1ヶ月検診を済ませた後、主人の実家にお泊りをしました。
私の両親ばかりが孫を独り占めしていて申し訳ないなと思ったからです。1泊でしたが、いつも3時間から5時間ぐらいしか見る事ができない初孫の顔を思い切り見る事が出来たと思います。その晩は、私の両親がするようにいっしょに寝たのですが、実際は一晩中起きていて、孫の寝顔を眺めていたそうです。
また、仙台に住んでいらっしゃる主人の祖母に息子を見せにも行きました。このときは2泊3日の行程でした。義祖母にも、大変喜んでもらえてよかったと思っています。
そして、6月20日。義父母、母に見送られて(父はお仕事でした)主人とともに、息子を連れてアメリカへ発ちました。
1ヶ月検診よりも前に、お宮参りも済ませました。そして、デパートの写真室で写真も撮ってもらいました。
これも、パスポートの写真といっしょでうまく目を開けている写真を撮れるかなと思っていたら、さすがはプロ。手馴れたものでした。
所定の位置に息子を抱いて座ると、顔の向きや服のしわなどを伸ばしてくれた後、いっせいに鳴り物を鳴らし始めたのです。そうして、目をぱっちり開けた瞬間を撮る。どうやら、息子が目を閉じかけると鳴り物を鳴らして強引に目を開けさせたようですね。
その後、神社へ行きお祓いをしてもらいました。不思議なことに、家に帰るまで1回も泣きませんでした。もしかしたら、内弁慶の外地蔵、あるいはただ単に外面がいいだけでしょうか。
この頃から、両親が息子と一緒に寝る日が出てきました。もちろん、私が疲れきった顔をしているせいもあるとおもいます。でも、一番の理由はあと1ヶ月ほどで簡単には会えない所へ行ってしまうということだったとおもいます。
1週間の入院を終え、実家に戻りました。私の父は小児科医です。初孫の診察がしたくてうずうずしていたようです。病院では友人である院長の方針を尊重し息子に触るのを我慢していたようです。でも、連れ帰って一時間も経たない、息子を丸裸にして聴診器を当てていました。
産婦人科の先生の言うとおりに薄暗い部屋に息子を置いておいたのは2,3日だったとおもいます。薄暗い部屋ではおへその状態もわからないし、黄だんがどれくらいなのかもわからない。まして、2ヶ月もすればアメリカに行ってしまう初孫です。眺めるだけというのが無理な話ですよね。
日本にいる間、私と主人はそれぞれの実家に寝泊りしていました。双方とも部屋数が少ないこと、そして生活期間が長いことが理由でした。だから、主人は週末ごとに息子の顔を見にやってきました。主人の両親は昔の習慣を重んじて3週間は我慢しようと話していたようです。実家の両親ばかりが孫の顔やしぐさを独り占めするのは申し訳ないので、電話をして「ぜひ顔を見にいらして下さい」と言ったら喜んで来てくださいました。
ところで、息子をアメリカに連れて行くためには、当然、パスポートとビザが必要になります。以前は、確か16歳以下の子供は親のパスポートに名前を併記すればよかったのですが、今は子供でもパスポートを取らなくてはなりません。
主人がパスポートセンターに聞いたところ、親が抱いている写真ではなく、無地のバスタオルかシーツの上に寝かせ、目を開け正面を向いている写真をとってくださいとの事(・_・;)
つまりは大人と同じ写真をとらなくてはならないのです。しかし、生後2週間の息子はミルクを飲むときとオムツを取り替えるとき、そしてお風呂に入るとき以外は寝ています。当たり前ですよね(^^ゞ
目をぱっちり開けた写真などそうそう撮れるものではありません。それでも、半日かかってどうにかお役所が要求する写真を撮ることができました。もちろん、受け取りには本人確認が必要(赤ん坊といえど例外ではないんです)だからパスポートセンターに連れて行って受け取ってきました。
1ヶ月検診の時、産院の院長先生に父がどれくらい我慢していたかを聞かれました。まさか、1時間も経たずに丸裸にして診察したとは言えず、「2週間ぐらいは我慢してたようですけど、気が付いたら抱いてました」と大嘘をつきました。部屋を暗くしてますかという質問にも「はい」と涼しい顔をして答えました。
私が出産した病院は完全母子同室でした。しかも、大部屋は一つきり。後はすべて個室でした。
これには、病院の院長の方針が関係あります。
この院長の方針というのが、まず1ヶ月は部屋を薄暗くし、世話をするのは母親のみ。父親、祖父母は遠くから眺めるだけ、というものです。
赤ちゃんは小さいながらにストレスを感じるのだそうです。母親以外の人が触れたりすると、それをストレスに感じ、ミルクをがぶ飲みしたり、夜泣きしたりするというのです。
つまり、母親と二人きりの環境を作るために、完全母子同室なのです。
さて、完全母子同室はいいけれど、ベビーベッドがない。普通の部屋でシングル、特別室でシングルより一回り大きなベッドで、添い寝するのです。ミルクは2時間置きぐらいに飲むので飲ませて寝たと思うとまた飲ませると言うことになります。オムツも紙おむつではなく、布オムツだったので頻繁に取り替えなければなりませんでした。
また、部屋にテレビはあるものの、薄暗い部屋では見る気にもならず小さなスタンドの明かりを頼りに本を読んでいました。もちろん、食事もこの薄暗い部屋で一人で食べることになります。薄暗いから、どんな料理なのかはにおいが頼りだったといってもいいとおもいます。
生後3日目から沐浴指導がありました。最初の沐浴の時、息子はお湯に浸かったとたん泣き止んで大人しくなりました。看護婦さんに「この子は泣かないわねえ。大抵は大泣きするのよ」と言われました。お湯から出すとまた大泣きしました。
ちなみに、主人が帰国したのは息子が生まれて3日後の夕方。その日のうちに病院にやってきて我が子の顔をちょっとだけ見て帰っていきました。
そして、退院前日になって沐浴後に測った黄だん値が高く、治療のためにそのまま保育器の中に入ることになってしまいました。
部屋に戻り、久しぶりにテレビをつけたら「さいたま市誕生」特集をやっていて初めてその日が5月1日であったことに気が付きました。その他、ニュースなどを見ました。1週間近くテレビを見ないとあっという間に浦島太郎状態です。ニュースから流れてくる凶悪事件の続報などびっくりする事がたくさんありました。
翌日、無事に黄だん値を下げるための治療が終わり退院しました。