妊娠から出産まで

<妊娠発覚から渡米までの覚え書き>

<渡米から出産までの覚え書き>

<妊娠発覚から渡米までの覚え書き> 

 私は最初、妊娠だとは思っていなかったんです。

 もともとアレは遅れ気味。とはいえ、前回3ヶ月も来なくて市販の検査薬で調べたりしていました。

 今回も1ヶ月過ぎても来ない。そして2,3日前から下腹部に生理痛のような重苦しい痛みを感じていました。念のためと調べてみたら、なんと「陽性」。

 翌日、実家の母と産婦人科に行く。妊娠6週目だった。超音波写真も見せてもらったのだが、どれがそうなのかがわからない。真っ黒な中に小さな白い丸がひとつ。どうやら、その丸が羊水らしかった(^^ゞ

 それから、1週間もすると、つわりが始まりました。

 もともと、朝ご飯を食べるほうではありません。妊娠がわかって、少しでいいから食べなくちゃなあと思っているのに、気分が悪くて食べられない。もともと、40数キロしかない体重が久しぶりに30キロ台にまで落ち込んでしまいました(^○^)

 おりしも、シドニーオリンピックが開幕し、テレビはどこをつけてもオリンピック。普通の状態ならば、ビデオを借りてきたり、ゲームをやったりと過ごすのだが、気分が悪くて買い物にすらいけない有り様。もちろん、ゲームなどできるはずもなかったんです。

 幸い、一人暮らしの経験のある主人が、買い物と料理を担当してくれました。幸せ者ですねえ。そして、いろいろと作ってくれたのに、ほとんど食べる事ができなかったんですよ。

 主人の友人の一人が妊娠のお祝いといって大きな生け締めのタイを丸ごと持ってきてくれるといううれしい出来事もありました。でも、つわり真っ只中で、食べられなかったんですよね。あんなにおいしい鯛にはなかなか出会えないだろうなあ。残念!

 また、つわりがひどい中、両親学級なるものにも参加しました。その中で、ダイオキシンの話が出ました。そして、食べてはいけないものをあれこれと話し出したんですよ。そうしたら、次から次へとこれもだめ、あれもだめ。「食べるものがないじゃない!」と思ってしまいました。私は、メモをとっていなかったけれど、周りのプレママ,プレパパ達は一生懸命ペンを走らせていた。

 この時点ですでに、渡米は決定していました。当面の問題は、私がいつアメリカに移動できるかということでした。お医者様に聞いたところ、やはり、胎盤がしっかりとできてくる4ヶ月以降との事。結局、主人が先に行くことになりました。

 10月のはじめに引越し。荷物を送り出した後、2日ほどホテル暮らし。そして主人を成田で見送り、私は渡米までの1ヶ月間の宿舎となる実家へと向かいました。

 実家でそれなりにのんびりと過ごし、渡米2日前になって戻りつわりでダウン。結局、さらに1週間遅れて11月の末に渡米しました。

このページのトップに戻る

<渡米から出産までの覚え書き>

 アメリカで生活するにあたって、まず直面した問題が運転免許でした。州のライセンスを取らなくてはならないのです。以前は、国際免許証を持っていくと、そのまま州の運転免許を発行してくれたのだそうです。でも、そういう人たちが起こす事故が多くなり、試験を行うことになったのだそうです。

 日本と同じように、筆記と実地があります。唯一日本と違うのは合格ラインが低いということだ。

 筆記は一発で合格したのに、実地がなかなか合格しませんでした。その実地というのが、マニュバニビリティというバックと車庫入れを組み合わせたというか、縦列駐車のような試験。これに合格しないと路上に行けない。私はこれに5回落ちました。自宅近くの試験場で「あなたは4回落ちたから半年後にまた来てね」と言われてしまったのです。

 仕方がないので、10マイル以上離れた別の試験場に行き、もう一度筆記からやり直しました(このあたりいいかげんですよね。同じ試験場はだめでも別の試験場はOKなんですから)。今度も筆記は一発で合格したんです。でも、性懲りもなく実地で失敗。それまでは仕事を抜けて試験に付き合ってくれた主人が怒ってしまい、次の試験は一人で行く羽目になりました。まあ、あたりまえですよね。仏の顔も3度までと言いますが5回も付き合ってくれたんですから。

