住みにくい街づくり
例えば。
コケるとする。
そこには段差があった。
コケたのは段差に気付かなかった本人の注意力不足が原因だ。
だが、段差のせいにする人間もいる。かなりいるだろうと思われる。
人々の苦情に反応し、そこに「段差あり注意」の看板が立ち、
注意を促すアナウンスが流れたりすることになる。
ちょっとした段差に過剰なサービス。まあ例えばの話だ。

街は人々がぼーっと歩いていても安全に生活できるような親切な方向へ進んでいる。
過剰なサービスを重ねていくと、
人々は注意されることに慣れ、自ら注意することをやめ、
結果人間の注意力ってどんどん散漫になっていくと思われる。
よって、コケる人間が増加する。

そこでわたくしが提唱する、住みよい街づくりに相反した、
「人々の生物的勘を取り戻す、住みにくい街づくり」というのはいかがでしょうか。

駅は絶壁にある。
エレベーターはあるが、床が釣ってあるだけで壁がなく、
手を出したり首を挟んだりするとかなり危険。しかも高速。
ホームにたどりつくと電車との間は幅100センチの崖になっている。
下を覗くとはるかかなたに波しぶき。
ドアは走行中もランダムに開閉するので気を許せない。
駅に着くとノコギリの歯で出来ている改札が一定のリズムで開いたり閉じたりしている。
外へ出ると信号がない。
あなたは車が行き交う片側3車線道路を命がけで渡ることになる。
車の方も必死に人を避けなければならない。
1日怪我せず怪我させずに過ごすことができるとポイントカードにポイントがたまり
カードがたまれば税金が免除。

そんな非常に疲れる街であったなら。
自然、今まで目も合わせなかった通りがかりの他人同士が
協力しあって生きるようになったり。
心も体もたくましい人間が増えたり。
そして私は街へ出なくなりコタツでのんびりよもぎまんじゅうを食ったりと。

んーどうでしょう(長島さん風)。
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