<音楽歴>
小学校低学年
毎週TVでNHKの「ステージ101」を見るのが楽しみ。たぶん、今もなお、この影響は大きい。内容はあまり覚えていないんだけど。。。http://www4.airnet.ne.jp/stage101/history/songlistindex.html
小学校高学年
スター誕生・紅白歌のベストテン・ベスト30歌謡曲・ゴールデン歌謡速報など歌謡番組大好き。
中学校時代
TVで「サウンド・オブ・ミュージック」を見てミュージカルを知る。耳なじみの曲は意外とミュージカルの中に歌だったと知り、ほかにもないか探しまくる。TBSの「サウンド・イン・"S"」でタイムファイブを知り、初めて大人のハーモニーに触れる。
高校時代
ミュージックフェアが楽しみ。いろんなアーティストがハーモニーをつけたりして競演するシーンなど。今でも忘れられないのが雪村いずみ・しばたはつみ・宮本典子の「マシュケナダ」、中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりの「愛のコリーダ〜ギンギラギンにさりげなく」。”アレンジってこんなにも曲をゴージャスにするんだ”と思う。高校の吹奏楽部でも、やりたい曲の楽譜が市販されてないと、アレンジをしていた。
(楽器は15種ほど、パートは24パートくらい。)
大学時代
FM大阪でレコードをまわすアルバイト(ま、ADみたいなものかな?)をする。ヨメキントリオのキンヤに「この人と一緒じゃスタジオ入るの嫌よ〜」みたいなことを言われて、複雑ながらも傷つく。大学の音楽仲間に誘われて、「音は友達」という企画に参加させてもらい、自作の歌を歌ったり、仲間のピアノの連弾(動物の謝肉祭)にあわせてOHPで動物を登場させ、興奮した子どもたちにもみくちゃにされる。そんなにウケてくれるとは思わなかったのに。。。音楽のパワーを感じた。その主催者のつてで、古谷哲也音楽事務所(※)の歌のお兄さん(なんと、もとPYLONのごんたさん)のピンチヒッターとして時々歌わせてもらうようになる。その日ステージを持つ小学校の校歌をその日の朝本番前の短い時間に仕込むというのが辛かったが、やっててとても楽しく、心地よい緊張感。「子どもの目線にさがってはあかんねん。子どもが『大きくなったらあんな人になりたい』と思うような、そんなステージをやらんとな。それが大事やねん。」という古哲さんの言葉は非常に重みを持ち、今でも自分の支えになっている。(※今は古哲リズム教育センターとして活動していらっしゃるようです。)
日本語講師(in 台湾)時代
歌で日本語になじんでもらおうと、なるべく英語の言葉が少なく、かつ当時ヒットしていた曲を探すが、とっても困難。(歌詞に意味なく英語が含まれているものばっかり。しかも英語が違う!)薬師丸ひろ子の「あなたをもっと知りたくて」で「〜(動詞)たいです」という文型の導入・定着に成功するなど、効果をあげる。「〜(動詞)てください」の導入の時「この広い野原いっぱい」を歌う。たまたま失恋したばかりの生徒さんが授業の時に泣き出してしまった。歌詞の意味が伝わったことを実感。歌ってすご!と思う。安田祥子・由紀さおり姉妹のレコードから、「夕焼けこやけ」を聞かせた時アレンジの美しさもあって、しばらくその語学学校の日本語クラスで大ヒットとなる。”声って凄い、アレンジって凄い、ハーモニーって凄い”と思う。
帰国後、しばらく音楽らしいことは何もやらないまま時がすぎ、1998年、ついにうみねこやと関わることになる。(終わり・・・とりあえず)
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<好きな音楽のアーティスト、ジャンル>
これといってないけれど、たぶん古きよき時代のミュージカルの中の曲、童謡など。
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<音楽以外で好きなこと、もの>
雑誌とかに紹介されていたところへ電車で行ってぶらぶら歩いてみること。
アメリカのコメディー番組。会話のやりとりを聞きながら、このフレーズをどこかで使ってやろうとか思ったりする。
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<もう一度人生があるとしたら何したい?>
霊能者。(美輪明宏がほんとに天草四郎の生まれ変わりなのかなぁ。。知りたいっ!)辛いこといっぱいかもしれないけど、この人たちじゃなきゃできないこといっぱいあると思うし。
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<私ってこういう人間でーす>
人間、正体を明かすよりミステリアスなほうが魅力的。
・・・ということでパスします。 |
<うみ以外の所属バンドなど>
マミィ レインボー7 ほか(実はメンバーもよく知らない・・・上述の通りミステリアスだから。) |