続き、ご同行ありがとうございました・・・)
しめくくりは年末の「つり産休前ライブ」。これまでの集大成ということで、体力の続く限り歌おうと、全30曲歌いきりました。つり、重いお腹をかかえて、本当におつかれさま。
2003年 JAZZ BAR・「多作」、香港好運とのジョイント・・
この年は、比較的クローズドな場所にお呼ばれすることが多かった1年ですが、そんな中でも
六本木のBrave Barや都ホテルなど、かなりオトナでオシャレな場所で歌う機会が与えられ、衣装やステージの雰囲気にも、特に気を使うようになりました。一方、若者バンドがメインのSOSライブにも出演し、こちらはスタンディングの若さあふれるライブということで、やはり衣装には気を使いました・・・。(マトリックスさんも一緒ではあったけど・・・)
また、東京のアカペラをメインとしたライブハウス「多作」がオープンし、うみも早速出演させてもらうことに。ステージが広くないので、かわさんの頭上にライトがあるのがタマに傷ですが、音響はさすがです。PAのテッちゃんはうみのレパを知り尽くしてくれて、いろんな演出のリクエストにも申し分なく応えてくれます。この多作で行った2回目のライブが、香港好運とのジョイント 「アカペラ公園前夜祭」。昔っからのお友達だったけど、ちゃんとしたタイバンはこれが初めて。 「Freedom’90」を全員で歌って踊ったのが、メッチャ爽快で何よりの思い出です。
その他、阿佐ヶ谷駅前のクリスマスイルミネーション点灯式や、高崎の高層レストランでサンクボアさんとご一緒させていただいたクリスマスディナーショーもステキな思い出です。
2002年 ジョイントライブ・鶴ヶ島市・羽田空港・・・
それまで、企画ライブを全くやったことのなかったうみ。この年、初めて「チケットを買って聞きに来てもらう」というライブを経験したのです。(え?遅い??)一つ目はアカペラTokyo。もうひとつは仲良しバンドである
「ごるごんぞーら」「Indigo Blue」と一緒に企画した 「アカペラMix」。ともに
ステージをこなし、一緒に作り上げる楽しさを知りました。特にアカペラMix
では、メンバー間の入れ替えをしたり、最後は全員でA cappella in Acapulco
を打楽器も入れて歌ったりと大盛り上がり!いやー、普段5人では出来ない
ことを大勢でやれるというのも、楽しいですよ、ホント!
鶴ヶ島市の図書館ライブにお呼ばれし、現在も鶴ヶ島市さんとのお付き合いは続いています。図書館祭り=子供が集まるということで子供ネタを用意し、この頃から「子供とお年寄りはうみのモノ!?」という変な自信が・・・(^^;
羽田空港のクリスマスライブが始まったのもこの年ですね。これも定番化してきました。
2001年 Break Station出演+阿佐ヶ谷との出会い・・・
この年、うみは東京駅の情報発信基地「Break」という場所で行われるライブの出演資格を幸運にもゲットしました。1361ものパフォーマンスグループが応募し、最終的に出演のライセンスをゲットしたのはたったの41組!合格通知をいただいた翌週に早速出演依頼があり、8月5日、第一回目のBreak Station Liveとなったのでした。この日から3ヶ月に一回程度、このBreakで歌うことになります。翌年もありがたいことにシード?でライセンス権をいただき、2年間、東京駅がうみのホームグラウンドに。。
また、阿佐ヶ谷という街に出会ったのもこの年。阿佐ヶ谷JAZZ STREETという街をあげての大イベントのメインステージで歌う機会をいただき、以来阿佐ヶ谷には色々とお呼ばれするようになりました。うみ以外にもアカペラバンドが続々とこの阿佐ヶ谷で歌うこととなり、立川に続き第2の「アカペラの街」誕生といったところでしょうか。。
