6ヶ月から〜
話が前後するが、11月中ごろにベビーサークルを部屋に設置した。ハイハイがまだ出来ないとはいえ、ゴロゴロと転がって隅っこにぶつかって泣いているなんて事があったからだ。
テーブルを隅に寄せたりしてスペースを作り、そこにサークルを設置した。料理をしている時、掃除をしている時など、目を離す時間が長くなる時には必ずその中に入れて置くようにした。
ところが、年が明けてしばらくすると、ハイハイが出来るようになり、サークルの中では手狭になってしまった。ハイハイは日に日にうまくなり、興味を持ったものにはとにかく突進していく。興味の対象は、ゲーム機のコントローラー、ビデオラックの扉、パソコンのキーボード、光るもの。柵の外に出して、自由に動き回れるようにすると、とにかく興味を持ったものに突き進み、それで遊ぶ。あれもダメ、これもダメ、というように言いたくないのでなるべく自由にさせておくのだが、部屋の真ん中に柵がでーんと腰を据えているから、自由に動けるスペースが少ないのだ。
そこで、柵の設置の仕方を変えた。この柵はプラスチック製で6枚の網をつなげて使う。それを分解し、主人のパソコンの周りとキッチンの入り口に設置した。ちなみに息子が興味を持つ光物にはCDRも含まれている。このCDRをぶちまけた事があるのだ。
以前、赤ん坊をベビーサークルに入れるのは檻に入れるみたいでやだ、という話を聞いた事がある。確かに檻という感覚は否めないが子供の安全のためにはやむを得ないのではと思っていた。だから、寝返りの連続技でゴロゴロ動き始めた時には柵の中に息子を入れたりもした。ただ、ハイハイを始めたら柵の中、というわけには行かないだろうなと思っていた。だから、危険なものが柵の中に入り、息子は自由に動かせてやろうと思っていた。それが、今回の柵の設置変更である。
12月に入ると、アメリカの街は一気にクリスマスらしくなってくる。お店にはさまざまなクリスマスツリーやオーメントが並び、各家では飾り付けに趣向を凝らす。アパートでもベランダに電飾を取り付け、夜になるとそれらがピカピカと光を放っている。家によってはこの電飾が屋根や壁にも取り付けられ、夜の闇に家の形が浮かぶことになる。
さて、我が家でもここまで凝らないまでも、クリスマスツリーぐらいは飾ろうと言うことになった。もちろん、8ヶ月の息子の記憶に残ることはないだろう。それでも、写真やビデオと言った形で記録が残るし、そういうことは大切だと思うので、飾ることにしたのだ。
ただ、ここで問題がひとつあった。アメリカで売っているクリスマスツリーはどれもこれも「大きい」と言うことだ。アパートと言えども、それなりの広さはあるので、クリスマスが終わるくらいまでならいいと思う。が、収納場所がないのだ。そして、来年中にある引越し先が日本になる可能性があるのだ。そのため、出来るだけ小さい物をと思ったものの、小さい物はとことん小さく貧相な物しかない。
あちこち探し回ってようやく程よいサイズのクリスマスツリーを見つけた。高さにして50cmくらいで、ツリーの枝の間からグラスファイバーが出ている。電源を入れるとグラスファイバーが七色に光りながらツリーがくるくると回転するのだ。これを夜の間つけていたのだが、息子の視線がツリーに行くとものすごくご機嫌になったので、買ってよかったなと思った。
ところで、このツリーだと飾りつけが出来ないのだ。飾りをつけようとすると、枝の間から出てきているグラスファイバーが気になるのだ。細いガラスだからちょっと力が加わると折れてしまう。グラスファイバーが折れてしまうとこのツリーのよさが減ってしまうことになる。だが、アメリカには日本にはないようなオーメントがたくさん売っている。やはり、そういったオーメントを飾ったクリスマスツリーも欲しかった。が、やはりサイズが大きくてどうにもならないのだ。こちらもあちこち探し回った結果、小さくそれでいて貧相ではないと思うツリーを見つけ、それに買っておいたオーメントを飾った。
部屋の一部のみがクリスマスらしくなった中でクリスマス当日を迎えた。私は、これまた息子は見るだけで食べる事が出来ないクリスマスケーキを焼き、夕食の後食べることになっていた。ところが、夕食時にのんだワインが効きすぎて私はケーキを食べられなかったが、甘いもの大好きの主人は息子を膝に抱いて食べ始めた。
