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唇からの伝言




譲は小さな箱を眺めて考えていた。
丁寧にラッピングされたそれは机の上に置かれ、今は開かれるのを待っている。
先ほど家へとやってきた望美から渡されたもの。
家がお隣ということもあって、望美はわざわざそれを学校で渡さない。
その日の晩、そろそろ夕飯も終えたかと言う頃に持ってやってくるのが常だった。
小さい頃からずっとそうだったから両親も心得たもので、今日のこの時間インターホンが鳴れば「あら、望美ちゃんが来たようよ。」「寒い中待たせては悪いから早く行きなさい。」と揃って息子達を玄関に急かす。
そうして開いた扉の先にはやはり望美がいて、
「はい、これバレンタインのチョコレート。将臣くんと譲くん、二人に。」
と渡される。

それを将臣も譲もありがとうと笑顔で受け取る――もはや毎年恒例の光景だ。
今年も繰り返された結果、譲の目の前に一つの箱がある。
何も変わらない。
だけど、と譲は心の中で反駁していた。数年前からよぎるようになった思い。
そして年々、その思いは強くなっている。
この光景はあとどれくらい続くんだろう?と。
今は当たり前でもいずれはそうではなくなる日がきっと来る。
例えば兄に誰か彼女が出来た時、あるいは――と譲は考えを巡らせて、その想像を打ち消した。
考えたくもないことだ。先輩が他の誰かと付き合うなんて。
譲はそこで一つ大きく息を吸い込むと、先の分からない不安をため息にして吐き出した。
分かっているのは、無邪気に手を繋いで好きと言い合っていた日々はもう過去のものだということ。
望めばいつまでも側に居続けることが出来るだなんて思うほど、子供ではなくなった自分。
いつからだろう。
当たり前だと思っていたことが実は脆く儚いものだと知ったのは。
最初は将臣と望美が小学校に入った頃だったろうか。
ランドセルを背負った二人と一緒に登校する際のことだ。
途中までは同じ道。でも四丁目の十字路まで来ると母に連れられ譲は右へ、二人は左へ。違う道へと進んで行く。
分かれ道で一度譲に手を振ると、それきり振り返りもせずに行ってしまう二人を見て、一緒がいいと何度駄々をこねて泣いたろう。
母は困った顔をしながら、いつも決まって「一年待てば三人一緒に行けるから。」と宥めた。
でもいざ譲が小学校に上がると、三人並んで登校はできても、それだけだった。
学校に着いたらそれぞれ別の教室へと向かい、授業を受ける。
譲が望んだ“一緒”はそこにはなかった。
それどころか、それぞれに新しい友人も出来て交流も広がって行くと、ますます三人で居る時間は減ってゆく。
大きくなるにつれ段々と増えていくお互いの知らない時間。知らない関係。
きっとこうやって繰り返す内にいつでも一緒にいたはずの三人は、別の時間を過ごすことに違和感を失って行くのだろう。
少しずつ、少しずつ。

今はまだ三人一緒に居るとしても次にまた十字路が現れた時、同じ道を行くことになるとは限らない。
それが分かるから、幼い頃から変わらないものに触れるたび譲は不安になる。
まだこのままでいられるだろうか。

そしてその一方で――この関係を変えたいと思う自分がいるのも自覚していた。
将臣と一緒に同じものを受け取るのではなく、他の誰とも違う特別なチョコをもらいたい。
そう願う心も日増しに強くなって行く。
このままで居続けたいと思う自分と変わって欲しいと願う自分。
矛盾していてもどちらも本当の気持ちだった。

だから思考はその間に挟まれると身動きが取れなくなって、結局いつも立ち往生してしまう。
綺麗に箱に巻かれたリボンを解きながら、絡まって解きほぐせない思考もこんなふうにするりと解けたら良いのにと思う。
開いた箱の中には四つのトリュフチョコが収まっていた。
ココアパウダーと粉糖をまぶしたものが二粒ずつ。
少し歪な形をしているのは、おそらく手作りなのだろう。
茶色の球体を一粒口に放り込む。
少しの苦味の後、ほろっと崩れて中のミルクガナッシュが舌に広がってゆく。
その心地良い甘さに何故だか胸が締め付けられて、あとどれくらい続くんだろうとまた繰り返した。
答えのない問いに返る答えは当然ない。
ただ唇に残ったココアパウダーがかすかな苦味を伝えていた。





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           あとがき
           当サイトでは希少な季節もののお話です。
           CD「紅の月第一夜」収録のドラマ“現代編”を聴き、幼馴染
           についていろいろ考えてしまったのがそもそものきっかけでした。
           しかし題材がバレンタインにも関わらず甘さを追求していない辺り、
           私とSSにおける甘味の距離は果てしなく遠いですね。
                                      
不破(08.2.17up)