他にも、あのTime Fiveの代理?で晴海トリトンスクエアで歌わせていただくことができ、なんとTime Fiveのメンバーに聞きに来ていただいたり,,二子玉川や柏の高島屋でクリスマスライブをさせていたき、高島屋とのお付き合いが始まったのもこの年でした。。(ただ、高島屋のライバルデパート「そ○う」のテーマソング(I'ts
a small world)を思い切り高島屋で歌ってしまい、二子玉川の広報担当者にはちょっと睨まれてしまった・・)
2000年 KAJa!出演・立川との出会い・さらに・・
ダメもとで応募したKAJa!(関西アカペラジャンボリー)の合格通知。ストリートやアカペラ公園の出演経験しかない私達が、いきなり遠征、しかも数千人規模の人前で歌うなんて・・・。もう、完全に舞い上がってしまい、当然、ステージ上でも舞い上がってしまい、結果は大変なことに。。ははは・・。
でも、このKAJa!で得たものはとてつもなく大きかった。まずはスバラシイ出演者達の演奏を次から次へと目の当たりに出来たこと。うみのレパートリーをポップス方面にも広げることに成功したこと。場が人を成長させるとはまさにこのことでしょうか。人前で表現することの奥深さを学んだと思います。
立川市の鈴木さんとの運命的な?出会いをしたのもこの年。
街の音楽祭(アーティストライブ)に応募して歌っていたところを、企画担当の鈴木さんが見つけてくれたのです・・。立川市とアカペラの出会いはまさにこの瞬間でした。今や立川はアカペラとは切っても切れぬご縁となっていますが、全て鈴木さんのお陰なんです。。
さらにこの後、Decks東京ビーチ、溝の口Popolo、グランベリーモールなど、公共の場所で歌う機会に恵まれ、ギャラをいただいて歌うことの責任を感じ、ステージを作ること、お客さんに楽しんでもらうということに、これまで以上に真剣に取り組んでいくようになりました。
1999年 春 デビュー
大人数バンドとして、5月3日、池袋駅前のストリートライブ(沢山のアカペラバンドが集合!)で歌ったのがデビューでした。曲はThis
boyとか、I love youといった14カラットソウルの定番モノでした。(あれ?JAZZグループだったはずが・・・)
その翌日、今度は渋谷駅のストリートを体験、そして同月29日に、アカペラ公園に出場を果たしたのでした。10人以上のバンドなんて私たちだけ?まるで合唱団でしたね。この時は結成当時のお約束どおり、Singers
Umlimitedの「Try to remember」と、上述の2曲を歌いました。
その後、紆余曲折を経て、秋のアカペラ公園から現在の5人となり、そのまま、ナントこのメンバーで6年、続いています。石の上にも・・・・??
でもこの頃は、今思えば、ただ歌っていただけだった。。誰かに「表情がない」とか「楽しそうじゃない」といわれたりしたことも・・・。
私達が開眼したのは、その後、11月に行われた「上野の森コーラスパーク」の出演でした。初めて、身内ではない通りすがりのお客さんからの手ごたえを得た!と感じ取ることができたのです。まあ、上野・東京文化会館の前、という土地柄がよかったのでしょうけどね。。(自称「アカペラ界のバリアフリー」はこの時がきっかけか・・・)
1998年 秋 メンバー結成
「うみねこ」さんというハンドルネームを持つ、小林さんが、Japan Acappella
Central(現在のa cappella. co.jp)の掲示板にて、「JAZZを歌いたい人。Singers umlimitedなどを一緒に歌いましょう」という募集をかけた。最初に集まったのは、かわ・さか・だんの3人。だんに誘われてつりも加入。その後、ゆとりも加入。ゆとりと同時に2人加入、更に1人、さらに3人・・・と、どんどん増えて、一時は12人に。
グループ名を決めようということになり、リーダーのうみねこ氏の名前をとって「うみねこや」に。(この時はまさかこんなに長く続くとは誰も予想せず・・? 何となく決まってしまった・・・) 小林さんは、その後体調がすぐれず、うみを引退。
★うみすとりぃ★