折悪しく、とはまさにこういうことを言うのであろうか。
「還内府殿」
そんな呼び名が聞こえ始めたのも西国落ちの最中のことだった。
平家の者にとって所詮重盛の「形代」でしかない存在、それが有川将臣だったというのに。
だから惟盛が経正とこんなやりとりをしたのも、その頃のことだったろう。
「還内府と…」
それは余りに唐突に、小さな声音で、独り言のようにも聞こえた。
「?はい。」
けれども惟盛の目はこちらをしっかりと見据えていて、それで経正は話しかけられたのだと分かった。
そして今度はその言葉も明瞭に、
「経正殿は…何故有川将臣を…あの者を「還内府」などと呼ぶのですか?」
と尋ねてきたのだった。
「惟盛殿…」
経正はわずかに驚いていた。
今更聞かれる話ではなかったからだ。
確かに別人を父として扱わなければならない惟盛の立場からすれば、決して良い気はしないことだろう。
けれど聡明な惟盛のこと、その先にある実に気づいてもいて、皆が将臣を還内府と呼ぶことを
黙認しているのだろうと思っていた。
惟盛殿は私を試されているのだろうか?と脳裏によぎる。
「そうですね…惟盛殿からすれば、許しがたいことだと思うのは至極当然のことですね…」
「ええ、その通りです。そして貴方も我が父とあの者が全くの別人であることは分かっている。
それなのに何故還内府と…平重盛として扱うのですか?」
そんな単純な話ではない、と経正は思わず心の中で返していた。
一体どうしたことか。
この程度のことは惟盛殿ならば分かっていらっしゃるだろうに。
経正は惟盛の真意が掴めないまま、話し続ける。
「それは正確には違います。」
「違う…とは?」
「ご存じの通り平家は今苦境に立たされております。ですがあの方ならば…私は将臣殿の持つ力こそが、我ら平家を光ある方角へと導いて下さるような気がしてならないのです。だから―――」
「だから、あの者に率いてもらうべく還内府と呼ぶと?平家の血が一滴も流れない者に?」
常の惟盛にはない強い口調に、もしやという疑念が徐々に確信を帯びてきていた。
惟盛殿は認めてなどいないのかもしれない。
将臣殿が還内府と呼ばれる――平家を率いていくことを。
「将臣殿には…負担を強いることになります。
しかしあの方もまた平家を守りたいと思っていて下さる。そしてそのためならばどんなものも負われる覚悟をお持ちだ。」
「よく、よく分かりました。どうやら貴方とは話が合わないようだと。どんな理由があろうと私には同じこと。たとえ形だけのことであろうとも。」
冷ややかに告げられたその言葉に、経正の胸に苦いものが込み上げた。
やはりそうなのか…。
私が楽観視し過ぎたのだろうか。
本来ならば、全く無縁の者に一門を担わせるなど、異を唱える者が出るのも当然だろう。
だがあくまでそれは、本来ならば、の話だ。
今ではもう皆が知っている――将臣殿の力が必要だと。
だから願っている――将臣殿に平家を率いて欲しいと。
一門が生き延びるためには、それが最善の策ではないか。
それなのに…むしろ私には惟盛殿のお考えが分からない。
「あの方は今の平家を支えるのに必要な方です。惟盛殿はこのまま一門が滅びを迎えるのをただ見ておられると?それで良いと思われているのですか?」
「それは私への侮辱ですか?そのようなこと私が思うはずもない。」
不快を露にした顔で苛立たしげに答えられ、経正はさらに言葉を続けようとして、
「では――」
「貴方とて――!」
荒げた声に遮られた。
けれどそれきり惟盛は黙り込み、先を続ける気配もない。
「「貴方とて」…なんでしょうか惟盛殿。」
「…っ!なんでもありません!とにかく不愉快です。私はこれにて失礼させて頂きます。」
「惟盛殿!」
一方的に会話を打ち切りそのまま行こうとする惟盛を、経正は思わず腕を掴んで引き止めようとした。
だがそれは叶わずに終わる。
伸ばされた経正の手を惟盛が避けたのだ。
大仰に、嫌悪するかの如く。
行き場を無くした手が居心地悪く宙に浮いている。
経正は信じられない面持ちでそれを眺めていた。
確かに、咄嗟のこととはいえ、今の己の振る舞いはひどく無礼なものだった。
