洞窟の国へ
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田谷の洞窟イメージ画像


ここには計10回近くは来ているほどのお気に入り。 深〜い深〜い歴史を感じる場所

アクセス
JR大船駅観音側よりバス(戸塚バスセンター行)洞窟前下車
国道1号原宿より、大船、鎌倉方面3キロ
電話/所在地
045-851-8392   横浜市栄区田谷町1501

道路から見た田谷の看板

ドリームランドの近くに、田谷山定泉寺というお寺がある。
その裏に、田谷の洞窟という、秘密めいた感じの洞窟がある。

田谷の洞窟の歴史は古く、古代人の横穴式住居跡だったとも、古墳のあとだったとも言われている。
後に 鎌倉時代以降、真言密教の修行窟として 拡大していった。
定泉寺に向かう

洞窟の受け付け
まずはお寺の門をくぐり、受付でろうそくをもらう
洞窟内はこの細々とともる、今に消えそうな灯火を頼りに入っていくのだ。
田谷の洞窟入り口

田谷の洞窟内部 暗闇の中でせんこうの煙がもやのように漂う。
入ったとたんに、ひんやりとした空気がまるで今までいた場所から遠い過去に誘うかのように体中を覆って行く。
両脇、天井にはいくつもの彫り物があり、ろうそくの光でぼんやりと浮かび上がった。
あれほどの彫り物を、いったい何年、何十年かけて彫り上げたのか、ただ、ただ、感動するばかりだ。
そのろうそくの元で、かつては石工や、修行僧たちが、この洞窟を堀おこし、この彫刻をつくっていったのがその炎の揺らめきのおかげで
リアルに思い起すことができる 。

 洞窟をまっすぐ進むと右に曲がる道が続く。そのまま道伝いに行くと、最深部に厄払大使が安置されている。
 私がこの洞窟で一番、気になるのがこの場所である。
田谷の洞窟地図

 以下、「田谷の洞窟」 宗教工芸社 より抜粋。

”史上「和田合戦」と呼ばれているこの戦いで剛勇の名をほしいままにし、幕府軍をしばしば悩ませたのが朝比奈三郎義秀である。
 彼は敗北の色が濃くなると、手勢をまとめて何処へか姿をくらませた。幕府は探索を開始したが、消息は杳として分からなかったという。
 三郎はそのとき、この洞窟の奥から落ち延びて行ったと言われている

 同書によると、厄払大使が安置されている奥に空いている穴が、 このとき落ち延びた穴であろうと言っているのである。

 たしかに、 厄払大使の背後に、小さなやっと入れるかと思えるような穴があいている。
立ち入り禁止の他の穴は、まあ、簡単に入り込めるのだが、この穴だけは、高い位置にあり、 私にはそこを這い上がる勇気はなかった。
もちろん、そこは立ち入り禁止でもあるので、入ってはいけないのだが...。
 しかし、それでもそこをよじ登って入ってみたという人と話をしたことがある。
彼の話によると、中はかなり狭く、迷路状になっていて、一瞬戻れるか心配になったと言っていた。
 それが本当であれば、かなり崩落しているとはいえ、もしかしたらその迷路の中のどこかに、朝比奈三郎が落ち延びた先が続いているのかもしれない。

 厄払大使を過ぎ、戻る途中、音無川という川を通る。
 本当に静かな音の無い、水溜のような川だ。この豊富な水を求めて、この洞窟は掘られたとも言われている。
 確かに洞内はいたるところに水滴が落ち、水をふんだんに含んでいる。
それによって、こんなに涼しいのかもしれない。
何処からとも無く落ちる水滴の音は、洞窟内の静けさをますます感じさせた。

洞窟を出ると、元の温かい空気がまた体を包んだ。
なんだか、夢からさめたような不思議な気持ちになる一瞬だ。


参考文献:「田谷の洞窟」吉田孝 宗教工芸社

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