 6回目の実地試験のとき、私は予約時間よりも1時間近く早く家を出ました。一人でハイウエイを走るのは初めてなので余裕をもって試験場に到着したかったからです。無事にハイウエイを下りたとき、最初の信号で「生きてるよね」とつぶやき頬をつねってしまいました。

 そして、無事にマニュバビリティに合格したとき、よほどうれしそうな顔をしたのだろう。試験官のおばちゃんに「おめでとう」と言われてしまいました。その後、路上試験。多少注意する点はあるものの75点以上でめでたく合格。

 渡米から2ヶ月近く経ってようやくオハイオ州の運転免許証を手にしました。国際免許証が失効する1月前でした。

 ところで、アメリカの免許には身長、体重も記載されています。身長はともかくとして、体重。試験を受けた当時の体重だと、多分40キロ台後半というところでしょう。でも、涼しい顔で妊娠前の体重を申請。主人にはうそつきと言われましたが(^^ゞ)

 運転免許を取る前はハイウエイが怖いと思っていたのですが、10マイル以上離れた試験場に一人で行けたというのは自信になりました。そして、出産のため帰国する頃にはCDを聞きながら運転するほどの余裕もできました。

 さて、アメリカでは外に洗濯物を干すということはありません。ですから、3畳ほどの洗濯室に大きな洗濯機と乾燥機が並んでいます。つまり、洗濯が終わると、しわを伸ばしながら隣に置いてある乾燥機に放り込めば良いのです。日本のように天候を気にせず洗濯をできるのは大きな利点です。

 また、食器洗い機というのも通常装備されています。食後の食器洗いも機械任せです。片付け下手の私には大変ありがたい存在です。

 そして、買い物。自宅の近くにスーパーが3つあります。日本なら歩いていける距離です。でも、歩道や横断歩道のない道路では道端を歩くというのは相当勇気が要ります。ですから、お買い物も車で行きます。

 こう、日常生活について列挙すると運動量が少ないのがわかりますよね。そして、この時、つわりも治まっていましたから朝,昼,晩食べる食べる。家に体重計がなかったので一週間単位でどのくらい増えたのかわからないままに過ごしていました。

 そして、3月半ばに出産のために一時帰国をしました。

 帰国して、最初の産婦人科検診で私の体重は50キロを超えていました。前述したように、妊娠初期40キロを割ったわけですから、10キロ増が理想と言う妊娠中の体重は軽くオーバーしていました。でも、アメリカでの日常生活を考えると運動量が極端に少ないわけですからあたりまえだったのかもしれませんね。

 予定日が近くなっても、子宮口が開く様子は無く、薬を入れ、デパートでのウインドーショッピングをするという日が続きました。4月の末のとある月曜日、いつものように産婦人科に行き、子宮口をやわらかくする薬を入れてもらい、私は銀座へと向かいました。以前から見たい映画があったのですが、予定日が近いこともあり、観るのをあきらめていました。ところが、歩きまわったほうが良いという先生のアドバイスもあり、ウインドーショッピングのついでにとその映画を観たのです。

 ところが、映画のエンディングロールが出るころになって、下腹部に鈍痛を感じ始めたんです。そして、その痛みは少しずつ強くなってきました。「これってもしかして陣痛?」と思った私はショッピングするどころではなく、実家へと帰りました。その日の夜、産婦人科に緊急入院しました。

 ところが、翌日には痛みがうそのように引きました。前駆陣痛だったようです。それでも、かすかな痛みは感じていました。水曜日になり、先生から「一度自宅(実家)に帰っていろいろと動いてきなさい」と言われ、父に迎えに来てもらい家に帰りました。中途半端になっていた部屋の片付けなどをして、夕食を済ませた後、産院へと帰りました。

 緊急入院から4日後の木曜日の朝10時、また痛みがやってきました。月曜日に感じた痛みの比ではなく、どうやら今度は本当の陣痛らしいと思いました。そして、昼食の頃には10分おきにいたみ始めていました。看護婦さんに連絡をして、午後1時過ぎになって分娩室に移動。分娩を促進するために注射などを打ちながら、午後6時3分、無事の男の子を3060gにて出産しました。

このページのトップに戻る

育児のもくじに戻る