だから惟盛がそれに怒りを覚えることも経正には理解できた。
しかし、これは無礼だとか怒りなどで表せるものではなく、これは――言うなれば拒絶。
絶対的な拒絶がそこにあった。
なのに何故か仰ぎ見た惟盛の顔こそが驚愕に満ちていて、どうして貴方がそんな顔をされるのか、と働かない頭の片隅で思う。
けれどそれを言葉にして尋ねる前に惟盛は目を逸らすと通り過ぎて行った。
何も掴めぬままの手の平を握り締め、経正はしばらく立ち尽くすしかなかった。
――血の味がする。
ここに来るまでの間、ひたすらに噛み締めていた唇からどうやら血が滲んだものらしい。
口の中に広がる金臭い味と共に、限界だ、そう思った。
「貴方なら…!貴方なら…何処かで、私の気持ちが分かるかもしれないと…。ですが…。………っ。」
留めきれない感情が激流になって押し寄せて来たようだ。
吐き出さないとどうにかなってしまうように思えた。
惟盛はずっとずっと、将臣が「還内府」と呼ばれ始めてからずっと、耐え続けていたのだ。
「還内府」、そう将臣を呼ぶ者達全てが必ずしも紛うことなき「平重盛の甦り」と思っていたわけではないのだろう。
平家が緩やかな滅びを進む中、それでも共に歩み、全てを分かち合い、支える若き青年の存在がどれほど眩く映ったことか想像に難くない。
それは苦難の日々の中で見ることの出来る、数少ない「希望」としてあったのだろう。
そこに希望を見た者達はその思いを託して将臣を「還内府」と呼ぶようになったのだろう。
しかし斜陽を迎えるほどにその現実をから目を背け始め、それに呼応して将臣をひたすらに平重盛の蘇りであると思う甘い夢に浸るようになっていった者達も少なくはなかった。
それは一種狂信的でさえあったと言っていい。
いずれにせよ平家の多くの者が将臣に縋ったのだ。
かすかな希望に途方もない夢を描いて。
否、わずかな希望しか見えぬからそこに全ての夢を注ぎ込んだのかもしれない。
そういう意味では将臣は重盛に真名を、「有川将臣」という存在を奪われたとも言えるのだろう。
しかしそれは逆に言えば重盛の名を、惟盛にとってもっとも侵さざるべきものを侵したということでもある。
眼前に将臣が「小松内府平重盛」と呼ばれている事実がある。
惟盛にはそれで十分だったのだ。
手にした扇が軋んだ音を立てていた。
今からでも戻り、あの時飲み込んだ言葉を吐き出したい衝動に駆られる。
貴方とて――全くの別人が敦盛殿と扱われても認められるのか、と。
「還内府」、その呼び名を耳にするたび惟盛の心は抉られた。
己が貶められるより父の名が傷つけられていくことにこそ心は痛んだ。
惟盛は心の中で経正に問いかけ続ける。
本物の敦盛殿がいるのに、まるで誰も彼もがそれを忘れてしまったかのように振る舞われても貴方は平気でいられるというのだろうか。
還内府の呼び名が将臣のものになればなるほど、惟盛には父重盛の存在が平家から消えてゆくような気がしてならなかった。
あの者を蘇りし小松内府平重盛だとするなら、未だ蘇ることのない本当の小松内府平重盛はどうなるのだ。
別人を父上と見るのは、生前の姿を忘れてゆくことに等しい。
そしてあの者を還内府と信じて疑わない者の目には、今の姿が紛うことなき父上の姿なのだと焼き付くのだろう。
そう思うと堪らない、堪らなかった。
父上の地位も権力もなにもかも――その生涯を懸けて築き上げたものを、いや、父の存在そのものを――あの者が奪ってゆく。
妬けつくような思いに胸を掻きむしりたくなる。
しかしそれでもなお経正を前にして惟盛が踏み止まったのは、惟盛自身怖くもあったからだ。
あそこで言ってしまえば、間違いなく経正の心を傷つけただろう。
暗い感情に任せて人を傷つけようとしている己が、何より惟盛には恐ろしかった。
人を傷つけたいわけではなく、ただ自身の悲しみを、痛みを知って欲しいと思っていただけなのだ。
だがそれは叶わぬことを知った。
やりきれない思いを抱えて、惟盛は再び問いかけていた。
答えなど返るはずもないことは知っていても。
経正殿、貴方が私と同じ立場でも…それでも平家を支えるためなら「仕方ない」と言えるのですか。
理を覆してまで弟を蘇らせた貴方が。