最近、いろいろなことに興味を示し、何でも手を出してくるようになった息子はフォークの動きを確実に目で追っている。主人がフォークでケーキを切り、それを口に運ぼうとする時には目が期待に満ちてきらきらと輝いている。それはまるで「次は僕にくれるのかなあ」と言っているかのようだ。が、8ヶ月の息子にデコレーションケーキなど与えられるわけもないのでケーキを刺したフォークは何度となく息子の目の前を素通りする。何度目かについに息子がケーキの乗ったお皿に直接手を出してお皿ごとケーキをひっくりかえてしてしまった。主人や私達はびっくりしたが、当の息子はしてやったりとニコニコしていた。
さて、日本への一時帰国は主人の仕事の都合です。ですから、主人は会社の上にあるホテルに泊まりますが、私は息子とともに実家へと家族が離れ離れの生活となった。
実家にいますと、ジジババがパソコン上でしか遭えない孫に目じりが下がりっぱなしである。ジジは昼間は診療所で仕事があるから、もっぱらババが孫を独占する。そして、私には「見てて上げるから買い物にでも行ってらっしゃい」とのたまう。私はと言えば、息子がそばにいないことに多少の落ち着かなさは感じるものの、周りを気にせずに買い物ができる開放感で結構あちこち飛び回った。
実家の近所の人とは当然のごとく顔見知り。会う人みんなに「あらあ、いつ帰ってきたの?お子さんは?先生(父のことです)やお母さん、喜んでるでしょ」と言われる。私は「はい。目じりがこんな風に垂れ下がってます」と目じりを指でグイと下げて見せる。
事実、日本にいる間の2週間、父は昼寝をしていない。いつもなら、昼食後、午後の診療を始めるまで寝椅子で昼寝をする。でも、私達が日本にいる間は息子にべったりと張り付いて離れないのだ。たった2週間しかいないのだから無理もない。
夜も、用意されたレンタルベッドで寝たのは一度きりだ。後は、ジジババが添い寝をした。時差ぼけがあったのか、日本にいる間中、夜中に一度は目を覚まし、ミルクを要求したらしい。それでも、孫がそばにいると言うのが良いらしい。
実家にいる間は、外食も結構した。息子は外出するととても静かないい子になる。赤ん坊の中には、レストランで食事など出来ないほど泣き喚く子もいるという。でも、我が息子は内弁慶の外地蔵。外出先では本当に大人しい。稀に泣き叫ぶ事もあるが、本当に大人しくしているのだ。お店の人も息子があまりに大人しくしているので驚いていた。
入浴などの世話もジジババがやってくれた。夜、泣き出しても、ババが抱っこしてあやす。私が顔を出せば「良いから、あんたは寝てなさい」という。アメリカに帰れば嫌でもあんたがやんなくちゃならないんだから、と日本にいる間くらいばあちゃんにやらせてよという含みがあるのだ。
おかげさまで日本にいる間は本当に楽チンだった。あー、極楽、極楽。
10月末、主人の仕事の都合で、2週間、日本へ一時帰国することになった。
このとき、日米間の往復にはアメリカ系の航空会社を利用した。息子が2ヶ月の時、渡米する際に利用した航空会社を同じ航空会社だった。
主人は、仕事での帰国なので往復の航空券は会社からでるが、私と息子は自腹となる。時節柄、航空券のチケットはあっさりと取る事が出来た。予約の際、赤ん坊を寝かせるバシネットと粉ミルクのリクエストと入れておいた。
ところで、このバシネットには重量制限があり、「Big Boy」が合言葉の息子は使用する事が出来なかった。ただ、エコノミークラスががらがらだったので、4人席のひとつにカーシートをを設置し、そこに寝かせる事が出来た。ついでに言うなら、残りの3席は私が独占する事が出来た。会社のお金で日本へ行く主人は天国(ビジネスクラス)にいた。
悲劇が起こったのは国際線が飛び立って1時間もした頃だったと思う。機内食が終わり、息子にミルクを飲ませようと思って日本人乗務員に「粉ミルクを200cc頂戴」と頼んだら「リクエストはしていますか」と聞かれたので「はい」と答えた。その人は哺乳瓶を持っていったがしばらくして「大変申し訳ありませんが、粉ミルクが搭載されていません」などととんでもないことを言ってきた。ビジネス、ファーストと確認したが搭載されていないと言うのだ。
私は、その時点で携帯用粉ミルクのスティックを2本持っていた。家を出る際にこれを6本もって出てきた。シンシナティの空港と乗り継ぎの空港で飲ませる分。そして成田に到着してから、実家に帰るまでに飲ませる分。
6月にアメリカに向かった際には機内で粉ミルクはもらえたし、お土産にスティックミルクを10本ほどもらえたのである。お土産のミルクはもらえなくとも、息子に飲ませる粉ミルクがないなど夢想だにしなかった。
私が青くなったのは言うまでもない。乗務員さんは普通の牛乳を持ってきて「これならありますが温めてきましょうか」などと言う。6ヶ月の息子が普通の牛乳を飲めるわけがないのでこれは断った。仕方がないので、10時間近いフライトの間、日本に到着してから飲ませるはずだったミルクを2回に分けて飲ませ、さらにベビージュースを飲ませた。最後は糖水で牛乳を薄めたなんともまずそうなものを飲ませた。
日本に到着し、最初に買ったものが携帯用粉ミルクであることは、これも言うまでのないことだろう。
さて、悲劇は帰りも待っていた。
帰りの便では予約変更の時、空港チェックインの時などなどで再三粉ミルクの搭載を確認した。ところが、またしても粉ミルクが搭載されていなかったのだ。日本人乗務員曰く「炭そ菌騒ぎでパウダー状のものはすべて持ち込まないよう通達がきているんです」と。ところが、日本に帰る際、ミルクがなくて青くなったのでアメリカに帰るときにはスティックミルクを20本ほど持ち込んでいたのだ。どうやら、会社側では積み込めないけれども個人で持ち込むのはOKと言うことらしかった。
矛盾した話があるものだが、2週間前に起こった問題が何一つ改善されていないことに腹が立った。大人やある程度の年齢になった子供なら我慢ができる。が、生後6ヶ月の赤ん坊に10時間近くも絶食しろと言うのか。帰りの便では同じくエコノミークラスにいた主人が乗務員に散々文句を言った。文句を言ったところで粉ミルクは出て来ないのだが、赤ん坊の死活問題だから言うことだけは言っておいた。粉ミルクは積んでいなかったが、瓶詰めのベビーフードは用意してあった。
粉ミルクが搭載されていなかったお詫びにと日本人乗務員が乗り継ぎ便のアップグレードの便宜を図ってくれることになった。だから、国際線を降りたところで待っていた。問題はここでも起こった。ベビーカーがいくら待ってもでてこないのだ。乗務員に確認したところ、ベビーカーについているタグに必要なチェックが入っていないのでバゲッジクレーンの方からでてくるという。いくらアメリカ製で頑丈にできていると言っても壊れたらどうしてくれると思いつつ入国審査を通過し、荷物を受け取り、ベビーカーも受け取った。ベビーカーは壊れてはいなかったが、開くのに少し苦労した。
6ヶ月を過ぎる頃から、息子はいろいろな声を発するようになってきた。
今までは、お腹が空いたとか、思うように動けない苛立ちから「うぎゃあ〜」と泣くだけだったのがとにかく「うーあーうーあー」となにやら声を発している。
ご機嫌だと「うきゃあ、うきゃあ」と絶叫し、手の空いた私が覗き込もうものなら、にっこり笑って音量が1オクターブ上がる。
ところが、その絶叫を聞いているうちに意味がないと思っていたのに、ひとつの単語になっているような気がしてきた。「ママ」と言っているような気がしてきたのだ。そこで「はーい。ママですよ。どうしたのかな」と言いつつ覗き込むと、にっこり笑って「うきゃあ」と叫ぶ。くるりと背中を向けて、知らぬ振りをすると「まーまーまーまー」と叫び続ける。
うん、やっぱり「ママ」って言ってる。
よくよく考えれば親ばかである。赤ん坊が出す声といえば「あー」「うー」「まー」が最初だろう。となると、息子が本当に私を呼びたくて「ママ」と言ったかどうかははなはだ怪しいものがある。ところが、「まーまー」と叫んでいたら私がそばに寄ってきたものだから、「まーまー」とか「まー」と言えば私が来ると息子は思い込んだのだろう。
でも、親ばかで良いではないかと私は思う。子供の命にかかわるようなことにならない限り、子供のしぐさ一つ一つを都合よく解釈して能天気に喜んでいる方がいいと思う。私も、育児書を2冊ほど持っている。それを読むと○ヶ月までには首が据わり、○ヶ月には寝返り。○ヶ月にはおすわり。○ヶ月にはハイハイetc。ひとつの事ができるようになる標準月齢を過ぎても、それが出来ないと不安におちいる。家の子はどこかおかしいのではないだろうかと。でも、10人の人間がいれば10通りの考え方があるように、赤ん坊の成長の過程も10通りあるのである。育児書とおりに行かないのは当たり前なのである。だから、「もう、○○をしてもいいはずなのに」と不安におちいるよりも、「家の子はまだ○○はしないけれど、××はできるわ」と言うように何か前と違うところを見つけて喜んでいる方が自分自身にとっても赤ん坊にとってもしあわせだと思う。
これからも、いろいろと育児書に書いてあるとおりには行かないことはたくさんあると思う。でも、親ばかになってその時できることを喜び、子供を誉めてやろうと思っている。