弟を思い黄泉路より舞い戻りし貴方が。
どうか答えて欲しい。
惟盛と経正。
家族を想い取り返したいと願った二人は、けれど今、余りに遠く在った。
思えば、有川将臣が平家に現れたその日から誰よりも意識していた。
子供のように反発したのがその証拠だ。
私は憧れていたのだろう、とここに至り惟盛はようやく認めた。
いや、最早認めざるを得なかった。
私はあのように奔放に振舞えない。
人に慕われても、まとめ束ねる力がない。
惟盛がひそかに欲しいと思っても持ち得ない力、父重盛に通じる力を将臣は持っていた。
そしてそれを体現するかのように重盛に似た面差しをして。
『お前は重盛に近づけない。』そう言われているような気がした。
羨望は嫉妬へ、それほど長い時間はかからなかった。
誇り高い惟盛が頑なに認めずにいただけのこと。
そして何より将臣は所詮「他人」であったから、惟盛は己の存在を脅かされはしないと思っていた。
惟盛が嫡流として平家を継ぐことは揺るぎないことだった。
将臣にどれほど統率者としての才があろうとも、惟盛と将臣ではあまりに立場が違った。
この時代は血統がものを言う。
身分制度が厳然としてあるこの世では、生まれで人生が決まるといっても過言ではなかった。
平家の血を引かない将臣が平家を背負うことなど有り得ないのは自明の事。
だからこそ己と比べて何になるというのか、意に介すまでもないと、そう惟盛は思うことが出来た。
それで済ませられていた。
しかし今は違う。
経正だけではない。
平家一門が将臣を「重盛」と見なしたのだ。
それは将臣こそ一門を率いるのにふさわしいと、他ならぬ一門から惟盛に突きつけられたも同然のことだった。
実質的には「廃嫡」の宣を受けたようなものだ。
惟盛は己が惨めでならなかった。
私はなんなのだろうと思わずにはいられない。
小松内府平重盛が嫡男、平惟盛。
やがては平家を背負う運命にある者。
平家に必要不可欠な存在。
惟盛の頭にそうした言葉が次々と浮かんでゆく。
だがこの言葉たちの今はなんと空虚に響くことだろう。
その絶対の事実にあれほどに支えられていたというのに。
今は足元も覚束無い。
堪えきれず嗚咽が漏れたのを機に、涙も溢れて零れ落ちる。
己を支える誇りは失われた。
最愛の父の名、その存在までも奪われて。
一つ…二つ…雫が落ちるたびに床板の色を濃く染め替えていく。
誰に知られることもなく惟盛は声を上げて泣き続けた。
悔しいのか、悲しいのか、苦しいのか、情けないのか、あるいはその全てなのかも判然
としないままに――。
袖がすっかり濡れて冷たくなるまで…ただただ泣き続けていた。
それからというもの、惟盛は魂のあくがれ出たかのような様子で一人部屋に篭り、ぼんやりと日を過ごすことが多くなっていった。
食も細り頬がこけているのが美しい顔立ちだけに一層痛々しく映り、そのただならぬ様子に皆心配したが、頑なに誰も側に近づけようとはしなかった。
空は惟盛の心を映すかの様に暗澹として、弱くもなく強くもなく淡々と雨を降らせていた。
その雨に何とはなしに耳を傾けていると、遠く微かに琵琶の音が届いた。
その音に寄り添うようにして、笛の音も。
覚えのある音色に、ああ…と溜め息が零れる。
どうして似ているなどと思ったのだろう。
こんなにも違うのだ。
大切な人は蘇り貴方の傍にいる。
一門を想う気持ちは同じでも、嫡流という立場に縛られることもなく。
再び心を苛むかに見えた実感に、しかし別段、何の感慨も浮かんでは来なかった。
何を嘆いても、責めてもどうにもならないのだということは、すでに嫌というほど思い知っていたから。
言うなればそれは、諦観というものだったのかもしれない。
ある種安らぎにも似た静けさがこの時の惟盛の心に横たわっていた。
しかし、幸か不幸かそれは長くは続かない。
敦盛――と思い巡らせてにわかに、ある考えが浮かんだ。
あるではないか。力を得る術が。
落ち窪んだ目に光が点る。
死返の儀により蘇りし者。
六波羅で見た人の形を留めない、獣のような姿と血を望む性。
どれもあの心優しく争い事を好まぬ元来の敦盛では考えられぬものだ。
あれが死の理を覆す代償なのかとさまざまと知った。
だが、と惟盛は思う。
だがそれが何だと言うのだろう。一門を、大切なものを守れぬ己に何の価値があるというのか。
手に入れることの出来る力があるのにそれを得ずして戦えないと、役立たずだと嘆き続けるだけなのか。
もし私が力を示すことが出来たなら…。
様々な思いが浮かんでは消えてゆき、その間にも心は除々に傾いて行く。
もっとも、あの獣のような醜悪な姿と理性を失い血のみ欲する様は望まざるものではあったが、惟盛はそうなることを防ぐ術をしっていた。
八尺瓊の勾玉の欠片である。
あれを持つことで敦盛が人としての理性と姿を保っていることは知っていた。
ならば己も勾玉さえ有していれば姿と理性を失うことなく生前のままで、かつ怨霊としての不死の力を得ることが出来る――そう惟盛は考えた。
この時からすでに惟盛の心は崩れ始めていたのかもしれない。
何かを得れば、何かを失うのは道理。
それは如何様にしても避けられぬこと。
得るばかりに見えるのは、惟盛の目がただそればかりに向いている証。
公平な目で見ることを失ったこの時が、その聡明さを称えられた「平惟盛」の死であったのかもしれない。
少しその勢いを増した雨は、けれどそれを誰に気づかれることもなく降り続いていた。
それから間もなくのこと、惟盛は清盛の邸を訪れていた。
我が身を怨霊と為すには、死反の儀が――清盛の力がどうしても必要だった。
意を決し、惟盛はひたすらにその胸中を訴える。
「今平家は都を追われ、苦難の時におります。ふがいない私は一門がかかる憂き目に遭いながら、ただそれを眺めるばかりです。一門を守り支える力を持たないのが悔しくてならないのです。守る力を持たぬ身など不要なもの。ならば私はお祖父様に倣いこの生を捨て、不死の力を得、平家一門の…引いては父上の力になりとうございます。お祖父様、私死して後、どうか私に死反の儀を執り行われますよう、ここにお願い申し上げます。その確約が頂ければこの惟盛、自ら死して後必ずや死反の儀に応え、蘇りましょう。差し出た願いとは重々承知しております。ですが何卒…!」
清盛は初め、惟盛の勢いに少々驚きを隠せない様子で聞いていた。
けれど不死の力が如何ほどのものであるのか、他ならぬ清盛自身がよく知っていた。
だから反対する道理はないとばかりに、すぐに満足そうな笑みを浮かべ頷くのだった。
「一門の力になりたいと思うその心がけ、真に殊勝なことだ。――良かろう、惟盛。
そなたが自ら命を絶ちし時、我は死反の儀を行い、そなたに不死の力を授けよう。
然る後はその力、総領たるそなたの父を助け、平家一門のために尽くせ。」
「――は。ありがたき幸せ。この惟盛、今のお言葉肝に銘じます。」
御前を退出し邸へと戻る道すがら、惟盛は次第に己の口元に笑みが浮かんでくるのを感じる。
嘘は言っていない。ただの一言たりとも。
全ては平家一門の、父のために欲す力だ。
無力なままでは大切なものが守れない。今のままの私では――。
だがようやく…それも終わるのだ。
高ぶる心に身体が熱くなる。
これで、これで後は不死の力を手に入れるばかり。
道の薄がざわめくように揺れながら、通り過ぎる牛車を見送っていた。
程なくして、惟盛は熊野へと旅立つこととなる。
何故惟盛が終焉の地に熊野を選んだのか、その理由は定かではない。
熊野は生者と死者が行き通う地だという。
ならば死して後、蘇るにふさわしい地と思ったのだろうか。
あるいは…亡き父に見えることが叶うかもしれないと思ったのだろうか。
全ては惟盛の胸の内に収められ、知る人もいない。
怨霊として蘇った惟盛はひどく感情の起伏が大きく、激しい気性になっていた。
以前にも繊細過ぎて多少神経質なところはあったが、物腰は丁寧で優雅、荒々しいことは決して好まない人であった。
けれど今の惟盛はまるで別人。
傲慢で人を見下して憚らず、力なき者は平家に無用と豪語した。
余りにも横暴な惟盛の態度に、惟盛を慕っていた一門の者たちも次第に距離を置くようになっていった。
今や惟盛の側にいるのは同じ人ならざる存在、怨霊ばかり。
それでも別段気にする風もなく、むしろ好都合とばかりに怨霊たちを自分の手足の如く使役する。
その姿に生者はますます不気味さを感じいよいよ近づかなくなった。
「美少将」と呼び慕われ、誰しもが側にいたいと思ったかつての惟盛はどこにもいなくなっていた。
だがただ一人、惟盛だけは今の己に言い様のない満足感を覚えていた。
全身に力が漲るのが分かるのだ。
人の身では到底持ち得ない力が。
この高揚感を何と言おう。
今や死を恐れぬ身となったことが惟盛は愉快で堪らなかった。
どれだけ斬られ、射られようとも死ぬことはない。
命を惜しむことなく戦い続けることが出来るのだ。
味方であれば心強いが、敵であればどれほどの恐怖を覚えることだろう。
恐れ慄く源氏勢の姿がありありと脳裏に浮かび、惟盛は笑った。
生者のなんとちっぽけなことか。
「私は何故躊躇していたのでしょう。」
矮小な者達の命を刈り取ることなぞ、どれほどのものでもないというのに。
今となっては全く理解し難いことであった。
何をあんなに厭うていたのか分からない。
だが、そんな疑問が頭を占めていたのはほんのわずかな時に過ぎなかった。
どうでも良い――と、惟盛はすぐに思考から切り捨てていた。
過去の己を振り返ることには何の益もなかった。
変えたいとそう強く願ったからこそ、こうして怨霊となったのだ。
ここにいるのは新たな己。
力を得た今、望むことは決まっていた。
――全て、取り戻すのです。父の名も、嫡流としての地位も、私が受け継ぐはずだったもの全てを。
そのためにはこの不死の力を思うままに奮い、広く知らしめなければならない。
そうして刻み付けて忘れられなくさせれば良い。
平惟盛はここにいる、と。
私が平家にとって必要不可欠な者なのだと認めさせてみせましょう。
それはすなはち「本来の」小松内府平重盛の名と力を平家に取り戻すことになる。
わが身に流れる父上の血を、示さなくてはならない。
嫡流として、引き継ぐはずだったものを受け取らなくてはならない。
それこそが私の務め。
惟盛は強く強く、狂おしいほどに思う。
同時に避けがたく将臣の姿が浮かび、形容し難い激しい感情が胸に渦巻いた。
平家の誰が何と言おうとあの男を認めはしない。
父上のものを掠めとってなお、心の鬼に胸がつぶれるでもなく堂々とその位置に収まっていられる様な輩だ。
かくも心卑しき者にどうして私が従うというのでしょう。
最早何も耐え忍ぶことはなかった。
心のままに振る舞い、言いたいことを言う。
それが今の惟盛には出来た。
絶えず湧き上がり揺さぶる感情に身を委ね、暗い衝動に従う心地よさに酔いしれながら、惟盛は告げる。
この世の全ての者達に向けて。
「私は父上がこの平家に存在した証として、在り続けましょう。
消えることなくいつまでも…永久に…。」
惟盛を取り巻く瘴気が濃さを増し、傍にいた怨霊達が一斉に歓喜に打ち震えて鳴き騒ぐ。
その中でふと差し込んだ光に耐えかねて、惟盛は目を閉じる。
見上げると雲は夕映えて、黄金色の光に満ちていた。
今の私には眩しすぎるものだ。
それが残り日であってさえなお。
今はただ無明の闇に身を浸していたい。
たなびく雲の先端は次第に空へ溶けてゆき、行き着く先を見ることは叶わない。
けれど雲の背後には確実に青鈍色の宵闇が忍びよっている。
今はまだ燦々と煌めく雲も、じきに豊穣なる闇に呑まれその輝きを失くすのだ
ろう。
雲に灯る最後の火を映して、惟盛の目は赤々と燃えていた。
――ああ、宵闇が待ち遠しい。
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あとがき
修正していたため、UPするまでにだいぶ時間がかかってしまいましたが、初創作SSです。
タイトルがサイト名にもなっていますように、このお話を思いついたのをきっかけにして、
二次創作をしてみたい、サイトを開設してみたいと思いました。原点のSSです。
惟盛は考えれば考えるほど面白い人で、様々な平家の側面を教えてくれるように思えます。
どちらが良い悪いということではなくて、ただ将臣の側から見るのとはまた違う平家が見え
てくるのではないかなと。
拙いものですが、読まれた方に少しでも惟盛のことを想って頂けたら幸せです。
不破(07.9.30up)